Tokyo Art Research Lab 2010-2017 実績調査と報告

アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)が、2010年度から2017年度までに実施してきた「Tokyo Art Research Lab」。事業実績データの分析や関係者へのヒアリング調査、受講生へのアンケート調査を行うとともに、その結果を基にした検証、考察をすることにより、8か年の事業の結果(アウトプット)、成果(アウトカム)、波及効果(インパクト)を総括するための調査報告書です。

もくじ

はじめに 調査について

第1部 事業実績分析

第2部 インタビュー調査
森 司・坂本有理
橋本誠・及位友美・坂田太郎
熊倉純子
帆足亜紀
若林朋子

第3部 アンケート調査
思考と技術と対話の学校(2014-2017)受講生

第4部 鼎談 結果を踏まえて

わたしの人権の森―東村山市南台小学校図工科活動の記録 二〇一九年三月

2018年度に、東京都東村山市南台小学校(以下、南台小学校)の6年生と行った図工の授業の記録です。南台小学校での取り組みは、図書の授業と連携したり、市内にある多磨全生園を見学したり、造形せずにグループで経験を分かち合う時間をもったりするなど、日頃の図工の時間とは少し異なるものとなりました。

本書では、その活動のプロセスを紹介するとともに、参加者を交えた座談会などを収録しています。

もくじ

活動の記録

[座談]活動を振り返って|有薗真代さんをむかえて
有薗真代(社会学者、京都大学大学院文学研究科非常勤講師)+授業参加者

[座談]切実さをもって切実さと出会う
宮地尚子(一橋大学大学院社会学研究科教授)、佐藤李青(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)、宮下美穂(特定非営利活動法人アートフル・アクション 事務局長)

アートプロジェクトを紡ぐ─伝える・ひらく・つなげるためのヒント集

アートプロジェクトを伝えるのは難しい。プロジェクトの取り組みや魅力をどのように他者に伝え、届けることが可能か? そんな問いからはじまったTokyo Research Lab「思考と技術と対話の学校」の連続講座「言葉を紡ぐ」「体験を紡ぐ」。7か月にわたり、アートプロジェクトの運営者、アーティストや編集者、ライター、ツアーガイドなど紡ぐ実践者とともに、「アートプロジェクトを紡ぐとは?」について考える時間を持ちました。

本書は、講座のエッセンスを抽出した「紡ぐ」ためのヒント集です。

もくじ

アートプロジェクトを紡ぐヒントを探る
本書の使い方

1章 なぜアートプロジェクトは紡ぎにくいのだろう
2章 言葉で紡ぐ
3章 体験で紡ぐ

2017年度 思考と技術と対話の学校「言葉を紡ぐ」「体験を紡ぐ」講座一覧
あとがき
ブックリスト
編集後記

TERATOTERA DOCUMENT 2018

JR中央線の高円寺・吉祥寺・国分寺という「3つの寺」をつなぐ地域で展開しているアートプロジェクト『TERATOTERA(テラトテラ)』。その企画は、TERACCO(テラッコ)と呼ばれるボランティアスタッフによって支えられていますが、2018年度はすべての企画において中心的な役割を担いました。

阿佐ヶ谷駅周辺で参加者が「イブツ(異物)」と考えるパフォーマンスをおこなった「踊り念仏」、高円寺駅から西荻窪駅までの区間をアーティストが芸術を実践しながらタスキを渡していく「駅伝芸術祭」は、テラッコ企画として実現しました。

さらに、TERACCOの歴代コアメンバーが、Teraccollective(テラッコレクティブ)を結成。裏方だけのコレクティブとして、アートにまつわるさまざまな人や現場を支え、盛り上げることを目指し、初めて手がけるプロジェクトとして「TERATOTERA祭り2018」に臨みました。

もくじ

TERATOTERAとは

はじめに
2018年度年間スケジュール

踊り念仏
駅伝芸術祭
TERATOTERA祭り2018

アーティストプロフィール
テラッコの感想

アートプロジェクトの0123

来場者アンケート

おわりに

ほくさい音楽博 Photo Document

「ほくさい音楽博」は、世界に名を轟かせた浮世絵師・葛飾北斎への尊敬の念を込めた音楽プログラムです。北斎の生誕地である墨田区周辺地域のこどもたちに、世界中の響きの美しい楽器に触れてもらい、その歴史を学び、練習を重ね、発表会を行っています。

本書は、記録写真やインタビューを通して、これまでの軌跡をアーカイブするフォトドキュメントです。

もくじ

ほくさい音楽博の1日

講師インタビュー
原田芳宏(スティールパン)
竹本京之助・鶴澤弥々(義太夫)
鳥居 誠(ガムラン)

