アートアクセスあだち 音まち千住の縁

「縁(えん)」を育み、つないでゆく

足立区制80周年記念事業をきっかけにはじまったアートプロジェクト、通称「音まち」。人とのつながりが希薄な現代社会において、アートを通じて新たな「縁(えん)」を生み出すことを目指している。下町情緒の残る足立区千住地域を中心に、市民やアーティスト、東京藝術大学の学生たちが協働して「音」をテーマとしたプログラムを複数実施している。

実績

2011年度、音まちのプログラムのひとつとして、無数のシャボン玉でまちの風景を変貌させる「Memorial Rebirth 千住」(通称、メモリバ)が千住の「いろは通り商店街」からはじまった。アーティストの大巻伸嗣のみならず、事務局スタッフや市民、足立区職員や東京藝術大学の学生たちが一丸となって共創するメモリバは、それ以降も毎年会場を変え、かかわり手を広げながら区内各所で実施している。現在ではメモリバを軸に多くの市民メンバーが立ち上がり、シャボン玉マシンを扱うテクニカルチーム「大巻電機 K.K.」や、オリジナルソング「しゃボンおどりの歌」を演奏や踊りで彩る「メモリバ音楽隊」や「ティーンズ楽団」など、メモリバ本番には100名を越えるスタッフが集まることも。音まちが目指す、現代における新たな「縁」が広がり続けている。

音まちではほかにも、作曲家の野村誠を中心にだじゃれをきっかけとした新たな作曲方法を開発・演奏する「千住だじゃれ音楽祭」や、日本に暮らす外国ルーツの人々の文化を知る「イミグレーション・ミュージアム・東京」など、それぞれのプログラムでアーティストと市民チームによる自主的な活動が続いている。2018年には、戦前に建てられた日本家屋を文化サロン「仲町の家(なかちょうのいえ)」としてひらき、近隣住民や観光客、学生、アーティスト、クリエイター、事務局メンバーたちが交流する場が生まれた。

2021年度には、音まち10年間の活動で育まれた「縁」の集大成ともいえる「千住・人情芸術祭」を開催。これまでも音まちで活躍してきた2人のアーティスト、友政麻理子とアサダワタルによる作品発表に加え、プロアマ問わず市民から出演者を公募した「1DAYパフォーマンス表現街」を企画。音まちの各プログラムを担う市民メンバーや、仲町の家の常連さん、足立区内外で活動する初参加者まで、約50組のパフォーマーが集結し、めいめいの表現を繰り広げた。

東京アートポイント計画との共催終了後も、NPOと足立区、東京藝術大学との共催は続き、まちなかでのアートプロジェクトを通じた「縁」づくりに取り組み続ける。2024年度からは区市町村連携のモデル事業として「Memorial Rebirth 千住」を共催で実施している。

※ 共催団体は下記の通り変遷

  • 2011~2013年度:東京藝術大学音楽学部、特定非営利活動法人やるネ、足立区
  • 2014~2015年度:東京藝術大学音楽学部、特定非営利活動法人音まち計画、足立区
  • 2016年度~:東京藝術大学音楽学部・大学院国際芸術創造研究科、特定非営利活動法人音まち計画、足立区

関連動画

大巻伸嗣「Memorial Rebirth 千住 2017 関屋」
2018年度 アートアクセスあだち 音まち千住の縁(ショートバージョン)
2018年度 アートアクセスあだち 音まち千住の縁(ロングバージョン)

「つくる」ために重ねた試行錯誤。東京プロジェクトスタディから生まれた成果とは

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」にて、2年目を迎えた「東京プロジェクトスタディ」。2019年度は「ことば」「パフォーマンス」「映像エスノグラフィー」を軸とした3つのスタディを展開しました。

東京プロジェクトスタディでは、スタディごとにチームを結成後、アートプロジェクトの核をつくるための実践を重ねていきます。3つのチームがどのような活動を展開してきたのか、詳細な活動レポートや参考資料などは現在公開中のアーカイブサイトにてぜひご覧ください。
*詳しくはこちら

ここでは、約半年間にわたる活動のなかでも、スタディ間での横断的なコミュニケーションの場を生み出すことを試みた「合同共有会」についてご紹介します。個々の活動内容だけではなく、成果や悩み、進めていく上で工夫したことやリサーチ状況などを共有することで、次の一歩を進めていく手がかりとなるような場を目指して開催しました。 

2019年度に始動した3つのスタディが、約半年間でどのような活動プロセスをたどり、展開したのか。後篇では、「共有会2」(2020年1月19日)の様子に加えて、各スタディの活動成果についてお届けします。

【執筆:前篇/村上愛佳(アーツカウンシル東京)、後篇/染谷めい】

共有会レポート前編はこちら

*東京プロジェクトスタディについて
東京プロジェクトスタディとは、“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけのもと、関心や属性の異なる「つくり手」であるナビゲーターと参加者がともにチームをつくり、それぞれが向き合うテーマに沿ってスタディ(勉強、調査、研究、試作)を重ねるプログラムです。
実施期間:2019年8月〜2020年2月

スタディ1 「続・東京でつくるということ ―わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する」

スタディ1は、参加者同士がお互いを知るためのワークショップの実施や、時にはゲストを招きながら、参加者が「書きたいテーマ・理由・目指すこと」を共有し、ディカッションを重ねてきました。1本のエッセイを書き上げることは共通しているものの、それに対する参加者の姿勢はさまざまだったといいます。毎回異なる文章で多方向から思考を進めていく人もいれば、毎回同じ文章を改稿するかたちで思考を深めていく人も。「『東京でつくる』を巡って、自分自身にとって切実なこと」を仲間とともに向き合うプロセスを経て、活動最終日には「やっと、本当に書きたかったことが書けたね」と涙を流し合う場面もあったそうです。
共有会2では、それぞれが書き上げたエッセイから一節を抜き出し、書き手ではない人が朗読するというかたちで発表が行われました。思考のプロセスの旅を共にしてきた仲間が、それぞれの文章に託された想いを汲みながらことばにする時間に、他のスタディ参加者も真剣に耳を傾けていました。スタディ1のチームが過ごしてきた時間そのものに、その場にいた参加者一同が引き込まれていくような発表となりました。

約半年の活動を経て、参加者それぞれが1本のエッセイを書き上げたスタディ1。参加者一人ひとりによる朗読の様子。

《2019年度 その後の活動》
参加者全員が一本のエッセイを書き上げたスタディ1。2020年3月には、全10本のエッセイと活動プロセスをまとめた記録集『続・東京でつくるということ わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する』を制作・発行しました。「書くこと」をとおして、それぞれが何を掴んだのか。「東京でつくる」ことに真摯に向き合うことで紡がれたことばに、ぜひ触れてみてください。
記録集は、Tokyo Art Research Labウェブサイトにてダウンロードしてご覧いただけます。今回のスタディの前身にあたる『「東京でつくる」ということ エッセイ集』(2018年度)も合わせてご覧ください。
※冊子版をご希望の方は、申し込み希望フォームからお申込みください。

