ひとりひとりの人生の記憶に触れる。
執筆者 : 西岡一正
2023.03.09
「Artpoint Meeting」は、アートプロジェクトに関心を寄せる人々が集い、社会とアートの関係を探るトークイベント。アーツカウンシル東京の企画で2016年に始まり、アートをめぐって新たな「ことば」を紡いできました。コロナ禍によって3年近く休止していましたが、第10回が2022年11月23日に東京・武蔵野市の「武蔵野プレイス」で開催されました。
今回のテーマは「アートがひらく、“学び”の可能性」。「民藝」の今日的な意義にまなざしを向ける哲学者・鞍田崇さん(哲学者)の基調講演に続いて、東京アートポイント計画の一環として多摩地域で行われている、アートの「素材」に注目した2つのプロジェクトのメンバーが登壇しました。
ひとつは、多摩地域の小学校の図工専科教員たちを対象に、図工の技術と素材について考える「ざいしらべ」。NPO法人アートフル・アクションの宮下美穂さんと森山晴香さん、小金井市立小金井第四小学校教諭の河野路さんが学校と連携した息の長い取り組みについて報告しました。もうひとつは、府中市を拠点とする創造素材ラボ「ラッコルタ」。地元企業から提供された不要な部材を表現のための素材として活かす仕組みづくりについて、NPO法人アーティスト・コレクティヴ・フチュウの宮山香里さんと西郷絵海さんが紹介しました。
ミーティング当日は「勤労感謝の日」。あいにくの雨模様でしたが、それでも約60人が来場し、会場はほぼ満席になりました。来場者を迎えたのは、アーティスト・日比野克彦さんのビデオメッセージでした。
「つくる時間は、未来をつくる」と題したメッセージは、まず人間の手に注目し、「人間はつくる前に手で触る。その手の感触が楽しい。土や粘土を握ると形が変わる。それが面白い」と、つくることの原初的な歓びを指摘します。「その先に、意識的にイメージを反映して、何かをつくるようになっていく」としながらも、「ことばを覚えるとつくることに理屈をつけたくなる」「人間は視覚的動物だから、ものをつくる以前の素材に触る楽しさ、素材を変形させる面白さを忘れがちになる」という懸念にも言及しました。そこには、2022年4月から東京藝術大学学長を務める日比野さんの思いが滲んでいるようでした。大学入試も変えようと考えていると明かし、「そうすれば高校や中学、小学校の美術・図工教育も変わっていく。地域と社会、学校との関係も変化するなかで、美術教育を地域のなかで展開することも考えられます」と、今回のミーティングで報告されるような地域の取り組みへの期待を語りました。
哲学者・鞍田崇さんの基調講演「“つくること”で、感性をひらくこと」も、つくることの根源にあるものを民藝の思想を手がかりに探りました。
民藝の発端は約100年前、哲学者・柳宗悦(1889〜1961年)が知人から朝鮮の焼き物を土産にもらったことです。民衆が日常的に使う実用的な器でしたが、柳はそこに新たな美を見出します。そうして出発した思想・文化運動としての民藝は後に日本民藝館(東京・目黒区)という美術館を創設するにいたります。
講演の冒頭で鞍田さんは、2012年に日本民藝館の第5代館長に就任したプロダクトデザイナー・深澤直人さんのことばを紹介しました。「デザインは、ジグソーパズルにたとえれば、最後のピースをつくるような仕事。デザインが実現する美しさは周囲の環境との調和のなかにある。でも、もとのパズル全体が歪んでいたら、デザインは歪みを助長することになるのではないか。そうだったら全体を見直すことを考えなければいけない。そのときに民藝は重要な参照軸になると思われる」。
深澤さんの問いかけを受けて、鞍田さんは柳の著作をひもとき、次のように語ります。
「柳は著書『民藝とは何か』(1941年刊)で、民藝の美しさを「用」に結びつけています。「用」には「物への用」(有用性)とともに「心への用」(美)があり、重なり合っていると指摘しています。では、「用」とは何か。柳はある文章で、「用」を「生活」という言葉に置き換えます。「用」は生活に密着していることが原点にあって、そこから抽出すると有用性や美しさに分かれてくる。柳はまた民藝を「肯定のみされる偉大な平凡」とも記しています。民藝を通して見えてくる「パズル全体」とは、あるべき生活とは何か、という問いにつながります。」
