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「まちづくり」と「アート」、2つの言語の違いを意識しながら。名古屋の港まちをフィールドにした「MAT, Nagoya」と「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。 ―TARL集中講座(2)レポート(後編)

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2017.06.19

執筆者 : 小山冴子

海に浮かぶ、船の側面の様子。青と白で塗られている

アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 城戸保 《6000台の車を載せた船》 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

「アートプロジェクトが向かう、これからの在り方」と題された今回の講座では、アートがもたらす気付きや可能性の意義を問い続け、実験的な活動に取り組むゲストを迎え、現在彼らが向き合う課題や挑戦を共有しながら、アートプロジェクトのこれからの在り方を探っていきます。

今回のゲストは、名古屋の港まちをフィールドにしたアートプログラムMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]プログラムディレクターの吉田有里さんと、同じくプログラムディレクターでありアーティストの青田真也さん、そして名古屋市文化振興室職員として「アッセンブリッジ・ナゴヤ」を担当する吉田祐治さんです。後半は「まちづくり」と「アート」の関係性について伺います。

前編「様々な人が集まり、話し、議論する「テーブル」をつくる」はこちら

まちづくりの中のプログラムとして/継続的な視点

MAT, Nagoyaはプロジェクトではなく、プログラムだと、吉田さんは言います。プロジェクトというのは、始まりと終わりがあります。しかしMAT, Nagoyaはそうではなく、あくまでも、まちづくりの中のプログラムの1つなのです。まちづくりには終わりがありません。それに合わせてアートも続けていきたいのだと吉田さんは言います。今回、吉田さんや青田さんの話を聞いていて感じたのは、MAT, Nagoyaがいつも継続的な視点をもって動いているという事でした。そしてそれは、あいちトリエンナーレでの経験もやはり大きく関わってきているようです。

机を前にして座り、トークをする3人の様子。3人の隣にはスクリーンがあり、資料が写されている
TARL集中講座「アートプロジェクトが向かう、これからの在り方」第2回。写真左から名古屋市文化振興室職員の吉田祐治さん、アーティスト/MAT, Nagoya プログラムディレクターの青田真也さん、アートコーディネーター/MAT, Nagoya プログラムディレクターの吉田有里さん

あいちトリエンナーレは、毎回芸術監督が変わります。それにともなって芸術祭の雰囲気も変わりますし、もちろんチーム編成も変わります。 芸術祭のたびに運営のためのチームが組まれ、走り、芸術祭が終わればまた解散するという仕組みになっています。吉田さんは2010年、2013年と2回連続して芸術祭に関わりましたが、コーディネーターとして外部から入った人で、吉田さんのように連続して2回の芸術祭に関わる人は、実はほとんどいません。大きなお祭りがあって、たくさん人が来て盛り上がり、大きな感動を呼んだとしても、そこには確実に終わりがあります。チームも残りません。

もちろん、芸術祭でつくりあげたもの、積み上げた経験、まちの賑わいや人との関係が全くゼロになるということではありませんし、トリエンナーレがあることで繋がる活動や、生まれてくる活動も本当にたくさんあります。しかし、3年に一度やってくるお祭りは、準備期間としてはものすごく大変な時間や労力をかけてはいても、鑑賞者やまちの人にとってはたったの3ヶ月。その間の2年9ヶ月の間は、まちや観客にとっては何もない期間になってしまいます。

「3年に一度の3ヶ月のお祭りも、みんなの経験にもなるし楽しいお祭りなんですけど、それが終わってしまったあとは普通のまちに戻ってしまうということに対して、やりたいことやできることがたくさんあるなと思っていました。フェスティバルって良い面も限界も、どっちもあるんですよね。求心力もあるし色んな人も集まるし特別な経験になります。でも、その間の期間に何も起こらないのは、もったいないなと思うんです」。

吉田さんは、常に何か活動が起っている場があるということが重要だと考え、2014年に港まちで働き始めた頃には、Mintomachi POTLUCK BUILDING(以下、ポットラックビル)のような施設をつくって地道に活動していこうと考えていたのだそうです。

そうやって2015年秋のポットラックビルのオープンに向けてプログラムが進んでいた2015年の春ごろ、名古屋市がひとつの文化事業を港まちづくり協議会に提案してきました。それがアッセンブリッジ・ナゴヤの始まりでした。

