Artpoint Reports 2024→2025

『Artpoint Reports 2024→2025』は、一年を振り返りながら、ちょっと先の未来について語るレポートです。今年度新たにスタートした新規事業の紹介や注目のニュースのほか、「基礎自治体との連携」「アクセシビリティ」「共生社会」などをテーマに、ディレクターとプログラムオフィサーがこの一年を振り返りながら語ったレポートが収録されています。

人が人らしくあるにはどうあるべきか。それを、医療でも宗教でもない領域でウェルビーイングに向き合おうとすると、芸術文化しかありません。

(変化の時代、アートを生活の一部に p.23)
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第2回レポート Tokyo Art Research Labコミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京

市民の手によって、地域の記録を残し、活用していく「コミュニティ・アーカイブ」。
そのスキルを、 複数の地域や経験を重ね合わせることから、広く共有する場をつくります。 記録を残すことは、出来事の記憶を伝えることにつながっています。とくに各地で頻発する災害の現場では、多くのものが失われる一方で風景や出来事を記録しようとする無数の試みが生まれています。
2024年、能登半島は1月の地震と9月の豪雨で大きな被害を受けました。本プロジェクトでは各地の災害にかかわり、活動を続けてきたメンバーが集まり、能登への応答のなかから、互いのスキルを共有するためのディスカッションを行います。

――プロジェクトメンバーのディスカッションの記録を、レポートとして公開し、繰り返す災害のなかに生きる術としての「コミュニティ・アーカイブ」のありかたを広く共有します。

1回目のミーティングを経て、今回は珠洲を中心に能登で活動する人々を招き、それぞれの感じる現地の直近の課題や、アーカイブ活動のニーズなどを掘り下げて議論しました。まずは、前回の議論の情報共有と、新しい参加者の自己紹介からミーティングを始めました。

前回から引き続きオンラインで珠洲から参加する西海さんは、今回、3人の同席者を招待してくれました。また、今回はゲストとして、新たに4人の活動者もミーティングに参加しました。

戸村華恵さん
もともと西海さんが東京在住だった頃の同僚で、昨年の奥能登国際芸術祭ではスタッフも担当。そのつながりから、現在は『ヤッサープロジェクト』にも合流し、広報を主に担当しながら、珠洲の人々とともに場作りのサポート活動を行っている。

小菅杏樹さん
昨年の奥能登国際芸術祭で会期中の受付や運営周りを担当。今回はアーカイブにまつわる活動とはどんなものか、現在能登でどんな動きがあるのか知るために同席。

沼田かおりさん
奥能登国際芸術祭の主催団体の一員として以前より珠洲に来ていたが、震災後は常設作品の修繕のために引き続き珠洲に通いながら、現地の人々の手伝いなども行っている。アーカイブにまつわる西海さんの活動から関心を持ち、同席。

松田咲香さん
フォトグラファーとして活動。1月の津波の被害により撮影機材を損失したため、震災後はなかなか撮影ができていなかったが、この頃は公費解体で次第に更地になっていく町並みを見ながら「撮影しないと」と思うように。また、本町ステーションを拠点に西海さんとともに『本町ラジオ』を始動。ラジオは、町の人々の言葉に耳を傾けたり、自分や相手の気持ちを整理したり、町の今と未来をつなぐためのツールにもしていきたいと考えている。

新谷健太さん
もともと北海道出身で、2011年に金沢美術大学に入学。受験当日の東日本大震災を経てから、美術に対する向き合い方が自然と変わり、社会活動に入っていくようになった。その後2017年に珠洲へ移住。アートを活用したケアを追求し、現地のゲストハウスの立ち上げや活動の支援を行う中でお手伝いをしてきた銭湯『海浜あみだ湯』を引き継ぐことになり、現在はその運営全般を担っている。また、最近はあみだ湯の運営の合間に珠洲市内の大谷地区へ通い、豪雨災害の泥かきの手伝いも行っている。

坂口彩夏さん
2024年1月の震災当時は千葉にいて、テレビで能登の様子を見ていた。当時は坂口さん自身が俳優活動をしている中で”演じるという行為”や”演じた作品が観客とどう触れ合うか”について模索しているタイミングだった。震災が起こり、人ひとりとしての社会との関わり方を考えた結果、演じることから一度離れ、震災の3ヶ月後に珠洲市内の大谷地区で炊き出しの手伝いなどに入る。瀬尾さんの本やSNSでの言葉に背中を押され、現在は大谷に移住し、復興にかかわっている。

映像ワークショップ合同会社:明貫紘子さん
石川県加賀市の山中温泉を拠点とし、コミュニティ・アーカイブにまつわるイベント企画や映像制作、デジタルアーカイブを行う『映像ワークショップ合同会社』を運営。来年1月には『オンラインをつかう伝え方と残し方』というオンライン配信限定イベントを実施予定。
インターネットが”遅いメディア”となってきている中で、これからのメディアアーカイブのよりよいあり方を日々模索している。

各々の課題感や状況について話し合いながら、記録の実践者と現地の人々のあいだのケアなど記録にまつわるソフト面と、記録をアーカイブしていくメディアや方法といったハード面、大きく2つの方向へと議論が発展していきました。

目の前の「残さなきゃ」にどう向き合うか ――ソフト面の議論

言葉の取り扱い方、発信の仕方

現在は避難所になっている大谷小中学校から参加した坂口さんは、珠洲市内でも特に豪雨災害の被害が著しい地域で泥かきなどの作業に関わりながらも、同時に大谷で十分な記録ができていないことに焦りを感じています。
また、実際に記録をしようとしたときに、自分に向けて語られた”本当の言葉”をどう扱い、どう発信すべきか、という悩みにも直面しました。
豪雨災害前、坂口さんは、なるべく地域の人たちが安心してくれるように、滞在先が大谷であることは隠して発信を行っていました。しかし、水害後のあまりの人手の無さへの危機感と、現地のニーズに応える形で、大谷という地区名も出すようになったといいます。
特に不特定多数の人が見るSNSでの能登に関する言論の極端さについて、ミーティング参加メンバーそれぞれのSNSとの向き合い方や、言葉の選び方について話し合いました。

瀬尾さんは、「能登の復興が進んでいる/進んでいない」という議論がSNS上でぶつかり合う様子を見ながら、実際の生活の中の言葉はもっと複雑であることや、どちらの言葉も同居しうることを強調しました。また、それらが反発しやすい状況ゆえに、細々とでも言葉を置いていかないと、誤解や分断はより膨らんでいくのではないか、と警鐘を鳴らします。

新谷さんは、SNSでは自分なりの価値観と責任感のもとで、繊細に言葉を選ぶことを重視していると語ります。そして、対面で語られる個人的な言葉を扱うときは、ある程度クローズドな価値共同体の中で大事にしていくことも可能であると補足しました。

発信や寄り添いの連続が、結果的に記録になっていく

坂口さんが記録と発信の必要性を感じた要因のひとつに、同じ珠洲の中でも地区によって、状況に差が開いてきたという背景がありました。
大谷のある「外浦」と呼ばれるエリアから峠を越えて内浦へ向かうと、コンビニやスーパーが稼働している。しかしまた大谷へ帰れば、冷蔵庫は止まっていて、ソーラー充電の残量を確認するような生活がある。そんな中で、「大谷は取りこぼされている」という言葉に触れた時に、大谷のことを発信しなければ、と感じたといいます。
しかし、「記録をしなければ」という意識が先行することによって、置いていかれてしまう大事なことがあるかもしれない、という葛藤もあります。

