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様々な人が集まり、話し、議論する「テーブル」をつくる。名古屋の港まちをフィールドにした「MAT, Nagoya」と「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。 ―TARL集中講座(2)レポート(前編)

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2017.06.19

執筆者 : 小山冴子

陸地に沿って、手前には緑豊かな公園があり、奥には建物が密集している港がある。港の中には船が一隻走っており、水しぶきを上げている

写真:今井正由己 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

これからアートプロジェクトに関わりたい方、現場で活躍しながら次のステップに進みたい方に向けた実践的な講座を提供し、アートプロジェクトを動かす力を「身体化」するスクールプログラム「思考と技術と対話の学校」。その集中講座第2回目が、2017年2月11日、アーツカウンシル東京ROOM302にて開催されました。

「アートプロジェクトが向かう、これからの在り方」と題された今回の講座では、アートがもたらす気付きや可能性の意義を問い続け、実験的な活動に取り組むゲストを迎え、現在彼らが向き合う課題や挑戦を共有しながら、アートプロジェクトのこれからの在り方を探っていきます。今回のゲストは、名古屋の港まちをフィールドにしたアートプログラムMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]プログラムディレクターの吉田有里さんと、同じくプログラムディレクターでありアーティストの青田真也さん、そして名古屋市文化振興室職員として「アッセンブリッジ・ナゴヤ」を担当する吉田祐治さんです。

3人の人物が机を前にして座り、話している。右端の人がマイクを持って話している
TARL集中講座「アートプロジェクトが向かう、これからの在り方」第2回。写真左から名古屋市文化振興室職員の吉田祐治さん、アーティスト/MAT, Nagoya プログラムディレクターの青田真也さん、アートコーディネーター/MAT, Nagoya プログラムディレクターの吉田有里さん

音楽とアートのフェスティバル「アッセンブリッジ・ナゴヤ」

2016年夏、愛知県にて3年に一度の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2016」が開催されました。その会期の後半に合わせるようにして、港まちでは「アッセンブリッジ・ナゴヤ2016」が開催されました。2つのフェスティバルを併せて訪れた方も多かったのではないでしょうか。

アッセンブリッジ・ナゴヤ2016は、名古屋市街地から電車で15分ほどの「港まち」を舞台に、「音楽部門」と「アート部門」の2つを軸に展開されたフェスティバルです。音楽部門では、世界的に活躍する国内外のクラシック音楽家たちを招き、屋外特設ステージでのオーケストラによるコンサートや、水族館や公園、まちなかの小さなお店での演奏会など、様々な場所で上質な音楽に包まれる4日間のクラシックコンサートを開催しました。

カウンター式の飲食店で、客席側の真ん中あたりにチェロ奏者が座って演奏している。その周りに複数の観客が座って演奏を聴いている
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 佐藤光 「世界最小チェロ・ライブ」 
提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

アート部門では、現代美術展『パノラマ庭園-動的生態系にしるす-』を開催し、港まちエリアのリサーチを元に、まちの特性・背景を読み込みながら新たに制作された作品を中心にした展示を行いました。観客は、まるでまちの隙間に入りこむように展示された作品を見てまわりながら、作品だけではなく、まちやその歴史にも深く出会っていくような体験をすることができました。のんびり歩いてまわるにはちょうどよい規模感で、それぞれの展示はMinatomachi POTLUCK BUILDING を基点に約1km圏内にて展開されていました。

フローリングの広い部屋のなか、壁にイラストなどの作品が飾られている。机もいくつか置かれ、その上に本や小さな作品などが展示されている
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 コラクル・渡辺英司 展示風景
写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

このアート部門を手がけたのが、キュレーターの服部浩之さんと、Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]のプログラムディレクターである吉田さん、青田さん、野田智子さんの4人です。

今回は、「アッセンブリッジ・ナゴヤ2016」の取り組みを中心にしながら、MAT, Nagoyaの成り立ちと挑戦、プログラムの運営についてお話を伺いました。まちおこし、まちづくりの一環として行われるアートプロジェクトが乱立するなか、MAT, Nagoyaはまちとどのように関わり、取り組んでいるのでしょうか。

