福島の未来を担うこどもたちの豊かな人間性と多様な個性を育むことを目的とし、県内の保育園、小中高等学校等にアーティストを派遣して、多彩なアートプログラムを体験できるワークショップを実施しました。本書では、その取り組みの記録をまとめています。
もくじ
福島県立美術館 2017学校連携共同ワークショップ「おとなりアーティスト!」
福島県立博物館 小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ「わたしのすきな柳津」
福島の未来を担うこどもたちの豊かな人間性と多様な個性を育むことを目的とし、県内の保育園、小中高等学校等にアーティストを派遣して、多彩なアートプログラムを体験できるワークショップを実施しました。本書では、その取り組みの記録をまとめています。
福島県立美術館 2017学校連携共同ワークショップ「おとなりアーティスト!」
福島県立博物館 小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ「わたしのすきな柳津」
「つながる湾プロジェクト」は、宮城県松島湾とその沿岸地域の文化を再発見し、味わい、共有し、表現することで、地域や人・時間のつながりを「陸の文化」とは違った視点で捉え直す試みです。
本書は、松島湾のカキをテーマに、生物としてのカキの特徴や、養殖の方法、殻のむき方や調理法など、カキにまつわるあれこれを詰め込んだ図鑑です。
はじめに
牡蠣について
カキ
カキの種類
マガキ
生育環境
食べもの・天敵
一年の生活
カキの歴史
人との関わり
名前の由来と漢字
松島湾について
松島湾
松島湾の特徴
松島湾の地質・地形
松島湾の恵み
松島湾で暮らす人たち
カキの養殖
松島湾で盛んなカキの養殖
養殖の流れ
採苗
抑制
挟み込み・本垂下
育成
収穫
殻むき
養殖の種類
カキ漁師について
カキ漁師の話
むき子さんの話
フランスとの関係
牡蠣を食べる
カキの味と栄養
カキのむき方
カキの調理方法
食中毒について
巻末エッセイ
索引
おもな参考文献
「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。
第2回で取り上げるのは、2015年にスタートした「リライトプロジェクト」です。東日本大震災を機に消灯された宮島達男さんのパブリックアート《Counter Void》を毎年3日間限定で再点灯する「Relight Days」と、アート的アプローチを生かした行動によって自らの生活や社会を変える「社会彫刻家」の育成を行う「Relight Committee」。この二つを軸としたプロジェクトでは、震災後の社会でアートが果たしうる「装置」としての可能性に焦点が当てられてきました。
一方、プロジェクトと並行して設立されたNPO法人インビジブルでは、地域再生から教育まで、多様な現場でアートを取り入れた実践を展開しています。「大きな時代の流れの中に、小さな支流を作る」かのような彼らの活動、そして、より社会に接続していくこれからのアートの“使い方”とは? インビジブルの林曉甫さんと菊池宏子さん、東京アートポイント計画ディレクターの森司に語ってもらいました。
>〈前篇〉「逆境から生まれたプロジェクト、考える装置としてのアート ―インビジブル林曉甫・菊池宏子「リライトプロジェクト」インタビュー」
(取材・執筆:杉原環樹)
——Relight Committeeの具体的な内容は、大きく二つの要素から成っています。ひとつは、さまざまな分野で活動する社会彫刻家を招いてのトーク&ディスカッション。そしてもうひとつが、参加者がそれぞれの問題意識から主体となって、まちなかなどで具体的なアクションを起こす実践プログラムです。
菊池:活動しながら思うのは、意外とアート業界以外のボイスのことをまったく知らない人の方が、この概念を自分なりに理解してくれる。たとえば、以前、ワークショップで社会彫刻の考え方と育児をテーマにした時、お母さんたちにとても伝わったんです。
森:その人たちには、目の前に具体的な社会がありますからね。
菊池:本当にそうなんですよ。自分が生きている社会があるから。具体的に変えたいことがあるんですよね。
——参加者のアクションには、どんなものがあるのでしょうか?