スタディ2 「東京彫刻計画 ―2027年ミュンスターへの旅」

スタディ2共有会での発表の様子。ナビゲーター:佐藤慎也(建築家、プロジェクト構造設計)、居間 theater(パフォーマンスプロジェクト)、スタディマネージャー:坂本有理(アーツカウンシル東京プログラムオフィサー、「思考と技術と対話の学校」校長)。

まずナビゲーターの居間 theaterと佐藤慎也から、2019年度の活動プロセスと構想中の作品づくりに向けた進捗を共有しました。それまでの活動での紆余曲折を踏まえ、作品づくりに向けた今後の方向性を「『工事現場』をパフォーマンスとして、さらに『公共』と『彫刻』をつなげるメディアとして捉える」ことを試みているとのこと。共有会時点では、ナビゲーターをはじめ、参加者それぞれの「工事現場」にまつわるリサーチが進行中。見学できる工事現場に出かけ、仮囲いや道具の使いかたについて思考を巡らせた様子や、演劇でも使われることばである「WORK IN PROGRESS」が「工事中」を指すことばとして使われていることなど、パフォーマンスとして工事現場と向き合ってみて生まれた気づきや解釈を共有しました。

スタディ2では、参加者それぞれの視点から「工事現場」のリサーチが進められた。見学可能な工事現場では、工事行程や内容の案内、最後にはチェキでの記念撮影も。

工事現場をメディアとしてパフォーマンスに発展させていくにあたって、現場で働いている作業員に対して搾取的な態度にならないかという懸念点も受け止めながら、「それでも工事現場には何かがある」と新たな試みに期待が膨らむ時間となりました。

《2019年度 その後の活動》
スタディ2では、リサーチしてきたことをパフォーマンス仕立てのプレゼンテーションでお届けする「東京彫刻計画―2027年ミュンスターへの旅 試演会」を開催(*)。参加者それぞれがリサーチで得た気づきをもとに、参加者全員でのパフォーマンスが繰り広げられました。工事現場を散歩して巡ってみる「ひな散歩」や、工事のワンシーンから妄想解説をする「うらら想像美術館」、工事現場を舞台にしたラジオ小説「黄色いパトランプ」、現場にあふれる仕草で構成された「みんなの工事」など、「ラジオの公開収録」さらながらに進行。それぞれの視点がふんだんに盛り込まれた試演会となりました。
*公開イベントとしての開催を予定していましたが、新型コロナウイルス感染症が拡大している状況を受け、規模を縮小して関係者のみで実施しました。

(撮影:加藤甫)

スタディ3 「‛Home’ in Tokyo ―確かさと不確かさの間で生き抜く」

スタディ3の共有会での発表の様子。ナビゲーター:大橋香奈(映像エスノグラファー)、スタディマネージャー:上地里佳(アーツカウンシル東京プログラムオフィサー)。

流動的な東京において、どのように‘Home’という感覚がもたらされ、培われているのかをリサーチし、参加者それぞれが映像作品を制作したスタディ3。共有会では、毎回の活動日で実施していた「チェックイン」を参加者全員で行い、それまでの半年間を振り返りました。「チェックイン」とは、活動日の冒頭での挨拶を兼ねているもので、全員が同じお題に答えていくというもの。回を重ねるごとに参加者の個性やその人の日常が垣間見えるようになり、他者の生活をリサーチする実践の一環として、気づけばスタディ3の名物コーナとなっていたそうです。
共有会での「チェックイン」のお題は、「このスタディに参加していなかったら、やらなかったであろうこと」。どの参加者も、調査協力者との関係性のなかで自分自身を振り返り、自分の居場所をつくりながら ‘Home’についての手がかりを見つけていたことが伺えました。ナビゲーターの大橋香奈は、活動日にゲストとして招いた加藤文俊氏の「ラボラトリーワーク」の考えかたを引用し、「スタディ」には多様な世代が同じテーマに取り組み、同じ立場で学ぶ貴重で面白い場が立ち上がっていた、と振り返りました。

スタディ3では、参加者それぞれが映像作品(プロトタイプ)を制作。作品概要やプロセスが書かれた「作品ノート」は会場内に展示された。

《2019年度 その後の活動》
「‛Home’ in Tokyo」をテーマに、全12本の映像作品が制作されたスタディ3。映像作品の上映会については、今後実施していく予定です。それらの映像作品を補完する役割も兼ねて、これまでの活動と作品制作のプロセスをまとめた記録集『‘Home’ in Tokyo 確かさと不確かさの間で生き抜く』(PDF版)が制作されました。テーマをどのように深めていったのか。映像を撮影・制作していく上で、どのような出会いや課題、試行錯誤があったのか。ぜひご一読ください。
記録集は、Tokyo Art Research Labウェブサイトにてダウンロードしてご覧いただけます

東京プロジェクトスタディは、オリンピックのその先も見据えたとき、どのように文化を携え、新しい社会や文化を形づくっていくのかを思考し、アクションにつなげていけるか、という思いから始まっています。Tokyo Art Research Labディレクターである森司は、「ひとりひとりの気づきは非常に刺激に満ちたもので、さまざまなヒントがもらえた以上に、勇気づけられた。それぞれのスタディで学んだものは違うが、『ともに学び、思考し、その中で他者と出会い、自らとも出会う』という、まさにスタディをしてきたことが感じられた」と、共有会を振り返りました。スタディとしては一区切りとなるものの、それぞれの学びは続いていく予感とともに、2019年度の東京プロジェクトスタディの共有会は締めくくられました。

2019年度のスタディ参加者での集合写真。

*東京プロジェクトスタディ アーカイブサイト
各スタディの活動内容については、アーカイブサイトにてご覧いただけます。活動日のレポートのほか、関連イベントや参考資料なども公開しています。どのような「つくる」プロセスを歩んできたのか、ぜひ追体験してみてください。
東京プロジェクトスタディ アーカイブサイトはこちら

執筆:染谷めい
写真:齋藤 彰英(※撮影者クレジットが入っているもの、記録集写真を除く)

2019年、3つの東京プロジェクトスタディが掲げたテーマや、その背景とは

Tokyo Art Research Lab「思考と技術と対話の学校」にて、2年目を迎えた「東京プロジェクトスタディ」。2019年度は「ことば」「パフォーマンス」「映像エスノグラフィー」を軸とした3つのスタディを展開しました。

東京プロジェクトスタディでは、スタディごとにチームを結成後、アートプロジェクトの核をつくるための実践を重ねていきます。3つのチームがどのような活動を展開してきたのか、詳細な活動レポートや参考資料などは現在公開中のアーカイブサイトにてぜひご覧ください。
詳しくはこちら

ここでは、約半年間にわたる活動のなかでも、スタディ間での横断的なコミュニケーションの場を生み出すことを試みた「合同共有会」についてご紹介します。合同共有会は、個々の活動内容だけではなく、成果や悩み、進めていく上で工夫したことやリサーチ状況などを共有することで、次の一歩を進めていく手がかりとなるような場を目指して開催しました。

