アートアクセスあだち 音まち千住の縁

「縁(えん)」を育み、つないでゆく

足立区制80周年記念事業をきっかけにはじまったアートプロジェクト、通称「音まち」。人とのつながりが希薄な現代社会において、アートを通じて新たな「縁(えん)」を生み出すことを目指している。下町情緒の残る足立区千住地域を中心に、市民やアーティスト、東京藝術大学の学生たちが協働して「音」をテーマとしたプログラムを複数実施している。

実績

2011年度、音まちのプログラムのひとつとして、無数のシャボン玉でまちの風景を変貌させる「Memorial Rebirth 千住」(通称、メモリバ)が千住の「いろは通り商店街」からはじまった。アーティストの大巻伸嗣のみならず、事務局スタッフや市民、足立区職員や東京藝術大学の学生たちが一丸となって共創するメモリバは、それ以降も毎年会場を変え、かかわり手を広げながら区内各所で実施している。現在ではメモリバを軸に多くの市民メンバーが立ち上がり、シャボン玉マシンを扱うテクニカルチーム「大巻電機 K.K.」や、オリジナルソング「しゃボンおどりの歌」を演奏や踊りで彩る「メモリバ音楽隊」や「ティーンズ楽団」など、メモリバ本番には100名を越えるスタッフが集まることも。音まちが目指す、現代における新たな「縁」が広がり続けている。

音まちではほかにも、作曲家の野村誠を中心にだじゃれをきっかけとした新たな作曲方法を開発・演奏する「千住だじゃれ音楽祭」や、日本に暮らす外国ルーツの人々の文化を知る「イミグレーション・ミュージアム・東京」など、それぞれのプログラムでアーティストと市民チームによる自主的な活動が続いている。2018年には、戦前に建てられた日本家屋を文化サロン「仲町の家(なかちょうのいえ)」としてひらき、近隣住民や観光客、学生、アーティスト、クリエイター、事務局メンバーたちが交流する場が生まれた。

2021年度には、音まち10年間の活動で育まれた「縁」の集大成ともいえる「千住・人情芸術祭」を開催。これまでも音まちで活躍してきた2人のアーティスト、友政麻理子とアサダワタルによる作品発表に加え、プロアマ問わず市民から出演者を公募した「1DAYパフォーマンス表現街」を企画。音まちの各プログラムを担う市民メンバーや、仲町の家の常連さん、足立区内外で活動する初参加者まで、約50組のパフォーマーが集結し、めいめいの表現を繰り広げた。

東京アートポイント計画との共催終了後も、NPOと足立区、東京藝術大学との共催は続き、まちなかでのアートプロジェクトを通じた「縁」づくりに取り組み続ける。2024年度からは区市町村連携のモデル事業として「Memorial Rebirth 千住」を共催で実施している。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2011~2013年度:東京藝術大学音楽学部、特定非営利活動法人やるネ、足立区
  • 2014~2015年度:東京藝術大学音楽学部、特定非営利活動法人音まち計画、足立区
  • 2016年度~:東京藝術大学音楽学部・大学院国際芸術創造研究科、特定非営利活動法人音まち計画、足立区

関連動画

大巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住 2017 関屋」
2018年度 アートアクセスあだち 音まち千住の縁(ショートバージョン)
2018年度 アートアクセスあだち 音まち千住の縁(ロングバージョン)

「つくる」ために重ねた試行錯誤。東京プロジェクトスタディから生まれた成果とは

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」にて、2年目を迎えた「東京プロジェクトスタディ」。2019年度は「ことば」「パフォーマンス」「映像エスノグラフィー」を軸とした3つのスタディを展開しました。

東京プロジェクトスタディでは、スタディごとにチームを結成後、アートプロジェクトの核をつくるための実践を重ねていきます。3つのチームがどのような活動を展開してきたのか、詳細な活動レポートや参考資料などは現在公開中のアーカイブサイトにてぜひご覧ください。
*詳しくはこちら

ここでは、約半年間にわたる活動のなかでも、スタディ間での横断的なコミュニケーションの場を生み出すことを試みた「合同共有会」についてご紹介します。個々の活動内容だけではなく、成果や悩み、進めていく上で工夫したことやリサーチ状況などを共有することで、次の一歩を進めていく手がかりとなるような場を目指して開催しました。 

2019年度に始動した3つのスタディが、約半年間でどのような活動プロセスをたどり、展開したのか。後篇では、「共有会2」(2020年1月19日)の様子に加えて、各スタディの活動成果についてお届けします。

【執筆:前篇/村上愛佳(アーツカウンシル東京)、後篇/染谷めい】

共有会レポート前編はこちら

*東京プロジェクトスタディについて
東京プロジェクトスタディとは、“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけのもと、関心や属性の異なる「つくり手」であるナビゲーターと参加者がともにチームをつくり、それぞれが向き合うテーマに沿ってスタディ(勉強、調査、研究、試作)を重ねるプログラムです。
実施期間:2019年8月〜2020年2月

スタディ1 「続・東京でつくるということ ―わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する」

スタディ1は、参加者同士がお互いを知るためのワークショップの実施や、時にはゲストを招きながら、参加者が「書きたいテーマ・理由・目指すこと」を共有し、ディカッションを重ねてきました。1本のエッセイを書き上げることは共通しているものの、それに対する参加者の姿勢はさまざまだったといいます。毎回異なる文章で多方向から思考を進めていく人もいれば、毎回同じ文章を改稿するかたちで思考を深めていく人も。「『東京でつくる』を巡って、自分自身にとって切実なこと」を仲間とともに向き合うプロセスを経て、活動最終日には「やっと、本当に書きたかったことが書けたね」と涙を流し合う場面もあったそうです。
共有会2では、それぞれが書き上げたエッセイから一節を抜き出し、書き手ではない人が朗読するというかたちで発表が行われました。思考のプロセスの旅を共にしてきた仲間が、それぞれの文章に託された想いを汲みながらことばにする時間に、他のスタディ参加者も真剣に耳を傾けていました。スタディ1のチームが過ごしてきた時間そのものに、その場にいた参加者一同が引き込まれていくような発表となりました。

約半年の活動を経て、参加者それぞれが1本のエッセイを書き上げたスタディ1。参加者一人ひとりによる朗読の様子。

《2019年度 その後の活動》
参加者全員が一本のエッセイを書き上げたスタディ1。2020年3月には、全10本のエッセイと活動プロセスをまとめた記録集『続・東京でつくるということ わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する』を制作・発行しました。「書くこと」をとおして、それぞれが何を掴んだのか。「東京でつくる」ことに真摯に向き合うことで紡がれたことばに、ぜひ触れてみてください。
記録集は、Tokyo Art Research Labウェブサイトにてダウンロードしてご覧いただけます。今回のスタディの前身にあたる『「東京でつくる」ということ エッセイ集』(2018年度)も合わせてご覧ください。
※冊子版をご希望の方は、申し込み希望フォームからお申込みください。

スタディ2 「東京彫刻計画 ―2027年ミュンスターへの旅」

スタディ2共有会での発表の様子。ナビゲーター:佐藤慎也(建築家、プロジェクト構造設計)、居間 theater(パフォーマンスプロジェクト)、スタディマネージャー:坂本有理(アーツカウンシル東京プログラムオフィサー、「思考と技術と対話の学校」校長)。

