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REPORT

第2回│ゼネラルな働き方をつくるには?(帆足亜紀×若林朋子)

公開日│2016.02.01

「『幸せな現場づくり』のための研究会」の研究会メンバーによる対談を全7回でお届けします。今回は、二人のコーディネーターによる働き方の考察です。

今回の対談メンバー

帆足亜紀さん(アート・コーディネーター/横浜トリエンナーレ組織委員会事務局プロジェクト・マネージャー)
若林朋子さん(プロジェクト・コーディネーター、プランナー)

両者の違いを認めるところに関わる

帆足│日本では、異なる組織や業務の間を取り持つ「中間支援」の職域がまだ確立されていません。私のようなコーディネーターやいわゆるプログラム・オフィサーなど、領域横断的なサポートを担う職域です。確立していないがゆえに雇用や専門性の問題が生じている面もあります。 私はこれまで、非常に雑食な働き方をしてきました。現在、コーディネーターと呼ばれる人のほとんどは、みんな同じように多種多様な職歴を持っているのではないかと思います。
「コーディネーター」という肩書でアートの仕事をしている人に初めて出会ったのは、1996年に『独立行政法人国際交流基金』から翻訳の仕事をさせていただいた時です。その担当者は、展覧会やシンポジウムを手掛けていたのですが、事業方針を決めつつも、自らキュレーションやシンポジウムの司会をするのではなく、裏方に回り、キュレーターや研究者、またはアートに関わる各種機関の間を橋渡しする役割を担っていました。つまり、オーガナイザーやプロデューサーの働きにも近いのですが、異なる要素をつなぐことによって事業の形態が変化する様子を目の当たりにし、「コーディネートの質が事業の質を決める」ということを学びました。
国際交流基金が主催するアジア美術関連の事業にはプロジェクトベースで関わっていたのですが、当時はまだ経験もスキルもないので、唯一役に立てそうな翻訳の仕事をメインに携わっていました。といっても、アジアの現代美術にかかわる固有名詞も文脈も全く分からず、言語的な変換はできても、「翻訳」のレベルには至らなくて苦労したのを覚えています。イギリスの大学院で学んだ文化政策の知識などは全く役に立たず、アジア美術に関わる歴史や文化政策などについてもっと知りたいと思い、とにかく新しく出会った分野について行こうと決めました。そこで、役に立たないなりに翻訳や編集、関係者とのコレポン(英語の商業文作成)、招聘業務に始まり、展示、シンポジウム、セミナーやワークショップなど、アジアをテーマにした様々な事業に必要な人や組織をつなぐ仕事の経験を積ませていただきました。
現在関わっている国際展という大きな領域のなかでも、様々な部門や業務をつなぐために必要なこと=コーディネートする仕事をしています。国際展や芸術祭は、「展覧会プラスα」なので、総合性が求められます。2000年以降の芸術祭やアートプロジェクトの増加によって、より領域横断的な仕事が求められるようになってきていると感じます。

若林│私は2013年までの約15年間、『公益社団法人 企業メセナ協議会(以下、メセ協)』で、事業の企画立案を行う「プログラム・オフィサー」として働いていました。1990年に設立され、企業が社会貢献の一環として行う芸術文化支援活動(メセナ)の推進と、日本の芸術文化環境の全般的な整備を行う団体です。
そこで携わった仕事は、調査研究から政策提言、出版、イベント、研修、助成、国際会議への出席、震災復興支援、ウェブ制作、広報まで、あらゆることを担当しました。10人にも満たない事務局なので、兼務しながら何でもやるのはごく自然なことでしたし、15年も勤めればほとんどの業務を経験したわけです(笑)。
「何でもやる」というと、典型的なゼネラリストのようですが、いったんその担当に就いたら、例えば出版の担当になれば出版の、調査の担当になれば調査のスペシャリストでありたい、あろうと思って仕事をしてきました。そして、特定のアートの専門家ではないけれども、企業メセナについては誰よりも詳しいプロフェッショナルになろうという思いは常に持っていました。

帆足│ゼネラルな仕事に関わりながら、プロフェッショナルでありたい、という思いですよね。
それでもすべてのプロにはなり得ない。どういった知見が必要か分かれば、自分ができないことは、別のプロに頼むことができます。何年経っても毎日新たに学ぶべきことはどんどん出てきます。なので、なるべく「何が分からないか分からない状態」からだけは脱したいと思っています。

