アートアクセスあだち 音まち千住の縁

「縁(えん)」を育み、つないでゆく

足立区制80周年記念事業をきっかけにはじまったアートプロジェクト、通称「音まち」。人とのつながりが希薄な現代社会において、アートを通じて新たな「縁(えん)」を生み出すことを目指している。下町情緒の残る足立区千住地域を中心に、市民やアーティスト、東京藝術大学の学生たちが協働して「音」をテーマとしたプログラムを複数実施している。

実績

2011年度、音まちのプログラムのひとつとして、無数のシャボン玉でまちの風景を変貌させる「Memorial Rebirth 千住」(通称、メモリバ)が千住の「いろは通り商店街」からはじまった。アーティストの大巻伸嗣のみならず、事務局スタッフや市民、足立区職員や東京藝術大学の学生たちが一丸となって共創するメモリバは、それ以降も毎年会場を変え、かかわり手を広げながら区内各所で実施している。現在ではメモリバを軸に多くの市民メンバーが立ち上がり、シャボン玉マシンを扱うテクニカルチーム「大巻電機 K.K.」や、オリジナルソング「しゃボンおどりの歌」を演奏や踊りで彩る「メモリバ音楽隊」や「ティーンズ楽団」など、メモリバ本番には100名を越えるスタッフが集まることも。音まちが目指す、現代における新たな「縁」が広がり続けている。

音まちではほかにも、作曲家の野村誠を中心にだじゃれをきっかけとした新たな作曲方法を開発・演奏する「千住だじゃれ音楽祭」や、日本に暮らす外国ルーツの人々の文化を知る「イミグレーション・ミュージアム・東京」など、それぞれのプログラムでアーティストと市民チームによる自主的な活動が続いている。2018年には、戦前に建てられた日本家屋を文化サロン「仲町の家(なかちょうのいえ)」としてひらき、近隣住民や観光客、学生、アーティスト、クリエイター、事務局メンバーたちが交流する場が生まれた。

2021年度には、音まち10年間の活動で育まれた「縁」の集大成ともいえる「千住・人情芸術祭」を開催。これまでも音まちで活躍してきた2人のアーティスト、友政麻理子とアサダワタルによる作品発表に加え、プロアマ問わず市民から出演者を公募した「1DAYパフォーマンス表現街」を企画。音まちの各プログラムを担う市民メンバーや、仲町の家の常連さん、足立区内外で活動する初参加者まで、約50組のパフォーマーが集結し、めいめいの表現を繰り広げた。

東京アートポイント計画との共催終了後も、NPOと足立区、東京藝術大学との共催は続き、まちなかでのアートプロジェクトを通じた「縁」づくりに取り組み続ける。2024年度からは区市町村連携のモデル事業として「Memorial Rebirth 千住」を共催で実施している。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2011~2013年度:東京藝術大学音楽学部、特定非営利活動法人やるネ、足立区
  • 2014~2015年度:東京藝術大学音楽学部、特定非営利活動法人音まち計画、足立区
  • 2016年度~:東京藝術大学音楽学部・大学院国際芸術創造研究科、特定非営利活動法人音まち計画、足立区

関連動画

大巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住 2017 関屋」
2018年度 アートアクセスあだち 音まち千住の縁(ショートバージョン)
2018年度 アートアクセスあだち 音まち千住の縁(ロングバージョン)

HAPPY TURN/神津島

島をめぐる「幸せなターン」を見つける

豊かな自然、神話や独特な風習が残る神津島村を舞台に、人々が島での暮らしに愛着をもち、自分ごととして島にかかわる土壌を育むプロジェクト。新たな価値観との出会いや発見によって、自分自身でつかむ変化のきっかけを「幸せなターン」と捉え、これからの生き方のヒントを探る。もともと島に住む人だけではなく、移住者や観光客、島を離れて暮らす人ともつながりながら、それぞれの考え方や文化を学び合う場をひらいている。

実績

2019年、島の中心地にほど近い通りにある元中華料理店を改装し、誰もが自由に使える広場のような活動拠点「くると」をオープン。大きな黒板や駆けめぐられる庭、音楽が流れるスピーカーのあるスケルトンの建物が生まれ、もともと島に暮らしていた人や移住者、たまたま通りがかった人、旅人など、大人からこどもまで多くの人々が行き交う風景が生まれている。

2021年度からは「アーティスト・プログラム in 神津島」を実施。島外からアーティストを招聘し、島の文化のリサーチや、島民との交流を通じて作品制作や発表に取り組んできた。アーティストの大西健太郎は、島に流れ着いた漂着物や、島の土や枝葉を組み合わせて、島民たちとともにオリジナルの盆栽をつくった。そして、それらの盆栽を持って島内を練り歩く「くると盆栽流し」では、こどもたちが自分のつくった盆栽に見せたい風景を探し、普段は見過ごしてしまうような島の魅力やおもしろさにあらためて触れる機会になった。美術家の山本愛子は、島ならではの素材を集め、刻んだり煮立てたりする染色ワークショップ「景色から染まる色」を開催。常連さんのみならず、草木染に興味を持って訪れた新たな島民たちも参加した。島の資源や染色の工程を学ぶとともに、何気ない景色にひそむ素材から生まれる思いがけない色や、布に定着した模様を楽しんだ。2022年度には、再び大西健太郎や山本愛子とワークショップを実施したほか、アーティスト集団・オル太は住民の話などを手掛かりにパフォーマンスや展示を島内の空き家でひらいた。また、ミュージシャンのテニスコーツとは「くると冬まつり2022」を開催。大人やこどもと島を巡り、島に伝わる唄や踊りを披露した。2023年度には美術家・馬喰町バンドの武徹太郎らを迎え、「くると冬まつり2023」と題し、島に伝わる民話に着想を得た演劇を上演したり、神津島の唄や踊り、参加者がそれぞれの得意技を披露したりした。島内の人々を巻き込こみながら準備に取り組んできたことで、事業に誰もが参加できる余白が育まれた。

そのほかにも、神津島福祉健康まつりへの出展や、島の空き家にある庭の草刈りをきっかけに島民が交流する「島の庭びらきプロジェクト」、島を出た人から島に住む人にメッセージを届ける映像シリーズ「やーい!~島をつなぐビデオレター~」の公開、やりたいことをみんなでやってみる「くると部活動プロジェクト」など、さまざまな企画を実施。部活動では「畑部」「まめでんきゅう部」「おどり部」など、拠点スタッフを顧問として、さまざまな世代が交流する場となっている。ウェブサイトでは、島で「幸せなターン」をしている人を探し、そのインタビューから一つの物語を共有する「HAPPY TURN/神津島 通信」を掲載しているほか、島内の全世帯に向けて活動を届ける『くるとのおしらせ』を発行するなど、島をめぐるさまざまなかかわりしろを生み出している。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2017~2020年度:特定非営利活動法人神津島盛り上げ隊
  • 2021年度~:一般社団法人シマクラス神津島

500年のcommonを考えるプロジェクト「YATO」

次世代を担うこどもと500年後を考える

「谷戸(やと)」と呼ばれる、丘陵地が侵食されて形成された谷状の地形をもつ町田市忠生地域。「すべて、こども中心」を理念とする『しぜんの国保育園』や寺院を取り巻く里山一帯を舞台に、地域について学びながら、500年後に続く人と場のあり方(=common )を考えるアートプロジェクト。アーティストや音楽家、自然環境や歴史などの専門家や地域の団体と連携し、次世代を担うこどもと大人が一緒に取り組む企画を行っている。

実績

「500年続く文化催事=お祭り」をつくる準備としてはじまった、2017年度採択事業。運営メンバーによる「定例会」の設定にはじまり、お寺にまつわる行事に合わせてイベントを行うなど運営リズムをつくった。

