いま「合奏」は可能か?─心・技・体を整えて広場にのぞむために

アートプロジェクトの現場で起こりうる屋外などの公共空間での音楽の演奏にあたり、公共空間における音楽のあり方についての調査や、音量に関する規制の成り立ちの分析を行うプログラム。5人のさまざまな領域の専門家に、音楽が奏でられる空間での共生のあり方をインタビューし、その気づきや方法論を一冊にまとめました。

もくじ

チューニング 清宮陵一

公共空間×法律 齋藤貴弘(弁護士)
公共空間×まちづくり 飯石藍(公共空間プロデューサー)
公共空間×宗教 近江正典(僧侶)
公共空間×医療 稲葉俊郎(医師)
公共空間×音響 ZAK(サウンドエンジニア)

TERATOTERA DOCUMENT 2019

JR中央線の高円寺・吉祥寺・国分寺という「3つの寺」を繋ぐ周辺地域で展開しているアートプロジェクト『TERATOTERA(テラトテラ)』。2019年度の活動は、「コレクティブフォーラム」や、アーティストがパフォーマンスのタスキをつなぐ「駅伝芸術祭 リタ~ンズ」、大型展覧会「TERATOTERA 祭り2019」、アートプロジェクトの基礎を学ぶ連続講座などを実施しました。

本書のほとんどは、企画の中心を担う「TERACCO(テラッコ)」と呼ばれるボランティアスタッフや、テラッコから発展した「Teraccollective」の言葉によって構成されています。地域に根ざしながら現在進行形で成長を続けるアートプロジェクトの軌跡をたどる、臨場感あふれる一冊です。

もくじ

はじめに | INTRODUCTION
2019年度年間スケジュール | 2019 SCHEDULE

TERATOTERA 祭り2019 | TERATOTERA FESTIVAL 2019
コレクティブフォーラム | COLLECTIVE FORUM
駅伝芸術祭 リタ〜ンズ | EKIDENART FESTIVAL RETURNS

アーティストの感想 | THE VOICE OF ARTIST

アートプロジェクトの0123 | INTRODUCTION TO ART PROJECT

テラッコの感想 | THE VOICE OF TERACCO

アーティストプロフィール | ARTISTS’ PROFILES
来場者アンケート | VISITOR QUESTIONNAIRE

おわりに | EPILOGUE

続・東京でつくるということ わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」の一環として行われた「東京プロジェクトスタディ」。2019年度に立ち上がったスタディのうちの一つが「スタディ1 続・東京でつくるということ」です。このスタディでは、2019年に東京で行われたアートプロジェクトを事例として取り上げ、「観察者・記述者」としてフィールドワークを行い、参加者一人ひとりが「東京でつくる」を巡ってテーマを決め、半年間かけて1本のエッセイを執筆しました。

本書は、スタディ1の活動記録およびメンバー全員の「東京でつくる」を巡るエッセイをまとめたものです。

目次

東京プロジェクトスタディ1 続・東京でつくるということ(概要)
わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する(参加者募集のメッセージより)
ナビゲーターメッセージ「鹿、山、わたし」石神 夏希

スタディ活動記録(レポート:高須賀 真之)
第1回:2019.8.24/はじまりは、からだの自己紹介
第2回:2019.9.4/「問い」に気づく
Column 「しっくりくる場所」高須賀 真之
第3回:2019.9.7/フィールドワーク
第4回:2019.10.3/進捗共有会
第5回:2019.10.26/Oeshikiを終えて
第6回:2019.11.23/ゲストとの対話❶ 韓 亜由美
第7回:2019.12.7/ゲストとの対話❷ 熊倉 敬聡、長島 確
Column 「東京でつくる前に」石神 夏希
第8回:2020.1.11/最後の活動日
第9回 全体共有会:2020 .1.19/朗読「続・東京でつくるということ」
Column 「私の、あなたの、立っている場所からスタディがはじまる」嘉原 妙

スタディ1メンバーによる「東京でつくる」を巡るエッセイ集

松島湾の遺跡地図

「つながる湾プロジェクト」は、宮城県松島湾とその沿岸地域の文化を再発見し、味わい、共有し、表現することで、地域や人・時間のつながりを「陸の文化」とは違った視点で捉え直す試みです。

