「主体」を見つけ、「共」を育てる/郊外都市を「ふるさと」に
執筆者 : 杉原環樹
2017.03.14
全国のアートプロジェクトの担い手は、日々、どんなことを考えながら活動しているのでしょうか。東京アートポイント計画の新企画「ART POINT MEETING」は、彼らがアートと社会についての思考と言葉を共有する、トークイベントです。2016年6月26日、その記念すべき第一回が、東京・神保町のMACRI神保町で開催されました。
イベントは二部構成。前半の「トークセッション」では、文化的な祭典でもある東京2020オリンピック・パラリンピックまで残り4年を切るなか、芸術複合施設「Art Center Ongoing」を運営する小川希さん、福島県西会津町の文化交流施設「西会津国際芸術村」でコーディネーターを務める矢部佳宏さん、空き物件を紹介するサイト「東京R不動産」のディレクターである馬場正尊さんをゲストに、「アートの2020年問題」を語り合いました。
後半の「クロストーク」は、ひとつのプロジェクトの可能性を体験するコーナー。今回は、福島県会津地域を舞台に2015年12月5日に開催された「幻のレストラン」を取り上げます。地域を越えてプロジェクトの担い手が集まった、イベントの模様をライター・杉原環樹がレポートします。
本番当日。約70名が集まったイベントは、東京アートポイント計画のディレクターで、今回のイベントのモデレーター・森司による趣旨説明からスタート。「今回の『アートの2020年問題』というテーマの背景には、アートの『アートらしさ』を再確認することで、現在のプロジェクトを2020年以降の文化の土台にしていきたい、という思いがありました」と語ります。「トークセッション」では、そんな2020年以降も視野に入れた活動をするうえで重要な観点を、三人のスピーカーがプレゼンしました。
一人目のスピーカー、「Art Center Ongoing」の代表を務める小川希さんは、JR中央線の高円寺〜国分寺間を舞台とした東京アートポイント計画のプロジェクト「TERATOTERA」を、2009年より展開しています。「Ongoing」は、若くて実験的な作家の個展を2週間にひとつのハイペースで開催する、コマーシャルギャラリーとは一線を画すインディペンデントなスペース。収益を、週末のイベントやカフェの売上でまかなうことで、挑戦的な作家を紹介してきましたが、この方法論を街で展開したのが「TERATOTERA」だと言います。
そんな小川さんは、今年の1〜4月にかけて、国際交流基金アジアセンターの支援を受け、東南アジアのオルタナティブスペースをリサーチする旅に出ていました。今回はその話題が中心でしたが、驚くべきは、わずか4カ月で9カ国・合計83カ所ものスペースを巡ったということ。小川さんは語ります。
「なぜ東南アジアに、それほど多くのオルタナティブスペースがあるのかというと、美術館などの公共施設が少ないからです。発表の場がないことから、東南アジアではアーティストが自分で場所を作ることが、当たり前になっているんです」。
日本でも近年、アーティストが運営する「アーティスト・ラン・スペース」が注目されていますが、東南アジアにも同様の試みが多く存在することは新鮮な発見でした。
フィリピン・マニラの代表的スペース「98B COLLABoratory」や、街全体が巨大な芸術家村であるアンゴノの「Neo-Angono」、リサーチャーのみで組織されたインドネシア・ジョグジャカルタの「KUNCI Cultural Studies Center」など、ユニークなスペースが紹介されましたが、なかでも小川さんが、「アーティストによる組織の完成形だと思った」と語るのが、同じくジョグジャカルタの「ruangrupa」の活動です。
「このコレクティブは、ギャラリーやレジデンス、ラジオ局の運営や企業とのコラボも行っていて、規模が大きいのですが、バラバラに進行するイベント間の情報共有が非常にうまくいっているんです。どう運営しているのかと思ったら、メンバーが集まってただゲームをするなど、ダラダラした時間がすごく多い(笑)。でも、この『オーガニック』な、日本語なら『適当』な関係性が、活動の土壌になっていると感じました」。
この経験から小川さんが2020年に向けたキーワードと語るのは、「コミュニティ」「オーガニック」「ネットワーク」「インディペンデント」「シェア」。面白いのは「ネットワーク」の側面で、「日本を発つまで5カ所しかスペースを知らなかったのに、各国での紹介をつなぎ、83カ所を回れました。それに対して日本では、スペース間の連帯が弱い」と小川さん。東南アジアの自生的なシーンの可能性を感じさせるプレゼンとなりました。
つづくスピーカーは、福島県西会津町の「西会津国際芸術村」や、「森のはこ舟アートプロジェクト」でコーディネーターを務める矢部佳宏さん。エリアの9割を森林が占める西会津町は、かつては文化的な土地として栄えていました。しかし、昭和40年代後半をピークに過疎化が進み過疎化が進み、いまでは人口7000人を切る「陸の孤島」に。東日本大震災を契機に帰郷した矢部さんは、そんな地域の「芸術による活性化」を目指しています。
