現在位置

  1. ホーム
  2. /
  3. レポート
  4. /
  5. OGU MAG+|Artpoint Radio 東京を歩く #1

OGU MAG+|Artpoint Radio 東京を歩く #1

BACK

2024.12.26

執筆者 : 屋宜初音

お菓子の並んだカウンターテーブルの中で、ポッドを持って微笑む人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)。カフェスペースの横からは、展示スペースが見えている

「Artpoint Radio 東京を歩く」では、都内にあるさまざまな拠点を訪ね、その運営にかかわっている方にインタビューを行い、その様子をラジオとレポート記事の2つの形式でお届けします。
拠点によって、その業態や運営の手法、目指す風景はさまざま。そうした数多くのまちなかにある風景には、運営者たちの社会への眼差しが映し出されているのではないでしょうか。
本シリーズでは、拠点の運営にかかわるひとびとの言葉から、東京の現在の姿をともに考えていきます。

――

第1回は荒川区東尾久にある「OGU MAG+」を訪れました。
JR田端駅から徒歩10分、OGU MAG+がある荒川区東尾久は、たばこ屋さんや小さな食堂など個人店が多く、昔ながらの下町の風景がのこるエリアです。芸術大学に通う学生が下宿していたり、いたるところに町工場があったりと、昔からものづくりにかかわる人々が住むエリアでもあります。取材に伺った朝には 、ランドセルを背負った小学生や、速足で歩くサラリーマンなど、多くの人が行き交っていました。

高架橋の道路と並行に車道が伸びており、横断歩道を歩行者や自転車がわたっている
田端駅付近の風景

そんなエリアで活動するOGU MAG+は1階にギャラリーとカフェスペース、2階にシェアハウスを備えた、さまざまな人やカルチャーが交差する拠点です。OGU MAGとしてギャラリースペースを2010年にオープンし、まもなく15年を迎えます。カフェスペースとシェアハウスは2021年のリノベーションを経て新しくOGU MAG+としての活動がはじまりました。

今回はOGU MAG+を運営する齊藤英子(さいとう ひでこ)さんにお話を伺いました。映画関係のお仕事をしながら、OGU MAG+の運営も行う齊藤さん。二足のわらじを上手に履きながら場の運営を続ける齊藤さんに、オープンの経緯から、カフェやシェアハウスができてからのこと、15年継続するなかで見えた風景の変化、場所を継続するコツなどをお聞きしました。

赤いタイルと白塗りの壁面の建築
OGUMAG+の外観

OGU MAG+のこれまで

――まずはじめに、この場所の名前の由来について教えてください。

齊藤:近所に尾久ヘアーとか、尾久歯科とか、尾久銀座商店街とか、「尾久(おぐ)」という地名がつく場所が多いんです。なので尾久をつけた方がいいかなと思って。それでアーティストの友達といろいろ話していて、言葉遊びをしているうちに決まりました。いろいろ辞書で調べたりしながら、綴りがMUGだったらマグカップのマグなんですけど、MAGだったらマガジンのようにアーカイブ的に展示が繋がっていくイメージがあったり、引き付けるマグネティックという意味とか、人間の体に必要なマグネシウムであったり、あとマグニチュードとか何かが集まって噴火する感じもいいかなと思って、それでつけたんですよね。「おぐまぐ」って言葉の響きも面白いですし。

壁に架けられた本棚の前に座り正面を向いている人と、それに向き合って座り背中が見えている二人
OGU MAG+を運営する齊藤英子さん

――声に出したくなる、素敵な名前ですよね。もともとギャラリーをやりたい気持ちがあったのですか?

齊藤:いや、流れですね。当時、わたしは映画関係の仕事をしていて、製作から配給、宣伝まで一通りやってみたのですが、本当に博打と一緒なんですよね、映画って。ヒットすれば会社が潤うけどヒットしない場合も多々あって。そんななか、お金儲けとか関係なく、何かやりたいなと思っていたところに映画祭のお仕事の話が舞い込んできました。

映画祭ってとてもいい機能だなと思っていて。商業的に当たるか当たらないかで公開判断するのではなく、問題作であっても、見た人を考えさせるようないい映画であれば上映するスタンスじゃないですか。そこに惹かれて映画祭のお仕事をはじめました。それと同じくらいの時期に「OGU MAGをやりましょう」っていう話をしていて、そういう流れですね。