本地図は、松島湾のさまざまな時代の遺跡紹介しています。同時発行の『松島湾の遺跡図鑑』と併せてお読みください。

松島湾の遺跡図鑑

「つながる湾プロジェクト」は、宮城県松島湾とその沿岸地域の文化を再発見し、味わい、共有し、表現することで、地域や人・時間のつながりを「陸の文化」とは違った視点で捉え直す試みです。

本書は、松島湾のさまざまな時代の遺跡図鑑です。同時発行の『松島湾の遺跡地図』と併せてお読みください。

もくじ

はじめに

遺跡について
遺跡
遺跡の種類と数
遺跡の調査
遺跡の保護

松島湾について
松島湾
松島湾の特徴
松島湾の地形

縄文の遺跡
松島湾の縄文時代
貝塚から出土する遺物
里浜貝塚
大木囲貝塚
西の浜貝塚
製塩土器で塩を作る
発掘調査の専門家の話

古墳・律令時代の遺跡
政治・軍事拠点の多賀城
古墳・墓
蝦夷
多賀城
多賀城碑・多賀城廃寺
歌枕
春日窯跡群
江ノ浜貝塚
鹽竈神社・志波彦神社・御釜神社

中世の遺跡
伊達政宗が残した文化
瑞巌寺・円通院
雄島
瑞巌寺学芸員の話
観瀾亭
医王寺薬師堂
えんずのわり
月浜の海苔漁師の話

近代の遺跡
貿易と戦争
白石廣造邸跡
野蒜築港跡・東名運河・貞山運河
多賀城海軍工廠

巻末エッセイ
索引
おもな参考文献

つながる湾の軌跡 2013-2020 アーカイブプロジェクト

『つながる湾プロジェクト』は、東日本大震災後、もともと地元で活動していたメンバーと、Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)が出会ったことをきっかけに2013年に誕生。以後、アーティストや参加者を含め、この地域にかかわるさまざまな人と対話と実践をくり返しながら進んできました。

震災から10年目を迎えるにあたり、これまでの歩みを、プログラムとメンバーの視点の変遷、両面から振り返るポスターを制作しました。

もくじ

つながる湾の軌跡 2013-2020 アーカイブプロジェクト
プログラム編
メンバーの視点編

ラジオ下神白 あのとき あのまちの音楽から いまここへ 2017-2019

福島県いわき市にある県営復興公営住宅・下神白団地で行われている「ラジオ下神白 あのとき あのまちの音楽から いまここへ」。2017年から、住民のみなさんのまちの思い出とともに、その当時の馴染み深い音楽をラジオ風CDにしてお届けしてきました。遠く離れた土地の声に触れるメディアとして、これまでの活動をまとめた記録集です。

もくじ

オープニング こんにちは、『ラジオ下神白』へようこそ
下神白団地とは

2017年
第1集 「常磐ハワイアンセンターの思い出など」
第2集 「あの頃の仕事 家族の風景」
下神白団地の2017年/4町(富岡・大熊・浪江・双葉)の2017年

2018年
第3集 「2017年リクエスト総集編」
第4集 「海の上で捕まえたあの風景」
「REC PLAY ある復興団地の「声(風景)」をなぞる
ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへの報奏会」
下神白団地の2018年/4町(富岡・大熊・浪江・双葉)の2018年

2019年
第5集 「変化と連なり さよならのかわりに」
第6集 「歌とともにある人生」
下神白団地の2019年/4町(富岡・大熊・浪江・双葉)の2019年

『ラジオ下神白』の歩み 2017-2019

エンディング 声をなぞるから声を奏でるへ
「ただそれだけ」のことから広がる関係性 榊 裕美
「震災」と距離を置くこと 鈴木詩織
髙原タケ子さんという存在、私たちのこれから アサダワタル

アートの裏方だけのコレクティブはどんな価値を生む? 「Teraccollective」の可能性——小川希「TERATOTERA」インタビュー〈後編〉

近年アートの世界では、「アート・コレクティブ」と呼ばれる、制作や生活を共有する集団や共同体のあり方に注目が集まっています。この言葉が認知される以前の2000年代初頭から、作家たちの緩やかなネットワークづくりを模索してきた小川さんは、2016年にアーティストを中心とした「Ongoing Collective」を設立。2018年には、TERATOTERAのボランティアスタッフ「テラッコ」のコアメンバーからなる「Teraccollective(テラッコレクティブ)」を立ち上げるなど、アートにおける場や時間の共有の問題を見つめてきました。

