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顔の見える「わたしたち」をつくるには?/ひとりの帰郷者の「おせっかい」から(APM#02 前編)

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2017.03.14

執筆者 : 杉原環樹

顔の見える「わたしたち」をつくるには?/ひとりの帰郷者の「おせっかい」から(APM#02 前編)の写真

ゲストのひとり、城崎国際アートセンター・田口幹也さん

ART POINT MEETING #02 –公(おおやけ)をつくる- レポート【前編】

 地域に深く入り込み活躍するプロジェクトの担い手を通して、立場や考え方の異なる人々をつなぐ「ことば」を考えるトークイベント「東京アートポイント計画 ART POINT MEETING」。2016年夏に始まったこの企画の第二回が、2017年2月12日、東京・丸の内にある起業家のための支援施設「Startup Hub Tokyo」を舞台に開催されました。

 今回のテーマは、「公(おおやけ)をつくる」。ナビゲーターとして招かれたのは、兵庫県豊岡のアーティスト・イン・レジデンス施設「城崎国際アートセンター」で館長と広報・マーケティングディレクターを務める田口幹也さん、徳島県神山町で地方創生のためのプロジェクトを行う一般社団法人「神山つなぐ公社」理事の西村佳哲さん、東京都西部・多摩地域の活性化を金融機関の立場から模索する「多摩信用金庫」の長島剛さんといった3名です。

 「公(おおやけ)」といっても、そこに「みんなのもの」という有機的な実感を伴わせるのは、なかなか難しいもの。それぞれの地域で活躍するナビゲーターたちは、場所の抱える課題や可能性を共有する上で、どんな工夫や仕組みづくりを行っているのでしょうか。多くの参加者で溢れたイベントの様子を、ライターの杉原環樹がレポートします。

顔の見える「わたしたち」をつくるために

 快晴となった当日。イベントの口火を切ったのは、東京アートポイント計画プログラムオフィサーの佐藤李青。「公をつくる」というテーマの趣旨説明を行いました。

 そもそも「公」が、なぜアートプロジェクトにとって重要なのでしょうか。日本において「公」というと、「行政」の領域として捉えられがち。また、それを単純に「私」という概念と対立させて捉える場合もあります。しかし今回は、もっと広く、等身大の意味で「公」について考える機会にしたいと佐藤は語ります。それは都内の様々なアートプロジェクトを共催する自分たち「東京アートポイント計画」の活動を次のように位置づけているから。

東京アートポイント計画 プログラムオフィサー・佐藤李青

「僕たちの関わるアートプロジェクトは、表現というものを間に噛ませることで、街や地域の人々に、顔の見える『わたしたち』の関係をつくっていると考えています」

 生活や暮らしに関わる意識を、アートや文化という術を使ってつくること。とはいえその活動の中では、異なる背景を持った人々が関わるゆえの難しさも感じてきたと、彼は続けます。

「たとえば『わたしたち』という枠組みを設ける上で、想定できていない人々の存在があるのではないか。また、ひとりひとりと向き合おうとすれば、プロジェクトの規模をむやみに大きくしない方がいいという問題もあります。そうした意味では、プロジェクトを開いていくことと同時に、きちんと『閉じる』ことも重要なのではないかと感じます」。

 東京アートポイント計画でNPOとともにアートプロジェクトに伴走するプログラムオフィサー達も、課題と感じているという、自分ごととしての「公」のつくり方。ナビゲーター3人は、そこにどんな視座を与えるのでしょうか。

街ににじみ出す、ひとりの帰郷者の「おせっかい」

 最初のナビゲーターは、兵庫県豊岡市のアーティスト・イン・レジデンス施設「城崎国際アートセンター」(KIAC)において、館長と広報・マーケティングディレクターを勤める田口幹也さん。田口さんがKIACでの活動を始め、豊岡市の活性化に関わり出した経緯は非常にユニークです。そもそも豊岡市は、志賀直哉の短編小説「城の崎にて」で知られる城崎温泉や、コウノトリの野生復帰活動でも有名。しかし彼が、故郷であるこの土地の魅力を再認識したのは、東日本大震災後の一時帰郷のときだと語ります。

城崎国際アートセンター 館長兼広報・マーケティングディレクター・田口幹也さん

「東京で飲食店経営や出版業に携わっていましたが、震災後に帰郷すると、いくらいても飽きないことに気づきました。でも、城崎の知名度は、東京ではそれほどない。街の良さをきちんと発信できていないのではないか、という思いが大きくなったんです」

 そこで、移住を決めた田口さんは「おせっかい。」という肩書きの名刺をつくり、自主的な地域のPR活動支援を展開しました。2013年に開始した「本と温泉」プロジェクトも、温泉旅館の若手経営者の会の要望を受け、田口さんが「おっせかい」したもの。東京の人脈を生かし、街に眠る文化資源を「わかるようにすること」を目指したと語ります。

 代表的なものが、志賀直哉来湯100周年を記念した「城の崎にて」の復刻。現代人にも世界観が伝わるように注釈本をセットにし、浴衣で持ち運べるよう、本を小型化しました。第二弾では、作家・万城目学さんが城崎を訪れ、タオル地の装幀が大きな反響を呼んだ『城崎裁判』を書き下ろし。さらに2016年には、城崎に思い出があるという作家・湊かなえさんが『城崎へかえる』を執筆。これらの書籍はいずれも現地でしか購入できず、その土地で買って楽しむ「地産地読」の試みとして話題になりました。

本と温泉

 そんな取り組みを行うなか、KIACのアドバイザーだった劇作家の平田オリザさんの推薦や、中貝宗治市長の英断によって、田口さんはKIACの館長に就任します。もともと県運営の大会議場として建てられたこの施設は、利用数の減少により、2012年に豊岡市へ移譲されていました。その有効活用として始まった滞在制作プログラムで重要なのは、「さまざまなレイヤーで市民が関われること」だと言います。

「KIACの滞在制作では、作品の完成を義務付けていません。ただし、滞在期間中にかならず、無料の市民交流プログラムを実施することをお願いしています。練習の公開やワークショップ、試演会の実施など、作り手と受け手の双方が無理なく出会える環境を作りたいと思っています」

 こうした姿勢の結果、2016年度には40件の応募から選ばれた国内外の17団体を招聘。1000人規模のホールを持つ強みを生かしつつ、国際的な認知を高めています。

城崎国際アートセンター(photo:Madoka Nishiyama)
平田オリザさんによるワークショップの様子(Photo:Igaki Photo)

 一方、各地の自治体と同様、人口減少に悩む豊岡市。そこでとくに大切なのは、教育環境の整備ですが、豊岡市ではコミュニケーション教育として演劇を活用した授業の推進も行なっています。今年度は城崎国際アートセンターの芸術監督を務める平田さんによる授業を市内のモデル校で実施、あわせて現地の先生へのワークショップを開催し、ノウハウの伝達が進められているとのこと。田口さんの「おせっかい」と芸術・文化で地方創生を目指す豊岡が合わさり、土地の可能性を多くの人々に実感させているのです。

 外から戻って来た人間として、難しさを感じることはなかったのかといった質問に、「しょせん、おせっかいはおせっかい」と田口さん。土地にある価値を、東京で培った経験を余すことなく使いつつ、飄々と掘り起こす姿が印象的なプレゼンとなりました。

聞き手:東京アートポイント計画 プログラムオフィサー・上地里佳

>>レポート後編へつづく

(撮影:冨田了平)

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