――なるほど。それではOGU MAGがはじまった経緯について詳しく聞かせてください。

齊藤:この建物は父の生家で、親の持ち物でした。1階は店舗、2階はアパートとして貸し出していましたが、2009年ごろ、1階に入っていた店舗を店主のご都合で急に閉めなきゃいけなくなったんです。その店が抜けた後の状態がボロボロだったので、親とは「誰にも貸せないね」と話していて。ちょうどわたしも勤めていた会社が倒産し、身体があいた時期でもありました。

当時、母は陶芸にハマっていて、それに機織りをやっている叔母もいたので、正月に親族で飲んでいたときに、勢いで「ギャラリーやりましょう!」みたいな感じになって。当初は母の陶芸や友達がつくったものを置くイメージだったのですが、だんだん絵描きや写真家の友達が「壁は絶対真っ白じゃないと駄目だ」「パテ埋めできる壁にしないと」なんて口を出してきて、気がついたら本格的にやることになってしまいました(笑)。

 ――そうなんですね、そこからはじまり2021年のリノベーションの際には、カフェのほかに違う施設をつくるプランもあったのですか。

齊藤:いろいろありました。リノベーションの前、この建物は築50年ぐらい経っていていました。耐震も心配だし、ギャラリースペースは整備したものの、となりの空間はアトリエ貸しをした時期もあって、壁も床も抜かれて、誰にも貸せない状態でした。2階はお風呂がないアパートだったので、3部屋あるうち入居者がいたのは1部屋だけで、あとの2部屋はずっと空き部屋で倉庫代わりにしちゃってたんです。だからこの建物のなかで3分の2ぐらいが使われないデッドスペースになっていて、もう建物として死んでいくなっていう感じだったんです。

OGUMAG+の外観。一階の壁面は赤いタイルで、ガラス張りの大きな入り口が2か所ある。また、2つの入口のあいだには黒板の壁面があり、その前に植物の鉢やベンチが置いてある

齊藤:当時、母は建て直しを考えていたのですが、わたしはこの門構えに愛着があって、絶対にリノベーションしたいと思ったんです。そこで近所の建築家さんたちにリノベーションの相談をしました。でもわたしは誰にやってもらいたいって選べなくて、相談していた3組5人にチームで取り組んでもらうことにしたんです。建築家さんたちが顔合わせをする日をワークショップとしてひらいて、OGU MAGのこれからに興味がある近所の人を募集しました。

まず1階と2階の現状を見てもらうツアーをして、OGU MAGがどういう場所になるといいかアイデアを募りました。20人ぐらい、とてもいろんな人が来てくれて、全部ギャラリーになってほしいっていう人もいたし、銭湯になってほしいという話もありましたね(笑)。

現実的に難しいアイデアも多いなかで、カフェというアイデアに目が留まりました。わたしはカフェでアルバイトやお手伝いをしてたことがちょっとあったし、夫が焼き菓子のお店をしているので、その焼き菓子を置けばいいんじゃないと思って。

雑誌が開かれて置いてある。OGUMAG改装中の写真が並んでいるページ
当時のワークショップの様子が掲載された『新建築』の記事

――そうした経緯があってカフェスペースができたんですね。2階のシェアハウスはどのように活用しているのですか?

齊藤:3部屋あって、それぞれが1年契約、更新は自由でさまざまな人が住んでいます。特に入居条件はないのですが、1年住むと1階のギャラリーで展示ができるという特典をつけているので、アートに関する活動をしている人が多いですね。ほかには地域活動に興味がある人や、共同生活について考えたい人とか、このまちで楽しく住めそうな人に住んでもらっています。

海外の方もいらっしゃいました。3ヶ月だけっていうドイツ人のアーティストもいたし、建築家さんのところにフランスからインターンで来た方を住まわせたこともありました。

――いまはOGU MAG+という名前も使われていますよね。それはリノベーションされた部分をそう呼んでいるのですか?