これまでの活動を通して小川さんが考えてきた、「コレクティブであること」の可能性とは何なのか? また、Teraccollectiveが主体となって初めて手がけた「TERATOTERA祭り2018」の運営から見えた課題とは? 東京アートポイント計画・ディレクターの森司とともに探っていきます。

社会実験としてのコレクティブ。緩やかなつながりから新たな表現を生む——小川希「TERATOTERA」インタビュー〈前篇〉

「Teraccollective」のミーティング風景。主な活動拠点は小川さんの運営する「Art Center Ongoing」だ。

裏方だけのコレクティブにできることとは?

——「TERATOTERA」のボランティアスタッフから生まれた「Teraccollective」(以下テラコレ)。あらためて、このコレクティブはどんな経緯から設立されたのでしょうか?

:僕と小川さんでTERATOTERAの今後について話すうち、「テラッコをコレクティブにしてみたら新しい可能性が芽生えるのでは」というアイデアが生まれたんです。というのも、テラッコはもっと深い関係性がつくれるのではないかと思っていたんですよ。それならば、ひとつの集団として名付けることで、新しいやり方があるかもしれないと。

小川:アーティストのいない、裏方しかいないコレクティブというのは聞いたことがないじゃないですか。もしかしたら、これまでになかった展開がいろいろ起きるかもって。

——メンバーにはどんな職業の方がいるんですか?

小川:本当にいろいろです。元新聞記者からテレビのディレクター、エンジニアやプログラマー、整体師や主婦、行政の人も美術関係者もいます。2年以上テラッコの経験がある人に声をかけて、希望があれば誰でも入れると。期間を設けているのは、長い時間協働することで、価値観もある程度共有できるからです。だから、集まっている人間としては以前から一緒なんですよ。でも、これも言葉の魔術じゃないけど、テラコレと名付けられた瞬間、活動体としてのリアリティが生まれ、やる気が変わったんです。

——僕も一度、ミーティングを見学しましたが、たしかにみなさん熱心でしたね。

小川:「テラコレの私」になったと。だから、じつはやや危険な状態なんです(笑)。みなさん土日を潰して参加してくれて、メール上でもつねに熱い議論を交わしているのですが、良い感じでガス抜きしないといけない。「もっとクールダウンしていいですよ」とは言うんですが。

:すこし企業戦士っぽいのかな(笑)。アートのコレクティブと言っても、人間ってやはり習慣の生き物だから、普通にしているとそれまで親しんできた社会組織の属性になりがちだと思うんです。そこをどう超えるのか。アーティストは自然とそれをすり抜けて収集のつかない方向に進むんだけど……あれはひとつの才能と言うべきなんだろうね。

小川:あと怖いのが、テラッコがキュレーターになってしまうことで。つまり、「この社会問題に対してこんな展覧会を開きたい」という話になると、それはキュレーターの仕事になってしまう。そうではなく、アーティストやキュレーターのフォローに入るような、あくまでも裏方のコレクティブとしてできることの可能性を追求したいんです。

:演劇の世界で言う制作チームですよね。展示から記録集制作まで一元管理する。

——実際、TERATOTERAの記録集は、編集から執筆までテラコレが手がけていますね。

小川:プロフェッショナルな制作集団なんです。でも、テラコレができたと話したら、作家たちはみんなすごく喜んでいました。あらためて信頼度が増すし、この人たちに任せておけば大丈夫だろうとなりますからね。

テラコレの活動風景。年齢も経歴も多様な人たちが、ひとつのチームとしてアート企画の運営に取り組んでいる。(撮影:阪中隆文)

ヒエラルキーのない関係性から、共同体は生まれる

——TERATOTERAでは、アーティストとのコミュニケーションもテラコレが担っています。ただ、それは専門職としてのキュレーターやアートマネージャーからしてみれば、ハラハラすることですよね。最初から安心してその役割を渡せましたか?