前篇となる今回は、「共有会1」(2019年11月10日)にて語られたスタディテーマの背景や初動、進める上で大切にしている視点について触れていきます。

【執筆:前篇/村上愛佳(アーツカウンシル東京)、後篇/染谷めい】

*東京プロジェクトスタディについて
東京プロジェクトスタディとは、“東京で何かを「つくる」としたら”という投げかけのもと、関心や属性の異なる「つくり手」であるナビゲーターと参加者がともにチームをつくり、それぞれが向き合うテーマに沿ってスタディ(勉強、調査、研究、試作)を重ねるプログラムです。
実施期間:2019年8月〜2020年2月

スタディ1 続・東京でつくるということ―「わたしとアートプロジェクトとの距離を記述する」

(左から)記録スタッフ:高須賀真之(書くひと)、ナビゲーター:石神夏希(劇作家/ペピン結構設計/NPO法人場所と物語 理事長/The CAVE 取締役)、スタディマネージャー:嘉原妙(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)。

スタディ1は、「アートプロジェクトは誰のもので何処を目指すべきなのか」というアートプロジェクトに関わる多くの人が直面する問いから、“記述する”ことを主軸に「つくる」ことへの思考を深め、各々で設定したテーマで最終的に1本のエッセイを書き上げます。
共有会1では、「何について書きたいか/何のために書きたいか/書いた結果どうなってほしいか」という問いをもとに、スタディ1参加者が現時点で思考していることを紹介し、それに対して他のスタディ参加者がリアクションする対話型ワークショップを実施しました。ナビゲーターの石神夏希からは、アートプロジェクトの現場では地域の人々にプロジェクトの説明を行わなければならない場面も多く、他者からフィードバックを得ながら自分のテーマや企画趣旨を語ることの大切さが語られました。今回の共有会1を通じて、スタディ1参加者各自のテーマに、他者からの新たな視点が加わったことで、これから“記述する”ことに何か変化が起きていく予感が感じられる時間となりました。

スタディ1の詳細はこちら

「何について書きたいか/何のために書きたいか/書いた結果どうなってほしいか」という問いを軸に、参加者同士で対話型ワークショップを行った。

スタディ2 東京彫刻計画―2027年ミュンスターへの旅

(左から)ナビゲーター:東彩織、山崎朋、宮武亜季(居間 theater)、スタディマネージャー:坂本有理(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー、「思考と技術と対話の学校」校長)。

スタディ2は、昨年度のスタディ「2027年ミュンスターへの旅」から生まれた「『東京彫刻計画』という芸術祭が、10年に1度東京で行われている」というフィクションを入口に、パフォーマンスをつくることを目指します。
共有会1では、「東京」「公共」「彫刻」「芸術祭」というキーワードを軸に、まちなかの彫刻を巡るフィールドワークの様子や、ゲストを招いたレクチャーについて報告。活動を重ねるなかで、「東京の劇場外の演劇の動き」や「委任されたパフォーマンス」、「ストリートアートの現在」などについて議論を交わしてきたそうです。“公共空間でどのようなことが出来るのか”という問いに対して、さまざまな角度からナビゲーターと参加者が反応し、次へのアクションにつなげていったプロセスが写真とともに共有されました。

スタディ2の詳細はこちら

まちなかにある彫刻を巡りながら、チーム内でのディスカッションを重ねている。写真は、お茶の水周辺でのフィールドワークの様子(撮影:加藤甫)。

スタディ3 ‘Home’ in Tokyo―確かさと不確かさの間で生き抜く

(左から)ナビゲーター:大橋香奈(映像エスノグラファー)、スタディマネージャー:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)。

スタディ3は、自身や他者にとっての‘Home’のありようを理解するための方法を学び、映像エスノグラフィーの手法を用いて、“調査協力者との協働”によって映像作品(プロトタイプ)をつくることを試みます。活動日には、社会学や建築学、デザインリサーチといった分野のゲストを招いて、‘Home’の捉えかたの手法やディスカッションを重ねてきました。
共有会1では、他者を理解するためのリサーチ手法のひとつとして「タイム・コラージュ」というワークショップを実施。このワークショップは、身の回りのものを1つ決めて、1日のなかでそれに関連した自分の動きを書き出していくものです。スタディ3の参加者が、他のスタディの参加者に話を聞きながら互いの日常生活を振り返ることで、普段何気なくしていた行動や、意識していなかった習慣に気づく手がかりをつかむ試みとなりました。

スタディ3の詳細はこちら

スタディ3の活動日で行った他者を理解するためのリサーチ手法「タイム・コラージュ」を、スタディ1・2の参加者を交えて実施した。

共有会1は、それぞれのスタディの関心領域や進捗の共有だけでなく、参加者がスタディの枠を越えて交流し、共有会後も意見交換が弾む場となりました。参加者からは「それぞれ違うテーマのスタディだけれど、考えている“コア”の部分は似ているように思った。自分とは何か、東京はどんな印象か、などインスパイアされることが多かった」との感想が聞かれました。
共有会レポート後篇では、共有会1を経て、各スタディがどのような展開をしていったのかご紹介します。

共有会レポート後篇はこちら

東京プロジェクトスタディ アーカイブサイト
各スタディの活動内容については、アーカイブサイトにてご覧いただけます。活動日のレポートのほか、関連イベントや参考資料なども公開しています。どのような「つくる」プロセスを歩んできたのか、ぜひ追体験してみてください。

執筆:村上愛佳(アーツカウンシル東京)
写真:齋藤 彰英(撮影者クレジットが入っているものを除く)

OUR MUSIC 心技体を整える—これまでの話と、これからの話—

「アセンブル2|OUR MUSIC 心技体を整える」は、アートプロジェクトの現場で起こりうる屋外などの公共空間での音楽の演奏にあたり、公共空間における音楽の在りかたについての調査や、音量に関する規制の成り立ちの分析を行うプログラムです。「音」にまつわるさまざまな領域の専門家や、今まさにアートプロジェクトの現場に関わる方々とともに、音楽が奏でられる空間での共生のあり方を考えました。
企画運営を担当した清宮陵一(VINYLSOYUZ LLC 代表/NPO法人トッピングイースト 理事長)による、本プログラムを振り返るレポートをお届けいたします。

これまで、音と公共との関係性を考えるプロジェクトを約6年間に渡って、Tokyo Art Research Lab事業および東京アートポイント計画事業の一環として、調査・実践してきた。今回の『OUR MUSIC 心技体を整える』は、その調査・実践を踏まえた、現時点での回答と考えている。

2014年、私は主に東京の東側をベースに音楽がまちなかでできることを拡張すべく、NPO法人トッピングイーストを立ち上げた。これまでに、地域の子供達が響きの美しい音楽を体験できる「ほくさい音楽博」(※01)、アーティスト和田永と共に電化製品を楽器化しオーケストラを目指す「エレクトロニコス ・ファンタスティコス!」(※02)、コムアイ、寺尾紗穂、コトリンゴら女性音楽家が東東京をリサーチする「BLOOMING EAST」(※03)といったプロジェクトを実施・運営してきた。

