tarl

REPORT

ディスカッション1「めぐりめぐる記憶のかたち―イメージは、どこまで届くのか?」レポート

公開日│2018.11.07

「いまの社会で、これからの実践を立ち上げるための新たな視座を獲得する対話シリーズ」として、2018年10月から2019年2月までの5ヶ月間、月に一度ひらかれる対話の場「ディスカッション」。その第1回目、「ディスカッション1」は10月10日(水)に「めぐるめぐる記憶のかたち――イメージは、どこまで届くのか?」と題して行われました。

ゲスト:松本篤(NPO法人remoメンバー、AHA!世話人/右)、岡村幸宣(原爆の図丸木美術館学芸員/中)、モデレーター:佐藤李青(アーツカウンシル東京プログラムオフィサー/左)

ゲストにお迎えしたのは、原爆の図丸木美術館学芸員の岡村幸宣さんと、NPO法人remoのメンバーで、AHA!世話人の松本篤さん。アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの佐藤李青がモデレーターを務め、「ここではクロストークを行うというよりも、お二人がそれぞれの実践の中で感じている課題や問題意識を深め、最終的にはこの場に参加されている皆さんが各々問いを持ち帰る場にしたいと思います」と開始の挨拶とともに述べました。

そしてディスカッションの本編スタート。まずは岡村幸宣さんのお話からです。「めぐりめぐる記憶のかたち」と題した発表では、岡村さんの勤める原爆の図丸木美術館についてのお話を皮切りに、丸木位里・丸木俊夫妻が描いた《原爆の図》の全国巡回展が果たした役割について迫っていきました。
その前に、そもそも、《原爆の図》とはどのような作品なのか、改めて見ていきます。原爆投下後の広島の惨状を描いた15部から成る連作の絵画作品《原爆の図》は、しばしば「原爆の記憶」を描いたものだと言われますが、丸木夫妻は1945年8月6日、広島市への原爆投下の際、その場に居合わせた「直接体験者」ではありませんでした。しかし、作品に描かれているのは原爆投下の日の様相。つまり《原爆の図》とは、丸木夫妻が「他者の記憶」を描いた絵画作品なのです。

丸木位里・俊『原爆の図 第1部 《幽霊》』(1950年、屏風四曲一双、縦1.8m×横7.2m)

岡村さんの著書、『《原爆の図》全国巡回――占領下、100万人が観た!』(新宿書房、2015)は、少なくとも108ヶ所以上で開催され、102万人あまりを集めたとされる、伝説的なスケールの《原爆の図》全国巡回展の実際の姿について調査を行い、書かれたものです。岡村さんは、調査にあたっては、「証言そのものを信用しない(一次資料で裏付けを取る)」「写真を証拠として活用」することを念頭に置きました。「写真もあくまで『見せたい』記録。写っていない現実をどのように捉えるかが大事なんです」。
その中で分かったこととしては、《原爆の図》の全国巡回展が行われた1950年代初頭は、敗戦後の連合国軍占領下で原爆報道が禁止されており、また1950年6月に勃発した朝鮮戦争の問題もあり、「検閲を受けずに惨禍を伝えるツール」「過去を現代につなげる想像力」という側面から、《原爆の図》がひとつのメディアとして役割を果たしていたということでした。
等身大の人物描写やパノラマ状の大画面といった、非常に大きな画面に描かれていること、そしてその作品の前で絵画作者や原爆体験者が説明し、同時に大学生たちが専門領域の知見に基づく解説を綴ったパネルを設置。さらに峠三吉などの詩の朗読や音楽の演奏、合唱といったパフォーマンスが行われ、最終的には感想文集や記録集が作成される――といった、巡回展での多角的な取り組みが功を奏したと言えます。

映画『原爆の図』(1953年、新星映画社、監督/今井 正、青山通春 撮影/浦島 進 解説/赤木蘭子)より巡回展のシーン

また、《原爆の図》には時間の異なる光景がひとつの絵にコラージュされています。そこには、写真とは違い、再編集によって「芸術的真実」を伝えられる効果が生まれています。絵画は現場にいなくても「再現」できる面を持ちますが、時間、距離から自由であることのメリットとデメリットを共に抱えているとも言えます。その例として挙げられたのは、《原爆の図》第14部の≪からす≫。朝鮮人被爆者を描く際、石牟礼道子のルポルタージュ「菊とナガサキ―被爆朝鮮人の遺骨は黙したまま―」を参照し、それを視覚化した作品です。しかし、石牟礼によって綴られた遺骨の話には、原爆被爆者だけではなく、炭鉱労働者で亡くなった方もまぜこぜになっていることが近年の研究で指摘されています。それでは、この石牟礼の文章はどう読めばよいのでしょうか。その問いには、「菊とナガサキ」は単なるルポルタージュではない、という返答ができます。客観的事実の検証だけではなく、自身の記憶や経験をもとに「語り直す」ことで可視化されるものもあります。岡村さんは「追体験の記憶」という言葉を用います。「山端庸介の報道写真が《原爆の図》の元となり、さらに岡崎の小学生が《原爆の図》の模写を行った際、元の絵にはなかったものが描かれていました。同じイメージも繰り返し描かれることで変容していきます。なぜ、どのように変容するのかを考えると時代状況も見えていきます。72年経っても新しい記憶がまだ生まれており、『リアルさ』は時代と共に変貌していきます」と言います。

さらに岡村さんは「今こそ1950年代のような巡回展を再び、というような声も出るのですが、私はそれは違うと思っています。全国巡回展は当時の社会状況下では極めて有効な手段でしたが、同じことを現在行っても有効とは限りません。今の時代に即した新しい手法を考えることこそが必要です」と述べました。