新谷さんは、現地で日々変わっていく町並みや、消えていく文化やプロジェクトを目の当たりにしながら、「記録自体が目的ではなく、社会に応答していく中で記録されていくもの、という意識でいる」と重ねます。

記録・保存におけるケアの側面

さらに、東日本大震災当時のさまざまな「記録」にまつわる出来事を振り返りながら、話を掘り下げていきました。
たとえば、変わりゆく町の昔の風景写真を集めて持ち歩き、出会った人たちに声をかけ、その人の家が写っている写真をコピーして手渡して周るおばあさんがいた、という話。
ある商店街の人たちが集い、月に一度カメラを持って地域を周り、撮った写真を持ち寄って地域支援の拠点に掲示し、みんなで見合う会をしていたという話。そこでは、人々の見える場所に記録を置いておくことによって、その風景にまつわる思い出を共有したり、定期的に記憶を振り返るような場が自然と生まれていったのだそうです。

西海さんは、珠洲の人々のニーズに応えながら写真や映像を記録する中で、何度も素材を見返したり編集することが、西海さん自身にとって重要なプロセスになっていることに気づいた、と語ります。
それは、「誰かと一緒に思い出す」という行為であり、記録を未来に残していくこと以上に、そういう時間を作りたいと思っている自分自身への気付きでもありました。

記録という活動を通して、災禍の出来事を忘れないこと、考え続けること、ゆっくりと消化しようとすることは、東日本での『わすれン!』の参加者たちからも感じたことでした。
被災地とその外側とのつながりをつくるための発信の一方で、現場の内側でゆっくりと相互にケアし合うような記録のもう一つの側面も見えてきました。

記録をどこに、どうアーカイブしていくか ―― ハード面の議論

映像ワークショップ合同会社でメディアアーカイブとそのノウハウの整理に取り組む明貫さんと、せんだいメディアテークの甲斐さんを中心に、アーカイブにまつわるシステムや運用といった、ハード面の話題についても議論しました。

明貫さんは、Wikipediaを活用したWEBメディア『かがが』を開設し、誰でも情報を編集したり、運用できるようなフォーマット作りやプライバシーポリシーの整理などに取り組んでいます。Wikipediaという既成のプラットフォームを活用することによって、サーバー代などの費用削減や、1から全てを作っていく手間を省略することにメリットがあるといいます。

Wikipediaのプラットフォームを利用し、加賀市内の記録をアーカイブしているWEBメディア『かがが』

その話を受け、甲斐さんは、民間による新たなプラットフォームで情報交換がなされることももちろん重要な一方で、その情報の置き場がいかに堅牢であるか、権利周りがいかに整理されるかも重要であると補足しました。

記録と発信、編集の距離感

どんな場所にどんな記録をアーカイブし活用していくのか、という議論の延長で、記録にまつわるプロセスや、発信してから活用されていくまでの時間軸についても話が及びました。
今まさに現場で困っていることの発信も必要な一方、SNSやニュースなどのスピードに流されず、後世に残していく時間軸で保存する記録も必要です。せんだいメディアテークの小川さんは、「編集して整理するものは、時代に消費されず保存しやすい」と添えます。

現在、松田さんと西海さんが取り組んでいる『本町ラジオ』(詳細は第1回目のレポートを参照)では、まさに「公開するまでに、どの程度、どう編集するか」という課題にぶつかっています。
収録したものを自分たちの手元で編集してみると、今後も残っていく音声として残していいものなのか、あの人が傷つかないだろうか、と戸惑いを感じることを共有しました。
編集作業は分担も可能ではあるものの、現場で感じる戸惑いや危機感も、とても重要です。
たとえば『のと部』など、遠方のメンバーが編集を手伝うような場合には、まずその感覚を共有することから始めていく必要がありそうです。

「より早く、より大きく」と発展していく情報社会の中で、「より近く、よりゆっくり、より優しく」情報が機能していくためにはどうすればいいのか。手法的な観点で、各メディアの持つ性質や必要なプロセス、特性を丁寧に見極めながら現地の記録活動をサポートしていくことも、私たちができる復興支援のひとつの形かもしれません。

次回のコミュニティ・アーカイブ・ミーティング

今回の議論は、アーカイブ自体のプラットフォーム作りに関する話題と、現地での記録の関わり方と表現の課題の、大きく2つのトピックで議論を行いました。次回の3回目と4回目のミーティングでは、この2つのトピックそれぞれに焦点を当てて、さらに議論を深めていきます。

第1回レポート Tokyo Art Research Labコミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京

市民の手によって、地域の記録を残し、活用していく「コミュニティ・アーカイブ」。
そのスキルを、 複数の地域や経験を重ね合わせることから、広く共有する場をつくります。 記録を残すことは、出来事の記憶を伝えることにつながっています。とくに各地で頻発する災害の現場では、多くのものが失われる一方で風景や出来事を記録しようとする無数の試みが生まれています。
2024年、能登半島は1月の地震と9月の豪雨で大きな被害を受けました。本プロジェクトでは各地の災害にかかわり、活動を続けてきたメンバーが集まり、能登への応答のなかから、互いのスキルを共有するためのディスカッションを行います。

――プロジェクトメンバーのディスカッションの記録を、レポートとして公開し、繰り返す災害のなかに生きる術としての「コミュニティ・アーカイブ」のありかたを広く共有します。

それぞれのアーカイブ活動の現在地

ミーティングの始まりに、まずは参加者それぞれがこれまで行ってきた「コミュニティ・アーカイブ」にまつわる取り組みと、現在の能登との関わり方について、自己紹介を交えて共有しました。

せんだいメディアテーク:甲斐賢治さん
2010年より、せんだいメディアテークに所属。アーティスティックディレクターを務める。2011年にはメディアテーク内で『3がつ11にちをわすれないためにセンター』(通称『わすれン!』)を発案。大阪を拠点とした「NPO法人remo」(記録と表現とメディアのための組織)のメンバーでもある。
2024年3月頃、以前より『わすれン!』の活動に関わりがあった明貫紘子さん(映像ワークショップ合同会社 代表)からせんだいメディアテークへ相談があったことをきっかけに能登との関わりを模索中。

せんだいメディアテーク:小川直人さん
2000年よりせんだいメディアテークに所属。現在は企画・活動支援室にて、映像文化に関わる企画全般を担当しているほか、アーカイブに関する実践や文化活動のサポートを行う。地元の公立大学である宮城大学の教員、「山形国際ドキュメンタリー映画祭」のコーディネーターでもある。
どのように能登と関わることができるのか? まずは立場やフレームに縛られず、できることを考えていきたい。

西海一紗さん
過去に約5年間、東京でCM等の映像制作に従事。2017年より『奥能登国際芸術祭』のスタッフとして、WEBサイトやSNSの運用、芸術祭の活動記録を遠方から通う形で担当。2022年に珠洲市に移住し、第3回の芸術祭実施後は珠洲でのゆったりとした暮らしをと考えていた矢先に、2024年1月の震災を経験する。
現在は芸術祭関連の人々を中心に設立された『ヤッサープロジェクト』に合流し、現地の人々のリアルな思いや暮らしの状況を記録・発信している。

一般社団法人NOOK:瀬尾夏美さん
2011年、東日本大震災の現地ボランティアに行ったことをきっかけに、岩手県陸前高田市で復旧していく町にいる人々の語りと、その風景の記録を実践。その後、2015年に一般社団法人NOOKを設立し、現在は拠点を東京に移して記録と表現の活動を続けている。
能登の初訪問は2024年5月。「行ってみると思った以上にやれる作業があって、いろんな関わり方の可能性がある」と感じた一方、東日本で活動してきた視点で能登を見ると「人が少なくて静か」だと感じたという。その経験をきっかけに、被災地と遠方との”かかわりの回路”を繋ぎなおす取り組みを行っている。
「復興の記録は、震災・災害の次に来る”もうひとつの喪失”に寄り添う活動でもあると思っています。」

