「患者」ではなく「仲間」。家庭医が対話から見つけたもの。(APM#09 後篇)
執筆者 : 杉原環樹
2020.03.10
2020.03.10
執筆者 : 杉原環樹
家庭医/谷根千まちばの健康プロジェクト(まちけん)代表・孫大輔さん
「まち」に深く入り込んで活動するプレイヤーの声を取り上げて、今後のアートプロジェクトの可能性を照らす東京アートポイント計画のトークイベント「Artpoint Meeting」。その第9回が、2月9日、東京・原宿のTOT STUDIOで開催されました。
「生きやすさの回路をひらく」というテーマを掲げた今回のゲストは、谷中・根津・千駄木エリアで「谷根千まちばの健康プロジェクト(まちけん)」を展開する家庭医の孫大輔さんです。近年、イギリスを中心に、医師が病院外での社会活動の場を紹介する「社会的処方」という試みが広がっています。孫さんも、身体の病気に限らないより広い「健康」の達成にとって「まち」が重要な鍵を握ると考え、病院の外へと飛び出しました。
「まちけん」の特徴は、対話から演劇、映画、落語まで、その活動に文化を積極的に取り込んでいるところ。メンバーの関心から立ち上がる多様な部活動は、立場や職業を超えた市民の等身大の交流を生み出し、また、孫さん自身も変えたと言います。「まちけん」の取り組みから見えた、「健康」や「生きやすさ」と、文化やまちの関係とは? 東京アートポイント計画のプログラムオフィサー、佐藤李青と嘉原妙が訊きました。
佐藤:東京アートポイント計画は、2019年に10周年を迎えました。その節目に自分たちの活動を振り返ると、東京アートポイント計画とは、関わる人たちの生きやすさをひらくような取り組みではなかったかと感じたんですね。たとえばそこでは、市民がアーティストと関わることによって、生き方を広げる創造的な「術(すべ)」に出会う可能性がある。また、活動で育まれる多様なコミュニティは、強弱を含んだネットワークとして普段の生活の豊かさにも活かされるものです。この「生きやすさ」というキーワードは、孫さんの「谷根千まちばの健康プロジェクト(まちけん)」にも通じると思い、お話を聞きたいと考えました。
孫:「まちけん」は、僕が医療従事者の仲間たちと一緒に、谷中・根津・千駄木エリア(谷根千)で2016年に始めたプロジェクトです。普段は病院に勤めている自分が、なぜまちに飛び出したのかと言うと、人の「健康」にとって、住んでいる地域における社会的なつながりが大切な意味を持つことがわかってきたんです。
たとえば、いまイギリスでは「社会的処方」という考え方が広がっています。これは医者が診断時に社会活動の場を紹介するもので、背景には、「孤独でいることはタバコよりも身体に悪い」といった認識があります。「ソーシャルキャピタル」と呼ばれる地域の緩やかなつながりが、健康に関わることがわかってきたんですね。「まちけん」には、谷根千で人がどんな場所に集まり、交流しているのか、そして、それが身体だけではなく心も含む健康=「ウェルビーイング」なあり方にどう関わるのかを調べる目的があります。
孫:ただ、これは表の理由で、裏側には単純に自分が谷根千好きなこともあります(笑)。実際に調べてみると、江戸のDNAが残る谷根千では、路地や銭湯、古民家や寺院といった場所において、人々の多様なコミュニケーションが生まれていることがわかりました。
まちへの入り方としては、最初、まちでコーヒーを配って回る「モバイル屋台 de 健康カフェ」という活動をしました。自然に住民と関わり、その方たちの健康に対する意識を観察したわけです。この活動は現在全国5カ所に広がっています。また、そこで縁のできた方たちと、「まちけんシネマ」と称して自主映画を制作したり、対話を通じて病や心配事を緩和する「オープンダイアローグ」、個人の物語を即興劇にする「プレイバックシアター」という活動をしたりしています。また「まちけん落語部」では、自分たちで落語も演じています。
佐藤:「まちけん」では文化活動がさかんですよね。なぜ、文化を重視するのでしょうか?
孫:医療従事者には、現在も文化に対して距離感があるんです。演劇などをしていると、関係者からは「時間があっていいね」と言われてしまう。従来、医療とアートの関わりというと精神科が中心で、それ以外の領域ではあまり馴染みがなかったんですね。でも、糖尿病や認知症のような慢性疾患が中心になった現在では、治療が病院では完結せず、地域に戻ったあとのケアも大事になる。また、ストレスが高い人ほど血糖値が上がり、糖尿病のリスクが高くなるという風に、身体と精神の問題はじつは切り離せないものです。
そのときに、文化の側面が重要になるのです。自分たちは、ウェルビーイングに働きかける取り組みをする際、演劇や落語やアートなど、地域文化を活用したアプローチをしたいと考えていて、それを社会的処方と比較して「文化的処方」と呼んでいます。
佐藤:「まちけん」は医療活動として認知されているのですか?