まずナビゲーターの居間 theaterと佐藤慎也から、2019年度の活動プロセスと構想中の作品づくりに向けた進捗を共有しました。それまでの活動での紆余曲折を踏まえ、作品づくりに向けた今後の方向性を「『工事現場』をパフォーマンスとして、さらに『公共』と『彫刻』をつなげるメディアとして捉える」ことを試みているとのこと。共有会時点では、ナビゲーターをはじめ、参加者それぞれの「工事現場」にまつわるリサーチが進行中。見学できる工事現場に出かけ、仮囲いや道具の使いかたについて思考を巡らせた様子や、演劇でも使われることばである「WORK IN PROGRESS」が「工事中」を指すことばとして使われていることなど、パフォーマンスとして工事現場と向き合ってみて生まれた気づきや解釈を共有しました。

スタディ2では、参加者それぞれの視点から「工事現場」のリサーチが進められた。見学可能な工事現場では、工事行程や内容の案内、最後にはチェキでの記念撮影も。

工事現場をメディアとしてパフォーマンスに発展させていくにあたって、現場で働いている作業員に対して搾取的な態度にならないかという懸念点も受け止めながら、「それでも工事現場には何かがある」と新たな試みに期待が膨らむ時間となりました。

《2019年度 その後の活動》
スタディ2では、リサーチしてきたことをパフォーマンス仕立てのプレゼンテーションでお届けする「東京彫刻計画―2027年ミュンスターへの旅 試演会」を開催(*)。参加者それぞれがリサーチで得た気づきをもとに、参加者全員でのパフォーマンスが繰り広げられました。工事現場を散歩して巡ってみる「ひな散歩」や、工事のワンシーンから妄想解説をする「うらら想像美術館」、工事現場を舞台にしたラジオ小説「黄色いパトランプ」、現場にあふれる仕草で構成された「みんなの工事」など、「ラジオの公開収録」さらながらに進行。それぞれの視点がふんだんに盛り込まれた試演会となりました。
*公開イベントとしての開催を予定していましたが、新型コロナウイルス感染症が拡大している状況を受け、規模を縮小して関係者のみで実施しました。

(撮影:加藤甫)

スタディ3 「‛Home’ in Tokyo ―確かさと不確かさの間で生き抜く」

スタディ3の共有会での発表の様子。ナビゲーター:大橋香奈(映像エスノグラファー)、スタディマネージャー:上地里佳(アーツカウンシル東京プログラムオフィサー)。

流動的な東京において、どのように‘Home’という感覚がもたらされ、培われているのかをリサーチし、参加者それぞれが映像作品を制作したスタディ3。共有会では、毎回の活動日で実施していた「チェックイン」を参加者全員で行い、それまでの半年間を振り返りました。「チェックイン」とは、活動日の冒頭での挨拶を兼ねているもので、全員が同じお題に答えていくというもの。回を重ねるごとに参加者の個性やその人の日常が垣間見えるようになり、他者の生活をリサーチする実践の一環として、気づけばスタディ3の名物コーナとなっていたそうです。
共有会での「チェックイン」のお題は、「このスタディに参加していなかったら、やらなかったであろうこと」。どの参加者も、調査協力者との関係性のなかで自分自身を振り返り、自分の居場所をつくりながら ‘Home’についての手がかりを見つけていたことが伺えました。ナビゲーターの大橋香奈は、活動日にゲストとして招いた加藤文俊氏の「ラボラトリーワーク」の考えかたを引用し、「スタディ」には多様な世代が同じテーマに取り組み、同じ立場で学ぶ貴重で面白い場が立ち上がっていた、と振り返りました。

スタディ3では、参加者それぞれが映像作品(プロトタイプ)を制作。作品概要やプロセスが書かれた「作品ノート」は会場内に展示された。

《2019年度 その後の活動》
「‛Home’ in Tokyo」をテーマに、全12本の映像作品が制作されたスタディ3。映像作品の上映会については、今後実施していく予定です。それらの映像作品を補完する役割も兼ねて、これまでの活動と作品制作のプロセスをまとめた記録集『‘Home’ in Tokyo 確かさと不確かさの間で生き抜く』(PDF版)が制作されました。テーマをどのように深めていったのか。映像を撮影・制作していく上で、どのような出会いや課題、試行錯誤があったのか。ぜひご一読ください。
記録集は、Tokyo Art Research Labウェブサイトにてダウンロードしてご覧いただけます

東京プロジェクトスタディは、オリンピックのその先も見据えたとき、どのように文化を携え、新しい社会や文化を形づくっていくのかを思考し、アクションにつなげていけるか、という思いから始まっています。Tokyo Art Research Labディレクターである森司は、「ひとりひとりの気づきは非常に刺激に満ちたもので、さまざまなヒントがもらえた以上に、勇気づけられた。それぞれのスタディで学んだものは違うが、『ともに学び、思考し、その中で他者と出会い、自らとも出会う』という、まさにスタディをしてきたことが感じられた」と、共有会を振り返りました。スタディとしては一区切りとなるものの、それぞれの学びは続いていく予感とともに、2019年度の東京プロジェクトスタディの共有会は締めくくられました。

2019年度のスタディ参加者での集合写真。

*東京プロジェクトスタディ アーカイブサイト
各スタディの活動内容については、アーカイブサイトにてご覧いただけます。活動日のレポートのほか、関連イベントや参考資料なども公開しています。どのような「つくる」プロセスを歩んできたのか、ぜひ追体験してみてください。
東京プロジェクトスタディ アーカイブサイトはこちら

執筆:染谷めい
写真:齋藤 彰英(※撮影者クレジットが入っているもの、記録集写真を除く)

2019年、3つの東京プロジェクトスタディが掲げたテーマや、その背景とは

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」にて、2年目を迎えた「東京プロジェクトスタディ」。2019年度は「ことば」「パフォーマンス」「映像エスノグラフィー」を軸とした3つのスタディを展開しました。

東京プロジェクトスタディでは、スタディごとにチームを結成後、アートプロジェクトの核をつくるための実践を重ねていきます。3つのチームがどのような活動を展開してきたのか、詳細な活動レポートや参考資料などは現在公開中のアーカイブサイトにてぜひご覧ください。
詳しくはこちら

ここでは、約半年間にわたる活動のなかでも、スタディ間での横断的なコミュニケーションの場を生み出すことを試みた「合同共有会」についてご紹介します。合同共有会は、個々の活動内容だけではなく、成果や悩み、進めていく上で工夫したことやリサーチ状況などを共有することで、次の一歩を進めていく手がかりとなるような場を目指して開催しました。

前篇となる今回は、「共有会1」(2019年11月10日)にて語られたスタディテーマの背景や初動、進める上で大切にしている視点について触れていきます。

【執筆:前篇/村上愛佳(アーツカウンシル東京)、後篇/染谷めい】

*東京プロジェクトスタディについて
東京プロジェクトスタディとは、“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけのもと、関心や属性の異なる「つくり手」であるナビゲーターと参加者がともにチームをつくり、それぞれが向き合うテーマに沿ってスタディ(勉強、調査、研究、試作)を重ねるプログラムです。
実施期間:2019年8月〜2020年2月

