「しゃべりながら観る」テキストデータ に 二十八ページから最後のページまで 本テキストは読み上げ機能を使用して読まれるかたを対象に作成しています。 読み上げ機能で文意がなるべく正しく読まれるよう、カタカナやひらがなに変換するなど、書籍の表記より一部変更や加筆を行っています。また、「ページ解説」として、本にえがかれているイラストやデザインを説明しています。 このテキストデータでは、二十八ページから最後のページまでのテキスト情報を掲載しています。 (二十八から三十七ページまで) シラトリケンジ かける サトウマイコ ふたりの対談 全体のタイトル なんでしゃべるんだろう? ページ解説 シラトリさんとサトウさんが仲よさそうに笑っている写真が、大きく掲載されています。 タイトル 身近で対等な美術館 サトウ シラトリさんにとって、アートとか芸術って、どういうものなの? シラトリ 美術館にいったことがないころは、憧れに近い感じだったかな。ファッションみたいにね。ファッションもアートも、オレは何もわかっていなかったんだけど、「みんながいいと言うからきっといいんだろうな」という感じだった。今はもっと身近なものになった。アートそのものよりも、美術館やその周辺のことに思いをめぐらせているのかなとも思うのだけど、そのあたりの区別は、正直ついていない。 サトウ わたしは美術館って、対等にいられる場だとは思っているのね。上下関係もなければ、性別の違いもなく、思ったことを主観で話してもいいバ。世の中には意外とそういう場ってないんだよね。でも、美術館では自由に話せて、いつのまにか隣で聞いている人もときどきいて、そこがなんと言うか、とても心地いいんだよね。たとえ話が盛り上がらなかったとしても、すごく心地いい。 シラトリ マイティーらしいね。 サトウ アートと言うと、どうしてもヒエラルキーがあって、知識がある人や、わかっている人が偉いと思ってしまったりするんだけど、わたしにとっての作品鑑賞は、みんなで対等な場をつくれる、ということかな。 タイトル 作品のほうから歩み寄ってきた シラトリ フェリックスゴンザレストレスという現代美術の作家がいるんだけど、銀色の紙に包まれたキャンディが床に長方形になるように、いっぱい置かれているという作品があったんだよね。かなり大きな長方形なんだけど、「キャンディを一つ食べてもいいよ」と案内されているわけ。そのとき、「現代美術って、これかあ!」と思った。でも当時は、その「これかあ!」というものが何か、まったくわかっていなかった。何年かあとに同じ作品を観て、例のキャンディを手に取ったとき、あのときの「これかあ!」に気づいたんだよね。 サトウ どういうことだったの? シラトリ それまで作品鑑賞をするというのは、自分から作品に近づいていくという感覚があったんだけど、作品のほうから手を伸ばしてくれたように感じたの。向こうから歩み寄ってきてくれたような感じで、「そういう作品もあるんだな」という自分なりの解釈ができた。 サトウ 最初に観たときは、よくわからないけれど、何か引っかかりがあったということ? シラトリ 何年もアトになってから腑に落ちるということもある。だから、友だちがその作品の意味を説明しようとしたら、「言わないで」と止めたりするんだよね。 サトウ 逆にわからないようにして、わからないのを楽しんでいるわけだ。 シラトリ 知りたいという楽しみもあるんだけど、知らないで取っておくという楽しみもある。オレは、そこにこだわっているような気がする。 サトウ でもさ、情報を聞かされてもエンジョイしていることもあるよね? シラトリ ある。うん、どっちもある。 サトウ たまにポロッと情報を聞いて、「おお」って盛り上がったりもするもんね。 シラトリ それでも、やっぱりオレはアトからかな。最初に情報を聞いてしまうと、わかったような気になっちゃうから。すぐに納得してしまうしね。 注釈 文ちゅうに出てきたフェリックスゴンザレストレスのキャンディーの作品は、「無題(ギヤク)」という作品です。千九百九十一年に制作されました。 タイトル 距離感ってなんだろう? サトウ わたしたちは目が見えるから、視覚的に遠くにいる人と、近くにいる人がわかる。もしくは、話していて相手の顔を見れば、「この人、つまんなさそうにしているな」とか「この話にはあまり興味がなさそうだな」というのがわかるけど、シラトリさんは会話をしない限りは人と距離感をつかめないわけじゃない? しゃべっていて「この人、ちょっと遠いな」とか感じるものなの? シラトリ 分析的に考えたことはないんだけど、言葉の出し方や抑揚とかに表れるんじゃないかな。