建物の前の路面に、20人ほどの人物が半円状になって並んでいる。それぞれ被り物をしたり楽器を持ったりしている。人々の真ん中にはしゃがんでいる人物がおり、頭の上に紙を掲げて何か合図をしている
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 「トラベルムジカ パフォーマンス」
提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

アッセンブリッジ・ナゴヤもまた、継続的に続けていくことを見越して、計画がなされています。展覧会については、名古屋・東海圏名古屋を中心に東海地方のカルチャー・トピックを紹介するWEBマガジン「LIVERARY」にレポートが上がっていますが、ここを読んでいただくと分かるように、たくさんの特徴的な建物を使っています。ポットラックビルはもちろんのこと、閉院した接骨院や、20年もの間空き家となっていたお寿司屋さんの建物、税関職員研修に使用される寄宿舎であった旧・税関寮など。一つ一つの建物や空間は、作品の展示を丁寧に検討した上で、改装されたり、整えられたりしています。

野草が生い茂った広場で草取りをする人々。手前の3人は笑いながら、手作業で草を抜いている。奥側には草刈り機を使って作業する人物が1人いる
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 「港まちガーデンプロジェクト」
提供:港まちづくり協議会

今回、名古屋市が主催として入ることで、まちの様々な施設をオフィシャルに使うことができたと、吉田有里さんは言います。
「私たちは、それまで以上にまちとより広い視点で繋がっていく方法を探していました。このフェスティバルをきっかけに、港まちの空き家や既存の施設との新たな関係性が生まれました。また、愛知には既にトリエンナーレもあるし、そこに関わった経験もあったので、最初は私たち自身がフェスティバル的な事をやることに対して懐疑的な気持ちもやっぱりあったのですが、アッセンブリッジという取り組みを活動の一つの軸にして、いわゆる花火のような単発的なものではなく、継続性のある、持続性のあるイベントにしていくことで、私たちの活動と地続きになっていくのではないか、打開できることもあるんじゃないかと思って、開催することにしました」。

床が青い部屋のなかに、円盤状のオブジェが吊るされている。オブジェはサイズがばらばらなものが3つあり、そのほかにも部屋の中にはイスや小さな棚などが置いてある
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 碓井ゆい 《shadow of a coin》
写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

建物の改修は、かなり手間がかかります。古い建物だと水道管がもう使えなかったり電気が通っていなかったり。そういった問題の一つ一つを、関わるアーキテクトやインストールするチーム、キュレーターと相談しながら、もちろん近所の電気屋さんや工務店、水道局の人の手も借りて、使える状態にしていきました。また、旧税関寮については、借りるだけの予算がなかったため、名古屋市職員の吉田祐治さんが様々な方法を探した末、文化行政のほうで市税の固定資産税を減免するという方法に辿り着き、大家さんにも運営側にも負担なく、3年間限定で無償でお借りできることになったそうです。この旧税関寮は今後3年間の活用を考えて建物の用途変更まで行っています。建物の用途変更をするというのは、なかなか大変な作業なのです。今回、名古屋市が主催に入っているということで、市のアドバイスや市にしかできない方法も活用しながら、かなりの手間と時間をかけて動いているようです。そして、こういった動きは、今後も継続的に続けていくことを視野にいれているからこそ、できることなのだろうと思います。

路地に3人の人物が並び、建物の窓の枠を壊すなどの作業を行っている。3人の周囲にはほこりをかぶった椅子や、段ボール箱、台車などが置いてある
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 展示会場 旧・潮寿司 改修風景
提供:港まちづくり協議会

「アートプロジェクトでは、展覧会が終わってしまうと、会場を持ち主に返さなくてはならないので、室内改修したとしてもまた壊して、現状復帰して戻すというやり方をしていました。なので、壁を設えるといっても3ヶ月だけの仮設にせざるをえなかった。でもそれは、やっぱりもったいないなって思うところがあって。10年、20年保つかはわからないけど、中長期的な設えとして使えるような場所にしたいというのもあって、アッセンブリッジが終わったあとも継続して使えるように意識してつくり変えていきました」。

