文化と日常を行き来するサイクルをつくる(APM#04 後編)

Artpoint Meeting #04 -日常に還す- レポート後編

Artpoint Meeting 第4回のテーマは、「日常に還す」。ゲストとして登場したのは、驚きと発見を与える日本や世界の暮らしを紹介しながら、生活に活かすことを目指す世田谷区の文化施設「生活工房」学芸員の竹田由美さんと、レコードやラジオや遠足といったツールを通して、身の回りの世界と人の関係を編み直してきた、文化活動家でアーティストのアサダワタルさん。

日常に寄り添いつつも、そのなかに埋没せず、新たな視点をもたらす。難しいバランスが求められる展覧会やプロジェクトの現場で、二人は何を考えてきたのか。会場との活発なやりとりも行われたイベントの様子を、ライターの杉原環樹がレポートします。

>>レポート前編

会場からの質問や感想を眺めながらスタート。

プロジェクトのはじまりとは?「成功」とは?

小休止を挟んだ後半戦。ここからは、会場からの質問をもとに、東京アートポイント計画ディレクターの森司とモデレーターの中田一会も加えたフロアディスカッションが行われました。ホワイトボードには、ゲストの二人に聞きたいことがズラリと並びます。

このやりとりの中でも感じられたのは、竹田さんとアサダさんが、日常生活で出会う場面にとても繊細な目を向けながら、その意味や効果を冷静に分析しているということ。

たとえば世界各地の移動する民族の暮らしに関心を持ち、現地で集めたものを個人のスペースでも展示しているという竹田さん。「企画のヒントはどこから得る?」との質問に、「日々の『おや?』という感覚がヒントになることが多い」と答えます。

「先日、歩きスマホをする理由を尋ねたアンケートの答えの一位が『暇だから』というもので、驚いたんです。周囲の環境の変化や、危機に関心を持たずに歩いているのは、生物として危ういなと。ほかにも、昼間に月が出ていることに驚く人を見て、こちらが驚いたり……。人類の危機を感じたとき、何かやりたくなるかもしれません(笑)」。

一方、「なぜレコードなのか? ものにする理由は?」と問われたアサダさんは、「かたちに残すことへのこだわりがあるわけではなく、使用するメディアの前に人が見えるかどうか、という考え方をしている」と話します。

「高齢者も多い復興住宅が舞台の『ラジオ下神白』では、手渡しできるメディアを使うことで会話が生まれることが重要でした。また、『千住タウンレーベル』のレコードでヒントにしたのは、人が群がる昔の蓄音機屋や街頭テレビの前の風景。アナログかデジタルかではなく、その取り組みの場づくりにふさわしい手段をいつも選んでいます」。

そして、なかでもとくに興味深かったのが、「一番プロジェクトが成功したと思った出来事は?」という質問。「日常に還す」というテーマの核心に触れる問いです。

アサダさんが話したのは、こどもを通じてまちに関わりたいと、「小金井と私」に3年間ずっと関わっている、ある参加者の話。彼女はプロジェクトのなかでこどもにカメラを持たせて、普段は親が触れない保育園への通園の風景を撮ってもらったり、地図を描いてもらったりする「こどもみちを行く」という企画を自分で立ち上げました。

「その展示には彼女が尊敬する保育園の園長先生も来てくれました。面白いのはそこからで、プロジェクト終了後にその園長先生を自宅に招くイベントが企画されたり、より日常生活のなかでのアクションへと緩やかにつながったこと。他にもプロジェクトに参加した小学5年生の女の子たちを軸に、自主的に振り返りの会が行われたり、ある参加者はこのまちで出会った農家さんとの交流を丁寧に継続していたり。こんな風に、プロジェクトという一本の川だったものが、参加者たちのアクションによってどんどん細かい支流に分かれていき、日常の中に続いていくのはいいな、と思うんです」。

これに対して竹田さんも、「眠りの展覧会のとき、ずっと睡眠に悩んでいたという高齢者の方に『今日はぐっすり眠れそう』と言っていただけたのが嬉しかった」と回答。しかし展覧会の経験が日常に活かされるかは、来場者数などの数値では測れないもの。イベント終了後にお話を聞くと、「成功」感に感じる難しさも率直に語ってくれました。

「来場者へのモニタリングを最近は行なっていなくて、成功したことを聞かれたときには正直ドキッとしました。ただ、福島の復興住宅で、故郷に帰還した方も含めて場の姿を記録し続けるアサダさんの活動は参考になります。いろんな人の知恵を借りて、取り組みの『あと』までじっくり追っていく必要があることをあらためて感じました」。

森司(アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画ディレクター)

そんな二人の話を聞きながら、「日常を編集する仕方に驚いた」と森は言います。熱量を持って現代を眺めながら、それをデザインの眼で客観的に視覚化する竹田さん。まちにダイブしつつ、小さな想起をすくうアサダさん。「所作はそれぞれ違いますが、人間が人間らしく生きるための根源的な時間への問いを、今日は感じた」と話します。

「機械的で四角四面のカチカチとした時間と、農業など自然に関わる人の時間。あるいは企業人である大人のビジネス的な時間と、プライベートな時間。そこには、体感や質の違いがある。お二人の話からは、『日常に何を還すのか』への答えよりも前に、『私たちが日々の中に何を置いてきたのか』ということについて考えさせられました」。

文化と日常を行き来するサイクルをつくる

こうして、3時間におよぶイベントは終了。「日常に還す」という抽象的なテーマについて語る中で、ゲストの二人は何を感じたのか。撤収中の会場でお話を聞きました。

発表の冒頭で、生活を「さまざまなものが混ざった未分化なもの」と表現していた竹田さん。触れ方が難しい対象を解きほぐすうえで、丁寧な空間への落とし込みや視覚化のほかに多用されていると感じたのが、異なる時空間の暮らしを参照する視点でした。

「たとえば、エチオピアには戸籍がなく、人々には正式な名前がないんです。だからパスポートを取るときに行き先に適した名前を選んだりする。そんな風に、『当たり前』は時空が変われば変わるもの。自分の日常は誰かの非日常で、自分はマジョリティだと思えば、いきなりマイノリティになる。そこで感じる驚きは大切で、そういう相対化を繰り返すことによって、生活を考えるための素材は集まってくると思っています」。

では、それをただの「異文化体験」にせず、生活に活かすうえで重要なこととは?

「展覧会は、語り合うための場づくりだと思っています。展示をきっかけに、来場者の方がお互いの生活を話し始める。そこで大切なのは、展示にかけた思いを前面に出すのではなく、余白を多く残すこと。準備中はすごく熱くなっているのですが、感じたものを話し合ってもらうための余地を残す工夫に、多くの時間をかけていますね」。

その竹田さんの工夫を発表から感じ、「生活工房はいい意味で暑苦しくなく、だからこそ多くの人が乗れる。企画との距離感の取り方が上手いなぁと感じた」とアサダさん。

そんなアサダさんに聞きたかったのは、後半で話された、小金井のプロジェクトの参加者が始めた自主的な取り組みについて。「日常に還す」ことを考えてきた今回のイベントですが、日常に「還り切って」しまったら、そこからは文化の持つ新鮮な視線は奪われてしまのではないか。そのジレンマをアサダさんはどう感じているのでしょう?