菊池:たとえば、 2016年に参加してくれた江口恭代さんは、《Counter Void》の前で震災と関係する「花は咲く」という歌を歌ってまちなかを歩くアクションをしました(>「心の声 祈り ここから新たに」)。彼女は、東京で会社員として暮らす被災地出身者として、自分と震災の距離感をうまく消化できず、軋みを感じていた。でも、もともと好きな声楽を生かしたアクションをすることで、震災に対して当事者の意識を持つことができたんです。また山田悠さんは、《Counter Void》からタクシーに乗って決まったルートを回りながら、「ここに作品があったのを覚えていますか?」など、運転手との会話を記録するアクションを行いました(>「Passengers」)。彼女はアーティストなのですが、自分自身を媒体にするのは新しい挑戦でしたね。
——それぞれ、その人らしい挑戦的な行動を起こすが大事だと。
菊池:とはいえ、動機は必ずしも前向きなものとは限らないんです。たとえば関恵理子さんは、生きることが面倒くさいという思いを持っていた。その隠すべきだと思っていた気持ちを表に出そうと、最初に声明文を書いたうえで、「生きるってめんどくさい」という日記を365日書き続けています(「生きるってめんどくさい」)。
——声明文があることによって、日記を書くという行為に特別な意味が出てくる。アート的な仕掛けですが、こうした枠組みは菊池さんたちが提案するんですか?
菊池:参加者に自分のことを考えてもらうため、彼らが普段は触れないアートの蓄積を見せることはしていますね。たとえば関さんの場合、ステートメントに基づいて、一見無駄とも思える行動をし続けている海外アーティストの活動を見せました。そうした実例に触れることで、これもアートになり得るんだ、自分ならこうしたい、と考えることができる。まねをせず、影響の根源を広げることを意識しています。
——私も一度、Relight Committeeの現場を見学させていただきましたが、菊池さんたちが「なぜそのアクションなの?」と、何度も問いかけていたのが印象的でした。
菊池:この場所では、いかに真剣に自分と向き合い、かつ、自分にしかできないアクションを作り上げるかを求めていると思います。なので、アクションづくりのプロセスに比重を起きつつも、参加者全員がアクションをすることができたわけではないんですね。視点をなかなか深めることができなかった人には、アクションではなく、できないこと自体を記事にしてもらいました。
林:参加者の職業や経歴は様々ですが、一人ひとりが妥協しないでやりぬく強度を保ちたいんです。Relight Committeeはあくまでも、自分で動かないと何にも得られない場ですね。
——必ず技術を習得できる、学びの「サービス」ではないということですね。
森:普段は作り手ではない人が、他人の作った作品ではなく、アートそのものの働きを日常のなかで感じることができる。実社会とは異なるもう一人の自分を、社会彫刻家として演じることができるわけですよね。服によって人が変わるように、息苦しい閉塞感のなかで自分をズラすことができるのは、新しいアートの位置付けとして可能性がある。こうしたNPOが誕生したこと自体が、このプロジェクトの一番の成果ですね。
——リライトプロジェクトは2018年春にひとつの区切りを迎えますが、一方、インビジブルはNPOとして、その活動を広げていますね。たとえば「文化起業家」は、事業によって新しい価値を創出するとともに、新たな文化を生み出する起業家を紹介するトークセッションシリーズです。
林:僕たちは、見えないことを可視化し、異なるあり方を提示するのがアートの価値だと思っていて。文化起業家でも、事業を通じて新しい文化を作ろうとしている起業家をお呼びして、どんな状況を作り出したいと考えているのか、月に一回、お話を伺っています。また最近始まった「問ひ屋プロジェクト」は、群馬県高崎市にある高崎問屋街を舞台にしたアートプロジェクトです。「問ひ屋」は「問屋」のかつての呼び名ですが、そこでは多様な人々が問いを投げかけ合いながら商売をしていた。そんな歴史を参照しつつ、問屋街の未来を考えるうえでアートがどんな触媒になり得るのかを提案し、様々なプログラムを実施しています。
——そうしたプロジェクトは、どのようにして始まるのですか?