齊藤:改装時に、ギャラリーの呼び名はOGU MAGで変えず、カフェやシェアハウスをOGU MAGにプラス、さまざまなものを足すかたちになるので、OGU MAG+カフェ、OGU MAG+レジデンスにしようと思いました。また設計図を見ていたら、ギャラリーとカフェに新しく壁を加えたことによって、偶然、1階の空間の真ん中にプラス(+)のかたちがあるように見えるし、2階のシェアハウスも共有スペースがプラス(+)のかたちになっていることに気づいて。フロアの四隅にそれぞれの個室があるレイアウトだったので。なので、この建物全体をOGU MAGプラスと呼ぶようになりました。またリノベーションにかかわる建築家さんをはじめ、カフェやシェアハウスをオープンする際に手伝ってくれた人もたくさんいたので、リノベーションのプロジェクト自体もOGU MAGプラス プロジェクトと呼びました。建物はカフェやレジデンスを足してOGU MAG+になったけど、ギャラリーだけを指すときはOGU MAGのままなので、ちょっとややこしいですが。

雑誌が開かれ、図面の載っている部分を指さしている
建物の図面。壁や空間の仕切りによってプラスのかたちになっている

OGU MAG+と地域

――OGU MAGをはじめるにあたって、地域や近隣の人にどうひらいていくかみたいなことを考えていらっしゃったんですか?

齊藤:全然考えてなかったです。だけどOGU MAGをはじめてすぐ、本当にすぐに、当時近所に住んでいたアーティストの西尾美也さんがギャラリーに入ってきて、話しているうちに一緒に「アラカワ・アフリカ」(2010年に活動開始)っていうプロジェクトをはじめることになりました。それは現代アートで荒川区とアフリカ大陸を結ぶことを考えるプロジェクトでした。プロジェクトをはじめるにあたって、アフリカのことだけじゃなくて荒川のことも知らないとなと思って、まずは荒川区にいるアフリカに繋がりがある人を調べました。

そしたら「ムラマツ車輌」っていうタンザニアでリヤカー製造の技術指導をしていた会社だったり、「アフリカ屋」っていうアフリカの布をコレクションして販売している工房があったり、「東京ジェンベファクトリー」っていうジャンベの工房があったり、アフリカの映像を撮っている人が西尾久にいるよって言われて会いに行ったり、いろんな人が出てくるんですよ。それからですね、地域のことを考えるようになったのは。

OGU MAGをひらいてみて、いろんな人が近くに住んでいることがわかりました。たとえば、ここの本棚にも置いてある写真集『わがまち下町荒川』を出している写真家の小泉定弘さん。

本棚に、正面を向いた冊子が置いてある。表紙に「わがまち下道荒川 小泉定弘」と書いてある

齊藤:かれは長らく日本大学で教えられていて、写真家たちをたくさん育てた偉大な先生なのですが、近所の地主さんでもあります。なので、このあたりの歴史や風景の移り変わりをよく知っていて。小泉先生の写真展をやると、本当にいろんな写真家さんたちが来ますね。

あとは、リノベーションしてくれた建築家さんたちがOGU MAG+をショウルームのように活用してくれたり、近所にミニシアター「CINEMA Chupki TABATA(シネマ・チュプキ・タバタ)」(2016年オープン)ができてからは、そことの連携企画もやっています。

――なるほど。それでは、はじめからレンタルギャラリーではなく、コマーシャルギャラリーをメインで運営されていたのでしょうか?

齊藤:両方で考えていました。自分一人では企画展示はできないので、誰かと企画をしてみることと、あとレンタルでギャラリーを使ってもらうことをやっていました。でも、わたしはコレクターの人と繋がりがあるわけではなかったし、コマーシャルギャラリーのように作品が売れるお約束はできないし、レンタルギャラリーをやる意味もあるのかなと考えてしまうこともありました。

だけど一人の作家さんから、「作家にとっては自分がいいなと思う場所で自由に展示できることが重要。だからOGU MAGはレンタルギャラリーであってもいい」とおっしゃっていただいたんです。レンタルでギャラリーをすることになんとなく申し訳なさを感じていたのですが、そう思う必要がないということに気づかされて、レンタルギャラリーも続けています。比較的ほかのギャラリーより価格が安いので、学生さんが借りてくれることも多いんですよね。例えば芸大生がここで展示をすると、そのお友達が来て自分もやりたいとか、先輩がやっているのをみて自分もいつかOGU MAG+で展示したいと言ってくれる方もいます。

――展示した作家から次の展示へと繋がっていくのですね。希望すればだれでも展示ができるのですか?