ここで鞍田さんは「つくること」に視点を転じて、重要な指摘をします。柳や民藝の仲間の陶芸家らは、「(物や美は)つくるのではなく生まれる」と考えていた、というのです。つまり意図的、作為的なものではなく自ずと生まれてくることに軸足を置いていたのです。そのときに重要なことは、生活とは美に先立つものではないか、という問いかけです。
次に鞍田さんが参照項として言及するのが、意外にも岡本太郎(1911〜96年)です。岡本は≪太陽の塔≫などで知られる前衛芸術家ですが、同時に民俗学のフィールドワーカーでもありました。著書『忘れられた日本 <沖縄文化論>』(1961年刊)で、岡本は沖縄のフィールドワーク体験を次のように生々しい言葉で書き付けています。
「生活そのものとして、その流れる場の瞬間瞬間にしかないもの。そして美的価値だとか、凝視される対象になったとたん、その実体を喪失してしまうような、そこに私がつきとめたい生命の感動を見てとるのだ。」
この言葉から、鞍田さんは「岡本が着目した世界は、半世紀前に柳が民藝と呼んだものでした。しかし、時代は大きく動き、戦後日本の国土全体が大きく変貌していくなかで、民藝程度ではだめだ、という思いが岡本にあった。それが激しい言葉になっている」と指摘します。それからさらに半世紀あまり。私たちは何を考えるべきか、と鞍田さんは問いかけます。そして、ここでも岡本の言葉に立ち戻ります。
「われわれが遠く捨て去り、忘れてしまったはずの本来の生活の肌理(きめ)が、意識下の奥底に生きている。……それが……たとえば芸術の表現によってむき出しにされたとき、われわれは不意に、言いようのない親近感を覚える。それは生甲斐だからだ。」
岡本の「親近感」という言葉に、鞍田さんは注目します。なぜなら、深澤さんが日本民藝館の所蔵品に対して「愛着」を語っていたからです。柳もまた、朝鮮の焼き物と出会った感動から「『親しさ』Intimacyそのものが、その美の本質だ」と記したのをはじめ、繰り返し民藝の「親しさ」に言及しています。
しかし、柳の「親しさ」はもっと切実なものです。晩年には「悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。悲しみは慈(かな)しみでありまた『愛(かな)しみ』でもある」とつづっています。柳は実生活では、父や妹、愛児を早くして失っています。それが彼の人生観であり、民藝に見出した生活の実相のなかにも潜んでいました。
哲学者らしく繊細な手つきで、柳を中心に民藝の世界を読み直してきた鞍田さんは、講演を次のような言葉で結びました。
「民藝を通して見えてくるものは親しさの世界で、同時に悲しさをはらんでいます。その生々しく、ひりひりするように痛々しいまでの世界が、実は僕たちにとって生き甲斐を見いださせてくれる。それが、ともするとリアリティの希薄な現代社会の中で、無意識的にも渇望している実感なのではないか、と思います。」
次の「セッション1」に登壇したのは、「ざいしらべ」という取り組みを続けるNPO法人アートフル・アクションの事務局長・宮下美穂さんとスタッフの森山晴香さん、そして教育現場から協力している小金井市立小金井第四小学校教諭の河野路さんです。「先生たちとの“つくる”ための環境づくり〜『ざいしらべ』の取り組みから」と題して事例を紹介します。
NPO法人アートフル・アクションは小金井市の芸術文化振興計画推進事業として、12年間「小金井アートフル・アクション!」というプロジェクトを続けました。2011年度から2020年度までは東京アートポイント計画の一環として実施しましたが、そのなかで小学校と連携して、こどもたちと一緒に図工の時間を過ごしました。いわば「ざいしらべ」の前史にあたります。その内容を、宮下さんが、いくつかのキーワードに即して説明しました。
