アカウンタビリティとは何か?(帆足亜紀×山内真理)

対談メンバー

帆足亜紀さん(アート・コーディネーター/横浜トリエンナーレ組織委員会事務局プロジェクト・マネージャー)
山内真理さん(公認会計士・税理士/Arts and Law代表理事)

質的な振り返りを行う監査

山内:昨今、アートプロジェクトなどの事業の評価についての議論を耳にする機会も増えてきました。事業の成果を振り返るという観点から監査や批評の役割についてはどのようにお考えでしょうか?

帆足:監査は、いかに正しくお金が使われたかをモニタリングすることが第一義ですよね。しかし、アートプロジェクトでは、お金が適正に使われ、収支の整合性もとれているからすべてよしとは言えません。いまの社会にとって意味のあるプログラムが組めたか、時代を反映した作家・作品を選定できたか、メディアに露出した情報は適切だったか、専門家の評価、観客の反応はどうだったかなど、批評的な面での評価やモニタリングも大事です。

山内:そうですね。監査と一口に言っても、例えば企業会計における会計監査などと公監査、つまり国、自治体などの公的機関を対象にした監査ではその目的や機能が異なります。後者の公監査は、実に多様な役割があると感じています。

企業の場合、経営者は経営を受託している立場であり、株主などの利害関係者に対して説明責任を負っているので、利害関係者の判断に資するような情報を提供・開示する必要があります。決算書は経営者が説明責任を果たすための重要な手段の一つとなりますが、利用者の期待する透明性や信頼性が社会的に担保されるように、独立的な第三者が一定の保証を加える仕組みがあり、それが監査制度というわけです。

一方、自治体などの公的機関においても、その首長は納税者である市民から信任を受けて自治体の経営を担う立場であり、市民に対して説明責任を負っています。説明責任は、アカウンタビリティとも言われますが、公的機関における説明責任は市民・納税者の知る権利に応えるものなので、単に法令順守の状況や予算執行・財務報告に関する状況だけでなく、行政が関与する事業それぞれの成果について、その達成状況なども適切に報告されることが期待されています。自治体が関与するアートプロジェクトなどの事業も、その説明責任の範疇ということになりますね。

現状の公監査では、監査の目線としては「経済性、効率性、有効性」といった視点がありますが、このうち「有効性」は、狭義の意味での事業の目的達成度はもちろんのこと、短期・長期を含む成果の質や社会的インパクト、政策自体の適切性や事前の決定プロセスまでを問う目線が、本来期待されていると思います。

帆足:来場者数などの数字だけではなく、体験の質を問うこともできるということでしょうか。

横浜トリエンナーレ(以下、横トリ)の場合は、新聞などに取り上げられた批評の内容も評価対象にしています。例えば、2014年展の総来場者数は21万人だったのですが、その前の回では30万人を超えていたこともあり、数字的には前回より低いというマイナス評価になります。ただ、2014年の全国紙の回顧には数多く取り上げられ、「…芸術の役割を問う、骨太の内容だった。ただ、コンセプトよりある種の祝祭性…(中略)…と期待する美術ファンにとっては、やや刺激不足だったようだ」(『産経新聞』2014年12月25日朝刊「回顧平成26年 美術」)という記事がある一方で、「自治体などが主催し、不特定多数の観客を想定する芸術祭は心地よく楽しい体験につい重きを置きがちだが、美術の役割はそれだけではないことを問うた」(『日経新聞』2014年12月1日朝刊「回顧2014 美術」)あるいは、「やっと国際的に渡り合える展示が生まれた印象をもった」(『日経新聞』2014年9月20日夕刊「あすへの話題 国立西洋美術館館長馬渕明子」)という評価もありました。

さらに国際展では、国内的な評価だけではなく、海外の関心を集めることができたかどうか、ということも重要です。そのためにメディアの露出だけではなく、海外のどういう専門家(例えばキュレーター)が観に来たかということも追跡したりします。特に海外の専門家に「これは我々の問題意識にも通じる作品である」と感じてもらえると、今後の国際交流の基盤づくりにもつながるので、事業のアカウンタビリティは多角的に説明する必要があると思います。

山内:批評などの内容も報告し、評価対象にしているのですね。監査において行政の事業の「有効性」評価については、実際のところ、短期・長期を含む成果の質や、社会的インパクト、政策自体の適切性などについて深いところまで踏み込んだ報告は少ないように感じます。

自治体運営の多様性が高まるなかで、アートに関わる事業に限らず、「公」の説明責任を担保する事業評価の分野や、公監査の制度設計については未だ発展途上。監査や事業評価が広くアカウンタビリティに応えるための前提としても、事業主体は、目標達成度や質、社会的なインパクトなどを客観的に測定・説明できるように、材料や尺度を準備しておく必要がありますよね。

帆足:質の定義は、非常に悩ましいですね。質とは別に、「意味のある事業づくり」というのもどのように説明するべきか、悩むところです。横トリは、「次世代」というキーワードを重視しているのですが、それをどういった指標で測るかでまったく異なる結論に辿り着きます。大勢の小中学生が来場すればよいのか、関心の高い少数に限定して特別な体験を提供すればよいのか。後者の場合は、教育の現場と同じで丁寧にやればやるほどコストはかかります。それでもやる意義がある場合は、何をもって意義があると説明すればよいのか。「費用対効果を超えた有用性」を訴えていく技術が必要です。

山内:なるほど。事業で追求すべき質については、公(おおやけ)色の強いプロジェクトでは、最終的には自治体経営のビジョンによって、目指すべき目標も、達成すべき具体的な成果も異なってくるのだと理解しています。特に大きな予算が動くものについては成果として期待される方向性も多様化するでしょうし、その優先度や舵取りについてはバランスが難しいですね。

自治体の事業は、地方自治法において「住民の福祉増進に努め、最小の経費で最大の効果を挙げる」ことが元来求められています。アートプロジェクトでは、逸脱のなかに可能性を見出すかのようなアーティストの姿勢であったり、混沌を内包させ余白を守ろうとする現場の姿勢であったりと、自治体の説明責任との狭間で事務局サイドが大変に苦労されるのだろうと想像します。そういった意味で、公共政策としてのアートプロジェクトは微妙なバランスの上に成り立っているわけですよね。

外部に目を向ければ、財政の健全化が叫ばれる時代に、事業予算の適切な見積などを含め、費用対効果についての社会の目線はより厳しくなっていると感じます。その意味で、社会に対して波及する様々な効果を丁寧に報告すると同時に、外部からの「投入された税金が適切に使われたのか」「予算の使用者は適切な事業運営を行っているのか」「報告内容は適切か」などの目線に対しても、事業主体自ら信頼に足る状況をつくっていくことも重要だと感じています。

そして、もしアートプロジェクトに関わる団体やアーティストが、自治体や企業などの利害関係者のビジョンや要求を超えて自律的にふるまいたいのであれば、経済的にもそれを可能にする状況をつくる必要があると思います。例えば特定の協力先に頼らない多様な財源を確保する、市場を創造していく、ということです。

帆足:そうですね。事業設計はそれを構成する財源によって左右されるので、「はじめが肝心」だと常々感じています。どんなに途中で方向転換しようとも、大胆な刷新を行わない限り最初に設計された形は生き残ってしまいます。

横トリの場合は、最初に「国際」という冠(International Triennale of Contemporary Art)をつけたことや、当初より国の機関が関わることで(最初は国際交流基金が主催。現在は文化庁の支援事業となっている)、ローカルな議論に留まらない、広い視野で事業の有効性を測る仕組みが内包されており、アカウンタビリティを議論する際にも、議論の幅を広くとります。

2003年から4年間ディレクターを務めた『アーカスプロジェクト』は、当初から茨城県と守谷市からの公的資金のほか、民間企業からの協賛金が財源になっていました。いずれ行政からの財源が少なくなることを見越しての設計です。このような事業設計は有効だと思いますが、最初からいろいろと見通すことは非常に高度なことです。そのときに私たちがどれだけ知見を積んでいるかが問われるわけです。

山内:仰る通りだと思います。

帆足:現時点では、「自律的にふるまう」というレベルに辿りつくまでの道のりは、まだ長いように思います。また、スポンサーはそれぞれに個別の要求を出してくるので、仮に公的資金への依存度が減って民間の協賛が増えたとしても、今度は民間が求めてくる協賛メリットに一つひとつ応えていかなければなりません。要求の海に呑まれるのではなく、一定の距離を保ちつつ、自分たちの要求とスポンサーの要求を一致させ、それぞれの軸足のバランスをとれるようになる必要があります。

お金の使途とその成果や効果を説明する際も、「より多くの人が来られるように間口を広げた」「人生観を変える体験を提供した」「世界的なアートの潮流で議論されるべき問いかけをした」ということを裏付けるデータをもとに根拠を示していかなければならないので、そのようなデータや情報をどのように集めるのか、事前に検討しておかなければなりません。そして、その成果や効果とそれにかかわる指標を事前に関係者と共有・合意し、同じものさしで測るようにする。異なるものさしで会話をするとズレが生じ、疑心暗鬼になります。数字だけではないものさしづくりと、それを互い共有することが求められています。

山内:規模の大きな芸術祭のように、複数のプログラムが集まって全体をつくっている事業では、期待される目的や効果、想定するターゲットも多様でしょうから、なおさらですね。

帆足:そうですね。ものさしづくりも簡単ではありません。また一過性のものさしではなく、「時間軸」のある指標を準備することが重要だと思います。例えば、複数年にまたがって事業を設計することが可能な場合、各年度の達成目標を段階的にして、経験を積みながら補完していくという事業計画が可能になります。

アカウンタビリティの罠

帆足:近年こうした事業の仕組みや説明責任についての議論は盛んになっていますが、アーティストに関する議論が置き去りになっていると感じます。

現在、芸術祭や地域密着型のアートプロジェクトが増加したことで、コミュニティとうまく付き合うことのできるアーティストの需要が高まっている状況があります。しかしアーティストには、コミュニティとの協働が向いているタイプのほかに、コマーシャルギャラリーに所属してコレクターがつくタイプもいれば、オルタナティブな活動を展開しているタイプ、どこにも当てはまらないタイプなどがいろいろといるわけです。

アートプロジェクトでアカウンタビリティを優先すると、説明しやすいアーティストやアートばかりを供給する事業になってしまいかねない。処方箋通りのアートだけでは、社会のなかに存在する多様な価値を映し出せないことがあるということを肝に銘じる必要があります。

山内:説明しやすいものばかり供給されるという方向に極端に振れてしまうのは残念です。アートの魅力は、限られた言葉や尺度で容易に説明できない部分でもありますが、説明できないものは伝わらないというジレンマがありますね。

帆足:アカウンタビリティについての議論を精鋭化していくと、資料も評価基準もきっちり整って事務的に説明できるすばらしいプログラムができるかもしれませんが、果たしてそれが表現として価値のあるものをつくり出せているものなのかどうか、同時に問い続ける姿勢が必要だと思っています。

本来、現代アートは、価値の定まらない先端的な表現です。物故作家による価値の定まった作品の収集・保存・展示を行うことが優先される美術館の制度には収まらない領域ですが、ここ20年ほどの間にアーティスト・イン・レジデンスやアートプロジェクト、芸術祭という多様な現場に公的資金が投入されるようになってきました。つまり、文化政策のなかに現代アートが位置づけられるようになってきました。税金を使うようになると「みんなに広く行き渡ること」が求められることもありますが、「みんなに広く受け入れられる」というように意図がズレるとエンターテイメントとの差が見えにくくなってしまう。

大勢の人を癒す薬のようなアートだけではなく、毒になるものや猥雑なものなども取り入れる余白をいかに持つか、その余白にこそ文化の存在意義があるということをよく考えていかないといけないと思っています。