地域の小学生が年長者やアーティストと出会う「やとっ子同盟」では、春から夏にかけてワークショップを重ね、秋の「YATOの縁日」で発表会を開催。地域の年長者と「YATOの年の瀬」「初午(はつうま)」を協働するなど定期的な活動のなかで、地域との関係を育んだ。なかでも、影絵師・音楽家の川村亘平斎による影絵ワークショップは定番企画となり、地域のこどもたち(やとっ子)に好評を博した。地域の植生や神話を学び、それを影絵芝居にし、お寺の境内などでお披露目した。

地域のこどもたちに向けてかつての忠生地域の姿を伝える『YATOかわら版』の定期的に発行し、近隣の小学校などでも配布した。その土地で暮らす個人の視点を通して、地域の物語や風土に触れることができるアーカイブプロジェクトを実施。聞き書きをもとに、『YATOの郷土詩』としてまとめた。また、寺院の有休施設だった「こもれび堂」をこどもたちが集まれる拠点として改修し、椅子や棚にもなる箱形の家具づくりも行った。

東京アートポイント計画の共催終了後は、拠点がある保育園や寺院などを囲む里山一帯に手を入れて、定期的にメンテナンスする「ていれのかい」を月1回開催。自然のなかの活動に興味のある若い世代とともに人が歩ける道をつくり、木材を使い、宿坊を開くなど、谷戸ならではの生態系を育む。毎年、秋祭りとして「YATOの縁日」を行うなど、地域拠点としての里山へのさまざまな入り口を用意し、500年先への取り組みを続けている。

関連記事

すべてが動き出すまでの、仕込みの5年間――齋藤紘良「500年のcommonを考えるプロジェクト『YATO』」インタビュー〈前篇〉

すべてが動き出すまでの、仕込みの5年間――齋藤紘良「500年のcommonを考えるプロジェクト『YATO』」インタビュー〈後篇〉

小金井アートフル・アクション!

市民がアートと出会い、心豊かな生き方のきっかけをつくる

小金井市芸術文化振興計画推進事業として、小金井市をフィールドに、市民がアートと出会うことで、心豊かな生き方を追求するきっかけをつくることを目的とするプロジェクト。芸術文化によるまちづくりの検討や市民が事業にかかわる場づくりを行う。

実績

小金井市芸術文化振興計画をきっかけとして、2009年度に小金井アートフル・アクション!が始動する。東京アートポイント計画では、2011年度から数々のプログラムを共催した。2012年度からは市内の学校を中心に学校連携事業に取り組んできた。年間2〜3校を対象に、授業づくりの段階から先生たちと議論を重ね、市民スタッフとともに運営した。授業で使う材料をともに考え、道具の使い方を学び、さまざまな技術を試すことから、教科を横断したプログラムづくりがなされた。

2012年度から2016年度にかけて、保育園でのプロジェクトも行われた。壁画制作や音楽、演劇の手法を用いたワークショップを実施。年を重ねるごとに父母会などの保護者を中心とした運営体制に移行していった。2017年度からは70歳以上のメンバーと映像制作を行う「えいちゃんくらぶ(映像メモリーちゃんぽんクラブ)」を開催。「市民」を対象とする事業として、未就学児や高齢者など通常のプログラムでは手の届きにくい層の人たちとのかかわりづくりを意識的に行ってきた。

2015年度からは文化活動家のアサダワタルをゲストディレクターとして「小金井と私 秘かな表現」を3年かけて実施した。最終年には公募で集まった「市民メディエイター」とアサダが、それぞれに小金井の「記憶」をテーマに遠足のコースをつくる「想起の遠足」を行った。2019年度からは、詩人の大崎清夏と振付家/ダンサーの砂連尾理をゲストアーティストに迎え、参加者の市民とともにまちなかでの企画を立案し、実施する「まちはみんなのミュージアム」に取り組んだ。いずれのプログラムも公募した市民が用意されたプログラムの参加者となるだけでなく、アーティストの手法を学びながら、時間をかけて、ともに試行錯誤を重ねて表現まで行うことが特徴である。

オーストラリア在住のアーティスト・呉夏枝(オ・ハジ)とは「越境/pen友プロジェクト」を2019年度に開始した。日本在住の外国にルーツをもつ「おばあさん」とノートを使った文通を重ね、その記憶をたどり、2020年度にはプロジェクトに伴走した参加者とともに「おばあさんのくらし 記憶の水脈をたどる展」を開催した。

複数年の時間をかけて、異なるプログラムが連動しながら進んだ事業の軌跡やかかわった人たちの声は『「やってみる、たちどまる、そしてまたはじめる」小金井アートフル・アクション!2009-2017活動記録』にまとめられている。また、東京アートポイント計画との共催の最終年には、事務局長の宮下美穂の対談や書き下ろしを収録した『氾濫原のautonomy|自己生成するデザイン』を発行。これまでの実践での気づきは、2021年度から始動した「多摩の未来の地勢図」へ引き継がれている。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2011年度:小金井アートフル・アクション!実行委員会
  • 2012~2020年度:小金井市、特定非営利活動法人アートフル・アクション

関連記事

答えのまえで立ち止まり続ける。市民の生態系と問いかけが生むプロジェクト——宮下美穂「小金井アートフル・アクション!」インタビュー〈前篇〉

バラバラなものをバラバラなままに。結果を急がず、遍在するものの可能性を丁寧に感知することが必要。——宮下美穂「小金井アートフル・アクション!」インタビュー〈後篇〉

TERATOTERA

ボランティアが創るアートプロジェクト

古くから多くのアーティストや作家が暮らし、若者の住みたいまちとして不動の人気を誇るJR中央線高円寺駅から国分寺駅区間を舞台にしたプロジェクト。2010年、Art Center Ongoing 代表の小川希を中心に始動。毎年、社会に応答したテーマを掲げ、まちなかで「TERATOTERA祭り」を開催し、現在進行形のアートを発信した。また、ボランティアスタッフ「テラッコ」による企画・運営を通じて、アートプロジェクトの人材育成にも取り組む。

実績

毎年開催した「TERATOTERA祭り」は、ボランティアスタッフ「テラッコ」の実践の場として、 2010年度より吉祥寺駅エリア、 2013年度より三鷹駅エリアで実施し、毎回ドキュメントブックを発行した。事業開始当初よりアートプロジェクトのノウハウを通年で学ぶ連続講座として 「アートプロジェクトの 0123 (オイッチニーサン)」を開講。座学と現場での実践を連動させながら、アートプロジェクトへ参画する人材の裾野を広げている。

2016年度からは、東南アジア諸国で活躍する若手アーティストを招聘し、地域と連携しながら作品制作から発表までを行う 「TERATOSEA (テラトセア)」がスタート。東南アジアからコレクティブのあり方を学び、自分たちのエリアでの実践に取り組んだ。

2018年度にはテラッコの歴代コアメンバー16名によるアート活動を支える組織「Teraccollective (テラッコレクティブ)」 を設立し、「TERATOTERA祭り」のテーマ設定から運営までを主体的に行った。また、武蔵野クリーンセンターや武蔵野プレイスなど、 武蔵野市による施設連携の要望に応えて、アートプログラムを共催するなど、公的な文化事業の担い手となった。

2020年度のTERATOTERA祭りは、「Collective ~共生の次代~」をテーマに、東南アジアと日本から6組のアート・コレク ティブを東京に招聘する予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、オンラインにて開催。この状況下でそれぞれのコレクティブがどのように過ごし、何を考え、どのような 作品を発表するか、その話し合いの様子をYouTubeで公開し、 作品ができるまでのプロセスの情報発信にも力を入れた。