子どものころは、今とは比べものにならないほど、ほとんどしゃべらなかった。自分がしゃべり始めた次の展開に自信がなかったんだ。自分が話しかけたとき、相手はそういう気分じゃなかったらどうしよう……って。怖がっていたんだと思う。最近は、少しずつ自信がついてきて、ようやく普通にしゃべれるようになった。あとは、誰かのスイッチが入ったことで、オレもテンションが上がることが多い。やっぱり人につられるんだろうね。その辺は、生きものだし、生モノだから。 サトウ 相手との距離感って、言葉からだけではない、ということだよね? シラトリ その人がどっちを向いてしゃべっているかとか、声の大きさやトーンとか、それこそ空気とか雰囲気とか、そういったことからその人のことをイメージする。 サトウ 会話は情報の一部でしかない、ということだね。 タイトル 言葉の選び方に個性が出る サトウ 作品の色を聞くと思うんだけど、色ってどういうふうにイメージしているの? シラトリ 色については、よく質問されるんだけど、例えば「赤」と言われたら、「赤」という概念は残る。具体的なイメージはできなくても、赤というのはどういう色なのかは知っている。見たことはないけど、知識として知っているという感じかな。 サトウ 「赤」と言っても、いろんな赤があるしね。 シラトリ 色の表現で多いのは、季節関連かな。夏の空、夏の海、冬の夕焼け、秋の紅葉とか。そういえば、食べものでたとえる、おもしろい人がいた。「おいしそうなオムレツみたいな色です」って。結局、オレにはよくわからないし、その人にとってのおいしそうなオムレツの色なんだろうけどね。 サトウ シラトリさんの鑑賞会では、みんな主観的に話してもいい、というのはあるよね。あんまり客観性は求めていないし、主観で話すおもしろさってあるよね。 シラトリ 主観というのは、その場で出たものだからね。整えられた文章の言葉ではなくて、その場の雰囲気で、思わず出てしまった言葉という良さがある。 サトウ 「なんでその言葉を選ぶんだろう?」って考えるだけでも楽しいよね。学校や会社では、突飛なことを言ったり、空気を読めないような発言をすると、まわりから白い目で見られたりするじゃない。でも鑑賞会では、思ったことは遠慮せずに何を言ってもいいし、わからないことは「わからない」と言ってもいい。思ったことを言うだけでも、場は温まっていく感じがする。 シラトリ 聞いている人がいる、というのがポイントなんだよね。オレが理解していなくても問題ない。 サトウ カウンセラーみたいに、みんな白鳥さんに恋愛相談とかするもんね。でもシラトリさん、何もしゃべっていない。聞いているだけなのに、「あぁ、そうですよね!」なんて言って、満足して帰って行くんだよね。 シラトリ 相談したい人って、だいたい自分の中に答えがあるから、しゃべっていたら勝手に答えにたどり着くんだよ。だから、オレがわざわざ口を挟む必要はない。 タイトル 相手に気持ちよくしゃべってもらうコツ サトウ それは鑑賞会でも同じじゃない? シラトリ 相手がいかに気持ちよく話してくれるか、ということはよく考えている。二十代前半のころは、誰かと仲良くなるために、相手の趣味や好きなことを聞いて、それについてニサンコ質問するんだよね。オレもそれについて知っているかのように振る舞うと、相手は気持ちよく話し始める。例えば、バイクが好きな人が何かを話題にしたら、「ああ、それ聞いたことあるかも」ってあいづちをする。 サトウ 全然知らないのに? シラトリ そう、さっぱりわかんないんだけど、気分よくしゃべってもらうと、時間はもつし、相手のこともわかってくるし、なんとなく仲良くなったような気がしてくる。そういうのを試していた時期がある。 サトウ 今はどうしても英語を話さないといけない場面があって、語学で苦しんでいるんだけど、シラトリ流を思い出すと、かなり英語が上達するんだよね。自分から一生懸命に話しかけなくてもいいと割り切って、相手に気持ちよく話してもらう。ちょこちょこあいづちを打ったり、質問を挟んだりすると、相手は気持ちよく話してくれるんだよね。そうすると、徐々にリスニング能力がついてくるし、ケイケンチが増えるからあいづちや質問のバリエーションも増えてくる。 