「ただ、地元の人にとってアートは、いわば外部からの『強風』です。僕が活動でいつも意識するのは、その『強風』を『そよ風』にして地域に拡げること。そして、地元に根付いたクリエイティブな人材を育成することです」と矢部さんは語ります。
この方針のもと芸術村では、ギャラリーやレジデンス、移住サポートなどを展開しています。レジデンスのアーティストには、地元の人が日々行う作業の手伝いが滞在条件に与えられますが、これは「地方では生活のインフラを自分で整備する慣習がある」との考えに基づくもの。では、日常的な作業に触れることが、なぜ重要なのでしょう。
「近年、『地方消滅』という議論が語られますが、そこで指標とされているのは、多くの場合、人口の減少ではないかと思います。しかし僕は、地域が数千年をかけて育んできた『文化的なDNA』を無くすことが、本当の地域の消滅だと考えているんです」。
矢部さんは、土着の人々が行い続けてきた営みの意味を理解・継承することで、人口の多寡にかかわらず、海外を含む外部の人々にとっての魅力ある地域づくりが可能だと言います。
「重要なのは、ネイチャー(自然)とカルチャー(文化)は、本来は別物ではないということ。文化は土地を生きる知恵から生まれてきたもので、その意味では自然の内に包含されます。そんな土地の記憶の持つ、新しい環境文化を築きたいと思っています」。
この視点は、「森林+アート」がテーマの「森のはこ舟アートプロジェクト」にも貫かれています。かつて生業を通じて育まれていた森林文化が失われるいま、アートに求められるのは、自然との関係の「文化的価値の再発見」だと矢部さんは語ります。
「アーティストは、生業で結ばれていた土地と人間の間にあらためて入り込み、その関係を文化としてかたちにすることができます。しかし大切なのは、あくまでもそこに住む人、もしくは移り住んだ人がその文化を自分たちのものとして受け継いでいくこと。そういう意志ある人を多く育てることでしか、地方が生き残る道は無いと思います」。
こうした価値の再創出を、都市環境に見てきたのが、三人目に登場した馬場正尊さんです。それぞれ、空き物件や公共施設に新たな使い途を提案する「東京R不動産」や「公共R不動産」は、脱スクラップ&ビルド型の建築観として注目を集めてきました。そんな馬場さんが挙げたキーワードは、「計画的都市から工作的都市へ」です。
「20世紀の都市開発では、設計者によってガチガチにデザインされた『計画的モデル』が主流を占めていました。しかし、新国立競技場をめぐる白紙撤回騒動にも見られるように、このモデルは現代では通用しなくなっていると感じます」と馬場さん。
そこで馬場さんが提案するのが、設計者だけでなく、利用者の手でも建物が変更されていき、その部分的な改修が結果的に都市全体を変えるような「工作的モデル」です。
そうした街のあり方へ興味を持つきっかけが、「東京R不動産」を始める以前のロサンゼルス旅行で見た、チャイナタウンの風景だったと言います。その街ではアーティストによってゲリラ的に街の再生が図られており、「利用者が介入できる隙のある空間に惹かれ、街の再生にはアートが有効に働くことを学んだ」と馬場さんは話します。
こうして2003年に「東京R不動産」を開始した馬場さんに、「工作的モデル」の可能性を一層感じさせたのは、2002年から8年間、毎年開催された、神田、秋葉原、人形町、日本橋エリアを舞台とするアートイベント「Central East Tokyo(CET)」でした。
「CETでは、作家の希望に応じて空き物件を探し、改修する作業を繰り返しました。10年間に手がけた物件は約100カ所。それらはいまも、ギャラリーや店舗として使われています。この経験は、点としてのリノベーションが面としてのエリアを作ること、非日常のイベントが日常として生活になじんでいく姿を、僕に見せてくれました」。
同じように、近年力を入れる「公共R不動産」については、「従来も、官から民への施設の払い下げはありましたが、一般の人が気軽に場所を利用できる仕組みはなかったんです」と語ります。実際、プロジェクト開始後、施設利用に関する企画書を公募すると、応募が殺到。需要と供給のミスマッチが、都市資源を無駄にしていたのです。
新しい建築を建てるのとは異なるこうした取り組みは、じつは世界的な潮流でもあります。たとえば、職人の開かれたネットワークで知られるインドの「スタジオ・ムンバイ」や、2016年の「プリツカー賞」(建築界のノーベル賞とも言われる)を受賞した未完の建物をつくるチリの建築家・アレハンドロ・アラヴェナは、その代表的な存在。
20世紀の「計画的モデル」から、21世紀の「工作的モデル」へ。その視点は、オリンピックに向け開発の進む東京でこそ、真剣に考えられるべきものでしょう。
(撮影:冨田了平)