顔の見える「わたしたち」をつくるには?/ひとりの帰郷者の「おせっかい」から(APM#02 前編)
執筆者 : 杉原環樹
2017.03.14
後半ゲストのひとり、神山つなぐ公社・西村佳哲さん
「公(おおやけ)」といっても、そこに「みんなのもの」という有機的な実感を伴わせるのは、なかなか難しいもの。それぞれの地域で活躍するナビゲーターたちは、場所の抱える課題や可能性を共有する上で、どんな工夫や仕組みづくりを行っているのでしょうか。レポート後半は、徳島県神山町で地方創生のためのプロジェクトを行う一般社団法人「神山つなぐ公社」理事の西村佳哲さん、東京都西部・多摩地域の活性化を金融機関の立場から模索する「多摩信用金庫」の長島剛さんが登場します。ライターの杉原環樹がレポートします。
つづくナビゲーターは、2014年に移住した徳島県神山町で「神山つなぐ公社」を立ち上げた西村佳哲さん。神山町は、2004年に設立されたクリエイティブな街づくりを目指す「NPOグリーンバレー」の活動で知られる地域。西村さんは、はじめそのウェブサイト制作で地域と関わりますが、行政から「地方創生プログラムを一緒に考えてほしい」との要望を受け、「外部コンサルに任せるくらいなら」と参加を決めました。
大人数の協議会形式では、一人ひとりの発話時間が短く十分なプロセスになりません。次の時代を模索したいのなら役付の年長者より、働き盛りや子育て世代の若手でメンバーを構成するべき。西村さんは「働き方研究」による知見を生かして、町役場の若手職員と若手住民等が語り合う、有機的なワーキンググループを形づくります。
「いくらグッドアイデアが生まれても、『誰がそれをやるの?』となることはよくありますよね。このワーキンググループの利点は、発話回数が増えると同時に、プロジェクトを担う『主体』が見つけやすくなること。限られた人数で話し合うことで、あの人はこんなことを言っていたと、誰が何をやりたがっているのかが見えやすくなるんです」
さらに実行主体を明確にするべく「新たに地域公社をつくるとしたら、あなたはそのどれに関わるか?」と問いかけます。3週間の検討期間を経て「役場を辞めてでもやる!」という人も登場。推進組織として2016年春、一般社団法人「神山つなぐ公社」が生まれます。
つなぐ公社では、「まちを将来世代につなぐプロジェクト」として、現在、街の血行を良くする22個のプロジェクトが展開。面白いのが、「まちを将来世代につなぐ」という言葉が一種の枕詞となり、多岐にわたる分野の見通しを良くしていること。「まちを将来世代につなぐ〇〇とは?」と考えることで、存在意義の再考が容易になります。
そんな西村さんが大事にする、つなぐ公社の設計思想があります。ひとつ目は、デザイナーのジェームス・ヤングの言葉「アイデアとは、既にあるものの新しい組み合わせである」。これは、こぐま座をモチーフにした公社のロゴにも現れている考え方です。バラバラの星をつないだ「星座」のように、さきのワーキンググループを通して、まちにいるさまざまなレイヤーの人々の間に、新しい関係を見出すことを目指しています。
次の設計思想は、「今夜冷蔵庫にあるものでなにか美味しいものをつくる主義」。「あれがあったら」「こんな人がいれば」とないものねだりに陥らず、いまその場に居合わせる人や、資源や、つながりからアイデアをつくることが大事だと思う、と語ります。
最後に、「あたらしい公、あたらしい共、あたらしい私を育ててみる」。なぜ、公共という言葉を分けるのか。かつてサンフランシスコ旅行のさい、西村さんは同地の歩道にある街路樹が各家ごとに異なることに気づきます。調べてみると、土地所有をめぐるグランドデザインの違いが発覚。日本では家を一歩出れば公共空間ですが、同地の歩道は個人の敷地の一部で、そこは各家庭が社会に提供している、「公」と「私」の間の「共」領域だったのです。