スタディ1 続・東京でつくるということ―「わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する」

(左から)記録スタッフ:高須賀真之(書くひと)、ナビゲーター:石神夏希(劇作家/ペピン結構設計/NPO法人場所と物語 理事長/The CAVE 取締役)、スタディマネージャー:嘉原妙(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)。

スタディ1は、「アートプロジェクトは誰のもので何処を目指すべきなのか」というアートプロジェクトに関わる多くの人が直面する問いから、“記述する”ことを主軸に「つくる」ことへの思考を深め、各々で設定したテーマで最終的に1本のエッセイを書き上げます。
共有会1では、「何について書きたいか/何のために書きたいか/書いた結果どうなってほしいか」という問いをもとに、スタディ1参加者が現時点で思考していることを紹介し、それに対して他のスタディ参加者がリアクションする対話型ワークショップを実施しました。ナビゲーターの石神夏希からは、アートプロジェクトの現場では地域の人々にプロジェクトの説明を行わなければならない場面も多く、他者からフィードバックを得ながら自分のテーマや企画趣旨を語ることの大切さが語られました。今回の共有会1を通じて、スタディ1参加者各自のテーマに、他者からの新たな視点が加わったことで、これから“記述する”ことに何か変化が起きていく予感が感じられる時間となりました。

スタディ1の詳細はこちら

「何について書きたいか/何のために書きたいか/書いた結果どうなってほしいか」という問いを軸に、参加者同士で対話型ワークショップを行った。

スタディ2 東京彫刻計画―2027年ミュンスターへの旅

(左から)ナビゲーター:東彩織、山崎朋、宮武亜季(居間 theater)、スタディマネージャー:坂本有理(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー、「思考と技術と対話の学校」校長)。

スタディ2は、昨年度のスタディ「2027年ミュンスターへの旅」から生まれた「『東京彫刻計画』という芸術祭が、10年に1度東京で行われている」というフィクションを入口に、パフォーマンスをつくることを目指します。
共有会1では、「東京」「公共」「彫刻」「芸術祭」というキーワードを軸に、まちなかの彫刻を巡るフィールドワークの様子や、ゲストを招いたレクチャーについて報告。活動を重ねるなかで、「東京の劇場外の演劇の動き」や「委任されたパフォーマンス」、「ストリートアートの現在」などについて議論を交わしてきたそうです。“公共空間でどのようなことが出来るのか”という問いに対して、さまざまな角度からナビゲーターと参加者が反応し、次へのアクションにつなげていったプロセスが写真とともに共有されました。

スタディ2の詳細はこちら

まちなかにある彫刻を巡りながら、チーム内でのディスカッションを重ねている。写真は、お茶の水周辺でのフィールドワークの様子(撮影:加藤甫)。

スタディ3 ‘Home’ in Tokyo―確かさと不確かさの間で生き抜く

(左から)ナビゲーター:大橋香奈(映像エスノグラファー)、スタディマネージャー:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)。

スタディ3は、自身や他者にとっての‘Home’のありようを理解するための方法を学び、映像エスノグラフィーの手法を用いて、“調査協力者との協働”によって映像作品(プロトタイプ)をつくることを試みます。活動日には、社会学や建築学、デザインリサーチといった分野のゲストを招いて、‘Home’の捉えかたの手法やディスカッションを重ねてきました。
共有会1では、他者を理解するためのリサーチ手法のひとつとして「タイム・コラージュ」というワークショップを実施。このワークショップは、身の回りのものを1つ決めて、1日のなかでそれに関連した自分の動きを書き出していくものです。スタディ3の参加者が、他のスタディの参加者に話を聞きながら互いの日常生活を振り返ることで、普段何気なくしていた行動や、意識していなかった習慣に気づく手がかりをつかむ試みとなりました。

スタディ3の詳細はこちら

スタディ3の活動日で行った他者を理解するためのリサーチ手法「タイム・コラージュ」を、スタディ1・2の参加者を交えて実施した。

共有会1は、それぞれのスタディの関心領域や進捗の共有だけでなく、参加者がスタディの枠を越えて交流し、共有会後も意見交換が弾む場となりました。参加者からは「それぞれ違うテーマのスタディだけれど、考えている“コア”の部分は似ているように思った。自分とは何か、東京はどんな印象か、などインスパイアされることが多かった」との感想が聞かれました。
共有会レポート後篇では、共有会1を経て、各スタディがどのような展開をしていったのかご紹介します。

共有会レポート後篇はこちら

東京プロジェクトスタディ アーカイブサイト
各スタディの活動内容については、アーカイブサイトにてご覧いただけます。活動日のレポートのほか、関連イベントや参考資料なども公開しています。どのような「つくる」プロセスを歩んできたのか、ぜひ追体験してみてください。

執筆:村上愛佳(アーツカウンシル東京)
写真:齋藤 彰英(撮影者クレジットが入っているものを除く)

OUR MUSIC 心技体を整える—これまでの話と、これからの話—

「アセンブル2|OUR MUSIC 心技体を整える」は、アートプロジェクトの現場で起こりうる屋外などの公共空間での音楽の演奏にあたり、公共空間における音楽の在りかたについての調査や、音量に関する規制の成り立ちの分析を行うプログラムです。「音」にまつわるさまざまな領域の専門家や、今まさにアートプロジェクトの現場に関わる方々とともに、音楽が奏でられる空間での共生のあり方を考えました。
企画運営を担当した清宮陵一(VINYLSOYUZ LLC 代表/NPO法人トッピングイースト 理事長)による、本プログラムを振り返るレポートをお届けいたします。

これまで、音と公共との関係性を考えるプロジェクトを約6年間に渡って、Tokyo Art Research Lab事業および東京アートポイント計画事業の一環として、調査・実践してきた。今回の『OUR MUSIC 心技体を整える』は、その調査・実践を踏まえた、現時点での回答と考えている。

2014年、私は主に東京の東側をベースに音楽がまちなかでできることを拡張すべく、NPO法人トッピングイーストを立ち上げた。これまでに、地域の子供達が響きの美しい音楽を体験できる「ほくさい音楽博」(※01)、アーティスト和田永と共に電化製品を楽器化しオーケストラを目指す「エレクトロニコス ・ファンタスティコス!」(※02)、コムアイ、寺尾紗穂、コトリンゴら女性音楽家が東東京をリサーチする「BLOOMING EAST」(※03)といったプロジェクトを実施・運営してきた。

和田永「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」 (撮影:Mao Yamamoto)。
ほくさい音楽博(撮影:三田村亮)。

プロジェクトを実施していく中で、出会う様々な人の関わり方や、交渉する様々な人の立場を本当にひとつひとつ、徐々に知るようになっていった。活動に興味のある人、ない人、二つ返事でよっしゃ!とサポートしてくれる人、テコでも動かない人。プロジェクトを動かしながらそういった人や考え方に、一喜一憂している自分。きっと、同じようなことに打ちあたっている人がたくさんいるだろうなあといつも思っていた。そういったちょっと遠くの仲間に、もう少し実践的に何か使えるような「提言」はないものか、と思うようになっていた。