まず「素材」について次のように話します。
「硬い・大きい・柔らかい、ごくごく小さなものと、全身を使って抵抗を感じながら組み合ってみました。楽器をつくったときには、その楽器で演奏して、その音を絵に描いてみる、というように、ひとつひとつの経験を広げていきました。」
他教科とつながる「主題」の設定もキーワードのひとつ。国語の教科書に宮沢賢治が掲載されていることから、「なめとこ山のくま」を主題にし、「『生きものを撃つ』ということを考えました。この授業では、現役のマタギを招き、話を聞き、映し絵の芝居をつくることで、多くの気づきを得ることができました」と宮下さんは続けます。ハンセン病療養所を見学した体験を図工で深めるという試みも。「道具」や「技法」についても、教科書に出てこないノミやナタをあえて持ち込んだり、膠を使ったり。野焼きで器をつくったこともあるそうです。
「地域」との関係では、学校から外に出てみることを試みました。「小学6年生に大きな自画像を描いてもらい、それを持ってパレードし、公園で展示しました。自意識が強くなる時期のこどもたちに『厄介な自分』について考えるよう促す、という『主題』の授業でもありました。」
こうした実践を踏まえて、宮下さんは「学校の授業は教科ごとに分かれているけれども、ひとつの全体(whole)としての人間と出会うことが重要。そのきっかけとなるのが、自分が暮らしている地域であり、ものをつくろうとして稼働する身体であり、つくるなかで生まれる友達や世界との関係。多様であることに止まらずに、複雑さを丸ごと全体としてとらえる。図工という教科はそれができる」と語りました。
この日のテーマの「ざいしらべ」は、アートフル・アクションが2021年から始めたプロジェクト「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」の一環です。多摩地域全体を対象として、こどもたちだけでなく、学校の先生たちといっしょに取り組んでいます。
図工専科教員が集まる多摩地区図画工作研究会(多摩図研)と共催したワークショップでは、自分たちが暮らす地域がどのように成り立っているかをランドスケープデザイナーをゲストに迎えて学びました。地域の素材を活かす取り組みでは、先生方と東村山の竹林から竹を切り出したり、竹ひごをつくってみたり、地域の植物から抽出した色を使って、自然素材の筆で絵を描いてみたり。シンプルな機織りの道具をつくって、こどもたちと織物もやってみています。
「なにより重要なのは、身体全体を使ってつくってみることです。鞍田さんの言う『生まれ出る』に近いと思いますが、身体を通してやっていることを信頼できたら、あるいは委ねることができたら、作為やお仕着せのクリエイティビティを乗り越えて、ひとりの人として世界と出会い、そして心が安らかにいられると思います」(宮下さん)
「セッション1」の最後は、「ざいしらべ」に取り組む宮下さんと森山さん、河野さんによるトークです。小学校教諭の河野さんは、これまで10年間、アートフル・アクションといっしょに木の根や流木、竹などを使った授業を続けてきました。「既存の教材キットは、こどもたちにとっても答えが形になりやすい。でも、図工はこどもたち自身が答えを出す科目。自分の手や身体、頭を動かし、心を使っていくことが大切だと思うので、あえて自然素材を使っています」と、活動の意義を噛みしめるように話しました。
森山さんが、河野さんの前任地である東村山市の小学校に、自然素材を集めた「素材倉庫」をいっしょにつくったことを話すと、その意義を、河野さんは「図工の仲間の先生や他校の先生とともに活用することで、素材と同時にその扱い方や加工する道具、活用する人を広げていきたい」と語ります。それを受けて、宮下さんがトークを結びます。「学校と私たちだけでなく、他の学校や教育委員会、教育研究会との連携ができれば素材も活用される。そうしたシステムになればいいなと思っています」
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(撮影:阪中隆文)