若林│調整役であるコーディネーターの仕事は、未知のことや、自分とは違う意見の人と向き合う場面が多いかもしれません。相手の持っている「前提」を知って、相手の立場に身を置いて、できる限り理解しようと努めないと、調整や交渉、合意形成には辿り着けない気がしています。 一番大事にしているのは、「最適解を提供すること、最適化すること」です。意見の相違があっても、最後は、両者あるいは複数の関係者にとっての最適解を導き出せるように折り合いをつけていく。もちろん、互いに傷つくこともありますが、その傷をなるべく浅く収めるのが、コーディネーターの仕事だと思います。たとえ自分が打ちのめされても(笑)。

帆足│確かに。一つの主張を通すのではなく、「両者の違いを認めるところに関わる」というのは、私たちの仕事だと思います。

「営み」に関わるコストを考える

若林│自分に求められている役割を自覚して働くようになり、しっかりやろうとするほど、自ずと社会を動かすための仕組みや構造、制度に触れる必要が出てきます。これは、働く年数を重ねて、やっと見えてきたことでした。
例えば、お金のことですと、アート業界は、「この予算の範囲内で」という予算ありきの発注が多いように思いますが、万一自由に見積もりを出せることになった場合、自分の労働をきちんと金額換算して交渉することができるでしょうか。予算の大小に関わらず、しっかり執行できる準備ができていて、会計や税金、保険、労働法のことも分かっていないと、まとまった予算を預かることも難しいですよね。

帆足│横トリは、3ヵ年で約9億円規模の予算がつく事業です。一見大事業に聞こえますが、横浜市のような大都市が手掛ける「公共事業」のなかで考えると、港湾や都市整備に比べて、規模の小さい事業です。
公共事業では一般的に人工や工数など積算しますが、文化事業でも同様の積算を求められたときに、根拠となるデータや経験が不足しているせいか、適正な数字を判断しかねるように思います。どれくらい作業負荷が発生するのか、どれくらいの時間がかかるのか、ということですね。展覧会であれば作家数や作品数は数字で把握されているにも関わらず、そのアウトプットに至る作業が数値化されていないので、実際にどれだけの仕事が発生するのかが共有されていないように思います。自分の仕事を数字だけでは定義できないと理解しつつも、数字でも定義する必要があるのではないかと感じています。
これまで美術館やホールなどハードを中心に、そして近年ではアートプロジェクトや芸術祭などイベント中心に予算やコストが語られても、経年部分にかかるコストや人材育成のようにすぐに成果を生み出さない「営みに関わるコスト」が後回しになり、予算化の議論から抜け落ちているようにも思います。

若林│ハードやアウトプットに意識がいきがちで、完成した建物をいきいきと数十年間動かしていくための中身や事業を継続する仕組みづくりについて、費用や人材のことも含めて切実感を持って議論されていないですよね。

帆足│お金を出す側も働く側も、ソフトの維持や活性化をする部分になかなか思考が辿りつけていないと感じています。
アートの現場は、労働集約型です。そのため、人件費がかかってしまうのですが、人に投資しないと事業が成立しないとうことをいかに理解してもらうか、いつも頭を悩ませています。

若林│労働集約型にも関わらず、それを支える人材が少ないという慢性的な課題があります。アートや文化はクリエイティブな世界であると言いつつも、業界として知的集約型になり切れていない。アートが提供できる価値を金額や言葉で上手に表現できないと、経済的な自立は困難ですし、お金を出す側と対等な関係は築けないように思います。

帆足│そうなんです。たとえば文化芸術関係のNPOで億単位の事業を政府から受託している団体がどれだけあるのでしょうか。政府に依存するという意味ではなく、政府やその他関係機関と対等に仕事ができるような社会的信頼を高めていく必要性を感じます。

若林│これからは「交渉」がより大事になってくると思います。例えば、予算削減の話が出た時に、アーティストもコーディネーターも、「その予算ですと、この範囲のことしかできません」あるいは「この範囲のことであれば可能です」ということを、はっきり提示することができるか、だと思います。
尊敬を込めて言いますが、アートの世界は、いいものをつくることに対して限りなく貪欲で、労を厭いません。でもやはり、大事なことを犠牲にしてまで無理は続かないと思うんです。時間やお金、健康、家族…。本当に長くアートで仕事を続けていくためにもです。ですから、与えられた条件に対して、できる範囲はこれだとロジカルに示していく必要があると思います。

帆足│でも、「限界をつくらない」というのはアーティストの生き方、そして仕事の仕方そのものですよね。そこに対して、税金を投じることに齟齬が生じている。公共のお金は、正当性や公平性など社会的な価値が必要なので、そこにアーティストの発想を収める難しさがあります。