林:高崎の場合は、問屋街の経営者の一人が声をかけてくれました。また福島でも、以前から多くの小学校が集まるイベントのアドバイザーを宏子さんが担当した経緯から、今後開校される小学校のアクションプランを考える実行委員会に宏子さんが参加し、震災後の教育を考える仕事もさせていただいています。活動の軸にしているのは、アートを見せるというより、アートを通じて状況を可視化し、その先に伸びる視座を見せたいという点です。
菊池:一見バラバラに見えるけれど、私たちの中では、与えられた環境で何ができるかという点が重要なんです。その「何」が重要で、コンテクストは問わない。アートがどこかの社会の縮図の中に介入したとき、いかに力を発揮できるのか。そうしたプロジェクトが多いですね。言い換えると、余計なお世話が多い(笑)。真っ向から注文に応えるのではなく、ギリギリのところで「こういうこともできますよ?」と、より深い問いを投げかける。効率の悪さもあるけれど、そこに存在意義があると思っています。
——あらためて、逆境の中で誕生したNPOから、こうした多様な実践が生まれたのはとても面白いですね。
森:さきほど、宮島さんと光の蘇生を始めたとき、予想もできない方向に進むようなチームが作りたかったと言いましたが、その発酵の時間がないと、日本にはこの先がないという思いがあったんです。いまあらゆる時計が早回しされる中で、悠長な時間の使い方はなかなかできなくなっている。でも、それはとても危険なことだと思うんです。
林:リライトプロジェクトは終わりますが、これからはRelight Committeeで育んできたことに一層、力を入れたいと思っていて。というのも、合理化が進む中でも、こうした一見無駄は多いけれど、ともに学べる場と人を作っていく活動が、一番レバレッジが効くと思うんですよね。だから今後のRelight Committeeでは、年度ごとの卒業という仕組みも無くそうと考えているんです。スポーツジムじゃないけれど、日々の生活の中でふとストレッチをしに来る人もいれば、がっつり身体を作りに来る人もいる。そんなコミュニティを作りたい。それこそ、森さんの言うような大きな川の流れに個人では抗えないけど、その中にせっせと小さな支流を作っていく。そういうことをしていけたらいいなと思っています。
菊池:一方で私たちの仕事は、いつなくなってもおかしくなくて。ものすごく利益を生むわけではないし、見方によっては自分たちの理想の押し付けにも見えてしまう。だからこそ柔軟に、信じたことをまっすぐやり続けないといけないなと思いますね。
森:今後人が減る社会では、昔の作り方でいいという発想も生まれてくる。我々はもう一度、時間を取り戻す可能性もあると思うんです。そこで大事なのは、小さな規模で発酵させるような、手間暇をかけたやり方。だからインビジブルの仕事には、僕はとても広がりがあると感じるんです。
菊池:自分たちの活動は、マラソンみたいだと思います。教育や学びは、絶対的にすぐ成果が現れないものだから、いかに長くやり続けるかが問われている。その人が学んだことを納得して形にするのは、10年後かもしれないし、生涯かかるかもしれない。でも、もしかしたら、「社会彫刻家」という言葉が当たり前のように使われる時代が来るかもしれないんですよね。その未来の姿を思い描きながら、これからも目の前のことに取り組んでいきたいですね。
NPO法人インビジブル 理事長/マネージング・ディレクター
1984年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学アジア太平洋マネジメント学部卒業。卒業後、NPO法人BEPPU PROJECTに勤務し公共空間や商業施設などでアートプロジェクトの企画運営を担当。文化芸術を起点にした地域活性化や観光振興に携わる。2015年7月にアーティストの菊池宏子と共にNPO法人インビジブルを設立。International Exchange Placement Programme(ロンドン/2009 )、別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」事務局長(別府/2012)、鳥取藝住祭総合ディレクター(鳥取/2014,2015)六本木アートナイトプログラムディレクター(東京/2014~2016)、 Salzburg Global Forum for Young Cultural Innovators(ザルツブルク/2015)、女子美術大学非常勤講師(東京/2017)