和田永「エレクトロニコス・ファンタスティコス!」 (撮影:Mao Yamamoto)。
ほくさい音楽博(撮影:三田村亮)。

プロジェクトを実施していく中で、出会う様々な人の関わり方や、交渉する様々な人の立場を本当にひとつひとつ、徐々に知るようになっていった。活動に興味のある人、ない人、二つ返事でよっしゃ!とサポートしてくれる人、テコでも動かない人。プロジェクトを動かしながらそういった人や考え方に、一喜一憂している自分。きっと、同じようなことに打ちあたっている人がたくさんいるだろうなあといつも思っていた。そういったちょっと遠くの仲間に、もう少し実践的に何か使えるような「提言」はないものか、と思うようになっていた。

Tokyo Art Research Lab 東京プロジェクトスタディ スタディ3「Music For A Space – 東京から聴こえてくる音楽 -」

これまでの勉強会(※04)やスタディ(※05)は、直接集まって、それぞれその場に居る人の考え方を理解したり、ゲストの方々のお話を時には生い立ちまで深く丁寧に聞いたりすることで、いわばその空間をチューニングしていく作業だったように思う。もちろん、その作業はとても大事だし、これからも続けていきたいと思っているが、この原稿を書いている2020年3月31日は、直接集まってチューニングすることが許されない状況にある。

『OUR MUSIC 心技体を整える』(※06)の構想当初は、当然、新型コロナウイルスは存在しなかった。しかし、今回の社会状況に限らず、公共の中で何か(音楽に限らず)を実践していく時には、会ってゆっくりチューニングしている場合ばかりではないことが多々起きてくる。それは私が今現在、準備している「隅田川怒涛」(※07)というプロジェクトの中でも頻発していることだ。「公の場で思いっっっっきり音楽する!芸術する!」空間を隅田川のあちこちに作ることと、それがトラブルになってしまうことは表裏一体である。年々公共空間での芸術活動への風当たりは厳しくなる雰囲気を感じている。
そこで、どうしたら芸術活動を行ったりサポートをしたりしていく中で、心が安らぎ、技が磨かれ、体のバランスを保てるのか?その、ある種人間の根源的とも言える部分を、様々な専門家の方々にインタビューして提言書という形で冊子にまとめる作業を行いたいと考えた。今回、インタビューしたのは、公共空間プロデューサーの飯石藍さん、弁護士の齋藤貴弘さん、僧侶の近江正典さん、医師の稲葉俊郎さん、サウンドエンジニアのZAKさん。音と公共の関係性を考えるという広大なフィールドに立つために、この5名の専門家のあまりにも個性豊かな機知に富んだお話を、朝日出版社で「公の時代(卯城竜太・松田修、2019年)」を編集された綾女欣伸さんと、いつもお世話になっている美術ライターの杉原環樹さんとで伺って、纏める機会を得た。

稲葉俊郎さんへのインタビューの様子。
近江正典さんへのインタビューの様子。

5名へのインタビューは、どなたのお話も、その人だからこそ見える視点と経験、思考の蓄積に満ちあふれたものだった。この濃密な話をまとめ、共有可能にするにはどういったかたちがふさわしいのか。ちょうどインタビューを終えたばかりのタイミングで行った2月24日の公開編集会議では、参加者の経験談も交えて、どんなインタビューがなされたのか、どういった纏め方があり得るのかを議論した。

10名ほど集まった参加者からは「日本はアートに対してだけでなく、いろんなことに対しての許容範囲が狭いなと最近特に感じていたので、ぐさぐさ心にきました。クレームという言葉が世界で1番嫌いなんですけど、言ってくる方にもそれなりの理由があるわけで。でも企画制作する側にも強い想いがあるし。完全に気持ちを共有しあって上手くいくことなんてなかなか無いとは思いますが、まだまだ踏み込んでいける部分はあるんじゃないかなと」といった意見や、「公共事業は何も言われないことがいいこと、ということからの脱却こそがめざすべきではないでしょうか。いいものはきちんといいものだと言うことと、その評価軸、そしてそれを言いやすくさせる仕組みを作ることこそが残る価値になると思いました」、「やったもん勝ちではなく、地道に交渉を重ねて、下地を作っていく。多数決の民主主義、公共の福祉と、アートの包括性の話も興味深かった」、「対話し続けるしかないというか、人は自分の欲を満たしたい生き物だし、そんな簡単に相手は変わらないものなのだから、相手を知ろうとすることを諦めないでいないとな……と。身体のことも、音楽のことも、法のことも、行政のことも」といった感想が寄せられた。

そう、結局、対話を続けていくしかない。ひとつの正しい答えやルールがあるわけではないのだ。そして、健全な対話を続けていくためには、常に心技体を整えておく必要があるように思う。この提言書『いま「合奏」は可能か? 心技体を整えて広場にのぞむために』が、ぜひその一助になれば、嬉しい。

VINYLSOYUZ LLC / NPO法人トッピングイースト 清宮陵一


*本プログラムの内容をまとめた冊子『いま「合奏」は可能か? 心技体を整えて広場にのぞむために』pdfリンクはこちら

『いま「合奏」は可能か?心技体を整えて広場にのぞむために』

参考サイト:

01
ほくさい音楽博 アーカイヴ動画 (2019年2月10日)

02
エレクトロニコス・ファンタスティコス!とは?

03
BLOOMING EAST CINRA.net記事

04
トッピングイースト「BLOOMING EAST」 プロジェクト勉強会「OUR MUSIC」
(全4回)
2017年11月25日〜2018年3月11日
第1回 「音になってみる」
第2回 「リスナーになってみる」
第3回「公共になってみる」
第4回「OUR MUSIC」

05
東京プロジェクトスタディ「Music For A Space / 東京から聴こえてくる音楽」
(全12回)
2018年9月19日〜2019年2月24日

06
Tokyo Art Research Lab アセンブル2「OUR MUSIC 心技体を整える」
(全5回インタビュー+公開編集会議)
2020年2月7日〜2020年2月24日
*プログラムの内容をまとめた冊子『いま「合奏」は可能か?心技体を整えて広場にのぞむために』PDFはこちら

07
Tokyo Tokyo Festival スペシャル13「隅田川怒涛」

記憶・記録を紡ぐことから、いまはどう映る?―見えないものを想像するために

開催日:2020年2月19日(水)
ゲスト:佐藤洋一(都市史研究/早稲田大学社会科学総合学術院教授)瀬尾夏美(アーティスト)
モデレーター:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