軒先を青いテントで囲った店の正面の様子。店の左手前には赤いポストが、テントの少し右奥には螺旋階段がある。店舗入り口は自動ドアになっている
Minatomachi POTLUCK BUILDING
写真:岡村靖子 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

主体的なまちづくり/港まちの変遷

MAT, Nagoyaが拠点としている「港まち」というのは、名古屋港周辺地区の西築地学区を中心としたエリアのことです。1907年に名古屋港が開港する際、埋立地として整備されたこの地区は、物流の拠点として、モノづくり産業都市・名古屋の発展と活力を支えてきました。特に昭和40年までの名古屋港には、大型の貨物船が頻繁に来港し、運搬業者の小舟や貨物列車、トラック等が活発に行き交ったため、港まちには様々な国の船員や荷役労働者が集まり、大変賑わっていたのだといいます。しかしその後、船舶の大型化や港湾機能の高度化が進み、大型船にも対応するために離れたエリアにコンテナ岸壁が作られたことで、港まちの物流は著しく減少、まちの活力は失われていきました。港まちはその頃から、だんだんと「まちづくり」を意識することになります。

両側にビルが建つ路地の入口に、三角形の形をしたゲートが立っている。ゲートの前は自転車や徒歩で複数の人物が行きかっている。路地のなかは車も走っている
築地口エリア風景

1980年頃から、港まちはウォーターフロント開発や公共施設整備などがおこなわれ、それをきっかけに、地域住民を代表とするまちづくり組織ができ、ワークショップなどの取り組みをいち早く取り入れた、住民主体のまちづくりの活動が盛んになっていきました。1991年には、西築地学区を対象に「築地ポートタウン計画」が策定され、水族館が整備されたり、展望室ができたりと都市開発がなされ、現在はカップルや親子連れも訪れる、開かれたエリアとなっています。一方で、水族館に来る若者がお茶をするようなカフェなどはまだまだ少なく、長らく船員を相手に営業していた居酒屋や、古い喫茶店、古い建物も多く、港まちは今も、昭和の香りを多く残しているのだそうです。

10年前にボートピアという、競艇のチケットを購入するための施設がこのエリアにできました。この施設ができることで、地域の治安が悪くなるのではないかと心配した住民から反対の声が多数挙がり、様々な議論がなされました。その解決策としてできたのが、ボートピアの売り上げの1パーセントを地域に還元するという仕組みです。MAT, Nagoyaを運営する「港まちづくり協議会」は、それらの仕組みを、「港まち活性化補助金」として活用し、このエリアのまちづくりを行う団体として、2006年に発足しました。月に一度、協議会が行われ、行政職員6人と地域の方6人で構成された委員とともに、協議しながら様々な取り組みを決定し、運用を行なっているのだそうです。

歩道沿いの緑地をのぞき込んだり、植物を採取したりしている人々の様子。緑地は腰くらいの高さで、2人の人が両手に植物を持ちながら楽し気に採取している
「みなとまちガーデンプロジェクト」
提供:港まちづくり協議会

先述のように、港まちは昔から意識的にまちづくりを行ってきたエリアでした。また、その気運を引き継ぎ、港まちづくり協議会は様々な活動を行なってきました。港まちの魅力づくり・にぎわいづくりのための事業として夏のイベントを開催したり、冬のイルミネーション企画を行ったり、地域の情報を掲載した新聞もつくってきました。また、暮らしやすい地域にするために、子供達や企業とともに防災訓練のプロジェクトを実施したり、まちの誰もが使えるハーブガーデンをつくるガーデンプロジェクトを行ったり。そのプログラムはとても多彩で、かつ広がりのあるものです。このように、「暮らす、集う、創る」をテーマに、クリエイティブな視点を通した様々な事業を展開していた港まちづくり協議会が、本格的にアートの分野での取り組みに乗り出したのが、2014年。そうして2015年の秋に拠点を作り、本格的に動き出したのが、アートプログラムであるMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]でした。

