オンライン報奏会

アサダワタルさん(文化活動家)を中心に、福島県いわき市にある県営復興団地・下神白(しもかじろ)団地で行われているプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」。コロナ禍においてオンライン訪問を継続しつつ、「会えない」という状況だからこそできる「表現×支援」の関係をより深く見つめながら、3回シリーズの報告会を行いました。

音楽をかけながら行うラジオ風トークを軸に、記録映像の上映、また伴走型支援バンド(BSB)による演奏、住民との中継コーナーなどを実施。「報」告会でありながら、演「奏」会でもある、オンラインでの集いです。

ディスカッション 2020

新たなプロジェクトや問いを立ち上げるためのヒントを探る対話シリーズ「ディスカッション」。2020年度は、新型コロナウイルスの感染対策を考慮し、独自の切り口でさまざまな実践に取り組むゲストをオンラインに招き、3回にわたって議論を交わしました。

第1回は、「嫁入りの庭」のある社会福祉法人ライフの学校の理事長の田中伸弥さんと、庭の設計を担当したtomito architectureの冨永美保さんと林恭正さんをゲストに、庭づくりのプロセスやその背景にある想いについて話を伺いました。

第2回は、「さっぽろ天神山アートスタジオ」でディレクターを務める小田井真美さん、映像エスノグラファーとして人々の移動の経験を研究する大橋香奈さんをゲストに、お二人が取り組んでいる実践から、これからのアートプロジェクトのあり方を探りました。

第3回は、長野県松本市にあるアートセンター「awai art center」の主宰・茂原奈保子さんと、ドイツ・ライプツィヒのNPO「日本の家」の共同創設者・大谷悠さんに、まちなかに拠点を立ち上げたきっかけや、これまでの取り組みについて話を伺いました。

フラットな勉強会をどうつくる? 「ジムジム会」のひらきかた

「レクチャー方式で教わるんじゃなくて、いろいろなアートプロジェクトの事務局メンバーが集まって、お互いの活動から学ぶ点を見つけ合うようなフラットな勉強会が必要な気がするんです」

「それって”ピアラーニング”とか、”互助会”みたいなイメージですね?」

「そう。例えるなら筋トレみたいな感じで。即効性があるわけじゃなくて、コツコツ学んで鍛えることで成果につながるイメージです」

「つまり、事務局力を鍛えるジムですね!!」

……という議論をしていたのは、2018年春先のこと。

そうして当時のひらめきそのままに、ジムジム会(事務局による事務局のためのジムのような勉強会)」と名付けた勉強会シリーズを東京アートポイント計画で立ち上げ、これまでの2年間で10回開催してきました。

なぜジムジム会をはじめたのか? フラットな勉強会とは何か? そして成果やいかに……ということを2年分のまとめとしてお届けします。

”学び合い”の場が必要な理由

突然ですが、「アートプロジェクトの事務局」で働く人に出会ったことはありますか? 「ある」という方は、かなり少数ではないでしょうか。美術館やギャラリーではなく、まちなかを使ってアーティストや市民とともに新しい表現を生み出すアートプロジェクト。日本では1990年代頃から始まったと言われる文化事業の形態(※)ですが、その運営者の存在は意外と知られていません。

しかし、マラソン大会に運営本部が必要なように、文化祭に実行委員会が必要なように、アートプロジェクトにも事務局が必要です。その業務は企画、経理、広報、運営、リスクマネジメント、許可申請、アーティストとの調整、行政との交渉、住民との対話、ボランティアのケア……と多岐に渡り、さまざまな専門性とマネジメント力が求められます。文化の現場を支える重要な役どころですが、いまだにそのスキルアップや問題解消の場は限られています。

私たち「東京アートポイント計画」は、そんなアートプロジェクトの事務局をサポートする事業として展開してきました。そしてジムジム会もまた現場の課題を解きほぐす「中間支援」のひとつのかたちとしてはじまったのです。

※参考文献:『日本型アートプロジェクトの歴史と現在 1990年→2012年』(2018年、熊倉純子監修)

お互いの広報物を持ち寄って話し合うジムジム会(2019年度)