「いまの社会で、これからの実践を立ち上げるための新たな視座を獲得する対話シリーズ」として全4回にわたってひらかれる対話の場「ディスカッション」。各回にそれぞれテーマを設け、独自の切り口や表現でさまざまな実践に取り組むゲストを迎えながら「これからの東京を考えるための回路をつくること」を試みます。
最終回となる第4回のテーマは、「見えないものを想像するために」。ゲストには、記録の少ない敗戦直後の東京の姿を探るため、米軍やアメリカ人によって撮影された写真の収集・調査を行う都市史研究者の佐藤洋一さんと、東日本大震災後、宮城県仙台市を拠点に人々の “土地の記憶”の継承に取り組むアーティスト、瀬尾夏美さんのお二人を迎えます。

「今回のテーマを設定したきっかけとなる出来事に、昨年発生した首里城の火災があります。首里城はかつての琉球王国の象徴として名高い世界遺産ですが、私の地元である沖縄県宮古島といった離島側の歴史をたどってみると、『統治する/される』という関係性があったことが見えてきます。そのことを、火災を機に改めて考えるようになり、これまで見えていた『沖縄』とは違う側面を強く意識するようになったんです。
そこから、いま見ている風景や既知の出来事について視点をずらしたり、他者の記憶やまなざしを加えたりすることで、『いま』を捉えるための新たな回路をつくることにつながるのではないか? という考えに至りました。史実からはこぼれ落ちてしまうものごとを、どのように継承しうるのか。他者のフィルターを通して風景を眺め直したとき、『いま』の捉えかたはどのように変容するのか、といった問いが生まれました」(上地)

モデレーターの上地から、今回のテーマに至るまでの経緯が語られた後、ゲストお二人の活動を共有しながら、「記憶」や「記録」の継承という行為について考えました。

東京の歴史を「写真」から紐解く:佐藤洋一

「戦後の東京はどのような都市空間だったのか?」というテーマをもとに、東京の戦後写真を収集し、調査研究を行う佐藤洋一さん。もともと都市史を専攻されていた佐藤さんは90年代から写真の収集を開始し、戦後の東京の姿を網羅できる包括的な写真アーカイブズを制作するため、活動を続けられているそうです。収集しているのは、主に米軍やアメリカ人個人によって撮影された写真。近年では約9か月間にわたって全米各地の所蔵機関を巡り、調査の旅を実施されたといいます。こうした活動の経緯には、一体どのような背景があるのでしょうか。

「僕が学生の頃はバブルの真っただ中で、東京のまちの表情やかたち、匂いすらも目まぐるしく変わっていく状況がありました。その傍ら、ずっと東京で過ごしてきた祖父母からは、戦後直後のまちに関する話を聞く機会が多くあった。彼らの記憶のよりどころとなっている場所が大きく変わっていく様子を目の当たりにしたことで、戦後の『東京』というまちの姿をあらためて捉え直してみようと思ったことが、きっかけのひとつにあります」(佐藤)

しかし、いざ調べようとしたときに、なかなか体系的な資料が見つからない状況だったという佐藤さん。調べていくうちに、アメリカに戦後日本で撮影された写真や文書、地図などの貴重な資料が多くあることを知り、アメリカでの写真収集をはじめられたといいます。

約30か所の所蔵機関を巡るアメリカでの調査旅行では、軍によって撮影された公的な写真から個人が撮影したプライベートな写真まで、150以上ものコレクションに触れ、8万カットの撮影を遂行したそう。

そこから膨大な数の写真を調査していくうちに、日本とアメリカそれぞれで撮影された写真から「アメリカから見た“Tokyo”と日本人にとっての“東京”の差異も見えてきた」と佐藤さんは話します。

「写真は、実際に『何が写っているのか』ということに加えて、その写真が撮られた背景にはどのような意図があって、どんな行動がなされていたのかという撮影者の行為の記録を読み解いていく手がかりにもなります。視点が違うと、そこに記録されているものも随分と違うことが分かる。まだ見つけられていない潜在的な史料を掘り出し、写真の背景も語れる体系的なアーカイブを公開できれば、さまざまなイメージを見つけ出すこともできるし、戦後日本のイメージがどのように形成されてきたのかを問い直すこともできる。そして私たちの自己認識や歴史認識もきっと深まるはずだと思っています」(佐藤)

想起するための「身体」をつくる:瀬尾夏美

東北を中心に土地の人々の語りと風景の継承に取り組む、アーティストの瀬尾夏美さん。東日本大震災を機に岩手県陸前高田市に移住し、現在は宮城県仙台市を拠点に絵や文章の制作、ワークショップにプロジェクト運営など、さまざまな領域で表現活動を続けています。「震災後に東北へ移り住み、たくさんの人々の語りや、震災によって変わりゆくまちの風景に出会った。それらを記録し、残していく方法はないかと考えるようになったんです」と、活動の経緯を語ります。

「継承していく、というテーマの対象において、私がとくに関心を持っているのは、人々の『語り得ない』もの。人に出会うと必ず『語り』に出合うのですが、さまざまな環境や状況、人間関係のなかで、誰もが『語りづらい』こと、まだ言葉としてあらわれてこない『語り得なさ』を抱えています。そうした、いわゆる“記録”からは取りこぼされ残されていかないもの、でもきっとそこにあったはずの想いや感情、風景の記憶を記述していきたいと考えています」(瀬尾)

そう話す瀬尾さんの活動は、語りを引き出していくために必要な「対話の場づくり」からはじまるといいます。「自分と語り手の関係性のなかで一緒に『物語』を編んでいくような作業」と説明する作品《遠い火|山の終戦》の一端が、ここで語られます。

「震災の経験と併せて、戦争体験の話もしてくださる方に出会うことが多くありました。けれど、自分はそのときの時代背景が分からない。『話を聞く』ことがままならない状態であることに気づいた。そこで実践したのが、彼らの記憶に残る現在の風景を、自分の身体で歩き直すということ。とても単純な行為ですが、その場所に実際に行き想像をめぐらせることで、少しずつ想起できるようになっていくんです」(瀬尾)

語り手と自分が共有できる、「今」と「過去」のあいだにある“仮設の道”をどのようにつくっていくかが課題だったと話します。

個人の語りの背景にある歴史を知り、風景を歩き直し、丁寧に向き合う時間をつくる。そうすることで「話を聞くことのできる身体」をつくっていったという瀬尾さん。その話に通ずるかたちで、映像作家の小森はるかさんとともに制作された《二重のまち/交代地のうたを編む》でのエピソードについても触れられました。

「この作品の発端は、復興工事で陸前高田のまちが嵩上げされ、新しいまちができたこと。土地に住む人々はかつてのまちの痕跡を失ったことで、次第にまちの思い出を語らなくなることがありました。その過去のまちと現在のまちをつなぐ手だてとなる何かをつくろうと思い、未来のまちの物語『二重のまち』を描いた。本作はその物語を、まちに滞在しながら4人の旅人に朗読してもらう、小さな”継承”のはじまりを記録した映像作品です。まちに訪れた旅人たちは、最初はただ目の前に存在する風景しか見えない。けれど、その土地の人と出会い、対話を重ねていくなかで、過去の風景を想起する準備ができていったんです。作品制作が終わり日常に戻った彼らが『まちのレイヤーを想像する身体に変わった』と話していたのが、とても印象的でした」(瀬尾)