「プロジェクトで一度いろんな人が混じり、ヘンテコな状況が生まれ、こんなことをしてもいいと人に思わせる。もちろんその後、それがただの日常に潜っていき、息苦しさを感じることはあると思うんです。でも、『あのとき視点が変わった』という経験や学んだスキルが残れば、それを活かしながらまた息継ぎのように新鮮な空気を吸える」。

そして重要なのは、そんな日常との往復やサイクルをつくることだと言います。

「アートプロジェクトには、小さな革命を起こす起爆剤だけではなく、生活でしんどくなったときに使える常備薬の役割もある。参加者が、アート的な視点というものを使えるようになること。そうした感性のサイクルをつくることが、大事だと思うんです」。

日常とは? 文化とは? 日常と文化の関係とは?——。そんな大きな疑問に迫ろうした今回の「Artpoint Meeting」。ゲストのお話からは、自分に密着した世界に考えるためのかたちを与え、その自明性を揺らす、さまざまな工夫が感じられました。

一方、そこで見えてきたのは、語ろうとすればするほど奥行きを増し、手触りを変えていく日常のやっかいで面白い性格。「日常とは?」。イベントを通して、会場を訪れた参加者のなかには、その問いがより深いものとして刻まれたのではないかと思います。

「Artpoint Meeting」は今後も定期的に開催。取り組みを通して生まれた疑問をさらに深め、共有する場所として、ひきつづき展開されていきます。

(イベント撮影:高岡弘)

生活を解きほぐし、考えるための「かたち」を与える(APM#04 前編)

Artpoint Meeting #04 -日常に還す- レポート前編

アートの現場で頻繁に耳にする「日常」という言葉。この身近で、だからこそ捉えがたい対象に取り組む実践者はどのように向きあっているのでしょうか。それぞれの現場でまちと文化に関わるゲストとの対話から、これからのアートプロジェクトの言葉を育てる東京アートポイント計画のトークイベント「Artpoint Meeting」。その第4回が、1月27日、東京・渋谷の複合施設「100 BANCH」で開催されました。

今回のテーマは、「日常に還す」。ゲストとして登場したのは、驚きと発見を与える日本や世界の暮らしを紹介しながら、生活に活かすことを目指す世田谷区の文化施設「生活工房」学芸員の竹田由美さんと、レコードやラジオや遠足といったツールを通して、身の回りの世界と人の関係を編み直してきた、文化活動家でアーティストのアサダワタルさん。

日常に寄り添いつつも、そのなかに埋没せず、新たな視点をもたらす。難しいバランスが求められる展覧会やプロジェクトの現場で、二人は何を考えてきたのか。会場との活発なやりとりも行われたイベントの様子を、ライターの杉原環樹がレポートします。

プロジェクトが触れる「日常」ってそもそも何だろう? 

イベントは、モデレーターの東京アートポイント計画プログラムオフィサー、中田一会による趣旨説明からスタート。東京アートポイント計画が伴走している多くのアートプロジェクトでは、「日常の景色を少し変える」といった表現がよく使われます。

しかし、「そもそも、日常とは? 文化とは? 日常と文化の関係とは?」と中田。日頃はあらためて考えてみることもないそうした疑問を通して、「自分たちが行うアートプロジェクトは、日常にとってどんな意味があるのかを考えたい」と語ります。

モデレーターを務めた中田一会(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)。企画担当者として今回のテーマを解題。日常×文化とは?

生活を解きほぐし、考えるための「かたち」を与える

一人目のゲストは、三軒茶屋駅に直結したビルのなかにある暮らしのデザインミュージアム「生活工房」の竹田由美さん。「生活者が漠然と抱く疑問を共有し、目に見える活動にしていく事業」を行うことを活動方針に設立され、2017年に20周年を迎えたこの施設では、衣・食・住と明確に分けられない「未分化なもの」である生活の問題を、住民と考える場をつくってきました。

その中で竹田さんが大切にしている視点のひとつが、「歴史の重なりの上に自分がいる感覚」。現在では、インターネットでヨコのつながりは簡単に生まれる一方、土の存在のなさが象徴するように、タテのつながりは失われているのでは、と問いかけます。

竹田由美さん(公益財団法人せたがや文化財団生活工房主任/学芸員)

落葉広葉樹林帯の暮らしを紹介する「ブナ帯☆ワンダーランド」展や、1952年にドイツで始まった映像の百科事典プロジェクト「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」から、手を動かしながら人類の普遍的な営みに触れる連続ワークショップは、この問題意識から生まれたもの。身近な草木からヒモのつくり方を学んだ後者のある回では、「周囲のもので何でもつくれる感覚を実感した」などの感想が聞かれたと言います。

「意識的に参加する人が多いワークショップの方が、展覧会よりも『日常に還っていく』感覚は強いと思います。しかし、生活圏に密接していて鑑賞無料の生活工房では、何気なく観られる展覧会を通して、多くの人の生活に関わりたい。なかでも予想以上の広がりがあったのが、『ただのいぬ。』プロジェクトと『活版再生展』です」。

「ブナ帯☆ワンダーランド」展(2015年)
映像百科事典「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」より ©️(公財)下中記念財団
ECフィルムから人類の営みを学び、実際に手を動かしてみる連続ワークショップ「映像のフィールドワーク・ラボ」。第1回「ひもをうむ」の様子。

「ただのいぬ。」は、保健所などに保護された犬をめぐるプロジェクト。2005年に開催されたその第一回展には、12日間の会期にも関わらず5000人が来場しました。

「この展覧会では、会場に『光の部屋』と『暗闇の部屋』を設けました。『光の部屋』には新しい飼い主のもとに引き取られた犬の写真、『暗闇の部屋』には殺処分された犬の写真が展示され、部屋に入るかは鑑賞者に委ねられます。いわば傍観者として訪れていた鑑賞者は、その能動的な選択を通して、どうしても当事者に近づいていきます」。

その後、大きな反響を得た展示は各地を巡回しました。さらに、迷い犬の原因のひとつでもある犬鑑札装着の不徹底を改善するため、世田谷区の鑑札をデザイナーの深澤直人さんとリニューアル。災害時のペットの同行避難を扱う展覧会を開催するなど、多角的な取り組みに発展しました。「その原動力は行政ではなく一般の人の声」だと竹田さんは言います。

「ただのいぬ。」展(2005年)
デザイナー・深澤直人さんとリニューアルした世田谷区の「犬鑑札」。

一方、2007年の「活版再生展」では、世田谷の廃業予定の印刷所から活版印刷機を引き継ぎ、廃れつつあるこの技術の魅力を現役のデザイナーらと紹介しました。面白いのは会期終了後、その巨大な印刷機を20代のデザイナーが引き取り、活用・運営していく場を50代の印刷会社の経営者が提供したこと。これは収蔵品を持たない施設ゆえの動きだったと語ります。

