アートプロジェクトからなる火種|森司インタビュー 東京アートポイント計画のこれまで(後編)
執筆者 : 櫻井駿介
2026.03.30
2013年度で5年目を迎える東京アートポイント計画は、どのような構想のもと始まったプロジェクトなのだろうか。また2020年に控えた東京オリンピックに向けての動きはどうなっていくのか。東京アートポイント計画の変遷を追いながら、事業を進める上で見えてきた課題について議論し、このプロジェクトのこれまでとこれからについて考える。
* この座談会は2014年3月31日発行『東京アートポイント計画が、アートプロジェクトを運営する「事務局」と話すときのことば。の本』に収録されたものです
森: 「東京アートポイント計画」(以下、アートポイント)は、2016年に向けた東京オリンピック構想(*1)をきっかけに、拠点や事務所を持たずゲリラ的に出動するようなプロジェクトチームをたくさんつくるという構想で始まりました。そしてその担い手はNPOという想定でした。その基本設計にのっとって、事業を積み重ねてきています。ではまず、始めの設計に携わられた熊倉さん、当時の構想についてお聴かせいただけますか。
熊倉: 1964年の東京オリンピックが首都高や土木工事の巨大なインフラをまちに残したように、今度は文化のインフラを残すべきではないかという思いがありました。東京というまちは世界に冠たるメガロポリス。ものすごい数のクリエイターたちが活動しています。弱肉強食の部分もあり、何を始めるにもコストがかかる。クリエイターやアーティストといった若者たちは、ゲリラ的な活動はできても、継続的に活動し、そのことでまちや社会が少し影響を受ける状態になるまでは、なかなかもっていけないと感じています。その状況をつくり出すためには大きな文化施設や大型のアートフェスティバルだけではなく、ほかのことを考える必要があるのではないかと。そこで、「もやもや」(*2)としている若者たちが、「なんか面白いことしようよ」って集まることができる人間関係や場所を、都内に1000くらい散りばめていければといいなと。そんな夢のプロジェクトがアートポイントのもととなった構想「千の見世」でした。
1000というのは大きな数字で実現はなかなか難しいですが、5年目を迎えた今、アートポイントの活動もひとつのきっかけとなり、「ちょっと参加してみようかな」と身近に思えるような文化事業は増えたのではないかと思います。事業運営のコアを担う人たちは大変だけれど、アートポイントのサポートに身を寄せて、少しだけれども給料が出るようになりました。給料をもらえるのはごく一部のエリートたちで、あとはほぼ100%ボランティアベース、といったアートの現場ではありがちな状況も徐々に変わりつつあるのではないかと。もともとオリンピック自体が、第一次世界大戦後の若者たちのアパシー(無力感)をなんとかしようと始められたこともあり、今の社会に対する若者たちのアパシーを、少しでも変えられる機会になればいいと思っています。
太下: 熊倉さんもおっしゃったように、2007年当初、もともとの構想はオリンピックの文化プログラムでは何をすべきかという議論から始まりました。既存の文化施設ではないところで何かできないのか、といったコンセプトです。また、すでにアーティストとして認められている人ではない、もやっとした若い層にアプローチできないか、とも考えました。そして、単なるイベントではなく、新しいアートの試みができないか。「これではない」という領域は見えてきたのですが。当時はなんとも名付けようがないものだったのですね。そのうちに、若者が屋台でも引っ張って商店街など町場に行き、アート的な活動をやったりするような、アナーキーなことでいいのではないかと、最初は「千の屋台」と名付けていました。それから「屋台」を「見世」に変え、「千の見世」という名称のプログラムとして提案しました。ミクロなアートの活動が巷に1000もあふれる、そんなことがいつの日かできたらすごいねという感じでした。それが2007年頃でした。こうして翌年に「東京文化発信プロジェクト室」が立ち上がり、森さんが2009年に着任したのですよね。構想が2007年頃から始まり、現在2013年。ゴールではないけれど2020年のオリンピックをまずは目標とすると、今がちょうど折り返し地点なのですね。これからどうするかを考えるには、実にいいタイミングだと思います。
芹沢: そして、今後はやはりオリンピックに関連して予算が付いていることを自覚し、その覚悟を持つことがアートポイントのプロジェクト自体に必要でしょうね。歴史的な意味でも。
芹沢: アートポイントは“ポイント”と言っていますが「場所」だけではなく「人」とセットにして開拓していることが評価できます。