テーブル/様々な人が集まり、話し、議論する場所

2013年、港まちづくり協議会は今後5年間分のまちづくりのビジョンを描く、「み(ん)なとまち VISION BOOK」をつくりました。その中には空き家物件の活用や、アートイベントの実施が謳われており、その実現のために専門性のある人が必要だと声をかけられたのが、当時名古屋でアートコーディネーターとして活動していた吉田有里さんでした。

吉田さんは横浜のアートセンターBankART1929で働いたあと、2010年と2013年の2回にわたって、あいちトリエンナーレでコーディネーターとして働いていました。特に長者町卸問屋街という、繊維業の卸問屋が集まったエリアでのプロジェクトを担当していたそうです。そして、吉田さんが港まちでプログラムを立ち上げる際に相談したのが、アーティストの青田真也さんと、アートマネジメントをしている野田智子さん、コーディネーターの児玉美香さんでした。皆、これまでにそれぞれの専門をもってアートに関わってきた人たちです。また、青田さんはアーティストとして、あいちトリエンナーレ2010本展と、2009年に開催されたプレイベントに出展していました。長者町エリアでの出展を機にスタジオを構えたり、あいちトリエンナーレ2013の期間中にはプロジェクトを行うユニットやスペースを立ち上げたりもしました。「あいちトリエンナーレが、きっかけになっている」と、青田さんと吉田さんは話します。「トリエンナーレでやってきた事や感じてきたことの、その先、みたいなことが続いてます。MAT, Nagoyaは地道に、長期的な展開ができたらと考えています」と青田さん。MAT, Nagoyaでは、それぞれの職能を持ち寄りながら、話しあいの中でプログラムの方向性を決めているのだといいます。

正方形の机を囲んで、6人ほどの人物が話し合っている。その奥には大きな木でできたチラシラックがあり、ラックの前や後ろには、立ったり椅子に座ったりして、真ん中の6人を見ているたくさんの人々がいる
トークシリーズ「絵画の夕べ」
提供:Minatomachi Art Table, Nagoya

2015年秋に、まちづくりの新たな拠点として、「Minatomachi POTLUCK BUILDING」がオープンしました。10年空き家だった文房具屋さんの5階建てのビルを、リノベーションを行って整備した拠点です。1階はラウンジスペースとしてサロン的に、2階はプロジェクトスペースとして、まちとアートを掛け合わせるような場所として使い、3階のエキシビジョンスペースでは、MAT, Nagoyaの企画として、現代アートを中心とした企画展を行うことになりました。建物の階層ごとに役割が振られ、様々な人が往来し、まざりあうような場所として意図されていて、自由な活動ができるアートとまちづくりの活動拠点です。

机を挟んで座っている、カメラに笑顔を向ける5人がいる。5人の後ろの壁は黒板のようになっており、町の地図等が描かれている
L PACK. 《たとえば、いつもより早く起きて港街でモーニングを食べてみるとする。》
提供:Minatomachi Art Table, Nagoya

「持ち寄りのパーティなんかをポットラックパーティと言ったりもするんですけど、ポットラックというのは“ありあわせの”“寄せ集めの”という意味もあって、まちの問題とか課題とかアイデアとか、良いものもそうでないものも持ち寄って皆で考える場所になればと思ってつくりました。その中に、アートがテーブルとしてある、というイメージです」と吉田さんは語ります。テーブルには「机」という意味だけではなく、議論の場、思考する場という意味があり、「港まちのアートプログラムが、まちの中のテーブルのような存在になれば」という思いで、この名前を付けたのだそうです。まちの人、アートの人、外の人。港まちのことを考える様々な立場の人が集まり、語り、議論するテーブルです。

後編「「まちづくり」と「アート」、2つの言語の違いを意識しながら」はこちら

*関連リンク

Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]
アッセンブリッジ・ナゴヤ
Tokyo Art Research Lab

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