「活版を知らない20代が全盛期を担った70代-80代に学び、活版を捨ててきた世代(50代)がまたその価値に気付く。そこで引き継がれたのは、技術だけでなく精神でもあります。最近、活版印刷の価値は若い人の間で見直されつつありますが、生活工房が印刷機を収蔵し、たまに開放するだけでは、こうした生きた表現や経済活動にはつながらなかったように思います」。

「活版再生展」(2007年)

展覧会を出発点に、まちに視点や思いを広げること。そんな中で、「生活を根底から考える展示」として最後に紹介されたのが、世界各地の眠り方や寝床の展示を通して「生き方」について考える、2012年の「I’m so sleepy どうにも眠くなる展覧会」と、さらに問題意識を発展させた、2016年の「時間をめぐる、めぐる時間の展覧会」です。

私たちは普段、時間は一様に流れていると考えてしまいます。しかし、異なる時代や地域に目を向ければ、多様な時の姿があるもの。実際日本でも、明治のある時期まで一時間の長さは一律ではなく、1920年には近代の時間概念を啓蒙する展覧会が開かれ、驚異的な動員を記録しました。その現代版を目指し、自然との関係から現代生活の時間を問い直す1年間のワークショップなどを通して、「時間をめぐる」展が行われました。

「時間はカレンダーや時計の中にあるのか? そんな疑問から『時間をめぐる』展では、自然や身体に流れる時間に触れようと、動植物の時間の把握の仕方や、各地の時の過ごし方の紹介を行いました。たとえば、後者に関する『時の大河』は、世界における同じ時期の営みを、巨大な円環状の構造物で世田谷から南極までを一望できるもの。太陽や月はひとつしかないのに、世界にはこれだけいろんな時間があることを、視覚的に見せました」。

「時間について悩む人は多いですが、そこに多様性があると知ることは、それだけで孤独を見つめ直すきっかけになる」と竹田さん。自分の生活は、日頃はなかなか客観的に捉えられないもの。しかし生活工房の取り組みからは、デザインの情報整理の力や身体の感覚を通じて、そこに考えるための輪郭を与えるさまざまな工夫が感じられました。

「I’m so sleepy どうにも眠くなる展覧会」(2012年)
「時間をめぐる、めぐる時間の展覧会」(2016年)

風景、音、人に出会い直すための表現と想起

続いてのゲストは、アーティストで文化活動家のアサダワタルさん。文化活動家とは不思議な肩書きですが、実際にその活動は名づけがたいほど多様です。音楽家としてドラムを演奏したり、アーティストとしてまちなかのプロジェクトを仕掛けたり、文筆家としてコミュニティについての本を書いたり……。かつては大阪で、表現活動と街の人々との出会いをつくる、いくつものスペースの設立や運営にも携わっていました。

「最初は音楽家として出発したのですが、次第に個人の表現だけでなく、それを生活と地続きの場で起こしたいと活動を拡張していきました」とアサダさん。さまざまな実践で培った横断的な感性やスキルを、生活の中のコミュニケーションに転用しています。

アサダワタルさん(文化活動家・アーティスト)

最初に紹介されたのは、北海道の知床にある全国初の義務教育学校(小・中学校の教育を一貫して行う学校)、知床ウトロ学校で2017年に行われた、校歌のカラオケ映像を制作するワークショップ。そこでは、幅広い年代の生徒が自ら撮影した歌詞にもとづく映像や手書きのテロップが組み合わされ、現場の楽しさが伝わる映像が生まれました。

なかでも面白かったのは、生徒が先生に歌詞の意味を尋ねる場面。普段は教える立場の先生が難しい言葉の表現に戸惑う姿は、いつもの関係に新しい視点をもたらします。

「ワークショップで大事にしているのは、コミュニティに非日常の視点を持ち込むことです。校歌とは、地域の記憶が刻まれた一種のコミュニティ・ソング。大事に歌い継ぎながら、それを使って遊んだ経験も、こどもたちには記憶してほしいと考えました」。

知床ウトロ学校で校歌のカラオケ映像を編集している様子(撮影:加藤甫/提供:一般社団法人AISプランニング)
あの手この手でカラオケの「テロップ」を表現するパフォーマンスを児童と行った。(撮影:加藤甫/提供:一般社団法人AISプランニング)

何気なく触れている身の回りの音が、表現によって異なる意味を帯びること。これを都市で展開したのが、2016年秋に始まった「千住タウンレーベル」です。東京・足立区を舞台にしたプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」の一環であるこの取り組みは、一言で言えば、まちの情報が詰まった「タウン誌」の音バージョン。

制作されたレコード「音盤千住」には、音の記者である「タウンレコーダー」が自分の関心から残したいと集めた、まちの音が収められています。たとえば、もんじゃ焼きに似た地元の料理「ボッタ」を焼く音や、市場のダミ声、道行く人のインタビュー……。生まれては消えていく「ただの音」からは、驚くほどまちの風景が喚起されます。

「また、『聴きめぐり千住』というイベントでは、録音が行われた現場を訪れて、記録した音と実際の音を聴き比べました。レコードを通して、まちの風景、音、人をあらためて感じてもらう。音盤づくりだけでなく、それを使った試みが大事なんです」。

千住タウンレーベルから生まれた「音盤千住」。
「聴きめぐり千住」で、まちの鯛焼き屋と大福屋の「いらっしゃいませ!」を聴き比べ。音とともに試食もできる(撮影:冨田了平)

そんなアサダさんが、自身のテーマだと語るのが「表現と想起」です。2017年からは「福島藝術計画×Art Support Tohoku-Tokyo」事業の一環として、福島県いわき市にある震災避難者のための復興公営住宅 下神白(しもかじろ)団地で、「ラジオ下神白」という取り組みをはじめました。これは、住民に思い出深い音楽について聞き、その楽曲を契機に故郷の記憶を語り合い、それらをラジオ風にCDに収めて配布するというもの。

「記憶を交換することは、じつはなかなか難しい。そこに音楽を挟むことで、対話や交流のための別の入口をつくれないかと。復興住宅は特殊なコミュニティで、根付くことが一概には良いとは言えない場所です。一方、参加者にはすでに帰還した方もいて、コミュニティの姿は変わり続けている。この取り組みでは、その変化も記録したいと思っています」。

ラジオ下神白から生まれたCD。住民の語りと思い出にまつわる音楽が収められている。
復興公営住宅「下神白団地」の一戸一戸を巡って配布する。住民のお宅で一緒に再生してみることも。

もうひとつ、東京・小金井市で展開しているのが、「小金井と私 秘かな表現」という取り組みです。2015年に始まったワークショップでは、参加住民の日常生活のなかに潜むささやかな関心や行為を「表現」として見つめ直すアクションを行いました。その体験を足がかりに、翌年には「この小金井のまちで、今はもうないけれど大切な“モノ”や“場所”についての記憶」について広く市民にインタビュー。その成果などを展示した市民生活展「想起のボタン」を開催。そして今年度は3年間の集大成として記憶をもとにまちを案内する「想起の遠足」を実施。

「たとえば、昔のパン屋の味を再現して食べたり、『遠足』と題してかつての通学路を歩いたり。一個一個はとても個人的な記憶ですが、それを触媒に別の住民の記憶が編集され、ほかのまちの人にも何かを想起させる。そして、その経験がそれぞれのまちに還っていく。そんな『思い出すこと』との出会いをつくれたら、と考えました」。