アカウンタビリティを多角的に見る

山内:帆足さんのような立場は、枠組みそのものをハックしていくかのようなアーティストのチャレンジングな姿勢に対し、その表現のための防波堤となりながら社会と折り合いをつけていく、という役割ですよね。折り合いの付け方は事業主体のビジョンや社会的な位置づけにより変わるところだと思いますが、政治や市場との距離の測り方を含めて、調整役に期待される役割は大きいですね。

帆足:互いの立場でアカウンタビリティの意識を持つことが大事ですよね。

政治といえば、独裁の政権下で公的資金が充当される場合は、政権の持つ思想に従う、つまりプロパガンダになる恐れがある。いまは、民主主義を基盤とした制度のなかで公的資金が使われているという、ある程度民意が反映されている信頼感が存在する環境のなかでこうした議論をしているはずです。これだけ芸術祭などの大型プロジェクトも含めて公的資金が使われるようになっているので、政策・財源とアウトプット・成果の関係性についてもいま一度議論する必要が出くると思います。

日本は、かつてプロパガンダを優先し、表現が検閲される時代を経験しています。その反省もあってか、戦後の日本の文化芸術の振興は、国や自治体より民間のほうが積極的かつ先進的でした。美術展といえばデパートでの開催も多く、現代アートでは、セゾン美術館の前身である西武百貨店の西武美術館の開館が1975年でした。民間における現代アートの専門館は、原美術館の設立が1980年。そして公立美術館については、1989年の広島市現代美術館の開館まで待たなければなりませんでした。パブリック、プライベートそれぞれの可能性と限界があるかと思いますが、「自分たちが使うお金がどこから何のために流れてきているのか」自覚し、選択することも考えなければなりません。

山内:そうですね。お金について考えると、より政治や経済と無関係ではいられませんよね。

帆足:特にアーティストは、公的資金を受けることで、一定の政治性を帯びる覚悟をする必要があると思います。ただ、民主主義である以上、政治的な環境のなかにあっても自由と選択の権利はあると思います。アーティストというのは、新しいものを求めるために既存制度を覆すことを考えるし、それが役割でもある。公的資金とアーティストとの関係性については歪みのようなものが出ても不思議ではないということを理解しておく必要があります。かつてのようにパトロンからのオーダーを受けて作品を作るという関係性だけを維持してしまうと、アートである必要性がなくなってしまう。現代アートは、見たことのないものや、経験したことがないものを提示する役割を担っています。そこに耐えうる制度も同時につくっていく必要性を感じています。

現実的な話でいえば、現行の会計制度も、創造的な活動には不向きです。インスタレーションのように環境に合わせて毎回新しくつくるような作品の場合、つくっているうちに当初の計画が更新され、仕様書が変更され、予算も変わっていきます。そういう状況が発生してしまうと、会計担当との戦いがあるんですよね(笑)。

アーティストはどんどんチャレンジングなことを言ってくるかもしれませんが、私たちコーディネーターは公的資金を信託されている以上、できること、できないことがあるということをわかっている必要があります。対してアーティストにもこの仕組みや現実については理解しないまでも、知っていてほしい。私たちは、「それでもあなたでないと駄目」と思って頼んでいるわけですから。

山内:そうですね。芸術の分野に限らず、ものづくりやカルチャーの分野であれ、混沌や非効率から類稀なる創造が生まれると思っているのですが、有限な資源を利用して何らかの「価値」を社会に提供することが期待されている以上、組織の「経理」や、事業の「予算」は、必要な調整機能だと思います。当事者には「戦い」があると思うのですが(笑)。そうした制約やせめぎ合いがあるからこそ、担保されている部分もあるように思います。

帆足:アーティストの場合、予算の枠内で考えるというよりは、少しのお金でも何かつくるきっかけをもらったら、自分の目指しているものをつくるという行動に出ると思うんです。もちろんつくるプロセスでは、予算削減のために工夫しますが、そこをアーティストにコントロールさせるのは難しい。あえて超えてくる人たちもいますから(笑)。

だから公的資金を出す側は、言う通りにならない分、非常にやりにくいと思います。でも、言う通りにならないことを許容できるのが社会の度量の広さなのではないかという思いもあるんです。独裁や軍国主義の社会はその対極にあって、言う通りにならないことを許さない。そう考えると、どうやって多様性を担保するか、アートやアーティストの関わりが社会の豊かさを測る指標になり得ると思います。

ただ、そうした立場の異なる人たちが現場で予備知識なく直接出会うと対立してしまいます。どちらも妥協できない立場ですから。間をつなぐコーディネーターは、両者の考え方の違いを理解しておくことが必要です。そうでないと、「あの人が悪い」という矮小化された不満だけになってしまって、建設的な議論になりません。

社会の信用を獲得する想像力

帆足:「アカウンタビリティ」の意識は、監査だけでなく、例えば広報活動にも影響を与えます。広報は、どんな風にプロジェクトをやっているかを説明するアカウンタビリティを果たす活動の一部。広報活動を通してメディアとの関係性を築き、「広く伝える」内容の質が向上し、社会におけるアートへの理解も深まるのではないかと思います。

山内:そうですね。地域のお金が使われている以上、より多くの地域の人が、暮らしや営みに接続する身近なものとして、親しみを持ってもらえる距離感をつくること、当事者性をしっかり設計することも大事ですよね。危機管理広報的な観点からも、事前の決定プロセスで当事者を巻き込んで意義・目的の共有を丁寧に進めることには意味があると思います。

帆足:そうなんです。議会説明的なアカウンタビリティの表現だけでは一般の市民には伝わらないと思うんです。新聞などのマスメディアを通した広報も、アカウンタビリティにつながるように設計することが求められていると思います。アカウンタビリティとは直訳すれば説明責任ですが、つまりは信用を獲得するプロセスのひとつなのです。そのためにも技術が求められます。相手あってのことであれば、自分たちのことを伝えようとするだけではなくて、相手がどう見ているのかも把握する必要があります。

話は少しずれますが、一定の規模の事業の信頼を得るためにはやはり多くの人の支持が必要になります。そのためには大勢の人に実際体験してもらわないといけません。横トリのように目標来場者数が数十万人というレベルになると、従来の現代アートの展覧会とは違う発想を必要とします。一定の社会的な支持を得るためには、自分たちの世界観がわからない人たちがいて、その人たちに間口を開かないのは、公平性を欠くということを想像できるようにならなければならない。

アカウンタビリティというと、ステークホルダーごとの利害を考えてしまいがちですが、広く社会の信頼を得るために、政治や経済も視野に入れて自分の手掛けるプロジェクトを誰にでもわかる言語で説明していくことが大事ですね。

山内:私もそう思います。「幸せな現場づくり」というテーマに立ち返れば、つまるところ「他者を幸せにしてこそ、自分たちが幸せになれるという意識」を持つことかな、と個人的には思っています。自分ではない他者を少し俯瞰的な視点から想像するということが、これから必要になってくるのではないでしょうか。

対談日:2015年9月17日

お金をコミュニケーションツールにするには?(若林朋子×山内真理)

対談メンバー

若林朋子さん(プロジェクト・コーディネーター、プランナー)
山内真理(公認会計士・税理士/Arts and Law代表理事)

予算書で近未来の設計図を描く

若林:私は、『公益社団法人 企業メセナ協議会(以下、メセ協)』で助成事業の担当をしていた頃、多い時で年間数100本の助成申請書を読みました。助成金制度というのは、助成する側にも達成したい目標や政策があります。それに対して、自分たちの企画をいかに誠実に、魅力的に申請書でプレゼンテーションできるかだと、大量の申請書を読みながら実感しました。同時に、企画内容だけでなく、予算書や決算書といったお金に関係する書類もまた、自分たちが何者なのかを伝え、「信頼」を獲得するための重要なツールだと感じました。

山内:申請書とセットで提出する決算書や予算書は、文脈を共有していない人を含む外部への「コミュニケーションツール」だと思います。決算書は一定のルールに基づいて組織や事業の実態を反映するものであり、過去の投資と成果、経営基盤や、現在置かれている状況などが見て取れるものです。また、予算書は言わば貨幣的に表現した近未来の設計図であり、目的に沿って活動を実現させていくための行動計画が表現されます。

若林:「予算書は、近未来の設計図」。重みのある言葉ですね。でも、それほど大事なことでありながら、アート業界では、お金のことはあまり表だって話されていないと感じます。「こんなことがやりたい」と企画を起点にプロジェクトが始まるのはごく自然なことですが、予算や報酬・収支見込みについても同時に話していく慣習があまりないというか。例え非営利活動であっても、お金のことを話さないというのは、企業などから見ると相当不思議なことだと思います。

山内:企画と予算は、表現や事業を実現させるためのものなので、本来は切っても切れないものです。収支予算書があることで、企画が絵に描いた餅にならないように現実的にシミュレートできるわけです。ただ、事業費や管理費といった活動費は成果を生むための投資なので、本来は長期的な視野に立って考えるべきものです。単に一企画の収支を計画するだけでは、そういった思考は持ちにくい。長期的なビジョンに立って必要な投資を予算組みしているのかなど、組織によって予算の作成状況は様々ですが、予算書を見れば、事業の遂行能力や経営管理能力などをある程度推し量ることができます。

また、決算書からもいろいろなことがわかります。例えば、貸借対照表からは、外部資金への依存度や資金運用の在り方、過去の成果の累積など、活動基盤につながる要素を見て取ることができます。また、収支計算書の全体的な構造から持続可能性や社会的波及力などを推し量ることも可能です。

若林:確かに、収支計算書を見ると、経営的な体力や組織力、資金の調達手段、社会的インパクトまで推測できますね。外部の人間だけでなく、内部の職員も、自分の組織の実態を把握することができるということ。自分が担当する事業だけではなく、組織や業界の「大きなお金の流れ」を感じながら働くことは、とても大事なことだと思います。

しっかりしたお金の流れをつくるためにも、まずは個々の事業や組織、各人がお金のことにきちんと向き合い、持続可能な経営をしていく必要がありますね。アート業界では、常に資金不足や予算削減の問題が言われますが、普段からお金の話を大事にしない限り、お金のほうから寄ってきてくれることはないと思います。

山内:会計は、それだけを単独で学んでもあまりピンとこない性質のものかもしれませんが、経営の一部であると考えると事業での活かし方がだんだん分かってきます。数字を使いこなす能力が身に付くと、様々な場面で役立つんです。

予算作成においては、成果を生むための計画を立てる、という視点に立つことが大切ですが、そのために必要なコストは事業費だけでなく管理費をも漏れなく積算することが大切です。予算化されなかったコストは、見えないコストとなって組織を苦しめます。とかく自己犠牲的な貢献を強いるような文化・慣習がある組織で、人にまつわる貢献が定量的に可視化されない場合には、組織がどんどん疲弊していずれ立ち行かなくなる時がやってきます。人によって成果を生みたいのであれば、「人に投資する覚悟」が必要であり、そのための第一歩が「貢献の見える化」だと思います。

非営利事業体にとって利益追求は目的ではありませんが、黒字であることは事業が継続するための最低要件。補助金に頼った経営では補助金が予算制約として働く場面が多いように思いますが、必要なことは多様な方法で価値創出をして資金を獲得し、きちんと貢献に見合った分配をするということです。このように、組織が意味のある活動を続けていくための指針を「管理会計」は提供してくれます。

若林:予算化されず、収支の調整に使われてしまったり、なかったことにされがちな「人的な貢献」の問題は大きいです。これを定量的に可視化するというのは、本当に大事なことです。 プログラム自体の価値創出と会計や経営面の連動を、もっと意識することが必要ですね。