NPO法人インビジブル クリエイティブ・ディレクター/アーティスト
東京生まれ。ボストン大学芸術学部彫刻科卒、米国タフツ大学大学院博士前期課程修了。米国在住20年を経て、2011年、東日本大震災を機に東京に戻り現在に至る。在学中よりフルクサスやハプニングなどの前衛芸術・パフォーマンスアート、社会彫刻的観念、またアートとフェミニズム、多文化共生マイノリティアートとアクティビズムなど、アートの社会における役割やアートと日常・社会との関係について研究・実践を続けている。MITリストビジュアルアーツセンター、ボストン美術館、あいちトリエンナーレ2013、森美術館など含む、美術館・文化施設、まちづくりNPO、アートプロジェクトにて、エデュケーション活動、ワークショップ開発・リーダーシップ/ボランティア育成など含むコミュニティ・エンゲージメント戦略・開発に従事。また、アート・文化の役割・機能を生かした地域再生事業、ソーシャリーエンゲージドアートに多岐にわたり多数携さわってきている。その他武蔵野美術大学、立教大学兼任講師、一般財団法人World In Asia理事なども務めている。
アートを軸にした「クリエイティブプレイス(Creative Place)」を標榜するNPO法人。「invisible to visible(見えないものを可視化する)」をコンセプトに、アート、文化、クリエイティブの力を用いて、地域再生、都市開発、教育などさまざま領域におけるプロジェクトの企画運営や、アーティストの活動支援、アートプロジェクトの支援や運営人材の育成、それに伴うプロトタイプの研究に取り組んでいる。
http://invisible.tokyo/
六本木けやき坂のパブリックアート『Counter Void(カウンター・ヴォイド)』を再点灯させると同時に、未来の生き方や人間のあり方を考えるプラットフォーム形成を目指すプロジェクト。東日本大震災をきっかけに、作者であるアーティスト・宮島達男の手によって消灯されたこの作品を、3.11の記憶をとどめ、社会に問いかけ続けるための装置と位置づけ、様々なプログラムを展開します。
http://relight-project.org/
*東京アートポイント計画事業として2015年度から実施
「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。
第2回で取り上げるのは、2015年にスタートした「リライトプロジェクト」です。東日本大震災を機に消灯された宮島達男さんのパブリックアート《Counter Void》を毎年3日間限定で再点灯する「Relight Days」と、アート的アプローチを生かした行動によって自らの生活や社会を変える「社会彫刻家」の育成を行う「Relight Committee」。この二つを軸としたプロジェクトでは、震災後の社会でアートが果たしうる「装置」としての可能性に焦点が当てられてきました。
一方、プロジェクトと並行して設立されたNPO法人インビジブルでは、地域再生から教育まで、多様な現場でアートを取り入れた実践を展開しています。「大きな時代の流れの中に、小さな支流を作る」かのような彼らの活動、そして、より社会に接続していくこれからのアートの“使い方”とは? インビジブルの林曉甫さんと菊池宏子さん、東京アートポイント計画ディレクターの森司に語ってもらいました。
——リライトプロジェクトは、2013年より始まった、六本木ヒルズにある宮島達男さんのパブリックアート《Counter Void》の再点灯を考察する「光の蘇生」プロジェクトを土台としているそうですね。まずは光の蘇生の経緯について聞かせてください。
森:きっかけは、宮島さんとの何気ない会話の中で、彼が《Counter Void》の電気を消していると知ったことでした。当時僕は、美術家の川俣正さんと行っていた「川俣正・インプログレス―隅田川からの眺め」(2010〜2013年)の終了もあり、次に東京で世界的なプロジェクトを協働できるアーティストを探していたんです。そこで宮島さんに会いに行くと、彼が震災から2日後の2011年3月13日、計画停電に先立って、自主的に作品を消灯する決定をしていたと知って。再点灯の議論自体をプロジェクトにしようと考えたんです。
——そこで、多分野のゲストを招いた勉強会を中心とする、光の蘇生の活動が始まったわけですね。当初、林さんはその事務局のスタッフとして、菊池さんは勉強会のゲストとして参加しています。