孫:「相当変わったことをやっている」とは、いつも言われますね。そもそも、モバイル屋台もとりあえずやってみたという感じで、明確な目的はあまりなかった。医療活動は明確な目的を求められることが多いので、その意味ではアウトローな活動でした。
古い言葉で言えば、「ヘルスプロモーション」という概念でその活動を捉えることもできます。これは専門家が知識のない人に知識を与え、健康の維持や促進を目指すものです。ただ、現在では多くの人のリテラシーが上がり、また、病気がない=健康というわけでもなくて、人間関係などトータルな意味での健康を上げていく傾向があります。その意味では「まちけん」は医療に入りますが、現状では実験的にやっているという段階ですね。
佐藤:「生きづらさ」と「生きやすさ」というと、前者の方が見定めやすいのかなという印象もあります。「健康」とは、測ることができるものですか?
孫:一応、研究的にはいろんなツールがあります。ウェルビーイングを測定するツールも世界的には開発されていて、有名なのは「PERMA理論」(ポジティブ感情、エンゲージメント、関係性、意味・意義、達成の五つの指標による測定法)です。とは言え、これは多分に主観的なものでもあるんですね。そもそも、「生きづらさ」「生きやすさ」というのは日本語に特有の表現でもあって、なかなか英語には訳しにくい側面があるんです。
僕が「生きづらさ」で思うのは、日本社会の同調圧力の強さについてです。そこから解放されるという自由があると思う。そのなかで、表現活動には大きな可能性があります。
さきほど話した映画の制作にあたり、技術も知識もなかったので、一年間、映画学校に通いました。そこで、上司にパワハラを受けて、最後は上司にたて突く《踊れない男》という映画をつくった。これはほとんど自分のことで、作品を通して自分の考えを伝えられることは僕自身にとってのウェルビーイングにもつながっていると思います。
その後、具体的に谷根千で映画をつくるなかでは、飲み屋で知り合った映画プロデューサーや役者の方が参加してくれるなど、いろんな偶然の出会いがありました。そこから、ある鬱の青年が人との出会いを通じて回復していく映画作品《下街ろまん》が生まれました。
嘉原:アートプロジェクトをやっていて感じるのは、表現にとって不確定要素が入り込むことが大事だということです。アーティストは、その種を現場に持ち込んでくれる存在でもある。お話を聞くと、孫さん自身が地域でそうした役割を果たしている気がします。
佐藤:アーティストというと、以前はモノをつくる人のイメージが強かったですが、現在はコトを起こしていくアーティスト像というのも広く認められるようになってきました。
孫:僕は活動のなかで「対話」を重視してきました。「会話」は話し終わったあとにお互いが変わらなくても良いけれど、「対話」は変わる。そこには終着点が見えない面白さと怖さがあって、たしかにそれはアートとも近いのかもしれません。従来、医療従事者は準公務員的で、目的がない活動をしてはいけないと思われがちだった。でも、そのプロセスこそを大事にするのがアートであるなら、自分の活動と共通性を感じます。
嘉原:「まちけん」の活動を通して変わったのは自分だというお話がありましたが、孫さんは近く鳥取に移住されるそうですね。なぜでしょうか?
孫:僕は地域での実践活動に興味があるんです。論文にはしにくい、そうしたプロセスを含んだ活動をしていきたいという思いが年々高まってきたことがまずあります。
また、権威主義的な病院の世界から離れたいということもある。現在の勤務先でひたすらに出来上がったルートを歩むのか、暮らしと仕事を一体化するようなかたちで物事に取り組んでいくのか、ここ最近、ずっと考えてきました。そんななか、以前からご縁があって3カ月に一度ほど訪れていた鳥取や島根で働くという選択肢に至りました。
佐藤:「まちけん」の活動の今後は?
孫:まだわからないですが、いま、引き継ぎ作業をしていて、落語やオープンダイアローグなどは続けてくれる人が出てくれました。僕も、今後も出来る限り関わっていきたいです。
いっぽう、新しく移る鳥取では、「何かを始めることありき」で動くのではなくて、まずはじっくりと地域のことを知っていきたいと思っています。そのなかで、また自分が「まちけん」の経験を活かしてできることがあれば、ぜひやっていきたいですね。
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(撮影:加藤甫)