山内:国内のアート業界が成熟したマーケットでないこともあると思いますが、事業を設計する立場においても、市場感覚の薄さを感じる時があります。もちろんチケットが売れることだけが成功ではありませんが、魅力的なプログラムを届けるという立場においては、対価を払ってまで参加したいと思う人がどれだけいるのかという現実は、シビアに向き合うべきテーマだと思います。いくら多様性を重要視する世界であってもです。

若林:消費者でもあるお客さんにとっては、営利と非営利の違いや、大衆志向か否かではなく、「対価を払う魅力を感じるかどうか」でチケットを買うか判断しますからね。判断基準は個人によって異なりますが、購入の瞬間はみなシビア。実際に参加した後には、さらにシビアな判断が待っている(笑)。

そうした判断に対する感覚は、アートに浸かりきっていない参加者のほうが、もしかすると鋭く敏感かもしれません。

山内:価格は、どのような人にどのように来て、体験してもらいたいか、という目的に沿って設計されるべきものですし、安ければよしというものではありません。マーケットは、どんな人が、どのような部分に、どれだけの価値を感じているかの反応がそのまま数字に表れる、非常に正直な場所だと思います。魅力的なプログラムであっても、それが届くべき人に届かないとなると、さらに届け方に工夫が必要だと思います。

このような分析を通して、参加する人が体験できる価値を高めるために、より課題を客観的、多角的に捉えていく。改善策や次の戦略を思考するためのヒントは、こうしたふりかえりから得られることがあると思います。

若林:現在行われている「評価」は事業内容に対するふりかえりが多く、収支の検証は少ないです。もちろん外部監査では会計面のチェックも入りますが、内部の当事者による会計面の細やかな検証はあまりなされていないと感じます。

会計面を分析すると、思いがけないことも見えてきます。例えば、人件費を時給単価に換算すると、いったいどの程度の水準で労働しているのかが明らかになります。それを計算するための労働時間が把握できていなければ、労働環境の問題や現場の疲弊が推察できる。「時給換算したら、私たちの労働は100円にもならない」というような話は、半分自虐ネタ的に耳にすることがありますが、そうした「自己犠牲的な貢献を強いていること」に起因する様々な問題を、会計面から内部検証できたら、持続可能性を高めることができるはずです。

また、収支が1円の単位までぴったり合っている決算書を求める慣習も、不思議に思います。辻褄合わせで、きっとどこかにしわ寄せがいっているのではないでしょうか。

山内:人件費は、組織マネジメントにも関わってきますよね。より多く貢献してくれた人にしっかり対価をフィードバックすることができれば、仕事の権限を与え、責任も負ってもらう組織体制につながります。

誰が、どこで、何をしていて、それが組織にどんな影響を与えているか把握することで、適切な予算配分が可能です。報酬には非金銭的なものもありますが、基本的には貢献度や、役割に則した状態をきちんと設計することが健全だと思っています。

表現の場を獲得する手段としての資金調達

山内:組織の収入構造からは、事業が誰に愛されているかが見て取れます。例えば地域内で事業収入を得つつ、一般の人からも寄付を多く集めている事業は、対価を払って直接価値を享受している人以外にも、プログラムの必要性や、当事者意識を持って関わってくれている人が多くいるという指標になります。

一つ例を出すと『大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ』の収入構造は、助成金や国庫からの補助金、企業や一般からの協賛金や寄付金などがありますが、パスポート・鑑賞券収入が全体に占める割合がそれなりに大きな額になっています。実感としても、観光を兼ねた高齢者のツアーも多く見られ一般の人にひらかれている感じがして、それが数字にも表れていると思います。このプログラムは誰のためのものか? という問いに対する姿勢のようなものもまた、数字が物語ることの一つなのかもしれません。

若林:確かに「寄付」は、活動内容や寄付相手への共感から生まれる行為ですものね。寄付者の属性を分析すると、愛される理由が見えてきますね。玄人好みなのか、広く一般に共感を集める「愛されキャラ」なのかなど。
ところで、なぜアート業界ではお金について語られにくいのかを考えると、「儲けるためにやっているのではない」という感覚が根っこにあるからではないかとも思いました。それゆえ、対価やマーケティング、事業化という発想を持ちにくい。もちろん、ジャンルによる意識の差もあったと思います。

クラシック音楽分野は、オーケストラを筆頭に、会費を納めてくれる法人会員の開拓に早くから積極的でした。一方、言語芸術である演劇分野では、表現の自由を制限されうる危惧から、企業協賛など外部資金を入れることに慎重な傾向が長らくありました。アートにおいて何より重要な「表現の自由の確保」も、他領域より資金調達の優先順位が、議論においても実践においても低い理由の一つかもしれません。

山内:そうですね。資金調達は目的のための手段ですが、こうした背景には資金調達が表現を歪めてしまうという思想があるかもしれません。実際、補助金や協賛金は一方通行の施しでなく、前者であれば公益的施策という目的に沿って正当性を持つものですし、後者はブランディングやPRなどの価値提案とのトレードオフで成立するものだと思います。しかし、事業主体が関係性づくり、言い換えれば、様々な他者への価値提案を工夫し、ミッションと折り合うポイントを探ることで自律的な収支構造をつくり、結果的に活動の自律性も保てるのだと思います。

お金と表現については、お金が表現に直接影響を及ぼすというより、感覚的には、お金を通じた関係性のつくり方が表現の延長上にある、と捉えるようにしています。お金の問題から一定の距離を保ち、表現に集中するのも一つのスタンスですが、海外のアーティストのなかには、資金調達に関する交渉をフラットに考えている方も多い印象があります。背景にはいろいろあると思いますが、日本の芸術系大学では経営や経済を体系的に学ぶ機会が乏しく、文化や芸術を学ぶ学生と前者を学ぶ学生とが出会う機会が少ない印象があります。美意識の問題だけでなく、そうした環境も関係しているのでしょうか?

若林:経営や経済を実践に即して教えている日本の芸術系大学は、ほぼ存在しないのではないでしょうか。アートプロジェクトに関わる機会を学生に提供していても、もっぱら企画の中身重視というか…。早い段階からの教育も大事ですし、アート業界全体でも、資金調達は「表現の場を獲得していく手段」だと積極的に捉えて、もっと様々な方法が開発されるといいなと思います。

山内:そうですね。助成金を利用するかどうかの判断も事業の性質をしっかり見極めた上で行ってほしいですね。助成金の渡し方に関しても、事業や組織基盤を評価・モニタリングするのであれば、組織のレベルに合わせて助成する方法もあるのではないかと思います。モニタリングのコストに関しては課題ですが、現在の評価だけではなく、組織基盤ができるまでのスタートアップ支援なども考えられます。

文化・芸術団体には、少人数で企画・制作、マネジメントや経理まで、あらゆることをやる団体が多いので専門性不足が課題になりますが、1団体で完結するのではなく、外部と協働・分業を図り専門性を補うという施策もあるかもしれません。

自らの在りようを立ち止まって考える

山内:アーティストもアートNPOもミッション・目的に従って交渉していく姿勢は重要だと思います。なぜなら、自治体は地域の政策課題と結びつけたいし、企業はブランディングとして様々な要求があるなかで、それぞれのオーダーに引っ張られてぶれてしまうこともあるからです。

また、持続可能性を保つことも本来は手段であって、当事者の楽しみ、自然発生的な営みといったものを原動力にした私的・共益的活動においては、持続可能性の追求を煽ることにも違和感を覚えます。活動の性質に従って役割を終えた時は、事業終了や組織解散に至る判断を怖がる必要はありません。

若林:長く続くほどに、存続自体が目的化してしまい、何のため、誰のための活動なのかわからなくなってしまうことは、往々にしてありますよね。長い行列に並ぶほど、列から離れられなくなるのと同じで(笑)。

アートプロジェクトやフェスティバルという「事業体」から、そうした事業を運営する「組織体」に移行して安定を図るのは、様々な観点から望ましいことではあります。一方で、アートプロジェクトは必ずしも、最終的に組織化、法人化して続けていかねばならぬものとも思いません。「これからのこと」が話題になった時に、自分たちはしっかり根を下ろしてやっていきたいのか、フットワークの軽さを重視するのか、自らの在りようを立ち止まって考えることが大切なのだと思います。

これは、既に法人化されている組織の存続についても同様で、組織の在り方は、資金的・社会的な観点から、今後より柔軟にならざるをえないでしょう。近い将来、持続可能性を追求する文化団体やアートプロジェクトにおいては、吸収・合併という話も出てくるだろうと思います。

山内:お金は、組織や活動における血液ですが、公的な資金を使用することについての正当性は、かつてなくシビアな視線が向けられているように思います。「当事者性を持てること」が大事だと思いますし、オリンピックの諸問題を見ていても、選考プロセスに市民が関わった感覚を持てていないことが問題の根の一つだと思いました。

また、施策の結果についても、「暮らしがよりよくなった」「充足感を感じられるようになった」といった足元の実感を伴わない施策には厳しい目が向けられ、不安や不信が高まるという悪循環が生まれています。広く世のなかを見渡せば、豊かな経済的基盤のもとで文化的な営みが育まれる、という側面も忘れてはいけない現実です。文化的な施策に携わる人にとっては、様々な社会課題があるなかで、自分たちが向き合うテーマの相対的な立ち位置がどこにあるかを大局的に理解することが、ますます重要になってきていると感じます。また届けるべき層に対して、それぞれの暮らしにつながる部分で「主観的な理解と共感」を生む努力、というのも鍵になってきますよね。

若林:国の文化予算も、自治体や企業の文化予算も、厳しい状況が長らく続いています。劇的に好転することも期待できません。そうしたなかで、いかに業界全体を底上げできるか。向き合うテーマの相対的な立ち位置を意識した上での「お金を通じたコミュニケーション」は、鍵になりそうですね。

対談日:2015年9月2日

専門家として現場をサポートするには?(菊池宏子×山内真理)

「『幸せな現場づくり』のための研究会」の研究会メンバーによる対談を全7回でお届けします。今回のテーマはアートを支える「専門性」です。

対談メンバー

菊池宏子さん(コミュニティデザイナー/アーティスト/米国・日本クリエィティブ・エコロジー代表)
山内真理さん(公認会計士・税理士/Arts and Law代表理事)

自分の得意な部分で社会と関わる

山内:私は、「公認会計士/税理士」として働いています。公認会計士は監査などの専門業務を行う国家資格ですが、独立している会計士の多くは税理士登録をして税務業務に従事し、この二つの肩書きを持つことが一般的です。 会計専門職を志向したのは、産業領域を限定しない職能に惹かれたからです。人の営みがあるところには経済があり、過去及び現在の測定・評価と未来の設計、そしてそこに向かう実践的なディレクションやサポート、現実的なペースメイクが不可欠だと考え、会計士に可能性を感じました。

自分の活動場所を決定する際、「自分の専門性を生かして社会に役立てるか?」という点と「仕事を通じ精神的に充足できるか?」という点を考慮して、クリエイティブな活動を会計的にサポートする仕事に辿り着きました。社会的に会計教育が不足している感覚があり、文化の担い手が経営感覚や交渉力を持つための下支えをすることで、社会的信頼に足る基盤が形成されるとしたら社会にとってプラスであり、潜在的なニーズもあるのではないかと考えました。文化の基盤としてまず経済があり、そこと人の営みを紡ぐようなイメージがあったんです。また、仕事を通じて様々な表現や文化に触れることで、新たな学びや気付きを得て、異なる視点を交換できるとしたら精神的にも充足度が高いだろうなと考えました。

アーティストに限らず、人は「何かを表現したい、産み出したい」という根源的欲求を大なり小なり持っていると思うのですが、広く受容される表現や文化には何らかの社会的な意味や背景があり、経済的側面からそれらを考察することにおもしろさを感じています。

