フィクションの部 DAY5〜6「撮影後半」
執筆者 : 阿部航太
2022.03.18
2022.02.15
執筆者 : 阿部航太
2021/9/5 10:00-17:00
DAY2において、上野近辺のフィールドワークを通してそれぞれの「シネマポートレイト」をつくることで、各々のルーツに触れ、互いに理解を深めたメンバーたち。しかし、実際のまちにはここに集まったメンバーだけではなく、より多様なルーツを持つ多くの人々が生活している。
DAY3では、3つのグループに分かれたメンバーたちが、上野エリアの外へ出て、「まちの中の他者」に会いに行き、そこでその人のルーツを見出すことを試みる。DAY2のフィールドワークと似ているが、異なるのはその日初めて会う人と、一緒にフィールドワークを行うこと。そして後日、その過程を音声と写真で記録し、最終的に10分以内のドキュメンタリー作品を制作することを目的としていることだ。DAY1、2の経験を生かしながら、メンバーたちはどのようにその人のルーツとその人がいるまちと向きあっていくのだろうか。
今回は「まちの中の他者」が「探す人」である。その人の探す旅を記録するために、DAY2と同じように3つの役割を設けるが、DAY3ではローテーションはなく、それぞれの役割に専念する。括弧書きで映画制作の現場で使用される役割を与え、その日限りのワークショップではなく、あくまでも実践の一環として意識してもらう。
①インタビューする人 (インタビュアー)
・取材対象者の旅に伴走する
②録音する人(サウンドオペレーター)
・音声で記録する
③写真を撮る人(カメラオペレーター)
・写真で記録する
「まちの中の他者」として、プロジェクトに興味を持っていただいた3名の方に出演をお願いした。事前に運営スタッフがヒアリングを行い、それぞれの人の「馴染みのまち」を教えてもらう。そこが今回のフィールドとなる。
グループA1
①インタビューする人 (インタビュアー):ヒョンジン
②録音する人(サウンドオペレーター):トシキ
③写真を撮る人(カメラオペレーター):パイ
出演者:キャサリンさん
フィールド:高井戸
高井戸駅の改札前でキャサリンさんと待ち合わせる。あいさつもそこそこに、近くの公園に皆で移動してベンチに腰掛け、ゆっくりと話を伺った。まずは、メンバーそれぞれの自己紹介から。ヒョンジンのアイディアで、DAY2で撮影した写真を見せながら、自分のルーツや、これから一緒に探していきたいことを伝える。キャサリンさんは「自分のルーツ…そんな立派なものは探せるかわからないけど…」と少し不安な表情ではあるが、公園を出てまちを歩き出すとすぐに自身の生い立ちを語り始めた。
キャサリンさんは、パラグアイで生まれ、日系人の母と台湾にルーツを持つ父の元で育った。現地で「パラグアイ人」として見られないことが多かった彼女は、「自分は何人なんだ? 自分は何なんだ?」という葛藤の中、自身のルーツを辿る旅に出る。最初に訪れたのは父方のルーツである台湾だった。台湾に住んだ3年間はとても実りのある時間だったと語ってくれた。「自分が満足したんです。改めて台湾ということを知って。自分の中にある台湾を知ることもできて。いろんな発見もあって。」その一例として、カレーライスのエピソードがある。彼女は子供のころから、カレーとご飯をぐちゃぐちゃに混ぜてから食べることを好んだ。両親からは「はしたない」とよく叱られていたが、いざ台湾に来て肉汁とご飯を混ぜ合わせた魯肉飯(ルーローハン)を見て、 「覚えてる?ぐちゃぐちゃにして食べてたの。私、ここ台湾人だったよ」と母親に電話で話したそうだ。
キャサリンさんとメンバーは、線路沿いに流れる小さな川を横切り、住宅街のほうに進む。彼女が日本に来て初めて住んだシェアハウス付近へと向かっていく。
台湾の経験を経て「これは日本に行ったら日本の部分も絶対出てくるんだろうな」と思ったキャサリンさんは、台湾を発ち来日。高井戸のシェアハウスで暮らし始める。しかし、南米で聞いていた「日本人はみんないい人」というイメージは現実とは異なり、シェアハウスでのトラブルや、最初に勤めた会社の労働環境が劣悪だったりと、苦労が絶えなかったらしい。
