「患者」ではなく「仲間」。家庭医が対話から見つけたもの。(APM#09 後篇)
執筆者 : 杉原環樹
2020.03.10
蛇谷りえさん(うかぶLLC共同代表/「たみ」共同創業者)
それぞれの場所で活動を行う当事者から、これからの社会とアートプロジェクトに向けたヒントをさぐる東京アートポイント計画のトークシリーズ「Artpoint Meeting」。その第8回が7月7日、東京・原宿のTOT STUDIOで開催されました。
今回のテーマは「10年の“こだわり”を浴びる」。「うかぶLLC」の共同代表を三宅航太郎さんとともに務め、鳥取県東伯郡湯梨浜(ゆりはま)町でゲストハウス「たみ」を運営する蛇谷りえさんをゲストに迎えました。2012年にオープンした「たみ」は、「投げ銭宿泊」といったイベントや写真撮影禁止などの実験的な運営で注目されてきた地域拠点。滞在を機に移住する人や近隣で開業する人もいるなど、地域に独自のコミュニティを形成しています。
もともと大阪でアートNPOに勤務し、岡山でゲストハウス型プロジェクト「かじこ」を運営していた蛇谷さんが、ゆかりのない湯梨浜町で「たみ」をはじめ、続けている理由とは? そのこだわりを、2018年に10年目を迎え、同じくひとつの試みに長い時間をかけることの重要性を考えてきたアートポイント計画のプログラムオフィサー、佐藤李青と嘉原妙が訊きました。
佐藤:今回は、鳥取の湯梨浜町でゲストハウス「たみ」を運営する蛇谷りえさんをお呼びしました。じつはイベントに先立ち、湯梨浜町を訪れたのですが、蛇谷さんから「私のことはまちの人に聞いて」と言われ、放置されてしまって(笑)。しかし、実際にまちを歩くといろんな時間の蓄積が見え、蛇谷さんが「たみ」だけでなく、周囲の経験もつくる活動をしてきたことが感じられたんですね。そこで今日は、そんな「その人がその場所でしかできない活動」について、じっくりお話を聞きたいと考えています。
蛇谷さんは以前、アートNPOに勤められていたそうですが、そもそもアートとの出会いとは?
蛇谷:最初のアート体験は、中学3年のときです。私は比較的絵の上手いこどもだったのですが、ある日、大阪城を下から描く授業があったんです。そのとき、私は画面にどう建物を収めるかと工夫していたのに、ヤンキーの同級生が城の石垣部分で画面が埋まってしまい、「先生、描く場所が無くなったー」と言っていて、「やられた!」と思ったんですね(笑)。実際、その子の絵はパンクでカッコよくて、人によって視点が違うことを感じた体験でした。
そして美術やデザイン専門の高校に行き、卒業後は就職せず、フラフラと各地の芸術祭などを旅していました。でも、消費的にアートに触れている自分に「なんやねん!」という気持ちもあって。そんなとき、「應典院寺町倶楽部」というアートプロジェクトを知り、働きはじめたのですが、ここで私は覚醒しちゃったんです。最初は広報をしていましたが、だんだんコーディネーター的な仕事にも興味を持ち、フリーランスで活動するようになりました。
佐藤:その後、蛇谷さんは岡山県に行かれますね。
蛇谷:2010年の大阪市長選で市長が代わり、文化事業の予算がカットされたことで、仕事がゼロになったんです。このとき、助成金や税金に頼っていた自分をすごく反省しました。それで「もっと社会を見たい」と思ったのですが、私はひねくれ者なので、すでに栄えているような土地には行きたくなかった。そんなとき、岡山県出身のアーティスト・三宅航太郎くんに出会い、当時、瀬戸内国際芸術祭の初回が開催されるタイミングだった岡山で活動をはじめました。
佐藤:岡山では、芸術祭の開催に合わせて、夏季108日間限定のゲストハウス型プロジェクト「かじこ」を運営されました。
蛇谷:「かじこ」では、いわゆるアートスペースじゃない場所をつくりたくて、お客さんが自分でイベントを企画すると素泊まりの価格が1000円引きになる仕組みを入れました。結果的に3カ月半で50ものイベントが開かれ、とても面白かったんです。
当時はTwitterの黎明期。はじめは知り合いだけが訪れていたのが、だんだんその知人の知人という風に広がっていきました。自分の活動に多くの人がつながる、という経験を初めて持ちました。それで期間が終わったあと、一度大阪に戻り、今度は人口300人の湯梨浜町で同じような取り組みを10年やったらどうなるか、と三宅と考えたんです。
嘉原:瀬戸内国際芸術祭の開催もあって、当時、岡山は注目を集めはじめた場所でしたよね。そのまま岡山で「かじこ」的な場所を続けて、宿として流行らせたくはなかったんですか?