そして、2020年には任意団体であった「Teraccollective」が一般社団法人化。東京アートポイント計画との共催終了後も「アートプロジェクトの 0123」など、TERATOTERAの事業を引き継いで展開している。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2009~2012年度:一般社団法人TERATOTERA
  • 2013年度〜:一般社団法人Ongoing

関連動画

TERATOTERA祭り2018(Long version)
TERATOTERA祭り2018 (Short version)
TERATOTERA祭り2017(Long version)
TERATOTERA祭り2017 (Short version)

関連記事

社会実験としてのコレクティブ。緩やかなつながりから新たな表現を生む——小川希「TERATOTERA」インタビュー〈前編〉

アートの裏方だけのコレクティブはどんな価値を生む? 「Teraccollective」の可能性——小川希「TERATOTERA」インタビュー〈後編〉

トッピングイースト

まちを舞台に音や音楽との新しいかかわり方を開発していく

下町観光開発などで日々進化し続ける東東京エリアにおいて、CDを買ったり、ライブやカラオケに行ったりして楽しむだけではない、まちなかでの音楽とのかかわり方を開発する。パブリックな場所での音楽の展開可能性や適正規模を考えるプログラムや、音楽プログラムへの多様な参加手法を探るプログラムを展開した。

実績

アートプロジェクトという手法だからこそ挑戦できる「音」や「音楽」とのかかわり方を模索するため、2014年にスタート。主に3つのプログラムを軸に展開した。

「ほくさい音楽博」は、こどもたちにスティールパンやガムラン、義太夫といった世界中の響きの美しい音楽に触れてもらうプログラム。公募で参加者を募集し、プロフェッショナルな音楽家とともに、年1回の発表会に向けて、練習を重ねていく。発表会では、このお披露目のほか、オーストラリアやアフリカの民族楽器、サンバのカーニバルの楽器と衣装など、世界中の楽器や音楽を体験できる参加型プログラムも実施した。回を重ねるなかで、毎年のように参加するこどもたちや、保護者が主体となってイベントをサポートする仕組み「みまもり隊」が生まれ、音楽を通じてこどもが主役となるオルタナティブなコミュニティへとつながった。

アーティスト・和田永による「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」は、使われなくなった電化製品を用いて新たな楽器を制作し、奏法を編み出し、オーケストラを目指すプログラム。ブラウン管テレビを用いた「ブラウン管ガムラン」、扇風機を用いた「扇風琴」などを開発し、都内外のさまざまなイベントで披露してきた。楽器の開発やシステム改善、パフォーマンス内容の企画などは、アーティストだけではなく、市民チーム「Nicos Orchest-Lab(ニコス・オーケストラボ)」のメンバーであるエンジニアやプレイヤーとともに行っている。「Nicos Orchest-Lab」は、東京アートポイント計画として実施した東京チームだけではなく、茨城や京都、さらにはリンツ(オーストリア)にも市民を中心にチームが発足し、音楽を通じて世界にネットワークが広がっている。

「BLOOMING EAST」は、音楽家が東東京をフィールドに、アーティストが自らの興味関心をもとにリサーチをしていくプログラム。コトリンゴ、コムアイ、寺尾紗穂といった女性音楽家が東東京でさまざまな人々に出会い、「戦災孤児と教会」や「移民」など、土地の歴史や社会問題と向き合ったテーマでリサーチを重ねた。リサーチの試行錯誤をもとに、トークセッションやまちを巡り、リサーチの軌跡を辿るプログラムなども行った。

東京アートポイント計画との共催終了後も、本事業の実績をいかし、地域や社会状況に応答したプログラムを行なっている。東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会の文化プログラムとして実施された「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」の一環として、アートプロジェクト「隅田川怒涛」を開催。コロナ禍により、当初想定していた墨田川流域を舞台にした形態から、オンライン開催への変更を余儀なくされたものの、地域にゆかりのある音楽家やアーティストが数多く参加。共催期間に行ったプロジェクトを発展させたプログラムをはじめ、ライブ配信やオンラインワークショップ、展示インスタレーションなどを行った。また、「隅田川怒涛」を行うなかでメンバーが感じた気づきや問いについて、アーティストやライター、行政職員などさまざな人と対話した記録『隅田川自治β ダイヤローグ』をウェブサイトにて公開した。

2021年からは、地域のこどもたちが家や学校以外でも安心して過ごすための居場所づくり事業をスタート。ワークショップやフードパントリーを通じて、こどもを支える地域の人々や音楽・文化芸術とのつながりを生み出すことに引き続き取り組んでいる。

関連記事

「利き手」を封じたときに見えるもの。これからの音楽のあり方を問いかけるプロジェクト——清宮陵一「トッピングイースト」インタビュー〈前篇〉

「ビビらなくなってきた。何年かかってもいい」。注目の音楽家とゆっくり、ひっそり進めるリサーチ型プログラム——清宮陵一「トッピングイースト」インタビュー〈後篇〉

東京ステイ

東京の日常と、旅人のように出会い直す

劇作家・石神夏希を中心に「東京らしさ」を持つ場の多様性と個性を見出し発信することで、 東京の文化的価値を見つめ直すことに取り組むプロジェクト。 価値発見の手法として「ステイ」(旅人と住人の中間の視点を持つ滞在体験) を用い、のアプローチの有効性を探る。東京のまちを、目的に向かって最短距離で歩くのではなく、まちと個人の間に物語を立ち上げる「ピルグリム(日常の巡礼)」という歩き方を開発し、試行を重ねている。

実績

2016年度、東京アートポイント計画がパートナー公募をはじめて最初の採択事業としてスタート。劇作家、デザイナー、建築家、まちづくりの専門家などが参画し、フィールドワークやレクチャー、ディスカッション、体験イベントなどを行い、まちと出会うための手法の開発を目指した。コンセプトは、まちと個人の間に物語を立ち上げる歩き方「ピルグリム(日常の巡礼)」。東京で生きる人々が、東京の日常と、旅人のように出会い直すための手法を紹介し、体験を深めるブックレット『日常の巡礼~まちと出会い直す10のステップ』『巡礼ノート 日常を歩きなおす人のために』を発行した。これらは、企業研修で、思考を拡げるためのツールとしても活用された。

こうした「東京というまちと向き合う」という問いは、2018〜2019年度に石神夏希がナビゲーターを務めた東京プロジェクトスタディ「『東京でつくる』ということ」へと展開。エッセイを書くことで自身と場所の物語を発掘し、参加者がアートプロジェクトを立ち上げる起点となった。

関連記事

巡礼から生まれる、「場所」との新しい物語 —石神夏希「東京ステイ」インタビュー〈前篇〉

生きる力としての物語の力。わたしたちはどう取り戻すのか。 —石神夏希「東京ステイ」インタビュー〈後篇〉

Betweens Passport Initiative

異なる文化をつなぐ「移民」の若者たちとともに

「移民」の若者たちを異なる文化をつなぐ人材と捉え、アートプロジェクトを通じた若者たちのエンパワメントを目指す。定時制高校と連携し、部活動として「移民」の若者たちの居場所づくりや、学外でのアーティストとのリサーチやワークショップの実施。その運営を若者「ユース(Youth)」メンバーがともに担うことを通して、人材育成とコミュニティづくりを行う。

実績

Betweens Passport Initiativeでは、「移民」の16歳から26歳の若者たちを対象としている。ここでの「移民」とは、多様な国籍・文化を内包し生活する外国人のことを指す。日本での社会生活において「できない」ことが指摘されることの多いかれらに、自らが「できる」ことを見つけるための機会をつくることを目指した。