続く松本篤さんは、記録集『はな子のいる風景』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017)を企画、制作した際のお話を中心に、「『記憶』は誰のものか、『当事者』とは誰か」をテーマに発表を行いました。

1949年にタイから贈られ、2016年5月に69歳(推定年齢)でその生涯を閉じるまで、戦後日本に最も早く来日し、最も長く生きたゾウの「はな子」。松本さんたちが展開しているAHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ]では、市井の人々の記録に着目し、そこに潜在する価値を探求する取り組みを行っています。その一環として『カンバセーション_ピース』という展覧会(武蔵野市立吉祥寺美術館、2016)のために 武蔵野市内における8ミリフィルムを収集しました。その際、異なる家庭でも「はな子」の映像記録を撮っていることに気づき、関係を持たないと思われた人同士をつなぐ結節点になると考え、2016年の6月頃から「はな子」の記念写真の収集を開始しました。

記録集『はな子のいる風景』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017年)の表紙

松本さんが編集した記録集は、以下の要素から成っています。

1 写真:550枚ほど集まった写真から、はな子と人 が写り込んでおり、撮影日時が分かるもの、被写体の人物が正面を向いてこちらと対峙しているような写真169枚をセレクト。
2 飼育日誌:写真が撮影された当日の飼育日誌を掲載することで、その日のはな子の様子を浮き彫りにする。
3 写真提供者の言葉:169枚の写真の持ち主にアンケートを取った。

写真は時系列順に並べ、飼育日誌を併録。アンケートは本体とは別の小冊子に、時系列を遡るかたちでまとめられました。はな子の69年の写真集という「あちら側」の世界と、それを生きているものが弔う「こちら側」の世界から成立している本だとも言えます。内容と形式を一致させた理由を、「写真を提供していないし、はな子のことも知らない人がこの記録集を手に取った時に、『私がこの中に写っている』と投影できるものにしたかった。自分がそこにいると思えるような強さをどうつくるのか考えて、デザイナーの尾中俊介さん(Calamari Inc.)との対話を重ねながら、 このような構成になりました」と松本さんは語ります。

言葉、写真、造本上の工夫によって、「イメージをくりかえす」「イメージをひっくりかえす」ことを徹底させることで、イメージの力を強めていく編集となった『はな子のいる風景』。同じ日に撮られた別々の写真があることで、同じ時間でもそれぞれの人がそれぞれに歩んでいることが浮き彫りになります。それを可能にさせたのははな子というメディアが結節点となっているからこそ。「人は何故かゾウの前で記念写真を撮る。それは海外でも同じです」という松本さん。550枚集まった写真のうち、一枚だけ溝を隔ててゾウと人が触れ合っているものがありました。情感を交えずに編集した本だけに、それを掲載することでウェットになるかもしれないと思いつつ、「一枚だけ」手元に届いたという事実もあり、本書の一番最後に掲載することになったというエピソードも。今後は、はな子がタイから日本にやってきた道のりを逆再生できないかと目論んでいるそうです。

記録集『はな子のいる風景』(武蔵野市立吉祥寺美術館、2017年)の裏表紙

ここまでの二人の発表を受けて、対話の時間へ。まずは佐藤が「『強さ』がキーワードなのかなと思いました。松本さんは複合的に仕掛けをつくって強さを生み出し、《原爆の図》はそれ自体イメージがとても強い」と言うと、岡村さんは「《原爆の図》は見る前から見たような気になってしまう部分があります。その固定化してしまう宿命をどうひらいていくべきか。松本さんのお話にあったような、形式としての自由さ、イメージの扱い方を原爆の図においては、どのように転用できるか考えたいです」と応答。《原爆の図》に限らず、圧倒的な惨禍をどのように伝達できるのか。たとえば1950年代の日本映画で描かれているような描写よりも、近年制作された戦時中の生活を描いたアニメーション映画のほうが「今の人」にとって伝わりやすいものがあるなどといった話題が上がりました。
また松本さんが、丸木夫妻はプロデューサー的な側面があったのではと尋ねると、人を許容する力があり、広がりを受け入れることができ、全国巡回展の後は場所づくりにシフトしていった。原爆の図丸木美術館はそうして出来たが、現在その転換期に来ているのかもしれないと岡村さんは応えます。
さらに、「どのように受け手につくったものが届くのかはコントロールできない領域。《原爆の図》を子どもが模写をして変容していくイメージの飛躍がおもしろいと思いました。“ 誤読” をうまく引き出すというのがポイントですかね」と松本さん。また岡村さんは、原爆の図丸木美術館が自身のイメージを解体、ひらいていくことを意識的に取り組んでいる実例として、2011年の東日本大震災をきっかけにChim↑Pomの特別展を開催するなど現代作家の展覧会を開催していることを挙げました。誤読とは言わないにせよ、《原爆の図》の見方が変わるような取り組みをしていきたい、全国巡回展とは違う、今の時代だからこそできるやり方を模索していきたいと述べました。

和やかな雰囲気の中、しかし慎重に言葉を選びながら行われた今回のディスカッション。お二人の対話から自然と「強さ」「誤読」などのキーワードが生まれ、イメージをどう扱うかや場をどうつくっていくかといった問題などに関して、真摯な言葉の応答が続きました。

過去の時代に行われたことをただ繰り返しても、その期限は切れている。今の時代だからこそできるやり方で、これまでの精神のコアは受け継ぎつつ、どのように変容させていくべきか――。今回のお二人の発表を受けて、私が持ち帰った問いのひとつは、たとえばこのようなものでした。参加者の皆さんもそれぞれ持ち帰った問いを、各々の生活の中で問い返しながら、また別の問いが生まれていくのでしょう。

(執筆:髙橋創一