シラトリ 「そうそう、そうだよね」と反応すれば、だいたい話は進んでいく。知らなかったことも、少しずつ理解できるようになるしね。 サトウ 自分が言いたいことを相手に伝えられたときよりも、相手が伝えたいことを理解して、うまく返せたときのほうが嬉しい。白鳥さんと出会っていなかったら、こういうマインドになっていなかったかも。 シラトリ オレ、ほとんどしゃべらないしね。鑑賞会で形とか色とかを正しく言おうと思ったら、かなり大変だと思う。限界があるから、話すほうもどこまで話したらいいか、わからなくなってくるんだよね。 サトウ わたしは「コソアド言葉」をよく使ってしまう派。アレとかコレとかしか言っていないんだけど、白鳥さんは受け止めてくれる。 シラトリ 作品に近づこうとしているのがいいんだよね。 サトウ そういえば、作品に関係ない話になっても、あんまり軌道修正しないよね シラトリ だいたい戻ってくるから。でも中には、自分の話だけをしたい人もいる。そういう人に限ったことではないんだけど、どこで話を切るのかは、ものすごく迷う。話が弾んでいても、そのまま話が弾んでいるだけで終わってしまってもいいのか、今 盛り上がっているから逆に切ったほうがいいのか、といったことは毎回考える。 サトウ 飲み会でいつ切り上げるかという話と同じだね。 シラトリ 一番いいときに切り上げる人っているよね。でも、そのまま待っていたら、いい話が出てきた、ということもあるんだよ。だから、時間だけで切るわけにはいかないし、その場の雰囲気を読み取ってなのか、読み取っていないのかはわからないけど、ほとんど賭けみたいなもんだよ。 タイトル 美術館が好き! サトウ シラトリさんは、美術が好きなんじゃなくて、美術館が好きって言ってくれた。わたしがずっと思っていたことを言語化してくれたおかげで、私も堂々と美術館で起こる出来事が好きって言えるようになった。 シラトリ もともと美術が好きで鑑賞を始めたわけじゃないしね。マイティーは、美術をどういうふうに観てほしい、とかあるの? サトウ 自由に好きなように観てもらっていいんだけど、逆に「観てもわからない」とか「自分にはわかる作品がないから行かない」とか思われるのは残念かな。誰かが発したヒトコトだけで、会話が広がっていくから。だから、美術館に来たら楽しいし、わからなくても楽しいよ、と声を大にして言いたい! シラトリ 逆にわからないほうが楽しいよね。 サトウ 鑑賞会でこの人苦手だなぁって思う人もいるの? シラトリ いるんだろうけど、気にしないようにしている、というのが正しいかな。鑑賞会をするときは、事前に気分を整える準備をするんだけど、そのとき「どういう人がどういうことを言っても、とりあえず聞いて受け止めよう」と自分に言い聞かせる。「たとえ作家のことを滔々と語るような人が出てきても、それはそれでアリだよね。そういう人が来ても、拒否はしないでおこう」と。自分の中で、「これはないだろ」というのを消して、できるだけフラットにするようにしている。だから、どういう人が来ても大丈夫。 サトウ そう言えば、前にいきなり作品の解説を話し始めちゃった女性がいたよね。 シラトリ いたねー。最初にそういうことは言わないようにって説明したんだけどね。彼女が話し終わったら、その場がシーンとなっちゃった。だって、話が広がらないからね。 サトウ その女性、あとで言っていたんだけど、その作品が嫌いだったんだって。「私はこの作品が苦手だから、何も感想も浮かんでこない。だから先に作品の解説をしちゃったんです。そうすれば、あとで口を出す必要がないから」って言ってた。 シラトリ わからないなら「わからない」って言ってほしかった。 サトウ あと、美術館では静かにしないといけないと思っている人が多いけど、もっとしゃべりながら観てほしいよね。 シラトリ 美術館によるよね。都内でも平気なところは平気だし、ダメなところは、昔からダメ。 サトウ この前、海外の友だちが「日本の美術館は、してはいけないこと、が入口に書いてあるから、それで子どもや親が萎縮してしまうんじゃない」って言っていた。あれは敷居を高くしているし、しゃべったらダメという気持ちにさせられる気がする。 シラトリ 美術館の成り立ちがそもそも違うから、海外と並列では語れないところはあるけどね。 サトウ 誰でも作品を観る自由はあるし、誰でも作品を自由に語る権利がある、そう訴えたい。 