プログラム紹介
開催データ

ほくさい音楽博の10年とこれから

松島湾の船図鑑

「つながる湾プロジェクト」は、宮城県松島湾とその沿岸地域の文化を再発見し、味わい、共有し、表現することで、地域や人・時間のつながりを「陸の文化」とは違った視点で捉え直す試みです。

本書は、漁船や貨物船、客船、取締船など、松島湾に浮かぶ多様な船についての図鑑です。

もくじ

はじめに

船について
 船
 船の種類
 船の部位・船名
 船の操縦で使われることば
 海域
 海図・標識・灯台
 浮力
 船で使われる単位
 海技士
 港
 ことばと漢字

松島湾について
 松島湾 27
 松島湾の特徴
 松島湾の地質・地形
 松島湾の恵み
 浦戸諸島と宮戸島

漁をする船
 松島湾の漁業
 延縄漁船
 巻き網漁船・底引き網漁船
 ノリ養殖の船
 カキ養殖の船
 漁業調査船
 「若鷹丸」航海士の話
 北転船
 ラッコ船
 漁業のはじまり
 ベテラン漁師の話

交易する船
 他地域との交易
 貨物船
 貨物船などにみられる設備
 千石船
 風に向かって進む帆船

戦う船・守る船
 海の安全を守る
 巡視船・取締船・警備艇・監視艇
 戦時中の船
 西洋式軍艦

日常の船
 暮らしのそばにある乗り物
 市営汽船・渡舟
 市営汽船の利用者の話
 船外機(小型船舶)
 御座船
 遊覧船

巻末エッセイ
索引
おもな参考文献

定時制高校で「現場」をつくるところから。「社会包摂」と「アートプロジェクト」の関係を考える。—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー〈後篇〉

日本に暮らす『移民』の若者たちの人材育成を目指すプロジェクト「Betweens Passport Initiative」。様々な可能性を秘めつつも、光が当てられる機会の少ない彼らの力。その価値を広げようと、このプロジェクトでは定時制高校での放課後プログラムや、学校の外にいる『移民』の若者たちに関するリサーチを通じて、若者たちを社会とつなぐコミュニティづくりが進められています。

なかでも、取り組みを行ううえで重視しているのが、若者の多様性を育てる仕組みづくり。持続的にこの場所に関わるためのインターンシップなど、プロジェクトを運営する一般社団法人kuriyaの海老原周子さんが、その重要性を感じた経験とは? 現在進行形の試みについて、伴走する東京アートポイント計画プログラムオフィサーの佐藤李青とともに訊きます。

〈前篇〉「『移民』の若者のエンパワメントのために、アートプロジェクトができること—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー」

定時制高校に「現場」をつくる

——2年間の活動のなかでBPIが継続して行っているのが、千代田区にある都立定時制一橋高等学校に週2回通い展開している放課後プログラムです。

海老原:もともと、この学校には外国籍などの高校生たちの支援に長らく取り組んできた角田仁先生という方がおり、多様な高校生たちが集まる多言語交流部「One World」を始められていました。ちょうど私もドロップアウト率の高い定時制高校の現場を知りたいと思っていて、2015年9月に、学校に通わせてもらうことから始めました。そこで、BPIのパートナーでもある徳永智子さんと知り合いました。彼女は慶應義塾大学国際センターで教鞭を執られていたので、その授業を履修する留学生たちにサービスラーニングという形で部活動に参加してもらい、共に部活動をつくってきました。参加しているのはフィリピンを中心にした東南アジアの子たちで、インドや日本の子も来ています。

——現場ではどのようなことをされているのでしょうか?

海老原:演劇のワークショップなどの始めに自己紹介を兼ねてよく使われるアイスブレイキングから始まり、例えば、言葉を使わない伝言ゲームやお互いの文化を紹介することなど、様々なアクティビティを通じてまずは関係性をつくることを大事にしています。そうすると、例えば、高校生にとってはその学校に通うことが楽しくなる状況をつくることが必要だなとか、大事なことが見えてきます。

——まずはユースとの関係性をつくることに時間をかけたんですね。

佐藤:実際、海老原さんはBPIを始めたとき、3年ほどこうした活動を続けないと関係性もできないし、プロジェクトを始めることもできないとおっしゃっていましたね。

海老原:こちらがやりたいアートプロジェクトを押し付けるのではなく、まずはその場に身を置くことが礼儀だと思っています。ブリッジの話ともつながりますが、最近、アートプロジェクトでも社会包摂が語られるようになってきました。その対象には『移民』以外にも、LGBTや障害者など様々な人がいますよね。ただ、すでに福祉や制度が整い包摂する先があるならばまだしも、『移民』は、福祉や支援の政策も制度もまだ整備されていない分野です。私たちが東京アートポイント計画の事業としてアートプロジェクトをやる意義は、これからの社会に必要なソフト面でのインフラをつくるようなもっと長い視野を持ったことなのではと感じています。そのためにも、いきなりアートを持ち込んで何かをしようとするよりも、相手にどんなニーズがあるかを現実に知らないとプロジェクトとして動けないと思ったんです。