音や風景、人との会話を通して、大きな「歴史」には残らないかもしれない小さな「記憶」を丹念に残すこと。アサダさんの活動であらためて気づくのは、そのように記録されたかたちになることで、記憶はその持ち主にも他者にも別の可能性を開き得るということです。その表現が今後どんな広がりを生むのか、楽しみになる発表となりました。

>>レポート後編へ続く

「想起の遠足」大遠足の記念写真。小金井に住む人の記憶を頼りに参加者全員で「遠足」した。

(イベント撮影:高岡弘)

福島こども藝術計画2017

福島の未来を担うこどもたちの豊かな人間性と多様な個性を育むことを目的とし、県内の保育園、小中高等学校等にアーティストを派遣して、多彩なアートプログラムを体験できるワークショップを実施しました。本書では、その取り組みの記録をまとめています。

もくじ

福島県立美術館 2017学校連携共同ワークショップ「おとなりアーティスト!」
福島県立博物館 小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ「わたしのすきな柳津」

松島湾の牡蠣図鑑

「つながる湾プロジェクト」は、宮城県松島湾とその沿岸地域の文化を再発見し、味わい、共有し、表現することで、地域や人・時間のつながりを「陸の文化」とは違った視点で捉え直す試みです。

本書は、松島湾のカキをテーマに、生物としてのカキの特徴や、養殖の方法、殻のむき方や調理法など、カキにまつわるあれこれを詰め込んだ図鑑です。

もくじ

はじめに

牡蠣について
 カキ
 カキの種類
 マガキ
 生育環境
 食べもの・天敵
 一年の生活
 カキの歴史
 人との関わり
 名前の由来と漢字

松島湾について
 松島湾
 松島湾の特徴
 松島湾の地質・地形
 松島湾の恵み
 松島湾で暮らす人たち

カキの養殖
 松島湾で盛んなカキの養殖
 養殖の流れ
 採苗
 抑制
 挟み込み・本垂下
 育成
 収穫
 殻むき
 養殖の種類
 カキ漁師について
 カキ漁師の話
 むき子さんの話
 フランスとの関係

牡蠣を食べる
 カキの味と栄養
 カキのむき方
 カキの調理方法
 食中毒について

巻末エッセイ
索引
おもな参考文献

問いを通じて見えない状況を可視化する。これからのアートNPOとして ―インビジブル林曉甫・菊池宏子「リライトプロジェクト」インタビュー〈後篇〉

「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。

第2回で取り上げるのは、2015年にスタートした「リライトプロジェクト」です。東日本大震災を機に消灯された宮島達男さんのパブリックアート《Counter Void》を毎年3日間限定で再点灯する「Relight Days」と、アート的アプローチを生かした行動によって自らの生活や社会を変える「社会彫刻家」の育成を行う「Relight Committee」。この二つを軸としたプロジェクトでは、震災後の社会でアートが果たしうる「装置」としての可能性に焦点が当てられてきました。

一方、プロジェクトと並行して設立されたNPO法人インビジブルでは、地域再生から教育まで、多様な現場でアートを取り入れた実践を展開しています。「大きな時代の流れの中に、小さな支流を作る」かのような彼らの活動、そして、より社会に接続していくこれからのアートの“使い方”とは? インビジブルの林曉甫さんと菊池宏子さん、東京アートポイント計画ディレクターの森司に語ってもらいました。

〈前篇〉「逆境から生まれたプロジェクト、考える装置としてのアート ―インビジブル林曉甫・菊池宏子「リライトプロジェクト」インタビュー」

(取材・執筆:杉原環樹)

社会を生きる人たちによるアクション

——Relight Committeeの具体的な内容は、大きく二つの要素から成っています。ひとつは、さまざまな分野で活動する社会彫刻家を招いてのトーク&ディスカッション。そしてもうひとつが、参加者がそれぞれの問題意識から主体となって、まちなかなどで具体的なアクションを起こす実践プログラムです。

菊池:活動しながら思うのは、意外とアート業界以外のボイスのことをまったく知らない人の方が、この概念を自分なりに理解してくれる。たとえば、以前、ワークショップで社会彫刻の考え方と育児をテーマにした時、お母さんたちにとても伝わったんです。

:その人たちには、目の前に具体的な社会がありますからね。

菊池:本当にそうなんですよ。自分が生きている社会があるから。具体的に変えたいことがあるんですよね。

Relight Committee受講生一人ひとりが「社会彫刻家」像を問いながら活動している。(撮影:丸尾隆一)

——参加者のアクションには、どんなものがあるのでしょうか?

菊池:たとえば、 2016年に参加してくれた江口恭代さんは、《Counter Void》の前で震災と関係する「花は咲く」という歌を歌ってまちなかを歩くアクションをしました(>「心の声 祈り ここから新たに」)。彼女は、東京で会社員として暮らす被災地出身者として、自分と震災の距離感をうまく消化できず、軋みを感じていた。でも、もともと好きな声楽を生かしたアクションをすることで、震災に対して当事者の意識を持つことができたんです。また山田悠さんは、《Counter Void》からタクシーに乗って決まったルートを回りながら、「ここに作品があったのを覚えていますか?」など、運転手との会話を記録するアクションを行いました(>「Passengers」)。彼女はアーティストなのですが、自分自身を媒体にするのは新しい挑戦でしたね。

Relight Committee メンバー・江口さんによる、社会彫刻家としてのアクションは、3月11日にで震災と関係する「花は咲く」という歌を歌ってまちなかを歩くこと。

——それぞれ、その人らしい挑戦的な行動を起こすが大事だと。

菊池:とはいえ、動機は必ずしも前向きなものとは限らないんです。たとえば関恵理子さんは、生きることが面倒くさいという思いを持っていた。その隠すべきだと思っていた気持ちを表に出そうと、最初に声明文を書いたうえで、「生きるってめんどくさい」という日記を365日書き続けています(「生きるってめんどくさい」)。

——声明文があることによって、日記を書くという行為に特別な意味が出てくる。アート的な仕掛けですが、こうした枠組みは菊池さんたちが提案するんですか?