齊藤:一応審査というか、ポートフォリオを持ってきてもらって、過去の作品をみながら、わたしと1時間ぐらい話す時間をつくります。作品の遍歴や、どういう考えで制作をしているのか、ここでどういう展示をしたいのかなどを話してもらっています。わたしは作品を見るのが好きだし、そのほうが作家さんのことをより理解できますから。

あとは、別にうまくても下手でもいいんですけど、展示をする意志をきちんと伝えてほしいですね。だって、本当に命を削るような気合いや気持ちで展示する人がいるんです。そういう作家さんと同じ場所で展示をするんだから、わたしにその意志を伝えられないと、誰にも伝わらないなとも思います。

本棚の前で、パソコンをひらいて座っっている人(OGUMAG+主宰者の齋藤さん)

――いわゆるレンタルギャラリーは、原状復帰をすれば何をしてもいいよという運営方法をとることも多いと思うのですが、あえてコミュニケーションを大切にしているんですね。

齊藤:そうですね。人によって展示の目的は違っていて、売れたい人もいるし、ただ展示がしたい人、これまでつくり溜めてきたものを光が当たる場所に出したいという人もいるし、ほかのギャラリーの人の目に留まりたいとか、美術館に収蔵されたいとかいろいろだと思うんです。だから、それぞれの目的に合わせて、こういうやり方があるよと提示するようにしています。ギャラリーの人の名簿をつくってちゃんとDM出すんだよとか、一筆でも書いた方がいいですよとか。

自分でギャラリーをレンタルして展示をするということは、社会に出るみたいな感覚じゃないですか。展示の目的や思いが来た人に伝わるように、ちゃんとその人と向き合って一つひとつの展示をやりたい気持ちがありますね。

白い壁面の部屋で、机の上に革の小物やバッグがおいてあったり、天井から吊り下げられたりしている。部屋の奥は階段3段ほど高い空間になっている
ギャラリースペースでの展示の様子、木下純子 Bag 展「秋に向かう」

――現在はOGU MAG+のほかにも、大小さまざまな文化的な拠点が尾久に集まっていますね。OGU MAGがオープンする前も、そのような雰囲気がまちにあったのでしょうか?

齊藤:いえ、2010年にオープンしたころは、いまほど拠点はなかったように思います。でも、尾久はもともと大工の町で職人さんが多く住むところだったから、ものづくりや文化的なものを認めてくれる、きちんとリスペクトする風潮はありました。例えばOGU MAG+で落語をやったことがあるんですけど、入場料だけじゃなくて、ちゃんとおひねりも渡すとか、すごく気前がいいと言うか。芸にはきちんとお金を払う、それは当たり前でしょという雰囲気がありましたね。

 それは尾久が花街だったこととも関係すると思います。荒川沿いも堤防が立てられる前には川床のある割烹があったりして、すごく素敵だったんですって。そんな風景があったんだということを、写真家の小泉先生から聞いたりします。

 ――時代のなかで景色が変化してきたんですね。

齊藤:変わってきたけど、土壌はあったってことですよね。ギャラリーをひらくときに、区役所で話しても「ギャラリー? そんなものはないよ」みたいな感じだったけど、いまは区自体がギャラリーを持っています。

蓋を開けてみれば、芸大出身の方たちが工場跡をアトリエに変えて住んでいたり、共同アトリエを持っている人も多かったりします。そういったまちの背景があるから、文化にかかわる場所がポツポツ増えてきたのかもしれません。

――地域においてOGU MAG+はどういう場所でありたいと思っていますか?

齊藤:気軽にアートに接することができる場所になるといいなと思います。地域に住んでいる方のなかには、アートに興味があってもなかなか荒川区から出られない人、たとえばママになったりパパになったりして時間がもてない方も多いと思います。そういう人が気軽にアートに触れられる場所でありたいですね。

それと同時にカフェをやっていて最近思うのは、「周りに友達がいないから」って、店主のわたしに果物をおすそ分けしに来る方がいたり、孤立している人が思いのほか多いことです。でもそうですよね、わたしも会社勤めをしていたころは地域とのかかわりがなかったので、地方から出てきて一人で住んでいたら、それはなおさら孤独だろうなと思って。そういう人のよりどころになれるといいなとも思います。

最近はじまった「チクマグ」はまさにそういう場所になりつつありますね。

――その「チクマグ」とはどういった活動なんでしょうか?