佐藤:例えば社会福祉など制度に支えられた施設に行けば人が集まっていて、現場が見えることにより支援もしやすい。だけど、『移民』の場合は、そもそも社会的にも集まった状態で見えるかたちになっていないから、何が必要かという言語化も進んでいないと。

海老原:他のマイノリティと比べて、包摂する先がまだなく、『移民』の若者が集まる場すらない段階では、まずは、その「現場」をつくることから始めないといけないし、それには3年くらいはかかるだろうと考えていました。なので定時制高校では放課後の部活動という形で、多様な高校生たちが集まることのできる「場」をつくりました。次に、学校でもない家でもない、若者たちが集える第3の「場」としてインターンシップをつくっていくことをこの2年間ではやってきたのだと思います。

Betweens Passport Initiative インターン活動の様子。

リサーチを通して、ユースが変わった

——定時制高校での活動と並行して、BPIではこれまで、アーティストのOkui Lalaさんや武田力さんと協働してユースとの新たな出会いを模索するリサーチプログラムも行ってきました。

海老原:定時制高校は学校内のコミュニティですが、BPIにおける「ユース」は、16才から26才を対象年齢としています。そのなかには、すでに高校を卒業した18才以上の子やドロップアウトした子、あるいは20代で来日した子もいます。こうした子は本当に見えづらい状況にいます。彼らはどこにいて、どのように出会うことができるのかという課題があったんです。

佐藤:そのような状況のリサーチと、出会いの仕組みをつくる必要があるんだろうと。武田さんはフィリピンなどアジアでも活動を展開していますが、地域に入り、人との出会いから作品のフォーマットそのものをつくるアーティストです。話を伺うと日本の移民への関心もあった。それで最初は、フィリピンコミュニティの人が多い定時制高校の活動に参加してもらおうと思いました。でも実際に動き始めてみると、むしろコミュニティの枠から外に出る動きをしてもらう方がいいんじゃないかと、課題だったリサーチをお願いすることになりました。

——いわば、野に放ったわけですね。リサーチとは、具体的には?

海老原:東京のなかの多文化を巡るリサーチとして、インターンをしているユースに自文化の案内者になってもらいました。武田さんが独自に行っているリサーチに加えて、例えば大久保の路地裏やフィリピンの食材店などの情報を持っているユースと知り合い、助けてもらう。そこからこれまでは掘り起こされていない、新しいユースとの出会いができるのではないかと期待しました。何かをつくるときというのは、結果的に誰かが巻き込まれやすい状況ができるものだと思うんです。

Betweens Passport Initiativeでは、アーティスト・武田力さんとユースが協働し、東京都内の多文化の現場をリサーチした。

海老原:アーティストと関わることで、案内役のユースにも変化がありました。ちょうど今日、武田さんも含めて錦糸町や高田馬場をみんなで回ったんですけど、関係性が変わるんです。今日もユースたちは、案内のために入念な準備をして、私たちには辿り着けないようなフィリピンのレストランに連れて行ってくれました。

——そこではむしろ海老原さんたちが教わる側になるわけですね。

海老原:例えば、支援という枠組みでは、どうしても支援者と被支援者という固定された上下関係にあります。でも、リサーチでは、「弱者」になってしまいがちな彼らの持つ価値が転換される。水平でフラットな関係性や、上下関係自体が反転したりする状態をアートプロジェクトではつくりやすい。関係性すらも多様なコミュニティでの経験は、ユースにとって「自分にも何かができるんだ」と実感する場でもあり、エンパワメントの機会になると思っています。

ユースの関わり方は様々。企画や制作を手がけることもあれば、通訳として間に立つこともある。プロジェクトを通じて、それぞれが自分の持つ「多文化」や個性の活かし方に気づくことを目指す。(「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」)

何かを変えるための包摂とは?

――海老原さんは通訳者としても活動していて、BPIの外でも、『移民』の問題を扱った日本のアートの現場に多く立ち会っているかと思います。その中で、移民の取り上げられ方について疑問に思うことや、理解が進んでいないと感じることはありますか?

