第3回レポート Tokyo Art Research Labコミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京

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2025.05.21

執筆者 : 本多美優

第3回レポート Tokyo Art Research Labコミュニティ・アーカイブ・ミーティング ――能登・仙台・東京の写真

市民の手によって、地域の記録を残し、活用していく「コミュニティ・アーカイブ」。
そのスキルを、 複数の地域や経験を重ね合わせることから、広く共有する場をつくります。 記録を残すことは、出来事の記憶を伝えることにつながっています。とくに各地で頻発する災害の現場では、多くのものが失われる一方で風景や出来事を記録しようとする無数の試みが生まれています。
2024年、能登半島は1月の地震と9月の豪雨で大きな被害を受けました。本プロジェクトでは各地の災害にかかわり、活動を続けてきたメンバーが集まり、能登への応答のなかから、互いのスキルを共有するためのディスカッションを行います。

――プロジェクトメンバーのディスカッションの記録を、レポートとして公開し、繰り返す災害のなかに生きる術としての「コミュニティ・アーカイブ」のありかたを広く共有します。

第2回のミーティングでは、被災地での記録への向き合い方といった現場の人々の抱える課題と、そこで記録されたものをどう保存・活用していくかといったプラットフォーム面の課題の、大きく2つの方向で議論が広がりました。

今回のミーティングではこれらを分科会として分け、前者の課題に焦点を当てて議論を掘り下げます。また、年明けを経て震災から1年が経った能登の現状についても伺います。

2024年2月3日──「記録してほしい」と思うとき、そこに記録者が足りていない

『本町ラジオ』の状況について

珠洲からミーティングに参加した西海一紗さんは、珠洲市にある「本町ステーション」で地元のミニFM『本町ラジオ』をはじめたことと、その状況を報告しました。
ミーティング時点では既に5人分の収録が完了していたものの、なかなかその編集まで手が回っていない状況でした。そこで、東京から能登に対してできることを考える部活、「のと部」を実施している一般社団法人NOOKの瀬尾夏美さん、磯崎未菜さんから、のと部に集まる人々が協力して編集を手伝えるかもしれない、という提案がありました。

“急な喪失”に寄り添う記録が追いついていない

この拠点づくりの活動には、当ミーティングの1回目と2回目にも参加した、せんだいメディアテークの甲斐賢治さんもディレクターとして関わっています。
西海さんは、地元の活動者としての思いやニーズを伝えながら、珠洲に必要なアーカイブ拠点のあり方を考えています。

例えば、現在も西海さんが実施している「出張レコード」は、アーカイブ拠点が出来た際にも継続していきたい活動のひとつです。
この活動では、主に公費解体によって取り壊される家屋に住んでいた住民などから寄せられた要望により、現地に行って映像や音声、写真などによる記録を無償で行っています。

そういった要望を寄せる人々は、公費解体を申請したあと、実際いつ解体が行われるかわからないなかで仮設住宅などに暮らしています。
そして解体の日程が確定し、実際に家屋が取り壊されるまでは、たった2週間程度の期間しかない場合が多いといいます。
そういった状況下で、急に喪失が目の前に突きつけられた人々から『出張レコード』の依頼がある場合は、記録にかけられる期間が非常に短い場合がほとんど。
現状は西海さんを中心に、解体までに時間の余裕がある場合は、遠方からの記録者も招集しながら活動を続けていますが、精神的にもスケジュール的にもなかなか対応が追いついていないのが現状です。

金沢から能登へ──『スズプロ』との連携の可能性

そんな課題の共有を受け、東京から参加したミーティング参加者どうしで、能登半島からも比較的近い金沢周辺の活動者のグループと連携することで、スピーディーに記録に行ける人を増やすことを検討・相談しました。
そこで、声掛けできそうな活動体として、『スズプロ』の名前が挙がりました。

スズプロ(金沢美術工芸大学) Instagramより

スズプロは、金沢美術工芸大学のアートプロジェクトチームとして、学生有志が集まって活動しているグループで、Instagramのアカウントで活動報告が投稿されています。
のと部にも、スズプロで活動したことのあるメンバーが参加しています。そういった繋がりを通して、スズプロに直接連絡してやりとりを行いをしました。そして急遽その1週間後、金沢市内で、スズプロを運営する方々と直接会ってお話できることが決まりました。

2024年2月15日──スズプロとの顔合わせと意見交換+「kari(sou)」視察

2024年2月15日、金沢美術工芸大学内でスズプロに関わる教員の二人、西本耕喜先生(写真右)、高橋治希先生(写真左)とのミーティングを行いました。
まずは、これまでのコミュニティ・アーカイブ・ミーティングで議論してきたことを伝えつつ、声をかけるに至った経緯を共有しました。その上で、スズプロが現在行っている活動や状況についても伺いました。

