フィクションの部 DAY5〜6「撮影後半」
執筆者 : 阿部航太
2022.03.18
2022.02.22
執筆者 : 阿部航太
2021/9/17 19:00-21:00 オンライン
「ドキュメンタリーの部」A期のプログラムが終了して2週間後、新たなメンバーを迎えてのB期が始まる。3日間のプログラムはレポート#1〜3で記したA期の内容と全く同じ。しかしながら、そこに参加するメンバーが異なれば、自ずと工程も結果も変わってくる。特にB期では“言語”の扱いについて、A期のときとは異なる状況になった。A期では偶然にも日本語でのコミュニケーションに難しさを感じるメンバーはおらず、運営チームからのメンバーへの説明や、メンバー同士のやりとりは全て日本語で行われた。しかしB期には日本語でのコミュニケーションに難しさを感じるメンバーが複数人参加しており、どの言語を軸にプログラムを進行していくかを考える必要があった。
結果として、私たち運営チームはオンラインで実施する「DAY1」では日本語と英語を併用して進行することにし、対面で行う「DAY2」「DAY3」は日本語のみで進行することにした。その意図を整理すると下記3つの点が挙げられる。
1. 通訳するとしても、メンバー全員の母語に対応できない
2. 通訳をすることで、メンバー同士のコミュニケーションにブレーキをかけてしまうおそれがある
3. 言語の障壁がある状態でのコミュニケーションのあり方を改めて考えることもプロジェクトのテーマのひとつである
特に「3」の部分は、ルーツの異なるメンバーたちが協働していく際には重要なポイントになるはずである。メンバーたちはどのように言葉を、また言葉とは異なる方法を用いてコミュニケーションを交わすのか?その工夫はメンバー自身に任せることにした。
「ドキュメンタリーの部」では、ドキュメンタリー作品を制作しながら、それぞれの視点で“まち”をリサーチしていく。その過程で生まれたコミュニケーション、表現、エピソードを拾い上げて、後に制作していくフィクションの映画のヒントにしていこうという狙いだ。3日間という短い期間ではあるが、そのなかでメンバーたちの視点から見えてくるまちの姿とは、いったいどういうものなのか?そんな期待のなか、DAY1が始まる。
A期と同様に「3枚の写真で自己紹介」からスタート。メンバーには当日までにそれぞれの「過去」「現在」「未来」を表す写真をそれぞれ1点ずつ提出してもらい、それを軸に自己紹介をしてもらった。ここでB期のメンバーの紹介も兼ねて、それぞれの3枚の写真を紹介する。
中国の海辺のまち街で生まれ育ち、北京の美大を経て、3年前に日本の大学院で美術を学ぶために来日。大学内外での様々な展示やプロジェクトに参加するなかで、多様なルーツの人々との対話に興味を持ち参加。
韓国で生まれ育ち、2018年に大学院で美術を学ぶために来日。大学院修了後は都内で働きながらアーティストとして活動している。日本での様々な出会いを経て、改めて在日コリアンの存在について考えるようになった。
フィリピンで生まれ育ち、大学卒業後はエンジニアとして働く。大学時代に日本人の友人がいたこともあり、かねてより日本には来たいと思っていた。2021年のはじめに来日し、現在は日本語学校に通いながら、都内の学童で働いている。
台湾の高雄出身。2017年デザインを勉強するため日本へ。美術学校に2年間通った後に制作会社へ就職。現在はデザイナーとして都内で働いている。ディープな日本について興味があり、民藝、喫茶、銭湯、商店街などをよく訪ねている。今住んでいる東京の様々な面を知りたいと思い参加。
在日韓国人であり、北海道で生まれ、埼玉、東京で育つ。小学4年生のときに民族学校から日本の公立小学校に転入したことがターニングポイントになり、以降自身のルーツについて向き合うこととなる。現在は都内の大学で社会学を学ぶ。
アメリカのインディアナ州出身。現地の大学で、日本人である現在のパートナーと出会い、後に日本へ移住。芸術分野での映像制作にもとから興味を持っており、様々な人と協働して映画をつくることに魅力を感じ参加。
英国領香港で生まれ、台湾人の母、日本人の父を持つ。休暇に台日を往復しつつ、関東で幼少期を過ごしたのち、米国、台湾で学び、現在は国際交流に関する仕事をしながら、子供向けの多言語演劇を行う。自身の重層的なルーツに対する意識と本プロジェクトの趣旨がフィットすると考え参加。
父方の祖父が在日韓国人、母方の祖母が台湾のアミ族出身でありつつも、自身は日本人として兵庫県で育つ。インターナショナルスクールに通い、大学入学を機に上京。大学卒業後も都内に留まり様々な活動を行っている。
アンゴラで生まれ育つ。18歳のときに南アフリカに移住し、そこで大学と英語学校に通う。その後来日し、都内の大学で建築を学ぶ。2021年の秋に大学を卒業。自身の経験をふまえ、他の人の経験も知りたいと思い本プロジェクトに参加。
自己紹介の後は、グループに分かれてのディスカッション。ここで初めて、運営チームがいない状態でメンバー同士で言葉を交わすことになる。少し緊張した面持ちでメンバーたちが話はじめる。
この質問にたいして、A期では出なかった「その友達が“どこから”来るのか?」という問いがあがっていた。