海老原:最近はもう、いろいろな怒りも通り過ぎてしまって……。

佐藤:(笑)よく怒っていましたよね。『移民』に関する仕事が増えたのは最近ですか?

海老原:ここ2年ほどで増えたと感じます。「アートと移民」というと、アーティストが自主的に作品で取り上げる場合と、高まる「社会包摂」の流れのひとつとして主催者側が事業や企画に盛り込もうとする場合がありますよね。前者については、私が言えることは何もないです。作品化することで結果的に搾取になるケースもありますが、それはアーティストの自由であると同時に、自由の対価として責任も引き受けるのかは、その人次第だと思っています。一方、後者の社会包摂の取り組みには、何のためにやるのかよくわからないと感じるものもあります。なぜそれをやるの?やったことでどうしたいの?と。

――ある種、「マイノリティに優しい」という大義名分が先行してしまっている?

海老原:実績づくりを目的に実施する、ということですね。私たちがいただくお問い合わせの中には、こんなプログラムをやりたいからユースに参加してもらえないかと、キャスト会社のような扱いを受けるものもあります。でも、多様な人が参加する強みは、様々な視点を通して従来の仕組みの機能していない部分が見えたり、新しい枠の必要性がわかること。ただ既存の枠組みにはめ込んで、「包摂」と言うだけでは何も変わらないのではと思います。

佐藤:本当に何かを変えるための包摂というより、言い方は悪いけれど、ただの「トピック」として扱ってしまうものもある。その前提の違いは、大きな問題ですよね。

——一方でその話題は、BPIがなぜ「アートプロジェクト」かという問いにもつながると思います。海老原さんはアートとしての良さ以前に、実際の人の状況が変わることをとても大事にされている。アートか人か、その天秤についてはどう考えていますか?

海老原:アートをツールとして使うか、ということですよね。そこはすごく悩んできた部分ですが、おそらくそのどちらでもありません。よく誤解されるのですが、私たちは福祉団体でも支援団体でもありません。kuriyaは人材育成の団体としてアートプロジェクトに価値を見出しています。というのも、アートプロジェクトは言語化しづらい部分もありますし、短期的に何か問題を解決するわけでもないと思っています。ただ長期的な視点では、社会を豊かにする何かをつくるものだと信じています。ともすれば必要ないとみえるものかもしれないけど、人の人生にその体験があるかないかの差はすごく大事だと。

——海老原さんが、その大切さを感じた経験というと何ですか?

海老原:子供の時からアートに救われて来ました。日本で通ったアトリエもそうですし、イギリスでも演劇やアートが身近にあった。それらが別に何かをしてくれるわけではないけど、『外国人』として育つなかで、人との違いやいろんな観点を持っても良いんだよという蓄積があったからこそ今の自分があります。そうした場所を、いまの日本にもつくりたいんです。

ワークショップで制作した自分たちの映像を観るユースたち。(「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」)

埋もれていた価値を見つけ、物語を伝えていく

——現在、BPIにはインターン生が5人、また過去のメンバーなども含めて20人ほどのユースが関わっているそうですね。彼らとは普段、どのような時間を過ごしているのですか?

海老原:お茶を飲んだり、ゆで卵の茹で方を教えたり、進学の相談に乗ったり……。ただ一緒の時間を過ごしているように見えて、フラットに話せる関係性の大人と知り合えることが、アートプロジェクトだからこそ築けるセーフティネットのように思うのです。私たちは結局、支援団体ではないので、具体的な何かをしてあげることはできません。支援や福祉と近い領域のアートプロジェクトには、その一線を越えないように堪えるものも多いですが、私たちはあえてそのラインを越境して、従来とは異なるかたちの網を張ることをしたいと思っています。

——支援や福祉の領域にはない、新しい関係性の紡ぎ方をしていきたいと。

海老原:はい、それと同時に、そこで語られる小さな物語を、社会に伝えていくことで、大きな仕組みをつくれたらと思っています。第一回目の東京オリンピックが道路や建物といったハード面での社会インフラ整備のきっかけになったのに対して、第二回目となる2年後の東京オリンピックに向けて、教育や福祉といったソフト面での社会のインフラ整備が必要なのではないかと個人的に感じています。とくに断絶されてしまった関係性をつなぐ時にアートプロジェクトが有効なのではないかと。BPIを始めたときに「現場」と「ツール」と「物語」が必要だと思っていました。1年目は定時制高校という現場を、2年目はインターンというツールを、3年目は、彼らがここでどんな成長をして、どう巣立って行くのか、その物語を、未来の仕組みづくりのために伝えていきたい。