小川:それは、僕が作家のことをすごく信頼していて、よく知っている人としか仕事をしないからできることかもしれません。作家には「何か変なことがあれば言ってね」と言ってあるし、そもそも僕にとって作家はそんなに偉い存在ではないんです。テラッコやテラコレのメンバーと、作家は対等だと思っていて。

——ミーティングを見ていても思いましたが、小川さんとテラコレのメンバーとの距離感は独特ですよね。

小川:基本的に、みなさんと話すときは敬語ですからね。Ongoingでインターンというかたちでいろいろと手伝ってくれる子たちにも敬語だったりするし。

——アーティストに対しては?

小川:作家には敬語なんて使いません(笑)。もちろん、作家も作品もリスペクトはしているけれど、パシリになってはいけないと思うんですよね。それはテラコレができたときにもメンバーに言いました。裏方のチームができたからといって、べつにアーティストが偉いわけではないと。失礼なことをしないように気をつけるのは、一方的にテラッコの側が意識することではなくて、アーティストも同じことですよね。やっぱり、コレクティブというものにおいては、ヒエラルキーがないことがすごく重要だと思うんです。意図していなくてもヒエラルキーが生まれてしまう状況には敏感であるべきだけど、作家はもともとヒエラルキーが関係ない人たちだから、敬語なんて使う必要はないんですよね。

——小川さんは、冒頭にも挙がった東南アジアのリサーチのあと、現地で見たコレクティブのあり方を「オーガニック」、日本語では良い塩梅という意味での「適当」という言葉で表現されていましたが、まさにそうしたあり方を意識しているということですね。

小川:向こうのコレクティブは、日本に比べてぜんぜん緩いし、時間も守らないし、よくこれで回っているなと思うことだらけでした。でも、なぜ回るかというと、どこかひとつの場所がそうなのではなく、すべての拠点が適当だからなんです。と同時に、それは昔からネットワークづくりを考えていた人間にとっては発見でもあって、ある種の適当さを許さないと、そもそも共同体なんか生まれないことが実感できたんです。

——普通、チームをつくったときには宣言文やルールを掲げてしまいますね。

小川:そうそう。システムとか決まりを掲げちゃいますよね。でも、それだと共同体をつくることも変化することもできない。僕、若い作家から「小川さん、もっとこうしてくださいよ」ってすごく意見を言われるんです。そういう言葉をひとつひとつ聞くことはすごく大切で、そのことで自分もOngoingという場もすこしずつ変わっていける。でも、ヒエラルキーがあれば意見は言えませんよね。それを気兼ねなく言ってくれる状況をどうつくり出していくのか。変化していくための身構え方は、東南アジアを訪れてすごく勉強になりました。

:バッファーをどこまで持てるか、ということですよね。皮一枚で繋がっているような緊張感があると、すこし接触しただけで切れてしまうんだけど、タメがあれば笑って済むじゃないですか。いろんなものと付き合っていくうえでは、そのタメの部分がとても大切で。でも、繰り返しだけど、小川さんには芯があるんです。だから、これはビジネスマンや政治家のスタイルとは違うんですよね。芯を持ちつつ、命名されていないものや価値化されていないものをできるだけ引き取ろうとしたとき、出てくるスタンスだと思う。

小川:たしかに僕、めちゃくちゃ好奇心は強いんです。知らないものや、分からないものに対して。というか、自分にはそれしかないかもしれませんね。

「TERATOTERA祭り2018」では、三鷹駅周辺でさまざまなアーティストがパフォーマンスや作品を展開。テラコレはさまざまな関係者の間に立ち、企画から広報、運営までを担当した。(TERATOTERA祭り2018 砂連尾理 ≪妊婦さんと踊る≫ 出演者の古原彩乃(妊婦)と踊るシーン/撮影:阪中隆文)

アートがアートであるための社会実験

——前篇の最後でも触れた通り、昨年行われた「TERATOTERA祭り2018」は、テラコレが主体となって初めて手がけたプロジェクトでした。三鷹駅周辺を舞台に、気鋭の作家も多数参加していましたが、開催を通して感じた課題を教えてください。

小川:前提として言えば、みんな頑張っていたし、クオリティは高かったと思います。テラコレのメンバーの達成感もあったんじゃないか。ただ、自分の持ち場だけはちゃんとやるという感じで、ほかの展示は見ていなかったりもしたので、「それはもったいないし、意味ないよ」とは伝えました。テラコレと言うなら、なおさらすべての作品を自分たちで見て、理解して、説明できるようにしておかないといけないとは思います。

