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アートを通じて社会とかかわるには?(帆足亜紀×菊池宏子×若林朋子)

2017.01.24

『幸せな現場づくり』のための研究会」の研究会メンバーによる対談を全7回でお届けします。アートプロジェクトの未来を切り開く「働き方」とは? 第1回は、アートの現場で生まれている「もやもや」を社会的背景から整理し、メンバーそれぞれの具体的なエピソードも交えて「社会と関わる」ことについて議論しました。

対談メンバー

帆足亜紀さん(アート・コーディネーター/横浜トリエンナーレ組織委員会事務局プロジェクト・マネージャー)
菊池宏子さん(コミュニティデザイナー/アーティスト/米国・日本クリエィティブ・エコロジー代表)
若林朋子さん(プロジェクト・コーディネーター、プランナー)

「働き方」について考える

帆足:現代アートの現場を取り巻く環境は、この15年ほどの間に大きく変化しました。1980年代は美術館の設立ラッシュがあり、90年代はそれに対してソフトの充実を図るためにアートマネジメント講座が開設され、全国に広がりました。90年代半ば以降はアーティスト・イン・レジデンスに取り組む自治体が出てきます。2000年代になると、地域に根ざしたアートNPOの活動が各地で盛んになり、国際展や芸術祭も台頭してきました。アートの世界で仕事をする人の数が急速に増えるとともに、職域や職能が多様化したと言えます。

その一方で、設置の根拠となる制度が確立している美術館などを除くと、芸術祭やフェスティバルを運営する実行委員会や、アートNPOなどは組織基盤がまだ弱く、雇用の長期ビジョンや労働環境が整っていません。やることはどんどん膨らんでいるものの、そこにいる人の「働き方」についての議論は、置き去りにされているなと感じます。

若林:働き方について話すと、私は10年ほど前から、アート業界の「R25問題」「R30問題」を感じてきました。R25、R30というのは、その頃創刊されたフリーペーパーに因んで名付けたのですが、アートにおけるキャリア形成の課題を表しています。 「アートが好き。何があってもがんばります!」とこの業界に入り、寝食忘れて働く。お給料は安いし社会保障もないけれど、やりがいがあるからとにかくがんばる。でも数年たつと燃え尽き症候群のように、突如心がポキっと折れてしまったり、体を壊したり。これが25歳頃に起きるR25問題です。
30歳?30代半ばになると、今度は結婚、出産、育児、パートナーの転勤、親の介護など、人生のイベントが次々と起きて、他の業界で働く同世代との様々な差も明らかになってくる。「自分は本当にこの労働環境でこれからもやっていけるのだろうか?」と将来を案じて、アートの世界から離れていってしまう。これがR30問題です。

こうした問題を抱えた同世代や後輩をたくさん見てきました。 しかし、若い世代の過重労働や雇用環境のことは、これまでほとんど議論されてきませんでした。何年もかけて育てた人材が現場を去るのは、本人も残念でしょうし、雇用側にとっても、投じたお金と時間が損なわれるということ。アート業界は、ずっともったいないことをしているように思います。

菊池:私は、日本での就労経験がほぼないまま2011年に帰国した頃、「日本のアート業界のみんなはよく働くな?!」と感心していました。ただ、女性の働く場という視点で考えると、非常に厳しい。芸術祭が開催されるごとに全国各地を飛び回る「渡り鳥」的な働き方のフリーランスの人が多く、自腹を切ってアーティストのサポートをしたり、貧困レベルの所得の方もいるのが実情です。それでは、人が育たないし、アート業界から人も離れ、ノウハウの蓄積や共有ができず、継続性が生まれません。

若林:期限を設けて雇う「有期雇用」は、アートの世界でも確実に増えたと思います。特に、2003年に「指定管理者制度」が導入されてからは顕著ですが、指定管理団体に限らない傾向です。 雇用や労働というテーマは厚生労働省の管轄ということもあって、文部科学省(以下、文科省)や文化庁では積極的に議論されてこなかったという話もありますが、もはやそうも言っていられません。雇用や労働問題は政府の重点課題ですし、「人財=人こそ財産である」という考え方が定着しつつありますから。

