東京アートポイント計画 2017年度公開報告会(APM#05)
執筆者 : 東京アートポイント計画
2018.03.30
2018.03.27
執筆者 : 杉原環樹
後半は来場者からの質問からパネルセッションへ。
Artpoint Meeting 第4回のテーマは、「日常に還す」。ゲストとして登場したのは、驚きと発見を与える日本や世界の暮らしを紹介しながら、生活に活かすことを目指す世田谷区の文化施設「生活工房」学芸員の竹田由美さんと、レコードやラジオや遠足といったツールを通して、身の回りの世界と人の関係を編み直してきた、文化活動家でアーティストのアサダワタルさん。
日常に寄り添いつつも、そのなかに埋没せず、新たな視点をもたらす。難しいバランスが求められる展覧会やプロジェクトの現場で、二人は何を考えてきたのか。会場との活発なやりとりも行われたイベントの様子を、ライターの杉原環樹がレポートします。
>>レポート前編
小休止を挟んだ後半戦。ここからは、会場からの質問をもとに、東京アートポイント計画ディレクターの森司とモデレーターの中田一会も加えたフロアディスカッションが行われました。ホワイトボードには、ゲストの二人に聞きたいことがズラリと並びます。
このやりとりの中でも感じられたのは、竹田さんとアサダさんが、日常生活で出会う場面にとても繊細な目を向けながら、その意味や効果を冷静に分析しているということ。
たとえば世界各地の移動する民族の暮らしに関心を持ち、現地で集めたものを個人のスペースでも展示しているという竹田さん。「企画のヒントはどこから得る?」との質問に、「日々の『おや?』という感覚がヒントになることが多い」と答えます。
「先日、歩きスマホをする理由を尋ねたアンケートの答えの一位が『暇だから』というもので、驚いたんです。周囲の環境の変化や、危機に関心を持たずに歩いているのは、生物として危ういなと。ほかにも、昼間に月が出ていることに驚く人を見て、こちらが驚いたり……。人類の危機を感じたとき、何かやりたくなるかもしれません(笑)」。
一方、「なぜレコードなのか? ものにする理由は?」と問われたアサダさんは、「かたちに残すことへのこだわりがあるわけではなく、使用するメディアの前に人が見えるかどうか、という考え方をしている」と話します。
「高齢者も多い復興住宅が舞台の『ラジオ下神白』では、手渡しできるメディアを使うことで会話が生まれることが重要でした。また、『千住タウンレーベル』のレコードでヒントにしたのは、人が群がる昔の蓄音機屋や街頭テレビの前の風景。アナログかデジタルかではなく、その取り組みの場づくりにふさわしい手段をいつも選んでいます」。
そして、なかでもとくに興味深かったのが、「一番プロジェクトが成功したと思った出来事は?」という質問。「日常に還す」というテーマの核心に触れる問いです。
アサダさんが話したのは、こどもを通じてまちに関わりたいと、「小金井と私」に3年間ずっと関わっている、ある参加者の話。彼女はプロジェクトのなかでこどもにカメラを持たせて、普段は親が触れない保育園への通園の風景を撮ってもらったり、地図を描いてもらったりする「こどもみちを行く」という企画を自分で立ち上げました。
「その展示には彼女が尊敬する保育園の園長先生も来てくれました。面白いのはそこからで、プロジェクト終了後にその園長先生を自宅に招くイベントが企画されたり、より日常生活のなかでのアクションへと緩やかにつながったこと。他にもプロジェクトに参加した小学5年生の女の子たちを軸に、自主的に振り返りの会が行われたり、ある参加者はこのまちで出会った農家さんとの交流を丁寧に継続していたり。こんな風に、プロジェクトという一本の川だったものが、参加者たちのアクションによってどんどん細かい支流に分かれていき、日常の中に続いていくのはいいな、と思うんです」。
これに対して竹田さんも、「眠りの展覧会のとき、ずっと睡眠に悩んでいたという高齢者の方に『今日はぐっすり眠れそう』と言っていただけたのが嬉しかった」と回答。しかし展覧会の経験が日常に活かされるかは、来場者数などの数値では測れないもの。イベント終了後にお話を聞くと、「成功」感に感じる難しさも率直に語ってくれました。