会計とは、一言で言うと、経済的活動を貨幣的な情報に変換して記録、測定、報告することです。その際、会計基準などのルールに沿ってその実態を反映することが求められます。活動体は会計を通じて自らの姿を客観視し、未来への現実的な計画を立てて、外部の関係する人たちに必要な情報を提供することができます。組織内の経理もそうですが、外部からの会計支援の醍醐味は、伴走する組織体の文化や価値観を理解した上でペースメーカーを提供することだと思います。

菊池:なるほど。アートの仕事をしていると、日課や規則のようなものがきちんと整っていない場合が多かったり、常識や前提となっていることを疑ったり壊したりすることを大事にしている業界なので、ペースメーカーとして客観的なテンポ調整があるというのは大切なことですね。

山内さんと初めてお会いした際に、アメリカにある『Volunteer Lawyers for the Arts(VLA)』というアーティストやアート関連団体に対して、法的なサポートをするプロボノ組織の話をして盛り上がりましたね。 アートの業界の弱みは世界共通で、お金や法律のことだと思います。そこに対して、専門家がボランタリーに集まり、コンソーシアム体制で会計から税理、法的な側面からアートをサポートする例は、日本ではまだ少ないので、山内さんのような存在は、非常に貴重だと思っています。

山内:2004年に、ファウンダーである作田知樹が文化活動を支援するNPOとして『Art and Law』を立ち上げましたが、この活動はVLAを参考にしています。従来は法律家などの専門家がサポートをするという行為は、「先生と依頼人」のような関係になってしまいがちでしたが、Arts and Lawでは協働するパートナーとして対等に関わることを意識して活動しています。

菊池さんと最初にお話して意気投合したのも、アーティストであれ、会計士業であれ、社会の構成員として得意な部分で社会と関わることが大事で、関係性はもっとフラットでいいのではないか、という感覚を共有したからだと思います。

菊池:社会にアートの必要性を強く感じてくれている専門家たちと、私たちアート業界の人間が結びつくことでアートのある新しい社会ができるのだと思います。しかし、日本の小・中規模のアートプロジェクトは、まだまだ会計や法律の概念が抜け落ちていますよね。「社会」というものが制作テーマに留まっていて、現場での実践に落ちていないと感じます。

山内:そうですね。社会には、市場原理が働いています。「市場」という言葉は、ネガティブに捉えられがちですが、本来は、他者と価値交換をしていくコミュニケーションの一つであり、自然な営みの場のはずです。文化やアートといっても活動体の社会的な立ち位置や目的、役割は様々ですが、持続するためには経済活動を通じて経営基盤を整備し、安定的な雇用環境を創出していくことも大切です。 

文化事業には公共政策としての側面もあるので、税制による再分配を通じて血液を送り込むことは重要ですが、一方で活動体自身は、自分たちが社会に対して提供できる価値を見極め、市場と付き合う術を持つこと、その成果を定期的に振り返ることのバランスも忘れてはいけないように思います。活動の自律性は、経済的にも自律的であってこそです。

菊池:自律性は、非常に重要ですね。「市場」というのは、貨幣の交換だけではなく、それを超えた価値を試される場でもあります。そのためにも山内さんのような専門家に質問ができる最低限の言語、そしてそのネットワークが必要だなと思いました。

先日、ある大学で講演をした際に出てきた質問が、「アーティストには、社会性が必要ですか?」というものだったんです。答えに困りました(苦笑)。アーティストである以前に、生活者であるという社会性を持つのは当たり前。もちろん生きていく方法は千差万別ですが、衣食住を確保するために必要なことをしなければ、やりたいこともできません。ちなみに私自身、社会適応能力は低いと言われ続けているのですが、そのことと社会性は異なるものだと思っています。私の場合は、自分なりに社会で生きていくためのサバイバルスキルを身につけるように日々右往左往しながらもがんばっているつもりです。

アート業界は、素晴らしい人材が大勢いるにも関わらず、ワーキングプアも多いのが事実です。自分の生活を犠牲にして働くというのは本末転倒だと思います。アートは生きることついてもっと前向きな要素であるべきだと思っているので、自分自身がアートで死ぬ気はない(笑)。労働環境の整備や、それを支える経営基盤の強化は、緊急の課題です。

VLAもそうですが、アメリカは、ご存知の通り労働組合(Labor union)が盛んで、企業単位だけではなく、アーティストや教育者も組合をつくって、政策などに対して物を申していく文化があります。ロビー活動もその延長にあります。このように労働環境を整備する動きは、今の日本のアート業界で必要ですが、同時に一職業人として、最低限の法律や会計の知識を持つことで、自分で自分を守る意識が必要だと思います。そして、こうした働き方をつくることそのものが、アートプラクティスだと思っています。

自分の専門性を定義して、誰に何をしたいか考える

山内:菊池さんが、アーティストとして受けた教育とは、どんなものだったのですか?

菊池:私は、1990年に渡米して、ボストン大学芸術学部彫刻科を出て、タフツ大学大学院で学びました。大学院に入ったばかり頃は、ミシェル・フーコーやジャック・デリダなどポストモダニズムの書物を散々読ませられました。こうしたコンセプチュアルアートの影響もあり、一度アートを物質的につくることの意味がよくわからなくなり、作品制作を辞めました。そして、その時お世話になっていた先生に「パフォーマンスアートをやってみなさい」と言われたことが転機でした。

「自分自身が作品である」という態度に始まり、「自分が着ているものも発言もすべて政治的である」という教育を受けました。いわゆるホワイトキューブでの制作発表に対する反発から、地域のNPOや教育機関の協力のもとアートプロジェクトを行って、地域と関わりを持つようになったのもこの頃です。そして、「アートと日常の境界線は何か?」など、答えがないことをとことん議論しました。こうした経験を通して、結局、個人で答えを見出していくことの虜になったんです。同時に、何をするにも「違いがあるという前提に立つこと」を学びました。

山内:そうした経験が、どのようにいまの仕事につながっているんですか?

菊池:学生の頃に数多くのインターンに参加した際に、アーティストの持つ役割の多様性を実感しました。その経験から、目に見えにくい地域にある問題やコミュニティを考えるにあたり、アートの力を借りて人間が潜在的に持つ力を可視化し、それをうまく循環させることでより豊かな社会が生まれると信じています。そのため、働きかける対象がコミュニティや教育など、社会的な事柄に向かうのは、自然なことなのです。

こうした考え方には、特に、ボストン美術館でプログラムマネージャーをしていた時の経験が大きく影響しています。美術館が掲げた5ヵ年計画の「異文化共存オーディエンス開発 (Multi-Cultural Audience Development)」に関わりました。これが計画された背景には、美術館のコアな鑑賞者の高齢化と単一化(白人女性が主)により、次世代の顧客を育てるというビジネス的な課題が理由としてあります。また、美術館のあるエリアは低所得者層の多い地域で、美術館に無関心な人が多く、いかに地域と関わりを持ち、地域から必要とされる場をつくるかという課題もありました。

そこで提案したのが、「ティーン・アーツカウンシル」という、高校生のリーダーシップ・人材育成を前提とした雇用制度です。毎年12名の高校生を対象とした雇用枠を儲け、彼らが個人として意見を発し、地域コミュニティの声を拾う代弁者となることが仕事。「美術館のお抱えティーンアドバイザー」のような役割として館内の企画づくりや連携を図り、今後の運営方針に活かして地域に還元する仕組みをつくるプログラムでした。同時に、彼らの存在によって、美術館そのものの役割や雇用、コレクションの種類など、より多様な価値観が共存できる職場環境をつくる契機になったと思います。

なかでも思い出深いのは、エリカという当時15歳の女の子との関わりです。とても熱心にプログラムに参加する元気な子だったのですが、ある日「いやー、宏子、今年の夏はとても大変だったんだ。実は、電気代が払えなくて、ずっと電気がない暮らしだったんだよね」と話してくれたんです。理由を聞くと、彼女の母親はシングルマザーで、ホテルの掃除をして生計を立てていたのですが、足の骨を骨折して働けず、しばらく収入がなかったと言うのです。

そんな状況のなか、エリカは大学進学を決断しました。彼女の母親は、早く働いてほしがっていたのですが、大学に行くことがいかに大切か一緒に説得をして、奨学金も取得しました。そして、卒業をする時に、私を食事に誘ってくれたんです。「いままで4年間、一度も自分にお金を払わしてくれなかったから、今日はお礼に何でも食べて!」と言って。こうして一人の女の子と過ごした時間は、何ごとにも代え難い経験でした。

このプログラムを通じて多くのティーンと仕事をして、組織内の小さな変化はいくつもありました。しかし、プログラムに参加したティーンの子たちが将来美術館やアートを生活の一部として捉えるかは、まだ分かりません。物事の変化に時間がかかることを実感したのはこの時です。私は、目の前にいる人と密接に関わっていきたいのだと実感した経験でもあります。  

アートや自分の専門性をどう定義して、それを通して、誰に何をしていきたいか考えることが、職業人としてのスタートラインに立つことだと思います。

どのような社会をつくりたいかイメージする

山内:目に見えないものに価値を置くというのは、アートの魅力だと思います。会計にはいわば「測定できないものは管理できない」という性質があるので、その対称性におもしろみを感じます。

アートの価値は究極的には主観的なものだと思いますが、例えばある値段で売買が成立した時、ある値段で作品を購入したという事実は、貨幣的な尺度で測定可能な歴史的事実として会計に反映されます。このように帳簿や財務諸表には意思決定の結果が立ち現われ、言わば組織の歴史や記憶のようなものが刻まれます。そしてそこには経営者の手腕だけでなく、ビジョンやそれを取り巻く社会環境も反映されるのです。例えば、あるサービスの担い手が量産体制を構築して社会の隅々まで届けることを重視するのか、それとも経営哲学を薄めず品質を落とさずに持続できるやり方を選択するのかで、5年後、10年後の姿はまったく異なるものとなります。事業規模は小さくとも、自分たちが満足できる品質のものを丁寧につくって必要な人に確実に届けようとする事業であれば、受け手の母集団は小さいかもしれませんが、つくり手と受け手双方の満足度は高いかもしれません。一方、社会の隅々に届けるということを重視した事業では社会全体としての満足の総量は大きいかもしれません。こうした違いは会計に現れます。「目に見える世界にも、目に見えないものが投影される」というのは、会計の一つの醍醐味かもしれません。

大事なことは活動主体のビジョンであり、何を表現したいかであり、ミッションです。そこに寄り添う会計士で在りたいと思いますね。

菊池:会計士や税理士は、そろばんを弾くイメージが強いですが、山内さんのようにビジョンや内容に踏み込んで、よりよいものにしようという方は珍しいと思います。「つくり手と受け手双方の満足を重視する」という態度に共感しました。

私は、2000年半ばに「エンゲージメント(engagement)」という概念に出会いました。これまでは、教育普及において、美術館などの公共機関が地域の学校や福祉施設に出張してサービスを提供するアウトリーチ(outreach)が主流だったのですが、エンゲージメントはそれに対するカウンターとして登場した概念です。
アウトリーチは主体があって、「自発的に申し出をしない人たちに対して支援する」という一方向的な考え方なのですが、エンゲージメントは「両者の充実を図る双方向的な仕組み」を目指すコミュニティづくりの発想です。つまり、上下の権力関係ではなく、横に並ぶパートナーシップを構築する在り方で、山内さんの目指す、会計士と経営者の関係性に通じるところがあります。

主体となるのは、人種や所得など資本主義制度のなかで限られたごく一部の人たちです。アメリカの場合その差が顕著で、何の議論をするにも「誰の」声なのか、主語が問われます。そこで私は、自分で声を上げられる人ではなく、こどもやマイノリティなど、「声なき声に耳を傾ける世界」のほうがいいなと思ったんです。エンゲージメントは、それを実現する有益な手法だと思います。