若林│アーティストを枠に収めようとする必要はないと思うんです。むしろ、限界を定めても、一流のアーティストやコーディネーターは、「この仕事は予算も報酬も見合わないけれど、やりたいからやる。不足分の資金は別のところから捻出する」という方法をきっと取るはずです。
大事なのは、事前にどれだけ納得した話し合いを交わせるかです。どんな仕事でも、いったん合意形成したらそう簡単には撤回できないので、初期設定というのは、非常に大事だと思います。

帆足│仕事は、お金では測れない対価もありますよね。私も、例えば、お金が少なくてもこの仕事はチャンスだ、あるいはほかでは経験できないことができる、と思う場合、必ずしも対価だけでその仕事の価値を見ているわけではありません。それこそ駆け出しのころは、チャンスや経験のほうが大事でした。
ボランティアの方々と働いていても同じことを感じます。お金ではない何かしらの価値を交換するために、時間や経験、知識、労働を分けてくれているなと感じます。

若林│そこに何かしらの満足感を持ってくれているんですよね。お互いに気持ちよく働くために、私たちが携える必要のある技術や視点はまだまだあると思います。例えば、「いかにアーティストを見守ることができるか」という力量も、我々には求められていると思います。一見わけの分からない駆け出しの若手アーティストを受け入れて、「今はまだちょっと未熟だけど、10年くらい付き合いましょう」という態度をとることができるのか、社会の側も試されます。アートは、社会の成熟度と密接に関係していると思います。

帆足│芸術祭は、お祭りごとのように見られがちですが、数年にわたって定期開催することによって社会にアートが生み出す新しい価値を定着させる営みでもあります。その過程で地域の人も「見る人」「参加する人」に留まらず、「引き受けていく人」にもなっていくんですよね。若林さんが仰る通り、「社会がアーティストを育てる」という側面もあると思います。

若林│持ちつ持たれつ、関係を持続する努力が必要ですよね。

アートを「公共の問題」として価値づけをする

帆足│コーディネーターが仕事に臨む時に重要なのは、現状の維持ではなく「未来に向けて価値をつくり出すこと」に積極的な態度をとることだと思っています。
みんなが欲しているものは、既にこの世にあります。アートに関わる仕事というのは、ほんの一部の人が欲しているものや、まだ誰も欲していないけれど、もしかしたら将来必要になるかもしれないものに対する「投資」をしていく営みだと思います。その「まだ価値の定まっていないもの」をどのように価値づけるか、それを考えることですね。学芸員は美術史のなかで価値づけをすることが仕事だとすると、私たちコーディネーターが提示する価値体系は何なのか。経済波及効果や広報効果でしか「社会的インパクトの文脈」が説得力を持ちえていない現状を変えることで価値体系が変わるのか、ということを考えることだと思います。
具体的には、税金を使うこととマスに還元することが直結するような価値づけがされていますが、アートが表現するものには、たったひとりにしか届かないものにも価値を見いだすことができるはずなんです。つまり、マスだけではなく、社会のなかにあるマイノリティの価値観をいかに担保するかが、アートの重要な役割のひとつ。そういった価値体系を普及させることも、私たちの仕事には求められていると考えます。

若林│「異なる価値観に価値がある」ということを伝えるのは、アートの得意とするところですよね。違いがあることが、社会を健全にしていると思います。つい大多数の意見に流されてしまいそうになる時、「それはおかしいんじゃないか」と引き戻してくれるのが、アートの素晴らしさだと思います。

帆足│海外の国際展事務局の担当者と意見交換する際にまず話題に挙がるのが、人権や移民、セクシャリティの問題、独裁的な政治体制における表現の自由など切実な社会状況で提示すべきアートです。次に話題に挙がるのがいかにスポンサーを説得していくか、そして、パブリックをどう巻き込んでいくかです。「マイノリティの存在を守り育てる意識」を共有しつつ、スポンサーや広く社会を説得するのにはどこも苦労していることが分かります。
「アートは、公共政策だからこそマイノリティにも目を向ける」という認識を常識に転換できるかどうかが鍵だと思います。

若林│「自分には必要ないけれど、誰かは必要だろう」、あるいは「自分には必要だけど、みんなは必要じゃないかもしれない」と、自分と違う他者に思いを馳せることができた時に、アートを「公共の問題」だと思えるのではないかと思います。 伝統芸能や文化財など、価値が定まっているものは、守るべき対象であると理解されやすいところがあります。でも、「価値の定まらないものを公共政策に取り入れていくことの意義」も、地道に理解を得ていきたいですね。コーディネーターは、その価値づけをしているのかもしれません。

対談日│2015年8月6日