2016年度から、都立の定時制高校と連携し、多言語交流部「One World」の活動を通して「移民」の若者たちの居場所づくりを行ってきた。高校中退率や、卒業後の進路の未決定率の高さに垣間見える、高校生の「孤立」という課題に対して、学外のメンバーがかかわり、学び合いの場をつくることで、学内でのコミュニティづくりを試みた。運営は高校とNPO、大学の3者が手を組み、アーティストなどの外部講師によるワークショップや大学の留学生との交流など多様なプログラムを展開した。その3年間の活動での気づきや、問題背景、具体的なプログラムの内容は『Stories Behind Building Community for Youth Empowerment 高校・大学・NPO の連携による多文化な若者たちの居場所づくり:都立定時制高校・多言語交流部の取り組みから』にまとめられた。

学外でのコミュニティづくりとして、港区にあるSHIBAURA HOUSEを拠点に「移民」の若者たちを軸としたインターンプログラムも実施している。Betweens Passport Initiativeのプログラム運営をともに行うだけでなく、インターンからの提案を受け、大学教員など外部協力者とともに、自分たちの進路や強みを考えるリサーチやワークショップなどを行った。

2018年度に開催した外部の専門家などを招いた議論の場である「Sharing Session」では「移民」の若者たちのリーダーシップを育む環境づくりがテーマ。国内での「移民」が抱える課題に向き合い、その当事者である若者たちをエンパワメントすることを目的にはじまった本事業は、「移民」の若者たちがリーダーシップを発揮できる未来の社会像を思い描くことで共催期間を終えることとなった。

東京アートポイント計画との共催終了後には、一般社団法人kuriyaの代表・海老原周子の10年にわたる活動や日本の「移民」を巡る状況をまとめた書籍『外国ルーツの若者と歩いた10年』を発行した。本書には、海老原が想像した2030年の多文化共生社会の姿も収録している。

関連記事

『移民』の若者のエンパワメントのために、アートプロジェクトができること—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー〈前篇〉

定時制高校で「現場」をつくるところから。「社会包摂」と「アートプロジェクト」の関係を考える。—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー〈後篇〉

その場にいるすべての人にとっての創造的体験(宮下美穂×佐藤李青)

対談シリーズ「表現をめぐる小さな哲学〜小金井アートフル・アクション!の現場より〜」の第4回はNPO法人アートフル・アクション!の宮下美穂さんとアーツカウンシル東京の佐藤李青の対話(後半)をお届けします(前半はこちら)。対談は今回で最終回。前回に引き続き、話題は現場を動かす方法論から、最後は目指すべき場のありかたへと向かいます。

話し手のプロフィール
宮下美穂(NPO法人アートフル・アクション!事務局長)
佐藤李青(アーツカウンシル東京プログラムオフィサー)

(構成:大谷薫子)

その場にいるすべての人にとっての創造的体験

佐藤 以前、宮下さんにTARLの学校でお話しをしてもらったとき、みんなものすごく共感していたんです。でも同時に、どうしたら宮下さんが言うような場をつくれるんだろうとも言っていたんです。ふだんの仕事では「どう最短距離で成果を得るか」を考えてしまうけれど、宮下さんはそうではないやり方を話しているように思えた。そうしたいって思うけど、自分が手を動かすと、どうしていいかわからなくなるだろうと言っていました。

宮下 昔、李青さんに「宮下さん、結局、なにがきてもやり方はいつも同じですね、現場をつくる方法論はいつも同じですね」って言われたことがあります。覚えてます? 

佐藤 覚えてないですけど、言いそうですね(笑)。そう思うので。

宮下 たぶん方法論は変わらないんです。つまり指揮系統をはっきりさせて、参加する人たちに指示どおりに動いてもらうみたいなことはできないし、したくない。むしろ予測できないことがいっぱい出てくることのほうが面白いし、ズレとか違いから次のステップ、次に進むべき道が出てくることこそクリエイティブだと思うので、場をつくるときは、最小限の安全管理みたいなことだけは最初に言うけど、それ以外のことは、あまり言わない。説明って常に多いことがいいのか、わからないなって思いはじめているんですよ。「あなたはあなたの経験で判断して動いていいよ」みたいなことのほうが、実は動きが早いなって。

安全管理にしても、私がエキスパートというわけではなく、それぞれの人の気づきをあげてもらってそれを共有していきます。マニュアルにしてしまうとその時点で完成してしまって、逆に現場で役に立たない。

佐藤 個々の判断にかなり任せているということですね?

宮下 学校のワークショップでも、子どもたちだけが豊かな時間を体験するのではなくて、そこに関わる大人たちにとってもよい体験となるために、それぞれの人の判断で相対してくださいと言っています。それぞれの人がそれぞれの度合いで主体的に関わる現場のほうが、みんなにとって創造的な体験になるし、そうあってほしい。
そこには、それぞれの人の来し方に裏づけられた、ものごとへの対処の仕方や向き合い方がある。たとえば目の前で赤ちゃんが大泣きしているような状況下で、それぞれの人がそれぞれの人のアイデアや知恵や思いやりで「どうして泣いているのかな? どうすれば泣きやむかな?」と自分なりの関わり方を考えて対処すればいいと思う。学生は経験が浅いからダメというわけでもなくて、私たちの半分くらいの人生経験であるがゆえの目線でアプローチすることができますよね。

スピード感があるだけではなく、決して狭い意味で利己的にならず、思いやりに満ちた共同作業の中でその場にいるそれぞれの人が、それぞれの経験のなかでできることをやっていく。それが循環していく中で自由度が増し、有機的に自走する場というのが自然にうまれてくることがあって、みんなすごいなって思います。

準備と安全管理の幅

佐藤 そういう場での動き方は、スタッフのなかでリレーみたいに伝わっていくんですか?

宮下 基本的にはリレーですね。でも、リニアに一対一でバトンを渡すわけではないような気がします。あの人はこうやっているけど、自分だったらこういうふうにするとやりやすいといったことを試しながら。こことの関わりの長い人がバトンを渡す側になるとも限らなくて、関わりの浅い人から指摘されることも、学ぶことも多い。重要なのはそれを聞く場があるってことのほうかな。遠慮せずに「こういうやり方、どうだろう?」って、それぞれが言えることが大事ですね。

佐藤 それぞれの生活経験や職業経験から、知恵とかアイデアを出し合って?

宮下 たとえば「子どもが怪我をしないようにしてください」と言ったときに、怪我をしないやり方を自分でやって見せてあげようと思うならそうすればいいし、体の使い方が不慣れで不安定な子どもの体を支えてあげようと思うのならそうすればいい。一方で、少しくらい怪我をしないと道具の使い方を覚えないよねっていう話もあって、そのときは小さい怪我からしていったほうがいいっていう選択もありえます。

大人たちにも「怪我をしないように防具をしてきてください」みたいなことは言わないので、自己判断で手袋をして来る人もいれば、素手で来る人もいる。いろいろなあり方の人がその場でないまぜになっていることはむしろいいし、そういう大人の姿を子どもも見ればいいって思います。

佐藤 宮下さんが仰っていることって、本番で動ける体をつくるための態度でもあると思うのですが、準備運動みたいなことはしないんですか?

宮下 小学校に行くときは、ワークショップの前に実験とリサーチはすごくしますよ。素材や道具がこれで本当に適しているだろうかとか、この量で足りるのだろうかとか、この伝え方や考え方でいいのかとか。大人が7、8人集まって、実験を4、5回くらいはやって現場に行きます。子どもに刃物を渡すときは、切れない刃物よりも、切れる刃物のほうが怪我をしにくいので、ワークショップの前日に大人が刃物を研いだりね。そういう過程でアイデアが生まれることもとても多いです。

佐藤 その場合の準備と安全管理って、通常の意味よりは幅が広いかもしれませんね。「なにか起こった」ときに電話をかける病院の連絡先を知っているということだけではなく、素材や道具に触れておくことで「なにが起こりうるか」を身体的に理解しておくことや、経験豊富な人も含めていろんな人が現場にいることで、結果的に誰かの大きな怪我を防ぐこともあるかもしれないですからね。

宮下 30分のスピーチを30分でとりこぼしがないように話すための予行練習みたいなことはしないですね。その場その場であれが足りない、これが足りないっていうのは当然、発生するし、天候によっても事態はどんどん変わりますから。

いずれにせよ、これは危険だからとか、怒られるからといった理由で、無条件降伏することは絶対にないです。これをこっちに、これはあっちにみたいなことで、いわば「やりくり」しながら、課題を解決しながらできるかなって考え続けますね。その結果、想定していたこととは違うことになったり、予定外の豊かな産物が生まれたりすることがある。それを実現するのが、個々の多様な経験と、考え続けようとするマインドをもちつづけられる場なのかな。

佐藤 でも、そういうマインドをもつことは簡単にできないこともあると思うんですが、そうしたときはどうするんですか?