山内:なるほど。そして、そこでコーディネーターの役割が必要になってくるわけですね。

菊池:コーディネーターの働きというのは、自分の意見がないと誤解されがちですが、異なる価値観を組み合わせるというのは、非常にクリエイティブな作業だと思います。相手が言いたいことを想像して、違いを掛け合わせることにトライする。ものごとの専門性が高まり複雑化した現代において、コーディネーターは、どの業界においても必要な働きだと思います。

山内:そうですね。専門家として関わるというテーマで言うと、大事なことは、「どんな社会をつくりたいかイメージしながら貢献できる部分で関わる」ということかなと思います。どんな職業であれ、まずは一市民としての責任があります。私は、まずはコンプライアンスなど社会の一員としての役割を果たしながら、文化やクリエーションの可能性を拡張するサポートしたいと思っています。

菊池:私は、アーティストの働き方を、いろいろなかたちで示していきたいと思っています。自分たちがやっていることが、社会においてどんな意味があるか、どんな社会をつくることにつながっているのか、考えながら動いていきたいですね。

対談日:2015年8月20日

ゼネラルな働き方をつくるには?(帆足亜紀×若林朋子)

「『幸せな現場づくり』のための研究会」の研究会メンバーによる対談を全7回でお届けします。今回は、二人のコーディネーターによる働き方の考察です。

対談メンバー

帆足亜紀さん(アート・コーディネーター/横浜トリエンナーレ組織委員会事務局プロジェクト・マネージャー)
若林朋子さん(プロジェクト・コーディネーター、プランナー)

両者の違いを認めるところに関わる

帆足:日本では、異なる組織や業務の間を取り持つ「中間支援」の職域がまだ確立されていません。私のようなコーディネーターやいわゆるプログラム・オフィサーなど、領域横断的なサポートを担う職域です。確立していないがゆえに雇用や専門性の問題が生じている面もあります。 私はこれまで、非常に雑食な働き方をしてきました。現在、コーディネーターと呼ばれる人のほとんどは、みんな同じように多種多様な職歴を持っているのではないかと思います。

「コーディネーター」という肩書でアートの仕事をしている人に初めて出会ったのは、1996年に『独立行政法人国際交流基金』から翻訳の仕事をさせていただいた時です。その担当者は、展覧会やシンポジウムを手掛けていたのですが、事業方針を決めつつも、自らキュレーションやシンポジウムの司会をするのではなく、裏方に回り、キュレーターや研究者、またはアートに関わる各種機関の間を橋渡しする役割を担っていました。つまり、オーガナイザーやプロデューサーの働きにも近いのですが、異なる要素をつなぐことによって事業の形態が変化する様子を目の当たりにし、「コーディネートの質が事業の質を決める」ということを学びました。

国際交流基金が主催するアジア美術関連の事業にはプロジェクトベースで関わっていたのですが、当時はまだ経験もスキルもないので、唯一役に立てそうな翻訳の仕事をメインに携わっていました。といっても、アジアの現代美術にかかわる固有名詞も文脈も全く分からず、言語的な変換はできても、「翻訳」のレベルには至らなくて苦労したのを覚えています。イギリスの大学院で学んだ文化政策の知識などは全く役に立たず、アジア美術に関わる歴史や文化政策などについてもっと知りたいと思い、とにかく新しく出会った分野について行こうと決めました。そこで、役に立たないなりに翻訳や編集、関係者とのコレポン(英語の商業文作成)、招聘業務に始まり、展示、シンポジウム、セミナーやワークショップなど、アジアをテーマにした様々な事業に必要な人や組織をつなぐ仕事の経験を積ませていただきました。

現在関わっている国際展という大きな領域のなかでも、様々な部門や業務をつなぐために必要なこと=コーディネートする仕事をしています。国際展や芸術祭は、「展覧会プラスα」なので、総合性が求められます。2000年以降の芸術祭やアートプロジェクトの増加によって、より領域横断的な仕事が求められるようになってきていると感じます。

若林:私は2013年までの約15年間、『公益社団法人 企業メセナ協議会(以下、メセ協)』で、事業の企画立案を行う「プログラム・オフィサー」として働いていました。1990年に設立され、企業が社会貢献の一環として行う芸術文化支援活動(メセナ)の推進と、日本の芸術文化環境の全般的な整備を行う団体です。
そこで携わった仕事は、調査研究から政策提言、出版、イベント、研修、助成、国際会議への出席、震災復興支援、ウェブ制作、広報まで、あらゆることを担当しました。10人にも満たない事務局なので、兼務しながら何でもやるのはごく自然なことでしたし、15年も勤めればほとんどの業務を経験したわけです(笑)。

「何でもやる」というと、典型的なゼネラリストのようですが、いったんその担当に就いたら、例えば出版の担当になれば出版の、調査の担当になれば調査のスペシャリストでありたい、あろうと思って仕事をしてきました。そして、特定のアートの専門家ではないけれども、企業メセナについては誰よりも詳しいプロフェッショナルになろうという思いは常に持っていました。

帆足:ゼネラルな仕事に関わりながら、プロフェッショナルでありたい、という思いですよね。それでもすべてのプロにはなり得ない。どういった知見が必要か分かれば、自分ができないことは、別のプロに頼むことができます。何年経っても毎日新たに学ぶべきことはどんどん出てきます。なので、なるべく「何が分からないか分からない状態」からだけは脱したいと思っています。

若林:調整役であるコーディネーターの仕事は、未知のことや、自分とは違う意見の人と向き合う場面が多いかもしれません。相手の持っている「前提」を知って、相手の立場に身を置いて、できる限り理解しようと努めないと、調整や交渉、合意形成には辿り着けない気がしています。 一番大事にしているのは、「最適解を提供すること、最適化すること」です。意見の相違があっても、最後は、両者あるいは複数の関係者にとっての最適解を導き出せるように折り合いをつけていく。もちろん、互いに傷つくこともありますが、その傷をなるべく浅く収めるのが、コーディネーターの仕事だと思います。たとえ自分が打ちのめされても(笑)。

帆足:確かに。一つの主張を通すのではなく、「両者の違いを認めるところに関わる」というのは、私たちの仕事だと思います。

「営み」に関わるコストを考える

若林:自分に求められている役割を自覚して働くようになり、しっかりやろうとするほど、自ずと社会を動かすための仕組みや構造、制度に触れる必要が出てきます。これは、働く年数を重ねて、やっと見えてきたことでした。

例えば、お金のことですと、アート業界は、「この予算の範囲内で」という予算ありきの発注が多いように思いますが、万一自由に見積もりを出せることになった場合、自分の労働をきちんと金額換算して交渉することができるでしょうか。予算の大小に関わらず、しっかり執行できる準備ができていて、会計や税金、保険、労働法のことも分かっていないと、まとまった予算を預かることも難しいですよね。

帆足:横トリは、3ヵ年で約9億円規模の予算がつく事業です。一見大事業に聞こえますが、横浜市のような大都市が手掛ける「公共事業」のなかで考えると、港湾や都市整備に比べて、規模の小さい事業です。

公共事業では一般的に人工や工数など積算しますが、文化事業でも同様の積算を求められたときに、根拠となるデータや経験が不足しているせいか、適正な数字を判断しかねるように思います。どれくらい作業負荷が発生するのか、どれくらいの時間がかかるのか、ということですね。展覧会であれば作家数や作品数は数字で把握されているにも関わらず、そのアウトプットに至る作業が数値化されていないので、実際にどれだけの仕事が発生するのかが共有されていないように思います。自分の仕事を数字だけでは定義できないと理解しつつも、数字でも定義する必要があるのではないかと感じています。

これまで美術館やホールなどハードを中心に、そして近年ではアートプロジェクトや芸術祭などイベント中心に予算やコストが語られても、経年部分にかかるコストや人材育成のようにすぐに成果を生み出さない「営みに関わるコスト」が後回しになり、予算化の議論から抜け落ちているようにも思います。

若林:ハードやアウトプットに意識がいきがちで、完成した建物をいきいきと数十年間動かしていくための中身や事業を継続する仕組みづくりについて、費用や人材のことも含めて切実感を持って議論されていないですよね。

帆足:お金を出す側も働く側も、ソフトの維持や活性化をする部分になかなか思考が辿りつけていないと感じています。アートの現場は、労働集約型です。そのため、人件費がかかってしまうのですが、人に投資しないと事業が成立しないとうことをいかに理解してもらうか、いつも頭を悩ませています。

若林:労働集約型にも関わらず、それを支える人材が少ないという慢性的な課題があります。アートや文化はクリエイティブな世界であると言いつつも、業界として知的集約型になり切れていない。アートが提供できる価値を金額や言葉で上手に表現できないと、経済的な自立は困難ですし、お金を出す側と対等な関係は築けないように思います。

帆足:そうなんです。たとえば文化芸術関係のNPOで億単位の事業を政府から受託している団体がどれだけあるのでしょうか。政府に依存するという意味ではなく、政府やその他関係機関と対等に仕事ができるような社会的信頼を高めていく必要性を感じます。

若林:これからは「交渉」がより大事になってくると思います。例えば、予算削減の話が出た時に、アーティストもコーディネーターも、「その予算ですと、この範囲のことしかできません」あるいは「この範囲のことであれば可能です」ということを、はっきり提示することができるか、だと思います。

尊敬を込めて言いますが、アートの世界は、いいものをつくることに対して限りなく貪欲で、労を厭いません。でもやはり、大事なことを犠牲にしてまで無理は続かないと思うんです。時間やお金、健康、家族……。本当に長くアートで仕事を続けていくためにもです。ですから、与えられた条件に対して、できる範囲はこれだとロジカルに示していく必要があると思います。

帆足:でも、「限界をつくらない」というのはアーティストの生き方、そして仕事の仕方そのものですよね。そこに対して、税金を投じることに齟齬が生じている。公共のお金は、正当性や公平性など社会的な価値が必要なので、そこにアーティストの発想を収める難しさがあります。

若林:アーティストを枠に収めようとする必要はないと思うんです。むしろ、限界を定めても、一流のアーティストやコーディネーターは、「この仕事は予算も報酬も見合わないけれど、やりたいからやる。不足分の資金は別のところから捻出する」という方法をきっと取るはずです。

大事なのは、事前にどれだけ納得した話し合いを交わせるかです。どんな仕事でも、いったん合意形成したらそう簡単には撤回できないので、初期設定というのは、非常に大事だと思います。

帆足:仕事は、お金では測れない対価もありますよね。私も、例えば、お金が少なくてもこの仕事はチャンスだ、あるいはほかでは経験できないことができる、と思う場合、必ずしも対価だけでその仕事の価値を見ているわけではありません。それこそ駆け出しのころは、チャンスや経験のほうが大事でした。

ボランティアの方々と働いていても同じことを感じます。お金ではない何かしらの価値を交換するために、時間や経験、知識、労働を分けてくれているなと感じます。

若林:そこに何かしらの満足感を持ってくれているんですよね。お互いに気持ちよく働くために、私たちが携える必要のある技術や視点はまだまだあると思います。例えば、「いかにアーティストを見守ることができるか」という力量も、我々には求められていると思います。一見わけの分からない駆け出しの若手アーティストを受け入れて、「今はまだちょっと未熟だけど、10年くらい付き合いましょう」という態度をとることができるのか、社会の側も試されます。アートは、社会の成熟度と密接に関係していると思います。

帆足:芸術祭は、お祭りごとのように見られがちですが、数年にわたって定期開催することによって社会にアートが生み出す新しい価値を定着させる営みでもあります。その過程で地域の人も「見る人」「参加する人」に留まらず、「引き受けていく人」にもなっていくんですよね。若林さんが仰る通り、「社会がアーティストを育てる」という側面もあると思います。