シラトリ 日本の美術館もそうなっていけばいいよね。 サトウ そういう活動をしていかなきゃ、だね。 (三十八から三十九ページ) タイトル シラトリリュウ 会話型美術鑑賞のすすめ (リード文) 鑑賞の仕方は無限にあるしルールもない。自分が観たいように観たらいい。シラトリ流の鑑賞法を紹介しておくので、自分の鑑賞スタイルの参考にしてほしい。 ページ解説 会話型美術鑑賞をするときのコツをまとめたぺージです。一番から十二番までの項目ごとに、内容を示したイラストがあり、その下に解説が書かれています。ページの右端、左端、真ん中のあたりに、ビールを飲んでいるシラトリさんのイラストがかかれています。 会話型鑑賞のポイント いち アポは取らなくてもいい 焦って電話をかけている男性のイラスト 解説 家族や友だちで行くときは、美術館に連絡しなくてもいい。アテンドをお願いするときだけ、事前にアポを入れておくとスムーズかも。 に あらゆる想定をしておく たくさんのことを考えている人のイラスト 解説 どんなことがあってもめげないように、考えられる不測の事態を想定しておく。事前にメンタルを整えておこう。 さん 情報は最低限で スマートホンで検索して調べている人のイラスト 解説 情報誌や情報サイトで展覧会などの情報をゲットしよう。ただし、作家や作品の情報は調べないほうがオレは鑑賞を楽しめる。 よん コンディションを整える 缶ビールを飲んでぐーぐー寝ている人のイラスト 解説 会話型の鑑賞は、体調に大きく左右される。寝不足だったり、体調が悪かったりすると、楽しくもおもしろくもない。万全の体調で望むべし! ページ右手下 よん番の近くに、缶ビールを飲んでいるシラトリさんのイラストに コメントが添えられている コメント 「前日は、飲みすぎないように!」 ご 目標を設定する 小さな砂山に、ゴールとなる旗が立っているイラスト 解説 どういう鑑賞にしようか、事前に決めておくといい。友だち同士の場合は、一緒に美術館に向かうときにでも話しておこう。 ろく 最初は長い時間をかけて 大きな絵画をじっと見ているイラスト 解説 場が温まるまでは、じっくりと鑑賞しよう。最初の作品は、余裕を持って二十分くらい予定しておくといいよ。 なな 好きな作品を観る 四人の人物が、それぞれ気になる絵画を見ているイラスト 解説 最初は具体的な作品のほうが話が弾むけど、それが正解でもない。言ってしまえば、何を選んでもいいので、自分たちの好きな作品を選ぼう。 はち わからなくてもいい ひとりの人物の頭の上に、たくさんのハテナがうかんでいるイラスト 解説 意味不明すぎて、何も言葉にできなかったり、頭がハテナでいっぱいになっても大丈夫。わからないことを正直に話して、逆にわからないことを楽しもう。 きゅう 導線だけは気をつけて 二人の人物が並んで立っていて、そのまわりを囲むように矢印が書いてあるイラスト 解説 スウジュップンほど立ち止まって鑑賞するので、他の来館者の妨げにならないように気をつける。譲り合って気持ちのいい鑑賞を心がけよう。 じゅう 注意されたら? 指をさして怒っている人と、頭を下げてあやまっている人のイラスト 解説 他の来館者に注意されたのなら、謝って彼らがいなくなるのを待てばいい。もし美術館のスタッフに注意されたら、他の美術館でトライしよう。 十番の近くに、シラトリさんと女性ふたりが作品の前で話しているイラストが書かれている。 コメント 「まわりにスペースがある作品を選ぼう!」 じゅういち 良いも悪いも均等割で やっつに分割された丸いピザのイラスト 解説 うまく鑑賞ができなくても大丈夫。原因は作品だったのか、美術館という場だったのか、相手の体調にあったのか、わからないから、みんなで平等に持ち帰ろう。 左ページの下部に、ビールを片手に笑っているシラトリさんのイラストがある。 コメント 「何があってもめげないし、嫌なことがあってもすぐ忘れるんだよね。」 じゅうに あとからジワジワくる 年をとったおじいさんが歩いているイラスト 解説 鑑賞時はピンとこなくても、家に帰ってからハッと気づくことがある。それが数年後だったりすることもあるので、無理に理解しようとせずに、楽しみは取っておこう。 (四十から四十一ページ) タイトル シラトリリュウ 会話型美術鑑賞をやってみよう! (リード文) 紙上で鑑賞会! シラトリさんや佐藤さんの会話を参考に、なんでもOKなので、自由に絵や仏像を説明してみよう。 