蛇谷:岡山はこれから似たような場所が増えることが見えたので、他の土地を探しました。知人から尾道や高野山も紹介されましたが、どこも観光地としてすでに成り立っていて「忙しくなるのは嫌や!」と思いました(笑)。その点、名所の鳥取砂丘からも離れた鳥取の真ん中にある湯梨浜町は、面白そうに感じたんです。
初めて湯梨浜町に訪れた日、近所のおばちゃんたちがごはん会を開いてくれました。私たちが「かじこ」での活動を紹介し、こんな宿をやりたいと伝えると、おばちゃんたちがなにやら話し合って、「ようわからんけど面白そうやな。協力するわ」と言ってくれて。あとで聞いたら、女性の私がペラペラ喋り、三宅くんが寡黙だったのが信用できると思ったみたいです。女がしっかりしていたほうがいい、と(笑)。
そこから、まず住む場所として小屋を紹介してもらい、約1年かけて改装しました。田んぼやお祭りを手伝ったりしながら、家具や廃材が出たらもらって小屋を手入れして。地元のおばちゃんたちからしたら「アンタら、いつ宿やんねん」って話ですが、その姿を見て、「この子たちはモノをつくることができるんだ」と感じてもらうこともできたと思います。その時期は、1カ月の半分を大阪で稼ぎ、残りは鳥取で小屋をつくるという2拠点生活でした。
佐藤:宿をはじめたいと思って行ったのに、なかなかつくらなかったのはなぜですか?
蛇谷:私も三宅くんも、机の上で考えたものをただ実行するのでは、本当のところがジャッジし切れんというか。実際に身体を動かすプロセスが必要でした。宿に向いたいい物件は焦って見つかるものでもないし、それより地域との関係性をつくったほうがいいなと思っていましたね。「たみ」の物件が見つかって、購入する資金集めに、地元の魚屋やスナックでバイトもしましたよ(笑)。
そして、いよいよ元国民宿舎だった建物を手に入れ、「たみ」がオープンしました。「たみ」はゲストハウスであり、シェアハウスやカフェラウンジの機能もあります。
ひとつの特徴として写真撮影を禁止にしたのですが、それは、写真を見たら行った気になるからです。「かじこ」はSNSで情報が拡散したのですが、それゆえ、初めて訪れる人も来る前からいろいろなことを知った気分になっていて。自己紹介する前に名前を呼ばれたりとか。せっかくの旅がSNS写真の確認作業のようになるのはもったいないと思うんです。
佐藤:出会っている感じがないですよね。
蛇谷:そう。だから、着くまで超ドキドキする場所にしたいと思ったんですね。それで、「たみ」は準備段階から写真禁止にしました。
佐藤:オープン後、「たみ」の活動はどんな風に広がっていったのでしょう?
蛇谷:「たみ」には、いわゆる閑散期があるんです。その期間を利用して、企画を立てイベントを開催してきました。また、鳥取には民芸作家さんが多いんですが、せっかくならその人たちに話を聞きたいとフリーペーパーをつくり、取材名目で伺って、さらに彼らの展示を開催しました。そうこうするうち、県の方から緊急雇用創出事業として何かやらないかと声をかけていただいて、スタッフを雇うようになりました。
また、鳥取市にも遊びに行くようになったのですが、鳥取市には湯梨浜町とはまた違うカルチャーがあるんです。それで、その人たちを紹介したいと、2016年、ホステルとイベントができるパブを併設した「Y Pub & Hostel」(以下、「Y」)という場所を鳥取市にオープンしました。こうして人が増えていって、いま「うかぶLLC」では15人ほどのスタッフがいます。
嘉原:「たみ」をきっかけに移住してきた方も多いんですよね。
蛇谷:そうですね。「たみ」には掃除をする代わりにタダで宿泊できるヘルパーという仕組みがあるんですが、普通のゲストとして来たあと、あらためてこの仕組みで滞在したいという人も多くて。そして、そのまま「たみ」で住んだり、働き出す人もいます。
ただ、しばらくして生活が安定すると、「たみ」への不満も出てくる。そしたら「卒業どきですよ」って言うんです。私も「かじこ」のとき、シェア疲れを感じたので気持ちがわかるんですよ。こうして、卒業して近所に暮らしている人もいます。他にも県外から来てカフェや古着屋、古本屋などをはじめる人も含めて、徒歩15分圏内に20人くらい関係者が住んでいます。
嘉原:「たみ」に訪問したとき、そのことにとても驚きました。
蛇谷: 「Y」のほうにも常連のLINEグループがあって、急遽手が必要なときに駆けつけてくれるようなコミュニティがあります。最近では、「たみ」と「Y」でそれぞれもう片方の場所の存在を知って、休暇や仕事帰りに訪れてくれる人たちも増えていますね。
(撮影:加藤甫)