若林:持ちつ持たれつ、関係を持続する努力が必要ですよね。

アートを「公共の問題」として価値づけをする

帆足:コーディネーターが仕事に臨む時に重要なのは、現状の維持ではなく「未来に向けて価値をつくり出すこと」に積極的な態度をとることだと思っています。

みんなが欲しているものは、既にこの世にあります。アートに関わる仕事というのは、ほんの一部の人が欲しているものや、まだ誰も欲していないけれど、もしかしたら将来必要になるかもしれないものに対する「投資」をしていく営みだと思います。その「まだ価値の定まっていないもの」をどのように価値づけるか、それを考えることですね。学芸員は美術史のなかで価値づけをすることが仕事だとすると、私たちコーディネーターが提示する価値体系は何なのか。経済波及効果や広報効果でしか「社会的インパクトの文脈」が説得力を持ちえていない現状を変えることで価値体系が変わるのか、ということを考えることだと思います。

具体的には、税金を使うこととマスに還元することが直結するような価値づけがされていますが、アートが表現するものには、たったひとりにしか届かないものにも価値を見いだすことができるはずなんです。つまり、マスだけではなく、社会のなかにあるマイノリティの価値観をいかに担保するかが、アートの重要な役割のひとつ。そういった価値体系を普及させることも、私たちの仕事には求められていると考えます。

若林:「異なる価値観に価値がある」ということを伝えるのは、アートの得意とするところですよね。違いがあることが、社会を健全にしていると思います。つい大多数の意見に流されてしまいそうになる時、「それはおかしいんじゃないか」と引き戻してくれるのが、アートの素晴らしさだと思います。

帆足│海外の国際展事務局の担当者と意見交換する際にまず話題に挙がるのが、人権や移民、セクシャリティの問題、独裁的な政治体制における表現の自由など切実な社会状況で提示すべきアートです。次に話題に挙がるのがいかにスポンサーを説得していくか、そして、パブリックをどう巻き込んでいくかです。「マイノリティの存在を守り育てる意識」を共有しつつ、スポンサーや広く社会を説得するのにはどこも苦労していることが分かります。「アートは、公共政策だからこそマイノリティにも目を向ける」という認識を常識に転換できるかどうかが鍵だと思います。

若林:「自分には必要ないけれど、誰かは必要だろう」、あるいは「自分には必要だけど、みんなは必要じゃないかもしれない」と、自分と違う他者に思いを馳せることができた時に、アートを「公共の問題」だと思えるのではないかと思います。 伝統芸能や文化財など、価値が定まっているものは、守るべき対象であると理解されやすいところがあります。でも、「価値の定まらないものを公共政策に取り入れていくことの意義」も、地道に理解を得ていきたいですね。コーディネーターは、その価値づけをしているのかもしれません。

対談日:2015年8月6日

アートを通じて社会とかかわるには?(帆足亜紀×菊池宏子×若林朋子)

『幸せな現場づくり』のための研究会」の研究会メンバーによる対談を全7回でお届けします。アートプロジェクトの未来を切り開く「働き方」とは? 第1回は、アートの現場で生まれている「もやもや」を社会的背景から整理し、メンバーそれぞれの具体的なエピソードも交えて「社会と関わる」ことについて議論しました。

対談メンバー

帆足亜紀さん(アート・コーディネーター/横浜トリエンナーレ組織委員会事務局プロジェクト・マネージャー)
菊池宏子さん(コミュニティデザイナー/アーティスト/米国・日本クリエィティブ・エコロジー代表)
若林朋子さん(プロジェクト・コーディネーター、プランナー)

「働き方」について考える

帆足:現代アートの現場を取り巻く環境は、この15年ほどの間に大きく変化しました。1980年代は美術館の設立ラッシュがあり、90年代はそれに対してソフトの充実を図るためにアートマネジメント講座が開設され、全国に広がりました。90年代半ば以降はアーティスト・イン・レジデンスに取り組む自治体が出てきます。2000年代になると、地域に根ざしたアートNPOの活動が各地で盛んになり、国際展や芸術祭も台頭してきました。アートの世界で仕事をする人の数が急速に増えるとともに、職域や職能が多様化したと言えます。

その一方で、設置の根拠となる制度が確立している美術館などを除くと、芸術祭やフェスティバルを運営する実行委員会や、アートNPOなどは組織基盤がまだ弱く、雇用の長期ビジョンや労働環境が整っていません。やることはどんどん膨らんでいるものの、そこにいる人の「働き方」についての議論は、置き去りにされているなと感じます。

若林:働き方について話すと、私は10年ほど前から、アート業界の「R25問題」「R30問題」を感じてきました。R25、R30というのは、その頃創刊されたフリーペーパーに因んで名付けたのですが、アートにおけるキャリア形成の課題を表しています。 「アートが好き。何があってもがんばります!」とこの業界に入り、寝食忘れて働く。お給料は安いし社会保障もないけれど、やりがいがあるからとにかくがんばる。でも数年たつと燃え尽き症候群のように、突如心がポキっと折れてしまったり、体を壊したり。これが25歳頃に起きるR25問題です。
30歳?30代半ばになると、今度は結婚、出産、育児、パートナーの転勤、親の介護など、人生のイベントが次々と起きて、他の業界で働く同世代との様々な差も明らかになってくる。「自分は本当にこの労働環境でこれからもやっていけるのだろうか?」と将来を案じて、アートの世界から離れていってしまう。これがR30問題です。

こうした問題を抱えた同世代や後輩をたくさん見てきました。 しかし、若い世代の過重労働や雇用環境のことは、これまでほとんど議論されてきませんでした。何年もかけて育てた人材が現場を去るのは、本人も残念でしょうし、雇用側にとっても、投じたお金と時間が損なわれるということ。アート業界は、ずっともったいないことをしているように思います。

菊池:私は、日本での就労経験がほぼないまま2011年に帰国した頃、「日本のアート業界のみんなはよく働くな?!」と感心していました。ただ、女性の働く場という視点で考えると、非常に厳しい。芸術祭が開催されるごとに全国各地を飛び回る「渡り鳥」的な働き方のフリーランスの人が多く、自腹を切ってアーティストのサポートをしたり、貧困レベルの所得の方もいるのが実情です。それでは、人が育たないし、アート業界から人も離れ、ノウハウの蓄積や共有ができず、継続性が生まれません。

若林:期限を設けて雇う「有期雇用」は、アートの世界でも確実に増えたと思います。特に、2003年に「指定管理者制度」が導入されてからは顕著ですが、指定管理団体に限らない傾向です。 雇用や労働というテーマは厚生労働省の管轄ということもあって、文部科学省(以下、文科省)や文化庁では積極的に議論されてこなかったという話もありますが、もはやそうも言っていられません。雇用や労働問題は政府の重点課題ですし、「人財=人こそ財産である」という考え方が定着しつつありますから。

帆足:本来、数年働いて別の現場に移動する場合、キャリアが広がるという考え方もできるはずなのですが、有期雇用やフリーランスの立場では、プロジェクトの部分を担うことがあっても、予算を任されたり、一定の権限を持つようになったりと、全体に関わるチャンスがなかなかありません。さらに「現場を回す都合のいい人」になってしまう危険性も孕んでおり、文化政策などを学び経験を重ねていくなかで、事業推進や業務改善などの逆提案ができる「キャリア形成」を可能にすることが重要だと思います。

若林:働きやすい業界じゃないと、外から新しい人材が入ってこないですよね。組織経営や広報、マーケティング、会計などの専門職や、食や観光、福祉など他分野からの人材の流入がないと、社会の期待に応える革新的な動きにつながらず、業界もどんどん痩せ細ってしまいます。

帆足:現代アートにかかわる仕事、あるいはコーディネーター的な仕事の社会的地位が確立できていないという問題もありますよね。現場の人たちが普通に生活して、投票や納税など社会人としての務めを果たすことで、周りの人も安心して一緒に働くことができますが、生活者としての基本的なことがままならず「好きでやってるんでしょ?」と趣味のように見なされてしまうと、対等な関係性は築きにくい。どんな仕事を何のためにやっているのか、一緒に働く人たちにも理解してもらわないと、いいパートナーシップは結べません。

若林:対等なパートナーシップを結ぶって、なかなか難しいですよね。業界的に助成金や協賛金に頼っている部分が大きいので、お金が介在すると対等になりにくいのが実情です。 また、助成金も、事業費のみが対象で人件費が含まれていない設計が未だに多いですね。芸術団体は、複数の収入構造をつくるなど、安定した経営基盤の確保が急務です。そして助成する側も、事業費の助成だけで自分たちが思い描く目標が本当に達成可能なのか、いま一度考える必要があると思います。

帆足:私が関わっている『横浜トリエンナーレ(以下、横トリ)』をはじめ、多くの芸術祭では、運営するチームのほとんどが契約社員や外部委託だという現実があります。求める仕事は高度で専門性が求められますが、それに見合う保障や研修制度などが整っているわけではありません。

一方、誰もがそうであるように、仕事のスキルというのは、経験を積みながら、身につけていくものです。最初から相応の報酬をもらえるほどのスキルが身についているわけではなく、経験を重ねていくなかでスキルアップしていきます。アーティストは何十年かけて確固たるものを獲得していくわけですが、それに付き合い、アーティストと社会とつなぐ立場の人も忍耐強く様々な経験を積んでいかなければなりません。その忍耐の先に、健全なキャリア形成が図れるようにすることで人が育ち、最終的に社会に届ける文化の質が向上していくことにつながると思います。

身体知を「見える化」する

若林:私は、2013年に個人で仕事を始める時に、世の中に不足していると感じていた「物事の調整役=コーディネーター」として働こうと考えました。仕事の領域はアートに限らないので、アートコーディネーターとは言わず、「プロジェクトコーディネーター」と名乗っています。

菊池:私は、コミュニティ・デザイナーやエデュケーター、コーディネーターなど、「関係性やコミュニケーションのプロセスを考える役割」を名乗ることが多のですが、その根底には、自分は「アーティスト」だという思いがあります。  現代美術家であるヨーゼフ・ボイスの提唱した「社会彫刻」の概念に影響を受けていて、何かを直接的につくるだけでなく、自分自信をインスティテューション(組織、社会制度)であると捉え、教育やコミュニティづくり、人材・ボランティア育成に関わることもアートの一環だと考えています。

例えばアメリカの美術教育は、アーティスト・ステイトメントひとつとっても、「何のためにアートをやるのか?」「アーティストの役割は?」「社会にはどんなアートが必要か?」ということについて、とことん問われます。それに対して、すぐに答えを出すのではなく、その時しかない考えや感情を表現する機会がたくさんありました。そういった教育を受けてきた者として、誇りを持ってアーティストであることを名乗りたい、そしてアーティストがちゃんと社会に寄与できることを証明したいという思いがあります。

帆足:私は、自分の職業を「アートコーディネーター」と名乗っています。キュレーターを中心とする企画・展示・教育普及に関わる人々を「つくる人」だとすると、つくられた展覧会やプログラムを「届ける人」です。 届ける仕事を機能で説明すると、事業を実現するために必要な経理や総務、広報・PR、渉外、記録、ボランティア運営などを指します。なので、行政や企業、地域などのステークホルダー(利害関係者)から、アーティストやコレクター、批評家、ボランティア、観客など多様な人々と接するのが特徴です。だから、いつも板挟み(笑)。

アーティストという「いまはまだこの世にないものをつくる」という未来志向の時間軸をもち、個人として行動する自由な立場の人と仕事するにも関わらず、私が普段仕事で関わっている行政を始めとする多くのステークホルダーは、その外側にさらにステークホルダーがいる組織でもあるので、確実性を高めるために過去の実績を重んじる傾向にあります。アートに関わる者としては、まだ見ぬ未来を見たいと思う。