宮下 やってみる(笑)。まあ、まずはともかくやってみよう、って。たとえば立派な桜の原木が手に入ったら、どうしたら子どもたちのワークショップで使えるかを考えて、どのくらいの大人の力でくり抜けるか、みたいなことを試します。そのときに、刃物の使い方について経験のある人はその技を尊重しますけど、使ったことのない人もやってみたらいい。刃物の使い方だけではなく、見守りとか、その人オリジナルの技が必ずある。

少なくともやってみる、なにかしらはかなりしっかりやってみる。でも、出た先ではほとんど即興です。全部設えてブースみたいに垣根をつくって、この人はこの担当、というようにパッケージして現場に行ったら、参加した大人にもセンシング能力はつかない。この状況、危なくない?みたいな感覚は、とても大事な気がします。

私的なセンサーでひらかれた身体

佐藤 日本にいる「移民」の若者たちを対象としたBetweens Passport Initiativeというプロジェクトを2016年度から担当しているんですが、このプロジェクトは「移民」の若者たちが社会で抱えている困難や社会課題に目を向けるだけでなく、彼ら/彼女らがもっているポジティブな能力とどう向き合うかに取り組んでいます。なにがポジティブかというと、たとえばなにかの状況において足りないものがあったとしても「その瞬間になにができるか」を考えて、なんとかやる方法を編みだしていくのがうまいんだそうです。準備や物が足りなくても、これだったらこうやれちゃうよねっていう対応の技術がすごく高い。

宮下 それこそダイバーシティだし、サバイバルですよね。系統立てて積み上げていかなくても、散り散りになっているパーツをかき集めて必要な「もの」「こと」にしていく。まあ、「栽培された思考」に対して「野生の思考」— 概念的にはずっと前から言われているブリコラージュなのだけど、百の仕事ができるという意味で百姓でもあるし、即興でもあるかな。

細かい専門分野ごとに準備とか技術を積み上げて堅牢な楼閣に身を潜めるみたいなことって、実は脆かったりする。そういう意味だと、細い糸作戦とよく言っている作戦(笑)もあります。休みなく働き続けることが社会人であるというレッテルを疑わない社会に対して、自分の感覚を信じて休んでみる、そこでの出会いや変化の中で菌糸のように人とつながったり、出来事につなげたりしていく。実はそちらのほうがタフだし、多様ゆえに変化に強いって気がします。

佐藤 それこそ、いま社会にとって必要な技術だという気がします。継続的に関わったり、安定してなにかをやり続けていくという考え方が、マイノリティになったりすることもあるのかもしれないし。

宮下 もちろん、技能や専門性を獲得するためには知識や技術を積み上げていくことが重要な分野もあると思うのですよ。それは大切なこと。けれど、無意識か意識的かは別にして、獲得したその技術や分野の尺度が、その人が世界と相対するときの価値判断の尺度になってしまって、物事と出会うときの曖昧さを排除したり、生物としての人間の原初的な能力や直観、好奇心が覆い隠されてしまうとしたら、もったいないですよね。
その人の原初的な能力や可能性を後ろに引っ込めて、社会のルールに乗って生きられるようになることが大人になることや人が社会化されることとされてしまったら、とても偏狭なものしか生まれない気がします。

佐藤 宮下さんの話をうかがっていると、社会に足りない技術を補うということではなくて、そもそもそういうあり方で動くことのほうが自然だよね、みたいな価値転換を促されるような気になってきます。なんでそれができないんだろう、という疑問すら湧いてきますが、一方で最初の質問に戻るんですが、実際にやろうとすると、とても難しいことなんだと思います。

宮下さんがつくる場に関わるうちに、そこにいられる技術、そこで動ける態度みたいなものが生まれるのでしょうか? それともなにか意識していることはあるのでしょうか?

宮下 なんでしょうね。「あなたはどう思う?」とか、「その方法で本当にいいの?」みたいな問い掛けはかなりしつこくしますけど。たとえば些細なことですが、ワークショップのアンケートをつくるときも、自然科学系の教育を受けた人に多いですけど、数量化できるということで項目をつくるんですよね。「分析しやすいから」って。

それはそれでいいのですが、ここでなにを分析したいの?ということを尋ねたときに、前年度と比較したいということもありますが、そのことによってそこで起きたこととか、聞きたいことが聞けなくなるのであれば、「比較」が重要なのではないかもしれない。なによりも、次になにかをつなげるために人になにかを尋ねたかったら、そのワークショップを開催した意図や方法に即した問い掛け方があるよね、って。

アンケートだけでなくミーティングの資料も、既成の方法にこだわる必要もなくて、大きな模造紙に書いたほうがと思えばそうすればいいし、しゃべり続けたければそうすればいい。自分のなかの問いとか、そこでつかんだことを伝えたり、残したりするのにふさわしい技、方法というのを見出してくださいという話は結構、長くして、本人が答えを見出すまで待ちたいと思います。そのときも、答えがあってそこに誘導するみたいなことはしたくはないし、そもそも答えはもっていない。だから、考え続けることに伴走はするし、私も自分の意見は言いますが、最後はその人に委ねたいと思っています。そうしなければ、やったことに対するリフレクションというか、照り返しも自分のこととして受け止められない。そういうやりとりは、あらゆる場面で起こります。結構しつこいですね(笑)。

佐藤 根気が要りそうですね。

宮下 そのとき、その場でいちばん必要なことはなんなのか、その問いをちゃんと考えるということですよね。さらにその問いを解くための方法というのは、アートに限らず、360度あらゆる技術が考えられるはず。そういうことを自由に考えられるようなクリエイティビティや場があることも大事だと思っています。

だから「アートがなにかを解決する」みたいなところに逃げちゃわないで、できるだけ事の本質は自分にとってなんであるのかを、全方位的に考えようとする心と体というのがあったらいいですよね。結局、とことん考えなければ問いの本質も、解決の本質もわからない。その問いを探すためには、身体が社会の規範や常識で閉じるのではなく、私的なセンサーでひらかれてなければ、見つけられないと思うんです。

佐藤 そうした問い掛けに対する多様な方法を持つという意味では、本来、教育という枠組みが拾うところでもあると思うのですが、見落とされがちな気がします。

宮下 いまの教育「システム」の問題はあるのかもしれないですね。考える動機とか、学ぶ動機とか、自分が本当にそれを望んでいるかどうかよりも、与えられた課題をクリアするための努力のほうが要求される。そのことで自分の感情とか違和感みたいなものを小さい頃から封じ込めていくと、自分の身体や心で出来事や身のまわりを先入観なしにセンシングする能力がどこかで摩滅していく気がするんです。

自分の感情や違和感を隠蔽して生きるのと、心を開いて受け止めながら生きるのと、どちらのほうがその人が持って生まれた潜在的な能力を発揮することができたのかなって思うとなかなか難しいなって。どんなに稚拙でも、その場その場で立ち止まって問わないと、どんどんイージーになって、気がつかなくなっていくという気がします。