Tokyo Art Research Lab 東京プロジェクトスタディ スタディ3「Music For A Space – 東京から聴こえてくる音楽 -」

これまでの勉強会(※04)やスタディ(※05)は、直接集まって、それぞれその場に居る人の考え方を理解したり、ゲストの方々のお話を時には生い立ちまで深く丁寧に聞いたりすることで、いわばその空間をチューニングしていく作業だったように思う。もちろん、その作業はとても大事だし、これからも続けていきたいと思っているが、この原稿を書いている2020年3月31日は、直接集まってチューニングすることが許されない状況にある。

『OUR MUSIC 心技体を整える』(※06)の構想当初は、当然、新型コロナウイルスは存在しなかった。しかし、今回の社会状況に限らず、公共の中で何か(音楽に限らず)を実践していく時には、会ってゆっくりチューニングしている場合ばかりではないことが多々起きてくる。それは私が今現在、準備している「隅田川怒涛」(※07)というプロジェクトの中でも頻発していることだ。「公の場で思いっっっっきり音楽する!芸術する!」空間を隅田川のあちこちに作ることと、それがトラブルになってしまうことは表裏一体である。年々公共空間での芸術活動への風当たりは厳しくなる雰囲気を感じている。
そこで、どうしたら芸術活動を行ったりサポートをしたりしていく中で、心が安らぎ、技が磨かれ、体のバランスを保てるのか?その、ある種人間の根源的とも言える部分を、様々な専門家の方々にインタビューして提言書という形で冊子にまとめる作業を行いたいと考えた。今回、インタビューしたのは、公共空間プロデューサーの飯石藍さん、弁護士の齋藤貴弘さん、僧侶の近江正典さん、医師の稲葉俊郎さん、サウンドエンジニアのZAKさん。音と公共の関係性を考えるという広大なフィールドに立つために、この5名の専門家のあまりにも個性豊かな機知に富んだお話を、朝日出版社で「公の時代(卯城竜太・松田修、2019年)」を編集された綾女欣伸さんと、いつもお世話になっている美術ライターの杉原環樹さんとで伺って、纏める機会を得た。

稲葉俊郎さんへのインタビューの様子。
近江正典さんへのインタビューの様子。

5名へのインタビューは、どなたのお話も、その人だからこそ見える視点と経験、思考の蓄積に満ちあふれたものだった。この濃密な話をまとめ、共有可能にするにはどういったかたちがふさわしいのか。ちょうどインタビューを終えたばかりのタイミングで行った2月24日の公開編集会議では、参加者の経験談も交えて、どんなインタビューがなされたのか、どういった纏め方があり得るのかを議論した。

10名ほど集まった参加者からは「日本はアートに対してだけでなく、いろんなことに対しての許容範囲が狭いなと最近特に感じていたので、ぐさぐさ心にきました。クレームという言葉が世界で1番嫌いなんですけど、言ってくる方にもそれなりの理由があるわけで。でも企画制作する側にも強い想いがあるし。完全に気持ちを共有しあって上手くいくことなんてなかなか無いとは思いますが、まだまだ踏み込んでいける部分はあるんじゃないかなと」といった意見や、「公共事業は何も言われないことがいいこと、ということからの脱却こそがめざすべきではないでしょうか。いいものはきちんといいものだと言うことと、その評価軸、そしてそれを言いやすくさせる仕組みを作ることこそが残る価値になると思いました」、「やったもん勝ちではなく、地道に交渉を重ねて、下地を作っていく。多数決の民主主義、公共の福祉と、アートの包括性の話も興味深かった」、「対話し続けるしかないというか、人は自分の欲を満たしたい生き物だし、そんな簡単に相手は変わらないものなのだから、相手を知ろうとすることを諦めないでいないとな……と。身体のことも、音楽のことも、法のことも、行政のことも」といった感想が寄せられた。

そう、結局、対話を続けていくしかない。ひとつの正しい答えやルールがあるわけではないのだ。そして、健全な対話を続けていくためには、常に心技体を整えておく必要があるように思う。この提言書『いま「合奏」は可能か? 心技体を整えて広場にのぞむために』が、ぜひその一助になれば、嬉しい。

VINYLSOYUZ LLC / NPO法人トッピングイースト 清宮陵一


*本プログラムの内容をまとめた冊子『いま「合奏」は可能か? 心技体を整えて広場にのぞむために』pdfリンクはこちら

『いま「合奏」は可能か?心技体を整えて広場にのぞむために』

参考サイト:

01
ほくさい音楽博 アーカイヴ動画 (2019年2月10日)

02
エレクトロニコス・ファンタスティコス!とは?

03
BLOOMING EAST CINRA.net記事

04
トッピングイースト「BLOOMING EAST」 プロジェクト勉強会「OUR MUSIC」
(全4回)
2017年11月25日〜2018年3月11日
第1回 「音になってみる」
第2回 「リスナーになってみる」
第3回「公共になってみる」
第4回「OUR MUSIC」

05
東京プロジェクトスタディ「Music For A Space / 東京から聴こえてくる音楽」
(全12回)
2018年9月19日〜2019年2月24日

06
Tokyo Art Research Lab アセンブル2「OUR MUSIC 心技体を整える」
(全5回インタビュー+公開編集会議)
2020年2月7日〜2020年2月24日
*プログラムの内容をまとめた冊子『いま「合奏」は可能か?心技体を整えて広場にのぞむために』PDFはこちら

07
Tokyo Tokyo Festival スペシャル13「隅田川怒涛」

記憶・記録を紡ぐことから、いまはどう映る?―見えないものを想像するために

開催日:2020年2月19日(水)
ゲスト:佐藤洋一(都市史研究/早稲田大学社会科学総合学術院教授)瀬尾夏美(アーティスト)
モデレーター:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

「いまの社会で、これからの実践を立ち上げるための新たな視座を獲得する対話シリーズ」として全4回にわたってひらかれる対話の場「ディスカッション」。各回にそれぞれテーマを設け、独自の切り口や表現でさまざまな実践に取り組むゲストを迎えながら「これからの東京を考えるための回路をつくること」を試みます。
最終回となる第4回のテーマは、「見えないものを想像するために」。ゲストには、記録の少ない敗戦直後の東京の姿を探るため、米軍やアメリカ人によって撮影された写真の収集・調査を行う都市史研究者の佐藤洋一さんと、東日本大震災後、宮城県仙台市を拠点に人々の “土地の記憶”の継承に取り組むアーティスト、瀬尾夏美さんのお二人を迎えます。

「今回のテーマを設定したきっかけとなる出来事に、昨年発生した首里城の火災があります。首里城はかつての琉球王国の象徴として名高い世界遺産ですが、私の地元である沖縄県宮古島といった離島側の歴史をたどってみると、『統治する/される』という関係性があったことが見えてきます。そのことを、火災を機に改めて考えるようになり、これまで見えていた『沖縄』とは違う側面を強く意識するようになったんです。
そこから、いま見ている風景や既知の出来事について視点をずらしたり、他者の記憶やまなざしを加えたりすることで、『いま』を捉えるための新たな回路をつくることにつながるのではないか? という考えに至りました。史実からはこぼれ落ちてしまうものごとを、どのように継承しうるのか。他者のフィルターを通して風景を眺め直したとき、『いま』の捉えかたはどのように変容するのか、といった問いが生まれました」(上地)