森:林くんは彼の前職のBEPPU PROJECTでの実力を知っていたし、震災を機にアメリカから帰国した菊池さんは、あいちトリエンナーレでの評判を聞いて、良い人がいるなと思っていました。光の蘇生では、そんな豪華メンバーでチームビルディングすることで、予測できない動きが生まれる生態系を作りたかったんですね。その一方、光の蘇生はまだ20世紀的な価値観で進んでいたプロジェクトでした。というのも、ここで議論していたのは、要は「作品の再生(※)」ですから。物理的な作品を中心にした、従来の芸術観の延長にあるプロジェクトだったんです。しかし途中で、作品の所有者からの要請などもあり、完全な再生が難しくなってしまった。そして、この逆境への応答の中から、インビジブルがプロジェクトを現在のかたちに更新していったんです。
※編注:当時「光の蘇生」では経年劣化した《Counter Void》を修繕し、作品として完璧に再生した上で、再び点灯させることを目指していた。
林:光の蘇生では、作品の修繕資金を集めるファンディングの仕組みなどを作っていたのですが、他方で、ただ作品を綺麗にして再点灯を実現しても、その社会的な位置付けが変わらなければいけません。そこで、宏子さんを招き、コミュニティ開発の領域にもプロジェクトを展開していくことを考えました。しかし、プロジェクトが本格稼働する直前、作品の蛍光灯を全てLEDに入れ変えて再生することは難しいという話になり、一転してプロジェクトをゼロベースで考えなおさなくてはいけなくなりました。ここでプロジェクトを離れることもできたけど、宮島さんは僕が最初に仕事をしたアーティストですし、六本木の喧騒の中に「生と死」をテーマとする《Counter Void》があることは意味があるのでやりたかった。それで、宏子さんとインビジブルを設立することにして、森さんに「この企画を引き取りたい」と提案したんです。
菊池:こうした状況は、コミュニティ開発の世界ではよくあることなんですよ。地権者や所有者の事情で紆余曲折するというのは。でも、そこに対していかに柔軟に、クリエイティブな発想を埋め込んでいくのかが、プロセスの重要な部分になるんです。
——毎年3日間だけ再点灯するRelight Daysの発想は、そこで生まれたのですか?
林:そうですね。どうしたら状況を裏返せるかを考えたとき、3月11日から作品の電気が消された3月13日までの3日間をシンボルに使えないかと。伝統的にも、灯籠流しやお盆のような、失った人へと哀悼を捧げる年中行事がありますよね。作品すべてを再生できなくても、その三日間の再点灯によって失われたものを見せたいと考えたんです。
森:宮島さんが一番こだわっていたのは、点ける理由なんです。でも、作品再生ができなくなったとき、ある意味で点ける理由ができたんですね。その理由を正当化してくれたのがインビジブル。ロジカルに考えると「点けられないなら諦めよう」か、正面突破で抗議をしにいくのが普通でしょう。でも、彼らが提案したのは「三日間だけ点けるのはどうですか?」ということ。これは宮島さんと僕にとっては、すごくシャープな回答だった。このとき、我々が光の蘇生でやってきたことは、リライトプロジェクトとしてインビジブルへと移行されたんです。
——菊池さんは最初ゲストとして参加した中で、なぜ、このプロジェクトにここまで深く関わろうと思ったのでしょうか?
菊池:タイミングというのは、率直な答えとしてあって。ゲストで関わり、結果NPO法人まで立ち上げるのは、自分の意思以外の部分に促された不思議な感覚もあります。そもそも、今日は整理をして話していますが、当時は考える要素も多く、わからないことや戸惑いもあったんです。でも、森さんのアート作品を装置としてプロジェクト化したいという気持ちは、私がアメリカでやってきたこととも重なっていました。特別な存在としてのアーティストが作る、自我を表現する作品という以外にも、アートには社会的な装置や触媒としての機能がある。どうアートを生かしていくかという意識の重なりがあったから、やりたいと思いました。あと、宮島さんを含めて、こういう人たちと仕事をしてみたいという思いも大きかったですね。
林:スティーブ・ジョブズの「コネクティング・ザ・ドッツ(点と点を結ぶ)」という言葉があるけど、うまい表現だなと。振り返ると整理されちゃうけど、当時は1日1日なんとか前に進んでいるような状態だった。もともとこのプロジェクトの名前を「Relight Project」にするか「Rewrite Project」にするかを考えていたことを思い出し、先日も宏子さんと「『Relight』という表記にしているけど、実際は書き換えるという意味の『Rewrite』の方だね」と笑って話していたんです。このプロジェクトは直線的ではなくて、状況に応じて変化しながら進んできたんですよね。
