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芸術祭・トリエンナーレを捉え直す(北澤潤×佐藤李青)

2018.10.19

執筆者 : 高木諒一

芸術祭・トリエンナーレを捉え直す(北澤潤×佐藤李青)の写真

レクチャー1「徹底解体!アートプロジェクト」第2回のレポートをお届けします。前回は1990年代を中心にアートプロジェクトには、どのような形式や考え方があるのかをナビゲーターの佐藤李青が紹介しながら、美術家である北澤潤が問題意識や関心に対して分析を交えながら、自らの作品について語りました。途中には質疑応答もあり、参加者とのやりとりも生まれました。

レクチャー1「徹底解体!アートプロジェクト」 第1回レポート

2回目となる今回は2000年代が話題となります。まずは芸術祭・トリエンナーレを以下の3つの視点から取り上げました。

・都市型/地域(地方)型、国際展/芸術祭=政策的な意図
・自治体+公的機関(文化施設など)=複数主体の実行委員会
・地域とボランティア

2000年代に入り、国際展や芸術祭の規模や数が増大していきました。現在では毎年どこかで行われ、大小含めると全貌は把握出来ないほどです。ここでは国際展(都市型:横浜トリエンナーレ、あいちトリエンナーレ)と芸術祭(地域型:大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ、瀬戸内国際芸術祭)という分け方から考えました。

そのような隆盛の背景として、行政の変化・政策的な意図があることを紹介しました。国際展や芸術祭は特定の地域で自治体が主導で動くことが多く、2001年に文化芸術振興基本法という文化に関する基本法が制定されたことを始め、平成の大合併と呼ばれる市町村合併も芸術祭の開催に踏み出すひとつのきっかけとして多いことなど2000年代の文化政策の流れを振り返り、国際展、芸術祭と国、地方自治体の政策の結びつきを見ることができました。

国際展、芸術祭が継続して開催される一方でディレクターや事務局が毎回変わることによる問題意識(プロジェクトの動かし方、経験が引き継がれない)が生まれ、アートプロジェクトの現場でも同様に持続的な体制をどのようにつくっていくかという課題があることが語られました。そこで、実行委員会のコアである事務局をNPO法人化するケースが増えてきました。ただし、法人化し、運営を「プロ化」していくことによって、ボランティアを交えた運営の良さを残していくために工夫が必要になるという話も出ました。

また、そのような体制が生まれた背景には、地域の文化振興、文化を利用したまちづくりなどを目的として公的な予算が投じられるようになったことが挙げられます。申請条件として、複数の主体と連携していること、地域と関わっていることなどが明記されているものもありました。

2009年に始まった「東京アートポイント計画」はアートNPOを軸に多様な主体と連携しながら、地域をベースとした持続的な体制づくりのサポートなどを行っています。こうした「中間支援」の動きが出てくるのも、数々の制度が整っていくことやアートNPOが増えてきたことが背景としてありました。

質疑応答では「運営のプロ化」が議論を呼んだ理由に対して質問がありました。アートプロジェクトにそもそも、多様な人が関わる可能性があるのだとすれば、ボランティアでかかわる人々の働きがあることは、単純に目的を達成するプロセスとは違う現場の良さが生まれているともいえます。プロジェクトを続けていこうとすると専門的で高い技術を持った運営スタッフが必要となっていくのですが、その一方で人の関わりの幅が狭くなってしまい、その現場の良さというものがなくなってしまうのではないかというジレンマがナビゲーターより語られました。

後半のディスカッションでは、アーティストである北澤がプロジェクトを実施、運営する上での「北澤潤八雲事務所」というチームの役割について話がありました。

北澤が「事務所」という体制を取っている理由について、3つの理由をあげました。

1つ目は、意思表明としての「事務所」。事務所と名乗ることは活動の初期から行っているとのことでした。アーティストが社会の中で仕事することが当然であるべきだという態度の表現として「事務所」という名前を使用しているとのことです。