灰色の壁の建物の1階にある店舗に、あたたかい色合いの照明が灯っている。壁には大きめの窓や入口が、店舗内の様子が垣間見える。店先には木製の看板や、明かりのついた看板がある
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 L PACK. 《UCO》
写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

アッセンブリッジ・ナゴヤの、この作り方、手のかけ方は、3年先だけではなく、もっと長期的なものを視野にいれてビジョンを立てているようにも見えます。2020年のその先については、どう考えているのでしょうか。

吉田有里さんは、「継続させていく仕組みづくりを目標にしながらやっていけたらいいなと思っています。2020年までアッセンブリッジはあるので、その5年間を使って名古屋市と一緒に何ができるかというのを、良い面も悪い面も見ながら、お互いに認識しながらやっていけたらいいなと思います」と語ります。
まだ現実的には見えてないけれど、あくまでこの先の可能性を広げながら、今後の継続の方法を探りつつ、やっていこうとしているのです。

白い建物の壁に、カラフルな絵が描かれている。木目調の正方形の素地の上に、青や黄色、緑など様々な色でゆがんだ楕円のような模様が描かれており、その作品が2つ並んでいる。作品の手前には黒い柵と、歩道があり、柵が作品の下半分を隠している
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 鈴木悠哉《archegraph》
写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

継続性をもつという視点は、フェスティバル型で、短期集中型であるトリエンナーレを経験した上で、そうではない形をと選択したものでもあるように思いますが、運営面についても、MAT, Nagoyaには特徴があります。

それは、あいちトリエンナーレやその他の大規模な国際展や芸術祭のように、一人のディレクターの元にスタッフが集い、一つの目的達成(テーマ)のために動くという「ディレクション型」の構造ではなく、関わる人がそれぞれフラットな関係性で居て、対等に意見を出し合い、皆で話し合いながら動き方や方向性を決めていく「ファシリテーション型」の方法をとっている事です。そしてそのファシリテーション型の方法は、まちづくりのチームのやり方でもあるといいます。また、その話し合いの場にも、MAT, Nagoyaのメンバー以外に、キュレーターや他のアーティストにも入ってもらったり、デザイナーやインストールのチームにも入ってもらったりしつつ、様々な立場・職能の人と対話を重ねながら進めています。

特に、アーティストやデザイナーとの対話を重視する理由について、吉田有里さんは、「クリエイターやアーティストの、物事を可視化する能力を信じているから」だと言います。

天井や壁や柱が木で作られた薄暗い空間のなか、柱に映像作品が展示されている
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 ゴードン・マッタ=クラーク 《FOOD》
写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

「まちづくりというのはいろんな活動が生まれるしストーリーが生まれていくものではあるけれど、それがなかなか可視化されないものだったりもするので、そういう面では、それを見える形にしていくアーティストの力というのは、まちづくりと相性がいいと思ってます。トリエンナーレで働いていたときに実感したのですが、アーティストはリサーチをしてると、やっぱりいろんなことに気づくんですよね。まちの人が気づかない面白ポイントとかダメなところ、良いところ、どうしてこうなってるんだろう?という所とか。ずっと住んでる人や働いている人は気づかないようなこと。でも、例えばそれを5つ見つけても1つしか作品のアイデアには使わないので、あとの4つはもったいないなと私は思っていました。アーティストは作品をつくったら終わってしまうけど、そのアイデアの種を建築家とかデザイナーが引き継ぐことができたら、まちにいろんな還元ができるんじゃないかと考えていたんです。なのでMATのプログラムに参加していただくアーティストには、このまちで過ごした時間のなかで気づいた事についてインタビューし、それをアーカイヴしています。印象や感想をとりためています。それはおそらく、すぐには使えるものではないんですけど、5年後とか10年後とか、まちが何かの課題にぶつかった時に、ヒントになるかもしれない。アーティストの気づきは、社会に還元できるかもしれないと思っています。だからこそ、まちづくりの中でもアートの役割はあるんじゃないかなと思っています」。

砂場のような場所に穴が開いており、その中に水が溜まっている。水の中には丸太が浮いており、その丸太に触ったり乗ったりしている5人の人物がいる
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 ヒスロム パフォーマンス
写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会