一般社団法人NOOK小森はるかさん
2011年の東日本大震災の際に、映像作家・写真家として、瀬尾さんとともに記録と表現の活動を行う。また、当時よりメディアテークの『わすれン!』の活動にも参加してきた。
能登の震災後、「現地の記録を行う人手が足りていない」というニーズに応える形で、2024年9月に記録や映像に長けたメンバーと、能登を訪問。メンバーのなかには「撮れない」「どう撮っていいかわからない」「どう話を聞いていいのかわからない」という戸惑いもあったが、一度現地と関わったことによって、今後の継続的な関わりのきっかけづくりができた手応えを感じているという。次の機会の声掛けはまだできていないが、記録したものを持って帰って、もう一度見る、そして話すことも重要だと思う。

また、撮影をメインとせず、カメラを持っていないメンバーも一緒だったが、話を聞くなど、それぞれにできる役割があることは行ってみて気付いたことだった。
能登でのラジオの動きも気になっている。東日本大震災の後に災害FMでの地域の声の記録や発信を見ていたが、お互いの状況を知ったり、その声のやりとりがケアにつながる活動になっていた。

一般社団法人くくむ :本多美優
2013年より『聞き書き甲子園』を運営するNPO法人共存の森ネットワークの運営に関わる。同NPOの主催で、能登の里山里海に生きる名人たちに能登の高校生が聞き書きをした作品を再編集し、冊子『ノトアリテ』を2024年3月に制作・発刊。同時に一般社団法人くくむを設立。その後は同活動をきっかけに、震災後の能登や日本の各地で「これまでもこれからも続いていく文化や暮らし」を記録し、伝えていく活動に取り組んでいる。

アーツカウンシル東京:佐藤李青・川満ニキアン
佐藤は、2011年から2021年まで『Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)』を担当し、東日本大震災後の東北に東京からかかわってきた。佐藤と川満は、東京アートポイント計画の一環として、一般社団法人NOOKと都内で展開する、地域の災禍の記憶をテーマとしたプロジェクト『カロクリサイクル』も担当している。

現在進行系の課題

ミーティング参加メンバーそれぞれの能登との関わりや活動を共有していく中で、さらにいくつかの具体的なトピックについて議論が膨らんでいきました。

能登のミニFM「本町ラジオ」

珠洲からミーティングに参加した西海さんは、現在、珠洲市鵜飼本町にある『本町ステーション』を運営している松田咲花さんとともに、ミニFM(電波法に規定されている微弱電波を利用したFM放送で、100m程度のごく狭いエリアに対して放送できるもの)を開局しようと準備中です。
名前は「本町ラジオ」。「現地の人々は未だに身の回りのことで精一杯なため、地域どうしの交流や情報共有が少ないと感じています。」開局の動機のひとつは、ラジオを通していろんな地域とつながりたいという思いでした。

ラジオでは、事前に収録・編集したものを放送予定ですが、どう運営するかはまだ考え中なのだといいます。どうフォーマットをつくるか、収録した後の編集をどうするか、いざはじめようとすると悩みが出てきます。
せんだいメディアテークのわすれン!での活動にも触れつつ議論は広がりました。わすれン!では、2011年に配信プラットフォームのUtreamを活用した「かたログ」という配信シリーズがありました。のちに東北記録映画三部作を制作した映画監督の酒井耕さんと濱口竜介さんのミーティングの様子をそのまま配信した番組でした。

『わすれン!』のウェブサイトより

「まず、収録・編集のプロセスを複雑化しすぎないことが重要。」運営側の手間を減らしつつ、生の声をどう聞きやすく届けられるかが今後のラジオ運営の課題となりそうです。

また、ラジオ内のコンテンツをすべて現地で用意するのではなく、コーナーとして分け、いろんな地域や有志による分担をするのはどうか? といったアイデアも生まれました。
遠方から能登に行ってきた人が音声レポートを作ったり、現地で活動するボランティア団体の人々にも協力してもらえれば、各地域のリアルな情報交換の場にもなるかもしれません。

能登に思いを寄せる人々の集い「のと部」

2024年10月、瀬尾さんの発案により「のと部」を発足。ここでは月に1度、能登に思いを寄せる人々が自由に集まって情報交換を行います。参加者は、能登の状況が知りたい人、能登に行きたいけど行けていない人、どう関わればいいか足踏みしている人、現地に行ったことを共有したい人など、状況はさまざま。

のと部 SNS:Instagram X(旧 Twitter)note

1回目の開催時点では40人ほどが集まり、東京からできることを探す班、記録をしに行く班、のと部グッズを作る班……などが参加者によって主体的に作られ、具体的な動きも生まれました。
実際に一部の参加者は「のと部バッジ」を身に着け、参加者どうしで現地に行きました。
『のと部』は、「自分が行ってもいいのかな」と不安に感じる人々の背中を押す場にもなっています。
瀬尾さんは「のと部」に集まる人々の話を聞き、遠方から能登とかかわるための情報にアクセスできている人が思ったよりも少ないことを課題に感じたと言います。
現地でボランティアを行うには、石川県が募集している「石川県災害ボランティアバンク」に応募し、当選した場合にバスに乗って現地に入るという方法がよく知られていますが、現地にいる個人や団体の活動に協力する形でボランティア活動を行うことも可能です。
しかし、意外と「公式のボランティアに落選してしまって行けていない」という人が多く、現地の個人や団体による活動についても「のと部」で情報交換していくことにしました。

「誰もが、記録と発信ができる主体である」

議論全体を通して、いたるところで「能登の復旧・復興のあいだの出来事を、誰がどうやって記録していくか」といった課題に触れ、それぞれの思いや葛藤についても共有しました。
現地で活動する西海さんは、珠洲で『ヤッサープロジェクト』の記録活動やウェブサイトの更新を通じて、せんだいメディアテークの活動で知った「コミュニティ・アーカイブ」の取り組みができないかとやり方を模索しています。

西海さんが参照した『コミュニティ・アーカイブをつくろう!』の書影(西海さんのインスタグラムより)。 

現地では、「家を解体するから映像を撮ってほしい」「震災後、初めて珠洲焼を焼く場面を記録してほしい」など、日々の記録にまつわる要望に対応している状況ですが、今は現地で柔軟に動ける人も少なく、周囲の仲間づてに遠方から人を呼んで手伝ってもらっている状況なのだといいます。

そこで「例えば『のと部』の参加者が、西海さんの活動に合流することもできるのでは」といった提案もありました。
「のと部」には、「撮影・取材のスキルを活かして記録をしたいけど、現地でどんな記録ができるかわからない」と足踏みする人もおり、そういった人にとって現地の具体的な記録ニーズは、遠方から能登に関わる最初のきっかけにもなり得るかもしれません。
また、「外から来た人間」だからこそ、現地には無い視点で俯瞰した記録・発信ができる可能性もあります。

その上で、瀬尾さんは記録活動を行う際に「どういう映像が撮れたか」「どういう話が聴けたか」といった、記録自体の良し悪しにフォーカスしすぎないことや、技術やスキルを持った人だけのものにしない視点も重要だと語ります。
いろんな人の視点で、いろんな時に、いろんな場所の記録を実践していく。
その上では、誰もが「記録と発信ができる主体である」という認識を持ち、「みんなに能登のことをシェアしよう」という思いを持って関われば、どんなかかわり方であっても「コミュニティ・アーカイブ」の一歩を踏み出すことができるのではないでしょうか。