ジムジム会のひらきかた

「つながって学び合う」というフレーズの聞こえはいいですが、実現するのは簡単ではありません。年間を通して活動するアートプロジェクトの事務局はだいたいいつも忙しく、他のプロジェクトの舞台裏まで見に行ったり、自主的に勉強するタイミングがないからです。

そこでジムジム会の企画運営チームは、いくつかの工夫をしながら進めてきました。その一部を紹介します。

✅ 同じ悩みを持つ人達を集める

大前提ですが、フラットな勉強会を目指すにあたっては、悩みや課題を共有できることが重要です。「ふむふむ、ふーん」と傍観する人ではなく、「そうそれ!」と自分事で参加してくれる人の集まりでなくてはいけません。ジムジム会では「東京アートポイント計画に参加するアートプロジェクト団体の事務局」という基準で声がけをしました。

共通の悩みをテーマにワークやディスカッションを盛りこむ(2019年度)

✅ 定期参加の仕組みをつくる

忙しい人にとって勉強会のような場はなかなか続けがたいもの。そこで「5月〜9月まで毎月1回ずつ年5回」など期間を区切り、リズムよく開催することにしました。また東京アートポイント計画事業としても、ジムジム会参加を「オフィシャルな必修講座」的な位置づけにし、事業の必要業務として出席してもらう形をとりました。その分、業務時間に参加できる仕組みです。

オンライン開催になってから出席率UP(2020年度)

✅ リアルな声に耳をすます

自分事として参加してもらうには、参加者の悩みや課題がどこにあるか、目を凝らし、耳を澄ましつつ、勉強会を企画する必要があります。だからこそ各回テーマは、「リアルな声」を最も大切にました。開催前にアンケートをとったり、寄せられた声を翌月の回で反映したり。毎回のアンケートやフィードバックの収集、それをいかに反映したかという参加者への共有は特に気をつけました。

自由記入のアンケートを毎回最後の時間にとった(2020年度)

✅ マンネリに注意する

学びの大敵はマンネリです。特にアートプロジェクト事務局の面々はイベント運営に慣れているので、勉強会の運営自体がつまらなかったり、形骸化するとモチベーションも下がってしまいます。なので、ジムジム会の企画運営チームでは、毎回かなり工夫を凝らしました。書き初めをする回もあれば、オンラインラジオ形式で届ける回もあり、記録やプレゼンの手法も毎回変えました。勉強会運営自体がひとつの実験。それを一緒に面白がれるのは「事務局の集い」という稀有な場だったからかもしれません。

最終回では、司会者が演奏するサプライズも(2020年度)

✅ 記録と共有は丁寧なほどよい

そして地味ですが大切なのは、勉強会の記録の残し方です。どうしても参加できない人はいるので、継続参加のためにも丁寧な情報共有が欠かせません。レポート記事、当日の動画、リアルタイム議事録、写真、資料……と、毎回細かく、フェイスブックグループ上で共有するようにしました。そのために記録の専任担当者も決めました。

マインドマップから絵手紙風まで様々な記録を試した(2020年度)

✅ ほどよく閉じて「安心」をつくる

最も大切なのは安心感をつくることかもしれません。日々の悩みや課題を真ん中に置いて学び合う場なので、「開示しても大丈夫」という環境を用意することが重要です。勉強会は完全クローズにし、レポート記事だけ確認をとりながらひらき、アンケートなどのフィードバックも全員で分け合うことで、安心感をつくることを心がけました。

各事務局による「ここだけの実践共有」が大事な学びに(2019年度)

✅ 運営者も楽しむ

あとこれはオマケですが、学びの場が楽しくなるかどうかは、オーガナイザーが楽しんでいるかどうかにもかかっています。ということで、ジムジム会企画運営チームは常に「楽しい」ポイントを探ることも忘れないようにしていました。

司会者がどんなトーンで挨拶をするのかも工夫ポイント(2019年度)

気になるジムジム会の効能は…?