帆足:本来、数年働いて別の現場に移動する場合、キャリアが広がるという考え方もできるはずなのですが、有期雇用やフリーランスの立場では、プロジェクトの部分を担うことがあっても、予算を任されたり、一定の権限を持つようになったりと、全体に関わるチャンスがなかなかありません。さらに「現場を回す都合のいい人」になってしまう危険性も孕んでおり、文化政策などを学び経験を重ねていくなかで、事業推進や業務改善などの逆提案ができる「キャリア形成」を可能にすることが重要だと思います。

若林:働きやすい業界じゃないと、外から新しい人材が入ってこないですよね。組織経営や広報、マーケティング、会計などの専門職や、食や観光、福祉など他分野からの人材の流入がないと、社会の期待に応える革新的な動きにつながらず、業界もどんどん痩せ細ってしまいます。

帆足:現代アートにかかわる仕事、あるいはコーディネーター的な仕事の社会的地位が確立できていないという問題もありますよね。現場の人たちが普通に生活して、投票や納税など社会人としての務めを果たすことで、周りの人も安心して一緒に働くことができますが、生活者としての基本的なことがままならず「好きでやってるんでしょ?」と趣味のように見なされてしまうと、対等な関係性は築きにくい。どんな仕事を何のためにやっているのか、一緒に働く人たちにも理解してもらわないと、いいパートナーシップは結べません。

若林:対等なパートナーシップを結ぶって、なかなか難しいですよね。業界的に助成金や協賛金に頼っている部分が大きいので、お金が介在すると対等になりにくいのが実情です。 また、助成金も、事業費のみが対象で人件費が含まれていない設計が未だに多いですね。芸術団体は、複数の収入構造をつくるなど、安定した経営基盤の確保が急務です。そして助成する側も、事業費の助成だけで自分たちが思い描く目標が本当に達成可能なのか、いま一度考える必要があると思います。

帆足:私が関わっている『横浜トリエンナーレ(以下、横トリ)』をはじめ、多くの芸術祭では、運営するチームのほとんどが契約社員や外部委託だという現実があります。求める仕事は高度で専門性が求められますが、それに見合う保障や研修制度などが整っているわけではありません。

一方、誰もがそうであるように、仕事のスキルというのは、経験を積みながら、身につけていくものです。最初から相応の報酬をもらえるほどのスキルが身についているわけではなく、経験を重ねていくなかでスキルアップしていきます。アーティストは何十年かけて確固たるものを獲得していくわけですが、それに付き合い、アーティストと社会とつなぐ立場の人も忍耐強く様々な経験を積んでいかなければなりません。その忍耐の先に、健全なキャリア形成が図れるようにすることで人が育ち、最終的に社会に届ける文化の質が向上していくことにつながると思います。

身体知を「見える化」する

若林:私は、2013年に個人で仕事を始める時に、世の中に不足していると感じていた「物事の調整役=コーディネーター」として働こうと考えました。仕事の領域はアートに限らないので、アートコーディネーターとは言わず、「プロジェクトコーディネーター」と名乗っています。

菊池:私は、コミュニティ・デザイナーやエデュケーター、コーディネーターなど、「関係性やコミュニケーションのプロセスを考える役割」を名乗ることが多のですが、その根底には、自分は「アーティスト」だという思いがあります。  現代美術家であるヨーゼフ・ボイスの提唱した「社会彫刻」の概念に影響を受けていて、何かを直接的につくるだけでなく、自分自信をインスティテューション(組織、社会制度)であると捉え、教育やコミュニティづくり、人材・ボランティア育成に関わることもアートの一環だと考えています。