「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」

——移民というと、これまで支援や研究の「対象」になりがちでしたが、今後、彼らが自ら文化の発信者として、日本で大きな存在感を持つことも十分に考えられますよね。

海老原:実はそういう動きは、すでに起きつつあります。メンバーとして関わってくれているAvinash Ghaleは高校を卒業してからネパールより来日しました。彼がインターンプログラムの一環として、ビデオのワークショップをやったことをきっかけに、映像作品を撮りたいと思っていた若者たちが集まり、仲間を集めてYouTubeチャンネルを始めています。週一回継続的に集まり続けていて、規模も大きくしながら、自身で発信を行っています。ユースと私たちも、ずっと一緒にいられるわけではないなかで、私たちが彼らの物語を語るのではなく、どんどん自分たちで語れる力をつけられるようになるといいなと思います。

佐藤:今日語ってきたプロジェクトの「準備」が整う中で、BPIは、本当にこれから何をしていくのかがとても大切になると思うんです。海老原さんとユースの付き合いの切実さと共に、これからの実践によって、その真価が問われるのだと思います。ユースが関わる土壌ができたうえで、彼らがどう変わったのか、どんな新しいユースと出会えたのかが、重要だろうと思います。

海老原:人口減少を迎える日本において、BPIの取り組みは、多文化社会を迎える東京の未来をつくることでもあると思っています。以前、あるインターン生が「日本に来て初めて、自分にも何かできるんだと感じた。この活動がなかったら、自分が日本で何か役に立てるとは思っていなかった。でも、このプロジェクトがあったから、人とは違う自分だからできることがあると、自分の強みがわかった」と言われたんです。BPIには『移民』の若者のみならず日本人の若者も参加しています。そして例えば子育てが一段落したお母さんなども即戦力として関わってくれています。これまで社会に埋もれていた人的資源を見つけて、活躍の機会を提供することで新しい人材を育てるアートプロジェクト。そんな指標を大切にしながら、今後も活動を展開していきたいです。

「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」

Profile

海老原周子(えびはら・しゅうこ)

一般社団法人kuriya代表、通訳
ペルー、イギリス、日本で多様な文化に囲まれて育つ。慶應義塾大学卒業後、独立行政法人国際交流基金や国連機関で勤務。2009年に移民の子供を対象としたアートプロジェクトを立ち上げ、多文化なコミュニティづくりや人材育成を行う。2014年からは移民の若者に焦点をあて、アート活動を通じたエンパワメントプログラムを実施。2016年にEUが主催するGlobal Cultural Leadership Programmeに日本代表として選抜される。また、国と国、文化と文化、言葉と言葉の間をつなぐことをテーマに通訳としても活動する。2016年、一般社団法人kuriyaを立ち上げ、アートプロジェクト「Betweens Passport Initiative」を始動。

一般社団法人kuriya

kuriyaは、『移民』の若者たち=未来の可能性と捉え、自らの手で未来を切り開く人材を発掘・育成しています。東京をベースに『移民』の若者たちをはじめとする多様な人たちが集うインターカルチャーな場をつくり、それぞれの持つ知識やスキルを共有し学び合いながらアートプロジェクトを行うことで、彼らに生きる糧やライフスキルを身につける機会を創出します。

Betweens Passport Initiative

『移民』の若者たちを異なる文化をつなぐ社会的資源と捉え、アートプロジェクトを通じた若者たちのエンパワメントを目的とするプロジェクトです。人材育成事業として『移民』の若者たちがプロジェクトの運営を共に行います。
https://medium.com/betweens-passport-initiative

『移民』の若者のエンパワメントのために、アートプロジェクトができること—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー〈前篇〉

「東京アートポイント計画」に参加する多くのアートプロジェクトは、いったいどのような問題意識のもと、どんな活動を行ってきたのでしょうか。この「プロジェクトインタビュー」シリーズでは、それぞれの取り組みを率いてきた表現者やNPOへの取材を通して、当事者の思いやこれからのアートプロジェクトのためのヒントに迫ります。

今回お話を聞いたのは、日本に暮らす『移民』の若者たちの人材育成を目指すプロジェクト「Betweens Passport Initiative」です。様々な可能性を秘めつつも、光が当てられる機会の少ない彼らの力。その価値を広げようと、このプロジェクトでは定時制高校での放課後プログラムや、学校の外にいる『移民』の若者たちに関するリサーチを通じて、若者たちを社会とつなぐコミュニティづくりが進められています。

なかでも、取り組みを行ううえで重視しているのが、若者の多様性を育てる仕組みづくり。持続的にこの場所に関わるためのインターンシップなど、プロジェクトを運営する一般社団法人kuriyaの海老原周子さんが、その重要性を感じた経験とは? 現在進行形の試みについて、伴走する東京アートポイント計画プログラムオフィサーの佐藤李青とともに訊きます。

Betweens Passport Initiative事務局長/一般社団法人kuriya代表・海老原周子さん

『ユース』に対するサポートが足りていない

——今年で2年目となる「Betweens Passport Initiative」(以下BPI)では、近年日本でも耳にする機会の多い『移民』の若者たちと共につくるアートプロジェクトのかたちが模索されています。最初に、『移民』という言葉について教えていただけますか?