森: 拠点や事務所を持たないという当初の計画はありましたが、実際の現場では、やはりオペレーションするチームの拠点として、スタッフが集い、経験を積み重ね、スキルをストックしていける場所はあった方が良いのではと感じています。
芹沢: 確かに僕もP3 art and environmentやほかのアートプロジェクトを経験し、一貫して社会に訴えていくようなベースポイントみたいなものがないと地域活動はやりづらい、と思っていました。展示というよりはプロジェクトスペースを持ちつつ、プロジェクト自体はダイナミックに動いていくのが理想です。
熊倉: しかしこうした町場の仕事って、やはり文化施設とは違い、世の中のいろいろなルールに絡め取られがちですよね。
太下: 町場でのアートプロジェクトは社会にさらされているわけですよね。文化施設の中だったら消防法はあるけれど、舞台で火を使ったりすることは実際には行われています。でもそれが例えば商店街でのプロジェクトだったらいろいろと支障が出てきますよね。世の中全般が今、コンプライアンス重視に傾いていることもあり、他人を信じないという不信社会の方向にシフトしていて、あらゆるところに不必要な負荷が増えてきています。今まではアートはあまりそういう動向とは関係なかったのでしょうが、それを学ぶのも重要かなという気はします。
森: たしかにハコのなかと違い、町場に出たときにはあらゆる方法やルールを考慮しなければなりません。特にアートポイントの場合、東京都という行政が主体となりますので、都事業としての「適正な対応」となると、あらゆるところが高コストになる。民間だったら「ちょっとごめんなさい。やってしまいました」で済むこともあるかもしれませんが、行政が主体になるとそうはいかない。手間暇がかかるんです。そうすると、身の丈で楽しめればいいと思っていたNPOの人からすると、難儀なことをさせられていると感じる。そもそもアートプロジェクト自体、行政的に関わるのが適切なのかという議論も、最初の段階にはありました。
森: オリンピックに向けて、文化事業についても今後いろいろな動きがでてくるかと思いますが、直面している課題としては、たとえ文化事業にそれなりにまとまった額の予算が充当されたとしても、その規模のプロジェクトを回せるだけの人材が不足しているし、運営のための仕組みや組織体制などのシステムがないということ。お金があればできるわけではないことが、アートポイントを5年間続けるなかで、はっきりしてきました。つまり担い手が大事なんです。きちんとしたスキルを持つ担い手をどう育てるのか。それが最初の理想を持続し、定着させるために必要な制度設計となります。これを始めに行い、環境整備をしないと次のステップが踏めない。さらに、人とお金と時間があればできるかというとそうではなく、その方法論も必要ということが見えてきた。この5年間、やればやるほど課題が見えてきました。
太下: 2010年頃の初期のイメージだと、アートプログラムに付随するような形で講座やワークショップが行われ「人材育成」がされていくのだろうと思っていました。でも今はTokyo Art Research Lab(以下、TARL)の各種プログラムや教本づくりなど人材育成への取り組みはアートプログラムに匹敵するくらいの割合を占めていますよね。一般的なサラリーマンの場合、これまで人材育成は会社、つまり企業組織がほとんど引き受けてきたわけです。アートの世界で言うと美術館のような組織かもしれません。しかし、おそらく小泉構造改革のころからだと思いますが、企業のなかでも人材を「育成」する余裕がなくなってしまったのです。そもそも新人を採りづらい状況にあります。正社員を採用したり教育したりするのではなく、非正規な人員に発注をし、仕事を乗り切ればいい、というように。おそらくアートの現場も一緒です。こうした状況で、アートポイントが人材育成のプログラムを始めたことは、とても意義があると思います。
森: 実際にマネジメントの現場では、ドキュメントを残したり、アーカイブをつくったり、評価をしたりなど、事業を継続するために必要とされる活動がなかなかできなかったりします。その方法論も今後いくつか提示できればいいと思っています。方法論のマニュアルをつくることが最良とは思いません。むしろ、マニュアルはない方が良い。ただ多くの人がストレスを感じることなく適正にマネジメントできるようになるには、ある程度ガイドライン的なものは必要です。TARLの人材育成の講座が年を追うごとに拡充していったのは、こうしたスキル開発や人材育成が急務だと思わざるを得なかったんです。
熊倉: 方法論を可視化して、それを言語化しながら現場を体験すると「あ、そういうことだったのか」と認識が深まりますよね。
太下: 「スキルとしてこういうことが必要かもしれない」と可視化することで、団体の運営能力と持続可能性にじわりとインパクトを与えるのではないでしょうか。