齊藤:「チクマグ~針と糸、あるいはおしゃべり~」というタイトルで、わたしの友達が主催しているワークショップです。ギャラリーがひらいていない火曜日に、この場所で開催しています。針と糸があれば誰でも参加できて、穴が空いているものを繕ったり、模様をつけて刺繍したり、いろいろですね。穴の空いたものを繕うことすら、忙しい日々を送っているとなかなかできないことで。わたしも最初は、何年もそのままにしていた裂けたズボンを繕うことからはじめました。

ワークショップのはじめは主催者の友人に縫い方を教えてもらったり、あーだこーだやるのですが、そのあとはひたすら縫うんです。ただ手を動かすだけ。その間は、参加者と色々なことを話します。最終的には介護のこととか、自分が病気になったときどう思っていたんだとか、とても本質的なことが出てきたりします。

OGU MAG+と齊藤さん

――あらためて、OGU MAGをはじめるまでのお仕事について教えてください。

齊藤:昔から映画が好きで、それで大学生のとき小さい配給会社でバイトをはじめました。英語ができたので海外から買い付けのやり取りをしたりしていて。小さい会社だったので自転車操業で段々買い付けが難しくなって、そこでゼロから映画をつくってみたいなと思って、日本の映画の製作現場にはいりました。その後イギリスの大学院の長編映画学科に行って、脚本を書いて、長編映画をつくる経験をしました。その後はしばらく短編映画を撮る学校にも行っていたのですが、ある先生から「君のアイデンティティはどこにあるんだ」と言われて、「日本です」って答えて、そのまま日本に帰ってきました。それからは日本の映画製作の現場に入って、男性社会のなかで揉まれながら働いていましたね。 

本棚の前に座る人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)

――OGU MAGをはじめるなんて思ってもいなかったんですね。

齊藤:そうですね。でもイギリスの大学院に行っていたときに、芸術大学でもあったので周りにファインアートをやっている人や、キュレーションを学んでいる人もいっぱいいて。そういう友達とギャラリーに行ったり、美術館に行ったりしていたんです。ロンドンの中心、繁華街じゃなくても、本当にまちの端っこにギャラリーがあったりするんですよ。そういう風景を見てきたので、自分が住んでいる尾久でもはじめようと思えたのかな。

――OGU MAGがまちなかにあるイメージはできたんですね。

齊藤:そうです。ロンドンでは何があってもおかしくない、別にどこにギャラリーがあってもいいじゃないみたいな感じで。どこにあっても来る人は来るなと思っていたし、面白いことをやっていればそこに人が集まり何かが生まれることはなんとなくわかっていたので。ギャラリーをはじめたら立ち行かなくなるとは思わなかったですね。

――ギャラリーをひらくモチベーションにしても、ただ誰かの作品を紹介したいというより、何かをやってみたい人の背中を押したい、という気持ちが大きいように感じました。

齊藤:それはきっと映画づくりにすごく似ているんだと思います。日本に戻ってから長編映画をつくったんですけど、やっぱり一人じゃできなくて。映画づくりにはまず監督が必要で、脚本をつくらなきゃいけないので脚本家さんとやり取りして、その脚本にキャストがついてきて、それができてからお金集めがはじまるんですよね。この俳優だったら、この監督だったらお金を出してくれるという想定があって、お金の目途が立ちはじめると、その予算からスタッフの規模や、撮影にかけられる日数がわかってきます。それがわかってきて、だんだんその映画の本質というか、削れない部分が見えてくる。

本棚の前に座り、パソコンを開いている人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)

齊藤:それと同時に商売的な部分もうっすら見えてくるんです。ここまで儲からないだろうとか、公開規模はそこまで大きくできないんじゃないか、とか。そういうことを予想しながら映画づくりをしていくことが身に付いていて、だからOGU MAGの改修プロジェクトもしかり、展示もそうですが、この人と組んでやったら、こういうことが生まれてきて、それにはこういうものが付随するだろうなっていうのが自分のなかで少し予想を立てられるんですよね。

大失敗はしないように、勘というか、映画づくりで身に着けてきたことを働かせながら運営しています。作家さんが発表する作品に対して、お客さんがどういう反応をするかなというのも、映画が出来たときの反応を見るのにすごく近いと思います。

――映画のお仕事とOGU MAG+の2つを続けるバランスはどのように考えているのでしょうか?