ページ解説 実際に絵や写真を見ながら、会話型鑑賞をやってみるためのページです。左ページには、ヨハネス・フェルメールの絵画作品「牛乳をそそぐ女」の図版が掲載されています。「牛乳をそそぐ女」は、千六百五十八年ごろの作品で、アムステルダム国立美術館に所蔵されています。 シラトリさんとマイティーさんの会話 シラトリ さて、どんな作品なの? サトウ 女の人が中心に描かれているよ。 シラトリ どんな女の人? サトウ うーん……、若いのか年配なのかわからないな。年齢不詳。 ははは。 あざやかな青いエプロンのようなものを腰に巻いていて、頭になんかかぶってる! シラトリ どんなやつ? サトウ 今はあまり見かけないデザインかな……。白い布みたいなの。おでこが出てて、髪の毛が見えないんだよねぇ。 シラトリ ふうん。 サトウ あっ! ポットから甕かめのようなものに、白い液体を注いでいるんだけど、食べ物を扱っているから髪の毛をまとめるような役割なのかも。 シラトリ あぁ、なるほどね。 サトウ かめのまわりにはひとくちだいのパンが置かれていてね、テーブルからこぼれ落ちそうなくらいパンがあるよ。バスケットもテーブルの上にあって、中にはホールのパンが入ってる。 シラトリ え、そんなに!? そのパンを入れるのかなぁ? サトウ そうかもねぇ。ちなみに、女性の表情は良くわからないね。液体を注ぐことに集中している感じ。 シラトリ じゃあ、こっちを見ていないんだ。 サトウ そうそう。視線は下に向いているし、口は半開き。 シラトリ えー、そうなの!? サトウ 絵の左側には、窓があるけど、部屋はちょっと薄暗いかな。オランダの冬は基本的にくもりだから、これは冬に描かれたのかも。 シラトリ あぁ、マイティーがしんどいって言っていた冬ね。 サトウ 少しくらい出てよ、ってくらい太陽の光がないんだよ。良くてくもり。悪くて雨。 シラトリ ふふふ。水戸の冬はいいよー。 サトウ いいなぁ、冬は日本に行きたいよ。 (四十二から四十三ページ) ページ解説 左ページには、仏像の写真が掲載されています。作者は不明で、十四世紀ごろに作られたものです。メトロポリタン美術館に所蔵されています。 シラトリさんとマイティーさんの会話 シラトリ 次はどんな作品? サトウ お地蔵さんっぽいね。わたし、仏像系は、まったくわかんないんだけど……。 シラトリ お地蔵さんだとしたら、立ってるのかな? サトウ そうそう、たぶん蓮の花なんだけど、その上に立ってるよ。花の上部がたいらになっていて、裸足で立ってる。 シラトリ そうなんだー。 サトウ 右手に棒を持っていて、お地蔵さんの身長より長い。頭一個分くらい長いかな。 先端は輪っかになっていて、そこにリングがじゃらじゃらついている。 シラトリ じゃらじゃら? じゃあ、たくさん? サトウ うん、よっつはついてるかな。それでね、左手の手の平には何か乗ってる。 なんだろう? 桃っぽい形のものを乗せているよ。 シラトリ へぇ。なんか意味ありそうだよねぇ。 サトウ たぶんねー。きっとこの会話を聞いている、仏像系に詳しい人は、ツッコミたくて仕方ないと思うけど。 シラトリ ははは、そうだよねぇ。 サトウ お地蔵さんの背後には、放射線状に針のようなものが広がっていて、後光が差している感じだよ。 シラトリ おー、いいねぇ! サトウ 髪型はね、鎌倉や奈良の大仏みたいなパンチパーマじゃなくて、ツルっとしてる。 シラトリ はは。顔はどんな感じ? サトウ 目をつぶっているからよくわからないけど、穏やかな表情だよ。あれ? 良く考えたら、 お地蔵さんって、全員目をつぶってたっけ? シラトリ オレが知るわけないじゃん! サトウ あーごめんごめん。お地蔵さん、今までたくさん見ていて、 手を合わせていたのに、全然見ていなかったんだなぁ。 二人の鑑賞会は、このまま居酒屋に持ち込まれ、延々と続いていくのでした……。みなさんも、シラトリリュウ会話型鑑賞会を楽しんでください。 (本文おわり) (四十四から四十五ページ) 美術館はあたたかい場でありたい オオサカエリコ コクリツ新美術館長 私がシラトリさんと実際にお会いしたのは、千九百九十八年だったと思います。水戸芸術館にいたときに担当したジェフウォールの展覧会にシラトリさんがいらしたときですね。とても大きな作品を一緒に観た記憶があります。 その前にはじめて水戸芸術館に来館され、「しなやかな共生」展を楽しまれたと聞いていました。