「時間」の層を、意識する

それぞれの活動紹介を経て、ディスカッションへと移ります。まず、瀬尾さんのお話を受けて、過去−現在−未来という「時間軸」への意識について話題が挙がりました。

上地(以下、U):瀬尾さんの《二重のまち/交代地のうたを編む》は、2031年という未来の物語を通じ、旅人たちとまちの人のあいだで新たな語りや関係が生まれているのが印象的でした。この「時間軸」に対して瀬尾さんはどのような意識を持たれているのでしょうか。

瀬尾さん(以下、SE):どちらかというと私は、いま「同時代」に生きている人たちの話を聞き、残していくためにどうしていくべきかということに関心を持っています。なので、この作品も同時代的な試みとしてあるんです。被災者/非被災者という、震災に対してそれぞれ違う想いや背景を抱えた彼らが、個人と個人として出会うことができれば、より手触りのある形で互いのことを想像しようとしながら、じっくりと考える時間や語る時間が生まれるはず。いま現在の地点から、まちの「語り」と「風景」を共有していくことで、土地の人と外の人をつなげていくようなことができないか? 語りの往復のあいだに、このまちでの体験を継承できないか? と考え、同時代に生きる彼らをつなげられる道をつくるようなイメージを持っていました。

佐藤さん(以下、SA): 《二重のまち/交代地のうたを編む》は僕も拝見し、とても感動しました。基本的に自分の活動にある時間軸は、「今」と「過去」をどうつなげるかという直線的なもの。けれど、瀬尾さんの作品には、新しく生まれた「上のまち」と、かつてあった「下のまち」というレイヤーがあり、その二つのレイヤーを舞台にした未来の物語がまちの人に語られることで、時間軸が交錯し、いまの私たちを照らし出している。さらに、その物語がその場所で語られる映像を、いまの私たちが観ているという非常に多層的な構造の物語になっていますよね。記憶を継承していくためには時間の層を行き来できるような「物語」としての強度が非常に重要なんだと感じました。

いま目の前にしている対象のなかには、どのような時間が積み重ねられてきたのか。そのレイヤーを意識することが、「見えないものを想像する」「記憶や記録を紡ぐ」ためには重要なのかもしれません。そこから、さらに話が続いていきます。

U:「時間のレイヤーをまなざす」という視点を得る方法として、瀬尾さんは他者から受け取った物語の風景を自身の身体で「歩き直す」ことを通して実践されていました。同様に佐藤さんも、実際に写真が撮影された場所を訪ねて行くということをされていますよね。

SA:そうですね。写真を収集した後の調査として、それらの写真が撮影された場所にカメラを持って行き、同じ焦点距離と構図で同じように撮影する、ということも実践しています。すると、いろんな発見があるんです。たとえばこの構図で視点がこの位置であるということは、きっと石段に座って撮影したのだろうという確信ができる。撮影者の行動背景や興味関心、シチュエーションなどが見えてくるんです。撮影者の視点をなぞりながら想像を重ねていくことは、深い理解のために必要なことだと思います。

「フィクション」がもたらすもの

ディスカッションの後半では、参加者からの質問も交えながら進行していきます。ここで大きなテーマとして語られたのは、継承方法としての「フィクション」の役割について。参加者から挙がった「記憶・記録を継承していくことは、『フィクション』を通すことでしか成し得ないのか?」という質問をもとに、思考をめぐらせていきます。

U:何かを継承していくとき、そこにはいろいろな手法や幅があると思います。佐藤さんのように資料を集め、「事実」を網羅的にアーカイブすることで受け継いでいく方法もあれば、瀬尾さんのように他者の語りを自らの身体に引き寄せ、「フィクション」として別のかたちで表現することも、ひとつの継承のあり方です。お二人はその継承方法において、何か意識されていることはあるのでしょうか。

これを受け、瀬尾さんは「どんな作業でもどこかに編集を介するものなので、『フィクション』というものの境界をどこに設定するかにもよりますが…」と前置きしつつ、スライドに自身が描いた図解を映しながら解説していきます。

SE:アーカイブを残していく手法には、大きく分けて2種類の方向性があると思っています。それは、記録を「土地に返す」ことと「抽象度を上げて外に届ける」こと。前者は主に研究や資料保管として土着的に活用され、後者はいわゆるフィクションとして大衆に向かってひらかれていく。どちらもまちの資料を集め、分析推測をするという作業は同じですが、向かっていく方向や範囲が違うんです。私自身は、アーティストという立場で後者の手法を使い、「語り」や「風景」など、その土地固有にあるものの抽象度を上げることで、外部へとつなぐ回路をつくるようなことをしています。

さらに、どちらの方向も重要でありながら一長一短があると話す瀬尾さん。「土地に返しすぎると外部の人が介入しづらくもなりますが、その土地の人が記録物をまなざし続けるなかで自ずと“土地の物語”ができ、コミュニティも強くなっていくし、現物が残る可能性は高くなると思う」といい、こう続けます。

SE:一方で抽象度を上げる方法は、その真逆のことを引き起こします。土地との結びつきは弱くなるけれど、「語り」が変容しフィクショナルであるがゆえに広域に受け入れられやすい。そしてそれは、そのまち固有の物語としてではなく、別の土地の物語にもなり得る。ある出来事や記憶の“痕跡”が残りつづけていく可能性が広がっていきます。

SA:すごく分かります。その話でいうと、僕の活動は「土地を記録に返す」立場ですよね。今お話しされたとおり、土着化しすぎることで外部の人たちが触れにくくなるというのは往々にしてあることです。ときには、死蔵されてしまうこともある。そこはひとつの課題でもあります。

SE:なのでどちらかに完全に振り切るのではなく、分担しながらそのあいだの領域で協働できるような何かをつくれれば良いですよね。私にとっては、アーカイブが形成されていくあいだのプロセスが一番豊かな状況で、実は「フィクション」になるちょっと前の部分が重要なように思っています。《二重のまち/交代地のうたを編む》のプロジェクトも、外からの旅人がまちの人から話を聞き、完全には理解しきれないのだけど、そこで受け渡されたことを、もぞもぞとした心地のなかでゆっくりと自分の身体へ受け入れていく状況があった。そのあいだで起きているようなことが、フィクショナルとリアルな部分のつなぎ目として作用し、多くの人と出会える可能性を持っているような気がしました。

想像を重ねていく

さまざまな変遷を経たまちの風景、自分とは違う背景を抱えた他者の記憶。それらは、どこまでいっても「語り得ない/語り尽くせない」ものを抱え、時間の経過とともに改変されたり、忘れ去られ消えていくものでもあったりします。そうしたものを未来へと残そうとしたとき、私たちはどのようなかたちで継承していくことができるのでしょうか。
人々の「記録」や「記憶」を継承していく佐藤さん、瀬尾さんの実践はそれぞれに違う手法ではありますが、どちらにも共通しているのは、過去から現在、そして未来へと積み重ねられていく“時間のレイヤー”をまなざすこと。そして目の前の対象と丁寧に向き合い、繰り返し想像を重ねていくこと。そうしたものごとへ向かう態度が何よりも大切なのだと、お二人の対話から感じられました。見えないもの、分からないものを前提に抱えながら、その態度を持って多くの“想起の種”を掘り起こし、いま現在という地点につなげ育てていく。何かを継承していくという行為は、そんな風にさまざまなかたちで他者へと受け渡しながら、新たな物語を紡いでいくようなものなのかもしれません。