佐藤 そうやって問い続けることは、ぐっと踏みとどまる力が必要そうですが、同時に宙ぶらりんな気持ちにもなりそうですね。

宮下 うん、答えの無さに耐えないといけないからね。先日、長島確さんにお話をうかがったのですが、長島さんは、自分のオリジナリティとか、確固たる「自己」を求めて内面を掘り下げ、求め続けることはけっこう問題のように思われているようで、作り手になろうとしている学生たちには「自分の中からなにかを出そうと掘り続けることをやめよう。それはきついし、案外出てこない。とりあえずそこに頼るとすぐ枯れる。その代わりたくさんインプットして、いろんなものを見るとかパクれ」と言っていると聞きました。また、いま若い人たちが作ったり見たりする映画や小説が描く社会、時代の物語にしても、ある種のハッピーエンドを設定しないとやっていられないぐらい、悲惨な絶望感を生きているというか、未来がない感があるのでは?という話もしていました。

私たちの世代の20代、30代の頃は、頑張ればなんとかなるというその幻想に騙されて生きて来られた。でも、今の若い世代にはその幻想のもつ言葉は通じない。高度経済成長は終わって、バブルも弾けたわけで、なりふり構わずに高みという幻想を目指すのではなく、むしろ宙づりにされた曖昧な日々を淡々と生きること。これを単純に日常などと言ってしまうつもりは全くないのだけれどね。

確固たる「自己」やある種のハッピーエンドを設定するのではなく、問い続けるということを保証するのは、自分を照らす、自分を客観的に眺めることを強いてくる表現やその表現を成り立たせる場があると良いのかな?と思います。蛸壺のような穴を孤独に掘り続けてもいいですが、その方法以外にもあるかもしれないねと、ささやかでも対話を繰り返しながら、体と心を緩やかに開いていくことができるといいな、と思います。

バラバラに存在しながら、照らし合う場

宮下 そういう意味でもそれぞれの人が自分自身のセンサーを頼りに身体を開いて、世界に身をさらしていくことができる場や状況って、けっこう大切だと思うのです。個々の身体が既成の価値や周りからの評価、期待のなかでがんじがらめになってシェルターを閉じていくと、孤立化したり、あるいは自分で自分を疎外してしまう。浅学ですが、近代においては、「世界」とか「家族」とか「共同体」みたいな価値が厳然とあって、仮に疎外された主体であっても「個人」がそのなかで相対化された。けれど現代は、そのどれもがなし崩しになって、個人さえもが分裂している感じがします。自分で自分を侵食している。「個人」や「自己」が溶け出して体をなさない。「表現」というのは瓦解していく自己をつなぎとめ、貼り合わせようとする懸命な防衛かもしれません。これは、なんだか、かきむしること、みたいな感じもします。この、貼り合わされた自己が、いわゆる近代的な自我という概念に沿うような自己である必要は全くないのですが。それにしても、自分を掘り続けることを少しやめることともつながります。

佐藤 そうした「個人」と「個人」の関係を編みなおすような場のあり方が必要なんですかね。

宮下 自分自身からも疎外されるような状況においては、「個人」対「個人」という構図がもはや成り立たないのかなって気もしているんです。肉体はそこにあるけどね。

数年前、国立ハンセン病資料館で一遍聖絵・極楽寺絵図の展示があって、会期中、オリジナルが展示されたので観てきたのですが、その絵には、身分の高い人や念仏踊をしている町衆、宴会をしている人もいたり、遊女もいるなかで、癩病を病む人も描かれていて、お寺の軒下のようなところでお酒を飲んでる描写もあったりするんです。この絵は、病むこととか弱さをその社会が、あるいは一遍がどのように捉え扱っているのか、その考え方が端的に扱われていて、興味深い。もちろん、この時代にも厳然たる差別はあったのでしょうが、街のなかに暮らしながら、さまざまなかたちで隣り合わせに居ることが、少なくともここに描かれています。

翻って、今日、個が溶け出ようとするぎりぎりの一人ひとりが、他者との違いや自分のなかにある分裂をも内包しつつ、閉じたシェルターを広げていくことで、他者や世界との境界線が重なったり緩んだりするのではないかと思うんです。かきむしるような状態で開けといわれても、それは……ってかんじだけれど、少なくとも、その人がその人としてシェルターを広げていくことのできるときが来るまでそれを待つ、一遍にはなにも求めずに受け入れる感じがあるような気がする。簡単なことではないと思うのですが。そしてこちら側に答えがあるわけではないのだけれど。

佐藤 ワークショップで、大人たちが研いだノコギリや鑿(のみ)を子どもたちに手渡すという現場のお話がありましたね。怪我をしないように研いでいるわけですけど、刺されたら死ぬものを道具として使っているともいえる。でも、だからといって、なにかあってもそう簡単に死なないものだとも知っている。シェルターが広がることで、そのすれすれ感みたいなものが人と人との関係のなかに生まれるとおもしろいかもしれないですね。

宮下 狭いシェルターのなかで身体を縮こまらせて生きているなって気づいたら、このくらいなら死にやしないんじゃない?っていう「このくらい」が広くなっていくと、生きやすくなるかもしれないですよね。多様な状況や様態/容態がバラバラに存在しながら、その存在を照らし合う場、みたいなものがうまれえるような気がするんです。許し合う場、ではなく照らし合う場、ですね。

国立ハンセン病資料室編『一遍聖絵・極楽寺絵図にみるハンセン病患者 ~中世前期の患者への眼差しと処遇~』図録では、画面左手で、踊り念仏を見学する群衆の「両手に下駄で「いざる」の人は障碍者、覆面の2人組は「癩者」」なのではないかと指摘されている。画像)国立国会図書館デジタルコレクション「一遍上人絵伝」第7巻より。

バラバラな個々のスケールを宿す複雑な場(宮下美穂×佐藤李青)

対談シリーズ「表現をめぐる小さな哲学〜小金井アートフル・アクション!の現場より〜」の第3回はNPO法人アートフル・アクション!の宮下美穂さんとアーツカウンシル東京の佐藤李青の対話(前半)をお届けします。いったい、どのような「哲学」がそれぞれの現場には込められていたのか? 小金井の事業の立ち上がりから伴走してきた佐藤と、現場の思考の一端が語り合われます。

話し手のプロフィール
宮下美穂(NPO法人アートフル・アクション!事務局長)
佐藤李青(アーツカウンシル東京プログラムオフィサー)

(構成:大谷薫子/写真キャプション:宮下美穂)

バラバラな個々のスケールを宿す複雑な場

佐藤 ここのNPOの活動にコアに関わっている人は、何人くらいいるのですか?

