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映像がひらく、コミュニケーション。(APM#11 前編)

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2023.02.22

執筆者 : 西岡一正

映像がひらく、コミュニケーション。(APM#11 前編)の写真

東京アートポイント計画は地域社会を担うNPOと連携して、社会に新たな価値観や創造的な活動を生み出すために、各地でさまざまなアートプロジェクトを展開しています。そのなかから見えてきたトピックをとりあげ、事例を紹介するとともにゲストを迎えて新たな言葉を紡ぐ企画が、2016年から続く「Artpoint Meeting」です。その第11回が1月9日、東京・恵比寿の東京都写真美術館でひらかれました。

テーマは「映像を映す、見る、話す」。地域の日常に寄り添うアートプロジェクトの現場では、しばしば映像をつくることやつかうことから、さまざまな人びとを結び、語りの場をつくる試みが行われています。今回のArtpoint Meetingでは「KINOミーティング」、「移動する中心|GAYA」、そして「ラジオ下神白」という3つの取り組みにかかわるメンバーとゲストが映像を見ながら、語り合いました。

[セッション1]映画が映すまちと映画制作が作るまち

KINOミーティングは、東京アートポイント計画の一環として、2022年4月に始動し、海外に(も)ルーツを持つ人たちを対象とした映像制作のワークショップを手がけています。プロジェクトメンバーの阿部航太さん(デザイナー・文化人類学専攻・一般社団法人パンタナル)が説明します。

「ワークショップの参加者はまちに出て、映像や音声、写真などを使って自分自身のルーツと向き合い、同時に自身とはルーツの異なる人びとと互いの視点を交換して、協働しながら映像作品をつくります。新しい映像表現の発見を目標にしつつ、異なるルーツを持つ人たちがいかに協働できるかという視点でプロジェクトを展開しています」。

阿部航太さん(デザイナー・文化人類学専攻・一般社団法人パンタナル)

この日は「シネマポートレイト」というワークショップで制作した映像作品を上映しました。静止画がゆっくり切り替わっていく画面に、参加者の語りが重なるという実験的な映像作品です。

「参加者は3人1組になって、自分のルーツを見つめる3時間の小さな旅をします。1人はまちで自分のルーツについて思い出したエピソードを語ります。別の1人がそれを録音し、もう1人は旅をする様子をインスタントカメラで撮影します。その役割をローテーションして、最終的には2分間の映像作品を3本つくります」。(阿部さん)

上映したのは昨年、池袋と葛飾で撮影した5本の映像です。昼間の街を歩きながら「日本の夜を散歩するのが好き」と語る美術大学の留学生や、東京の青空と空気の匂いから中国の故郷を対比的に思い出す女性。日本に来る前に留学していたカナダのダウンタウンと日本の下町を比べつつ、日本の下町でも自分のルーツを感じる、と語る大学院生……。東京のまちの片隅を切り取ったインスタント写真の色調はどこかノスタルジック。そこに、ときにアクセントのある日本語に、英語や中国語が交じる語りが重なると、どこか見知らぬまちに迷い込んだような映像を体験することになります。

会場で上映された5つの「シネマポートレイト」

上映後のトークには、「シネマポートレイト」を設計した森内康博さん(映像作家/らくだスタジオ)とゲストの馬然(マラン)さん(名古屋大学人文学研究科准教授/東アジア映画研究者)が加わりました。馬さんはシネマポートレイトについて「ジョナス・メカスの日記映画的なジャンルに近い」という印象を語ったうえで、こう続けます。

「目の前に現れる風景に、自分の故郷やかつて住んだ場所の風景を思い出している。複数の時間が描かれている。アクセントのある日本語や英語が入っているのも素晴らしい」。

阿部さんも「ひとつの風景が言葉を通して見ると、違って見えるし、観客の感情を反映すると、また別の風景に見えるかもしれない。アクセントのある日本語にはその人が移動してきた経路が反映されている」。

馬さんも「rootsだけでなくroutes=軌跡もあって、その人の歴史が2分間の映像に入っている」と大きくうなずきました。その映像表現の特徴について、森内さんは「撮られた写真と語られるエピソードの時間や空間は一致していないけれど、僕たちは映像を見ながら、頭の中でイメージをリンクさせながら、想像的な見方をする。それはすごく映画的な表現です」と指摘しました。

(写真左から)阿部航太さん、馬然さん、森内康博さん

ここでトークを一休みして、「シネマポートレイト」のメイキング映像が上映されました。その映像を見ると、自分のルーツを探す役割の人、録音担当、撮影担当の3人が、初対面であるにもかかわらず、活発にコミュニケーションをしていることがわかります。そうやって生まれるコミュニティを、KINOミーティングでは「まち」と呼んでいます。