次回のコミュニティ・アーカイブ・ミーティング

今回は議論をするなかで、実際に珠洲を拠点としたいくつかの具体的な団体や活動にも話題が及びました。それを踏まえ、次回はもう少し珠洲というフィールドを掘り下げる形で、今まさに現地で活動している人々をゲストに招きます。

コミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京

災害の現場から「コミュニティ・アーカイブ」を考える

市民の手によって、地域の記録を残し、活用していく「コミュニティ・アーカイブ」。そのスキルを、 複数の地域や経験を重ね合わせることから、広く共有するプログラムです。
記録を残すことは、出来事の記憶を伝えることにつながっています。とくに各地で頻発する災害の現場では、多くのものが失われる一方で風景や出来事を記録しようとする無数の試みが生まれています。

本プログラムでは、各地の災害にかかわり、活動を続けてきたメンバーが集まり実施します。
東日本大震災後に「3がつ11にちをわすれないためにセンター」を開始し、市民の手で記録を残す、さまざまな活動のプラットフォームとなったせんだいメディアテーク、東京都、アーツカウンシル東京が、2011年から取り組んできたArt Support Tohoku-Tokyo、東京アートポイント計画「カロクリサイクル」などの知見も活用。2024年、大きな被害を受けた能登半島への応答のなかから、互いのスキルを共有するためのディスカッションを行います。

詳細

手法

  • 東京、仙台、能登をオンラインでつなぎ、定期的なディスカッションを実施する。
  • ディスカッションの記録は、順次Tokyo Art Research Lab ウェブサイトにてレポートを公開予定。

スケジュール

  • 第1回
    参加者それぞれがこれまで行ってきた「コミュニティ・アーカイブ」にまつわる取り組みと、災害の現場とのかかわり方について共有し合う。

 

  • 第2回
    記録の実践者と現地の人々のあいだのケアなど記録にまつわるソフト面と、記録をアーカイブしていくメディアや方法といったハード面についてディスカッションを行う。

 

  • 第3回
    震災後1年を経た能登半島における課題への取り組み方を、能登周辺の活動団体と協力しながら模索する。

 

  • 第4回
    能登半島での事例をもとに、記録を保存し活用するアーカイブのプラットフォーム制作における取り組みと課題について知る。

 

  • 第5回

    これまでのディスカッションを振り返りながら、コミュニティ・アーカイブの課題と可能性について考える。

主催

東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、せんだいメディアテーク(公益財団法人仙台市市民文化事業団)

共生社会を聞いて、みる

東京都・府中市芸術文化連携事業「共生社会を聞いて、みる」は、 府中市の地域共生社会実現に向けて様々な取り組みを進めていくため、 共生社会にまつわる活動に取り組むゲストをお迎えし、お話を伺う配信番組です。 番組では話の内容を「見える化」するため、会話を聞きながらリアルタイムで文字やイラストを使って1枚にまとめる、グラフィックレコーディングを採用しています。

詳細

つくることを考えてみよう 地域を生きる

多摩地域を舞台に、地域の文化的、歴史的特性をふまえつつさまざまな人々が協働、連携するネットワークの基盤づくりを進めている『多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting』において実施した、学校を拠点とした地域プログラムの記録集です。

NPO法人アートフル・アクションは、これまでの活動の中で、多くの小学校の図工などの授業と連携し、たくさんの市民の方々やNPOスタッフ、アーティストが参加する機会を作ってきました。この冊子では、企画づくりや授業に参加したスタッフが、地域との連携を視野に入れながら、連携の考え方や授業のプログラムなどを振り返ります。

学校と地域の浸潤し合う双方向性のある関係は、どちらにとっても、自らの将来を自ら考えていくための好機になるように思います。

(p.3)
目次
  • 0 はじめにーなぜ地域なのか?
  • 1 地域を知るー「知る」とは何か?
    ・アーティストの気づきを通して、地域への新しい視野が開ける
    ・学校との関係を地域の視点で知る・考える
  • 2 調べるって?
    ・物語の地層をめぐる〜図工研究会
    ・調べたこと、見つけたもの・ことを構造化し、探求する
  • 3 きっかけについて考えるやってみる
    ・さすらいの竹林が図工と出会う〜その1
    ・さすらいの竹林が図工と出会う~その2
    ・身近な植物から色を抽出して絵の具をつくる
  • 4 つながりをつくる、育てる、引き継ぐ
    ・そこにある歴史と資源に気づく〜縄文ハウス
    ・地域の施設とつながり、育む〜ハンセン病資料館の見学から
    ・国語+マタギ+造形による知覚の拡張
    ・桑の葉染めで総合学習〜大学との連携
  • 5 振り返る
  • インタビュー
    ・眞砂野 裕(昭島市立光華小学校校長)「風」を吹かせることが学校の仕事
    ・猪瀬浩平(文化人類学者)「答え」がない場所で、折り合いながら生きていく・・・

つくることを考えてみよう 表現のひろがりと可能性をめぐる

多摩地域を舞台に、地域の文化的、歴史的特性をふまえつつさまざまな人々が協働、連携するネットワークの基盤づくりを進めている『多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting』において、2024年12月から2025年3月アーティストの弓指寛治さんが、昭島市立光華小学校4年2組に通った記録です。

弓指さんの滞在の断片について、彼の日々の気づきに、観察者として伴走した吉田さんから見えたものを併記しています。弓指さんはもとより、吉田さんも今日の社会と生きるひとりの直観とこの間に見えたことを相対させ、自身の言葉で書き綴っています。

冊子の後半は、表現のひろがりと可能性をめぐるをテーマに、アーティスト・学芸員の方々へのインタビューをもとにご自身の活動から美術教育の話まで幅広く表現の可能性について伺った記録を収録しています。

鬼ごっこに誘われたら断らないこと、大事です。やっぱり、あれは大人は断ってしまうじゃないですか。しんどいし、寒いし

(p.3)
目次
  • アーティストが学校にやってきた
    ・弓指寛治、小学4年生になる
    ・授業と日常
    ・”2回目” の学校生活
    ・小学4年生のリアリティ
    ・図工室内のアトリエ
    ・観察者のあとがき
    ・対談 弓指寛治(アーティスト)×古賀久貴(昭島市立光華小学校図工専科教諭)
    ~アーティストが「小学4年生」として学校にいるということ~
  • インタビュー集 表現のひろがりと可能性をめぐる
    ・描くこと 岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員)
    「描くことがものの見方を鍛え、そして社会が変わっていく」・織る・ほどく 呉夏枝(美術家)
    「手を動かし想像をめぐらせながら問い続ける」・言葉と芸術 山崎佳代子(詩人、翻訳家)
    「ひらき、つなぎ、紡ぐ 詩/言葉の可能性をめぐって」

    ・身体性と表現 曽我英子(アーティスト)
    「問いが形になるまでの距離と時間」

    ・彫ること 安藤榮作(彫刻家)
    「自分と木と斧、そして世界と。エネルギーが循環するよろこび」

○ZINE -エンジン- ACKT03

アートやデザインの視点を取り入れた拠点づくりやプログラムを通じて、国立市や多摩地域にある潜在的な社会課題にアプローチするプロジェクト『ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)』。このフリーペーパーは、まちに住む人に情報を発信、収集することで、これまでになかった縁がつながり、これからの活動のきっかけとなることを目指しています。

第3号のテーマは「星座、はじめました」。ACKTでの活動紹介のほか、日本各地のさまざまな実践への取材を通じて、一人ひとりが自分らしさを考えながら、個性と連帯のプラットフォームについて考えています。

