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お金をコミュニケーションツールにするには?(若林朋子×山内真理)

2017.01.24

対談メンバー

若林朋子さん(プロジェクト・コーディネーター、プランナー)
山内真理(公認会計士・税理士/Arts and Law代表理事)

予算書で近未来の設計図を描く

若林:私は、『公益社団法人 企業メセナ協議会(以下、メセ協)』で助成事業の担当をしていた頃、多い時で年間数100本の助成申請書を読みました。助成金制度というのは、助成する側にも達成したい目標や政策があります。それに対して、自分たちの企画をいかに誠実に、魅力的に申請書でプレゼンテーションできるかだと、大量の申請書を読みながら実感しました。同時に、企画内容だけでなく、予算書や決算書といったお金に関係する書類もまた、自分たちが何者なのかを伝え、「信頼」を獲得するための重要なツールだと感じました。

山内:申請書とセットで提出する決算書や予算書は、文脈を共有していない人を含む外部への「コミュニケーションツール」だと思います。決算書は一定のルールに基づいて組織や事業の実態を反映するものであり、過去の投資と成果、経営基盤や、現在置かれている状況などが見て取れるものです。また、予算書は言わば貨幣的に表現した近未来の設計図であり、目的に沿って活動を実現させていくための行動計画が表現されます。

若林:「予算書は、近未来の設計図」。重みのある言葉ですね。でも、それほど大事なことでありながら、アート業界では、お金のことはあまり表だって話されていないと感じます。「こんなことがやりたい」と企画を起点にプロジェクトが始まるのはごく自然なことですが、予算や報酬・収支見込みについても同時に話していく慣習があまりないというか。例え非営利活動であっても、お金のことを話さないというのは、企業などから見ると相当不思議なことだと思います。

山内:企画と予算は、表現や事業を実現させるためのものなので、本来は切っても切れないものです。収支予算書があることで、企画が絵に描いた餅にならないように現実的にシミュレートできるわけです。ただ、事業費や管理費といった活動費は成果を生むための投資なので、本来は長期的な視野に立って考えるべきものです。単に一企画の収支を計画するだけでは、そういった思考は持ちにくい。長期的なビジョンに立って必要な投資を予算組みしているのかなど、組織によって予算の作成状況は様々ですが、予算書を見れば、事業の遂行能力や経営管理能力などをある程度推し量ることができます。

また、決算書からもいろいろなことがわかります。例えば、貸借対照表からは、外部資金への依存度や資金運用の在り方、過去の成果の累積など、活動基盤につながる要素を見て取ることができます。また、収支計算書の全体的な構造から持続可能性や社会的波及力などを推し量ることも可能です。

若林:確かに、収支計算書を見ると、経営的な体力や組織力、資金の調達手段、社会的インパクトまで推測できますね。外部の人間だけでなく、内部の職員も、自分の組織の実態を把握することができるということ。自分が担当する事業だけではなく、組織や業界の「大きなお金の流れ」を感じながら働くことは、とても大事なことだと思います。

しっかりしたお金の流れをつくるためにも、まずは個々の事業や組織、各人がお金のことにきちんと向き合い、持続可能な経営をしていく必要がありますね。アート業界では、常に資金不足や予算削減の問題が言われますが、普段からお金の話を大事にしない限り、お金のほうから寄ってきてくれることはないと思います。

山内:会計は、それだけを単独で学んでもあまりピンとこない性質のものかもしれませんが、経営の一部であると考えると事業での活かし方がだんだん分かってきます。数字を使いこなす能力が身に付くと、様々な場面で役立つんです。

予算作成においては、成果を生むための計画を立てる、という視点に立つことが大切ですが、そのために必要なコストは事業費だけでなく管理費をも漏れなく積算することが大切です。予算化されなかったコストは、見えないコストとなって組織を苦しめます。とかく自己犠牲的な貢献を強いるような文化・慣習がある組織で、人にまつわる貢献が定量的に可視化されない場合には、組織がどんどん疲弊していずれ立ち行かなくなる時がやってきます。人によって成果を生みたいのであれば、「人に投資する覚悟」が必要であり、そのための第一歩が「貢献の見える化」だと思います。

非営利事業体にとって利益追求は目的ではありませんが、黒字であることは事業が継続するための最低要件。補助金に頼った経営では補助金が予算制約として働く場面が多いように思いますが、必要なことは多様な方法で価値創出をして資金を獲得し、きちんと貢献に見合った分配をするということです。このように、組織が意味のある活動を続けていくための指針を「管理会計」は提供してくれます。

若林:予算化されず、収支の調整に使われてしまったり、なかったことにされがちな「人的な貢献」の問題は大きいです。これを定量的に可視化するというのは、本当に大事なことです。 プログラム自体の価値創出と会計や経営面の連動を、もっと意識することが必要ですね。