海老原:国際的に合意された定義はないと言われていますが、例えば「通常の居住地以外の国に移動し、少なくとも12カ月間その国に居住する人」と説明されることがあります。BPIでは「多様な国籍・文化を内包し生活する外国人」と定義しています。2018年の1月に「東京23区の新成人の8人に1人が外国人」という報道があったように、日本の外国籍人口は増加傾向にあります。そのなかでBPIに参加している、私たちが「ユース」と呼んでいる若者たちとは、東京で育つ16才から26才の若者たちです。『移民』のみならず日本人の若者も参加しています。

——海老原さんが彼らの状況に対して、アートを通じて人材育成をしたいと考えた動機とは何だったのでしょうか?

海老原:外国人や『移民』というと、一般的にはそこで生じる「問題」の方に焦点が当てられがちです。例えば日本語ができないとか、文化に馴染めないとか……。だけど実際に接してみると、彼らはとても豊かな資質をもっている。彼らの持つ言語や文化などの多様性はこれからの東京のまちをより豊かにする可能性だと感じています。でも、そんな彼らの可能性や多様性を育てる場は少ない。アートプロジェクトがその場になるのではないかと思いました。私は、アートには多様性を育てる力があると感じていて、そして、プロジェクトを「ユース」たちと共に運営することで「自分も社会とつながれる」「社会の一員として役に立てるんだ」と彼らに感じてもらえる機会がつくれると考えています。人と異なることを価値にできるという点で、アートプロジェクトは人材育成に有効だと思っています。

マレーシアのアーティスト・Okui Lalaとのワークショップ

――海老原さんは小さいころ、ペルーやイギリスで暮らしていたそうですね。

海老原:イギリスにいたとき、言葉ができるようになっても、友達をつくるのがとても大変だったんです。でも、音楽や美術の話題から一人、友達ができて、孤独な自分の世界が彩られた。その個人的な経験も原体験としてありますが、日本で5才から通っていた絵画教室の影響が大きいです。そのアトリエには、幼稚園児から高校生まで、障害を持つ子や学校に馴染めない子などいろんな子がいました。学校でもない家でもない第3の居場所があって、いろんな人が集まる面白さを体験しました。それもあり、前職の独立行政法人国際交流基金時代から、『移民』の子供や若者たちと文化や芸術を通じて何か取り組めないだろうかと考えていました。

佐藤:BPIが対象にするユースへの取り組みの必要性も、そこで気が付いた?

海老原:そうです。仕事をするなかで、高校生や大学生といったユースの層へのサポートが日本には少ないことを実感しました。小学生や中学生までは学習支援があり、大人にも日本語教室などの取り組みはあるのですが、そのあいだの層の「若者」には支援も人材育成も十分でないのではと。そんなことを感じていたとき、当時勤めていた国際交流基金の本部のある新宿で、芸術文化交流のノウハウを活かし、足元にいる多文化な若者たちを国際交流の担い手として育成もできないかと提案しました。これが「先駆的創造事業」という社内公募事業として採用され、2009年に中高生対象の映像ワークショップをしました。これをきっかけに、「新宿アートプロジェクト」が始まりました。

——新宿アートプロジェクトは、kuriyaの前身となるプロジェクトですね。そこではどのような活動をされていたのでしょうか?

海老原:映像や音楽、ダンス、演劇などのワークショップを定期的にやっていました。例えば映像のワークショップでは、まちと接触するようなテーマを決めて、自分たちが切り取ってきたイメージからお互いの視点の違いを感じたり。そんな取り組みを、国際交流基金のプロジェクトとして3年間、新宿区との協働事業として2年間やったのですが、同時に自分たちの活動に疑問や限界も感じていました。

「新宿アートプロジェクト」より(c)T.K
「新宿アートプロジェクト」より

「その先」に関わるためのインターンの仕組み

——新宿アートプロジェクトに感じていた疑問や限界とは何だったのでしょうか?