森:計画的ではなく、現在進行形。チームができるまでには多くの時間を過ごしたけど、そこに良いプロセスがたくさんあったんです。現在のかたちは、当初は誰も想定していなかった。宮島さんはよくこの結果を引き取ってくれたなと思います。
——装置や触媒としてのアートというお話がありましたが、リライトプロジェクトがアートプロジェクトとして異質なのは、いわゆるアーティストを中心とした作品制作が行われていない点ですね。
林:Relight Daysにしても、作品を3日間点灯するだけで、アーティストに新しい作品制作を依頼するわけではないですからね。でも、僕らが問おうとしていたのは、この社会の中で、我々はいかにアートを必要とするのか、ということ。たとえばこのプロジェクトでは、六本木にある港区立笄(こうがい)小学校図工科の江原貴美子先生とその生徒と、ワークショップをしたり《Counter Void》の現場に足を運んだり、様々な形で関わりをもったのですが、結果として彼らは再点灯を自分事として考えてくれるようになった。宮島さんの本来の意図を引き継ぎつつも、それを自分の言葉で紡げる人が生まれたことは、意味があることだと思います。
菊池:一方、Relight Daysが年に3日間のシンボルだとすれば、その土台としてある365日間で、点灯の意味や、震災後の社会とアートを考える場として始めたのが、市民大学のRelight Committeeです。この二つがないと、リライトプロジェクトは成り立たないんですね。作品は、物理的にはすぐ点けられる。でも、なぜわざわざ点けるのか。その社会的な意味とは何か。それを作品の作者や所有者ではなく、本来作品を鑑賞する側が議論するところにこのプロジェクトの本質があります。わかりにくい部分もありますが、やりがいでもあるんです。
——Relight Committeeがミッションとして掲げているのが、社会彫刻家と呼ばれる存在の育成や輩出です。「社会彫刻」は、もともとドイツ人アーティストのヨーゼフ・ボイスが提唱した概念ですが、このプロジェクトではそれを現代的に捉え、社会彫刻家を「アートが持つ創造性や想像力を用いて、自らの生活や仕事に新たな価値をつくり続け、行動する人」と定義していますね。なぜこの言葉を使うことになったのですか?
菊池:そこにはプロジェクト1年目の、私の認識不足によるつまずきがあったんです。そもそも初年度のコミッティは、「アートと社会について従来の定義や枠組みを超えた対話を重ね、具体的な行動につなげる人を育てる学びの場」という目的を持って立ち上げました。初めての再点灯とそこに向けたプログラムづくりなど、彼らの時間や労働の多くがそこに注がれてしまい、実践からの学びはあるものの、根本のアートや社会の関係などの学びの部分が抜け落ちてしまったというか。いろんな意味での認識の違いやズレから、人が離れることなども起きてしまって。
そこで、どうしても必要な学びの要素を取り入れ、本当に何かを変えたいという思いのある人を育てたいなと。アートファンの育成でも、造形やコンセプトの美しさの学びでもなく、「アートが装置である」という認識を育てるうえでは、歴史上、やはり社会彫刻の考え方に戻らないといけない。そうしないと、いつまでも宮島さんの作品をどうするかという話にしかならないという危機感があったんです。
森:Relight Daysが当初の再生計画の延長上のプログラムだとしたら、Relight Committeeはそこにあるアートをいかに使うかを考えるプログラム。つまり、アートに対するタッチの仕方が違うんですね。ただ、いま菊池さんが話したことは、NPO側の思惑だから、じつは僕も初めて聞いたんです。思いつきじゃないから、我々も引き取ることができたんだなと。
林:社会彫刻は重要な概念なので、使うことには戸惑いもありました。もちろん僕たちもボイスの考え方をつねに振り返っていますが、重要なのは、僕たちが生きている社会はいまこの社会だということ。だから、「ボイスが何をしたか」を学ぶのではなく、ボイスの考えを引き継ぎつつ、現代を生きる僕ら一人ひとりが「社会をいかに彫刻し生きていくか」を考えたい。概念を知るだけでなく、それを踏まえて実装する人を増やしていきたいんです。
森:その意味では、インビジブルは「アートNPO」と呼べる組織になりましたね。アーティストの活動を支えるNPOは山ほどあるけど、インビジブルはひとつの思考体として、NPOそのものからメッセージを発信できる。物言えるNPOになったと。この考え方は、宮島さんのキーワードである「Art in You」(アートはそれを受け取るあなたの中にある)にもつながるものです。