:「アートプロジェクトあるある」ですね。ただ、そうした課題の扱いは難しい。従来の組織のようにヒエラルキーを設定して、先回りして指示するのは簡単だけど、それでは学びがないし、楽しくないんです。そうではなくて、コレクティブとして学びながら更新していくためには、意識的に一回転遅れて進行する状態を保てるかどうかだと思っていて。つまり、まずやって、気づきを次の日フィードバックする。「来年のために今年はやる」ぐらいの気持ちの方が、楽しいんじゃないか。そこでの問題は、その状態を誰が意識的に容認するのかということで、周りが許すのか、本人たちが許すのか、が問われる。

——失敗や合理的じゃないものと、いかに自覚的に付き合うのかということですね。

:ビジネス的で合理性を志向するサービス開発やイベント運営だったら、そういう思考はありえないですよね。でも、アートプロジェクトも、コレクティブも、そもそも合理的なものではないわけです。

小川:すこし角度は違うけれど、TERATOTERAの企画があまりにも「アートを知っている風」の、アートファンが安心できるようなものになってしまったら違うな、とも思いました。どこかで何かが破綻していて、アートファンは見たくないかもしれないけれど、たまたま出会ったまちの人にとっては何か変わるきっかけになる。そんな危うさみたいなものがあっていいのかなと。

:破綻は、チャレンジの結果でもありますよね。だから今回の「TERATOTERA祭り」は、それまでディレクターを務めていた小川さんの代わりをテラコレが行った初回としては、上手に踏襲している。その意味で完成度が高いのは当たり前なんだけど、本当はもっと破綻とチャレンジの背中合わせの感じがあった方がいい。優等生的になりがちなところに、いかに構築性のある破壊を意図的に入れられるのか。そこのつくりこみができると、コレクティブは面白いですよ。

「TERATOTERA祭り2018」。三鷹駅周辺のさまざまな場所で開催した。(撮影:阪中隆文)

——小川さん的には、テラコレは今後、どんな存在になると良いと考えていますか?

小川:一番は、メンバーがずっと楽しめる場であればいいと思います。あの人たちは本当にすごいんですよ。展覧会を見ている量も半端じゃなくて、みんなで集まって海外の芸術祭に訪れたりもしているんです。昼間はバラバラで展示を見て、夜は感想を言いながら飯を食う、みたいな。冒頭に話した生活のシェアみたいなものにますます近づいている。ただ、共同で何かをやること以外は、進む方向も正解も分からなくて。一種の社会実験じゃないですけど、コレクティブとはコレだと言えないところが面白いと思うんです。

——それは、アートというものを超えた共同体の面白さでもあるんですか?

小川:いや、僕は生まれつき、アートじゃないものには興味がなくて(笑)。ただ共同生活がしたいわけではなくて、まずアートがあって、そのうえでコレクティブ的な考え方をすることが僕にとっては大切なんです。社会には、アートじゃないとできないことが絶対にあって、でも、そのためにはアートがアートであり続ける必要がある。アートと言ってもすぐにお金の話になるし、それこそ公共の道具にもされるじゃないですか。そうじゃないものを担保するために、Ongoingのいろんな活動はあると思っています。

Profile

小川希(おがわ・のぞむ)

TERATOTERA ディレクター/Art Center Ongoing 代表
2002年から2006年にわたり、東京や横浜の各所を舞台に若手アーティストを対象とした大規模な公募展覧会「Ongoing」を、年1回のペースで企画、開催。その独自の公募・互選システムにより形成した数百名にのぼる若手アーティストネットワークを基盤に、既存の価値にとらわれない文化の新しい試みを恒常的に実践し発信する場を目指して、2008年1月に東京・吉祥寺に芸術複合施設 Art Center Ongoing を設立。現在、同施設の代表を務める。
また、JR中央線高円寺から国分寺を舞台としたアートプロジェクト TERATOTERA(テラトテラ)のディレクターとしても活躍する。
最近では2016年1月から4月までの3カ月、国際交流基金アジアフェローシップとして、東南アジア9カ国に点在する83カ所のアートスペースをリサーチした。