齊藤:映画の仕事は減ってきたけど、映画がなくなるとやっぱり寂しいなっていう感じもあるので、これからもやっていきたいなとは思います。片方がつらくなったら少し比重を変えたりしながら。映画の仕事にも、OGU MAG+にも、どっちにも言い訳ができるんですよ、わたし。それを許容してくれる人が周りにたくさんいて、いま一緒に映画の仕事をやっている人も、「今日はOGU MAG+を開けている日だから忙しいよね」とか、わかってくれているので助かります。

――齊藤さんご自身、ほかのお仕事をされているときとOGU MAG+に立っているときで、人格的に違うなという感覚はありますか?

齊藤:違いますよね、やっぱり。演じていますよ。あそこ(カフェカウンター)は舞台ですから(笑)。

カフェスペースができたことで、たくさんのお客さんが来るようになったと感じますね。焼き菓子だけ買いに来る人も、お菓子を包装している間に、「ギャラリーの展示もよかったら見ていってください」と言うと、見ていってくださるし。カフェとギャラリースペースは空間的に筒抜けなので、カフェにいる人もギャラリーが盛り上がっていれば気になって見に行くし。反対にギャラリーに来た人も、カフェ側から声が聞こえたり、コーヒーの匂いがすると、やはりこちらに顔を出します。だから何か目的が違っても、いろいろ交差するので、このギャラリーは人が来るって作家さんも思うのか、カフェができてからはコンスタントに展示が続いています。

白いタイルの壁の前に、木製のカウンターテーブルがあるカフェスペース。花瓶に入った枝や、ポッド、メニュー看板などがのっている

齊藤:あとは、狭いギャラリーに入ると気まずいときがありませんか。むしろ店主とか作家さんがいないときの方が入りやすかったりする。だからわたしも、ギャラリースペースだけのときは、会場にべたづきで居るのはよしてたんですよ。でもカフェができてからは、ずっとそこに居れるし、自分が居られないときはアルバイトさんに立ってもらっていれば対応してもらえたり。お互い気をつかいすぎずに居られるのはいいですね。

――いいですね、あの空間のなかで必要な役割を演じているんですね。

齊藤:あんまりマインドは変えてないんですけどね。でもカフェカウンターに立つと、悩みを持った人もたくさんいるし、「こういうことがあるんだけどさ」と身の上話を聞いたり、「内装工事の人知らない?」と相談をされて「それはね!この人が……」と答えたり。まちのコンサルタントみたいな感覚もありますね。

本棚の前に座ってパソコンを開いて、微笑んでいる人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)

OGU MAG+の今後

――10年以上場所を続けていて、疲れてしまったり、継続が難しく感じたりすることはないですか?

齊藤:ギャラリースペースの運営だけだったころは映画の仕事が忙しかったので、OGU MAGのことだけで疲れることはそんなになかったんです。でもカフェをはじめてからは、展示中は必ずカフェを開けていようかなと思うじゃないですか。なので、なるべく自分が疲れすぎないように、あんまり神経をすり減らしすぎないように調整しています。

それでもすり減ることはあるので、お正月や夏休みはまとめて休んだり、きちんとお休みをとるようにしています。それに、いまはいろんな面白い人たちにカフェを手伝ってもらっていますし、カフェで売っている焼き菓子は夫に頼ってますし、夫のお母さんにも頼っています。カフェで相談を受けたら、ほかのお客さんに振ってみたり。ほかにも面白いイベントを企画したり、面白い場所をもっている人たちが近所に住んでいるので、お互いに手伝ったり、手伝ってもらいながらやっています。周りの人にめちゃくちゃ頼りながら続けていますね。