熊倉: 組織の持続には人材のほかに、財源ももちろん必要ですが、NPOと事業をしている行政などからは「アートNPOはいつになったら財源的に自立できるのか」という質問を受けたりします。でも一生自立はできません。例えば病院や学校がいつになったら100パーセントの儲けで経営できるのかというのと同じことだと考えています。
芹沢: 財源でいうと「緊急雇用」がありますが、あれはある種の麻薬ですよね。それが切れたときにどうしていくのか。何かやりたいことがあって組織を立ち上げ、お金が足りない、人も足りないということで、緊急雇用によりかかる。そうすると、どうしてもそれでやっと回るような形になってしまうのです。その財源が切れたとしても、収入に合わせてプログラムや人材までもうまく増減できるわけではありません。すると身の丈より大きなものができてしまったがために、維持にものすごい労力がかかって。かといってその活動を止めるわけにもいかず、ますますスタッフは疲弊してしまう。また緊急雇用が必要となり、助成をとるために新しいプロジェクトをつくらなければならなくなる。
森: アートポイントの事業は単年度で動いているので確約はできませんが、ひとつの事業につき、最低3年間を1タームという前提で制度設計しています。共催するNPOと、事業を一緒に始めてから我々との共催を終えるまでの期間を考えると、3年はちょうどいい期間なのです。1年間では、準備をしたり、体制を整える時間がなく、「目に見えた成果」に力点を置かざるを得ない。このような成果主義の場合、リードタイムを多めにとって丁寧にやりたいと思っても、その年に何かしないとやったことにならない。そうすると、本当の意味での持続性を醸成できないのです。プロジェクトのマネジメントはできるけれど、複数年の事業マネジメントになると、なかなかできない人も結構います。会計や報告書づくり、助成金申請の書類作成など、プロジェクトの実施とは別の重要なマネジメントをする人材の育成ができていないんですが、これは当事者の問題に関わらず、「単年度」という制度がそうさせてしまっている。構造的な問題だと思っています。
熊倉: 1960年代、70年代の高度経済成長期は、とりあえず成果らしきものを場当たり的に出すというのも、それでよかったのでしょう。今となり、逆にそれしかできなくなってしまった我が国の問題に、アートは細々と立ち向かっているのかもしれませんね。
太下: 現場のOJTとそれをサポートする体制をどこの組織も教えてくれないから、自らつくっていかなければいけない、とアートポイントの人材育成が動いているように思えます。また、そういう運営ノウハウやマネジメントがこれまでなかったことにアートの世界がいち早く気づいた結果かもしれません。
森: アートポイントは母体が行政ですが、プロジェクトベースの進め方といいますか、いつどこで何をやるかが1年前に決まってないと予算配備できないという制度設計にはなっていません。とはいえ、ある種の成果は求められるわけですね。その成果をどう共有していくのかが難しかったりします。予算措置が費用対効果に合わないから文化事業はやめるという話がでてきたり、成果が読めないということで、事業が終了することもある。それは例えば、ほかの公共事業にお金を使わなくてはならないからという理由だったりするのですが。これまでの予算措置のおかげで今ようやく軌道にのり、いよいよこれからだ、というときでもそうしたことが起こる可能性は想定されます。
太下: 文化事業も公共事業なのに。そのことはなかなか伝わらないのですよね。
森: 現在だけ見て評価されると、確かに半分は当たっているので、それ以上強く出られないこともあります。しかし、少し先のことを考えたら、今すべきことって当然あるわけですよね。例えば、東日本大震災があり、それに応答する形でいろいろなアクションをする。それに対し、2020年のオリンピックや、これから人口減少する将来に向かって準備をする。その二方向あるんです。我々としては応答するアクションと準備するアクションを両方起こしていたつもりでも、今このタイミングで何も成果がないじゃないかといわれてしまうと、正直勝てないなと思います。
熊倉: アートプロジェクトを通じて、まずは人口の1パーセントでいいから、単年度のなかで成果を求めるような、評価主義や効率主義みたいなものだけでは社会が死んでしまうという認識を持つ人が増えたらいいのですが。
太下: 言葉が伝わらないで思い出しましたが、アートポイントの構想段階のとき、「実は熊倉先生の言葉がよく分からないのですが……」という相談を行政の担当者から受けました。そんなときは「イベントをするのでもなく、既存の文化施設で事業を行うというものでもない取り組みなのです」と、説明にならないような説明を私の方でもしていました。