見えない星、彗星のような存在、そういった同じものだけではない集まりこそが「星座」なのかもしれません。

目次
  • みんなで星座をつくるには(文:関口太樹)
  • 華僑・華人がつなぐ星座とは(文:天野陽日)
  • 船遊び「みづは」から見るトウキョウシティ(文:石本千代乃)
  • 大学と商店街がつくりだす星座とは(文:加藤健介、構成:加藤優)
  • エンジンルーム 振り返り会議(文:山本毱乃)
  • 編集後記(文:田尾圭一郎)
  • ACKT’s ACTION
  • 国立高校「私たち国高新聞部」
  • たまたまブラブラ散歩(堀道広)
  • CAST「田尾圭一郎」
  • LAND「HOUSEHOLD」

人と活動をつなげる、「かかわりしろ」となる場や時間のあり方とは?(APM#15 後編)

毎回、まちで活動するさまざまなゲストを招き、これからのアートプロジェクトのためのヒントを探る、東京アートポイント計画のトークシリーズ「Artpoint Meeting」。その第15回が、2024年12月14日、「港区立男女平等参画センターリーブラ」にて開催されました。

港区の文化芸術施設や団体などを支援・育成するための取り組み「港区文化芸術ネットワーク会議」との共催で開催された今回のテーマは、「プロジェクトを広げる、“かかわりしろ”のつくりかた」。プロジェクトと、それにかかわりや関心をもつ人たちをつなぐ上で欠かすことのできない余白のありかた、つくりかたについて、語り合いました。

ゲストとして、水戸芸術館現代美術センターで1993年から続く、高校生を中心とした幅広い市民とカフェ運営や部活動を行う企画「高校生ウィーク」などに携わる教育プログラムコーディネーターの中川佳洋(なかがわよしひろ)さん、そして、京都のまちで1998年より多種多様な人たちが集まる場づくりを行っている「バザールカフェ」のメンバー、狭間明日実(はざまあすみ)さんと、ソーシャルワーカーの松浦千恵(まつうらちえ)さんらが登壇。実践のなかで感じてきたことを話しました。

人と人、人と場をつなぐものとは何なのか? イベント当日の模様を、ライターの杉原環樹がレポートします。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:高岡弘*1、2、4、5、10、12-18枚目)

レポート前編はこちら>
人と活動をつなげる、「かかわりしろ」となる場や時間のあり方とは?(APM#15 前編)

トークセッション2
さまざまな現実を生きる人たちの居場所としての「バザールカフェ」

「ばらばらだけど、ともにいる場をつくる-バザールカフェの取り組み」と題されたセッション2には、京都の「バザールカフェ」から狭間明日実さんと松浦千恵さんが登壇。プログラムオフィサーの川満ニキアンを聞き手に、その実践を語りました。

トークセッション2の登壇者、左からプログラムオフィサーの川満ニキアン、ゲストの狭間明日実さん、松浦千恵さん。

同志社大学の近くに位置するバザールカフェは、「ヴォーリズ建築」(明治〜昭和にかけて日本で多くの西洋建築を手掛けたアメリカの建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズによる建築の総称)の宣教師館を改装した、250坪超の敷地をもつカフェです。同時に、松浦さんが「『空間』と『人』から成る『場』」と表現するように、LGBTQ、依存症、HIV陽性、外国籍など、さまざまなの背景をもつ人たちの居場所としても機能してきました。活動に多くのボランティアがかかわり、「匿名性」「固定化しない関係性」「誰も排除しない」などを大切にしたその場のあり方は、近年、書籍化されるなど注目を集めています。

大正8年に建てられたヴォーリズ設計の宣教師館を改装した、バザールカフェの外観。
2024年夏に刊行された単行本『バザールカフェ ばらばらだけど共に生きる場をつくる』(学芸出版社、2024年)。社会福祉士、ボランティア、宣教師、研究者らの実践レポートを収録。

狭間さんは、京都の大学で社会福祉の勉強をしていた2014年からバザールカフェにかかわりはじめ、2015〜2024年まで事務局に従事。その後はボランティアとして、「気が向いたときにかかわっている」と言います。一方の松浦さんは、2004年頃よりバザールカフェに携わるようになり、店長やボランティアなどいろんな立場で参加。現在は、依存症が専門のソーシャルワーカーとして医療機関で働きつつ、カフェの事務局でも働いています。松浦さんは「バザールカフェは既存の福祉制度の枠組みにあてはまらないからこそ可能性がある場所」と話します。

左から松浦千恵さん、狭間明日実さん。

バザールカフェでは多国籍料理を提供するほか、シンボルの八朔(はっさく)の木がある庭も舞台に、さまざまな活動が行われています。例えば、30人ほどで1枚の布を染めてもち帰る「野染め」や、近所のこどもたちとの秘密基地づくり。キッチンではボランティアや学生の実習生らがひしめき合って料理をします。年に一度のお祭り「バザールフィエスタ」には、庭に約20軒のお店が集結。海外ルーツや福祉事業所の人たちも参加して賑わいを見せます。

日替わりシェフが腕をふるう、日替わり多国籍ランチ。タイ、フィリピン、インドネシア、韓国など、さまざまな国の味が楽しめる。 

そんなバザールカフェは1998年、日本キリスト教団京都教区と、バザールカフェプロジェクト運営委員会の共同プロジェクトとしてオープンしました。設立メンバーには、京都を代表するアートコレクティブ「ダムタイプ」のメンバーも含まれており、そのことからアーティストやHIV関連団体の関係者が多く集まるように。「バザール(市場)」という名称は、多様な人が行き交う、活気あふれるアジアの市場をイメージして名づけられました。

バザールカフェのキッチンの様子。ボランティアや実習生も参加して、日々カフェで提供するメニューの調理にあたる。

バザールカフェでは、設立当初から、セクシュアリティ、国籍、病などさまざまな現実を生きる人がありのままで受け入れられること、社会のなかで周縁化されがちな人たちに就労機会を提供したり、ともに働くことで社会問題を考えたりすること、すなわち、多様な人が立場を超えて自然に出会い、一緒に考え、ともに生きることを目指してきました。「こうした場のあり方や目的は、当時では先駆的だったと思う」と松浦さんは振り返ります。

こうした設立当初の姿勢を引き継ぎつつ、現在、バザールカフェという場は大きく6つの機能をもっています。それは、①社会との接点となり、仕事をつくる「カフェ」、②カフェ内や世界の出来事についての「情報発信」、③就労が困難な人に仕事を提供し、自信の回復につなげる「就労機会」、④社会について現場で学ぶ実習生を受け入れる「フィールドワーク」、⑤特別な専門家ではなく、いろんな人が双方にかかわる共助としての「ソーシャルワーク」、⑥自分自身を語るなどの「プログラム」の実施、の6つです。これらは互いに絡み合って機能しており、そのことで多様な人が集まる「仕掛け」となっています。

スライドで示された、バザールカフェの6つの機能(2024年12月時点)。

完璧ではない「余白」や「余分」があるから、個人の考えを受け止められる

狭間さんと松浦さんは、バザールカフェという場を運営する上で大切にしていることとして、「ただ在ることの価値を根っこにもつ」「人間性が見える関係を構築する」「お互いの尊厳を尊重する」「誰も排除されない場作り」の4つを挙げます。

