フィクションの部 DAY5〜6「撮影後半」
執筆者 : 阿部航太
2022.03.18
2021/9/3 19:00-21:00 オンライン
「ドキュメンタリーの部」には9/3-5に開催するA期と、9/17-19に開催するB期、ふたつの期間を設けた。計17名のメンバーはふたつに分かれ、それぞれ同じ3日間のプログラムに参加する。
今回のレポートでは、まずA期の様子をお伝えする。
「ドキュメンタリーの部」では、ドキュメンタリー作品を制作しながら、それぞれの視点で“まち”をリサーチしていく。その過程で生まれたコミュニケーション、表現、エピソードを拾い上げて、後に制作していくフィクションの映画のヒントにしていこうという狙いだ。3日間という短い期間ではあるが、そのなかでメンバーたちの視点から見えてくるまちの姿とは、いったいどういうものなのか?そんな期待のなか、DAY1が始まる。
DAY1はオンラインによる2時間のプログラムで、メインとなるのは「3枚の写真で自己紹介」だ。
メンバーには当日までに、「過去」「現在」「未来」を表す写真をそれぞれ1点ずつ提出してもらい、それを軸に自己紹介をしてもらった。“映画をつくる”という全体のゴールに向け、視覚的な表現の練習でもある。ここでメンバーの紹介も兼ねて、それぞれの3枚の写真を紹介する。(下記写真は左から「過去」「現在」「未来」の順)
台湾の台北市で生まれ育ち、大学で映画製作を専攻。2016年に来日し、都内の大学院での研究生(映画専攻)を経て、現在は訪日・在日外国人向けメディアの編集者として活動している。今回のプロジェクトでは初めて監督をつとめる。
ベルギーで22歳まですごした後、ニューヨークを経て2018年に日本へ移住。東京でエンジニアとして働くなかで、クリエイティブな活動を求めて今回の参加を決めた。
香港で生まれ、2歳のときに家族で日本に移住。現在は横浜で家族とともに暮らしている。大学では映像学科に所属しており、このプロジェクトを通して自身の住んでいるまち、生まれた香港について考えたいと思っている。
ポーランドで生まれた後、幼少期からスペイン、オーストラリア、スウェーデン、メキシコなど様々な国で過ごした。その中で2年ほど名古屋で過ごしたこともある。現在は大学院で建築を専攻し、主にパブリックスペースについて関心を持っている。
出身は中国の北京で、そこでデジタルアートを学んだ。2020年12月に東京の大学院でデジタルメディアアートを学ぶために来日。旅行、そして受験のため過去に2回ほど日本には来ているが、長期的な滞在は今回が初めてとなる。
台湾の台中市で生まれ育ち、大学で映像制作を学ぶ。2019年に来日し、都内の専門学校にて音響を学び、現在は自動車などの音響に関わるサウンドエンジニアとして働いている。
中国の四川出身で、大学卒業後に上海、北京などでのインターンシップを経験。しかし、当時自身が志していたものに疑問を抱き、日本の大学で映像を学びたいと考え2020年12月に来日。
韓国の釜山で生まれ、9歳のときに家族とともに日本に移住。現在は都内の大学で油絵を学んでいるが、制作の際に自身の経験だけで描くことに難しさを感じ、より多様な人々との関わりを求めて参加。
メンバーの写真をもとにした自己紹介を聞いていると、多様さはメンバーのナショナリティとして現れているわけではなく、それぞれの今まで生きてきた経路にこそ現れていると感じる。また本プロジェクトに関することでいえば、メンバーと東京(日本)との関係性も本当に様々だ。過ごしてきた期間が20年以上の人もいれば、たった半年ほどの人もいる。東京が住む場所となった理由も、自分で選択した人もいれば、家族の都合で決まった人もいる。プロジェクトを企画するひとりとして、様々な境遇の人々がいることは頭では理解していたつもりだったが、このような具体的なエピソードに触れると、今までのイメージがいかに曖昧なものであったかを認識できるようになる。
自己紹介のあとは、3人1組のグループに別れてディスカッションを行い、もう少し踏み込んで互いのことを知っていくことを試みた。
この2つのテーマをきっかけに、メンバーそれぞれにとっての東京のイメージや、東京との関係性についても語られた。
コンスタンチャア「東京はパズルみたい。違うまちが色々あってそれでできている。夜に六本木、渋谷、新宿、文京区と自転車で走っていると、“ここから違うまちだ”と思う瞬間がある。離れることになったら、私はそれをもう一度やりたいかな。」
ヒョンジン「隅田川かな。なにかあったら隅田川に行く。」
ショウ「日本は帰るところでも、行くところでもなくて、戻るところという感じ。故郷というより“拠点”。香港は“ルーツという情報が入っている場所”。」
テイ「山手線が東京のイメージ。例えば飛行機で羽田について、京成線に乗ってもまだ感じない。山手線に乗り換えた時に、東京に来たなって感じる。逆に台湾だと原付バイク。あれに乗ると台湾に来たと感じる。」
3つ目のテーマは、それぞれのルーツについて考えるもの。自身がどう感じているか、また日本においてそれらはどのように扱われていると感じるのか。
パイ「就職活動したとき、スーツ着なきゃいけないのを知らなくて普通のシャツで行って。そのときは恥ずかしかったです。」
アントン「ベルギーでは色々な言語、地域があるから、はっきりしたベルギーのイメージがない。」
トシキ「来たばかりのときは緊張して日本語が出なくて。だからノートに絵を描いて説明したり、ボディランゲージに頼ってたけど、今では結局それが一番だと思ってる。」
ヒョンジン「言葉が伝わらないからこそ、より人と人という感じになりますよね。」
チョウ「作品の講評で先生に中国人っぽいと言われた。でもそれはポジティブに捉えている。」
ショウ「選挙権がもらえないと知った時、自分が中国人だと感じた。だから中国人というのがネガティヴなイメージになっちゃってる。」
コンスタンチャア「ポーランド人というより外国人だとよく思う。」
オンラインではありながら、濃厚な2時間を過ごしたメンバーたち。アートプロジェクトという特殊な環境下だからこそではあるが、初めて出会った相手といきなり互いのアイデンティティについて言葉を交わす時間となった。全体を通して興味深かったのは、「それわかる!」という共感の言葉よりも、「そうなんだ!」という驚きの言葉の方が圧倒的に多かったことだ。「海外にルーツを持つ」という共通点より、それぞれに「異なるルーツを持つ」という差異の方がディスカッションを進めるうえでの軸になっていたように思える。これは各メンバーの今までの経験が多様であることの結果と言えるのか……いや、もしかしたら、まだ互いを探っている段階で、共感に至っていないだけかもしれない。それでも私にとって、それぞれの言葉には、私の捉える東京、日本とは異なる姿があった。私がこのディスカッションのテーマを与えられたとしたら、どんなことを何を話すのだろう。特にQ3について、私が話せることがあるだろうか。意識もせず、考える機会もなく東京で暮らしている自分のことを、メンバーたちの会話を通して考えてみる。
DAY1を終えて、プロジェクトはDAY2に進む。次はいよいよ対面で出会い、そしてまちへ出て行く。
執筆:阿部航太(プロデューサー、記録)
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