座談会|東京アートポイント計画のこれまでとこれから

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2019.03.29

座談会|東京アートポイント計画のこれまでとこれからの写真

東京アートポイント計画の10年間の歩みを、どのように見ればいいのだろう。そして、2020年の東京オリンピックを超えた先、この事業は何に立脚し、どのように可能性をひらいていくことができるのか? 東京と地方の歪な関係や、移民問題など、ますます不透明になる時代のなかで、東京アートポイント計画の意義を改めてことばにする。

* この座談会は2019年3月29日発行『これからの文化を「10年単位」で語るために ― 東京アートポイント計画 2009-2018 ―』に収録されたものです(座談会実施日:2018年11月6日)

話し手

  • 芹沢高志(せりざわたかし)[アート・ディレクター/ P3art and environment 統括ディレクター]
  • 太下義之(おおしたよしゆき)[文化政策研究者/独立行政法人国立美術館理事]
  • 熊倉純子(くまくらすみこ)[東京藝術大学教授]
  • 森司(もりつかさ)[東京アートポイント計画 ディレクター]
    * 肩書きは座談会当時のもの

構成=杉原環樹/写真=川瀬一絵

文化政策を更新する10 年間

森: みなさんとは、東京アートポイント計画(以下、アートポイント)が生まれて5年目の2013 年にも座談会を開かせていただきました。そこからさらに5年。10年目を迎えた我々の活動は、立ち上げからかかわっていただいているみなさんにどう見えているのか。また、設立背景となった東京オリンピックが目の前に迫るなか、「その後」の10年をどのように描いていけばいいのか。今日はそれを話していきたいと思います。

熊倉: アートポイントは、2016年の東京オリンピック誘致に向けて動き出した「東京文化発信プロジェクト」の一環として構想されました。2007年の構想当初、太下さんやわたしを含む多くの専門家が東京都に集められ、世界有数の都市・東京でいかに今日的な文化政策を実現するのかが議論されましたが、そこで異口同音に述べられたのがアーツカウンシルの必要性です。ただ、アーツカウンシルのイメージには専門家の間でも幅がある。単なる助成機関や芸術家の支援機関にもなり得るわけですが、そうではなく、次世代の芸術と社会の関係を考えるためのモデルとなるような人や拠点を育てることが必要だと感じていました。アートポイントは、まさにそのコアとして考えられたものです。

このとき重要だったのは、NPOを担い手とすること。また、支援後にただ現場に任せるのではなく、専門家とそうではない人が一緒に考える場をつくることです。従来の芸術支援はイベント主義的な面が強くありましたが、アートポイントは活動体の育成に早くから焦点を当て、その新しいモデルの模索を一手に担ってきたと感じます。

太下: 10年間しっかり続いた要因としては、行政本体の外で、きちんとプログラムオフィサーという専門スタッフを位置づけて実施したことも重要だったと思います。アートポイントの大きな主眼は、中間支援機関として経済的支援だけではなく、それ以上にノウハウの伝達や事務的なサポートもすること。そのためには、チーム自体にも高度な専門性が求められますが、そうした要求に応える体制が組めたことも大きかったですよね。

芹沢: 僕は、外部評価委員としてアートポイントに関わってきましたが、社会の変化のなかで外部から投げかけられる問いを、プログラムオフィサーが柔軟に受け入れて実行に移す姿勢が印象的でした。例えば最近、地域密着型の事業以外にも、「看取り」や「移民」などテーマ型の試みが出てきましたよね。この10 年間の変化に地域芸術祭の増加がありますが、地域密着型でさらに行政も入ると、「公金を投入したからには万人にわかるものであるべし」という日本独特の論理が出てきて、表現行為は薄まらざるを得ない。だけど、アートの重要な性質にはノマディック(遊牧的)な部分もある。そこで「地域に固執せず、テーマ型もあり得るのでは?」と問うと、それがきちんとかたちになる。内部的なセンサーも働かせながら、時代の動きのなかでローカルと脱ローカルの綱渡りをしていたのはとても良かったと思いました。