菊池:参加者に自分のことを考えてもらうため、彼らが普段は触れないアートの蓄積を見せることはしていますね。たとえば関さんの場合、ステートメントに基づいて、一見無駄とも思える行動をし続けている海外アーティストの活動を見せました。そうした実例に触れることで、これもアートになり得るんだ、自分ならこうしたい、と考えることができる。まねをせず、影響の根源を広げることを意識しています。

——私も一度、Relight Committeeの現場を見学させていただきましたが、菊池さんたちが「なぜそのアクションなの?」と、何度も問いかけていたのが印象的でした。

菊池:この場所では、いかに真剣に自分と向き合い、かつ、自分にしかできないアクションを作り上げるかを求めていると思います。なので、アクションづくりのプロセスに比重を起きつつも、参加者全員がアクションをすることができたわけではないんですね。視点をなかなか深めることができなかった人には、アクションではなく、できないこと自体を記事にしてもらいました。

:参加者の職業や経歴は様々ですが、一人ひとりが妥協しないでやりぬく強度を保ちたいんです。Relight Committeeはあくまでも、自分で動かないと何にも得られない場ですね。

学び方は人それぞれ。あくまで主体的な姿勢を重視している。(撮影:丸尾隆一)

——必ず技術を習得できる、学びの「サービス」ではないということですね。

:普段は作り手ではない人が、他人の作った作品ではなく、アートそのものの働きを日常のなかで感じることができる。実社会とは異なるもう一人の自分を、社会彫刻家として演じることができるわけですよね。服によって人が変わるように、息苦しい閉塞感のなかで自分をズラすことができるのは、新しいアートの位置付けとして可能性がある。こうしたNPOが誕生したこと自体が、このプロジェクトの一番の成果ですね。

問いを通じて見えない状況を可視化する

——リライトプロジェクトは2018年春にひとつの区切りを迎えますが、一方、インビジブルはNPOとして、その活動を広げていますね。たとえば「文化起業家」は、事業によって新しい価値を創出するとともに、新たな文化を生み出する起業家を紹介するトークセッションシリーズです。

:僕たちは、見えないことを可視化し、異なるあり方を提示するのがアートの価値だと思っていて。文化起業家でも、事業を通じて新しい文化を作ろうとしている起業家をお呼びして、どんな状況を作り出したいと考えているのか、月に一回、お話を伺っています。また最近始まった「問ひ屋プロジェクト」は、群馬県高崎市にある高崎問屋街を舞台にしたアートプロジェクトです。「問ひ屋」は「問屋」のかつての呼び名ですが、そこでは多様な人々が問いを投げかけ合いながら商売をしていた。そんな歴史を参照しつつ、問屋街の未来を考えるうえでアートがどんな触媒になり得るのかを提案し、様々なプログラムを実施しています。

創業支援施設で展開しているトークシリーズ「文化起業家」。インビジブルが企画・コーディネートを担当。(写真提供:NPO法人インビジブル)

——そうしたプロジェクトは、どのようにして始まるのですか?

:高崎の場合は、問屋街の経営者の一人が声をかけてくれました。また福島でも、以前から多くの小学校が集まるイベントのアドバイザーを宏子さんが担当した経緯から、今後開校される小学校のアクションプランを考える実行委員会に宏子さんが参加し、震災後の教育を考える仕事もさせていただいています。活動の軸にしているのは、アートを見せるというより、アートを通じて状況を可視化し、その先に伸びる視座を見せたいという点です。

菊池:一見バラバラに見えるけれど、私たちの中では、与えられた環境で何ができるかという点が重要なんです。その「何」が重要で、コンテクストは問わない。アートがどこかの社会の縮図の中に介入したとき、いかに力を発揮できるのか。そうしたプロジェクトが多いですね。言い換えると、余計なお世話が多い(笑)。真っ向から注文に応えるのではなく、ギリギリのところで「こういうこともできますよ?」と、より深い問いを投げかける。効率の悪さもあるけれど、そこに存在意義があると思っています。

群馬県高崎市にある日本で最初の卸商業団地「高崎問屋街」の50周年記念事業としてスタートしたアートプロジェクト「問ひ屋プロジェクト」。2017年からインビジブルが企画・運営・コーディネートを担当。(写真提供:NPO法人インビジブル)

——あらためて、逆境の中で誕生したNPOから、こうした多様な実践が生まれたのはとても面白いですね。

:さきほど、宮島さんと光の蘇生を始めたとき、予想もできない方向に進むようなチームが作りたかったと言いましたが、その発酵の時間がないと、日本にはこの先がないという思いがあったんです。いまあらゆる時計が早回しされる中で、悠長な時間の使い方はなかなかできなくなっている。でも、それはとても危険なことだと思うんです。

:リライトプロジェクトは終わりますが、これからはRelight Committeeで育んできたことに一層、力を入れたいと思っていて。というのも、合理化が進む中でも、こうした一見無駄は多いけれど、ともに学べる場と人を作っていく活動が、一番レバレッジが効くと思うんですよね。だから今後のRelight Committeeでは、年度ごとの卒業という仕組みも無くそうと考えているんです。スポーツジムじゃないけれど、日々の生活の中でふとストレッチをしに来る人もいれば、がっつり身体を作りに来る人もいる。そんなコミュニティを作りたい。それこそ、森さんの言うような大きな川の流れに個人では抗えないけど、その中にせっせと小さな支流を作っていく。そういうことをしていけたらいいなと思っています。

菊池:一方で私たちの仕事は、いつなくなってもおかしくなくて。ものすごく利益を生むわけではないし、見方によっては自分たちの理想の押し付けにも見えてしまう。だからこそ柔軟に、信じたことをまっすぐやり続けないといけないなと思いますね。

:今後人が減る社会では、昔の作り方でいいという発想も生まれてくる。我々はもう一度、時間を取り戻す可能性もあると思うんです。そこで大事なのは、小さな規模で発酵させるような、手間暇をかけたやり方。だからインビジブルの仕事には、僕はとても広がりがあると感じるんです。

菊池:自分たちの活動は、マラソンみたいだと思います。教育や学びは、絶対的にすぐ成果が現れないものだから、いかに長くやり続けるかが問われている。その人が学んだことを納得して形にするのは、10年後かもしれないし、生涯かかるかもしれない。でも、もしかしたら、「社会彫刻家」という言葉が当たり前のように使われる時代が来るかもしれないんですよね。その未来の姿を思い描きながら、これからも目の前のことに取り組んでいきたいですね。

(撮影:高岡弘)

Profile

林曉甫(はやし・あきお)

NPO法人インビジブル 理事長/マネージング・ディレクター
1984年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学アジア太平洋マネジメント学部卒業。卒業後、NPO法人BEPPU PROJECTに勤務し公共空間や商業施設などでアートプロジェクトの企画運営を担当。文化芸術を起点にした地域活性化や観光振興に携わる。2015年7月にアーティストの菊池宏子と共にNPO法人インビジブルを設立。International Exchange Placement Programme(ロンドン/2009 )、別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」事務局長(別府/2012)、鳥取藝住祭総合ディレクター(鳥取/2014,2015)六本木アートナイトプログラムディレクター(東京/2014~2016)、 Salzburg Global Forum for Young Cultural Innovators(ザルツブルク/2015)、女子美術大学非常勤講師(東京/2017)

菊池宏子(きくち・ひろこ)

NPO法人インビジブル クリエイティブ・ディレクター/アーティスト
東京生まれ。ボストン大学芸術学部彫刻科卒、米国タフツ大学大学院博士前期課程修了。米国在住20年を経て、2011年、東日本大震災を機に東京に戻り現在に至る。在学中よりフルクサスやハプニングなどの前衛芸術・パフォーマンスアート、社会彫刻的観念、またアートとフェミニズム、多文化共生マイノリティアートとアクティビズムなど、アートの社会における役割やアートと日常・社会との関係について研究・実践を続けている。MITリストビジュアルアーツセンター、ボストン美術館、あいちトリエンナーレ2013、森美術館など含む、美術館・文化施設、まちづくりNPO、アートプロジェクトにて、エデュケーション活動、ワークショップ開発・リーダーシップ/ボランティア育成など含むコミュニティ・エンゲージメント戦略・開発に従事。また、アート・文化の役割・機能を生かした地域再生事業、ソーシャリーエンゲージドアートに多岐にわたり多数携さわってきている。その他武蔵野美術大学、立教大学兼任講師、一般財団法人World In Asia理事なども務めている。