モデレーターの上地から、今回のテーマに至るまでの経緯が語られた後、ゲストお二人の活動を共有しながら、「記憶」や「記録」の継承という行為について考えました。

東京の歴史を「写真」から紐解く:佐藤洋一

「戦後の東京はどのような都市空間だったのか?」というテーマをもとに、東京の戦後写真を収集し、調査研究を行う佐藤洋一さん。もともと都市史を専攻されていた佐藤さんは90年代から写真の収集を開始し、戦後の東京の姿を網羅できる包括的な写真アーカイブズを制作するため、活動を続けられているそうです。収集しているのは、主に米軍やアメリカ人個人によって撮影された写真。近年では約9か月間にわたって全米各地の所蔵機関を巡り、調査の旅を実施されたといいます。こうした活動の経緯には、一体どのような背景があるのでしょうか。

「僕が学生の頃はバブルの真っただ中で、東京のまちの表情やかたち、匂いすらも目まぐるしく変わっていく状況がありました。その傍ら、ずっと東京で過ごしてきた祖父母からは、戦後直後のまちに関する話を聞く機会が多くあった。彼らの記憶のよりどころとなっている場所が大きく変わっていく様子を目の当たりにしたことで、戦後の『東京』というまちの姿をあらためて捉え直してみようと思ったことが、きっかけのひとつにあります」(佐藤)

しかし、いざ調べようとしたときに、なかなか体系的な資料が見つからない状況だったという佐藤さん。調べていくうちに、アメリカに戦後日本で撮影された写真や文書、地図などの貴重な資料が多くあることを知り、アメリカでの写真収集をはじめられたといいます。

約30か所の所蔵機関を巡るアメリカでの調査旅行では、軍によって撮影された公的な写真から個人が撮影したプライベートな写真まで、150以上ものコレクションに触れ、8万カットの撮影を遂行したそう。

そこから膨大な数の写真を調査していくうちに、日本とアメリカそれぞれで撮影された写真から「アメリカから見た“Tokyo”と日本人にとっての“東京”の差異も見えてきた」と佐藤さんは話します。

「写真は、実際に『何が写っているのか』ということに加えて、その写真が撮られた背景にはどのような意図があって、どんな行動がなされていたのかという撮影者の行為の記録を読み解いていく手がかりにもなります。視点が違うと、そこに記録されているものも随分と違うことが分かる。まだ見つけられていない潜在的な史料を掘り出し、写真の背景も語れる体系的なアーカイブを公開できれば、さまざまなイメージを見つけ出すこともできるし、戦後日本のイメージがどのように形成されてきたのかを問い直すこともできる。そして私たちの自己認識や歴史認識もきっと深まるはずだと思っています」(佐藤)

想起するための「身体」をつくる:瀬尾夏美

東北を中心に土地の人々の語りと風景の継承に取り組む、アーティストの瀬尾夏美さん。東日本大震災を機に岩手県陸前高田市に移住し、現在は宮城県仙台市を拠点に絵や文章の制作、ワークショップにプロジェクト運営など、さまざまな領域で表現活動を続けています。「震災後に東北へ移り住み、たくさんの人々の語りや、震災によって変わりゆくまちの風景に出会った。それらを記録し、残していく方法はないかと考えるようになったんです」と、活動の経緯を語ります。

「継承していく、というテーマの対象において、私がとくに関心を持っているのは、人々の『語り得ない』もの。人に出会うと必ず『語り』に出合うのですが、さまざまな環境や状況、人間関係のなかで、誰もが『語りづらい』こと、まだ言葉としてあらわれてこない『語り得なさ』を抱えています。そうした、いわゆる“記録”からは取りこぼされ残されていかないもの、でもきっとそこにあったはずの想いや感情、風景の記憶を記述していきたいと考えています」(瀬尾)

そう話す瀬尾さんの活動は、語りを引き出していくために必要な「対話の場づくり」からはじまるといいます。「自分と語り手の関係性のなかで一緒に『物語』を編んでいくような作業」と説明する作品《遠い火|山の終戦》の一端が、ここで語られます。

「震災の経験と併せて、戦争体験の話もしてくださる方に出会うことが多くありました。けれど、自分はそのときの時代背景が分からない。『話を聞く』ことがままならない状態であることに気づいた。そこで実践したのが、彼らの記憶に残る現在の風景を、自分の身体で歩き直すということ。とても単純な行為ですが、その場所に実際に行き想像をめぐらせることで、少しずつ想起できるようになっていくんです」(瀬尾)

語り手と自分が共有できる、「今」と「過去」のあいだにある“仮設の道”をどのようにつくっていくかが課題だったと話します。

個人の語りの背景にある歴史を知り、風景を歩き直し、丁寧に向き合う時間をつくる。そうすることで「話を聞くことのできる身体」をつくっていったという瀬尾さん。その話に通ずるかたちで、映像作家の小森はるかさんとともに制作された《二重のまち/交代地のうたを編む》でのエピソードについても触れられました。

「この作品の発端は、復興工事で陸前高田のまちが嵩上げされ、新しいまちができたこと。土地に住む人々はかつてのまちの痕跡を失ったことで、次第にまちの思い出を語らなくなることがありました。その過去のまちと現在のまちをつなぐ手だてとなる何かをつくろうと思い、未来のまちの物語『二重のまち』を描いた。本作はその物語を、まちに滞在しながら4人の旅人に朗読してもらう、小さな”継承”のはじまりを記録した映像作品です。まちに訪れた旅人たちは、最初はただ目の前に存在する風景しか見えない。けれど、その土地の人と出会い、対話を重ねていくなかで、過去の風景を想起する準備ができていったんです。作品制作が終わり日常に戻った彼らが『まちのレイヤーを想像する身体に変わった』と話していたのが、とても印象的でした」(瀬尾)

「時間」の層を、意識する

それぞれの活動紹介を経て、ディスカッションへと移ります。まず、瀬尾さんのお話を受けて、過去−現在−未来という「時間軸」への意識について話題が挙がりました。

上地(以下、U):瀬尾さんの《二重のまち/交代地のうたを編む》は、2031年という未来の物語を通じ、旅人たちとまちの人のあいだで新たな語りや関係が生まれているのが印象的でした。この「時間軸」に対して瀬尾さんはどのような意識を持たれているのでしょうか。

瀬尾さん(以下、SE):どちらかというと私は、いま「同時代」に生きている人たちの話を聞き、残していくためにどうしていくべきかということに関心を持っています。なので、この作品も同時代的な試みとしてあるんです。被災者/非被災者という、震災に対してそれぞれ違う想いや背景を抱えた彼らが、個人と個人として出会うことができれば、より手触りのある形で互いのことを想像しようとしながら、じっくりと考える時間や語る時間が生まれるはず。いま現在の地点から、まちの「語り」と「風景」を共有していくことで、土地の人と外の人をつなげていくようなことができないか? 語りの往復のあいだに、このまちでの体験を継承できないか? と考え、同時代に生きる彼らをつなげられる道をつくるようなイメージを持っていました。