熊倉: また、早くからTokyo Art Research Lab(TARL)を通じて、地道な人材育成も行ってきましたよね。実は以前、都庁の方から「この事業はいつまでやればいいのか?」と聞かれたことがあるんです。そこで、「いえ、この活動は期限で考えるものではなく一種の人材育成なんです」と答えて納得してもらえたことがあった。さらにTARLは、欧米とは異なる日本型アートプロジェクトの概念化を進めるという役割も担っていました。

その意味では、全国の芸術祭に、当初は少なかったプロセス重視の試みが増えてきたことも注目すべき変化だと思います。「各地に同じような事例があるのはどうか」という批判もありますが、それは近代芸術の発想でしょう。芸術家の特権性をベースにするのでなく、住民がアートを通じて何かを考える場と考えるなら、そうした試みが各地にあることのどこが問題なのか。もちろん、それをきちんと社会的なインフラにしていく意識が必要で、アートポイントはこの変化の立役者だったと思います。

「わかりにくさ」を超えた、海外展開と言語化の必要

森: 『小金井アートフル・アクション!』や『TERATOTERA』、熊倉さんが運営に関わる『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』など、この間、10年目を迎える活動体が具体的にいくつか出てきました。多くの芸術祭は数年おきの開催ですが、毎年活動を続けてきたこれらの事例を通じて、より深い地域とのかかわりの問題も見えてきました。でも、まちを舞台にしたプロジェクトの数は増えたとは言え、本当に地域に滲み出し、磁場が働いているような現場は多くありません。まちなかに入れば入るほど、価値の伝え方も難しくなっています。

太下: 「わかりにくさ」は大事なキーワードですよね。イベント型で消費せず、ファンダメンタルな組織や人を育てようとするがゆえに、行政や市民からは捉え難くなる。いま東京はオリンピックに向けて思いきりイベント型にアクセルを踏んでいるので、余計見えにくいこともあると思います。ただ、その見えにくさは、同時にこの活動を稀有なものにしている。この知識や経験は、必ず世界で役立つと思います。

なので、一気に多言語化して外に出してしまう。例えば、アジアの他国の NPOにこうした方法論や課題の解決方法があると見せた方が、価値の伝達にはむしろ早いかもしれません。

芹沢: 日本は課題先進国と言われますが、近年成長するアジアの国も、近い将来同じ課題にぶつかるかもしれない。日本が示すことができるものもあるはずですよね。

熊倉: 先日、シンガポールのアーツカウンシルに呼ばれて現地に行ってきました。同国には日本よりだいぶ以前からアーツカウンシルがありますが、現在コミュニティアートにも力を入れていて、淡路島ほどの大きさの国にその拠点を28カ所もつくる予定だそうです。アーツカウンシル東京に出していただいたわたしの書籍『日本型アートプロジェクトの歴史と現在 1990年→2012 年』の英語版を見つけてくれたのがきっかけでした。そんな風にして、近年東南アジアとのネットワークは広がりつつありますね。

森: シンガポールの方々はわたしたちの元にも訪問してくださいました。そのときにも感じたことですが、アートプロジェクトにはまちづくりに力点を置くものと、そうではないものがある。その違いの言語化は、改めてまだ足りていないと感じました。評価の課題は国内向けにもあり、都市づくりでないものは本当に行政の理解を得るのが難しい。オリンピック後はそれこそが重要になるはずなのですが。

熊倉: 21世紀型の文化政策を考える上では、やはり「地域」と「社会課題」の2つが重要になると思います。しかし、ほかの道府県に比べると、東京には少子高齢化や人口減少などの危機感が低い。そのなかでは、2020年の宴のあとで具体的に危機に直面した際の準備をしておくことが、とても大事ですよね。

森: その意味では、この10年史づくり自体が大事な準備なんです。我々が何をしてきたのかを、洗いざらい解体して言語化してみようと。それが2020年の後、新しいスタートを切るときにきっと役に立つ。いまはその棚卸しをしているところです。

地方にアートプロジェクトの雛形を返す

太下: 東京以外の地方の話がありましたが、そうした地方との連携の強化も、今後の重要な課題かもしれません。こうした試みを必要としている現場は、全国各地にたくさんあるはず。実際に近年、地方版アーツカウンシルの試みは増加しています。例えば、アートポイントと地方版アーツカウンシルの人材交流があってもいいかもしれない。