しかし、「届ける」仕事は、過去を重んじながら、いますべきことは何かと考える「現在志向の存在」なのだと思います。 新しいことをしようとすると、既存の制度が追いつかないことがあります。特に、公的資金を使う場合は、予算は議会の承認を得る必要があり、制度や規定に沿って適正な手続きをするために大勢の人が動いています。そこには、自ずと説明責任が伴う。そこで、私たちコーディネーターは、間に入って「双方の言語やシステムを理解してつなぐ」という役割があります。バイリンガル、トリリンガルになる必要があるし、共通言語を生み出す必要もあります。

菊池:確かに、共通言語は必要ですよね。異なる言語を使っていることに気づかず説明不足が生じて、「そもそも何を話していたのか、何を質問していいのかわからない……」と思わせてしまうことが多分にあるなと思います。 また、共有する時間を持つことも大切です。共通言語を育むためにも、こまめに互いの言動を確認する習慣や、相手の意図を想像する力が必要だと思います。

帆足:いま私たちに必要なのは、「自分たちの仕事を見える化する」ことだと思います。各地でアートプロジェクトが増加するなか、各現場で蓄積されてきた技術を共有することでもう少し働きやすくなるのではないかと感じているからです。 横トリでは、会期後に公式の決裁文書とは別に、担当者レベルの「引き継ぎ書」を残す努力をするのも、行政やアーティストとのやりとりなどで「知っていれば助かる些細なこと」を共有したいという思いがあるからです。

近年、数十万、数百万円規模だったアートプロジェクトだけではなく、数千、あるいは億単位の芸術祭も行われるようになり、説得する人数も格段に増え、意思決定プロセスの複雑さやそこにかかる時間だけではなく、決定論理や根拠の違いから現場レベルでズレが生じる状況を目の当たりにしています。行政だけでなく、協賛企業や商店街などルールの違う他者と仕事をするためには翻訳が必要となります。翻訳とは、異なるルールをつなぐ手順なのですが、それが確立されていないと「ルールを知らない」ということが、「仕事ができない」と誤訳されてしまうもどかしさがあります。 私たちが「現場」という言葉を使う時、ついアーティストを中心に据えた現場を想像しがちなのですが、私たちと同様に役所の人やその他大勢の関係者も、みんなそれぞれの事情と説明責任が発生する現場を持っているんですよね。私たちが「現場で培った身体知を見える化する」ことで共通認識が生まれ、互いにリスペクトをして仕事ができるきっかけになるのではないかと思っています。

若林:リスペクトするには、想像力が大事でしょうか。例えば、自分が何かを頼むことで、相手にどういった作業が発生する可能性があって、それにはどれくらいの時間がかかるのか、相手は今どういう状況にあるのかなど、「他者と対話するための想像力」をできるだけ持ちたいですね。

時間をかけて関係性を育む

帆足:この15年ほどの間に、現代アートを扱う(国際)芸術祭が増えて、10万人単位の来場者数を目標に据えています。つまり、現代アートに親しみのない人も含めて、大勢の人々と関わらなければなりません。その時に学ぶ必要があるのは、やっぱり「社会」についてなんです。大きな予算を適正に配分する経営感覚やPR、国や自治体、企業、コミュニティとの関わりなど、あらゆる対象と渡り合う技術が求められています。また、ステークホルダーの幅も広がります。

例えば横トリは、来てくれた人をカウントする時は「来場者(visitors)」という言葉を使いますが、展覧会の体験を測る上では「鑑賞者(audience)」と呼びます。でも、別の角度からみると「参加者(participant)」や「施設利用者(user)」とも捉えられます。 来場者あるいは鑑賞者は、チケットを売る相手にもなり、マーケティングの対象にもなるんですよね。そのため、どういう人が実際に足を運ぶのか、あるいは誰が潜在的に展覧会に来るのかを見定め、今後どんなチャネルで販売すればいいのかを考える対象になるわけです。一方で、サポーター(ボランティア)の人たちはステークホルダーとして捉えるほうがよく、参加者に近い存在です。さらにサポーター以外にもまちで応援してくれる方々がいて、この人たちはどう定義するといいのだろう、というようなことを考えています。

若林:なるほど。そういった社会の多様な関係者の、利害の「利」の部分を考えていくことこそ、いい関わりをつくることになりますよね。そのためには、どれだけ自分の視点を広く社会に向けることができるかだと思います。 アートは公共性があるからこそ、税金を使うことができていて、法律や会計、労務など様々な社会制度との関わりが発生する。「誰のために」「何のために」という部分を自覚することで、アートに関わる時のふるまいも変わってくるように思います。

菊池:先ほど帆足さんがお話しされた「参加」に関して話すと、そこには、傍観する人から巻き込まれて深く関わる人まで、様々な関わり方の濃度がありますよね。そこには、「オーディエンスディベロップメント(audience development)」と「コミュニティエンゲージメント(community engagement)という考え方があり、前者は、短期的なマーケティング戦略などに、後者は、長期的なコミュニティ・組織開発の際に使われるものです。

エンゲージメントは、まだ日本語にうまく翻訳されていないのですが、哲学者のジャン=ポール・サルトルが提唱した「アンガージュマン」に近いと捉えています。単に「参加」や「関わり」という意味だけではなく、自ら選択し、行動するという「現実そのものに関わっていく生き方」とも言えます。それを一人一人と築き上げていくには、とても時間がかかります。 文化という言葉について考えると、もとは「耕す」を意味するラテン語のcolereが語源で、cultivate(耕す)やagriculture(農業)にも派生しています。この言葉の持つイメージは、大地に根ざしていて、時間をかけて持続していく文化の存在と重なります。「時間をかけて関係性を育む」ということを、大事にしていきたいですね。

帆足:いまは、プロジェクトの短期的な成果ばかりが注目され、文化が飾り物のように消費されているように感じます。例えば、行政の単年度予算が、その原因のひとつと考えられます。アートの営みは教育と同じで、1年で成果が見えてくるものではありませんし、予算作成時と実践される時期、成果が現れる時期とで、それぞれ社会状況が変わっていることもあります。 でも、文化庁ができたのが1968年なので、まだ設立から50年も経ってないんですよね。そう考えると、文化というものが制度的な側面でまだ整備段階にあるのかもしれません。 いま、私たちのように現場に関わっている者が、制度と実践との間を丁寧に把握することで、それこそ「文化」をつくっていくという意識に具体的なアクションが伴うようになるのではないかと思います。

対談日:2015年7月28日

使いやすいサービス開発を目指して

「デジタルアーカイブ・プロジェクト2015」では、分散しているデータをより簡単に一元管理できるアーカイブ・サービスのβ版開発を目指して進めてきました。

データを「集める」ことと「使う」ことをつなぎ、オープンなデジタルアーカイブを構築できる新しいサービスの提案や、実現のために実施した専門家ヒアリングの内容など、本年度の研究開発プロセスをレポートします。

アートプロジェクトの現場におけるデジタルアーカイブの課題

アートプロジェクトに本当に必要なアーカイブ・サービスとはどんなものでしょうか。忙しい現場で無理なく活用してもらうためには、どのような工夫が必要なのでしょうか。

今回のプロジェクトでは、なるべく簡単で、役に立つ仕組みを考えるべく、腐心してきました。

昨年度のTARL研究開発プログラムでは、「ResourceSpace」を活用し、データベースに文書管理の仕組みを加え、様々な資料を構造的に整理して格納するシステムとそのルールを考案しました。ResourceSpaceはカスタマイズ可能なので、各団体やプロジェクトにあわせて、資料整理の仕方を工夫できる点が便利です。一方、すでにクラウドサービスを活用してデータを整理している団体においては、ResourceSpaceに別途データをアップロードし直すという一手間が発生してしまいます。そのため、忙しい現場には浸透しづいのが課題でした。

そこで今年度のデジタルアーカイブ・プロジェクト2015では、現場での運用において、心理的な障壁をなるべく感じさせないサービス開発をテーマに掲げました。

また、アートプロジェクトを実施する団体は、同時期に複数のプロジェクトを抱え、プロジェクト毎に様々な人が関わっているため、情報共有が難しい場面も多いようです。しかも各プロジェクトメンバーが使い慣れているソフトや端末にあわせて、サービスを選ぶ必要があり、同じシステムを一斉に使用するのも難しいことが現実。これは多様な人が関わるアートプロジェクトならではの特徴であり、面白くもあるものの、データベース上で活動の把握がしづらいのは大変もったいない状況でもあります。

提案|クラウドサービスを繋ぎ、インデックス化する新しいデジタルアーカイブ・サービス

そこで「デジタルアーカイブ・プロジェクト2015」で新たに考案したのが、様々なクラウドサービス上にあるデータをフック(Hook)という仕組みを使い、インデックス化し、一括検索できるサービスです。

これならば、ResourceSpaceのようなシステムを一斉導入するのは難しくとも、すでに複数運用しているクラウドサービス上にあるデータを便利に使えるようになれば、情報管理がしやすくなり、プロジェクトマネジメントがスムーズになるのではないか。様々な場所に拡散して蓄積している情報を、一箇所で閲覧や検索が可能になれば、活動の可視化へ向けての第一ステップになるのではないかと本プロジェクトでは考えました。

デジタルアーカイブ・プロジェクト2015で提案した新サービスの構造イメージ。

FacebookやYouTubeなど複数のオンラインサービスを使って情報を管理しているチームの場合、サービスの情報を紐付けるHook(フック)を設定することで、それらの各クラウドを横断して情報を検索することできます。団体がプロジェクトメンバーごとにアカウントを発行し、それぞれ担当しているプロジェクトのデータを一元管理するイメージです。例えば、上記の図で言えば、UserAの場合はProject A, B, Cの情報をそれぞれ個別に検索できるようになります。

このデジタルアーカイブ・サービスのポイントは、個別のクラウドサービスが保存するデータが横断して検索できるようになるという点です。デジタルアーカイブ構築用に新たなアップロード作業を増やすことなく、プロジェクト全体の見取り図をつくることができます。

また、このデジタルアーカイブ・サービスではResourceSpace内データも検索することが可能で、クラウドサービスに加えて、本格的なデータベースとの連動が出来る点も強みです。

デジタルアーカイブ・プロジェクト2015で提案した新サービスの構造イメージ。
プロジェクトの現場で使いやすいよう、スマートフォンからの閲覧を第一に想定して開発を進めた。

新デジタルアーカイブ・サービスの機能(予定)
・アーカイブインデックスの作成ができる。
・プロジェクト毎に管理者・エディター・フォロワーを登録できる。
・エディターは、プロジェクトに対してHookを追加できる。自分の追加したHookは削除できる。
・フォロワーは閲覧・コメントのみ。
・管理者は、プロジェクトの削除、ユーザー管理・権限管理・Hook管理などすべての権限を持つ

検証|開発途中の専門家からのヒアリング

こうした新サービスの可能性や、課題を洗い出すために、デジタルアーカイブ・プロジェクト2015では、3名の専門家にヒアリングを実施しました。それぞれのコメントやアドバイスを簡単にご紹介します。

1)ドミニク・チェン氏(起業家・情報学研究者)

ドミニク氏はICCの映像アーカイブの設計にかかわられ、クリエイティブ・コモンズの考え方を日本に紹介するなどの活動をされています。

▼ドミニク氏からのコメント/アドバイス
・データを記録し、共有する基底のモチベーションとしての「楽しさ」をどう作るか
・アートプロジェクト向けならではのアーカイブのメリットをどう作るか
・どうやって集団化した記憶にまつわるコミュニケーションの導線を作るか