シェアハウスの前に到着すると、親子が道端でサッカーをしていた。キャサリンさんが父親の方に声をかけ、懐かしそうにあいさつを交わしている。シェアハウス在住時によく遊んだ近所の家族だったらしい。今は別のまちに引っ越して生活していることを2人に伝え、その場を後にした。
そこから少し遠回りしながら駅に戻る。駅も近づいてきたころ、ヒョンジンがDAY1のディスカッションで議論になった「日本に“帰る”という感覚より、”戻る”いう感覚」について、キャサリンさんはどう考えるか? と問いかけた。キャサリンさんは「今自分のいるところが自分の帰る場所と決めてる。だから今は日本が帰る場所。」と答えると、「パラグアイや台湾はどうですか?」とヒョンジンが重ねて尋ねる。彼女ははっきりとした口調で「“行く”ですね」と返した。
グループA2
①インタビューする人 (インタビュアー):ショウ
②録音する人(サウンドオペレーター):チョウ
③写真を撮る人(カメラオペレーター):コンスタンチャア
出演者:キマさん
フィールド:代々木上原
メンバーたちは、キマさんと代々木上原駅で落ち合い、それから周辺を少し歩いた。代々木上原は、キマさんにとってよく遊びに来るまちで、ひとりで、または友達とご飯を食べたり、お茶をしたりしていたらしい。コロナ禍となってから、遊びに出ることも少なくなり、このまちに来るのも久しぶりだという。
キマさんの母方の祖先は日本からハワイに渡った移民で、祖父母はそこからアメリカの東海岸へ移住した。キマさんはアメリカで生まれ育ち、母のルーツであることや友人の影響から日本に興味を持つようになる。そして高校生のときに沖縄県名護市に6週間の留学を経験する。それから大学院での1年間の沖縄留学を経て、卒業後に沖縄へ移住し暮らし始める。そして今から3年前に東京に引っ越してきたという。
学生時代から社会人生活に至るまで、日本での暮らしを楽しんでいるものの、まわりの日本人とのズレはずっと感じ続けているという。彼女の考えでは教育の違いが要因ではないかということだが、「日本人と深い話ができない。こういうことを話して、こういう風に意見を変えられる、といったことができない。もちろん日本人全員というわけではないけど。ストレートの話しかできない。」と打ち明けた。このコメントを受け、ショウは苦笑いを浮かべながら「ぐさっと刺さりました」と答え、その横で何度も頷いていたコンスタンチャアが「いっしょ」とこぼす。
キマさんとメンバーは、日曜の朝でどこも閉まっている商店街を抜けて、近くにある代々木公園のベンチに腰掛けていた。近くで大学生のサークルと思われる人たちが、演劇の練習をしている。ところどころに英語が聞こえる。「アメリカ人にとって、日本人として育つのが想像できない。制服着て、電車乗って、学校に行って。ある意味憧れなんですね。楽しそう。青春はすごい楽しそう。……逆にアメリカは早く大人になりたいってなるから。」
また、キマさんはアメリカ人に対するステレオタイプなイメージにも悩まされているという。「今まで会ったアメリカ人の中で一番シャイだなって言われたんです。その日初めて会ったのに。」それに対してコンスタンチャアも「今部屋探ししていて。不動産屋さんにもよく言われます。アメリカ国籍の人がよくうるさい人であるって。私もショックで。その人知らないのに、最初からボックスに入れるのがめっちゃ残念。」そして、そのようなステレオタイプなイメージにまつわる先入観を持たれてしまったときに、トラブルを避けるためにそのイメージを内面化してしまうこともあるという。キマさんとコンスタンチャアは互いに「そうそう」と言いながら公園を歩いた。
フィールドワークの最後に、この旅の記録に基づくドキュメンタリー作品のタイトルをキマさんと共に皆で考えた。ここでチョウがひとつアイディアを出す。「今の場所っていうようなテーマもいいと思います。場所っていうのは……ここも場所で、沖縄も場所で、アメリカも場所で。」ルーツを探る旅に出たキマさんとメンバーたちが辿り着いたのは、過去ではなく、今現在のキマさんが立つ場所だった。
グループA3
①インタビューする人 (インタビュアー)+②録音する人(サウンドオペレーター)録音:テイ
③写真を撮る人(カメラオペレーター):アントン
出演者:ももさん
フィールド:南砂町