山内:国内のアート業界が成熟したマーケットでないこともあると思いますが、事業を設計する立場においても、市場感覚の薄さを感じる時があります。もちろんチケットが売れることだけが成功ではありませんが、魅力的なプログラムを届けるという立場においては、対価を払ってまで参加したいと思う人がどれだけいるのかという現実は、シビアに向き合うべきテーマだと思います。いくら多様性を重要視する世界であってもです。

若林:消費者でもあるお客さんにとっては、営利と非営利の違いや、大衆志向か否かではなく、「対価を払う魅力を感じるかどうか」でチケットを買うか判断しますからね。判断基準は個人によって異なりますが、購入の瞬間はみなシビア。実際に参加した後には、さらにシビアな判断が待っている(笑)。

そうした判断に対する感覚は、アートに浸かりきっていない参加者のほうが、もしかすると鋭く敏感かもしれません。

山内:価格は、どのような人にどのように来て、体験してもらいたいか、という目的に沿って設計されるべきものですし、安ければよしというものではありません。マーケットは、どんな人が、どのような部分に、どれだけの価値を感じているかの反応がそのまま数字に表れる、非常に正直な場所だと思います。魅力的なプログラムであっても、それが届くべき人に届かないとなると、さらに届け方に工夫が必要だと思います。

このような分析を通して、参加する人が体験できる価値を高めるために、より課題を客観的、多角的に捉えていく。改善策や次の戦略を思考するためのヒントは、こうしたふりかえりから得られることがあると思います。

若林:現在行われている「評価」は事業内容に対するふりかえりが多く、収支の検証は少ないです。もちろん外部監査では会計面のチェックも入りますが、内部の当事者による会計面の細やかな検証はあまりなされていないと感じます。

会計面を分析すると、思いがけないことも見えてきます。例えば、人件費を時給単価に換算すると、いったいどの程度の水準で労働しているのかが明らかになります。それを計算するための労働時間が把握できていなければ、労働環境の問題や現場の疲弊が推察できる。「時給換算したら、私たちの労働は100円にもならない」というような話は、半分自虐ネタ的に耳にすることがありますが、そうした「自己犠牲的な貢献を強いていること」に起因する様々な問題を、会計面から内部検証できたら、持続可能性を高めることができるはずです。

また、収支が1円の単位までぴったり合っている決算書を求める慣習も、不思議に思います。辻褄合わせで、きっとどこかにしわ寄せがいっているのではないでしょうか。

山内:人件費は、組織マネジメントにも関わってきますよね。より多く貢献してくれた人にしっかり対価をフィードバックすることができれば、仕事の権限を与え、責任も負ってもらう組織体制につながります。

誰が、どこで、何をしていて、それが組織にどんな影響を与えているか把握することで、適切な予算配分が可能です。報酬には非金銭的なものもありますが、基本的には貢献度や、役割に則した状態をきちんと設計することが健全だと思っています。

表現の場を獲得する手段としての資金調達

山内:組織の収入構造からは、事業が誰に愛されているかが見て取れます。例えば地域内で事業収入を得つつ、一般の人からも寄付を多く集めている事業は、対価を払って直接価値を享受している人以外にも、プログラムの必要性や、当事者意識を持って関わってくれている人が多くいるという指標になります。

一つ例を出すと『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』の収入構造は、助成金や国庫からの補助金、企業や一般からの協賛金や寄付金などがありますが、パスポート・鑑賞券収入が全体に占める割合がそれなりに大きな額になっています。実感としても、観光を兼ねた高齢者のツアーも多く見られ一般の人にひらかれている感じがして、それが数字にも表れていると思います。このプログラムは誰のためのものか? という問いに対する姿勢のようなものもまた、数字が物語ることの一つなのかもしれません。

若林:確かに「寄付」は、活動内容や寄付相手への共感から生まれる行為ですものね。寄付者の属性を分析すると、愛される理由が見えてきますね。玄人好みなのか、広く一般に共感を集める「愛されキャラ」なのかなど。
ところで、なぜアート業界ではお金について語られにくいのかを考えると、「儲けるためにやっているのではない」という感覚が根っこにあるからではないかとも思いました。それゆえ、対価やマーケティング、事業化という発想を持ちにくい。もちろん、ジャンルによる意識の差もあったと思います。

クラシック音楽分野は、オーケストラを筆頭に、会費を納めてくれる法人会員の開拓に早くから積極的でした。一方、言語芸術である演劇分野では、表現の自由を制限されうる危惧から、企業協賛など外部資金を入れることに慎重な傾向が長らくありました。アートにおいて何より重要な「表現の自由の確保」も、他領域より資金調達の優先順位が、議論においても実践においても低い理由の一つかもしれません。

山内:そうですね。資金調達は目的のための手段ですが、こうした背景には資金調達が表現を歪めてしまうという思想があるかもしれません。実際、補助金や協賛金は一方通行の施しでなく、前者であれば公益的施策という目的に沿って正当性を持つものですし、後者はブランディングやPRなどの価値提案とのトレードオフで成立するものだと思います。しかし、事業主体が関係性づくり、言い換えれば、様々な他者への価値提案を工夫し、ミッションと折り合うポイントを探ることで自律的な収支構造をつくり、結果的に活動の自律性も保てるのだと思います。