目の見えないかたが、言葉だけで作品を鑑賞する。しかも、それを楽しんでいらっしゃる。それが私には衝撃でした。ものすごい想像力の持ち主なんだなぁと。 最初に案内するときに「どんなふうに接すればいいですか?」と聞いたのですけど、シラトリさんは「友だちみたいにしてください」とおっしゃったんですね。それがとても印象的でした。その言葉を聞いたので、特別扱いするということではなく、笑ったり軽い冗談を交わしながら、こちらも構えることなく一緒に鑑賞することができたように思います。 水戸芸術館には足しげく通っていただいたのですが、スタッフもボランティアの方も含めて、みんなシラトリさんに説明したがっていました。ちょうど日本の美術館にも対話型鑑賞の手法が入ってきたころで、水戸芸術館ではこの研修会を実施していたので、作品鑑賞というのは、決して正解があるわけではなくて、一つの答えに収束するわけでもなく、多様な見方を提供してくれるもの、さらに対話を重ねていく先に作品の本質に迫れるということを、みんな実感していたところだったのです。 対話型鑑賞では、まずは作品を観察して、その作品がどういうもので何が描かれているのかを、言葉に置き換えていくことが出発点になるのですが、この方法はシラトリさんと作品を観るときも有効だなと思いました。そしてそこから会話を弾ませていく中で、私たち学芸員のほうが、作品をやさしい言葉であらわすことが苦手だったり、自分が「このくらいだろう」と認識していた作品のサイズと実際のサイズが異なっていることに気づいたりと、白鳥さんと一緒に観ることで、自分がいかに作品をしっかりと観ていなかったのか、ということにも気づかされました。 二千年2月に一般財団法人地域創造主催の、芸術に関わる人のための研修が高知県立美術館で開催されることになり、シラトリさんに講師をお願いしたことがありました。そのときのレポートには、シラトリさんの言葉が次のように報告されています。 「美術館にいって楽しいと感じるのは、例えば絵に描かれたこの葉が「さらさら」「ざわざわ」揺れている、というように、情感豊かに描写されるときです。案内してくれた人が、逆に『こんなにじっくり観たことがなかった』と感動していることもあります。僕にとって美術館が楽しいのは、絵を前にした人とのコミュニケーションで、その「ライブ感」がたまらないんです」(地域創造レター4月号 ナンバー六十「ステージラボ高知セッションレポート」より 誰かと一緒にあれこれ言い合いながら、肩の力を抜いてその作品の世界に足を踏み入れていくというのは、簡単ではなくても、やわらかくあるべきですね。時間と空間を共有することの大切さをまず教えてもらいました。 でも、作品を言葉だけで観ることがどのようなものなのか、どの程度伝えられるのか、という思いは尽きません。作品をいかに理解したかとは異なり、大切なことは作品を媒介とした会話を通して相手とコミュニケーションすることや、作品を媒介したときに起きる新鮮な感覚、そして開放感や楽しさを共有することです。 シラトリさんと話すことによって、自分の中にある無意識の偏見や思い込みにも気づかせてもらったと思います。 対話型鑑賞の手法は美術館に広がってきていますし、展覧会を見ながら小声でお話しされるかたもいらっしゃいますので、会話しながらの鑑賞を拒否されるということはないと思われます。でも大声で話していると注意されてしまったりすることはありますし、いろいろな視点の人や考え方の人がいらっしゃいますので、そういう方々を拒否せず、みんながうまく共生できるように、美術館も受け入れの方法を模索していきたいですね。個人的には「美術館は温かく、やわらかな雰囲気の場であるべき」だと思っています。 (本文おわり) オオサカエリコ プロフィール 東京都生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業。アイシーエー名古屋を経て、千九百九十四年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員、同センター芸術監督。二千七年より森美術館アーティスティック・ディレクター。二千九年より二千二十年三月まで横浜美術館館長。二千十九年10月より国立新美術館長、二千二十一年七月より国立美術館理事長に就任。 (四十六ページ) あとがきにかえて もりつかさ (トーキョーアートリサーチラボ ディレクター) 「しゃべりながら観る」が通称「ながらみ」となって、ハヤることを願っている。