佐藤さん(以下、SA): 《二重のまち/交代地のうたを編む》は僕も拝見し、とても感動しました。基本的に自分の活動にある時間軸は、「今」と「過去」をどうつなげるかという直線的なもの。けれど、瀬尾さんの作品には、新しく生まれた「上のまち」と、かつてあった「下のまち」というレイヤーがあり、その二つのレイヤーを舞台にした未来の物語がまちの人に語られることで、時間軸が交錯し、いまの私たちを照らし出している。さらに、その物語がその場所で語られる映像を、いまの私たちが観ているという非常に多層的な構造の物語になっていますよね。記憶を継承していくためには時間の層を行き来できるような「物語」としての強度が非常に重要なんだと感じました。

いま目の前にしている対象のなかには、どのような時間が積み重ねられてきたのか。そのレイヤーを意識することが、「見えないものを想像する」「記憶や記録を紡ぐ」ためには重要なのかもしれません。そこから、さらに話が続いていきます。

U:「時間のレイヤーをまなざす」という視点を得る方法として、瀬尾さんは他者から受け取った物語の風景を自身の身体で「歩き直す」ことを通して実践されていました。同様に佐藤さんも、実際に写真が撮影された場所を訪ねて行くということをされていますよね。

SA:そうですね。写真を収集した後の調査として、それらの写真が撮影された場所にカメラを持って行き、同じ焦点距離と構図で同じように撮影する、ということも実践しています。すると、いろんな発見があるんです。たとえばこの構図で視点がこの位置であるということは、きっと石段に座って撮影したのだろうという確信ができる。撮影者の行動背景や興味関心、シチュエーションなどが見えてくるんです。撮影者の視点をなぞりながら想像を重ねていくことは、深い理解のために必要なことだと思います。

「フィクション」がもたらすもの

ディスカッションの後半では、参加者からの質問も交えながら進行していきます。ここで大きなテーマとして語られたのは、継承方法としての「フィクション」の役割について。参加者から挙がった「記憶・記録を継承していくことは、『フィクション』を通すことでしか成し得ないのか?」という質問をもとに、思考をめぐらせていきます。

U:何かを継承していくとき、そこにはいろいろな手法や幅があると思います。佐藤さんのように資料を集め、「事実」を網羅的にアーカイブすることで受け継いでいく方法もあれば、瀬尾さんのように他者の語りを自らの身体に引き寄せ、「フィクション」として別のかたちで表現することも、ひとつの継承のあり方です。お二人はその継承方法において、何か意識されていることはあるのでしょうか。

これを受け、瀬尾さんは「どんな作業でもどこかに編集を介するものなので、『フィクション』というものの境界をどこに設定するかにもよりますが…」と前置きしつつ、スライドに自身が描いた図解を映しながら解説していきます。

SE:アーカイブを残していく手法には、大きく分けて2種類の方向性があると思っています。それは、記録を「土地に返す」ことと「抽象度を上げて外に届ける」こと。前者は主に研究や資料保管として土着的に活用され、後者はいわゆるフィクションとして大衆に向かってひらかれていく。どちらもまちの資料を集め、分析推測をするという作業は同じですが、向かっていく方向や範囲が違うんです。私自身は、アーティストという立場で後者の手法を使い、「語り」や「風景」など、その土地固有にあるものの抽象度を上げることで、外部へとつなぐ回路をつくるようなことをしています。

さらに、どちらの方向も重要でありながら一長一短があると話す瀬尾さん。「土地に返しすぎると外部の人が介入しづらくもなりますが、その土地の人が記録物をまなざし続けるなかで自ずと“土地の物語”ができ、コミュニティも強くなっていくし、現物が残る可能性は高くなると思う」といい、こう続けます。

SE:一方で抽象度を上げる方法は、その真逆のことを引き起こします。土地との結びつきは弱くなるけれど、「語り」が変容しフィクショナルであるがゆえに広域に受け入れられやすい。そしてそれは、そのまち固有の物語としてではなく、別の土地の物語にもなり得る。ある出来事や記憶の“痕跡”が残りつづけていく可能性が広がっていきます。

SA:すごく分かります。その話でいうと、僕の活動は「土地を記録に返す」立場ですよね。今お話しされたとおり、土着化しすぎることで外部の人たちが触れにくくなるというのは往々にしてあることです。ときには、死蔵されてしまうこともある。そこはひとつの課題でもあります。

SE:なのでどちらかに完全に振り切るのではなく、分担しながらそのあいだの領域で協働できるような何かをつくれれば良いですよね。私にとっては、アーカイブが形成されていくあいだのプロセスが一番豊かな状況で、実は「フィクション」になるちょっと前の部分が重要なように思っています。《二重のまち/交代地のうたを編む》のプロジェクトも、外からの旅人がまちの人から話を聞き、完全には理解しきれないのだけど、そこで受け渡されたことを、もぞもぞとした心地のなかでゆっくりと自分の身体へ受け入れていく状況があった。そのあいだで起きているようなことが、フィクショナルとリアルな部分のつなぎ目として作用し、多くの人と出会える可能性を持っているような気がしました。

想像を重ねていく

さまざまな変遷を経たまちの風景、自分とは違う背景を抱えた他者の記憶。それらは、どこまでいっても「語り得ない/語り尽くせない」ものを抱え、時間の経過とともに改変されたり、忘れ去られ消えていくものでもあったりします。そうしたものを未来へと残そうとしたとき、私たちはどのようなかたちで継承していくことができるのでしょうか。
人々の「記録」や「記憶」を継承していく佐藤さん、瀬尾さんの実践はそれぞれに違う手法ではありますが、どちらにも共通しているのは、過去から現在、そして未来へと積み重ねられていく“時間のレイヤー”をまなざすこと。そして目の前の対象と丁寧に向き合い、繰り返し想像を重ねていくこと。そうしたものごとへ向かう態度が何よりも大切なのだと、お二人の対話から感じられました。見えないもの、分からないものを前提に抱えながら、その態度を持って多くの“想起の種”を掘り起こし、いま現在という地点につなげ育てていく。何かを継承していくという行為は、そんな風にさまざまなかたちで他者へと受け渡しながら、新たな物語を紡いでいくようなものなのかもしれません。

執筆:花見堂直恵
撮影:齋藤 彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

Artpoint Meeting Paper Media 第2号

「人に出会う」フリーペーパー『AM/PM(エーエム・ピーエム)ーArtpoint Meeting Paper Mediaー』は、東京アートポイント計画が開催しているトークシリーズ「Artpoint Meeting」の内容をお届けする不定期刊行紙です。アートプロジェクトにまつわるさまざまな視座をもつ人と人が出会うことを目指しています。

編み集める/本のつくりかた・つかいかた

「事務局による事務局のためのジムのような勉強会」こと「ジムジム会」では、東京アートポイント計画に参加する団体とともに「届けかた・つなぎかたの筋トレ」に取り組んできました。2020年1月8日、最終回となる第5回ジムジム会を開催。“ジムジム会の事務局”きてん企画室がレポートをお届けします!(前回のレポートはこちら

■ なぜアートプロジェクトは「本」をつくるの?

第5回のテーマは、「編み集める/本のつくりかた・つかいかた」。東京アートポイント計画では、2009年の事業開始から10年間かけ、200冊以上の本をつくってきました。その多くは各アートプロジェクトの事務局が制作したものです。

報告書、ドキュメントブック、コンセプトブック、調査レポート、教科書、講義録、図鑑など、種類はさまざまだが、毎年20冊前後の冊子を発行している。写真は、関係者に届けるために箱詰めにした2018年度の発行物。※Tokyo Art Research Labの資料一覧ページからすべての発行物をご覧いただけます。

それにしてもなぜ、アートプロジェクトでは本をつくることを大切にするのでしょうか?