授業でもあり、活動体として動いてきたスズプロ

もともとスズプロは、2017年に第1回が開催された奥能登国際芸術祭に作品を出品するために、教員と学生のアートプロジェクトチームとして発足しました。
実際に出品した作品のなかでも、珠洲で制作・出展された《奥能登マンダラ》がよく知られています。この作品は、現地リサーチをもとに制作するプロセスを重視した作品で、当時、スズプロの学生たちが金沢と珠洲を行き来し、リサーチ・制作を行いました。
しかし、その《奥能登マンダラ》が展示されていた建物は、2023年5月に発生した能登半島地震による被害で立入禁止となり、スズプロでのアート活動はしばらく休止が続きました。さらに2024年1月の震災も重なり、現地に行けずとも珠洲のために出来ることを模索した結果、現在は金沢での募金活動やグッズ制作、金沢で二次避難をしている被災者の方々とのワークショップなどを行っています。

《奥能登マンダラ》の写真

また、スズプロは大学・大学院の授業として学生の受講が可能で、学生を主体に、一部損壊した《奥能登マンダラ》を修復するための活動や、珠洲から寄せられるデザインやアート分野でのニーズに応えるための活動にも動き出しています。
学生の安全確保のため、スズプロとして現地入りができない期間が長かったものの、現地の状況も鑑み、2025年1月には震災以降初めて、教員引率の安全確保の上で珠洲を訪問しました。

珠洲の記録に応えていくために、どう連携できるか?

スズプロの活動内容や現状について伺った上で、「出張レコード」での記録者不足の課題に対してどう連携できるか議論を行いました。
東京からオンラインでミーティングに参加した磯崎さんは、スズプロの学生たちが「のと部」と一緒に活動していく可能性を提案しました。
現在、東京を拠点に活動している「のと部」の金沢版をつくったり、東京の「のと部」が金沢に出張し、スズプロの学生に記録の仕方を教えたり、現地で一緒にできることを模索する機会をつくったりもできるかもしれません。

さらにその上で、スズプロに関わる学生たちと一緒に珠洲でできること・やりたいことを模索してみるためにも、まずは一度、金沢美術工芸大学内でワークショップや相談会を実施してみるのはどうか、と話題が広がりました。
西本先生・高橋先生も、大学の春休み以降であれば、学生も一緒に何か動き出せる可能性があるといいます。その際には、これまでコミュニティ・アーカイブ・ミーティングに参加した方々も関わり、学生たちと一緒に議論を重ねられると良いかもしれません。

展示『kari(sou)』視察

当日、金沢市内では、前回のミーティングにも参加した新谷健太さんが参加するアートコレクティブ「仮()(かりかっこ)」による展示「kari(sou)」が開催されていました。
そして実は、仮()の新谷さんと楓 大海(かえで ひろみ)さんは、高橋先生の教え子でもあります。

ミーティング終了後、スズプロのお二人に会場を案内いただき、展示「kari(sou)」を視察しました。

赤い暖簾をくぐり展示室内に入ると、部屋一面に広がる大きな地図、そして床に積まれた木材が目に入ります。
地図には大きく「88,100,000kg」という数字。これは、2024年2月時点の珠洲市内の災害廃棄物のうち、木材のみの廃棄重量を示しています。

新谷さんが珠洲市内で運営している『海浜あみだ湯』では、この被災家屋の廃材となる木材を銭湯の燃料として使用しています。
さらに奥へと進むと、地図の裏面には、珠洲市飯田町にある木材の廃棄物置き場の写真が大きく印刷されていました。
巨大な数値と写真で示される、想像するに余りある量の廃材。確実にその「88,100,000kg」の一部でもある、展示室内の木材一つ一つに目を凝らすと、そのすべてが、もともと家屋の柱や梁として能登の人々の生活を支えてきたものであることを突きつけられるようです。

展示室最奥には、銭湯の風呂椅子に腰掛けることで、珠洲の復興に向けた会議が録音された音声など、珠洲で今起こっていることを「浴びる」ように体験できるスペースも用意されていました。

展示「kari(sou)」はすでに終了しましたが、今後、珠洲の「今」を体感的に伝える展示として、別の地域でも開催を計画中です。また、今回の展示に使用した木材は、金沢市内の銭湯が薪として引き取ることになったそうです。

次回のコミュニティ・アーカイブ・ミーティング

今回は、「現地とその周辺でどのような連帯をつくり、どう動くか」に焦点を当て、いくつか場を分けて具体的な議論を行いました。
そして、被災地での急な記録のニーズに対応する方法を探るなかで、金沢の大学生たちとの連携の可能性が見えてきました。
次回、4回目のミーティングでは、このような現場での動きと並行して、データ・アーカイブの面ではどのような取り組みの可能性や課題があるのかを、実践者たちの声を交えて探ります。

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