執筆:花見堂直恵
撮影:齋藤 彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute

Artpoint Meeting Paper Media 第2号

「人に出会う」フリーペーパー『AM/PM(エーエム・ピーエム)ーArtpoint Meeting Paper Mediaー』は、東京アートポイント計画が開催しているトークシリーズ「Artpoint Meeting」の内容をお届けする不定期刊行紙です。アートプロジェクトにまつわるさまざまな視座をもつ人と人が出会うことを目指しています。

ゆるやかに混ざり合う社会はどう生まれる?―「違い」を「出会い」に変換する

開催日:2020年2月12日(水)
ゲスト:徳永智子(筑波大学人間系教育学域助教)横堀ふみ(NPO法人DANCE BOX プログラムディレクター)
モデレーター:上地里佳(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

「いまの社会で、これからの実践を立ち上げるための新たな視座を獲得する対話シリーズ」として全4回にわたってひらかれる対話の場「ディスカッション」。2019年度は、アーツカウンシル東京プログラムオフィサーの上地里佳が企画・モデレーターを務め、「これからの東京を考えるための回路をつくること」を試みます。
第3回(令和2年2月12日)のテーマは、「『違い』を『出会い』に変換する」。ゲストは、多文化の居場所づくりの研究・実践を重ねる教育社会学者の徳永智子さん、劇場Art Theater dB神戸を拠点に多文化をかけ合わせながらパフォーマンスや企画制作に取り組むNPO法人DANCE BOX プログラムディレクターの横堀ふみさんのお二人です。

「普段すれ違う人々のなかに、いろんなルーツを持つ人がいて、私たちがアートプロジェクトを行う際にも移民の方や海外ルーツの方と協働する機会が増えてきています。そして、私の地元であり、ゆくゆくは拠点を移す予定である沖縄県宮古島でも、近年のリゾート開発が進むにつれて海外からの労働者流入が起こっています。彼(彼女)らと、どのように出会い、よりよい暮らしや価値観を育んでいくことができるのかについて関心があります」(上地)

モデレーターの上地による、ディスカッションにあたってのきっかけが語られたあと、ゲストのお二人の活動をおさらいしながら、多様な文化が同居する社会における「違い」と「出会い」について考えました。

場所や領域を越境して考える:徳永智子

筑波大学人間系教育学域の助教である徳永智子さん。「教育社会学」を専門分野に置き、移民の若者たちにとっての居場所づくりを考え、実践を重ねてこられました。ご自身の育った場所も、日本、アメリカ、インドネシアにまたがり、研究分野においても学際的に学びを深め、「場所や領域を行き来しながら」活動されています。かねてから多文化共生を考える徳永さんは、いまの日本はひとつの転換期を迎えていると言います。

「最初に、日本はすでに多文化社会です。外国人を日本に受け入れるか、受け入れないかという議論を聞くことがありますが、80年代に多くのアジアの女性たちが来日したことからはじまり、日本には多文化社会の歴史がかたちづくられています。さらに、去年の4月には改正出入国管理法が施行され、正面から外国人労働者を受け入れる体制になりました。新たな法の施行に伴い、いままさに『多文化共生』が重要になってきていると思います」(徳永)

徳永さんが大学で受け持つ「越境と日本社会」に関する授業の受講者の多くは多様なルーツを持つ学生たち。一方的に語る講義ではなく、ともに考え議論する場づくりを行い、そのなかで徳永さんが培った「多文化・多言語」との向き合い方について語ってくれた。

海外からの労働者の受け入れを拡大する法案は施行されたものの、外国人児童の教育環境整備など、生活者としてサポートするという点において、現段階では多くの課題が残っています。どういうふうに外国人との暮らしをつくっていくのか、転換期のいまこそ考えていく必要があります。

「ただ、これらの問題を考えるのは、マジョリティである日本人だけではだめなんです。日本人が外国人をどう支援するかではなく、共生の難しさも含めて、一緒に考えて実践すること、対等な目線で議論して『多文化共生』を実現していく必要があります。今日のディスカッションで私がキーワードとして考えたのは、『越境』と『出会い』。これらが、多文化における『共生』につながるのではないかと思います」(徳永)

1999年より舞台芸術制作者として「NPO法人DANCE BOX」に務め、さまざまな舞台公演をプロデュースしてきた横堀ふみさん。拠点を置く神戸市長田区は、市内でも高齢化率、空き家率が高い、課題先進地域と言われています。そして長田区のもうひとつの特徴は、その国際性。人口のおよそ1割弱が、ベトナムや韓国、フィリピンなど海外の地域をルーツとする移住者なのです。

「『DANCE BOX』が長田区で活動をはじめたばかりの頃、地域のリサーチやヒアリングをベースにプログラムを組み立てていきました。そして徐々に若いアーティストを受け入れられるような土壌をつくりながら、同時に、国際プログラムとして、アジアやアメリカ、ドイツなどからのアーティストと協働してプログラムを制作しています。ただ、あるとき、ふと気づいたことがありました。それは『国際って、海外の地域のことだけを指すの?』ということでした」(横堀)

「新長田で踊っている人に会いに行く」(NPO法人DANCE BOX、2010年)フィールドワークにて、老人ホームでの一幕。
横堀さんは、イベントの最後に、アリランや民謡が流れるなか、在日コリアンのおじいちゃんおばあちゃんが踊る姿を見て、
「こんなに美しい踊りがこの世にあるのか」と、感動したそう。

長田区には、各国の料理店・食材店、そしてコミュニティが形成され、多文化が深く根付いています。それならば、海外でなくとも長田区でこそ国際的なプログラムができるのではないかと思い直した横堀さんは、2014年から移住者や在日の方々と一緒につくるプログラムを進めることにしました。地道なリサーチやフィールドワークを積み重ねて2017年にできた舞台作品が、その名も「滲むライフ」。

「この作品は、在日コリアンが行う『チェサ』という故人を弔う儀式を舞台上で再現することと、新長田の日常のひとつの風景である『カラオケと踊りのある場』をつくる、そんな2部構成の作品でした。実際には、長い時間をかけて、在日コリアンのおじいちゃん、おばあちゃんとエクササイズして、話して、学んで、一緒に過ごして、作品をつくりあげていきました。そのときに強く実感したのは、ダンスは文化や料理を含めた、人の生活のいろんな要素と絡まり合いながら生まれてきたものなんだってこと。公演に来てくれたお客さんの様子を聞くなかで、どこか感情にふれる部分があったのかもしれません」(横堀)