今回のイントロダクションでは、アーツカウンシル東京のプログラムオフィサー・坂本有理が、アートプロジェクトと本の関係を解説しました。坂本いわく、発行物ごとに異なるものの、以下のいずれか(もしくは複数)の目的や役割を持つことが多いといいます。

1)プロジェクトを言語化・価値化するため

自分たちの活動を言葉にし、価値を確かめる。どんな表現の仕方で活動紹介をするかということも本づくりの過程で見つけられる。

2)プロジェクトを残すため

アートプロジェクトの多くは、物質的な形に残りがたいもの。何が起きて、誰が関わり、どんな発見があったのか、プロセスをみずから残す手段のひとつとして。

3)プロジェクトをひろげていくため

「こういうことやっています」と手渡せる本をつくることで、活動をひろめ、仲間やサポーターを増やすアクションにつなげる。

4)プロジェクトの「報告」「評価」「検証」のため

アートプロジェクトの運営サイクルは「準備/実施/報告/評価検証」。企画の実施だけでなく振り返りも大切な活動で、そのために調査レポートや報告書をつくる場合も。

5)本づくりのプロセスそのものをプロジェクトにするため

本をつくるためには多様な人と関わり、言葉を紡ぎ、構造をつくっていくことが必要。広報や記録のためだけでなく、本づくりそのものをアートプロジェクトだと位置づけるような試みもある。

アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー・坂本有理。Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」校長として、学びに関する本を制作したり、 東京アートポイント計画で各プロジェクト事務局の活動に伴走している。

もちろん、上記のような目的は、印刷物ではなくウェブサイトなどのデジタルメディアでも実現できます。

それでも東京アートポイント計画で本を選ぶことが多い理由を坂本は、「物質として長い時間残りやすいし、形態のバリエーションが多くて楽しみもある。実際に手にとって自分のものとして手渡せることもアートプロジェクト向きなのかも知れません」と紐解きました。

一方で、本には「不得意なこと」も沢山あります。例えば、つい情報量が多くなること、物理的に嵩張ってしまうこと、フィードバックやリアクションがとりにくいこと、コストがかかること。そして発行数が限られるということ。

「いずれにしろ、なぜ本で、何のために、誰に向けて、どうやって、誰と一緒につくり、どんな形で届けて配るのか。そういう“基本設計”がとても大切です」と坂本は締めました。

■ 本づくりの専門家・川村庸子さんに「編集の仕事」を訊く

本の制作意義を確認した後は、より具体的なトピックへ。今回は、アートプロジェクトをはじめ、さまざまな領域で書籍や広報誌などを手掛ける編集者・川村庸子さんにゲストとしてお越しいただきました。

今回、川村さんをお招きした理由は、参加団体に「編集」という仕事や働きについて、改めて思いを馳せてほしかったから。情報をデザインに落とし込んで印刷・製本すれば「本」になるわけではありません。坂本が言う「基本設計」でもあり、本づくりの核心である「編集」についてお話いただきました。

編集者・川村庸子さん。東京アートポイント計画では、『これからの文化を「10年単位」で語るために ― 東京アートポイント計画 2009-2018 ―』や、「Art Support Tohoku-Tokyo」のジャーナル『FIELD RECORDING』シリーズなどを手掛けている。オルタナティブスペースやプロジェクトの企画・運営をしていた経験も。詳しいプロフィールと関連制作物はこちらのページから。

「記録やアーカイブ、コミュニケーションは大事ですが、私はやっぱり組織やプロジェクトの活動そのものが最も大切だと考えています。本づくりによってメインの活動が妨げられたり、いい相互作用が生じたりしないのであれば、つくらなくていいんじゃないかと思うくらい」

そう話はじめた川村さんは、つくろうとする本とそのつくり方が、プロジェクトの内と外に対してどのような機能や作用をもつのか、人との関係性や物事の循環をまずしっかり考えるべきだと言います。

今回のプレゼンテーションでは、本づくりの手順を明かしつつ、「目的/対象/方法/構造」の4項目を軸に事例を解説。ひとつひとつの記事や並び順、取材方法に至るまでそれぞれ明確な意図があり、一冊のなかに隅々まで設計思想が織り込まれているということを確認しました。

川村さんが提示した「一冊の本ができるまで」。素材や進行管理の仕事だと誤解されがちな「編集」だが、川村さんは(1)の「からだをつくる」(リサーチ、フィールドワーク)にしっかり時間をかけるという。それは「プロジェクトに出合う」「お互いを知る」ための大切なプロセス。その後、(5)(6)(7)のプロセスは行き来しながら進めて「物としての強度を高めていく」とのこと。
事例のひとつとして取り上げられた本『これからの文化を「10年単位」で語るために ― 東京アートポイント計画 2009-2018 ―』の中ページ。1年かけてリサーチを重ね、1年かけて制作した。目的として設定したのは「プログラムオフィサーの〈知見〉を言語化し、〈中間支援〉を価値化する」こと。中間支援領域で奮闘している人や行政職員を対象に、事例とプロセスを重視し、当事者が最前線をレポートする方法をとった。10年間やったことを記念するのではなく、これから10年先の文化をつくるために必要な要素を濃密にまとめた。

■ 実践共有1:市民から集めたスナップ写真と記憶を収めたプロジェクトブック『はな子のいる風景』

さてここからは、参加団体による実践発表です。実際に発行した本を取り上げ、なぜ、どのように、誰とつくったものなのかを共有しました。

『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(2017年、企画:AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]、取材・編集・執筆・構成:松本篤、発行:武蔵野市立吉祥寺美術館)

トップバッターは、今年度スタートしたアートプロジェクト「GAYA|移動する中心」(以下、「GAYA」)からNPO法人 記録と表現とメディアのための組織(remo)の松本篤さんにお話しいただきました。

GAYAは活動をはじめたばかりですが、団体としては記憶と記録を扱う活動「AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]」を長年展開されています。そのなかでも、井の頭自然文化園で飼育され、2016年に亡くなった象のはな子の記録を扱ったプロジェクトブック『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』を紹介いただきました。

制作背景やそのプロセスについては、松本さんが書かれた記事で詳しく解説されていますが、この本がユニークな点は69年生きたアジア象のはな子と一緒に写ったスナップ写真を一般から募り、収録していること。また、その写真にまつわるエピソードを別の小さな冊子に収め、2冊1セットのプロジェクトブックとして発行しているところです。

NPO法人 記録と表現とメディアのための組織(remo)松本篤さん。個人の記録と記憶に関わるプロジェクト「AHA! [Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]」を各地で展開している。「GAYA」では、世田谷区で収集した8mmフィルムをひとつの題材に、多様な人の記憶を編み集めるプログラムを実施中。

「写真集では、いろんな写真によって、はな子の歩みをたどれる。一方、小冊子では、はな子によって、いろんな人の歩みをたどれる。つまりダブルコンセプトになっていて、視点を行ったり来たりする構造なんです」