「日本でこの『共』の領域を担ってきたのは、企業だと思う。結果として人々は、働いているか、あるいはお金を使っている姿が常態化した。その他の『共』領域での振る舞い方はトレーニング出来ていない。神山では、新しい『公・共・私』のあり方を意識したいと思っています」
ほかにも、手を上げない役人や住民も関われるよう、ワーキンググループのメンバー選びを公募では行っていないなど、前編でPO佐藤が提示した「閉じ方をどうするか」という問題に関わるお話も聞けました。身の回りの状況や要素を、単に寄せ集めるのはなく、整理すること。こうしたデザインの感覚が、西村さんの活動には貫かれていると感じます。
3人目に登場した長島剛さんは、多摩信用金庫、通称「たましん」の職員として、東京西部にある多摩地域のネットワークづくりに取り組んできました。しかし、人口も多い多摩地域の何が課題なのか。長島さんはそれを「県庁がないこと」だと言います。
26市3町1村で構成され、約421万人が暮らす多摩地域。「自然環境」「大学・高専」「芸術・文化」「研究開発型企業」の4つが豊かで、長島さんも日常生活で不便を感じることはないと語ります。しかし都道府県レベルの規模を持つ一方、県庁のような、地域に特化したまとめ役は不在。近年では人口や製造業の事業所も減っていると言います。
そんななか長島さんは、「都心」と「地方」という区分からあぶれる、「郊外都市」の課題に向き合ってきました。とはいえ、それをなぜ信用金庫が行うのでしょうか。
「たましんを含め、多くの信用金庫は昭和8年に誕生しました。当時恐慌が起こり、銀行がお金を貸せなくなったため、地元の人々が出資し合い、信用金庫を設立したんです。つまり信用金庫は、地方銀行を含む『地域金融機関』であると同時に、相互扶助のために住民が出資する『協同組織金融機関』でもある。そのため、同じ金融サービスでも利益を優先する銀行とは異なり、地域を支えるコンサル機能が求められるんです」
このユニークな立場を生かし、長島さんが始めた試みのひとつが「広報たまちいき」です。きっかけは、JR中央線の高架化によって、南口は国立市、北口は国分寺市である国立駅で、市の境界線がわからなくなったこと。市境の近くに住む住民は、市を超えた情報を求めていましたが、市役所は自分の街の情報のみを発信していました。
そこで長島さんは、越境的に情報を扱う新聞として「広報たまちいき」を創刊。現在の発行部数は、7万部を超えます。さらに面白いのは、大手新聞社をリタイアした地元で暮らす元新聞記者たちが、記事の執筆を担っていること。時間に余裕ができた元支局長クラスの記者たちに声をかけることで、高い質の記事を掲載できているのです。
またひとつの取り組みが、「創業支援センターTAMA」です。これは、多摩地域での創業者を増やすという課題から生まれた試み。創業者向け説明会などを行ったものの、なかなか成果が上がらなかったとき、長島さんは、地域にじつは多くの中間支援機関が存在することに気がつきます。そこで彼らに呼びかけ、いまでは50個の組織と連携しながら、セミナーや「自治体と支援機関のマッチング会」など創業したい人を支える仕組みを拡げていると言います。
「自分たちだけ何とかしようとするのではなく、芋づる式に人をつなぎ、みんなの気持ちを高めていく。自治体と支援機関のマッチング会では、行政と支援機関の人々を半数ずつ集めていますが、その中で自然と、いつの間にか化学反応が生まれてきました」
ほかにもたましんでは、市役所との人事交流を実施。人を入れ替えることで、行政と信用金庫の双方が何を考えているのか、見えやすくなったと言います。また、東京学芸大学で行われるイベント「青少年のための科学の祭典」に50万円の出資を求められたさいは、5万円を出資する企業を10社集めて、大学と地域企業の接点も作りました。
長島さんのお話で印象的だったのは、その活動が漠然とした善意ではなく、信用金庫としての必然性に基づいていること。作りたい多摩の姿を、こう話してくれました。