以上が、ジムジム会で心がけていたポイントです。そして結果はどうだったかというと、少しずつですがいい変化が起きています。

たとえば、プロジェクト運営で困ったときに「あの事務局にきこう!」という連絡回路ができたり、必要資料やマニュアルの共有ができたり、活動を褒められてモチベーションがあがったり。華やかな企画の裏側で汗をかく人達だからこそ、同じような立場の人からのフィードバックや応援、コメントがとても響くようです。

何より一番うれしい成果は、「ジムジム会を続けたい!」という声が上がり、参加団体による運営持ち回りの勉強会として継続が決まったこと。「つながって学び合う」ことの本質的成果はもしかしたらもっともっと先にあるかもしれませんが、その兆しは見えてきています。

>過去のレポートはこちらから

暮らしに「間(ま)」をどうつくる?

長野県松本市の「awai art center」とドイツ・ライプツィヒの「日本の家」の拠点のひらき方を学ぶ

2020年、コロナ禍によって、わたしたちは「これまでの当たり前」が揺らぐ時間を過ごしてきました。感染症対策にもとづき、リモートでのコミュニケーションが普及し、移動が制限され人が集うことが困難に。働き方や暮らし方が大きく変わった人も少なくありません。

そうした変化のなかで、自分とは異なる考えをもつ人と出会う機会が減りつつあるようにも感じます。どうしたらこれからもさまざまな視点や価値観が同居する場をつくることができるのでしょうか?

今回は、長野県松本市にあるアートセンター「awai art center」の主宰・茂原奈保子さんと、ドイツ・ライプツィヒのNPO「日本の家」の共同創設者・大谷悠さんをお招きし、まちなかに拠点を立ち上げたきっかけや、これまでの取り組みについてオンラインで伺います。

「こうでなければならない」という思考をときほぐし、「さまざまな視点や価値観が同居する場」を立ち上げるプロセスや運営のありようは、これからのアクションを考える手がかりになるのではないでしょうか。異なるもの同士がつながり、重なり合うことで生まれる「あわい」や「隙間」の存在が、地域に新しい展開を生み出すことについて、お二人に語っていただきます。

詳細

参加費

無料

参加方法

Tokyo Art Research LabのYouTubeチャンネルにて配信

記録映像

「生きること」と「アート」の新たな結び目。 —青木彬「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」インタビュー〈前篇〉

まちで活動するプレイヤーの言葉から、「アートプロジェクト」の営みについて考えるインタビューシリーズ。今回は、2018年より墨田区北東部の「墨東エリア」を舞台に「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」(通称、ファンファン)を展開する、インディペンデントキュレーターの青木彬さんにお話を聞きました。

まちの人たちや多様なゲストとの対話や実践を通して、自分の「当たり前」を解きほぐすような学びの場を生み出してきたファンファン。「集まる口実」として、みんなでユルめの広報誌「ファンファンレター」を定期的に手作りしたり、それぞれの想像力を引き出すため、会議の冒頭にお互いの近況をラジオ風に話したりと、一見ささやかなその所作のなかには、プロジェクトの運営に関わる多くのアイデアが仕掛けられています。

同時に、ギャラリーなどで展覧会もキュレーションしている青木さんにとって、まちと溶け合うファンファンの活動は、従来の「アート」の枠組みでは捉えられない、「生きること」そのものと表現をめぐる新たな問いの場所にもなっているようです。活動を続けるなかで、青木さんはどんなことを考えてきたのか? 東京アートポイント計画・ディレクターの森司と探っていきます。

(取材・執筆:杉原環樹/撮影:加藤甫 *提供名のある写真以外)

東京アートポイント計画ディレクター 森司(写真右)とともに伺った。

なにか知らない「予感」めいたものに向かって

——「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」(以下、ファンファン)では、「学び」をテーマにされているそうですね。どのようにして活動が始まったのか、ということから聞かせてください。

青木:墨田区との関係から話すと、10年ほど前の学生時代から、当時行われていた「墨東まち見世」というアートプロジェクトを見に来たり、2016年からは友人と一緒に長屋を改装した「spiid」という住居兼アトリエを運営したりと、以前から関わりがあったんです。墨田はアサヒビールのメセナ活動もあり、数十年前からアートプロジェクトの歴史が蓄積されてきた地域ですが、実際、「spiid」の近隣にも面白い活動をしている人たちがたくさんいて、僕にとってその長屋の家賃は、このまちで遊ぶための入場料のような感覚でした。