海老原:新宿アートプロジェクトでは、ワークショップを中心に年間30回以上の活動をしていたのですが、5年もやっていると、当時は10代後半だった子が20歳を過ぎてふたたび参加してくれることもありました。もちろんワークショップ中は楽しく参加しているのだけど、じゃあ、そのあとの彼らの人生がどうなっているかというと、例えば大学に行きたいのに進学できていなかったり、高校をドロップアウトしている子もいるんです。

——関わったあとのユースの現実が見えてきた。

海老原:新宿アートプロジェクトでは、彼らの個性が光る場所をワークショップという単発の場でつくっていたと思います。でも肝心のユースにとって、ワークショップに参加することがどんな力になっているのか。作品制作を目的としていたわけではないなか、自分たちの試みはアートをより追求するのか、アートをツールに課題解決を目的としたプロジェクトをやっていくのか。アートとプロジェクトのあいだのブリッジをどうつくるか、という葛藤もありました。

佐藤:その問題は解決したんですか?

海老原:やっとそのブリッジのあり方が見えてきたと思います。とにかく新宿アートプロジェクトでの限界を乗り越えるため、BPIを始めるときに「kuriya」という一般社団法人を立ち上げ、器をつくったことが大きかった。

——いま見えてきた「ブリッジ」とは、具体的にはどういうことですか?

海老原:アートプロジェクトをユースと共に運営することで、働きながら学べる場をつくり、それをインターンシップという仕組みにしました。ユースたちを取り巻く環境を見ると、必ずしも社会的経済的に恵まれているとは言い辛い状況にあります。例えば、アルバイトは単なるお小遣い稼ぎではなく、学費のため、親に生活費を入れている子も多くいます。そういう子たちが例えば美術館のイベントに参加したい、映像ワークショップに参加したい、いろんな機会に挑戦したいと思っても、毎日学校とアルバイトと往復するなかで、そんな余裕すらありません。進学にも仕事にも困っているユースたちの状況を拾うことができない。それが新宿アートプロジェクトで感じた限界でした。

Betweens Passport Initiative インターン活動の様子。

——しかしBPIでは、そこにインターンという担保をつくれた。

海老原:ユースたちの生活も考えながら、アートプロジェクトにアクセスできる機会としてインターンという関わり方があること。つまり、きちんと彼らの環境を踏まえた上で、アートプロジェクトに参加するためのアクセシビリティを担保するために、インターンの仕組みがある。様々な機会を無責任ではないかたちで提供できるのは大きいです。
ユースたちはよく「機会(Opportunity)がほしい」と言うんです。BPIではアーティストとの関わりを通して、ユースが自らの役割や可能性を見出しています。もともとプロジェクト名に「パスポート」の言葉を入れたのは、アルバイトと学校の往復という生活を送りながらも、機会が欲しいと願うユースたちに、新しい場所や異なる価値観へアクセスするための「ツール」を手に入れて欲しかったからです。アートを介して、様々な価値観や新しい世界との出会いを提供すること。かつ、働きながら学べる場としてインターンシップをプロジェクトのなかに織り込むことで、課題に対する解決策も織り込む。それが2年間で見えたアートとプロジェクトのブリッジだと考えています。

ワークショップやアーティストとの協働を通じ、ユース一人ひとりの「やりたいこと」「伝えたいこと」を触発していく。(写真:「Moving Stories / Youth Creative Workshop アジア間国際プラットフォーム形成ー多文化な若者達へのアートを通じた人材育成プロジェクト」)

〈後篇〉「定時制高校で「現場」をつくるところから。「社会包摂」と「アートプロジェクト」の関係を考える。—海老原周子「Betweens Passport Initiative」インタビュー」

Profile

海老原周子(えびはら・しゅうこ)

一般社団法人kuriya代表、通訳
ペルー、イギリス、日本で多様な文化に囲まれて育つ。慶應義塾大学卒業後、独立行政法人国際交流基金や国連機関で勤務。2009年に移民の子供を対象としたアートプロジェクトを立ち上げ、多文化なコミュニティづくりや人材育成を行う。2014年からは移民の若者に焦点をあて、アート活動を通じたエンパワメントプログラムを実施。2016年にEUが主催するGlobal Cultural Leadership Programmeに日本代表として選抜される。また、国と国、文化と文化、言葉と言葉の間をつなぐことをテーマに通訳としても活動する。2016年、一般社団法人kuriyaを立ち上げ、アートプロジェクト「Betweens Passport Initiative」を始動。

一般社団法人kuriya

kuriyaは、『移民』の若者たち=未来の可能性と捉え、自らの手で未来を切り開く人材を発掘・育成しています。東京をベースに『移民』の若者たちをはじめとする多様な人たちが集うインターカルチャーな場をつくり、それぞれの持つ知識やスキルを共有し学び合いながらアートプロジェクトを行うことで、彼らに生きる糧やライフスキルを身につける機会を創出します。