熊倉: 基本的にどの地域でも、オリンピック後に何が残るのかということを考えているはずです。わたしも策定に携わり、2018年3月に文化庁が出した「文化芸術推進基本計画」では、今後の文化芸術政策の目標のひとつとして、「地域の文化芸術を推進するプラットフォーム」という文言が記されました。これはわたしとしては、明確にアーツカウンシルを意味しています。しかしいま地方ではイベント主義が加速し、その対応に精一杯で、計画を立てる人材すらいないのが実情。そんなとき、アートポイントはその規模感や必要な仕組みを示す雛形になれるのではないかと思います。

芹沢: 考える必要があるのは、文化だけでなく、あらゆる領域で東京が人材を吸収してしまっていることですよね。地域で仕事をすると、その土地の中核になっていく若者が、ちょうど脂が乗った30代くらいで東京に出てしまうのをよく見ます。本当になんとかしないと手遅れになる。特に2020年以降に関しては、東京で現場を積んだ人たちがまた戻っていくように、人の流れの相互化も後押ししていくべきでしょう。

熊倉: 前回の東京オリンピックでは、東京は地方から人材を吸い上げることによって潤いましたが、そのお返しをあまりしてこなかった。そう考えると、東京には人材や施策のヒント、プログラムの雛形をどんどん地方に返していく義務があると思います。

芹沢: とはいえ、地域で脱イベント主義的な思考の共有が難しいのも現実ですよね。もちろん共有できる人もいるけれど、イベントの方が予算がつきやすいという実情もある。

森: アートポイントをやっていると、イベント主義は一種の病のようにステレオタイプ化していると感じます。これは都内でも同じ。芸術文化の活動イメージがイベントしかないから、予算がつき「がんばろう」と思うほどイベントを打つ。逆に「何もしない時間が大事だ」と言うと、「サボっていい」という風に聞こえてしまう。そこを超えようとすると、ゼロベースより低い地点から始めないといけないという危機感があります。

熊倉: ただ、地方への意識という点では変化もあります。経済成長期には、二度と故郷に戻らないつもりで上京する人が多かったけれど、いまわたしの学生には、地元を元気にしたいという若者も多いんですね。だから今後は、そうした人たちが帰郷したとき、アートポイント的な現場がどんな地域にでもあるようにしないといけない。

太下: 新しい職業になってほしいですよね。アートプロジェクトの担い手は、いまはまだ名称もまちまちで、ましてや一般の人はほとんど知らないじゃないですか。

森: いまでもよく「森さんって何やっているの?」と聞かれます(笑)。

太下: 前回の東京オリンピック後の大きなレガシーとして「デザイナー」という職業が社会に定着したことがあります。亀倉雄策によるオリンピックのポスターは、誰が見てもインパクトがあるものだった。あれが全国に貼られたことで、日本人が自ずとデザイナーのすごさを理解したんです。もちろん、以前からデザイナーはいたけれど、当時は「図案屋」と呼ばれ、必ずしも尊敬の対象ではなかった。いまは「デザイナーになる」と言うとかっこいいですよね。

同じように、「プログラムオフィサーになる」と言ったら、親戚の人が「いいね!」と反応できるような状況をつくれるか。今度のオリンピックが、あとから振り返ったときにそうした契機であったらいいなと思います。

越境した人のために、アートができること

森: 冒頭に芹沢さんから「テーマ型」のお話がありましたが、アートポイントでは社会課題を軸にした取り組みも行ってきました。そのひとつが「移民問題」ですが、先日、昨今注目されている出入国管理法の改正について、都庁の方から「こうした課題に対して、アートポイントはできることがあるのではないか」という意見がありました。その対象を「移民」と呼ぶかはまだ議論がわかれていますが、この問題に応答する現場はすでにいくつかあります。また、こうした問題に直面した際、美術館ではなくアートプロジェクトがあると考えられる行政職員がいることは重要で、これは以前はない状況でした。