NPO法人インビジブル

アートを軸にした「クリエイティブプレイス(Creative Place)」を標榜するNPO法人。「invisible to visible(見えないものを可視化する)」をコンセプトに、アート、文化、クリエイティブの力を用いて、地域再生、都市開発、教育などさまざま領域におけるプロジェクトの企画運営や、アーティストの活動支援、アートプロジェクトの支援や運営人材の育成、それに伴うプロトタイプの研究に取り組んでいる。
http://invisible.tokyo/

リライトプロジェクト

六本木けやき坂のパブリックアート『Counter Void(カウンター・ヴォイド)』を再点灯させると同時に、未来の生き方や人間のあり方を考えるプラットフォーム形成を目指すプロジェクト。東日本大震災をきっかけに、作者であるアーティスト・宮島達男の手によって消灯されたこの作品を、3.11の記憶をとどめ、社会に問いかけ続けるための装置と位置づけ、様々なプログラムを展開します。
http://relight-project.org/
*東京アートポイント計画事業として2015年度から実施

逆境から生まれたプロジェクト、考える装置としてのアート ―インビジブル林曉甫・菊池宏子「リライトプロジェクト」インタビュー〈前篇〉

「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。

第2回で取り上げるのは、2015年にスタートした「リライトプロジェクト」です。東日本大震災を機に消灯された宮島達男さんのパブリックアート《Counter Void》を毎年3日間限定で再点灯する「Relight Days」と、アート的アプローチを生かした行動によって自らの生活や社会を変える「社会彫刻家」の育成を行う「Relight Committee」。この二つを軸としたプロジェクトでは、震災後の社会でアートが果たしうる「装置」としての可能性に焦点が当てられてきました。

一方、プロジェクトと並行して設立されたNPO法人インビジブルでは、地域再生から教育まで、多様な現場でアートを取り入れた実践を展開しています。「大きな時代の流れの中に、小さな支流を作る」かのような彼らの活動、そして、より社会に接続していくこれからのアートの“使い方”とは? インビジブルの林曉甫さんと菊池宏子さん、東京アートポイント計画ディレクターの森司に語ってもらいました。

パブリックアート《Counter Void》を毎年3月11日~13日の3日間限定で再点灯する「Relight Days」。リライトプロジェクトでは、東日本大震災以降消灯していた作品の再点灯を実現した。(撮影:丸尾隆一)

逆境から生まれたアートプロジェクト

——リライトプロジェクトは、2013年より始まった、六本木ヒルズにある宮島達男さんのパブリックアート《Counter Void》の再点灯を考察する「光の蘇生」プロジェクトを土台としているそうですね。まずは光の蘇生の経緯について聞かせてください。

:きっかけは、宮島さんとの何気ない会話の中で、彼が《Counter Void》の電気を消していると知ったことでした。当時僕は、美術家の川俣正さんと行っていた「川俣正・インプログレス―隅田川からの眺め」(2010〜2013年)の終了もあり、次に東京で世界的なプロジェクトを協働できるアーティストを探していたんです。そこで宮島さんに会いに行くと、彼が震災から2日後の2011年3月13日、計画停電に先立って、自主的に作品を消灯する決定をしていたと知って。再点灯の議論自体をプロジェクトにしようと考えたんです。

——そこで、多分野のゲストを招いた勉強会を中心とする、光の蘇生の活動が始まったわけですね。当初、林さんはその事務局のスタッフとして、菊池さんは勉強会のゲストとして参加しています。

:林くんは彼の前職のBEPPU PROJECTでの実力を知っていたし、震災を機にアメリカから帰国した菊池さんは、あいちトリエンナーレでの評判を聞いて、良い人がいるなと思っていました。光の蘇生では、そんな豪華メンバーでチームビルディングすることで、予測できない動きが生まれる生態系を作りたかったんですね。その一方、光の蘇生はまだ20世紀的な価値観で進んでいたプロジェクトでした。というのも、ここで議論していたのは、要は「作品の再生(※)」ですから。物理的な作品を中心にした、従来の芸術観の延長にあるプロジェクトだったんです。しかし途中で、作品の所有者からの要請などもあり、完全な再生が難しくなってしまった。そして、この逆境への応答の中から、インビジブルがプロジェクトを現在のかたちに更新していったんです。

※編注:当時「光の蘇生」では経年劣化した《Counter Void》を修繕し、作品として完璧に再生した上で、再び点灯させることを目指していた。

リライトプロジェクトの前身となった「Tokyo Art Research Lab プロジェクト構想プログラム―「光の蘇生」プロジェクトを構想する」。様々なゲストを招いて作品の再生を考える勉強を開催していた。(2013年11月26日)

:光の蘇生では、作品の修繕資金を集めるファンディングの仕組みなどを作っていたのですが、他方で、ただ作品を綺麗にして再点灯を実現しても、その社会的な位置付けが変わらなければいけません。そこで、宏子さんを招き、コミュニティ開発の領域にもプロジェクトを展開していくことを考えました。しかし、プロジェクトが本格稼働する直前、作品の蛍光灯を全てLEDに入れ変えて再生することは難しいという話になり、一転してプロジェクトをゼロベースで考えなおさなくてはいけなくなりました。ここでプロジェクトを離れることもできたけど、宮島さんは僕が最初に仕事をしたアーティストですし、六本木の喧騒の中に「生と死」をテーマとする《Counter Void》があることは意味があるのでやりたかった。それで、宏子さんとインビジブルを設立することにして、森さんに「この企画を引き取りたい」と提案したんです。

菊池:こうした状況は、コミュニティ開発の世界ではよくあることなんですよ。地権者や所有者の事情で紆余曲折するというのは。でも、そこに対していかに柔軟に、クリエイティブな発想を埋め込んでいくのかが、プロセスの重要な部分になるんです。

別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」事務局長(2012年)や、鳥取藝住祭総合ディレクター(2014,2015)を務めてきた林さん。2015年、リライトプロジェクトをきっかけに、菊池さんと共にNPO法人インビジブルを設立した。

——毎年3日間だけ再点灯するRelight Daysの発想は、そこで生まれたのですか?

:そうですね。どうしたら状況を裏返せるかを考えたとき、3月11日から作品の電気が消された3月13日までの3日間をシンボルに使えないかと。伝統的にも、灯籠流しやお盆のような、失った人へと哀悼を捧げる年中行事がありますよね。作品すべてを再生できなくても、その三日間の再点灯によって失われたものを見せたいと考えたんです。

:宮島さんが一番こだわっていたのは、点ける理由なんです。でも、作品再生ができなくなったとき、ある意味で点ける理由ができたんですね。その理由を正当化してくれたのがインビジブル。ロジカルに考えると「点けられないなら諦めよう」か、正面突破で抗議をしにいくのが普通でしょう。でも、彼らが提案したのは「三日間だけ点けるのはどうですか?」ということ。これは宮島さんと僕にとっては、すごくシャープな回答だった。このとき、我々が光の蘇生でやってきたことは、リライトプロジェクトとしてインビジブルへと移行されたんです。

2016年3月11日、5年ぶりの再点灯直前の様子。「Relight Days 2016」点灯式にて、作者の宮島達男さんが想いを語った。(撮影:丸尾隆一)
《Counter Void》点灯中は様々な人が足を止めていく。(撮影:丸尾隆一)

考える装置としてのアート

——菊池さんは最初ゲストとして参加した中で、なぜ、このプロジェクトにここまで深く関わろうと思ったのでしょうか?