森: 今でもさまざまな場面で言葉の用意がまだまだ足らず、キャッチボールができないという問題を、現場としては実感しています。
芹沢: 言葉でコミュニケーションができないというのは、本質的に大変な問題だと思います。相手の言葉が分からないというより、分かろうとしない。物質的な縮小よりも想像力の縮小の方が怖いです。
太下: 情報社会がそれを助長していますよね。グーグルの検索は今、グーグルプラスに移って過去の自分の検索履歴を踏まえた検索結果がでてくるようになっています。それでどんどん狭い領域しか表示されなくなってきたわけです。自分の知っている世界しか知らされなくなってきているのは、実に怖いことなのですよ。おそらく、ちょっとでも感覚が違う人とは話が通じない世界をどんどんつくっているのですね。検索エンジンで個々に合わせたフィルター機能によって、限られた情報しか手に入らない世界のことを「フィルターバブル」、つまりフィルターに囲まれた世界と例えます。みんな小さなフィルターのなかにいるのです。せめてアートがちょっとした回路をつないでやらないと、世界はさらに細分化されていくことになります。
熊倉: すごく怖いことですよね。情報があふれていて、知らないものが多すぎて。だから「よく分からない」ということが、今一番の否定的な言語として機能しちゃって。それだけ一人ひとりが疎外されつつある状況への自己防衛本能だと思うんです。いまだに私も「分かんない」って言われたところを説明して、さらにどんどん遠のいていくというようなことばかりやっているのですが……。
芹沢: 僕がある地方で現代美術展を企画したときもそうでした。そこが現代美術のリテラシーがないところというわけではない。でも、商工会議所や政治関係の人たちは「アート」と聞いただけで店じまいをしてしまう。最初はなんとか分かってもらおうと思っていろんなことをしてみましたが、だんだん違うのかなと思った。あるとき「分かったら認めていただけるのでしょうか」と聞いてみました。つまり「『分かる』とは一体どういうことでしょうか」と。
太下: 禅問答みたいですね。
芹沢: 何歳で学校を出て、何歳で結婚して、収入がこのくらいで、子供がいつ生まれて、いつ会社を辞めて、そしていつ死ぬか。それが分かりきった人生が理想なのでしょうか、と問いました。当時、ちょうど映画『千と千尋の神隠し』(スタジオジブリ、宮崎駿監督)が流行っていたころで例に挙げてお話ししました。「千尋」という女の子がトンネルの先に広がる不思議な世界に入り、毎回不条理にぶつかる。でも逃げずに旅をして帰ってくる。人生ってそんなもんじゃないですか、と。「謎」を持たないように生きることは、人生をつまらないものにするのではないかという哲学的な話に持ち込みました。それでようやく状況は変わってきました。分からないものと遭遇してもいいかな、と思ってくれる人も出てきたようです。そのとき、社会や人生が分かりやすい話だけで成り立ってはいけないということを、率先して言っていく時代なのではないかと思いました。
熊倉: 最近、「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」をやっている千住のまちの人たちと忘年会がありました。そのなかでPTA会長に、しきりに子供たちを東京藝大へ連れて行く機会はないのかと言われて。「だからさ、絵とか音楽とか、ただきれいだっていうだけじゃつまんないじゃん。東京電機大学もできたし、電機大とコラボして、作品の種明かしとかも子供たちに伝わるようにしなよ」と。驚きました。こんなふうに、アートなんだから、そんなにガチガチにやってどうすんだみたいなことをまちの人たちがいってくれることが意外で、すごくうれしくて。始めの「千の見世」の構想のときに、私が妄想したのは江戸時代のように、厳しい社会のなかでもみんなが好きに遊んでいた「粋なたしなみ」のようなもの。「あんまり硬いこと言っちゃ駄目よ」みたいな文化が日本にはもともとあるけれど、海外にはそういう国民だとは思われていません。「まあいいか」という気質があるのに、今の管理社会ではそれが抑圧されています。
太下: こうした遊び心が必要ですよね。社会があまりに硬くなりすぎている。そこにもう少しゆらぎを与えられるのがアートの力かもしれません。
熊倉: 先ほどの「音まち千住の縁」もそうですが、アートプロジェクトは、こうして参加したり意見をくださる住民の方々のほかに、多くのボランティアに支えられています。プログラムを運営したいとは思わないけれど、アートプロジェクトに賛同し、自分にとっての大事な場所と思ってくれている。それはやはり職業としての本業があるからなんでしょうけれど。特に今の30代、40代くらいの人たちは、本業への物足りなさや社会に対する疑問などを強く感じています。昔のように給料をもらえる仕事をやっているだけで人生充実、というわけにはいかなくなってしまった。家庭も幻想を与えてくれないし、そもそも結婚していなかったりする。こうして見るとアートプロジェクトの需要はあるように感じます。
