みんなで看取れば怖くない?―生活圏のフレンドリーな死を考える
2018年10月から毎月1回開催してきた対話シリーズ「ディスカッション」、その最終回となる第5回が2019年2月20日(水)に行われました。今回タイトルに掲げられたのは「みんなで看取れば怖くない?―生活圏のフレンドリーな死を考える」。モデレーターのアーツカウンシル東京プログラムオフィサー、大内伸輔は「少子高齢化が問題になり、2030年の日本では年間160万人が亡くなるという予測も出ています。自分にとって身近な人の死はインパクトが強く、人生のターニングポイントになるものだと言えます」と述べたうえで、そういった『死』に対してどう向き合えばいいか、アートプロジェクトとして何かつくることはできないかと考え、今回のゲストの一人である指輪ホテルの芸術監督、羊屋白玉さんがディレクターとなったとアートプロジェクト「東京スープとブランケット紀行」について解説しました。
このプロジェクトは、アーツカウンシル東京が展開する事業「東京アートポイント計画」の一つとして展開されました。羊屋さんが22年間ともに暮らした猫を2012年に亡くしたことをきっかけに、2014年から3年間にわたり猫の月命日に羊屋さんの住む江古田にさまざまな人が集まり、そこでスープをつくって一緒に食べ、語る時間を持つことが活動の中心。2017年には活動を「Rest In Peace, Tokyo」として外に開き、同年10月には斎場を借り、羊屋さんが猫への弔事を読みあげました。映像、戯曲、記録集として活動の成果がまとまっています。
「どうしてスープなのかと言うと、猫が倒れて私が看病しているときに、友人が鍋にスープを入れて持ってきてくれたんです。さらに亡くなるまでのあいだ、徐々に体温が下がっていくときに友人がブランケットで包んでくれたり。それがプロジェクト名の由来となっています」と羊屋さんは説明し、さらに「猫が亡くなったときに、どういうふうに弔いたいかを考え、剥製にしたいとかいろいろ思ったんですけど、結局大家さんの家の庭にある桜の木の下に埋めました。スープを囲みながら個人的な課題をみんなで集まってどうしたらいいか向き合う時間の中で、大内くんが『みんなで看取れば怖くない』と言ったことが印象的でした。毎月みんなで集まることが、喪失の予行練習だったんじゃないかなと思います」と言うと、大内は「都市生活では、今回のタイトルのような『生活圏のフレンドリーな死』が失われていると思っています。私の田舎では家の後ろに墓地があるので、墓参り、墓掃除が日常の中にあり、死へのある種の準備ができている。でも都市ではその親密さのようなものが失われているように感じます」と応答。
続けて羊屋さんが、「越後妻有アートトリエンナーレで作品をつくったときに(2015年制作『あんなに愛しあったのに~津南町大倉雪覆工篇』)、会場の津南町に縄文ムラがありました。そこは集落の真ん中に柱が建っていて、そのまわりにお墓があり、家々の入り口がお墓のほうを向いているんです。これはアパートの真ん中にお墓があって、玄関がそこに向いているようなものだけど、現代の人はこれに耐えられるだろうかと思いました」と述べ、古代と現代では死への距離、考え方が異なることについて触れました。
続いてもう一人のゲスト、金沢21世紀美術館キュレーターの髙橋洋介さんは、現代において生と死の意味が変化してきていることを実例を交えて紹介されました。
最初に、髙橋さんが企画で携わった展覧会である、東京・表参道のGYREで行われた「2018年のフランケンシュタイン」を通して、生の変化が語られました。ここでは、小説『フランケンシュタイン』が1818年の発表から200年を迎えたことにあわせ、『フランケンシュタイン』が提起した問題と通底する主題を立て、バイオアートの作品を展示しました。その中の一つ、ディムット・ストレーブという作家の作品「Sugababe」は、ゴッホの子孫の細胞、DNAをもとに、ゴッホが切り落とした左耳を生きた状態で復元したもの。これについて髙橋さんは「バイオアートの問題として、死者の蘇生を取り扱うことが挙げられます。神話にも死者の蘇生は表されていますが、あくまでもそれは比喩でしかありませんでした。しかし、それが現代においては意味が変わってきています」と述べ、「不死化細胞」と呼ばれる、細胞老化を回避して連続的な細胞分裂能力を持った細胞が存在することを挙げ、「細胞レベルで見ると『死なない』ものがある。そこに違和感を覚えました。誰もが逃れられないもの、避けられないものとして死を捉え、生と対立するものとして描いてきた従来の前提が覆るようなテクノロジーが出てきたと言えます」と説明。