例えば、「ただ在ることの価値を根っこにもつ」に関しては、何もしなくてもある「その人がいること(being)の価値」を可能にするため、カフェでは役割(doing)をもつことを重視していると言います。また、「人間性が見える関係を構築する」については、人々が属性ではなく、個として出会うことを意味しています。狭間さんは、「カフェにはいろんな事情をもつ人がいますが、それを話さない人がほとんど。数年後に告げられることもあるけれど、最初に情報として知るのと、その人自身とつき合ってから知るのとでは意味が違う」と話します。

カフェの庭に個性豊かなブースが出店し、料理や雑貨を並べる、年に一度のおまつり「バザールフィエスタ」。国籍、年齢、性別、さまざまなものを超えて、人と交流する機会になっている。

こうしたバザールカフェの活動は、当然、「支援」の文脈でも語れます。ソーシャルワーカーである松浦さんは、「あまり『支援』という言葉は使いたくない」と前置きしつつ、その活動をあえて支援として見るなら、「存在の支援」という表現が相応しいとコメント。そこでは「支援する/される」という一方向の関係や、「支援をしてあげる(FOR)」という関係ではなく、「一緒に何かを行う(WITH)」かかわりを大切にしているといいます。

ソーシャルワーカー(社会福祉士・精神保健福祉士)で、2004年頃よりバザールカフェにかかわるようになり、現在は事務局スタッフの松浦千恵さん(左)。

そして、人が、属性を通してではなく、個人として出会う、そのような関係を築く上で二人がキーワードだと語るのが、「余白、余分、かわわりしろ」です。では、そうした一種のバッファはどこに生じるのか?

バザールカフェの6つの側面の説明図(2024年12月時点)。6つの要素の間にある「うにょうにょとした」混じり合いが、バザールカフェという場になっている。

ここで二人は、先に触れたバザールカフェの6つの側面の説明図をふたたび見せ、その6つの要素の間にある、「うにょうにょとした」混じり合いの場にこそ、そうした余白が生まれていると説明。松浦さんが、「バザールカフェは綺麗ではないし、事業としてダメな部分もあるけど、だからこそいろんな人がかかわれる」と話すと、狭間さんも「少し抜けた部分をつくるその姿勢は創設時のアーティストたちから受け継いだもの。そこにいまではソーシャルワークの要素が加わっている」と応答し、活動における「遊び」や、完璧を求めすぎない姿勢の重要性を指摘しました。

これらの発表を前提に川満が「余白を保つためにしていること」について尋ねると、二人は「プロセスを誰かと共有すること」と返答しました。何かモヤモヤした際は、それを誰かに話し、そのプロセスをほかの人にもひらいていくこと。松浦さんは、そのような小さな個人の考えや感じ方を大事にしてきたことの積み重ねが、この場をつくっていると指摘。また、狭間さんは、そうした個人の考えを受け止める上で、中川さんが「まどろみの時間」と呼んだ終業後の時間が、バザールカフェにおいても重要な役割を果たしていると話しました。

プログラムオフィサーの川満ニキアン(右)から、問いが投げかけられた。

川満からはもう一点、二人がこのカフェにボランティアや事務局などさまざまな立場で携わっていることや、松浦さんが医療機関とカフェを行き来していることなど、かかわり方の変化を許容する姿勢が、余白の広がりにつながっているのでは、という問いが投げかけられました。

これに松浦さんは、「医療機関ではドクターをトップとする階層があり、その制度のなかでケアを行おうとすると、診断書が必要になったりして、人の営みのなかに直接入っていけないんです。でも、バザールカフェでは、わたしも一人の人としてその営みのなかに入れてもらえる。だから一番楽です」とコメント。狭間さんも、「バザールカフェでは、スタッフだからボランティアだからと立場を決められることもないし、体調が悪くても、そのときどきの自分の状況を受け入れてもらえる」とし、その自由さがこの場にかかわり続けている理由でもあると話しました。

ディスカッション
誰もが「いていい」と感じられる場をつくる上で、重要なこと

イベントの最後では、中川さん、狭間さん、松浦さんの三人が揃って登壇。冒頭に登場した佐藤を聞き手に、会場から寄せられた質問もふまえて、ディスカッションを行いました。

ディスカッションでは、本日のゲスト三人と、モデレーターの佐藤李青(右)が登壇。

最初に取り上げられたのは、情報発信の方法や呼び掛け方、両者のプログラムや場にはなぜそれほど多様な人が集まってくるのか? という問いです。これに松浦さんは「人が人を呼んでいるのが大きい。困った人がいると、『バザールカフェに行ってみたら? なんとかなるで』と、口コミのネットワークで来る人が多いです」と返します。実際、福祉制度から溢(あふ)れた人が、ここに行けば食事ができるとききつけ、訪れることもあるそうです。

バザールカフェの松浦千恵さん。

こうした場のあり方から、最近では京都府と連携して、引きこもり当事者の就労体験の場としても利用されるなど、行政とのかかわりも増えてきています。この場所はもともとマイノリティのアジール(避難所)として、比較的クローズドな性格をもっていました。しかし、「べつにそうした人たちが隠れる必要はない。社会において当たり前に隣にいることを発信していく時期だ」と活動をオープンにしていくなかで、「行政もかかわり方がわかってきたのだと思う」と松浦さん。「活動の全貌までは理解されていないかもしれないけれども、場やそこにいる人たちへの信頼が芽生えているのを感じます」。

一方で中川さんは、「高校生ウィーク」の発信として、毎年市内の高校を中心にお知らせを出していることを紹介。そこではからずも重要なフックになっているのが大学受験等で有効な「ボランティア証明書」の発行なのだと言います。「それがほしくて来るのでもいいんです。そこから新しいつながりが生まれることもあるから」と中川さん。最初の接点をゆるやかに構える大切さを話しました。

大人のボランティアは、経験者の紹介で来る人が多いといいます。さらに「展覧会のお客さんにもおもしろい人が多い」といい、展示室の奥にあるワークショップルームを覗いている人がいたら、なるべく招き入れて話をきかせてもらうなど、細かな「つながり」を大切にしているそうです。

水戸芸術館現代美術センターの中川佳洋さん。

会場からはバザールカフェについて、どのように運営しているのかという質問も寄せられました。狭間さんはこれに、運営資金は約1100万円で、うち寄付が約200〜300万円、残りをカフェの収入や福祉の助成金で賄っていると明かしました。こうした運営には、「寄付に頼らず自立すべき」との意見が寄せられることも。ただ松浦さんは、「最近はひらき直って、寄付を受けることにしています」と話し、その理由を「この居場所づくりの活動が地域にとって必要と感じつつ、いろんな事情で直接にはかかわれない、でも寄付ならできるという人もいるから」と説明。つながりのチャンネルを多くもつことの重要性を指摘しました。

最後に佐藤は、「今日、話をきいていて、どちらの活動も、かかわる人たちが『場のイメージ』をゆるやかに共有している点が印象的だった」と話しつつ、「一方、みんながやりたいことをする上で、意見がぶつかった際はどうするか?」という問いを投げました。

中川さんはこれに、「そうしたときは、わたし自身も一緒に困っている。でも、困っていることを相手にも伝えて、みんなで考えていくしかない」と返答。「まずは、誰かが『これは言えない』と感じるような状況にはしないことが大切。みんなが思っていることをきちんと言えているかを確認する、その気持ちをもつことを大事にしています」と話します。

これをきいた狭間さんは、「一緒に困るのは、わたしたちも同じ」としつつ、「バザールカフェが病院や施設と違うのは期限がないこと。時間をかけて行ったり来たりしながらつき合っていけるのがこういう場の強み。たとえいっとき離れても、その空白の時間があるからまたつながれることもある」と語り、その場での人間関係には「完了」がないと語りました。