森: そうした意識の高い、社会人として優秀な人たちがアートプロジェクトのサポーターになると、マネジメントチームのスキルのなさが目立つときはありますね。アーティストとアート好きの人が数人集まってアートプロジェクトができる時代ではない。アートポイントでは社会学者だったり、プログラマーだったり、専門的な見識のある人たちと組むことによって、マネジメントのひとつのモデルケースをつくろうとしています。
芹沢: やはりひとつのプロジェクトを成立させるためには他分野の人たちの参加が必要なんですよね。アートは、アトリエにこもって絵を描いたり、彫刻つくったりするものというイメージが一般的だった時代から、いろんな人間と会わなければならなかったり、たったひとりではできないという時代になってきました。アート関係者だけでアートプロジェクトなんてできない。さまざまな分野の技術と知識、人脈が必要となる。そこでチームに他分野の専門家を入れると、それぞれの分野に、その分野の言葉で伝えてくれる。共犯関係というのでしょうか。その関係をどれだけ多くの領域に広げられるか。いろいろな領域の人がプロジェクトチームを組んでアートプロジェクトを進めるのは、ものすごく重要な気がします。
森: 他分野の人とつながるとき一番簡単なのは、賃金を用意して仕事をしてもらうことです。ただ、そうすると仲間感がないので、なかなか次のプロジェクトにつながっていきません。それでは、チームとして、どう仲間感を築くのか。専門分野が違うと壁があったり、使う用語が違ったりしてなかなか難しいですね。例えば、日比野克彦監修の「種は船」プロジェクト(*3)をサンプルに、複合的に記録調査・評価・アーカイブの活動をつなぐ手法を開発しようとしました。そのためにアーカイブチームと調査チームとアーティストで座組をしたんですが、各領域のやりたいことや、使っている言葉がかみあわなかった。何が一番違ったかというと、基本にしている時間の尺が違っていたのです。アーカイブの人たちは、アーカイブを100年持たせたいという発想からこの1年という単位を尺として話している。一方、アーティストは今進行中の数カ月を尺としている。それぞれが求めているものが全然違うのです。言葉が通じないという背景には、関わる時間の違いもあるのが分かりました。いろいろな立場の人が互いに強要されず、「俺こういうことできるよ」「ああ、それいいよね」と気軽な雰囲気で会話ができる場をどうつくっていくか。実はこれがものすごく大変でした。
芹沢: それぞれが射程に置いている時間の幅は、業態によってもかなり違うでしょう。そういう時間単位が前提にあるということが最初のテーブルである程度共有されていないと、たとえ言葉が同じでも話が通じないんですよね。
森: チューニングのような作業ですよね。これを前段でしないと、ばらばらの価値観で話が進んでしまう。チューニングをせずに始めてしまって何年も経ってから目的と違うじゃないかということになる。だから、お互いの見ている先がどこなのかを確認してプロジェクトを始めないと、結果的に疲弊するし、つらい思いをします。それをどうファシリテートできるかも、ひょっとしたらマネジメントのスキルのひとつなんじゃないかとさえ思っています。
太下: 難しいですね。おそらくそれはスキルなのでしょうけれど、きっと教えて身につくものでもないのでしょうね。
森: ある建築家が事務所を設立して7年目に、会計事務所から「これで倒産の心配はなくなりましたね」といわれたそうです。7年もつと会社は存続できるのだそうです。紆余曲折があっても、7年目に帳尻が合っていれば、なんとかその先もやっていける。そう考えるとアートポイントは5年目ですから、あと2年踏ん張ればなんとかなる段階なんです。ただ「千の見世」ということでしたが、1000に持っていくのは今の人員数と予算では難しいですね(笑)。
熊倉: 1000に達しなくても、オリンピックの期間中あちらこちらの路地や歩道に、畳や縁台で見世物をしながら、道行く人たちに声をかける。まちなかで普通の人たちが歌ったり、アーティストたちと変なプロジェクトをやったりというふうになればいいと思っていました。花見みたいなもんです。花見に文化的な要素が加わったみたいなもの。海外の方々に「思ったより日本人ってクレイジーだったぜ。なんだかよく分からんが文化的だった」って帰ってもらえればと。
太下: 2020年に向けて、外国人が東京を訪れる数は飛躍的に増え、外国の人と接する機会が増えますよね。そういう新しいチャンネルをどうつくるか、アートポイントでも、ひとつテーマを立てて考えてもいいかもしれませんね。