まちづくりとアート。2つの言語の違いを認識しながら

MAT, Nagoyaは、そのステイトメントの中で、まず最初に、「アートそのものは、まちを変えるためには存在していません」と書いています。「地域のためにアートをやってしまうと、そもそものアートの持っている本質を見失ってしまう気がしています。この一文は、当たり前の事を当たり前のこととして、宣言しているだけなんです。アートそのものはまちを変えるためにあるわけじゃないけれど、アートそのものを受け入れられるまちの許容量が増えていけば、多様性とか人との価値観の違いとか、そういうものを許容できるまちになっていくんだと思います。そうなった時に、まちはきっと、良いまちになるんじゃないかという希望をこめて、ステイトメントに書きました」と吉田有里さん。

「港まちづくり協議会」は、長年、住民主体のまちづくりを行ってきた団体です。その団体が、まちづくりの中でアートプログラムをやろうとするときに、“まちのためにやらないのなら、アートをやっても仕方がないんじゃないか”なんて事も言わず、このフレーズをきちんと受け入れてくれたということが大事だし、本当に感謝していると青田さんは語ります。

「まちづくりの中でアートでやるというのは必ずしも、いっしょくたにしなくて良いなと思ってます。こっちはアートですとか、こっちはまちづくりですとか、可変的であっていいと思います。港まちには、まちづくりの人たちが蓄積した関係性があるので、そういったものを活用しつつ、こちらはアートプログラムとしてアーティストと一緒に動いて、アーティストの思考や作品を尊重する。これまでに、まちづくりのチームとアートのチームとが一つのテーブルで一緒に考えてきたことで、その役割分担もできていると思うんです。まちのチームはまちの中のことをきちんとやっていく。逆に、外の人を招く視点や、港まち以外の視点から考えるというのはアートのチームの役割だと考えています。その共通認識を持って一緒に動ける可能性のあるチームとして出来上がってきているなと思っています」。

部屋の中で、年代や性別もばらばらな10人ほどの人物が机を囲み、食事をとっている。それぞれが、平たいお皿とお椀とお箸とを持っている
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 準備の様子

まちづくりとなると、関係性とか権利を守るという部分もでてくるので、まちはどうしても閉じていかざるをえない部分があります。一方で、アートプロジェクトはどちらかというと、外に開いていくとか、関わりや関係を広げていくことが得意です。
まちづくりとアートプロジェクトとでは、まちや人へのアプローチの仕方も、何よりそこで使われる言葉も大分違います。MAT, Nagoyaの活動では、まちづくりのチームとアートのチームとが、お互いの方向性や役割や、得意なこと、不得意なことを認識しながら、相互に作用していくように、プログラムを組んでいるのではないかと感じました。

夜、建物の脇の緑地で、2人の人物が机を前にして座り、ライトに照らされながらトークを行っている。2人の隣には小型のモニターがあり、資料のようなものが写っている。それをたくさんの人々が椅子に座って観ている
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016 「地域美学スタディ」

「まちづくりとアートって、もちろん言語がすごく違うんですが、でもすぐに理解できないかもしれないと思われるものをきちんと見てもらえる機会を持ち続けることや、その機会に出会った人がどういう風に考えて反応するのかということを長期的に見守ることは、実はまちづくりやそれを支える人たちの可能性を広げることにもつながっているのかなと。まちづくりとアートとを一緒にやっていく可能性を最近感じています。それはアッセンブリッジ・ナゴヤを開催したり、ポットラックビルという拠点をひらいた事がきっかけになっています」と青田さんは語ります。

MAT, Nagoyaでは、「まちづくりのため」にアートをしているわけではありません。あくまでも、アートの本質を手放さずに、プログラムを運営しています。アーティストやアートがもたらす気づきや想像、可能性。アートの本質そのものを信じ、手放さずにいることで、プログラムは様々な広がり方をし、その結果としてまちづくりに繋がる回路が、できていっているように思います。

いま、まちづくりやまちおこし、芸術祭や地域アートのムーブメントの中で、アートがまるで道具か何かのように語られることがありますが、そうではなく、私たちは今いちど、アートの本質にたちもどり、考える必要があるのかもしれません。

*関連リンク

Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]
アッセンブリッジ・ナゴヤ
Tokyo Art Research Lab

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