青木さんが友人でアーティストの奥村直樹さんとともに墨田区京島エリアで運営している住居兼アトリエ「spiid」。展示やアートブックフェアなども開催してきた。(写真提供:青木彬)

そして2018年、僕もこの場所で活動をより広げたいと、ファンファンを始めました。ファンファンのサブタイトルは「生き方がかたちになったまち」ですが、墨田には長屋や町工場がいまも多く残されていて、DIYで空間を作るような風土があるんです。人の振る舞いの優しさが、きちんとまちに反映されている。同時にコミュニティが成熟して、外から来るものへの柔軟性を失っていると感じる部分もありました。そこで、僕たちもこのまちで一緒に知らないものを経験していきたいと思い、「学び」ということを打ち出しました。

——この場合の「学び」とは、どんなイメージなんですか?

青木:僕らは「学び」を、学習的なものではなくて、「人が安心して変われるもの」とイメージしています。それはアートにも近くて、たとえば美術館というのは、制度的に設けられた、「この空間なら安心して変わっていいよ」という場所ですよね。それと同じような変容を、まちで、しかも「アート」を前面に出さずにやってみたい、と。でも、最初の頃は上手く言葉にできなくて、森さんに何度も問い返されていましたね(笑)。

森:当初は「研究」や「リサーチ」など、青木さんから出てくる言葉がもっと固かったんです。しかも、かなりアカデミックな意味で使っていて、本来やりたいのはまちなかに考え方を実装するようなもののはずなのに、その言葉は違うのではと感じていました。でも、それらは強い言葉として青木さんの身体に入っていて、しばらくは手放さなかったよね。

青木:そうですね。そこから離れられたのは、もう一つ大事にしている「当たり前を解きほぐす」という考えを深められたからだと思います。アートプロジェクトにも「こうやるものだ」という一種の型、当たり前がありますが、それを再生産してもつまらない。とくにこの地域の人たちは、既存の「アート」の制度に変に固執せず、もっと柔らかい活動を展開していて、それがシンパシーを抱いた部分でした。ならば、僕も既成の言葉やアートの思考に頼らず、「アート」と呼べるかはわからないけれど追い求めたい感覚、よくわからない予感めいたものを求めていけばいいんだ、とわかってきたんです。

「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」公式ウェブサイト

——森さんが、青木さんやファンファンに期待したものは何だったのですか?

森:まずは、絶対的な新しさです。「研究」などの言葉は、青木さんのまちに対する真摯な姿勢から出てきたものですが、その遠慮があると行動が起こせない。だから、それを取り除きたかった。同時に、さきほどもあったように、彼は大胆にも家賃を「まちへの入場料」と見立てていました。その読み替え自体は、ぜんぜんアカデミックじゃないわけですよ。青木さんはアートの言語をよく知っていて、でも、その不自由さにも気づいているから、別のコードを入れていたわけです。そのタッチでまちに入ろうとしているのは、面白いと思いました。

また、彼は当時すでに展覧会をキュレーションする若手として、メディアでも紹介される存在でした。その道で行くこともできたはずです。しかし、何かモヤモヤを感じていて、言葉にできないもどかしさを持っていた。それは、言い換えると絶対的に新しいものへの指向性でしょう。だから「一緒にやろう」となったんです。

ウロウロの先の関心

——青木さんはなぜ、いわゆるキュレーターではなく、アートプロジェクトの方面に行ってみようと思ったのですか?