菊池:ただ、日本の美術大学では、意外と社会彫刻についてあまり教えられないんですよね。それは私が通っていたアメリカの美大では、ありえないことだったので。すべての学生が、アートの概念、表現方法のひとつに「行動」があると教えられる。でも、社会彫刻家という考え方が日本でも本当に必要だと納得するために、一年目のつまずきは重要なプロセスでしたね。
>〈後篇〉「問いを通じて見えない状況を可視化する。これからのアートNPOとして ―インビジブル林曉甫・菊池宏子「リライトプロジェクト」インタビュー」
NPO法人インビジブル 理事長/マネージング・ディレクター
1984年東京生まれ。立命館アジア太平洋大学アジア太平洋マネジメント学部卒業。卒業後、NPO法人BEPPU PROJECTに勤務し公共空間や商業施設などでアートプロジェクトの企画運営を担当。文化芸術を起点にした地域活性化や観光振興に携わる。2015年7月にアーティストの菊池宏子と共にNPO法人インビジブルを設立。International Exchange Placement Programme(ロンドン/2009 )、別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」事務局長(別府/2012)、鳥取藝住祭総合ディレクター(鳥取/2014,2015)六本木アートナイトプログラムディレクター(東京/2014~2016)、 Salzburg Global Forum for Young Cultural Innovators(ザルツブルク/2015)、女子美術大学非常勤講師(東京/2017)
NPO法人インビジブル クリエイティブ・ディレクター/アーティスト
東京生まれ。ボストン大学芸術学部彫刻科卒、米国タフツ大学大学院博士前期課程修了。米国在住20年を経て、2011年、東日本大震災を機に東京に戻り現在に至る。在学中よりフルクサスやハプニングなどの前衛芸術・パフォーマンスアート、社会彫刻的観念、またアートとフェミニズム、多文化共生マイノリティアートとアクティビズムなど、アートの社会における役割やアートと日常・社会との関係について研究・実践を続けている。MITリストビジュアルアーツセンター、ボストン美術館、あいちトリエンナーレ2013、森美術館など含む、美術館・文化施設、まちづくりNPO、アートプロジェクトにて、エデュケーション活動、ワークショップ開発・リーダーシップ/ボランティア育成など含むコミュニティ・エンゲージメント戦略・開発に従事。また、アート・文化の役割・機能を生かした地域再生事業、ソーシャリーエンゲージドアートに多岐にわたり多数携さわってきている。その他武蔵野美術大学、立教大学兼任講師、一般財団法人World In Asia理事なども務めている。
アートを軸にした「クリエイティブプレイス(Creative Place)」を標榜するNPO法人。「invisible to visible(見えないものを可視化する)」をコンセプトに、アート、文化、クリエイティブの力を用いて、地域再生、都市開発、教育などさまざま領域におけるプロジェクトの企画運営や、アーティストの活動支援、アートプロジェクトの支援や運営人材の育成、それに伴うプロトタイプの研究に取り組んでいる。
http://invisible.tokyo/
六本木けやき坂のパブリックアート『Counter Void(カウンター・ヴォイド)』を再点灯させると同時に、未来の生き方や人間のあり方を考えるプラットフォーム形成を目指すプロジェクト。東日本大震災をきっかけに、作者であるアーティスト・宮島達男の手によって消灯されたこの作品を、3.11の記憶をとどめ、社会に問いかけ続けるための装置と位置づけ、様々なプログラムを展開します。
http://relight-project.org/
*東京アートポイント計画事業として2015年度から実施
古くから多くの芸術家や作家が居住し、近年は若者の住みたいまちとしても不動の人気を誇るJR中央線高円寺駅~吉祥寺駅~国分寺駅区間に点在しているアートスポットをつなぎながら、現在進行形のアートを発信するアートプロジェクト『TERATOTERA(テラトテラ)』。「TERACCO(テラッコ)」と呼ばれるボランティアスタッフの人材育成にも注力し、プログラムの企画・運営の実践を通じ、アーティストとともにアートプロジェクトをプロデュースできる人材育成も目指します。本書のほとんどは、そうしたテラッコたちの言葉によって構成されています。