結局のところ、アーカイブの仕組みを工夫しても楽しいものではないと、広がりません。アートプロジェクトの価値を周囲に伝えるにはどうしたらいいかなど、全体の方針についてアドバイスをいただきました。またいかに複数のメンバーでサービスを利用し、コミュニケーションを生み出していくかも重要な点です。

2)大向一輝氏(情報学研究者)

大向氏は、国立情報学研究所に所属されており、様々なデータベースや、CiNiiなどを開発されています。蓄積された情報をどう外に出していくかについての知見をお持ちです。デジタルアーカイブの仕組みを持続可能にするにはどうしたらよいのか。そして利用団体の状況が変わってもデータを生き延びさせる方法についてお話を伺いました。

▼大向氏からのコメント/アドバイス
・デジタルアーカイブをRDF*にしておくことで、活動本体がなくなっても生き延びられるのではないか
・データ入力などに関しては、日常業務に仕事を増やすことにはならないようにする工夫がいる
・開発コストや管理コストを下げるのが重要
・運用のためには最低限のフォーマットの設定をする方がいい
*RDF(Resource Description Framework (リソース・ディスクリプション・フレームワーク):ウェブ上にある「リソース」を記述するための統一された枠組み

各データに付随するメタデータをきちんと構築し、データベース本体とは別に保存することで、個別のクラウドサービスが終了しても、デジタルアーカイブを生き延びさせられるのではないかとご提案いただきました。

3)水野祐氏(弁護士、Arts and Law理事)
アートやクリエイティブな活動専門の法律家集団の一員である水野氏には、サービスを展開していく上で、法律的にはどんな課題があるか伺いました。

▼水野氏からのコメント/アドバイス
・サムネイル表示のために、各データの画像をシステムの中に保存することは要検討(キャッシュであれば問題ないとの見解)
・外部サービスとの連携にあっては、各サービスの利用規約との整合性を取る必要がある
・アカウントHookの機能については、ユーザーのプライバシーに対する配慮から、仕様を検討する必要がある

上記に注意して開発を進めれば、大きな問題はなさそうだとのお答えでしたが、利用規約の整備には細やかな注意をしていく必要があることがわかりました。

まとめ│使いやすいサービスを目指して

三人の専門家にヒアリングし、全体としては便利なアーカイブ・サービスになりそうだとの感想をいただけました。一方で、まだまだ機能やインターフェースについての検討と改善が必要です。実際にサービスとして公開するためには、法的な課題もクリアする必要があります。

「デジタルアーカイブ・プロジェクト2015」による新デジタルアーカイブ・サービスは、ベータ版開発を終え、現在クローズドテスト準備中です。今後は、サービス提供のための法整備に係る議論も並行しながら、アートプロジェクトの現場で使いやすいサービスための試験運用と機能改善・開発が必要だと考えられます。

アートプロジェクトにかかわるみなさんには、今後、テストに協力いただくタイミングもあるかもしれません。なるべく早くお披露目できるように、さらに進めていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

メディア編集/制作の技術

編集者の齋藤歩さんを講師にお迎えし、メディア編集/制作に関する視点や技術のレクチャーを実施しました。2014年度に制作した『思索雑感』を題材に、アーツカウンシル東京のスタッフと東京アートポイント計画の共催団体メンバーを対象として論点の整理や共有を行いました。2回に分けて実施したレクチャーでは、自分たちが報告書や記録集を制作することを想定し、他のスタッフと仕事を共有するための要点を出し合いました。ここでは、その要点を集約した「レクチャーまとめ」をご紹介します。

以下、強調されている項目は、参加者のなかで特に重要な項目として挙がってきたものです。

(1)内容確認・仕様の検討

目的とイメージの共有
・業務発注者は制作物の前提、目的を整理し、編集者への依頼内容をまとめる。
・業務発注者は制作物の目的・納品日(納品先)・部数・文字数・版型・製本・イメージを編集者へ伝え、制作物の方向性・イメージ(コンセプト・使い方・機能など)を議論し、すりあわせ(共有)をする。つくるメディアの目的は全ての工程につながる(デザインルール、校正ルール、版型、発行方法など)。
・読者のアクションを考える(書き込みができるなど)。
・紙にすることでどう残るかを考える。流通を検討する。商業ベース(ISBN付与)か、学術ベースか。
・イメージの共有として「参考書籍」等を提示する。(関係するメンバーなどの)文脈をつくる。デザイナーのアイディアをふくらませるネタ(発想のタネ)を用意。モチベーションを高める工夫をする。
・打合せは確認事項などをペーパー1枚にまとめてのぞむ。

スケジュールと連絡系統
・スケジュールを確認。各工程の担当者をおさえる。スタートからゴールまで、いつ、誰が、何をするのかが一目で分かるようにする。
・スケジュール表は、作業(行動)レベルで記述することでイメージを共有しやすくなる。
・スケジュール感と体制(信頼関係)は深く関係する。
・座組の確認。誰が誰に連絡をするか。自分の担当を認識する。役割分担と連絡体制の確認と共有
連絡系統は1対1の関係をつくる(三角形を避ける)
各担当者(デザイナーなど)の選定。制作物の目的や特性に合致した人材、会社か確認(得意分野、過去作のリサーチ、見積もりなどから)。

工程表と素材整理
全工程、それぞれの担当者を確認できる工程表があると、全員でゴールを共有できる。重複作業などを防げる。いつ空けておかなくてはいけないか確認できる。
・対応可能スケジュールを共有するとよい。お互いの日程を押さえ、動けない日程も共有。
・コンテンツの見せ方の確認をする。(構成含む)
素材の整理はユニークIDをナンバリングする(ファイル名のつけ方)。写真と原稿が混在しないように整理。情報を使いやすく整理する。
・写真素材の整理をし、使用可か、法的なことも含め確認する。写真は撮影者と被写体双方の権利に注意する(著作権と肖像権)。

デザイナーとのやりとり
・デザイナーへの依頼時、イメージをきちんと伝えすりあわせをする。
・デザイナーなどは気に入った本のクレジットから探すのも手。
・ラフをもとにイメージのすりあわせの議論をする。制作物に適した構造をつくり、関係者間で共有する。
・関係者間でそれぞれの過去の仕事と関係づけるのもモチベーションを高めるのに有効。誰とつくるか、何をつくるかにストーリー(文脈)をつくり与える
・仕様書は簡単でもつくる。台割もつくる。
・ページのフォーマットが出来たら、デザイナーに素材提供。
・デザイナー、印刷会社とはどのような形式(フォーマット)でデータを渡すのがよいか確認。データの全体像を伝える。
・初めての相手とは素材の一部を試しに送付してみるのも有効。
・デザイナーへの素材提供時は、プレーンテキスト(WordはNG)がよい。
・ほぼ仕様が固まったら一度早めに印刷所へ連絡。見積もりとスケジュールの確認。
・仕様の全体像が見えたところで、早めにデザイナーに仕様書をつくってもらう(スケジュールを参考に)。

(2)校正・校閲

一次情報(発信者)に全てあたる(どんなに慣れている言葉だとしても、どんなに小さくものでも細かく、怠らない)事実確認(固有名詞、日時、場所)。まずはウェブを活用する。
・ダブルチェック。校正方針の確認。表記ルールの整理。
・校正はとりまとめてデザイナーに渡す(編集者を介さず、著者からデザイナーへ直接渡さない)。
・校正戻しのタイミングで、口頭で確認したほうがよければ、関係者と会ってミーティングを行う。
原稿整理でテキストのクオリティを上げておくことは、とにかく大事。対談やインタビューの場合、初校時にテキストデータも渡すとお互いにストレスは少ない。小見出しもつけておくと編集意図を汲んでもらいやすくなる。
・著者の個性をどう捉えるかを検討。表記のクセ、ブレにどこまで手をいれるか。原則、原稿(テキストや図版)を勝手に変えてはいけない(原稿は著作物)。
・原稿の催促は1週間前、3日前の2段階くらいで連絡。遅れそうならあらかじめ言ってもらえるように。
・デザインは好き嫌いでは判断しない。目的に立ち戻る。
・著者校正の直しが多いときは、スケジュールを確認しながら再校正を検討する。
関係者のスケジュールの共有。不在状況の確認と確認日をの把握に努める(遅れない意識づけ)。予定通りに進行することが相互に緊張関係をもたらし、予定通りに進行する。進行が遅れると全体のモチベーションが下がる。担当者別・作業内容を細かく分類。ひとつまづき=1週間。
・編集の意向に沿わなければ、意を決して作家(寄稿者)へのリライトも要請する。
・赤字がぶつかったら編集判断としてよいか事前に共有しておく、もしくは優先順位を決めておく(基本的には著者を尊重)。

(3)入稿・印刷

・印刷の設計図として、台割は必ずつくる。16ページ/8ページ単位で考える。
・印刷会社の選定(見積もり、仕様、部数、紙、カラー)。
印刷会社のスケジュールを確保する。印刷会社は先におさえる=工場のラインをはやめに確保。年末・年度末は混雑するので要注意。
紙を手配するタイミングも重要。
製本を、どこまでこだわるか、こだわれるか議論する(工夫の意義)。コスト(単価)を見ておく。デザイナーのこだわりは正しいこだわりかを見極める。目的に沿ったこだわりなのか、ただの付加価値なのか、常に目的に立ち戻る。
・単価にあった説明・理由を用意しておく(妥当性の確認)。公的な事業の場合はコストに応じた説明が必要。
・素材・資料のフォルダ名称は、はじめを数字にしておくと検索しやすい(どのプロジェクトでも発生する要素は同じ番号にする。見積もり、台割り、進行表など)。
・色校はデータ上で見つけられない印刷の事故を防ぐ。

全体
・(進行上)どうやったらメンバーのストレスが減るか?を常に考える。
・デザイナーへの配慮(優しさ)が必要。

以上です。年度末に向けて記録集や制作物をつくる機会が増えると思います。その作業の確認と共有に、ぜひ、ご活用ください。

執筆:佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

「デジタル・アーカイブ」の現状

編集者の齋藤歩さんを講師にお迎えしたメディア編集/制作に関する視点や技術のレクチャーの最終回は「デジタル・アーカイブ」をテーマとしました。齋藤さんがお仕事で手がけた事例や研究者としての視点から、いま考えるべき論点を共有いただきました。ここでは、レクチャー内で齋藤さんが取り上げた事例をご紹介します。

以下、レクチャー資料より抜粋します。

1)ウェブ・アーカイブに取り組んだ企画

・10+1ウェブサイトの「総目次」と「人物索引」
『10+1』データベース

2)「デジタル・アーカイブ」の事例

・ハラルド・ゼーマン・ペーパー/Harald Szeemann papers, 1836-2010, bulk 1957-2005(ゲティ研究所)
マルセル・ブロイヤー・デジタル・アーカイブシラキュース大学図書館
作家名の辞書(ゲッティ研究所)/例:「磯崎新」の語彙統制等(Related Peopleに注目)
東京都美術館・収蔵品検索システム
アーツ前橋・収蔵品検索システム
Google Cultural Institute
Europeana

3)世界のアーカイブズ活動

・美術(組織内アーカイブズの例)|MoMAアーカイブズ
・美術(収集アーカイブズの例)|アメリカ美術アーカイブズ(スミソニアン協会)
・建築|エーロ・サーリネン・コレクション(イエール大学図書館)
・建築|アリーン&エーロ・サーリネン・ペーパー(スミソニアン協会)
・グラフィティ|チャーリー・エーハン・ヒップホップ・アーカイブ(コーネル大学図書館)
・日本|「針生一郎氏旧蔵資料」等(国立新美術館)
・日本|「具体アーカイブ」等(大阪新美術館)

このリストを眺めるだけでも、ウェブサイトと連携した多様な「アーカイブ」の試みがなされていることがわかると思います。ぜひ、それぞれのウェブサイトへもアクセスしてみてください。

執筆:佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)