熊倉: 太下さんは以前から、オリンピックと移民の問題を指摘されていましたよね。

太下: 移民問題は欧州の方がずっと深刻です。例えば2005年にロンドンがオリンピックを決めた翌日に、バスの同時爆破事件がありましたが、犯人は移民でした。欧州では長年移民を受け入れてきて、多民族で構成される社会にも慣れているはずなのに、それでも社会統合が難しいという事実があります。だから、アートを含むあらゆる手段を使って関係を構築しようとしているわけですが、現在の日本では彼ら移民をただの「労働力」と捉えていますよね。そんな島国で果たしてきちんと彼らとコミュニケーションできるのか。問題はとても複雑です。

熊倉: 逆に言えば、取り組みを始めるならば、移民問題が顕在化しつつあるいまだ、とも思います。わたしも1980年代にパリに留学しましたが、移民にはフランス社会への帰属意識はありませんでした。そしてそのまま時が経ち、さまざまな問題が起きてしまった。だから、障壁もあるかもしれないけれど、まずは何かを始めた方がいい。日本には、海外の人に対して「日本文化を教えてやる」というような風潮がありますが、そこには「わからなさ」に一緒に向き合うことで目線を平等にする、アートのような存在が絶対に必要です。

森: 10年以上前、水戸芸術館に学芸員として務めていたとき、イギリスの教育普及の話を聞きました。これが完全に移民問題向けなんです。かつて教会が行なっていた移民のための言語教育を、美術館でアートを通じて行うと。そこで重要なのは、まず地域から「顔が見えない人」をなくすことで、日本で想起される教育普及とは違うんですよね。

太下: 以前ベルリンのクロイツベルクにあるトルコ・コミュニティを取材したことがあるのですが、三世代にわたり同地に住んでいても、全員がドイツ語を話せるわけではないことを知りました。ある程度の規模のコミュティだと、内部で暮らすぶんにはトルコ語で済むんですね。ただ、その子供たちはどうしたらいいのか。ドイツ語を学ぶことを義務化するか、国税を投入して多言語の教育システムを導入するか。

後者の方が移民に対してはるかにフレンドリーですが、その負担を嫌がる国民がいることも厳しい現実です。移民自身に対応するだけでなく、分断に意識が向かいがちな人も含めて対応しないと、アートは移民問題に本当に向き合ったことにはならないんじゃないか。もちろん、チャレンジする意味はあると思うのですが。

熊倉: 政府は外国人労働者に対して、「日本にいたいなら日本語を学んでね」という対応ですよね。これは、要は「自立して稼いでほしい」ということで、その意味では両者の思惑は一致している。ただ、親について来た子供は「稼いでね」という態度が透けて見えるから、日本語を学ぶのが嫌になる。そうしたとき、そこに芸術プログラムを入れることで彼らの自尊感情を高めたり、新たな学習意欲を引き出したりすることもできるかもしれない。いまからできることもあるはずです。

芹沢: 一方、話が広がりますが、現在はそもそも「国民国家」という幻想自体が機能しなくなっている、大きな変動期だとも思います。かつての移民は止むに止まれぬ事情で国を移りま

したが、近年では、より良い場所を求めてさまざまな国を移動していく人も多い。つまり、国際的な流動性が非常に高まっていて、おそらく今後、それに対抗する意味で一国主義的な動きもさらに出てくるだろうと。そうした時代のなかで、日本ではたまたまオリンピックという国家行事があるために、「日本の未来」に焦点が当てられるけれど、その背後にはより大きな地球規模の変化もあることを、同時に考えるべきなのではないかと思います。

震災以後のアートと思考をいかに耕すか

芹沢: 国民国家と資本主義。近代を動かしてきた2つの共同幻想が、制度疲労を起こしている気がしているんですよね。アートはそうした変化に敏感に反応する領域だからますます重要になると思うのですが、世界で流動性や不確実性が高まる時代に、我々は何に立脚すればいいのか。僕は、それはやはり東日本大震災の経験だと思うんです。