TERATOTERA

http://teratotera.jp/

Art Center Ongoing

http://ongoing.jp/ja/

社会実験としてのコレクティブ。緩やかなつながりから新たな表現を生む——小川希「TERATOTERA」インタビュー〈前篇〉

アートプロジェクトを運営する人たちへの取材を通して、その言葉に、これからのアートと社会を考えるためのヒントを探るインタビュー・シリーズ。今回は、吉祥寺の芸術複合施設「Art Center Ongoing」の代表で、2009年度よりJR中央線の高円寺〜国分寺間を舞台にしたアートプロジェクト「TERATOTERA」を展開する小川希さんにお話を訊きました。

近年アートの世界では、「アート・コレクティブ」と呼ばれる、制作や生活を共有する集団や共同体のあり方に注目が集まっています。この言葉が認知される以前の2000年代初頭から、作家たちの緩やかなネットワークづくりを模索してきた小川さんは、2016年にアーティストを中心とした「Ongoing Collective」を設立。2018年には、TERATOTERAのボランティアスタッフ「テラッコ」のコアメンバーからなる「Teraccollective(テラッコレクティブ)」を立ち上げるなど、アートにおける場や時間の共有の問題を見つめてきました。

これまでの活動を通して小川さんが考えてきた、「コレクティブであること」の可能性とは何なのか? また、Teraccollectiveが初めて主体となって手がけた「TERATOTERA祭り2018」の運営から見えた課題とは? 東京アートポイント計画・ディレクターの森司とともに探っていきます。

小川さんが吉祥寺で運営している「Art Center Ongoing」にてお話を伺った。

「生活をシェアすること」の現在地

——小川さんは2008年から「Art Center Ongoing」(以下Ongoing)を拠点に、アートの共同体づくりの試みをさまざまに行ってきました。その活動には、近年の「アート・コレクティブ」という言葉の普及のなかで、新たな光が当てられていると感じます。

小川:おそらく名称が普及したことで、外からの認識の通りが良くなったんだと思うんです。そもそも僕が「コレクティブ」という言葉を知ったのは、以前、東南アジアのアーティストやキュレーターと横浜で話したときのことでした。向こうにはコレクティブという表現者の自治的な集まりがたくさんあると知り、興味を持ったんです。そして、2016年に東南アジア9カ国83カ所のオルタナティブスペースやコレクティブ拠点を巡ったのですが、現地で人々の緩やかなつながりを見て、日本にはコレクティブという言葉はないけれど、Ongoingの活動はこれと同じだと感じたんです。

——言葉を得たことで、自分たちの活動の輪郭がはっきりしたわけですね。

小川:Ongoingの見え方って、美術館などでは扱いづらい作家が集まって楽しそうにしている、美術的には評価しにくいものだったと思うんですね。でも、言葉ができたことで風通しが良くなったのかな。もちろん、以前から日本にもアートのグループはたくさんありましたが、僕がコレクティブと呼ぶのは必ずしも制作のための集合体ではなくて、生活そのものをシェアするような感覚を持つものなんです。これは、アーティストの個人性に焦点を当てていたこれまでのアートの世界では認知しがたい領域だったのではないかと思います。

:西洋やそれを追認している日本では、基本的にアートとは個人性をベースにしたものと考えられてきましたからね。そのなかでコレクティブなあり方は、奇異なものとして周縁的に見られていたけど、それがアートのもうひとつの軸になりそうな予感が芽生えているのが現在だと思う。もともと美術館の外に出るほど、個人主義とは違うアートに可能性を見る人が多いんです。人が集ったりつながったりすることが、ただの「仲良し」でなく、必要性のあるものとして受け取られ始めているのでしょうね。

小川:ちょうどいま、とある公立美術館から、インディペンデントの立場から美術館に求めるものを書いてくれと依頼され、文章を書いているんです。僕は、アートをすることがお金にも名声にもならない日本において、制作を続ける重要な動機になるのは、「隣にいるこいつが続けているから」という、アーティスト同士の関係性だと考えていて。要は「ツルむ」ことがすごく大事なんだけど、美術館はそうした作家間のつながりをつくり出す機能を果たせていない。「美術の館」を名乗るのなら、その機能が大事ではないかと書いたところです。

:僕も元学芸員なのでその感覚はわかるけど、美術館は宝物殿、「モノの館」なんだよね。美術作品のための最適な環境が考えられていて、「人の館」ではない。だけど、そのあり方を更新していこうという動きもありますね。東京アートポイント計画にも参加されている建築家の佐藤慎也さんは、従来の美術館に対して、人が含まれた作品に対応する新しい美術館を「第四世代の美術館」と呼んでいます。