――頼っていると言いながら、ご自身の活動や指針があるからこそ信頼関係が築かれている。それが長く場所を運営していくコツのようにも思いました。

齊藤:重要な場面では絶対に自分がここに居なきゃと思っているし、あとわたしは、意外と義理堅いとか、諦めないっていうこともあるかも。「しぶといね」とか「まだやってんの!?」とか、映画製作をやっていたころから言われることがありました。みんなから「この映画を撮るのは無理なんじゃないか」と言われていても、わたしはまだ裏で手をまわしているとか、そういうところはあるかな。

ここで展示をしてくれたアーティストが、ほかの場所で展示をするならなるべく見に行こうと思うし、これから展示をしますっていう人の展示は、事前に行って勉強しておこうと思います。それは楽しいし、全然無理をしているわけではありません。

カウンターテーブルの前の棚に、さまざまな種類の洋菓子が2段になって並んでいる
カフェで販売している焼き菓子たち

――きっと、そういうしぶとさがあるからこそ、カフェをはじめるに至ったのかもしれませんね。いま、場所をひらき続けて思っていることや、今後、OGU MAG+を続けていくために考えていることを伺ってもいいでしょうか?

齊藤:カフェ2号店を出したらとか、新しい場所を持たないのとか聞かれたりするんですけど、全然そういう気持ちはないんです。それはOGU MAG+でつくらなくても、すでにまちにあるから。まち全体が複合施設であればいいと思いますし、仲間がすでにつくっているから、そこにまた同じようなものをつくる必要はないと思います。

いまは毎日が楽しいですよ。自分が住んでいるまちで、OGU MAGをひらいて15年ぐらいですけど、作家さんとの繋がりや地域との繋がりを思い返すと、まさかこんな繋がりが生まれるなんて想像もしませんでした。だから、ありがたいなと思っています。ただ、ずっと続けていくとすり減ってもくるから、もっと若い人にも任せられるようにしたいなとも思っています。

――なるほど。この場所の運営を誰かに委ねるということも想定されているんですね。

齊藤:はい、それはありだと思います。たとえばカフェだけを担当してもらうとか、ギャラリーのキュレーションだけを担当してもらうとか。はじめからギャラリーとカフェの2つを運営するのは難しいと思いますけど、それはそれで違うチームをつくってやればいいと思う。場所を持つと考え方は変わってくるし、やっぱりそこに縛られるということもあるから、抜け出したくなるときもあります。それで場所をやめる人も多いと思うのですが、頼れる人がいたり言い訳を使えるわたしは、それに比べると自由なんだな、きっと。

――最後に、OGU MAG+の今後の展望について聞かせてください。

齊藤:続けていくこと、あとはわたしが楽しく生きる、です。でも本当に人の身体って何が起こるかわかんないしね。「チクマグ」での話ではないけど、いつ介護がはじまるかわからないし、わたし自身が健康じゃなくなるかもしれない。心も体も健康じゃないと、場所を続けていられないと思う。だから助けてって言えて、人に頼ることも続けていくコツなんだと思います。

お菓子の並んだカウンターテーブルの中で、ポッドを持って微笑む人(OGUMAG+主宰者の齊藤さん)。カフェスペースの横からは、展示スペースが見えている

――

展示作家と積極的にコミュニケーションをとる、カフェを通してまちの人や孤立している人の窓口になるなど、他者とかかわる回路をさまざまに用意しているOGU MAG+。多くの人とかかわりながらも、一人で決めていく部分と、人に頼る/手渡していくバランスを上手にコントロールしているように感じました。
「まち全体が複合施設であればいい」という言葉のとおり、ほかの人や、さまざまな拠点の力を借りながら、お互い助け合える関係を築くことが継続のコツなのかもしれません。

――

OGU MAG+
住所:東京都荒川区東尾久4-24-7
アクセス:JR山手線・京浜東北線 田端駅・北口改札より徒歩8分、日暮里・舎人ライナー 赤土小学校前駅・西口改札より徒歩3分
公式ウェブサイト:https://www.ogumag.com

話し手:齊藤英子
聞き手:櫻井駿介、小山冴子、屋宜初音
執筆:屋宜初音
編集:櫻井駿介、小山冴子
写真:齋藤彰英

>YouTubeでは短編ラジオ(YouTube字幕あり)を公開しています

SHARE

プロジェクトについて

関連レポート