そのためには本書が美術館を縁どおく思っている人たちに届き、「ながらみ」いいじゃん、と思ってもらうこと。次に「ながらみ」している来館者が美術館から「話さないでください」と注意されないようになることが必要だ。しかし、美術館での鑑賞時のあるべき姿は「走らない・しゃべらない・触らない」の、さんないルールに象徴されている。 「ながらみ」は、アシバヤにもくしして過ぎ去るのではなく、立ち止まり、「かもしれない」を繰り返す仕草だ。「走らない」「触らない」はクリア。「しゃべらない」が「ながらみ」と抵触する。「しゃべりながら観る」からだ。しかし、作品の前に佇み、はじめの見え方に意識的に揺らぎを与え、より解像度高く掴み切ろうとする姿勢は、鑑賞行為そのものと言えるだろう。それは「見た」から「見えた」、体験から経験、認識から理解への移行だ。会話の中でその移行が訪れる瞬間が楽しくて幸せを感じると語るシラトリさんは、まぎれもない美術鑑賞者のおひとりだろう。 「バズる」ことを目論んで写メを許可する美術館が増えている。撮影禁止も最近までは美術館のあるべき姿だったことを思えば、「ながらみ」も実践者が増え、創客に繋がるのであれば容認される流れになるかもしれないと期待したい。それ以上に「ながらみ」を美術館側から推奨していくイメージを積極的にいだきたい。 美術館は敷居が高いとされる精神的なハードルを下げることがアクセシビリティーの向上の一つに繋がるとしたら、「ながらみ」の容認は奨励される「あるべき姿」に自分には思える。ニューヨーク発の対話型鑑賞が教育普及としての鑑賞行為とするなら、会話型というべき「しゃべりながら観る」行為は、難しいことなんて言わず楽しもうとするやんちゃな姿勢だ。自分はその感じが好きだ。 全盲のシラトリさんは、盲人としての「あるべき姿」の枠に抗い、全盲の美術鑑賞者になった。美術館も今の「あるべき姿」の枠を脱ぎ捨て、新しい「あるべき姿」になれるのかと問われているように思えてならない。 (四十七ページ) 参考文献 『目の見えないシラトリさんとアートを見にいく』 カワウチアリオ著、集英社インターナショナル 奥付 「しゃべりながら観る」 発行日 二千二十三年三月二十七日 著者 シラトリケンジ サトウマイコ 監修 モリツカサ 編集 モリヒデハル 装丁 レイアウト ヤハギタモン 写真 イケダヒロシ 企画 オヤマサエコ カワミツニキアン 発行 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京 郵便番号イチマルニのゼロゼロナナサン 東京都千代田区九段北 四の一の二十八 くだんファーストプレイス五階 電話 ゼロサン ロクニーゴーロク ハチヨンサンゴ- ファックス ゼロサン ロクニーゴーロク ハチハチニーキュウ https://www.artscouncil-tokyo.jp 印刷製本 株式会社 丸上プランニング ISBN 978-4-909894-44-1 C0070 © 2023 Arts Council Tokyo printed in Japan 営利、非営利を問わず、当資料のコンテンツを許可なく複製、転用、販売など二次利用することを禁じます。 本書はトーキョーアートリサーチラボ 研究・開発プログラムの一環として制作しました。 トーキョーアートリサーチラボ(タール)とわ 公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京の人材育成事業として、アートプロジェクトを実践する全ての人々に開かれ、共につくりあげる学びのプログラムです。現場の課題に対応したスキルの提供や開発、人材の育成を行うことから、社会におけるアートプロジェクトの可能性を広げることを目指しています。 (四十八ページ) ページ解説 最後のページ。シラトリさんとマイティーさんが、笑って立っている写真と、 二人それぞれのコメントが掲載されている。 シラトリさんコメント わからなくてもいい。いや、わからないほうが、もっといい。 そんな体験をいっぱい楽しんでほしい。 マイティーさんコメント しゃべりながら観る。そういうスタイルがもっと広がってくれたら、とっても嬉しいよね。 裏表紙 この冊子の情報をまとめたウェブサイトへいくためのQRコードが掲載されている (「しゃべりながら観る」おわり)