その「まち」の生成に、インスタントカメラが一役買っていることを森内さんが明かします。「インスタントカメラのフィルムは1パック10枚です。つまり10枚しか撮れない。短い旅のなかで何を撮るかを決めて、撮った写真をお互いに共有しなければならない。初対面の3人は、まず写真を介してコミュニケーションを始めます。シネマポートレイトという制作は、お互いの自己紹介の時間にもなっていると思います」

阿部さんは「KINOミーティングは多様性とか多文化共生といわれる分野のアートプロジェクトですが、交流の在り方をちゃんと考えなきゃいけないと思っています。交流だけを大事にするのではなく、新しい映像表現を発見することを第一の目標としてワークショップを行っています。いい作品をつくるにはコミュニケーションが必要。だから、工夫してコミュニケーションを実践しています」と言います。

ここで、馬さんが「議論が分かれたときに、クロスカルチャー的なコミュニケーションはできますか」と問いかけます。それに対して、森内さんは「シネマポートレイトは1日限りのプログラムなので、議論はそこまで起きていない。でも、ワークショップが続くなかで、この経験があった次に協働する際にはコミュニケーションのトラブルが起きても建設的な議論になっていく」と確信を語りました。

KINOミーティングでのワークショップ実施風景

[セッション2]映像アーカイブをケアの現場でつかってみる

次のプロジェクトは、「移動する中心|GAYA」(以下、GAYA)。「文房具としての映像」というコンセプトの普及に取り組む、NPO法人remo(記録と表現とメディアのための組織)が東京アートポイント計画の一環として実施しています。GAYAの企画運営は、このremoを母体とした活動であり、家族写真や8ミリフィルムなど「市井の人びとの記録」に着目したアーカイブプロジェクトを展開するAHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]が行っています。

2015年にAHA!は世田谷区にある「生活工房」と連携し、世田谷区民を中心とした家庭に眠っている8ミリフィルムを募集し、約200本の提供を受けました。その一部をデジタル化し、84巻約15時間の映像を収録するウェブサイト「世田谷クロニクル1936−1983」を2019年に公開しています。

2020年には「世田谷クロニクル 1936-1983」展を開催。8ミリフィルムの所蔵者12人のオーラル・ヒストリーが無音の映像に重なるかたちで鑑賞できるようにした

当日は「世田谷クロニクル 1936-1983」に掲載されたデータから2本の映像が、松本篤さん(NPO法人remoメンバー/AHA!世話人)の解説とともに上映されました。一つは「上野動物園」(1936年)。行楽で出かけた際に撮影したものと思われますが、後に戦時体制下で殺処分されるゾウたちの姿も写っています。もう1つは「消え行く玉電」(1969年)。世田谷の人びとに愛された路面電車が廃止になるまでの数か月間を記録しています。

このデジタル化した8ミリフィルムのアーカイブを活用するために2019年に始まったプロジェクトがGAYAです。公募したロスト・ジェネレーション世代のメンバーと映像を見て、語り合うオンラインワークショップの「サンデー・インタビュアーズ(SI)」というプログラムを実施してきました。その意義を、松本さんはこう語ります。

「サンデー・インタビュアーズは、余暇の時間としてあった当時の〈日曜日〉を、現在の〈日曜日〉から見つめ直すという、「日曜日」についての実践と研究の場です。参加者はプロのインタビュアーではなく、公募で集まった日曜大工ならぬ、ロスジェネ世代のDIY精神溢れる〈アマチュアの聞き手〉。彼らは映像の撮影者ではなく、親が撮る映像の被写体にあたる世代。なので、映像を少し距離感のある状態で見ることになります。そのときもしかすると、昭和の時代をレトロスペクティブに語ること自体の違和感や、いまの時代と異なる点への気づきなどが生じるかもしれない。そういった実感を深めていく。〈当事者ではない〉という当事者性を獲得していく。それは過去を経由していまの自分の場所を考えることにつながる。あるいは、誰かの記憶を借りながら自分の記憶をつくっていく作業になるのではないか」。

「GAYA」の活動を説明する松本篤さん(NPO法人remoメンバー/AHA!世話人・写真左)

「サンデー・インタビュアーズ」の実践を通して、ロスジェネ世代の参加者は親の世代の価値観に触れ、やがて親のケアの当事者となっていくことにも気づいていく。アーカイブの活用が、異なる世代、異なる時間軸をつなぐものとなるのではないかという可能性がふくらんできました。「アーカイブをつくる、つかうということは、文化的な営みにとどまらず、福祉とか医療との接合点になるのではないか」と松本さんは考えました。そこから、ある邂逅がもたらされました—。

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(撮影:阪中隆文)

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