熊倉: 「今日どの競技見てきたの?うちの自慢のこれ食べて行きなよ」とまちの人が片言の英語で話しかける風景が生まれるといいですね。新潟の「越後妻有アートトリエンナーレ」では地元のお母さんたちが地元の食材でつくったおにぎりを用意して、来場者に振る舞い旅人と話をする「車座おにぎり」というプログラムがありました。こうして、アートプロジェクトに来るお客さんは、ただ作品という情報を見に行くわけではなく地元の人たちやスタッフの人たちとの出会いを含めた体験をしに来る。その楽しみ方が、もう少し共通言語として出てくるといいですね。アートポイントは「おもてなし」に徹するといいのではないですか。
森: 「瀬戸内国際芸術祭」のように多くの来場者を動員すると、やはり分かりやすい形で成功と評価されますが、アートポイントは、常態として社会に存在する活動を育もうとしているので、各事業ごとの動きが非常に見えづらい。イベントっぽくはないんですよね。だからニュースにもなりにくい。活動そのものの価値と存在をどう出すか、どう社会化していくのか、という指標づくりは課題だと感じています。ただ最近では、ゆっくりとまちを歩くプロジェクトなども増えていますよね。まちなかの狭い範囲を時間をかけて見たり、そこで過ごしたり。設計を変えるだけで世界の見え方が変わるようなプログラムが出始めている。アートポイントもそっちに専従とはいわないけれど、そういうやり方に特化していった方がいいのかもしれないとも思っています。また、お客さんがアートを見に行くためのサービスに特化したハブ的なNPO、提言をするNPOなど、プロジェクトベースではないNPOなども増やしていけたらと徐々に準備を進めています。5年を経て、多くのNPOが一度活動を終え、フォローアップのプログラムの段階に入っている。新事業がいくつか増えていくなかで、新しくそういったNPOとコラボレーションしていこうと、今設計をしているところです。
熊倉: それは中間支援的なNPOですね。あとオリンピックに関しては、ぜひ東北への還元を率先してやっていただきたいです。アートポイントの大きな成果としては、「Art Support Tohoku-Tokyo」をやったことだと思います。丁寧に根気強く、現地のパートナーを見つけてきてプロジェクトを進めていました。震災後、東北に行ってみると、日本社会の構造的な問題が露呈していました。その分、アーティストが何かしようとすると、経済的に困っていない東京のようなまちの人よりもはるかに敏感な反応がある。震災を期に、若い人たちが被災地にたくさん入ってさまざまな関わり方をしている。その財産を残し、地域社会の構造を変える可能性をアートポイントは持っているのではないでしょうか。オリンピックの文化プログラムは開催都市だけではなく、全国的に展開していくべきだと思います。
森: そうですね。われわれの手法を知っているチームがプログラム策定の協力要請をしてくれると思います。ただ、実際にそれをオペレーションする人材をすぐに派遣できるかというと、東京のなかでも常に人を探している状態なので、非常にやりくりは厳しい。これが東北やオリンピックを視野に入れると、かなりの力が必要です。しかも一定レベルのトレーニングを積まなければいけない。人材育成プログラムも来期からもう少し強化する予定です。オリンピック対応と考えると急務ですよね。
熊倉: 現場で感じる「もやもや」を完全に否定せず、とはいえある程度の合理性もないと先には進みません。もやもやしたり、合理性を考えて動いたりと、その間を行き交うことが大事で、さらにそれを言語化する時間も必要なんですよね。そんな人材を期待します。
芹沢: その行き来には、ある程度のスキルが必要ですよね。また「アートプロジェクト」ゆえの難しさもありますね。まず「アート」と「プロジェクト」という言葉は相反するもの。「プロジェクト」という言葉は広く見ると「計画」、つまり「デザイン」や「プラン」の類義です。端的にいうと、デザインはクライアントがいる。そのクライアントは問題を抱えていて、それに対してきちんと対価が支払われて問題を解決する。一方で、アーティストは問題発見をする、というか問題を起こす。僕はもともと地域計画やプランニングなどのデザインをしていたので、アーティストと付き合うようになったときはショックを受けました。「なぜこの人は誰にも頼まれないのに作品をつくっているのか」と。現代のように何が問題なのか分からない時代、問題を起こしたり、今まで見て見ぬ振りをしていたことを問題だと騒ぎたてることは重要な機能なので、アートの必要性はますます強くなっていると思います。「計画」を実現するためには、今、何をすべきかを決め、問題を収束させなければいけない。