菊池:タイミングというのは、率直な答えとしてあって。ゲストで関わり、結果NPO法人まで立ち上げるのは、自分の意思以外の部分に促された不思議な感覚もあります。そもそも、今日は整理をして話していますが、当時は考える要素も多く、わからないことや戸惑いもあったんです。でも、森さんのアート作品を装置としてプロジェクト化したいという気持ちは、私がアメリカでやってきたこととも重なっていました。特別な存在としてのアーティストが作る、自我を表現する作品という以外にも、アートには社会的な装置や触媒としての機能がある。どうアートを生かしていくかという意識の重なりがあったから、やりたいと思いました。あと、宮島さんを含めて、こういう人たちと仕事をしてみたいという思いも大きかったですね。

:スティーブ・ジョブズの「コネクティング・ザ・ドッツ(点と点を結ぶ)」という言葉があるけど、うまい表現だなと。振り返ると整理されちゃうけど、当時は1日1日なんとか前に進んでいるような状態だった。もともとこのプロジェクトの名前を「Relight Project」にするか「Rewrite Project」にするかを考えていたことを思い出し、先日も宏子さんと「『Relight』という表記にしているけど、実際は書き換えるという意味の『Rewrite』の方だね」と笑って話していたんです。このプロジェクトは直線的ではなくて、状況に応じて変化しながら進んできたんですよね。

:計画的ではなく、現在進行形。チームができるまでには多くの時間を過ごしたけど、そこに良いプロセスがたくさんあったんです。現在のかたちは、当初は誰も想定していなかった。宮島さんはよくこの結果を引き取ってくれたなと思います。

アーティストとして活動する傍ら、コミュニティ開発やエデュケーション事業にも関わってきた菊池さん。米国在住20年を経て、2011年、東日本大震災を機に帰国した。

——装置や触媒としてのアートというお話がありましたが、リライトプロジェクトがアートプロジェクトとして異質なのは、いわゆるアーティストを中心とした作品制作が行われていない点ですね。

:Relight Daysにしても、作品を3日間点灯するだけで、アーティストに新しい作品制作を依頼するわけではないですからね。でも、僕らが問おうとしていたのは、この社会の中で、我々はいかにアートを必要とするのか、ということ。たとえばこのプロジェクトでは、六本木にある港区立笄(こうがい)小学校図工科の江原貴美子先生とその生徒と、ワークショップをしたり《Counter Void》の現場に足を運んだり、様々な形で関わりをもったのですが、結果として彼らは再点灯を自分事として考えてくれるようになった。宮島さんの本来の意図を引き継ぎつつも、それを自分の言葉で紡げる人が生まれたことは、意味があることだと思います。

菊池:一方、Relight Daysが年に3日間のシンボルだとすれば、その土台としてある365日間で、点灯の意味や、震災後の社会とアートを考える場として始めたのが、市民大学のRelight Committeeです。この二つがないと、リライトプロジェクトは成り立たないんですね。作品は、物理的にはすぐ点けられる。でも、なぜわざわざ点けるのか。その社会的な意味とは何か。それを作品の作者や所有者ではなく、本来作品を鑑賞する側が議論するところにこのプロジェクトの本質があります。わかりにくい部分もありますが、やりがいでもあるんです。

「社会彫刻家」の輩出を目指す「Relight Committee」。2016年より市民大学形式でスタート。(撮影:丸尾隆一)

社会彫刻家を育てる学びの場

——Relight Committeeがミッションとして掲げているのが、社会彫刻家と呼ばれる存在の育成や輩出です。「社会彫刻」は、もともとドイツ人アーティストのヨーゼフ・ボイスが提唱した概念ですが、このプロジェクトではそれを現代的に捉え、社会彫刻家を「アートが持つ創造性や想像力を用いて、自らの生活や仕事に新たな価値をつくり続け、行動する人」と定義していますね。なぜこの言葉を使うことになったのですか?

菊池:そこにはプロジェクト1年目の、私の認識不足によるつまずきがあったんです。そもそも初年度のコミッティは、「アートと社会について従来の定義や枠組みを超えた対話を重ね、具体的な行動につなげる人を育てる学びの場」という目的を持って立ち上げました。初めての再点灯とそこに向けたプログラムづくりなど、彼らの時間や労働の多くがそこに注がれてしまい、実践からの学びはあるものの、根本のアートや社会の関係などの学びの部分が抜け落ちてしまったというか。いろんな意味での認識の違いやズレから、人が離れることなども起きてしまって。

そこで、どうしても必要な学びの要素を取り入れ、本当に何かを変えたいという思いのある人を育てたいなと。アートファンの育成でも、造形やコンセプトの美しさの学びでもなく、「アートが装置である」という認識を育てるうえでは、歴史上、やはり社会彫刻の考え方に戻らないといけない。そうしないと、いつまでも宮島さんの作品をどうするかという話にしかならないという危機感があったんです。

:Relight Daysが当初の再生計画の延長上のプログラムだとしたら、Relight Committeeはそこにあるアートをいかに使うかを考えるプログラム。つまり、アートに対するタッチの仕方が違うんですね。ただ、いま菊池さんが話したことは、NPO側の思惑だから、じつは僕も初めて聞いたんです。思いつきじゃないから、我々も引き取ることができたんだなと。

Relight Committee活動日の様子。様々な職業、年齢、背景を持つ人々が議論し、思考する学びの場。(撮影:丸尾隆一)

:社会彫刻は重要な概念なので、使うことには戸惑いもありました。もちろん僕たちもボイスの考え方をつねに振り返っていますが、重要なのは、僕たちが生きている社会はいまこの社会だということ。だから、「ボイスが何をしたか」を学ぶのではなく、ボイスの考えを引き継ぎつつ、現代を生きる僕ら一人ひとりが「社会をいかに彫刻し生きていくか」を考えたい。概念を知るだけでなく、それを踏まえて実装する人を増やしていきたいんです。

:その意味では、インビジブルは「アートNPO」と呼べる組織になりましたね。アーティストの活動を支えるNPOは山ほどあるけど、インビジブルはひとつの思考体として、NPOそのものからメッセージを発信できる。物言えるNPOになったと。この考え方は、宮島さんのキーワードである「Art in You」(アートはそれを受け取るあなたの中にある)にもつながるものです。

菊池:ただ、日本の美術大学では、意外と社会彫刻についてあまり教えられないんですよね。それは私が通っていたアメリカの美大では、ありえないことだったので。すべての学生が、アートの概念、表現方法のひとつに「行動」があると教えられる。でも、社会彫刻家という考え方が日本でも本当に必要だと納得するために、一年目のつまずきは重要なプロセスでしたね。