青木:僕自身にとっては、そこは地続きだったというか。そもそも僕はキュレーションの専門教育を受けていなくて、アートマネジメントを指向していました。キュレーターとして展覧会を行うときも、ギャラリーのような空間だけでやるのではなくて、まちのある場所に作品と呼ばれるものが置かれたらどうかという、少し俯瞰的な関心があったんです。

森:それで言うと、彼を面白いと思ったまた別の理由は、ウロウロしていたからなんです。話題のものや人気のものだけでなく、「こんなものまで見にくるんだ」という企画まで、いろいろな場所で彼の姿を見かけていました。

青木:ウロウロすることはわりと意識していましたね。相対的に物事を考えたくて。

森:その出没情報は重要でした。「好き」で動くファン心理でも、人に出会いたいという野心でもなく、興味の有無に関係なく、とりあえず雑多なものを俯瞰しておく、オンタイムで見ておくという行動様式。それは歌手のボイストレーニングのように重要で、その信頼はありました。でも、そうやっていろんなものを見ている前提で企画を求められるから、困ったんだよね(笑)?

青木:そうですね。ゲストを立てる企画のときも、森さんからは「ゲストは僕が知らない人がいい」と言われたり(笑)。僕も期待に応えて見つけたいと思うんだけど……。

森:「見つける」というより、僕としてはそこで、「この人、この企画は新しい」と言い切るジャッジと振る舞いを求めていたんです。突き詰めると、ある人が長期的に残るような新しい人かどうかなんて、時の運でしょう。でも、「よくわからないけど、自分はこれが新しいと思う」という踏ん切りがあるかが重要で。それを言い切れるかどうかだった。

青木:たぶん当初は、やろうとしていることが価値として認められるか、不安を抱いていたんだと思います。でも、ファンファンを続けながら、少しずつ自信が付いた。とくに最近は、ファンファン以外にも、僕の関心にシンパシーを感じてくれるアーティストや人に出会えていて、だんだん自分のなかで関心の濃度が高まっている感じがあります。

去年、個人の仕事で、京都芸術センターで『逡巡のための風景』という展覧会を企画したんです。そこで関わった人には、アーティストも福祉施設の人もいました。いろんな立場の人が混じりながら、「展覧会」という形式は正しいのか、「アーティスト」という存在はどこまでを指すのかという問いに、一年ほどかけて向き合えた。それはファンファンで考えたいことでもあって、自分の考える「新しさ」の言語化のうえで大事でした。

「アート」と「よりよく生きること」

——個人的に、アートプロジェクトをめぐる「言語化」の話題は、青木さんに今日、一番聞きたかった部分でした。ファンファンのようなまちで展開されるアートプロジェクトの可能性は、展覧会や作品を中心に語られるアートシーンや、主要なアートメディアのうえでは、いまもマージナル(周縁的)であり続けていると思うからです。しかし青木さんには、そうしたシーンにも届き得る言葉で、その可能性を言語化したいという気配を感じます。

青木:その二つの領域にあるのは、技術の違いだと思います。展覧会を作るにも、アートプロジェクトを作るにも、別の技術がいる。でも、それらは互いに引用可能で、その意味で僕はフラットに見ています。たとえば先の京都の展示では、主にアートプロジェクトで活躍している作家を展覧会に入れました。すると、展覧会という形式に付随した「展評」というかたちで、プロジェクトの活動がこれまでとは別の回路に広がっていく。同じことは反対でも起き得ます。もう片方で使えるものを得るために、両者を行き来することは意識している気がします。

他方で、価値付けという場合、展覧会だと作品に価値を問えるけど、アートプロジェクトはそこが流動的で、本人たちも言語化できていない部分があるかもしれません。行政的な価値観で評価されたり、美学的な視点から問われたり。でも、そこでは、「そもそも美学的な価値じゃないんだ」と自分たちで言い切ることも大事ではないか、と感じます。

森:僕は、いわゆる展覧会と批評を軸としたアートワールドがアートプロジェクトを引き取るかどうかにあまり興味がなくて。その評価にかかわらず、存在としてのアートプロジェクトはこの20年あまりで確実に必要とされ、増えていますよね。たしかに批評的な言語の用意はないし、「アートピースとしての質」を求めたらそれはないことになるんだけど、逆にそこに固執しなかったからこそ、消費されなかった部分がある。