対等な関係のままに話すこと

お二人の活動紹介を経て、ディスカッションの時間が続きます。横堀さんが行った「滲むライフ」の紹介を受けて、徳永さんから熱い感想が語られました。

―徳永智子(以下、T):横堀さんの話を聞いて、私も「滲むライフ」の公演の場にいたかったなと思いました。在日コリアンのおじいちゃんやおばあちゃん、その孫や、友達に連れてこられた人、たまたまそこに居合わせた人、いろんな人が同じようにパフォーマンスを共有できる場だったのだろうなと想像します。もしかして、多文化共生には関心なかったけど、来てみたらすごく感動して涙が出てきた、というような人もいたのかもしれませんよね。

―上地(以下、U):私も横堀さんと同じようにアートプロジェクトに従事する者として、地域へ根気強くアプローチする姿勢に感銘を受けました。積み重ねてきた地道なアプローチが、ちゃんと舞台に表れていますよね。この2年後に行った「多国籍カラオケ大会」でも、涙した人が多かったと聞きました。

―横堀ふみ(以下、Y):「多国籍カラオケ大会」は、私の念願の企画なんです。2014年の事業で、最初は、ベトナム人の方々と演劇をつくりたいと思って走り出したのですが、気づけばカラオケ大会になっていたという企画がありました(笑)。でもこのかたちになって良かったなと思います。ベトナムコミュニティのレストランに行くと、みんなカラオケが好きで歌っているんです。だから、「多国籍カラオケ大会」のときにも「自分の大好きな歌を歌ってください、できれば故郷の歌が聞きたいです」というお願いをしていました。なかには、故郷の歌は歌いたくない人や「日本の歌が歌いたい」という人もいましたが、それはそれでOK。あと、これまでこの地域を引っ張ってきたおっちゃんたちにも出てもらいました。そして、司会は長田区の多文化の歴史を知り尽くしているプロフェッショナルの方にお願いして、歌っている方のそれぞれの背景や、どんな思いで生活しているのか、自然に引き出してもらいました。上手い下手は関係なく、しみじみ良かったですね。染み入るものがありました。

―T:これは、すごく学びの多い事例だと思います。よくNPO団体などの多文化共生の取り組みを聞くと、外国人が消費されてしまう現実があるんです。例えば、「『多国籍カラオケ大会』やるから、外国語で歌って!」みたいなお願いをしてしまって、結局外国人が歌わされて、それを日本人が聞くという妙な上下関係の構造が生まれる。対等な関係をつくり、優劣をつくらないように気をつけていても、そのようなことが起きてしまうのです。横堀さんの話からは、そういうものを微塵も感じさせませんよね。

―Y:どんなプロジェクトでもそうですが、主催する側は力関係におけるパワーを持つ立場にありますよね。対等な関係を決して崩さないために、その前提に自覚的であることは、常に心がけています。

―U:今回伺ったプロジェクトは、演者、観客、支援者、制作者といった役割があいまいになるようなプログラムをつくっていますが、舞台美術からもそのポリシーが伝わってきました。舞台と客席が地続きになっている会場の仕立てが、それぞれの境界をゆるやかにして、対等な関係をつくる意識にもつながっているようです。

想像して、異文化へと歩み寄る

ディスカッションの後半は、参加者からの質問に答えながら進行していきます。とりわけ対話が白熱したのは、多文化共生を考えるうえで「マジョリティ」にどう開くべきか、という問題です。多様なルーツを持つ、いわゆる「マイノリティ」と言われる人たちが日本社会のマジョリティから独立して自由になりたいという思いと、保守的なマジョリティにも理解を広げるためにはお互いが歩み寄る必要がある、というジレンマがあるのです。

―T:例えば、私が主催しているマイノリティの人たちが集まっている交流の場を、外に開いてしまっていいものかと頭を悩ませることがあります。同じ文化、言語、経験を共有している人が集まるからこそ安心していられる場所があるとすると、そこにいろんな人を招き入れてしまえば、その瞬間にそこは居心地のいい場所ではなくなってしまう可能性があります。けれど、いろんな人が交流できる居場所があったほうがいいってなったとき、その線引きはすごく難しい。

―Y:私も、その線引きはすごく大事だなと思います。長田区のおばあちゃんのもとへ話を聞きに行くときは、できる限り少人数のスタッフで行くようにしました。最終的には開いたかたちのプログラムにしますが、プロセスの段階では、どこまで開くか、閉じるか、というところにはすごく気を遣います。

―T:いまひとつ思っているのは、いろんな居場所を持っていたほうがいいなということです。あるときは、同じような人が集まるインフォーマルなサポートの場。あるときは、マジョリティと呼ばれる人がいて緊張感のある場。そこは一見ネガティブなようだけど、難しい議論もできるかもしれないし、次の居場所につながるきっかけが生まれるかもしれない。これまでつくってきた交流の場をいつ開いて、閉ざせばいいのかというのは、こういった実践を行ううえで、大事な問いだと思います。

多文化共生の下地をきちんとつくるために、マジョリティと多様なルーツを持つ人との出会い方についても、試行錯誤があるようです。ただ、そのうえで徳永さんは、すでに日常のなかで私たちは「混じり合っている」とも話します。

―T:授業やプログラムよりもっと日常的な場所、例えばスーパーやコンビニ、銭湯など、日常生活のなかには多様なルーツの人と混じり合っている場所はたくさんあります。けれど、そのときは何も考えず通り過ぎていくことが多いです。コンビニで働いている人の背景まではなかなか考えないものですが、そこで一歩先の想像力を膨らませてみる。共感はできないかもしれないけど、想像して、その人に歩み寄ることがとても大事だと思います。例えば今日、これから帰る途中に「そういえばこんな人と出会っていたな」と気づくかもしれません。日常世界にもっと目を凝らせば、ヒントはそこかしこにあります。

多文化共生をもたらすもの

日本における移民や外国人労働者にまつわる情報はメディアを通じて入手できますが、いまいち実感を持って理解できていないということが往々にしてあります。徳永さんの授業の受講生は、実習のなかで定時制高校へ赴き、交流した際に「すごく可哀想な生徒だと思っていたから、あんなにポジティブで元気だと思わなかった」と驚いたそうです。そういった機会を得てはじめて「出会う」ことができるように感じますが、かねてから多文化社会である日本で、私たちは多様なルーツの人とすでに出会っているはずです。必要なのは、日常生活ですれ違う異文化の人々に気づき、想像して、「出会い直す」こと。それが多文化社会を実現するために個人ができる最初のステップなのだと教わりました。

多様なルーツを持つ人に対して「受け入れる/受け入れられる」という二項対立から抜け出し、いかに一人の人間として出会うことができるか。自らの偏見を取り払い、常に想像力を働かせながら日々の生活を送ることができたのなら、個人としての成長にもつながるのではないか。ひいては、「多文化」に限らず、同じ文化の同じ世代・異なる世代とのより良い共生にも作用するのではないかと思いました。

執筆:浅見 旬
撮影:齋藤 彰英
運営:NPO法人Art Bridge Institute