その一方で、アートはどんどん未来の可能性を切り開きたい。このベクトルの違う「アート」と「プロジェクト」が組んでしまうと、内部で引き裂かれる。あれもやりたい、これもやりたい、という一方で、でも明日オープンしなきゃいけないだろうみたいな感じで。今まで見てきたいろいろなNPOでも、そういった点でかなり悩んでいます。固めることばかりを考えて、絵に描いたとおりに実現し、どこが面白かったんだろうと思うようなものになるか。あるいは、振り回されてみんな疲弊して、楽しかったも越えて、疲れ果てて終わっていくか。どちらかに偏ります。いずれにせよアーティストにものすごく引きずられていますが。だから、なぜ「アートプロジェクト」が言葉として、あるいは概念として出てきたかを考えたときに、広がりながら構築していくというような、危ういバランスのところに立てるプロジェクトマネージャーのような人材がこれから必要だと思います。ここまでアートプロジェクトというものが広がってきたから、前よりそういうセンスを持つ人や現場が増えてきているのではないでしょうか。今はまだまだ人数が足りないけれど、必ず育っていくと思います。
熊倉: 確かに「アート」と「プロジェクト」という言葉がいろんな意味で二律背反ですよね。「アート」のように目的自体の意味はあまり問わないっていうところは、すごく大事だと思います。
森: 2020年のオリンピックを盛り上げながらも、その翌年以降のことも視野にいれ、社会が抱えるさまざまな問題と向き合いながら、中長期的な設計でプログラムを進めないといけないと思っています。現場から必要なものが何かを丁寧に抽出し、今まで紡いできたものを提供していくというのが、今できることかなとは思っています。
太下: 私が見聞きしている範囲では、アートポイントのように、さまざまなアートNPO的な活動を、きちんと全体的にオーガナイズして育てていこうという動きは他国ではないと思います。オリンピックへ向けてということですと、オリンピックは国際的な祭典ですので、このアートポイントのプロジェクトの概要や成果を多言語化して、発信していくといいと思います。
熊倉: 特に東アジアとつながりを持てるといいですね。作品中心主義の欧米とは違うアジアの価値観を、国際的に確立していく必要性があります。制度化まではいかなくとも、政策として推進してもらえれば。
太下: 東アジアに東京の経験を伝え、向こうの独自の取り組みについても情報交換できるといいですね。
熊倉: 価値観と問題意識は違うかもしれません。オリンピックの後は、より一層多文化社会になるでしょう。そのとき、マイノリティの問題や多文化共生といったテーマに対し、先駆的な文化で取り組んでいく。ただ文化施設や専門家だけが取り組むのではなく、どんな人でも参加できるシステムができあがっていると、開けた社会になると思います。
芹沢: 2020年のオリンピック。それが決まった以上、そこに向けて、今ここで議論したようなことを実現していくために制度を含めて整えていく上では、大きなチャンスだと思うんですよ。いや、チャンスにしなければならない。社会全体、拡大成長型の段階は過ぎていて、2020年の後、それはさらに顕著になっていく。そこでこそ創造性が発揮されるべきだし、されないと本当に悲惨な状況になるかもしれません。ここである種の創造的縮小モデルができれば、これからのアジアや世界が参考にできる模範が生まれ得る。とりあえず資金を集め、プロジェクトが実行できてよかったではなく、実際にアートに関わる人たちが、今やっていることがそうしたロールモデルをつくっているという意識を持てれば非常に意味がある。
森: オリンピックに向けてアートポイントでは、その思想のOS(オペレーションシステム)のように、活動(=アプリケーション)を起動させるシステムみたいなものを開発する必要があると感じています。
熊倉: 今、日本の文化政策は国際化を余儀なくされている。東アジア文化都市(*4)の動きもあります。小さいけれども社会がリセットできる起爆剤となるような“アートポイント”が全国につながり、ひいては海外までリンクしていけるといいですね。