例えばアメリカの美術教育は、アーティスト・ステイトメントひとつとっても、「何のためにアートをやるのか?」「アーティストの役割は?」「社会にはどんなアートが必要か?」ということについて、とことん問われます。それに対して、すぐに答えを出すのではなく、その時しかない考えや感情を表現する機会がたくさんありました。そういった教育を受けてきた者として、誇りを持ってアーティストであることを名乗りたい、そしてアーティストがちゃんと社会に寄与できることを証明したいという思いがあります。

帆足:私は、自分の職業を「アートコーディネーター」と名乗っています。キュレーターを中心とする企画・展示・教育普及に関わる人々を「つくる人」だとすると、つくられた展覧会やプログラムを「届ける人」です。 届ける仕事を機能で説明すると、事業を実現するために必要な経理や総務、広報・PR、渉外、記録、ボランティア運営などを指します。なので、行政や企業、地域などのステークホルダー(利害関係者)から、アーティストやコレクター、批評家、ボランティア、観客など多様な人々と接するのが特徴です。だから、いつも板挟み(笑)。

アーティストという「いまはまだこの世にないものをつくる」という未来志向の時間軸をもち、個人として行動する自由な立場の人と仕事するにも関わらず、私が普段仕事で関わっている行政を始めとする多くのステークホルダーは、その外側にさらにステークホルダーがいる組織でもあるので、確実性を高めるために過去の実績を重んじる傾向にあります。アートに関わる者としては、まだ見ぬ未来を見たいと思う。

しかし、「届ける」仕事は、過去を重んじながら、いますべきことは何かと考える「現在志向の存在」なのだと思います。 新しいことをしようとすると、既存の制度が追いつかないことがあります。特に、公的資金を使う場合は、予算は議会の承認を得る必要があり、制度や規定に沿って適正な手続きをするために大勢の人が動いています。そこには、自ずと説明責任が伴う。そこで、私たちコーディネーターは、間に入って「双方の言語やシステムを理解してつなぐ」という役割があります。バイリンガル、トリリンガルになる必要があるし、共通言語を生み出す必要もあります。

菊池:確かに、共通言語は必要ですよね。異なる言語を使っていることに気づかず説明不足が生じて、「そもそも何を話していたのか、何を質問していいのかわからない……」と思わせてしまうことが多分にあるなと思います。 また、共有する時間を持つことも大切です。共通言語を育むためにも、こまめに互いの言動を確認する習慣や、相手の意図を想像する力が必要だと思います。

帆足:いま私たちに必要なのは、「自分たちの仕事を見える化する」ことだと思います。各地でアートプロジェクトが増加するなか、各現場で蓄積されてきた技術を共有することでもう少し働きやすくなるのではないかと感じているからです。 横トリでは、会期後に公式の決裁文書とは別に、担当者レベルの「引き継ぎ書」を残す努力をするのも、行政やアーティストとのやりとりなどで「知っていれば助かる些細なこと」を共有したいという思いがあるからです。

近年、数十万、数百万円規模だったアートプロジェクトだけではなく、数千、あるいは億単位の芸術祭も行われるようになり、説得する人数も格段に増え、意思決定プロセスの複雑さやそこにかかる時間だけではなく、決定論理や根拠の違いから現場レベルでズレが生じる状況を目の当たりにしています。行政だけでなく、協賛企業や商店街などルールの違う他者と仕事をするためには翻訳が必要となります。翻訳とは、異なるルールをつなぐ手順なのですが、それが確立されていないと「ルールを知らない」ということが、「仕事ができない」と誤訳されてしまうもどかしさがあります。 私たちが「現場」という言葉を使う時、ついアーティストを中心に据えた現場を想像しがちなのですが、私たちと同様に役所の人やその他大勢の関係者も、みんなそれぞれの事情と説明責任が発生する現場を持っているんですよね。私たちが「現場で培った身体知を見える化する」ことで共通認識が生まれ、互いにリスペクトをして仕事ができるきっかけになるのではないかと思っています。