バザールカフェの狭間明日実さん。

松浦さんは「誰も排除しない」という原則をふまえ、苦手な相手がいる際は、「わたしがここにいていいのと同じように、あの人もここにいていいと思えることが大切」と話します。また、そうしたゆとりある人間関係を築くにあたり、ふたたび「まどろみの時間」に言及。「ついルールを決めそうになるけれど、その余白の時間が絶対に必要。まどろみの時間のなかでこそ、誰もが言いたいことを言える。そうした言葉は用意された会議の時間では出てこない。この時間がないと、自分や他者を大事にする場は生まれない」と指摘しました。

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その場にかかわる人の数を広げるだけではなく、人がその場に心地よくかかわり続けることができるための「かかわりしろ」のあり方について、水戸芸の教育プログラムやバザールカフェの活動を見てきた今回の「Artpoint Meeting」。両者の話には、かかわる人の動機やかかわり方の多様性を柔軟に受け入れる姿勢や、サービスの提供者と顧客のような固定的な関係ではなく、誰もが対等に自身の意見を語り合える関係などの共通性がありました。

特に印象的だったのは、中川さんが語り、狭間さんや松浦さんにも広がった「まどろみの時間」というキーワードです。プログラムやカフェの営業時間の外にある、名前のない曖昧な時間。両者の話からは、その目的をもたない時間にこそ、その人のその人らしさが現れるということ。そして、そうしたそれぞれの考え方を尊重し合う関係にこそ、人がその場にかかわり続けたくなる、居心地のよさの種があることが感じられました。

イベント終了後も、登壇者と来場者の間に多くの意見が交わされた。
ビルやマンションが立ち並ぶ会場周辺。住民の9割以上がマンション住民である港区では、基本政策として地域の課題を自ら解決できるコミュニティづくりを目指している。

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人と活動をつなげる、「かかわりしろ」となる場や時間のあり方とは?(APM#15 前編)

人と活動をつなげる、「かかわりしろ」となる場や時間のあり方とは?(APM#15 前編)

毎回、まちで活動するさまざまなゲストを招き、これからのアートプロジェクトのためのヒントを探る、東京アートポイント計画のトークシリーズ「Artpoint Meeting」。その第15回が、2024年12月14日、「港区立男女平等参画センターリーブラ」にて開催されました。

港区の文化芸術施設や団体などを支援・育成するための取り組み「港区文化芸術ネットワーク会議」との共催で開催された今回のテーマは、「プロジェクトを広げる、“かかわりしろ”のつくりかた」。プロジェクトと、それにかかわりや関心をもつ人たちをつなぐ上で欠かすことのできない余白のありかた、つくりかたについて、語り合いました。

ゲストとして、水戸芸術館現代美術センターで1993年から続く、高校生を中心とした幅広い年齢層の市民とカフェ運営や部活動を行う企画「高校生ウィーク」などに携わる教育プログラムコーディネーターの中川佳洋(なかがわよしひろ)さん、そして、京都のまちで1998年より多種多様な人たちが集まる場づくりを行っている「バザールカフェ」のメンバー、狭間明日実(はざまあすみ)さんと、ソーシャルワーカーの松浦千恵(まつうらちえ)さんらが登壇。実践のなかで感じてきたことを話しました。

人と人、人と場をつなぐものとは何なのか? イベント当日の模様を、ライターの杉原環樹がレポートします。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:高岡弘*1-9、13枚目)

オープニングとトークセッション1の登壇者、左からプログラムオフィサーの佐藤李青、ゲストの中川佳洋さん、田中真実さん、宮崎刀史紀さん。

「港区文化芸術ネットワーク会議」とは? 区を超えた気づきの機会をつくる

今回の「Artpoint Meeting」のパートナーである「港区文化芸術ネットワーク会議」(以下、「ネットワーク会議」)は、港区で活動する文化芸術施設や団体、企業などが交流、情報交換する機会として、2013年より定期開催されているプラットフォーム型の会議です。

2016年の開始以来、多くのゲストを迎えてきた「Artpoint Meeting」ですが、「今回は企画自体を、同様の活動を行い、近しい問題意識をもつ方と開催しようと思った」と、プログラムオフィサーの佐藤李青。この日のトークは、そんな佐藤と、この取り組みを主催する「港区スポーツふれあい文化健康財団」(以下、「Kissポート財団」)文化芸術部長の宮崎刀史紀(みやざきとしき)さんとの、イベントの背景を巡る話からはじまりました。

プログラムオフィサーの佐藤李青。

そもそも港区は、40を超える美術館・博物館や、30を超える劇場・音楽ホールを擁するなど、文化芸術施設が豊富な地域として知られています。「そのようにきくと、もはや公共サイドが文化芸術を支援する必要などないのではないか、と思われるかもしれません。しかし、そうではなく、公共だからこそできる支援があると思うんです」と宮崎さんは語ります。

その考え方の基盤を成すのが、港区が2024年3月に改定した、今後の区の文化芸術振興の方向性を示す「港区文化芸術振興プラン」です。

「港区スポーツふれあい文化健康財団」文化芸術部長の宮崎刀史紀さん。

2021〜2026年度を計画期間としたこのプランでは、区が目指す将来像を、「多様な人と文化が共生し、文化芸術を通じて皆の幸せをめざす世界に開かれた『文化の港』」という言葉で表現。それを実現する上で進めていくべき施策を、大きく3つ記しています。

1つ目は「年齢・障害の有無・国籍等にかかわらず誰もが文化芸術を鑑賞・参加・創造できる機会の充実」。ここには多様な人に向けた鑑賞のサポートや、鑑賞機会のアウトリーチ活動などが含まれます。2つ目は「多様な主体間の協働による文化芸術振興」。そして3つ目が、文化施設の充実などを指す「文化芸術振興施策の推進に向けた基盤整備」です。

このうち、2つ目の施策の具体例として進められているのが、Kissポート財団による「港区文化芸術活動サポート事業」です。この事業では、区内で行われる文化活動や、その主体となる団体に対する助成を行うほか、専門家による活動へのサポートを実施。「ネットワーク会議」は、このサポートを受ける団体のつながりの場にもなっており、今回の「Artpoint Meeting」の会場には、同会議のメンバーも多く参加していました。

オープニング「地域のかかわりづくりを支える仕組みー東京アートポイント計画と港区の文化芸術活動支援」会場の様子。港区内で活動する団体などが多く集まった。また、手話通訳がつき、UDトークも使用した。

活動をサポートする対象について、宮崎さんは、「展示やコンサートのような一時的なイベントにとどまらず、その先の広がりを強く意識している団体を対象としています」とコメント。また、「ただ資金などを支援するのではなく、さまざまな人が交流することで、それぞれが気づきを得られる活動を目指してきました。そのためには、かかわりしろを広げることが必要。今日のイベントは、そうしたつながりを区の範囲を超えてもちたいとの思いから開催しました」と話します。

背景や関心の異なる人たちが「かかわりしろ」を通して交流することで、活動を厚くする文化活動のありかたは、東京アートポイント計画が大切にしてきたことです。佐藤は、そんな「かかわりしろ」についてゲストの話をきく際のポイントとして、①地域のなかで活動や場にかかわる「のりしろ」をどうつくるか? ②それが活動を「続けること」にどうつながるか? ③年代や属性などが「異なる」人とどうかかわるか? の3点を挙げました。

それを受けた宮崎さんは、「のりしろ」のうち、「余白を指す『しろ』も大事だけど、何かと何かをつなげる『のり』も大事。かかわるための仕掛けが重要なのでは」と指摘。会場の参加者に向け、普段の活動のなかで何気なく感じている感覚を、あらためて「かかわりしろ」という言葉で意識してほしいと呼びかけました。