Betweens Passport Initiative

『移民』の若者たちを異なる文化をつなぐ社会的資源と捉え、アートプロジェクトを通じた若者たちのエンパワメントを目的とするプロジェクトです。人材育成事業として『移民』の若者たちがプロジェクトの運営を共に行います。
https://medium.com/betweens-passport-initiative

これからの文化を「10年単位」で語るために ― 東京アートポイント計画 2009-2018 ―

2009年に始動した、東京アートポイント計画の10年間の歩みを一冊にまとめました。

プログラムオフィサーが培った知見をまとめた「中間支援の9の条件」、事業の軌跡を年ごとに振り返った「これまでの歩み 2008→2018」、共催団体のパートナーとの対話を収めた「プロジェクトインタビュー」、これからの10年に向けた展望を語るインタビューやディスカッションなどで構成。巻末には、資料として、これまで発行してきた200冊のドキュメントのリストも掲載しています。

*本書について、こちらのブログ記事でも詳しくご紹介しています。

*本書の販売は終了いたしました。PDFダウンロードにてお読みいただけます(2022年1月26日)。

もくじ

はじめに 森 司
東京アートポイント計画とは
もくじ

SECTION1 中間支援の9の条件
1 「プログラムオフィサー」の職域を拓く
2 「協働」のかたちを探る
3 「拠点」づくりの要件を考える
4 「コミュニティ」が育つ環境をつくる
5 「事業予算」の適正規模を探る
6 「多様性」を保持する
7 「評価」の仕組みをつくる
8 「人材育成事業」と連携する
9 「アーティスト」に学ぶ

SECTION2 これまでの歩み 2008→2018
2008年 東京アートポイント計画「前夜」
2009年 動きながら事業基盤をつくる
2010年 現場に応答しながら、展開する
2011年 最も多い事業数の実施へ
2012年 事故から学んだ「組織」としてのふるまい
2013年 「プログラムオフィサー」のことばをつくる
2014年 東京アートポイント計画の第二創業期
2015年 組織改編がもたらした事業整理
2016年 風通しをよくするコミュニケーション
2017年 10周年に向けた棚卸しがはじまる
2018年 10年後を視野に入れた活動指針

SECTION3 プロジェクトインタビュー
縮小社会に向き合う、「看取り」のアートプロジェクト[東京スープとブランケット紀行] 羊屋白玉
逆境から生まれた、考える装置としてのアート[リライトプロジェクト] 林 曉甫+菊池宏子
答えの前で立ち止まり続けることで生まれる生態系[小金井アートフル・アクション!] 宮下美穂
「利き手」を封じたときに見える音楽のあり方[トッピングイースト] 清宮陵一
実験と失敗が広げる、「まち」という名の劇場[アトレウス家] 長島 確+佐藤慎也

SECTION4 東京アートポイント計画 2009→2029
「人」を財産にしながら、ちょっとずつ進む 小山田 徹
アートプロジェクトがつくる、地域の「居場所」 竹久 侑
東京アートポイント計画のこれまでとこれから 芹沢高志×太下義之×熊倉純子×森 司

おわりに 大内伸輔+坂本有理+佐藤李青

REFERENCES 資料
東京アートポイント計画の変遷 10年間の32のプロジェクト
ディレクター/プログラムオフィサープロフィール
外部委員一覧
ドキュメント一覧

地域と文化と制度の研究会

「災害」における文化的なアプローチについて議論を深める

アートプロジェクトは、日々現場で変化を繰り返しています。そこに伴走する中間支援もまた、あるべき機能や課題、論点を抽出し、定期的に検証する機会を設ける必要があるのではないでしょうか。

この研究会では、共通のテーマや似た属性をもつアートプロジェクトの中間支援の担い手が集まり、プログラムオフィサーやゲストを交えて意見交換を行います。横断的な交流のなかで洗い出された現場の課題から、中間支援のあり方を見直すのが目的。メンバーは、小川智紀さん(認定NPO法人STスポット横浜 理事長)、田中真実さん(認定NPO法人STスポット横浜事務局長)、戸舘正史さん(松山ブンカ・ラボ ディレクター)です。

今回のテーマは、文化事業として取り組むべきトピックのひとつである「災害」。阪神・淡路大震災の手記を編んできた高森順子さん(阪神大震災を記録しつづける会事務局長)から、これまで活動してきたなかで起きた団体の変化や、活動の終わり方について伺います。

*このプログラムは、「研究会プログラム」の一部として開催しました。

詳細

進め方

  • アートプロジェクトの中間支援についてのトピックを検討する
  • 研究会の開催、論点の抽出