また、死の変化に対応するものとして、髙橋さんが金沢21世紀美術館で企画した展示「DeathLAB:死を民主化せよ」について説明いただきました。コロンビア大学のDeathLABは都市における死をめぐるさまざまな問題について、宗教学や建築学、地球環境工学、生物学などを横断して探求をする研究所。そのDeathLABを主催するコロンビア大学准教授のカーラ・ロススタインとともに、現代の死のあり方について発表した展示が「DeathLAB:死を民主化せよ」です。
さらに都市の死にまつわる状況として、死者が増え、墓地や葬儀の空間的、時間的余裕がなくなっていることに触れました。たとえば現在の東京は、亡くなっても火葬まで2週間待ち、墓地が空くまで数年待ち、という問題も出てきました。国内の孤独死者数も推定3万人と言われるなど、身寄りのない人や子どものいない人の死も増えています。「墓地は都市の郊外に阻害され、死に触れる機会そのものが少なくなりました。さきほど羊屋さんが言っていたように、縄文時代はもっと死が身近なものとしてありましたし、大内さんがお話ししていたような家と墓地が密接な距離にあるというのも、18世紀くらいまでの日本では普通のことでした。お盆の時期に死者が一時帰ってきて、また彼岸に戻っていく、というような『死者が自分たちを見守っている』ような考えがこれまでの価値観だとすれば、いまでは『見てはいけないもの』へと死者のあり方が変わってしまいました」。
都市における「死」を考えるDeathLABが誕生したきっかけには、2001年のワールド・トレード・センター倒壊で亡くなった民族や宗教の異なる3000人もの犠牲者をどのように弔うのか、という問題意識がありました。その中で展開されたものとして、「コンスタレーション・パーク」というプロジェクトが紹介されました。これはニューヨークのマンハッタンとブルックリンを結ぶマンハッタン橋の下を、弔いのメモリアルパークにしようという考えのもと、遺体をバクテリアで生分解する中で発生するエネルギーによって橋を光らせるというもの。ニューヨークはそもそも死者を土葬で葬りますが、そのための土地もなくなりつつあり、自然葬にも限界があるそうです。しかし亡くなった人をすべて火葬にすると二酸化炭素の排気量が膨大なものになってしまい、自然環境への影響が考えられるとのジレンマが。このような前提を踏まえたうえで、たとえば「コンスタレーション・パーク」のようなオルタナティブでエコロジーな死のデザインを考える必要があります、と髙橋さん。「別の例を挙げれば、福原志保さんというアーティストがロンドンで設立したバイオプレゼンス社が、故人のDNAを木の細胞に保存して、それをお墓にするという試みを行いました。外見は木だけれど、DNAのレベルでは人間という、同一個体に異なる遺伝情報を持つ細胞がある『キメラ』だと言えます。日本では墓石の代わりに樹木を墓標とする樹木葬などがあり、そこまで批判的な意見は出ていないようですが、キリスト教圏ではこの試みはグロテスクだと批判されました」として、テクノロジーを応用した「オルタナティブでエコロジーな死のデザイン」と、それに対する既存の倫理観の折り合いをつけることには難しさがあると説明しました。
またここで、歴史的な「死」のあり方について考えを巡らせました。秋田県鹿角市にある大湯環状列石は、日時計になっているストーンサークルの下に死者を埋葬していました。死者が大地とつながり、時間、季節が循環する中で生者にさまざまな恵みを与えていることを表現する文化的システムとして解釈できます。このような死生観は近代になればなるほど失われてきました、と髙橋さんは言い、「歴史家のフィリップ・アリエスは西洋の2000年の歴史を振り返り、死の類型を整理しました。一つ目、『飼いならされた死』はどの時代にも共通してある、運命としての死です。その後、中世に現れたのは『己の死』。これは教育が進んだことによる、『私は他の誰でもない私』という考え方です。