お金と表現については、お金が表現に直接影響を及ぼすというより、感覚的には、お金を通じた関係性のつくり方が表現の延長上にある、と捉えるようにしています。お金の問題から一定の距離を保ち、表現に集中するのも一つのスタンスですが、海外のアーティストのなかには、資金調達に関する交渉をフラットに考えている方も多い印象があります。背景にはいろいろあると思いますが、日本の芸術系大学では経営や経済を体系的に学ぶ機会が乏しく、文化や芸術を学ぶ学生と前者を学ぶ学生とが出会う機会が少ない印象があります。美意識の問題だけでなく、そうした環境も関係しているのでしょうか?

若林:経営や経済を実践に即して教えている日本の芸術系大学は、ほぼ存在しないのではないでしょうか。アートプロジェクトに関わる機会を学生に提供していても、もっぱら企画の中身重視というか…。早い段階からの教育も大事ですし、アート業界全体でも、資金調達は「表現の場を獲得していく手段」だと積極的に捉えて、もっと様々な方法が開発されるといいなと思います。

山内:そうですね。助成金を利用するかどうかの判断も事業の性質をしっかり見極めた上で行ってほしいですね。助成金の渡し方に関しても、事業や組織基盤を評価・モニタリングするのであれば、組織のレベルに合わせて助成する方法もあるのではないかと思います。モニタリングのコストに関しては課題ですが、現在の評価だけではなく、組織基盤ができるまでのスタートアップ支援なども考えられます。

文化・芸術団体には、少人数で企画・制作、マネジメントや経理まで、あらゆることをやる団体が多いので専門性不足が課題になりますが、1団体で完結するのではなく、外部と協働・分業を図り専門性を補うという施策もあるかもしれません。

自らの在りようを立ち止まって考える

山内:アーティストもアートNPOもミッション・目的に従って交渉していく姿勢は重要だと思います。なぜなら、自治体は地域の政策課題と結びつけたいし、企業はブランディングとして様々な要求があるなかで、それぞれのオーダーに引っ張られてぶれてしまうこともあるからです。

また、持続可能性を保つことも本来は手段であって、当事者の楽しみ、自然発生的な営みといったものを原動力にした私的・共益的活動においては、持続可能性の追求を煽ることにも違和感を覚えます。活動の性質に従って役割を終えた時は、事業終了や組織解散に至る判断を怖がる必要はありません。

若林:長く続くほどに、存続自体が目的化してしまい、何のため、誰のための活動なのかわからなくなってしまうことは、往々にしてありますよね。長い行列に並ぶほど、列から離れられなくなるのと同じで(笑)。

アートプロジェクトやフェスティバルという「事業体」から、そうした事業を運営する「組織体」に移行して安定を図るのは、様々な観点から望ましいことではあります。一方で、アートプロジェクトは必ずしも、最終的に組織化、法人化して続けていかねばならぬものとも思いません。「これからのこと」が話題になった時に、自分たちはしっかり根を下ろしてやっていきたいのか、フットワークの軽さを重視するのか、自らの在りようを立ち止まって考えることが大切なのだと思います。

これは、既に法人化されている組織の存続についても同様で、組織の在り方は、資金的・社会的な観点から、今後より柔軟にならざるをえないでしょう。近い将来、持続可能性を追求する文化団体やアートプロジェクトにおいては、吸収・合併という話も出てくるだろうと思います。

山内:お金は、組織や活動における血液ですが、公的な資金を使用することについての正当性は、かつてなくシビアな視線が向けられているように思います。「当事者性を持てること」が大事だと思いますし、オリンピックの諸問題を見ていても、選考プロセスに市民が関わった感覚を持てていないことが問題の根の一つだと思いました。

また、施策の結果についても、「暮らしがよりよくなった」「充足感を感じられるようになった」といった足元の実感を伴わない施策には厳しい目が向けられ、不安や不信が高まるという悪循環が生まれています。広く世のなかを見渡せば、豊かな経済的基盤のもとで文化的な営みが育まれる、という側面も忘れてはいけない現実です。文化的な施策に携わる人にとっては、様々な社会課題があるなかで、自分たちが向き合うテーマの相対的な立ち位置がどこにあるかを大局的に理解することが、ますます重要になってきていると感じます。また届けるべき層に対して、それぞれの暮らしにつながる部分で「主観的な理解と共感」を生む努力、というのも鍵になってきますよね。

若林:国の文化予算も、自治体や企業の文化予算も、厳しい状況が長らく続いています。劇的に好転することも期待できません。そうしたなかで、いかに業界全体を底上げできるか。向き合うテーマの相対的な立ち位置を意識した上での「お金を通じたコミュニケーション」は、鍵になりそうですね。

対談日:2015年9月2日

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