揺るがないと思われてきた大地が激しく揺れ、さらに、絶対安全と言われてきた原発も崩壊してしまった。「確固たるものはない。一人ひとりが自分の未来を考えないといけない時代が来た」と感じさせたあの震災を経験した国だからこそ、世界に示せるものがあるのではないか。最近、若いアーティストを見ていると、そうしたポスト3.11的な状況に覚悟を持って向き合おうとしている人たちが出てきていると感じます。アートポイントには、そうした新しい感性を応援していく拠点でもあってほしいなと。

太下: そうした拠点がより必要になった、という言い方もできますね。これまでの前提の不確かさがわかってしまった。そのなかでどうしたらいいかという答えは、我々が受けた近代教育のなかに解答はないけれど、アートを通じてそれを模索することができるかもしれない。

芹沢: ものをつくる方法論自体が、以前とは違ってきた気がしますよね。スローガンを変えるということではなくて、つくり方やつくる姿勢が根本から変わり始めている。

森: 震災から7年が経ち、新しいアーティスト像がかたちになりつつあることは、現場の実感としてもあります。例えば、被災地に深く入り込んできたアーティストは、多くの人たちと長時間議論することが自然体になっている。それは被災地で感じたリアリティから来るものだと思います。ただ逆に言うと、そのように現実や日常に入り込むほどに、アートの姿はわかりにくいものになってゆく。よりインビジブルな状態になっている気がして。このことをどうしたらいいのか考えているところです。とても地味だけど大切なその存在の必要性を、どう共有できるのか。

熊倉: 何よりも「魅力的な現場にする」という技術が、さらに必要なのかもしれません。東日本大震災が起きた直後、もうアートプロジェクトどころではないとも感じましたが、現実はむしろ逆になった。震災は、人間社会の原点にみんなが立ち返った出来事だったと思うんですね。つまり、お金やインフラがあればOKではなく、隣人と手を取り合わないと死活問題になることや、個としての思考を耕す「哲学」の必要性に多くの人が気づいた。震災が突きつけたこうした課題は、現在では棚上げにされてしまった感もあるけれど、どのみち2020 年の後、もう一度、向き合わないといけない問題です。特に少子高齢化や一極集中が問題となるなか、地方においては喫緊の課題ですね。

シアトルのワシントン州立大学で、戦後日本における美術と社会運動の関係について研究しているジャスティン・ジェスティが、「アートプロジェクトとは、資本主義から取り残された土地で、それでも諦めずに暮らしていくことを考える方法」と語っていましたが、その通りだと思うんです。ただ、それだと、コミュニティデザイナーとどう違うのかという話にもなる。そのなかで、なぜそれとは別のものが必要なのかを、第三者も実感できるような、小さくても魅力的な現場をつくる技術が大切なのだと思います。

森: 確かにいま、その必要性を引き取れる人と、引き取れない人の差は大きいです。

熊倉: アートプロジェクトの場合、一つひとつの現場を行政と一緒にやっていくことが実はすごく重要だなと思っているんです。そうでないと、いざ動こうと思ったとき、共有が難しくなる。プロジェクトの裏側にどんなプロセスがあるかを実感してもらうには、毎日のように丁寧にやりとりするしかない。プログラムオフィサーは、その関係性の維持を促してくれる存在でもあります。そうした積み重ねによって、小さな数字に意味を持たせられる評価の仕組みをつくっていくことも重要ですね。

創造的で、幸せな縮小社会のために

太下: 評価の考え方は、これから抜本的に変わるのでしょうね。かつてはより大きくより高く、とにかく成長を志向すれば良かったけど、そのモデルがもはや機能しないことは既に見えている。人口も減るなか、国力や経済力を基準にしている限り、ただ寂しい国になっていくしかありません。ですので、ただ寂しく生きるのを良しとしないのであれば、我々は、違う価値観を軸にしていかないといけない。

熊倉: 経済力で言えば、中国に勝てるわけもないですしね。東京一極集中なんてある種かわいいもので、儲けたい人はみんな海外に出ていくでしょう。そこで資産として残されるのは文化と、他者にいかにオープンマインドでいられるかという態度しかない。