江東区の南砂町駅でももさんと待ち合わせる。アントンが手にするコーヒーを見て、テイも「わたしも買ってくればよかった」とつぶやく。それをももさんに聞かれ、「買っていきますか?」と尋ねられるも「まだ早いです…」と言い、3人は歩き始める。
ももさんの両親は中国人だが、30年前に来日し、ももさん自身は日本で生まれ、4歳からこの南砂町で育った。今は南砂町を離れてひとりでひとり暮らしをしながら金融の会社に勤めているため、このまちに来るのは“里帰り”の気分だという。自身が中国にルーツを持つことについて、幼少期は「中国帰れよ」などといった悪口を言われたこともあったが、中学以降はそれが自分の個性として強みとなり、今はポジティブにそのことを捉えているという。
ももさんは自分の地元を紹介するようにまちを案内しながら、そこでの思い出を聞かせてくれる。メンバーの2人はそれについて歩きながら、まちを観察している。遊具のある小さな公園で、テイが「台湾だと、公園にはおばちゃんとかがいて」と話すと、上海の留学経験のあるももさんも「ああ、中国でもそうでしたね。」と答える。アントンは「岐阜の公園にはそういうことあった」と岐阜在住時のことを思い出している。また、立体駐車場を見てテイが「これ動いてるの見たことない」と言うと、ももさんが「今住んでいるところこれなんですよ。」と答える。
ももさんの思い出話を聞いていると、彼女がこのまちで過ごした姿がなんとなくだがイメージできるような気がしてくる。通っていた水泳教室の前に、必ず友達と公園で遊んでいたこと。商店街で10円まんじゅうを買ったこと。小学校の行事で、近所にある大きな桜の木を写生したこと。コミュニティ農園で、小学校の先生と野菜を収穫したこと。親に「本は買うものではなく借りるものだ」と言われて、通った図書館のこと。
グループA1、A2で聞いたエピソードは、どれも私にとっては珍しく、新鮮なものであったが、このグループの中でのエピソードは、埼玉で生まれた私にも、どこか重なる思い出があり郷愁を覚えた。ただ、それを聞いていたメンバーの2人はどうだったのだろうか? 私とは全く違う感想を持ったのかもしれない。
ももさんは地元から遠い中学を受験し通い始めると、その学校の友人たちとは渋谷などの都心で遊ぶようになったが、地元の友人たちとは変わらずこのまちで遊んでいたという。その話を聞いたテイの「じゃあ、渋谷とここを使い分けてますか?」という質問に対して、ももさんは「渋谷はおしゃれしていくところだけど、このまちは裏庭。自分のテリトリーみたいなところ。すっぴんでも行ける場所。」と笑いながら語った。
午前中のフィールドワークを終え、午後はROOM302でドキュメンタリー作品をつくるための準備に入る。メンバーたちは、グループごとに録音してきた音声を確認し、作品化する際の構成を検討する。その作品は次のタームであるフィクションの部の初日に上映されるため、メンバーはグループごとに連携しながらそれまでに作品を完成させなければならない。そのうちに、今日撮影した写真の紙焼きが到着し、それをテーブルに並べて最後のディスカッションが行われた。
コンスタンチャア「最後に何があるか相手も私たちもわからないのに、その何かに向かっている、というのがめっちゃ面白い経験だった」
チョウ「普段は初めて出会った人と、こんな深い会話をしたことがなかった」
アントン「自分のことについて面白さがわからない。だから相手もインタビュアーもわからないから、どうやってそれを聞いていくのか、それはもっと考えないとと思った。」
このドキュメンタリーの部の3日間で、自分のこと、他のメンバーのこと、まちの中の他者のこと、そしてそれぞれのまちのことを、様々な視点を交換しながら考えてきた。その経験は、これからの映画制作はもちろん、それぞれの普段の生活でもなにかしらの形で影響を及ぼすだろう。テイ自身、「自分はずっと日本語が下手だと思っていました。でもこの3日間は忙しくて、それも忘れた。気にしないでみんなと話せるようになった。これも自分の成長だと思う。」と自分の変化を語った。
これで「ドキュメンタリーの部A期」は終了。次は、別の9人のメンバーを迎えて「ドキュメンタリーの部B期」にプロジェクトは進む。
執筆:阿部航太(プロデューサー、記録)
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