小川:結局、美術館も「モノの館」としてのあり方が今後は厳しいということに気づいているんだと思うんです。予算が縮小され、作品も買えないなか、美術館の人もアーティストに何をしてあげられるのか、悩んでいるのかなと。僕に原稿の依頼が来るということ自体、いまのアートの世界のそんな現実を表しているのかもしれません。

緩やかな作家のつながりをつくりたい

——Ongoingはもともと、スペース設立以前の2002年から4年間行われていた公募展としてスタートしました。当時から同世代の表現者をつなぐ志向や、既存のシステムへの疑問を打ち出していましたが、その関心はどこから来たものだったのですか?

小川:いまの話ともつながりますが、作家たちのネットワークがまるでないことが一番大きな問題だと思っていたんです。僕は1990年代後半に美大に行きましたが、大学内ですら学部が違うと人を知らなくて、それがすごく貧しいと感じていた。さらに、コンセプトをひとつに洗練させて、どれだけ他者と差異化を図るのか、いかに自分一人がのし上がるための戦略を立てるのかが、アーティストになるうえでの絶対条件のように言われていました。だけど、僕にはそれが全然面白そうに思えなかった(笑)。それよりも、いろんな人のなかに自分もいることの方が絶対に面白いし、その方が全体の質も上がると考えていました。

——そうしたなかで、小川さんが考えた展覧会企画とは、作家が作品をそれぞれプレゼンし合い、自分の面白いと感じたものに投票するといった内容だったそうですね。

小川:参加作家はお互いに面識がなくて、同世代というだけで集まっていました。さきほどの人をつなぐ仕組みが無かったから、それをつくりたいと思ったんです。その後、Art Center Ongoingを立ち上げたのも、作家が適当に緩く集まれる場所が東京にはなかったから。コンセプトや主義主張で集まるという考え方もありますが、「自分はこんな作家だ」と言った瞬間、言葉に引っ張られて、自分の表現が限定されてしまう。それは言葉のまた別の側面で、怖いところですよね。

——悪い意味で、スタイルができてしまうと。

小川:もっと流動的にいろんなものが変化する方がリアルだし、それをやりたいと思っていて。いまもテラッコの人たちに「こうじゃないといけない」とは言いませんから。

:小川さんがもともとコレクティブな性質の人だったということですよね。多くのディレクターやキュレーターは自分の考え方のラッピングの部分に神経を使うけど、小川さんの場合、そこは若干ルーズでも良いという考え方。でも、小川さんの書いた文章を読むと芯はブレていないんですけどね。本当に、確信犯的に手を抜きますからね。

小川:ははは。

:スタイルが無いのではなく、小川流のスタイルがあるんです。それが命名されていないものだから、独特に見える。でも、東南アジアに行ったら、じつは同じような考え方の場所がたくさんあったというのが、小川さんの発見でしょう。

——ただ、その緩やかさが、外からの掴みづらさに通じているとも感じます。

:そうですよね。せっかく「コレクティブ」のような便利な言葉が出てきたのだから、もっと利用することもできるのに、小川さんはどうも使い尽くそうとしていない感じ。だけど、その曖昧な立ち方をキープするのは、意外と踏ん張りが必要なことだと思います。

小川:時間をかけてコレクティブというものを考えないと、すぐに消費されてしまうと思うんです。もっと自分で深めるまでは、あまり前面に出したくなくて。それに、僕が東南アジアで見たコレクティブは、それぞれ別の生態を持っていました。これは僕が関わる二つのコレクティブもそうで、集団であることは同じだけど性質は全然違う。コレクティブってそんな簡単なものではなく、やりがいや幅がまだまだあるんですよね。

2016年夏に小川さんが立ち上げた「Ongoing Collective」。アーティスト34名、ミュージシャン1名、キュレーター6名、コーディネーター4名からなる全45名で設立し、さまざまな活動を展開している。

「一緒にいる時間」が、アートの引き取り方を変える

——Ongoingは2009年度より、アートポイント計画と「TERATOTERA」を始めています。森さんが小川さんに声をかけようと思ったのはなぜだったのでしょうか?