現在のRelight Committeeプログラムは、レクチャー+実験+議論を組み合わせて構成している。(撮影:丸尾隆一)

〈後篇〉「問いを通じて見えない状況を可視化する。これからのアートNPOとして ―インビジブル林曉甫・菊池宏子「リライトプロジェクト」インタビュー」

Profile

林曉甫(はやし・あきお)

NPO法人インビジブル 理事長/マネージング・ディレクター
1984年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学アジア太平洋マネジメント学部卒業。卒業後、NPO法人BEPPU PROJECTに勤務し公共空間や商業施設などでアートプロジェクトの企画運営を担当。文化芸術を起点にした地域活性化や観光振興に携わる。2015年7月にアーティストの菊池宏子と共にNPO法人インビジブルを設立。International Exchange Placement Programme(ロンドン/2009 )、別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」事務局長(別府/2012)、鳥取藝住祭総合ディレクター(鳥取/2014,2015)六本木アートナイトプログラムディレクター(東京/2014~2016)、 Salzburg Global Forum for Young Cultural Innovators(ザルツブルク/2015)、女子美術大学非常勤講師(東京/2017)

菊池宏子(きくち・ひろこ)

NPO法人インビジブル クリエイティブ・ディレクター/アーティスト
東京生まれ。ボストン大学芸術学部彫刻科卒、米国タフツ大学大学院博士前期課程修了。米国在住20年を経て、2011年、東日本大震災を機に東京に戻り現在に至る。在学中よりフルクサスやハプニングなどの前衛芸術・パフォーマンスアート、社会彫刻的観念、またアートとフェミニズム、多文化共生マイノリティアートとアクティビズムなど、アートの社会における役割やアートと日常・社会との関係について研究・実践を続けている。MITリストビジュアルアーツセンター、ボストン美術館、あいちトリエンナーレ2013、森美術館など含む、美術館・文化施設、まちづくりNPO、アートプロジェクトにて、エデュケーション活動、ワークショップ開発・リーダーシップ/ボランティア育成など含むコミュニティ・エンゲージメント戦略・開発に従事。また、アート・文化の役割・機能を生かした地域再生事業、ソーシャリーエンゲージドアートに多岐にわたり多数携さわってきている。その他武蔵野美術大学、立教大学兼任講師、一般財団法人World In Asia理事なども務めている。

NPO法人インビジブル

アートを軸にした「クリエイティブプレイス(Creative Place)」を標榜するNPO法人。「invisible to visible(見えないものを可視化する)」をコンセプトに、アート、文化、クリエイティブの力を用いて、地域再生、都市開発、教育などさまざま領域におけるプロジェクトの企画運営や、アーティストの活動支援、アートプロジェクトの支援や運営人材の育成、それに伴うプロトタイプの研究に取り組んでいる。
http://invisible.tokyo/

リライトプロジェクト

六本木けやき坂のパブリックアート『Counter Void(カウンター・ヴォイド)』を再点灯させると同時に、未来の生き方や人間のあり方を考えるプラットフォーム形成を目指すプロジェクト。東日本大震災をきっかけに、作者であるアーティスト・宮島達男の手によって消灯されたこの作品を、3.11の記憶をとどめ、社会に問いかけ続けるための装置と位置づけ、様々なプログラムを展開します。
http://relight-project.org/
*東京アートポイント計画事業として2015年度から実施

TERATOTERA DOCUMENT 2017

古くから多くの芸術家や作家が居住し、近年は若者の住みたいまちとしても不動の人気を誇るJR中央線高円寺駅~吉祥寺駅~国分寺駅区間に点在しているアートスポットをつなぎながら、現在進行形のアートを発信するアートプロジェクト『TERATOTERA(テラトテラ)』。「TERACCO(テラッコ)」と呼ばれるボランティアスタッフの人材育成にも注力し、プログラムの企画・運営の実践を通じ、アーティストとともにアートプロジェクトをプロデュースできる人材育成も目指します。本書のほとんどは、そうしたテラッコたちの言葉によって構成されています。

もくじ

TERATOTERAとは

はじめに
年間スケジュール

リアリー・リアリー・フリーマーケット
西荻映像祭
パフォーマンス・デイ
TERATOTERA祭り
シンポジウム「西を動かす」

作家プロフィール
来場者アンケート
テラッコの感想

アートプロジェクトの0123

終わりに

東京スープとブランケット紀行 2014-2017 記録集

演出家・劇作家の羊屋白玉を中心に、生活圏に起こるものごとの「終焉」と「起源」、そして、それらの間を追求する『東京スープとブランケット紀行』。写真や対談記録、戯曲やスープのレシピを交えてまとめられた、4年間の活動の記録集です。

もくじ

朽ちては、芽生える、東京の猫
東京スープとブランケット紀行 2014.5.17~2017.3.8
スープを巡る話
Rest In Peace, Tokyo 小山田 徹さんと
8月8日、快晴。

Rest In Peace, Tokyo 2017.5.17~2017.11.17 その1
Rest In Peace, Tokyo Chapter 1 はなまる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 2 みとれる
Tikam-Tikam Japan:R.I.P. TOkyo
Rest In Peace, Tokyo Chapter 2.7 はぐれる
還住の島に生きて
Rest In Peace, Tokyo Chapter 3 きこえる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 4 くすぐる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 5 みつける

Rest In Peace, Tokyo 2017.5.17~2017.11.17 その2
Rest In Peace, Tokyo ドラマトゥルク鼎談
街並みを眺めて考えたこと
羊屋白玉さんの猫が亡くなった翌月に離婚をし、その翌年に体調を崩して仕事を辞めた。さらに次の年、羊屋さんや東京スープとブランケット紀行に出会ってからの4年間に、対談紀行とRest In Peace, Tokyo の合間の日常で思いめぐらしたさまざまな「失われたもの」について、羊屋さんに宛てた4通のメール。
終わりの風景

東京スープとブランケット紀行 年表・地図・戯曲

Rest In Peace, Tokyo

FIELD RECORDING vol.01 特集:記録の生態系にふれる

『東北の風景をきく FIELD RECORDING』は、変わりゆく震災後の東北のいまと、表現の生態系を定点観測するジャーナルです。vol.01の特集は「記録の生態系にふれる」。震災を契機として、東北の地で生まれつつある「記録の生態系」を探ることにしました。

もくじ

<はじめに

Interview
甲斐賢治さんにきく
過去を引きずりながら、未来をかき混ぜる

Conversation
一枚の写真たち 「復興カメラ」座談会

途中の風景 松本 篤

東北の表現
屋根裏ハイツ「とおくはちかい」/「ラジオ下神白」

大風呂敷のこと 中﨑 透
Diary 福島大風呂敷、制作日記2011 中﨑 透

わたしの東北の風景
参加者一覧
編集後記 佐藤李青

復興カメラ 2018.3.11

岩手県釜石市と大槌町を中心に、日々刻々と変化するまちを写真に撮り続けてきた「復興カメラ」。その7年間の風景の変化を写真と数字でまとめました。