「地域でトップのシェアを持つ信用金庫として、何をやるべきか考えたとき、街を豊かにしていくしかないと思ったんです。それは結果的に、我々の会社のためにもなる。そしてこの活動を通して、多摩に『ふるさと』の意識が芽生えたらいいなと思います」
3人のプレゼン後は、参加者同士の意見交換や、イベントを通して気になった言葉を全員で共有するクロージングセッションを実施。普段、それぞれの場所で活動するナビゲーターは、今回、どんなことを感じたのか。イベント終了後の会場でお聞きしました。
長島さんは、西村さんが話した「まちを将来世代につなぐ〜」という枕詞の発想が印象に残った様子。「ばらばらの事業でも、この言葉の仕組みによって、全体の理念が伝わりやすくなるなと。これは僕も、どこかで使わせてもらおうと思いました(笑)」
一方、「こうしたイベントで人が集まった後、実弾をいくつ作れるのかが大事だと思うんです。我々にとっての実弾とは、実際に創業資金を我々から借りてくれること」という冷静なお話も。
「我々のセミナーだと、そういった人は参加者の約40%。多いと感じるかもしれませんが、それは会の終了後、こうした組み合わせをしたらどうかと、提案の連絡を取ってアフターケアしているから。イベント後の一声がすごく重要で、それが人に火をつける。具体的な人の動きによってしか、地域は変わらないと思うんです」
実際のプレイヤーの重要性は、田口さんの口からも。ほかのナビゲーターが人を巻き込み、「公」と「民」からこぼれる「共」の領域を作っているのを聞き、そうした曖昧な領域は「ポンと作れるものではなく、人によって生まれる」と感じたと言います。
「自分は今日のイベントの中では、もっとも公の人間。人の巻き込み方の点で、もっと学ばなければいけないことがあると感じました。城崎はこれまで、一泊二日でカニを食べにいくところという印象の場所だった。でも、それを変えていかないといけない」
イベントの間に、長島さんと「モチベーションはあるけど、目標を実現するノウハウが不足している」と話していたという田口さん。次の課題は、その人たちをいかに「主体」にしていくか。目標を掲げるだけではなく、実際に街を変えるような仕組みをこれからも考えたいと語ります。
そして西村さんが強く感じたのは、「中間支援組織としての求心力の必要性」。たとえば長島さんの活動においても、金融機関であることが、みんながたましんを頼る大きな動機になっていました。「みんながその組織を頼らざるを得ない、そんな求心力となる資源って何だろうか。今日はそんなことを、あらためて考えさせられました」。
また、今回のようにさまざまなプロジェクト、個人が集まる場については、「それぞれのレイヤーで粛々と生きるのは簡単ですが、外に出ることで普段と異なる言葉を話す必要が生まれ、共通の言語が生まれる」と、その混じり合いの重要性を指摘します。
「著名な市民活動家の加藤哲夫さんは『市民の日本語』という本で、役人と市民は同じ日本語でも違う言葉を使っていると書いています。それをすり合わせないと、コミュニケーション自体が成立しない。実際に会って腹を割って話すことで、まるで子どもが新しい言葉を覚えるように、共通の認識が生まれる。そういう場は必要だと思います」
「公をつくる」という、一見抽象的で、大げさにも思えるテーマを設けた今回のイベント。しかし、三人のナビゲーターの活動からは、個人の小さな行動の蓄積が、それまでなかった新しい領域を街に作り出している、という点が見えてきたように思います。
そしてまた、単に場所を設けて人を集めるのではなく、田口さんによる制作者と住民の双方が関わりやすい施設の運営方針や、西村さんによるメンバーの主体化、長島さんによる地域の人的資源の掘り起こしなど、関わる人々の動機に寄り添う仕組みが、その活動を有機的に駆動させていることも、共通していたことだと感じました。
今後も、約半年に1回のペースで開催される「ART POINT MEETING」。さまざまな活動の接触は、どんな新しい動きを作り出していくのか。ぜひ、ご期待ください!
(撮影:冨田了平)