若林:リスペクトするには、想像力が大事でしょうか。例えば、自分が何かを頼むことで、相手にどういった作業が発生する可能性があって、それにはどれくらいの時間がかかるのか、相手は今どういう状況にあるのかなど、「他者と対話するための想像力」をできるだけ持ちたいですね。

時間をかけて関係性を育む

帆足:この15年ほどの間に、現代アートを扱う(国際)芸術祭が増えて、10万人単位の来場者数を目標に据えています。つまり、現代アートに親しみのない人も含めて、大勢の人々と関わらなければなりません。その時に学ぶ必要があるのは、やっぱり「社会」についてなんです。大きな予算を適正に配分する経営感覚やPR、国や自治体、企業、コミュニティとの関わりなど、あらゆる対象と渡り合う技術が求められています。また、ステークホルダーの幅も広がります。

例えば横トリは、来てくれた人をカウントする時は「来場者(visitors)」という言葉を使いますが、展覧会の体験を測る上では「鑑賞者(audience)」と呼びます。でも、別の角度からみると「参加者(participant)」や「施設利用者(user)」とも捉えられます。 来場者あるいは鑑賞者は、チケットを売る相手にもなり、マーケティングの対象にもなるんですよね。そのため、どういう人が実際に足を運ぶのか、あるいは誰が潜在的に展覧会に来るのかを見定め、今後どんなチャネルで販売すればいいのかを考える対象になるわけです。一方で、サポーター(ボランティア)の人たちはステークホルダーとして捉えるほうがよく、参加者に近い存在です。さらにサポーター以外にもまちで応援してくれる方々がいて、この人たちはどう定義するといいのだろう、というようなことを考えています。

若林:なるほど。そういった社会の多様な関係者の、利害の「利」の部分を考えていくことこそ、いい関わりをつくることになりますよね。そのためには、どれだけ自分の視点を広く社会に向けることができるかだと思います。 アートは公共性があるからこそ、税金を使うことができていて、法律や会計、労務など様々な社会制度との関わりが発生する。「誰のために」「何のために」という部分を自覚することで、アートに関わる時のふるまいも変わってくるように思います。

菊池:先ほど帆足さんがお話しされた「参加」に関して話すと、そこには、傍観する人から巻き込まれて深く関わる人まで、様々な関わり方の濃度がありますよね。そこには、「オーディエンスディベロップメント(audience development)」と「コミュニティエンゲージメント(community engagement)という考え方があり、前者は、短期的なマーケティング戦略などに、後者は、長期的なコミュニティ・組織開発の際に使われるものです。

エンゲージメントは、まだ日本語にうまく翻訳されていないのですが、哲学者のジャン=ポール・サルトルが提唱した「アンガージュマン」に近いと捉えています。単に「参加」や「関わり」という意味だけではなく、自ら選択し、行動するという「現実そのものに関わっていく生き方」とも言えます。それを一人一人と築き上げていくには、とても時間がかかります。 文化という言葉について考えると、もとは「耕す」を意味するラテン語のcolereが語源で、cultivate(耕す)やagriculture(農業)にも派生しています。この言葉の持つイメージは、大地に根ざしていて、時間をかけて持続していく文化の存在と重なります。「時間をかけて関係性を育む」ということを、大事にしていきたいですね。

帆足:いまは、プロジェクトの短期的な成果ばかりが注目され、文化が飾り物のように消費されているように感じます。例えば、行政の単年度予算が、その原因のひとつと考えられます。アートの営みは教育と同じで、1年で成果が見えてくるものではありませんし、予算作成時と実践される時期、成果が現れる時期とで、それぞれ社会状況が変わっていることもあります。 でも、文化庁ができたのが1968年なので、まだ設立から50年も経ってないんですよね。そう考えると、文化というものが制度的な側面でまだ整備段階にあるのかもしれません。 いま、私たちのように現場に関わっている者が、制度と実践との間を丁寧に把握することで、それこそ「文化」をつくっていくという意識に具体的なアクションが伴うようになるのではないかと思います。

対談日:2015年7月28日

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