トークセッション1
「高校生ウィーク」という場と、かかわりしろとしての「まどろみの時間」

続いて、「居場所であること、そこから広がったこと-高校生ウィークの取り組み」と題し、水戸芸術館現代美術センター(以下、水戸芸)の教育プログラムコーディネーター、中川佳洋さんの話をききました。聞き手は、認定NPO法人STスポット横浜の副理事長・事務局長で、港区文化芸術活動サポート事業の調査員である田中真実(たなかまみ)さんが務めました。

トークセッション1「居場所であること、そこから広がったこと-高校生ウィークの取り組み」、会場の様子。左からゲストの中川佳洋さん、聞き手の田中真実さん。

香川出身の中川さんは、大学進学で茨城へ。在学中の2008年から水戸芸にボランティアとしてかかわるようになり、今日のトピックである「高校生ウィーク」のカフェスタッフとして活動します。卒業後は香川の中学教員となりますが、「高校生ウィークのスタッフはみんな温かく、水戸を訪れるたび誰かが迎えてくれて。それで、2022年より水戸芸で働くことにしたんです」と中川さんは言います。

水戸芸術館現代美術センター 教育プログラムコーディネーターの中川佳洋さん。

水戸芸は、全国的にも早い時期から教育普及活動やボランティア活動に力を入れた美術館として知られます。その背景には、1990年、主に現代美術を扱う国内2つ目の公立美術館として開館した歴史があります。同館には、当時では珍しく収集よりも企画に重きを置き、しかも展示されるのは「よくわからない」現代美術。「市民の方からは『(イメージしていた)作品がないじゃないか』という声もあり、そのなかで必然的に教育プログラムが求められた」と中川さんは説明します。

現在、同館では多くのプログラムが展開されています。例えば、ボランティアと作品を前に対話しながら鑑賞する「ウィークエンド・ギャラリートーク」、毎月異なる素材とテーマで老若男女がつくることを楽しむ集いの場「造形実験室」、視覚に障害がある人との鑑賞ツアー「session!」、シニア、認知症当事者・家族、ケア施設職員らが交流する「ブリッジカフェ」など。「学校訪問アートプログラム」や、作家の拠点を訪ねる「つくりてくらして」という館外活動もあります。

聞き手の田中真実さん。

「高校生ウィーク」はこうしたプログラムのひとつとして、開館直後の1993年から現在まで続く企画です。もともとこの企画は、ハイティーン向けに発売された1000円の年間パスの販売促進のため、市内の高校生に水戸芸を体験してもらおうと、年に一度、学校別に一週間だけ高校生の鑑賞無料期間を設けるというものでした。

ただ、その後、企画の内容は状況に応じて変化していきます。1994年には無料期間が1か月となり、早くも「ウィーク」ではなくなります。1999年頃に、無料鑑賞だけではなく高校生自身が活動できるプログラムをやってみようと、まだあまり普及していなかったデザインソフトや大判プリンターによるポスター制作をする「広報プロジェクト」を開始。活動するなかで他校生徒や美術館スタッフ、ボランティアとのコミュニケーションが楽しいとの声があがり、その流れから2003年にワークショップルーム内に小さなカフェを設けたところ、お客さんとの交流から参加者の活動も拡大。2004年からは、1か月間、カフェが本格的にオープンすることになります。

高校生ウィークの拡大、2004年に1か月間、ワークショップ室全面にオープンした「ゆうかりカフェ」。

また、2007年には「高校生ウィーク」内の企画として、「部活動」がはじまります。「3人寄ればブカツの提案ができる」をルールに、若者と大人、アーティストらが自主的な部活動を行うもので、「写真部」「書く。部」「聴く部」などが発足しました。2018年には高校生の入場料が無料となり、企画当初の高校生の無料招待期間という役目はなくなりますが、カフェは継続。コロナ禍による2年の休止を挟みつつ、現在は活動を再開しています。

部活動の一例、「写真部」活動の様子。 撮影:根本譲

カフェでは、無料の飲み物のほか、誰かのおすすめの本が並び、音楽がきこえて、来訪者と話したり、展示関連のワークショップに参加することもできます。もちろん、何もしないでボーッと過ごしてもOK。中川さんは2004年の「高校生ウィーク」のチラシにある、「いつもどことなく騒がしい身のまわりの雑音や情報から離れ、(中略)居心地よく過ごせる場所」という一文を取り上げ、「大事にしていることが当時からあまり変わっていない」と語ります。

そんな中川さんが、高校生から大人まで幅広いスタッフがいるカフェを運営するなかで大事にするのが、「まどろみの時間」と呼ぶ、カフェの閉店後の余韻の時間です。「すぐ帰ってもいいし、グダグダといてもいい。この余白の時間が、その人らしさを発揮したり、スタッフが仲良くなる上で重要だと思うんです」と中川さん。そんな時間が失われたコロナ禍を経て、活動を再開した際は、「この場所はお客さんだけでなく、スタッフのための場所でもあるんだと感じました」と振り返りました。

年間1か月だけオープンするカフェをより日常化するために、2022年から、毎月2日間「造形実験室」を開催。こどもから大人まで、みんなで「つくること」を楽しむ。 撮影:山野井咲里

それぞれの人生を生きる一人ひとりと、柔軟に、丁寧な関係を築くことの大切さ

「高校生ウィーク」をはじめとした、水戸芸の一連の教育プログラムは、多くのボランティアによって支えられています。中川さんはこのボランティアという存在について、「いろんな経験や背景をもつ方がいて、かかわる動機も、かかわり方の頻度や濃度も、プログラムの数も人それぞれです。一回離れて、また戻ってくる人もいます。唯一の決まり事は、かかわり方はその人と相談しながら決めるということくらいです」と説明。美術館に多くの人が自主的にかかわる環境をつくる上では、関係の柔軟性が重要であることを示唆しました。

このように、参加者一人ひとりと丁寧で親密な関係を築くことの重要性は、中川さんの話のなかに通奏低音のように流れていました。例えば、田中さんから「活動を長く続ける上で大切にしていることは何か?」ときかれると、「心得というより、単純に高校生やボランティアの方と話すのが楽しい」と中川さん。「こんなにいろんなことを考えている人がいるんだ、その人のなかにこんな考えがあったんだと気づいた」と話し、それは教員と生徒という固定的な関係性になりがちな「教員時代には気づけなかったこと」だと語りました。

先の「まどろみの時間」に代表される、目的のない曖昧な時間を大切にするのも、個人のなかに生まれる小さな動きを大事にしているから。一方、その自由さは予期せぬ出来事を生む可能性もあります。田中さんから「やりたいことをやるのが基本だが、ダメと言う場合もありますか?」と問われると、「ダメとは言わないが、どうかなと思うことはある。でも、それも相談して決めるしかない。一旦離れる人もいるが、そのあとまた戻ってくるかもその人次第」と、あくまで個別性が大事だと話しました。

高校生や地域の大人、アーティスト、美術館の職員などが職能や立場を超えて集まる水戸芸の教育プログラム。中川さんは最後に、「いろんな人とのかかわりがおもしろいのは、ある人生のプロはその人しかいないから。それぞれに生きる一人としてかかわることを、教育プログラムではやりたい」と、あらためて強調。それをきいた田中さんは、「社会的な属性を離れて一人の人としてかかわる場になっている。そうした場は、実は少ないですよね。だからこそ水戸芸のプログラムはこんなに続いているんだと感じました」とまとめました。

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人と活動をつなげる、「かかわりしろ」となる場や時間のあり方とは?(APM#15 後編)