次いで、18世紀に現れた『他者の死』は、産業革命が起こり、次第に死が非日常となっていく中、ロマン主義文学が他者の死を過剰な言葉で修飾したように、かけがえない友や家族の死を悲劇として悼むというものです。そして現代における死は『タブー視される死』。第二次世界大戦以降顕著になってきていることで、人は生きるためというより死ぬために病院か介護施設に隔離され、心電図などを測定されるなど、死は自分で悟るものではなく、専門家や技術によって測られるものになってしまいました。死と死者は、スムーズで幸せな日常を邪魔するものとして隔離されてしまいました」と解説。
そのうえで、DeathLABがやっていることは、古代の人たちが触れていたようなあたたかい死者との関係をどうやって取り戻すかということであり、「死を民主化せよ」と言うのも、お金や家族、宗教がなくても、あらゆる人が都市で平等に死ぬことができるようにするためだと言います。
ここで、これまでの話を受けて大内は「死を民主化するというのは、隔離された死を自分たちのもとに取り戻していくことだと思いました。『東京スープとブランケット紀行』がやっていたことも、そういった考える時間をつくることでした」と言い、羊屋さんの話をどのように聞いたかと髙橋さんに問うと、「羊屋さんがやってきたことは、つながりを取り戻すことだと感じました。死にも三人称の死と一人称の死があります。三人称の死というのは概念としての死。でもいざ自分が死ぬとなると、そこでの死とどう向き合っていいのかわからない。それが一人称の死であり、個別具体的なものなんです。一人称の死の孤独と向き合うときに大事なのが、つながることだと思います」と応え、羊屋さんは「私の場合、猫が倒れたときに、その猫の死という三人称と、自分がどうしていくかという一人称を行ったり来たりしていました」と応答、さらに髙橋さんは「アメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー=ロスは、死と向き合う人間に重要なのは、ある種の親しみやつながりだと言っています。自分の死は誰しも未知だからどう向き合っていいかわからない、だからこそ自分の親しいものに囲まれ、安心感に包まれてこの世界を去ることが幸福な死だ、と」と話をまとめました。
最後に会場から、自殺についてDeathLABではどう扱っているのか、という質問も。髙橋さんは、「DeathLABは死んだ後のことを考えているので、自殺自体を扱ってはいません」と前置きをしたうえで、いまの社会が生きることを特権化しすぎており、死ぬことの権利、死を選択することの尊厳があると思うと発言。「生きることは死ぬことと切り離せない。エリザベス・キューブラー=ロスが言うには、『死は成長の最終段階』。どんな死も生きている人にとって、『あなたはいまをいかに生きるか』と問いかけるメッセージと思うことが大事だと思います」と応えました。
また戦国武将が戦に自分の生き様を示す鎧をまとって戦いに臨むことを話題に挙げ、その行為は生きることと死ぬことが表裏一体であり、ユーモアを持って戦場に赴いていると髙橋さんは指摘。それに対し羊屋さんが「信仰と遊びが一緒にある、その感覚を持っていなきゃいけないと思いました」と言い、この回は幕を閉じました。
資本主義の発達と並走してテクノロジーの進化が目まぐるしく起こり続けている現在において、近代以降失われた「生活圏のフレンドリーな死」=「死の身近さ」をいかに奪還するか。そこには、お互いに顔の見えるコミュニティで話をしながら、自分にとっての「親密な死」を考え続ける道と、テクノロジーを自分たちの手に簒奪するような形で見たことのない「親密な死」を創造していく道、その二つが重なりあいながら、ずれながら並行していく、そんな可能性があるのではないかと思ったディスカッションでした。
(執筆:髙橋創一)