:小川さんがもともとこの地域の出身者だったことや、展覧会の運営を何度も経験していたことは大きかったですね。あと、当時は珍しかった、すでにまちなかで活動している人だったこともあります。普通、みんなホワイトキューブに憧れますから。

小川:森さんは、なぜか最初から信用してくれていましたね。たぶん、それは僕がやっていることに「アートがある」と感じてくれたからだと思っていて。アートプロジェクトのなかには、「プロジェクト」はあっても「アート」がないことも多いのかなと。

——「アートがある」?

:アーティストがかたちにして見せているというだけで、アートは本来、どこにでも偏在しているものなんです。だけど、多くの人はそれを希少なモノとして考えてしまいますよね。「アートはモノではない」と信じていなければ、その微妙だけど本質的なアートの感覚を掴むことはできない。その点、小川さんやOngoingの周辺には、高価だったり有名だったりするようなわかりやすく価値化されたモノはなかったけれど、アートはあったんです。その「わかりにくいアート性」を公共の文化事業でどう引き取るのかは、僕自身の挑戦でした。

小川:アーツカウンシル東京や東京都に方向性を決められるような座組だったらできなかったと思うんですけど、森さんは任せてくれるからやりやすかったですね。

——「TERATOTERA」でOngoingの外に飛び出して、印象的だったことは?

小川:作家が否応なく変わってしまうことが、すごく面白かったですね。危険なアプローチが得意な作家がまちに出た途端ビビっていたり、逆に普段は地味な作家が外だと止めたくなるほど暴走したり(笑)。いわゆるパブリック向けの表現になるという意味ではなくて、外に出たときに表現者に個人として起こる変化というのがあって。作家がすごいスピードで変わらざるを得ない状況を与えられたことが、一番嬉しいことでした。

:あと、テラッコの方たちとは「TERATOTERA」を通じて知り合ったわけですが、このプロジェクトほどアーティストとボランティアの接点が多い場所はないかもしれませんね。

小川:テラッコは普段、アートと関係のない仕事をしている人も多いんですけど、作家との距離がとても近いから、どんどんアート的な思考になっていくんです。最初は作家が何を話しているのか意味不明なんだけど、3年もやっているとその思考が掴めてくる。

:その意味で言うと、昨年の「TERATOTERA祭り2018」は、小川さんではなくテラッコのコレクティブ「Teraccollective」(以下テラコレ)が初めて主体となって運営しましたよね。まちなかのプロジェクトには、アーティスト自身はアート思考でも、事務やマネジメント側の受け取りが甘いために、見え方としてすごく薄っぺらい催事イベントになってしまうケースも多いんです。だけど、テラコレの現場は居心地が良いというか、そのハレーションがなかった。人間ってアーティストや作品だけではなくて、運営側のコミットの仕方とか費やした時間とか、そういう総体を無意識のうちに感じるものだと思うんです。

小川:作家にとっても、テラッコと多くの時間を共有しながらつくる経験は、自分だけの制作とは違うものにならざるを得ないんです。それはTERATOTERAの特徴で、テラッコはアーティストではないのに、懸命に手伝ううち、その性質が作品に混ざってしまう。軽い言葉になってしまうけれど、「みんなでつくり上げている感」はすごくあるんですよ。

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Profile

小川希(おがわ・のぞむ)

TERATOTERA ディレクター/Art Center Ongoing 代表
2002年から2006年にわたり、東京や横浜の各所を舞台に若手アーティストを対象とした大規模な公募展覧会「Ongoing」を、年1回のペースで企画、開催。その独自の公募・互選システムにより形成した数百名にのぼる若手アーティストネットワークを基盤に、既存の価値にとらわれない文化の新しい試みを恒常的に実践し発信する場を目指して、2008年1月に東京・吉祥寺に芸術複合施設 Art Center Ongoing を設立。現在、同施設の代表を務める。
また、JR中央線高円寺から国分寺を舞台としたアートプロジェクト TERATOTERA(テラトテラ)のディレクターとしても活躍する。
最近では2016年1月から4月までの3カ月、国際交流基金アジアフェローシップとして、東南アジア9カ国に点在する83カ所のアートスペースをリサーチした。

TERATOTERA

http://teratotera.jp/

Art Center Ongoing

http://ongoing.jp/ja/