「来場者へのモニタリングを最近は行なっていなくて、成功したことを聞かれたときには正直ドキッとしました。ただ、福島の復興住宅で、故郷に帰還した方も含めて場の姿を記録し続けるアサダさんの活動は参考になります。いろんな人の知恵を借りて、取り組みの『あと』までじっくり追っていく必要があることをあらためて感じました」。
そんな二人の話を聞きながら、「日常を編集する仕方に驚いた」と森は言います。熱量を持って現代を眺めながら、それをデザインの眼で客観的に視覚化する竹田さん。まちにダイブしつつ、小さな想起をすくうアサダさん。「所作はそれぞれ違いますが、人間が人間らしく生きるための根源的な時間への問いを、今日は感じた」と話します。
「機械的で四角四面のカチカチとした時間と、農業など自然に関わる人の時間。あるいは企業人である大人のビジネス的な時間と、プライベートな時間。そこには、体感や質の違いがある。お二人の話からは、『日常に何を還すのか』への答えよりも前に、『私たちが日々の中に何を置いてきたのか』ということについて考えさせられました」。
こうして、3時間におよぶイベントは終了。「日常に還す」という抽象的なテーマについて語る中で、ゲストの二人は何を感じたのか。撤収中の会場でお話を聞きました。
発表の冒頭で、生活を「さまざまなものが混ざった未分化なもの」と表現していた竹田さん。触れ方が難しい対象を解きほぐすうえで、丁寧な空間への落とし込みや視覚化のほかに多用されていると感じたのが、異なる時空間の暮らしを参照する視点でした。
「たとえば、エチオピアには戸籍がなく、人々には正式な名前がないんです。だからパスポートを取るときに行き先に適した名前を選んだりする。そんな風に、『当たり前』は時空が変われば変わるもの。自分の日常は誰かの非日常で、自分はマジョリティだと思えば、いきなりマイノリティになる。そこで感じる驚きは大切で、そういう相対化を繰り返すことによって、生活を考えるための素材は集まってくると思っています」。
では、それをただの「異文化体験」にせず、生活に活かすうえで重要なこととは?
「展覧会は、語り合うための場づくりだと思っています。展示をきっかけに、来場者の方がお互いの生活を話し始める。そこで大切なのは、展示にかけた思いを前面に出すのではなく、余白を多く残すこと。準備中はすごく熱くなっているのですが、感じたものを話し合ってもらうための余地を残す工夫に、多くの時間をかけていますね」。
その竹田さんの工夫を発表から感じ、「生活工房はいい意味で暑苦しくなく、だからこそ多くの人が乗れる。企画との距離感の取り方が上手いなぁと感じた」とアサダさん。
そんなアサダさんに聞きたかったのは、後半で話された、小金井のプロジェクトの参加者が始めた自主的な取り組みについて。「日常に還す」ことを考えてきた今回のイベントですが、日常に「還り切って」しまったら、そこからは文化の持つ新鮮な視線は奪われてしまのではないか。そのジレンマをアサダさんはどう感じているのでしょう?
「プロジェクトで一度いろんな人が混じり、ヘンテコな状況が生まれ、こんなことをしてもいいと人に思わせる。もちろんその後、それがただの日常に潜っていき、息苦しさを感じることはあると思うんです。でも、『あのとき視点が変わった』という経験や学んだスキルが残れば、それを活かしながらまた息継ぎのように新鮮な空気を吸える」。
そして重要なのは、そんな日常との往復やサイクルをつくることだと言います。
「アートプロジェクトには、小さな革命を起こす起爆剤だけではなく、生活でしんどくなったときに使える常備薬の役割もある。参加者が、アート的な視点というものを使えるようになること。そうした感性のサイクルをつくることが、大事だと思うんです」。
日常とは? 文化とは? 日常と文化の関係とは?——。そんな大きな疑問に迫ろうした今回の「Artpoint Meeting」。ゲストのお話からは、自分に密着した世界に考えるためのかたちを与え、その自明性を揺らす、さまざまな工夫が感じられました。
一方、そこで見えてきたのは、語ろうとすればするほど奥行きを増し、手触りを変えていく日常のやっかいで面白い性格。「日常とは?」。イベントを通して、会場を訪れた参加者のなかには、その問いがより深いものとして刻まれたのではないかと思います。
「Artpoint Meeting」は今後も定期的に開催。取り組みを通して生まれた疑問をさらに深め、共有する場所として、ひきつづき展開されていきます。
(イベント撮影:高岡弘)