エイスケ「どこの人が来るかで違うかな。アメリカの友達を連れていく場所と、台湾の友達を連れていく場所は違うかな。」
ケイ「わかります。」
エイスケ「台湾の親戚とかだったらアメ横の薬局とか。他の国の人はそんなとこ行きたいとは言わないから。」
チハル「私は兵庫出身なんですけど、そこの友達を思い浮かべたんですよ。」
ケイ「私は明治神宮かも。今、明治神宮にお米を捧げるプロジェクトに参加していて。みんな行きたがる原宿とか新宿とかも近いから、その場所は明治神宮の森を作るための宿の場所だったってことも教えたい。」
チハル「えー!知らなかった。」
この質問では、メンバー自身のごくごく私的な意味合いのある場所、そして空間的な場所というよりもそこで出会った“人”についての話も聞こえてくる。
カイル「町田。妻の実家があって、日本に来て初めて住んだところだから。」
テイ「私も初めて住んだのが、友達が住んでいた中野のマンションで。だから中野に行くかも。」
セイブン「行きたいところというより、会いたい人と最後に話をしたい。」
ジウン「確かに。私もとても大事な友達が谷中に住んでるから、その人を誘ってちょっとその辺を歩いて、別れを言いたい。」
一方で、その場所が必ずしも良い記憶と結びついているとも限らない。逆に足が遠ざかってしまった場所をあげたメンバーもいる。
キン「中野ブロードウェイですね。好きな場所で、そこでバイトしてたんですけど、いやな辞め方したから行きづらくなったんです。なんかその職場ですごく外国人扱いされて。名札に名前と話せる言語のマークが書いてあって、よく〈日本語が上手だね〉って言われてたんですけど、そういうのがストレスで。」
3つ目のテーマは、それぞれのルーツについて考えるもの。日本に来る以前と来た後とで変化はあったのか。そして日本で生まれ育ったメンバーはどのようにその瞬間と向き合っているのか。
パイヴァ「南アフリカでは色々なルーツがあるけれど、それがとても厳密なカテゴリーに入れられる。だから〈Where you from?〉ではなく〈What are you?〉と聞かれる。だから私は最終的に〈I’m human-being.〉と答えてた。日本ではそこまででもない気がする。ただ、何か不快なことが起こったとき、“それは私が外国人だから?”というふうに考えちゃう。」
ジウン「親日家の家族のもとで育って、自分も何か損したこともない。だから植民地時代のことについて憎しみも持ってないし。でも日本に来て在日の人に出会って、彼は自分を〈no-one〉だと言っていた。そういう出会いもあって、日本のレイシズムのことを考えるようになった。」
カイル「アメリカ人は、うるさくて自己中心的っていうイメージがあるから、自分がそうならないように気を付けてる。あとアメリカではみんな声が大きい。どこでも皆話してる。東京は混んでるけど皆静か。」
チハル「関西はもっとうるさいですよ。電車でも皆喋ってるし。ちょっと恋しいですね。」
キン「そもそも“何人”というのが曖昧。韓国についての記事をソーシャルメディアとかで目にすると、どちらかと言えば自分は日本人の感覚の方が近いんだな、と思う。韓国人として意識するのは、名前とか。あとはスポーツ。国際試合があるときとか。」
JP「どっちを応援するの?」
キン「あー、そのせいでスポーツに興味なくなってしまいました。家では韓国を応援していますね。私はどっちでもいいやーって。」
テイ「台湾はプロサッカーのチームがないけど、みんなワールドカップ観ますね。」
ケイ「逆にどっちでも応援できますね。」
キン「たしかに!まあ、それがいいですね。」
執筆:阿部航太
今回もオンラインでありがながら、初めて出会う相手とのパーソナルなやりとりが交わされた。運営チームが心配していた言語の壁をものともせず、メンバーたちは楽しく真剣に話をしていた。最初は「自分はこの言語しか話せない。」と他のメンバーに伝えたり、「私が通訳するね。」と間を取り持ったりと、やや確認しあいながらだったが、セッションを重ねるごとに、“勝手”に英語で喋り出したり、日本語の間にわかる範囲で英語を混ぜてみたり、そのときグループになったメンバー間でできることを即興的に実践するようになっていく。そこで意思疎通に多少の遅れがあっても、むしろその遅れが新たなコミュニケーションを生んで、その間の関係をつくっていく。異なるルーツ、言語のハードル、といって不安要素を並べていたこちらの視野がいかに狭いか。要素だけを取り出してそれぞれの間に線引きをしがちな自分を顧みざる得ない。メンバーのひとりがこう言っていた。
セイブン「自分はたまたま中国人。たまたま中国で生まれただけ。」
様々な歴史的背景を軽視するつもりはないが、私たちは“たまたま”それぞれの場所で生まれ育ち、その日も“たまたま”PCの画面越しに初めて出会った。出自や境遇をできる限り認識しながらも、一方で“たまたま”であるという軽さで言葉を交わすことはできないか。プロジェクトはドキュメンタリーの部B期、DAY2に進む。雨の予報ではあるが、「雨天決行で。」とメンバーに伝える。
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