太下: 今回の東京オリンピック誘致の際、私はオリンピックのテーマは、もう3.11からの復興しかないと思っていました。ただ東京都がIOCにそういうコンセプトを打診したら、「それはあまりにドメスティックなテーマですね」という回答だったそうです。僕は最初それを聞いたときに、IOCって冷たい組織だなと思ったのですけれど、今はそういう反応もありかなと思っています。というのは、2008年の北京、2016年のリオデジャネイロでは、オリンピックの効果として、開催国が高度成長をするだろうと分かりやすい形で期待できるわけです。そういう新興国の経済成長を見据えたオリンピックは、今後もありえます。しかし21世紀の100年間、新興国だけでオリンピックを回してはいけないでしょう。そう考えるとIOCとしては、半分は旧来型モデルで回し、半分は先進国で2度目、3度目のオリンピックをやっていくしかないのですね。ただし後者の、成熟国で2度目、3度目のオリンピックを開催する意味は何かと問われると、おそらくIOCもそれに対する明確な答えはないのです。2012年のロンドンオリンピックでは、ちょっとしたヒントが出てきました。その先の答えを東京に出してほしいと期待されているのではないかと思います。東京が出してくれないと、オリンピックが次へつながらないのです。つまり、主眼は3.11からの復興だけでなく、もっと根底から、社会がイノベーションを起こすくらいのことを期待されているのだと思います。
熊倉: ロンドンオリンピックは視察に行きましたが、期せずしてあちらこちらでアートプロジェクトを展開していました。例えばみんなでテーブルを出し、ご飯を持ち寄って食べましょうとか。それによって地域社会における新しい隣人愛みたいなものが生まれたり。あとはロンドン市内に住む移民系の子供たちに国へのロイヤルティを植え付けるNPOの活動などいくつもやっていました。旧植民地から労働者を抱えて早1世紀が経とうとする先進国で、オリンピックを契機に、新しい社会融和を起こすことはヨーロッパ諸国にとって共通の課題ですよね。
太下: やはり、今度のオリンピックでは、日本に答えを出してほしいという期待はあるのでしょうね。でもそれは特にアートにとっても良いチャンスだと思います。人口減少の予測の話ですが、昨年の時点で3歳だった幼児が後期高齢者75歳になる頃、つまり72年後、日本の人口はちょうど半減するという予測があります。たまたま、僕の息子が昨年で3歳になりました。もしも彼が年寄りになるまで生きたとしたら、日本の人口が半分になっていくのを目の当たりにするわけですよね。でも、これを寂しいことにしてはいけないと思うのです。「空間に広がりができていいじゃん、楽しいことだってたくさんあるぜ」というくらいの余裕があるといいなと思います。その「楽しいこと」が単なるエンターテインメントではなく、もっと本質的な人生の楽しさであるといいですね。そこにアートも関わっていけるのではないかと期待をしています。もちろん人口とともにマクロな経済規模も縮小するわけですから、経済ではないところに価値を求めていかないと、だんだんつらくなってくると思うのです。
熊倉: 違う在り方をみんなでちょっと考えたほうがいいですよね。
森: そういった話をまずは共有していかないといけないと思います。OSを変えずに新しいアプリケーションを入れようとしてもはじかれてしまうんですよね。ベースとなる考え方を更新しないと、新しいプログラムを立ち上げても機能しない。
太下: まさに今がその変わり目ですよね。今のOSはボロボロだけれど使い慣れているから捨てられない、というような感じだと思います。まずは社会のOSから変えていきたいですね。そのためにアートは何ができるのかという点が問われていると思います。
熊倉: 社会全体のOSやアプリケーションを必ずしもアートだけで変えられるわけではない。美術史の歴史を振り返ると、当時人々が望んでいたものが、無意識的に表現のなかに表れています。とにかく「今のままではまずい」と思っている人が、社会全体で1パーセントくらいにまで増えるといいのですけれどね。いまは0.01パーセントくらいではないかしら。
太下: 100人に1人いたら、世の中はかなり変わりますね。
熊倉: そのくらいしかアートにはできない。その1パーセントの思いを、過半数の51パーセントに引き上げるまではいかなくとも、30パーセントでもきっと社会は変わります。まずは100人に1人ぐらいはそう思ってくれるようになるといいですね。
(1)2016年オリンピック・パラリンピック競技大会を東京都に招致する構想で、当時東京都知事の石原慎太郎が提唱した。2009年にIOC総会で落選。
(2)もやもや……何かに対して違和感を抱く状態のことでアーティストの藤浩志がよく使う概念。「どうにかしたいけれどまだ形にはなっていない、イメージになる前の状態」。
(3)「種は船」プロジェクト……京都府舞鶴市で始まった日比野克彦監修の市民参加型アートプロジェクト。企画運営は、一般社団法人torindo。2010年から3年かけて舞鶴で自走船「TANeFUNe」を造船し、2012年には舞鶴から新潟まで81日間の航海を行った。
(4)東アジア文化都市……日中韓文化大臣会合での合意に基づき、日本・中国・韓国において、文化芸術による発展を目指す都市を選定し、さまざまな文化芸術イベントなどを実施するもの。2014年は、中国は泉州市、韓国は光州広域市、日本は横浜市が選定されている。