写真やエピソードを集めながら、プロジェクトで得た感覚をいかに本の形に実現するか考えたという松本さん。「こういうものをつくることによって、ささやかな人々の記録を価値化できるんじゃないかと思ったんです」と振り返りました。

プロジェクトをそのまま具現化したような本。巧みなページ構成や分冊という仕組みによって、イメージとエピソードの距離、時間の流れまで設計したという、とても緻密な実践を伺うことができました。

■ 実践共有2:企画者の手記で構成したドキュメントブック『10年を伝えるための101日』

10年を伝えるための101日 「東京アートポイント計画 ことばと本の展覧会」ドキュメントレポート』(2019年、執筆:大内伸輔、発行:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京)

続いての発表は、2019年3月に開催された 「東京アートポイント計画 ことばと本の展覧会」の記録冊子について。『10年を伝えるための101日 』と題したこの本には、展覧会の企画統括を務めたアーツカウンシル東京のプログラムオフィサー・大内伸輔の手記と、展覧会の記録写真が掲載されています。

企画・編集・構成を務めたのは、きてん企画室の中田一会。「企画の仕事はしていますが、実は本ってとても難しい制作物で苦手意識があった」と言います。ただ、展覧会そのものの制作に関わっていて、急遽つくることになったドキュメントブックは自分ぐらいしか担当できないから……と、消極的な理由で引き受けたそう。

悩みながらも「残すべき価値は何か?」という問いかけを繰り返し、たどり着いた答えは「10年分の事業を伝えるという展覧会づくりの試行錯誤そのもの」。そこで大内に依頼し、後追いで企画者日記的な手記文を書いてもらうことに。プレゼンテーションのなかでは、手記を執筆するための日程表、企画を通すためのサンプル原稿、悩みながら更新しつづけた台割、内輪ウケにならないための注釈テキストなど、具体的な資料が共有されました。

きてん企画室・中田一会(写真左)。ジムジム会の企画運営などレクチャー設計の業務も務めるが、広報コミュニケーションに関するメディアやコンテンツの企画制作も手掛けている。

「本来は文化事業の裏方であるプログラムオフィサーが、どんなことを考え、何につまずきながら展覧会をつくったのか。そのプロセスは残す価値があると考えました。それに大内さんは文章が上手なのは知っていたので、大変だろうけれどいい形になる予感はしていました」と中田。

一方、執筆した大内は、「完成した本を普段から持ち歩いていて、名刺代わりに会った人に配っています。執筆作業は、自分のやっていたことの価値化・見つめ直しになりました」とのこと。

手にした人からは「考え方の引き継ぎ方法のヒントになりました」「帰りの電車で手軽に読めて面白かった」などの反応が寄せられているそう。オーソドックスな型がある記録集も、工夫次第でコミュニケーションツールになる手応えが共有されました。

■ 実践共有3:ボランティアスタッフがつくるプロジェクト報告書『TERATOTERA DOCUMENT』

TERATOTERA DOCUMENT 2018』(2019年、発行:公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京)

最後の発表は、JR中央線の高円寺・吉祥寺・国分寺という“3つの寺”をつなぐ周辺地域で展開しているアートプロジェクト「TERATOTERA(テラトテラ)」のドキュメントブックについて。当日出席できなかった事務局の高村瑞世さんからの報告を代読する形で共有しました。

TERATOTERAの特徴は、「TERATOTERA祭り」や「駅伝芸術祭」など、まちなかでのアートプログラムの企画運営やアーティストとのコミュニケーションを、「TERACCO(テラッコ)」と呼ばれるボランティアが直接的に担っていること。

毎年発行しているドキュメントブック『TERATOTERA DOCUMENT』の企画制作を務めるのももちろんテラッコです。元新聞記者のテラッコが編集長を務め、文字起こしやライティング、デザイナーとのコミュニケーションも他のテラッコが分業。事務局スタッフは、進行管理や最終確認のみを担当しています。発行後はテラッコ自身が積極的に配布しつつ、次年度の会場交渉などにも活用しているとのこと。

一方で「幅広い層のテラッコがそれぞれ文章を書くため、内容と品質にバラツキがある」ことがひとつの悩みだそう。その問題を解消すべく、編集長による執筆講座を年初に実施したという報告が寄せられました。「みんなでつくる本」は、アートプロジェクトの関係性を豊かにしてくれます。その方法ももっと開発していきたいですね。

勉強会の最後に「今後、プロジェクトで冊子をつくってみたい団体は?」と聞くと、全チームが手を挙げた。どんな本が生まれるのか、どんなつくりかたをしていくのか新たな挑戦がはじまりそう。

■ 全5回のジムジム会が終了! 何を学んだ?

ウェブサイト、定期レター、NPO広報、SNS、本……さまざまな「届けかた・つなぎかた」の実践を共有し、ともに悩んだ2019年度のジムジム会。

それぞれの活動も忙しいなかで、毎月1回、平日の朝から2時間みっちりの勉強会を重ねてきました。「ちょっとスパルタ設計だったかも」とジムジム会企画運営チームは心配していましたが、最終回にはとても熱い感想をいただきました。

最後に感想を共有して終わります。プロジェクトの現場を支える事務に終わりはありません。これからも筋トレを続けていきましょう!

*ジムジム会で学んだこと(参加団体のアンケートから一部抜粋)

プロジェクトごとにさまざまな伝えかた・届けかたの工夫があるのだなと見えたのがまず良かったです。

これから仲間や、応援してくれる人を増やすためにも、もう一度このプロジェクトは何か、地域はどんな場所なのか、自分の団体とは何か、自信のないことや、ゆらいでいることをチームできちんと話し合いたいと思いました。

どの団体もはじめからベストのものができていたり、完璧なのではなく、運営していくなかで実態に合ったものになったり、形式が変わったり、また、さまざまなもやもやのなかからモノを作り出していたり、悩みながら考えながらプロジェクトが進んでいることが分かりました。勉強になったり、参考になったのはもちろんですが、「悩みながら生み出しているのは自分たちだけではないのか!」ということが分かって安心しました。

日々の業務に追われ、その業務の意味というのを実際はあまり考えず遂行している面があるなと思いました。一度立ち止まり頭を柔らかくしてその業務の意味を見直すと新たな形や変化させた方がいい点が出てきそうと感じとても刺激を受けました。

事務局の存在する意義、立場を学ぶジムジム会でした。

「PR(Public Relations)=関係性の構築・維持のマネジメント」という基本に立ち返る機会をいただきました。例えば事務局や学生との連絡において自分が名前のつかない心がけ(?)のようなものとして不十分ながらも一所懸命していることも、事務局内(をつなぐ)広報(役としての仕事)でもあったのかもしれないと、捉えることができました。

自分たちのプロジェクトはなかなか人に伝えづらいという課題がある。でも、ジムジム会で発表の機会をもらったことで、実際にプロジェクトを運営する人たちからのフィードバックがあったことは自信につながった。

ステークホルダーとその関係性を可視化して、的確な順序で巻き込んでいくことは、資金集めだけでなく広報やブランディングを波及させる道筋を立てていくための道標になります。それを改めて整理し直す必要があると感じました。

最後に、これから「届けかた・つなぎかた」で頑張っていきたいことを宣言しました。“一層ムキムキ”を目指しましょう!