TERATOTERAとは
はじめに
年間スケジュール
リアリー・リアリー・フリーマーケット
西荻映像祭
パフォーマンス・デイ
TERATOTERA祭り
シンポジウム「西を動かす」
作家プロフィール
来場者アンケート
テラッコの感想
アートプロジェクトの0123
終わりに
演出家・劇作家の羊屋白玉を中心に、生活圏に起こるものごとの「終焉」と「起源」、そして、それらの間を追求する『東京スープとブランケット紀行』。写真や対談記録、戯曲やスープのレシピを交えてまとめられた、4年間の活動の記録集です。
朽ちては、芽生える、東京の猫
東京スープとブランケット紀行 2014.5.17~2017.3.8
スープを巡る話
Rest In Peace, Tokyo 小山田 徹さんと
8月8日、快晴。
Rest In Peace, Tokyo 2017.5.17~2017.11.17 その1
Rest In Peace, Tokyo Chapter 1 はなまる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 2 みとれる
Tikam-Tikam Japan:R.I.P. TOkyo
Rest In Peace, Tokyo Chapter 2.7 はぐれる
還住の島に生きて
Rest In Peace, Tokyo Chapter 3 きこえる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 4 くすぐる
Rest In Peace, Tokyo Chapter 5 みつける
Rest In Peace, Tokyo 2017.5.17~2017.11.17 その2
Rest In Peace, Tokyo ドラマトゥルク鼎談
街並みを眺めて考えたこと
羊屋白玉さんの猫が亡くなった翌月に離婚をし、その翌年に体調を崩して仕事を辞めた。さらに次の年、羊屋さんや東京スープとブランケット紀行に出会ってからの4年間に、対談紀行とRest In Peace, Tokyo の合間の日常で思いめぐらしたさまざまな「失われたもの」について、羊屋さんに宛てた4通のメール。
終わりの風景
東京スープとブランケット紀行 年表・地図・戯曲
Rest In Peace, Tokyo
『東北の風景をきく FIELD RECORDING』は、変わりゆく震災後の東北のいまと、表現の生態系を定点観測するジャーナルです。vol.01の特集は「記録の生態系にふれる」。震災を契機として、東北の地で生まれつつある「記録の生態系」を探ることにしました。
<はじめに
Interview
甲斐賢治さんにきく
過去を引きずりながら、未来をかき混ぜる
Conversation
一枚の写真たち 「復興カメラ」座談会
途中の風景 松本 篤
東北の表現
屋根裏ハイツ「とおくはちかい」/「ラジオ下神白」
大風呂敷のこと 中﨑 透
Diary 福島大風呂敷、制作日記2011 中﨑 透
わたしの東北の風景
参加者一覧
編集後記 佐藤李青
岩手県釜石市と大槌町を中心に、日々刻々と変化するまちを写真に撮り続けてきた「復興カメラ」。その7年間の風景の変化を写真と数字でまとめました。
ひとや風景を記録してきた「まちの写真屋」さん。何を見てきたのか、何を見ているのか、インタビューを行った記録をまとめました。
近年、アートの現場において、リサーチをもとにした作品やプロジェクトが多く見受けられます。「旅するリサーチ・ラボラトリー」は特に他分野でも広く取り入れられているフィールドワーク的実践に着目し、ジャンルを問わず興味深いフィールドワークとアウトプットをされているさまざまなリサーチャー、各地の資料館、 美術館などを訪ね、リサーチ手法、アウトプットやそれらにまつわる作法に関するグループリサーチを2014年度からスタートしました。2014年度は山口から東京、2015年度は三重から北海道、2016年は小笠原諸島へ、ラボ自体が「旅」をしながらリサーチを重ねています。
プロジェクト最終年度となる2017年度は、これまでに重ねてきたフィールドワーク、リサーチ、アウトプットに関わる多様な経験を振返り、そのエッセンスを多くの人と共有するメディアづくりに取り組みます。アーティストによるリサーチの可能性や、観察・記録の手法、アウトプットの表現方法など、「フィールドワークと表現」をめぐる新たな思考と実践を提示することを目指します。