2つ目は、活動を続けていくために必要な体制であったということです。「リビングルーム」や「サンセルフホテル」などはプロジェクトの活動期間に様々な動きがあり、そのような日常的な活動は現場にいなければ記録できない部分があります。初期は北澤が記録やマネジメントも行っていましたが、その後にマネジメントを担う人、写真を撮る人と共にプロジェクトをつくっていくようになりました。事務所という体制は活動を続け、日常化していくための選択でした。

そこからつながる3つ目として、記録等も含め、すべてを1人でやっていると北澤潤という存在が日々の活動に近すぎることで、プロジェクトの核となる「問いかけをする存在」でなくなってしまうという問題が起こってしまうということでした。役割分担として、アーティストでいるために「八雲事務所」が必要であったということが話されました。

また、一緒にプロジェクトを進める相手側の事務局やスタッフとの関係も話題に上がりました。「サンセルフホテル」での取手アートプロジェクトとの場合では、アーティストのプランに対して「どのように実現していくか」ということだけではなく、事務局が同じ仕掛ける側の立場に立ち、プロジェクトの最初から最後まで議論し続けたことが重要な経験であったと北澤は話しました。またプロジェクトの運営では、マネジメントや広報など機能ごとに役割を分担していく方法もあるが、例えば「チラシを地域にどのように配るか」といった議論を共にすることは、社会の中で新しい状況を作る時にアートプロジェクトにとって重要な時間ではないかということが話されました。

最後に今回のレクチャーで、私、レポーターの高木が疑問・関心を抱いた部分は海外における国際展、芸術祭、アートプロジェクトの状況です。日本の国際展、芸術祭、アートプロジェクトの体制や仕組みについて知る中で、おそらく起こるであろう同様の問題に対しての工夫や解決を海外の事例から見られるのではと思ったからです。レクチャーの後に、まず調べる足がかりとしたのは2013年に文化庁の委託により株式会社野村総合研究所が行った「諸外国の現代美術に関する状況等に係る調査研究」です。この調査では、国際美術展、アートフェア、アジアの諸地域の現代美術の支援制度や状況、現代美術の作家・キュレーターの状況などについて調査を行っており、国際展については15の事例を選出し、以下の8つの項目について調査をまとめています。

《世界の代表的な現代美術の国際美術展》
1)ヴェネチア・ビエンナーレ(Venice Biennial)、イタリア
2)ドクメンタ(documenta)、ドイツ
3)ミュンスター彫刻プロジェクト(Skulptur Projekte Münster)、ドイツ
4)リヨン・ビエンナーレ(Biennale de Lyon)、フランス
5)イスタンブール・ビエンナーレ(Istanbul Biennial)、トルコ
6)サンパウロ・ビエンナーレ(Bienal Internacional de Artes de São Paulo)、ブラジル
7)シャルジャ・ビエンナーレ(Sharjah Biennial)、UAE

《アジアの代表的な現代美術の国際美術展》
8)シドニー・ビエンナーレ(Biennale of Sydney)、オーストラリア
9)アジア・パシフィック・トリエンナーレ(APT)、オーストラリア
10)上海ビエンナーレ(Shanghai Biennale)、中国
11)台北ビエンナーレ(Taipei Biennial)、台湾
12)アジアン・アート・ビエンナーレ(Asian Art Biennial)、台湾
13)光州ビエンナーレ(Gwangju Biennale)、韓国
14)釜山ビエンナーレ(Busan Biennale)、韓国
15)シンガポール・ビエンナーレ(Singapore Biennale)、シンガポール

調査項目
・基本情報(開始時期、開催回数、実施頻度、開催都市、主な会場、会期、等)
・沿革
・主な会場の詳細
・運営方法
・入場料
・来場者数
・キュレーター
・参加作家

このようなデータを参照し、例えば、ヨコハマトリエンナーレを同じアジア圏で2000年にはじまった「上海ビエンナーレ」と比較しながら、それぞれの課題や問題点、回を重ねることの変化などを見ることができます。また、予算の割合、参加アーティスト・ボランティアの規模、運営スタッフの数などの運営体制、開始された背景など、第2回のレクチャーを通して得た項目について、この調査も使いながら、自分なりに情報を更新していきたいと思いました。

(執筆:高木諒一/写真:CULTURE

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