宮下 ほとんどいないです。ここのNPOにスタッフとして関わってくれている人たちも、ほかのNPOなど、別に仕事をもっている人もいますし、ここのほかに幾つかの活動場所や仕事をもっていて、参加できることや時間があるときに一緒に活動する人が多いですね。

プロジェクトの運営にしても、たとえば小学校で絵を描くワークショップをやるときにはイラストレーターや絵描きが参加したり、大きな構造物をつくるときには建築家が手伝いに来たりします。学校のワークショップには関わらなくても、手仕事が得意な人などは、いろいろなマーケットを自分たちで立ち上げて、手芸品や焼き菓子などを売り買いする「いいとこ日曜市」というとてもリベラルな場を自らつくっていたりします。

佐藤 雑多な植物が育つ畑っぽいですね。絶妙なバランスで生態系が成り立っているというか。

宮下 私、もともと造園、ランドスケープデザインを仕事にしているんです。多様な生物がひとつの敷地、エリアのなかに生息するためには、雑木の斜面林や田んぼ、土の畦道、氾濫原、湿地、草地、小川が流れている、いろんな要素があるということが必要条件なんですね。景観としても、同じ植物が一面に機械的に植わっているより美しいです。そこにあるのは、ある種の複雑さ。多様というより複雑さ。そして、作為的でないバランス/均衡がある。そんな情景とも通じる気がします。

佐藤 なにかの活動を共にしようとするとき、時間の感覚や物事に向き合う態度に対する共通のスケールのようなものをつくっていくのは大事なことだと思うのですが、それが規格的に揃ってしまうのもよくない気がします。揃えたほうが物事を早く進めやすいし、社会的に求められるスケールにも合わせやすい。
でも、宮下さんがつくる場は社会的なスケールに合わせつつも、個々人のスケールの伸び縮みを大切にするというか、むしろ、それがバラバラであることが社会的なスケールだよね、ということを提起しているように思うのですが。

宮下 数少なく意識していることのひとつは、私の言っていることにNO!と言ってくれる人が多いほどチームは健全だ、ということです。つまり、それぞれの人の抱えている背景やその人らしさがもっているものは、すべからく等価で、それを盲目的にこちら側に引き寄せるのは暴力だと思うし、違っていてもわかり合うことはできる、それぞれの人の背景をもって、一緒に事に向かうゆるいゆるい集まりがいいかなと思っているんです。成果に関しても同じで、「これ」を獲得しよう、という単一の目標を設定することは大人の場合も、子どもの場合もしません。

偏在するコモンズ、日常と地続きにある表現

佐藤 周りの大きな流れに同調していなかったり、正反対のことをしていたりする人がいても、それを保障することによって場全体の空間が成り立っている。まさに民主主義ですね。

宮下 それはすごく大事ですよね。

ここで「のはら1号」という移動ミュージアムをつくったんです。野原って、野っ原のことですけど、台車がついた箱で、扉を開け、テーブルをはね上げると、そこが展示スペースになるんです。引き出しもついています。そこに自分が描いた絵を飾ってもいいし、歌ってもいいし、紙芝居をしてもいいし、そのあたりに咲いているお花を飾ってもいい。ようは人が表現することとか、誰もが思い思いに存在するということが肯定されるべきだという思いを「のはら1号」には託しています。

「のはら1号」はいろんな活動に出かけて行く。出た先で大人も子どもも活動に熱中している間、見守り隊のように優しい佇まいでそこにいる。活動ごとに違う内容が展示され、違う表情となる。

昨年はいろんなところに「のはら1号」を引いて出かけたんですけど、その場所、場所でそれを人が取り囲み、ささやかなコモンズ(公共圏)が生まれました。点在、偏在するコモンズですね。いま、あらゆることが所有で語られますが、どこにも属さない「野原」みたいなものが移動し、所有、非所有の境界線を緩くすること、揺さぶることで、遍在するコモンズのイメージをまちの中に生み出せたらいいなと思っています。

「のはら1号」にはメインプランナーがいるのですが、その彼が不在のときに、腕に覚えのある人たちが「のはら1号」に歩み寄って、「こういう窓があったらいい」とか、「引き出しにストッパーがあるとどうだろう?」とか呟きながら拡張させていったんです。そのときも「これはウケてくれるかな?」とか、「これは嫌がるかな?」とか、不在の彼のことを慮りながらね。この人たちの振る舞いも、ささやかなコモンズでした。

第四小学校のワークショップでは、活動中に生まれた子どもたちの作品を、その日が終了するごとに「のはら1号」に展示をしていった。最終日には子どもたちと一緒に屋外に出る。「のはらくんを引きたい人?」と声を掛けたら、たくさんの子どもたちが手を上げてくれた。

佐藤 「バラバラ」であることに目を向けるためにも、一人ひとりが変わっていくことにフォーカスすると、場の規模はおのずと小さくなりますよね。顔が見えるくらいの適度な近さをもった場をつくることも、小さなコモンズをつくることにつながっているのかなと思います。

「想起の大遠足」に参加して、これは遠足であることが重要なんだなって思ったんです。象徴的だったのが、「遠足だからやっぱり記念写真だよね」って、みんなで階段に並んで、途中で写真館のおじさんに写真を撮ってもらったじゃないですか。でも、その写真が見事にピンボケしていた(笑)。遠足の最後の日、スタッフや参加者みんなでその写真を見ながら笑い合ったことがとても印象的でした。

たとえば、あれが「演劇の公演です」って、きちんとした枠組みと仕立てがあったら、笑いは起きなかったと思うんです。失敗になってしまうから。日常と地続きの枠組みである「遠足」という設定の妙ですね。誰もが一度は参加したことがあるだろう「遠足」を通してみんなが一日を一緒に過ごす、そのことでプログラムを仕掛ける側と参加する側に生まれた関係性がなければ、あの笑いは生まれなかった。遠足は出し物の精度ではなく、みんなでどこかに行く、その過程が目的にもなりますしね。それがなんだか小金井の現場らしいなと思いました。

宮下 別に私、ピンボケしてくれと言ったわけじゃないからね(笑)。

「想起の遠足」のディレクター、アサダワタルさんとのここでの3年間の活動も、私たちそれぞれの人生や暮らしのなかに表現があったり、生きることのなかに真実があったりすることを大事にしたいと思いながら続けてきました。そのときの表現とか真実は既成の価値や評価軸で言ったら、こぼれ落ちるかもしれない。でも、常にはっきりした目標や成果に応えていくことで、ほころびとか、柔らかいものとか、曖昧さが削がれてしまうとしたら、人間という生き物としてもったいないですよね。

想起の遠足の中のプログラム「いつかの通学路」で、ランドセルを背負いながら夕暮れの通学路をみんなで歩いた。大人もいろんなことを思い出した。じゃんけんで負けたらみんなのランドセルを持って帰る遊び、やったよね。その記憶から、当時の子どもたちの関係や街の様子、家に帰ってからの出来事まで、連綿と思い出した。
「想起の遠足 本町小編」。家族や保護者に聞いた通学路の思い出を、即興で設えられた縁台にせき立てられるように登って、アサダワタルさんのギターと歌、松村拓海さんのフルートに合わせてラップのようなプレゼンテーション。田んぼの脇でカエルと出会った、お友だちが肥溜めにはまった……まちの風景は違うけど、同じように学校に通っていたんだな。

「小金井と私 秘かな表現」に参加してくれたみどりさんは、事後のインタビューで、市民が公募で参加したんだから、事務局がなにかしてくれるのかと思ったら、なにもしてくれない。「えー?なにこれ」って思っていたら、どこかの段階で、「ああ、自分がやらないとダメなんだ」と気づいた。そしたらいろんなことができるようになったって話してくれました。

「小金井と私 秘かな表現」は、一応、3年間という手続き的な会期は終わりましたが、この活動に参加してくださった方々は、街をネタに独自の活動を独自で自在に始めています。小学生の参加者もいますが、相手や状況にさりげなく配慮し、熟慮し、決めごとをゆるくずらしながら事を成していく姿は、とても成熟していると思います。

問いを続けること、そのこと自体が生きること

宮下 パウル・ツェラーン(1920年〜1970年、両親を強制収容所で亡くしたユダヤ人の詩人)の詩を題材にした作品を幾つもつくっているアンゼルム・キーファーというドイツの美術家がいますよね。私、なぜ人は表現するのか、人にとって表現とはなにか、ということを永らく考えているんですけど、『翼ある夜 ツェランとキーファー』(みすず書房)という本を読んでいて思ったんです。キーファーにとって、「自分が生きている人生をかけてツェラーンが何者であるかを知りたい」とか、「ツェラーンの詩を読み解きたい」と願うことと創造することは同義であったんじゃないかと。