芹沢: 人口が減ることは、必ずしもネガティブではないと思うんです。日本の人口の推移を見ると、明治維新の頃から急に増え始め、150年ほどで約4倍になっている。戦争の影響も統計上は微かです。そのなかで、近年の急降下を見るとゾッとしますが、むしろ近代という時代が異質だったのかもしれない。自分の実感としても、高度成長期はあまり創造性なんて必要なくて、つくれば売れるという感じでした。だけど、縮小していく時代には創造性がないと悲惨なことになる。それに、先にも言いましたが、いま日本で起きていることは、少なくとも東アジアでは近い未来に起こること。そこで日本がフロントランナーとして、どう創造的に、幸せに縮んで行けるのか。ここに力を入れて創意工夫していけば、アジアの状況を牽引する役目を果たせるかもしれません。

太下: 芹沢さんが国民国家と資本主義の限界というお話をされましたが、もうひとつ挙げるなら民主主義の危機ですよね。この3つはセットです。問題は、成長期には政府はプラスの分配をすればリソースをみんなに行き渡らせることができたけど、マイナスの分配はそうはいかないこと。マイナスの分配は民主主義とすごく相性が悪いんです。従来の政治や経済というチャンネルだけでは、僕らが向き合っていこうとするこれからの時代や問題には対処しきれない。そこで必要になるのは、アートのような別の基準を持つ領域です。

熊倉: 普通の状況では利害が対立する人々が、どちらにとっても正解がないアートのようなものに一度乗ってみることは、すごく重要な経験だと思います。その練習をしていかないと、内戦まではいかずとも、コミュニティ内が目に見えないギスギスした状態になってしまいます。そんなの生活者として嫌ですよね。

思考を耕してくれるアートは、そうした状況を乗り越えるプラットフォームをつくる上で、とても有効だと思う。「プラットフォーム」というのは、ずっとあることが保証されておらず、みんなで常に意識して保っていくものです。そこが、誰かがつくってくれたあとは、意識しないでも利用できる「基盤」とは異なる。あくまで仮設的に、従来の分断や対立をカッコに入れるプラットフォームをつくれるのは、文化しかない。これは、政治や経済でも乗り越えられておらず、近年、福祉の世界でも対応が難しい領域です。

森: 一方で、僕が一番恐れているのは、社会全体の進行がより早く進み、アートの対応の方が遅くなるかもしれないという事態です。実感としては、そうなる可能性の方が高いんです。今日語ってきたような可能性をアートが引き取るためには、人もお金も時間もかかる。その準備時間が残されていないことは、プログラムオフィサーたちにいつも言っています。しかし、このことがあまり自覚的に共有されない。現実から手を出されたときにはどうにもできない状態になっていることを、一番恐れています。

太下: 社会の方が早いというのはその通りかもしれません。もしアートが社会に対応しているなら、アートポイントのような組織体や仕組みがもっとあっておかしくないわけですよね。

森: 普通、マーケットがある業界は、その進行の速さに対応しないとビジネスができないから、追いつこうとしますよね。しかしアートの場合、古い OS (オペレーティング・システム)でも賄えてしまうから、感覚的には古い OS のまま動いている人も多い。でも、ここで話されてきた可能性はそうではなく、あるいはアートプロジェクトよりもさらに先のアートの姿ですよね。それに対応するにはいろんなものを統合させないといけないし、多くのネットワークや経験を持っていないといけない。その危機感がいま、強くあります。

太下: ただ、その活動の輪郭があとからわかることもありますよね。それこそ、先ほどお話した、前回の東京オリンピックにおけるデザイナーのように。

熊倉: いま少なくとも言えるのは、これまでのマーケットオリエンテッドなアートにパラダイムシフトが起きていることは、2000 年代から各国で明らかになり、学問的にも言語化が進んできたことです。ただその先にあるのは、いわゆる「何々派」の更新という従来の芸術の進歩ではないと思う。日本では、こうした西洋型の芸術モデルが全国民的に根付くことはなかった。そのなかで、それとは異なる、自分で考える小さなプラットフォームとしてのアートの試みが生まれている現在の状況は、わたしにはより可能性を感じさせます。こうしたアートのあり方を意識している欧米人はあまりおらず、アジア型のモデルとしてどんどん展開していくべきだと思います。まさに、幸せな縮小社会のためにも。

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