それは自分なりに物事を理解していく営み、すなわち生きるということをどうつかんでいくか、ということだとも思うのです。ものをつくるという行為を通じてなにかを理解する、獲得するみたいなことはすごくあるのかなっていう気がする。それは、言語化できない「なにか」ですけれどね。

佐藤 表現するという行為や、それに向き合う態度が大切だろう、と。こういう話をすると「アートは非合理的なものだから」とか、「それがアートのやり方ですね」とか、「プロセスが大事なんですね」といった言葉を投げかけられることがよくありますが、それには若干の違和感があります。 

あたかもアートをやる人たちはめんどうなことを選んでいる人たちみたいに思われる節がありますが、自分にとって知りたいこと、希求していることに向かうために最適な方法としてそれを選んでいるという意味で、かなり合理的だと思うんです。むしろアートってめんどくさがりの人がやっていることも多い気がします(笑)。回り道をしているようで近道をしている。

宮下 問いと答えが一対一対応で、問いには予め答えがあるということに疑いをもたないと、造形をしたり、表現をしたりする行為は厄介でわかりにくいなって思うかもしれないですね。それは問いと答えどころの話ではなくて、そこにある真実、そもそも真実ってなんなの?っていう問いを続けることにつながりますよね。この、問いを続けること、そのこと自体が生きることでもあるのかな。

ツェラーンの詩に対する畏怖や愛や尊厳から、キーファーはつくるということを通じてそれを体験し、理解しようとしたと思うのだけど、人がなにかを理解する手続きとして理にかなっている方法とも思えるんです。
本来の意味で「理に叶うこと」と考えると、合理ということも矮小化されている気がします。近代から現代にかけて、目先から見て無駄だと思われるものを力技で剥ぎ取っていって、暮らしの場がどんどん痩せ細っていったんでしょうね。

佐藤 そういう見方を獲得するためには、そもそもの価値転換が求められるような気がします。視点を変更するようなきっかけが必要なのかもしれませんね。

宮下 よその市の学校のワークショップのときに、船をつくりながらある子どもが「北朝鮮、うざいよね」と言ったと聞きました。むずかしいですよね。その子自身の経験からくる発言でもなく、メディアか大人の影響かと思うんですけど、飛んで来た球を打ち返すだけで、そこに何が潜んでいるのかをさまざまに考えてみるということが減っている気がします。

今年、市内の小学校でやった匂いや音を描くというワークショップは、たとえば焼き魚の匂いがしたから「魚」を書くというのではなくて、魚の匂いそのものを描いてみるというもので、子どもたちに抽象的に考えるということを体験してほしいと考えました。

グラウンドで音や風、匂いを感じて戻ってきた子どもたち。そのときに採取した音をもう一度聴きながら、一人の内省からグループで経験を共有し合いながら描く。机の上だけでなく、全身を使って床の上で。
具体的な太陽や芝生が登場するとグループのなかで「それは違うよ、見えたものを描くんじゃないよ」「感じたそのままを描くってどういうこと?」という言葉のやりとりも聞こえた。

市内の別の小学校でやった自画像を描くワークショップのときも、私たちが考えたのは、アウトプットとしての顔の絵ではなくて、裸の自分と向き合わなければいけないという状況に子どもたちが否応なしに出会う場をつくることにありました。このワークショップでは、しばらく自画像が描けない少年がいて、このままでは展示のときに一人だけ白紙になってしまう、それではかわいそうだと周りの大人は心配しましたが、私は白紙の自画像もすばらしいと思ったし、自画像が描けないということがなんであるのか、ということは深く考えるに足ることだと思っています。小学生でも体験を抽象化して、自分を相対化して見る経験をすることは可能だし、大切だと思っています。

佐藤 描くことではなく、描こうとすることによって見え方が変わる。たしかに、その態度が大事ですよね。
たとえばTARLの学校の成果を振り返ろうとすると、ついつい「(受講生は学校の経験を経て)なにか実践できたか」といった具体的な経験、つまり実績に目を向けてしまいがちです。もちろん、実践はとても大切です。でも、まだやってはいないけど、やろうという意思をもっている、なにかをしようとしている態度がある限り、物事の見方も変わるし、人との出会い方も変わっているんだろうと思います。そういうことに宿る価値も見落としてはいけないなって。このまえ、ひさしぶりに受講生と再会する機会があって、それに気がついたときに反省しました(笑)。とてもとらえがたく、ほかの人とは共有しがたいものかもしれませんが。

宮下 成果は問題にしないということではありませんし、プロセスがよければいいと言うつもりもないのです。昨今のプロセスが大事という議論にも問題を感じます。階段を登るというイメージがあると、因果になってしまいますが、そのイメージを外すと、プロセスと成果は一方向のベクトルではなくて、たとえば成果からプロセスを見直すことで第3の解釈や別の道が見つかるということもあるかもしれません。
ひとつをクリアしたら次に進むという階段上る方式より、ときに降りてみる、踊り場で佇んでみることで、隣のビルに移るハシゴを掛けられるかもしれない。

学ぶこと、生きること、ただそこに居ること

佐藤 そもそもの宮下さんの行為や態度が現場に作用していることもある気がしますが。

宮下 どうでしょうね。ワークショップをしに外に出ても、誠実さ、あるいは他者への好奇心みたいなものがあればいいし、参加したその人がその人として、その場なり、参加者、子どもなりに寄り添ってくれたらいいって思っていて。

かがわ工房という施設に、去年まで造形のサポートとして行っていましたが、役割があるんだかないんだかわからない感じでぷらぷらしていました。「今日は大きい絵を描きましょう!」なんて言って床に大きな紙を置くと、そこに寝転んでちまちま描いている人がいるかと思えば、ほかの人が描いているところに割り込んで侵食して描いていく人もいたりしてね。一見すると無為な時間だけれど、とても高密度な人の営みがある。そこにわかった顔をして介入したり、指揮をとったり、意味を外から付与するのは、人に対するマナー違反って感じがするよね。

どうしてもね、よいことをしているのだから、彼らは幸せに違いないと思いたいし、出た先で手伝いたくなってしまう、教えたくなってしまうのは情としてよくわかる。でも、その度に「教えないでください、誘導しないでください」って私からさんざん言われて、最初はずいぶん戸惑ったと言う人もいます。「ただそこに居るって、けっこうハードル高いんですね」と。でも、私自身はその戸惑いとか、おののきのほうが大事だって思っています。

説明したり、働きかけたりしていくこと、これが正解だとある方向に引っ張ること自体が、浅薄な感じがすることもあるし、よく見ることとか、よく聞くこと、心を開いて、その場で起きることを湯水のように受け続けることがひっくり返してみると、ある種の能動性につながるみたいなことがあるのかなって。それは湯水のように浴びたから、(インプットしたから)次に能動的になるということではなく、湯水のように浴びること自体にある種の積極性、能動性が宿っているはず、ということです。受動ー能動という単純な二項の問題でもない。手を出して手伝うことをせず、そこに佇むことによって、スタッフにもとても大きな気づきがあると思うんです。手伝うという関係性に陥るとそれは見えなくなってしまうけれど。

佐藤 宮下さんのお話は、常になんらかの価値転換を要求してくるように感じます。教えるー教わるもそうですし、大人—子どももそうですし、表現者—鑑賞者もそうかもしれない。

宮下 私の子どもがまだ赤ん坊だった頃を思いだすとね、私が子どもを抱いているようで、私のほうが抱っこされていたんだなっていう記憶があります。大人って常に教える側ではないし、子どもから学ぶことはとても多い。学ぶっていうことも深く考えたいことですよね。

人にとって表現するということは、私自身は生きるために不可欠だと思うんですけど、人間にとって表現するということはどういうことなんだろうということを、その場、その場で考えられたらいいなって思います。そして、ささやかでもふう変わりでも、なにかを試みる時間が生まれるといいなと思っています。

後半に続く)