日比野克彦さんや宮島達男さんなど、それこそアートワールドで活躍した作家がアートプロジェクトをしている現実もあるじゃないですか。その背景には、アートプロジェクトの方が構えることなく夢が見られる感覚があると思う。その場所でいつの間にか幸せを感じた人がいたときに、「それはアートの効能だ」とわざわざ言う必要はないんじゃないか。ある局面においては、積極的に「アート」を手放すことがあっていいと思うんですよ。

青木:日本型アートプロジェクトは、1960年代に隆盛した野外美術展が源流だとよく語られるのですが、それはアートピース中心の歴史だと思うんです。でも、僕は、視点を変えるとより以前に遡れると思っていて、最近、大正期に日本で盛んになったボランティア活動である「セツルメント運動」(※)などを調べています。そこでは、アーティストが社会福祉に関わっていたり、こども向けの鉛筆画のワークショップをしていたりした。でも、作品は残されていないから、作品中心の歴史からはこぼれ落ちてしまうんです。

まだ、アートの制度がそれほど確立されていない時期に行われたそうした活動は、「幸せに生きたい」とか、「健康でいたい」とか、アート的な目的とは違う切実さに基づいた想像力の実践だったんだと思う。僕が考えるアートプロジェクトは、それに近いような気がしていて。たとえ、従来の意味での「アート」じゃなかったとしても、そこに意味があるという価値観をより強固にしていきたいという関心があります。

※「セツルメント運動」の詳細と、青木さんが感じる現代におけるアートとの関連性については、CINRA.netの対談記事「アートって図々しい。青木彬×福住廉が考える市民と作家の交歓」(2019年10月15日)で詳しく語られています。

——なかでもとくに福祉への関心が強いと感じますが、それはいつ頃からですか?

青木:遡ると、学生時代に卒業論文を書いていた頃から、精神医療は少しかじっていて。そこから家族が病気をしたり、自分のこと(※青木は2019年11月に右足を切断する手術を受けた)だったりで、医療福祉への関心がずっとあって、本は読み続けていました。それがいままではアートと遠かったんだけど、最近は近づいて、「あれ、つながるじゃん」みたいな。とくに手術後は、より明確になった感じがありました。

森:手術の後、自信も付いたし、元気にもなったよね。

青木:本当に身体が変わって、100%自分と向き合える感じになったんです。アートに関わる人は少なからず経験していると思うのですが、個人の経験は制度で語れない分、価値が見出されにくい。けれど、手術後、やっぱり自分はアートで救われているという実感が確実に持てたんです。そのとき、「よりよく生きること」にアートの技術を使ったり、自分の身体と向き合うことにアートを使ったりすることに、もっと貪欲になろうと思いました。

「アート」の新しい問い、新しい語りに向けて。 —青木彬「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」インタビュー〈後篇〉

Profile

青木彬(あおき・あきら)

インディペンデントキュレーター/一般社団法人うれしい予感 代表理事/まちを学びの場に見立てる「ファンタジア!ファンタジア!─生き方がかたちになったまち─」ディレクター。
1989年生まれ。東京都出身。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。プロジェクトスクール@3331第一期修了。公共劇場勤務を経て現職。アートプロジェクトやオルタナティヴ・スペースをつくる実践を通し、日常生活でアートの思考や作品がいかに創造的な場を生み出せるかを模索している。
これまでの主なキュレーションに、「中島晴矢個展 麻布逍遥」(2017, SNOW Contemporary)、「根をもつことと翼をもつこと」(2017, 大田区京浜島、天王洲アイル)などがある。「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展」(2017, アーツ千代田3331)キュラトリアルアシスタント、「黄金町バザール2017 –Double Façade 他者と出会うための複数の方法」(2017, 横浜市)アシスタントキュレーター。「KAC Curatorial Research Program vol.01『逡巡のための風景』」(2019, 京都芸術センター)ゲストキュレーター。社会的擁護下にある子供たちとアーティストを繋ぐ「dear Me」プロジェクト企画・制作。「喫茶野ざらし」共同ディレクター。

ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―

多くのアトリエやオルタナティヴ・スペースが集まる東京都墨田区北部(墨東エリア)において、点在する文化拠点との連携やアートの思考を通じて、「学びの場」を形成するプロジェクト。街そのものの特性とこの街に集う人々がみせる文化的な生態系、そして区内外のアーティストや研究者など専門家のアクションが交わる状況を創造する場としてのラーニングプログラムの実施とそれらの検証から、豊かに暮らすための創造力や地域の文化資源の価値についてやわらかな観点で考えます。
http://fantasiafantasia.jp/
*東京アートポイント計画事業として2018年度から実施

事業紹介ムービーはこちら(アーツカウンシル東京YouTubeチャンネル)

「アート」の新しい問い、新しい語りに向けて。 —青木彬「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」インタビュー〈後篇〉

まちで活動するプレイヤーの言葉から、「アートプロジェクト」の営みについて考えるインタビューシリーズ。今回は、2018年より墨田区北東部の「墨東エリア」を舞台に「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」(通称、ファンファン)を展開する、インディペンデントキュレーターの青木彬さんにお話を聞きました。

アートプロジェクトを運営すると同時に、ギャラリーなどにおける展覧会もキュレーションしている青木さんにとって、まちと溶け合うファンファンの活動は、従来の「アート」の枠組みでは捉えられない、「生きること」そのものと表現をめぐる新たな問いの場所にもなっているようです。活動を続けるなかで、青木さんはどんなことを考えてきたのか? 東京アートポイント計画・ディレクターの森司と探っていきます。

(取材・執筆:杉原環樹/撮影:加藤甫 *提供名のある写真以外)

「生きること」と「アート」の新たな結び目。 —青木彬「ファンタジア!ファンタジア! —生き方がかたちになったまち—」インタビュー〈前篇〉

月2回発行している広報誌「ファンファンレター」。このレターを集まってつくること自体もプロジェクトの大事な活動。ファンファンを表す代表的なツール。

メンバーの「いま」を映す広報紙

——ファンファンでは、まちの人の個人的な話を聞く「WANDERING」や、外部のゲストの話を聞く「ラーニング・ラボ」、その対話から生まれたものを実践する「プラクティス」などのプログラムが行われています。また、活動を紹介する「ファンファンレター」という広報紙を定期的に発行していますが、その制作方法がユニークだとお聞きしました。

青木:さきほど「当たり前を解きほぐす」と言いましたが、ファンファンレターは自分たち自身の当たり前から解きほぐすためのものとして設計しているものです。活動をカッコよく伝えようと思ったら、カッコいいデザイナーに依頼すればいいんだけど、それよりもみんなと集まる口実が欲しい。制作過程に協働性を入れたくて、手探りで作れる広報紙をデザイナーと相談して考えました。具体的には、みんなで対話をしながら、ハサミやノリやオリジナルのスタンプを使って手作業で「版」を作り、それを刷っています。

3年間の活動で、ファンファンレターがあったのは一番大きかったと思います。地域の人と関わるという意味でもそうだけど、裏テーマ的に言うと、やっぱり事務局が鍛えられたんです。 定期的に集まってコミュニケーションをとる場がある。かつ、そのつどの参加者によるムラや空気が、誌面に出ている。これまで すでに30号以上を発行していますが、そういうムラを許容できる身体を作っていった感じがします。

森:去年、そのレターなどをまとめた「ファンファンパック!!2019」というボックスを作りましたよね。僕は、あれがファンファンの一つの集大成の仕事だと思っていて。構造的に設計されたものを、あえて「ヘタレ」な形に落とし込む。個々は歪なところもあるけど、まとめるときちんとメッセージになり、所信表明になっている。「やったな」と思った。東京アートポイント計画で毎年発行している印刷物のなかでも、去年のベストでした。「ファンファンは何をしたの?」と聞かれたら、「ボックスを作ったね」というものとして、僕は受け取っているんです。

プロジェクトの運営レベルで言うと、スーパーの広告チラシ風のこの印刷物に東京都の主催を表すロゴを付けることは、すごいことなんです。そこでまず自分たちも覚悟を問われた感じがあるのですが、ボックスでまとめると、見事に受け入れやすいものになっている。そこまで見据えていたかはわからないけれど、 できているという事実が大きい。コロナ禍を受けて作った特別号もとても良かったです。

「ファンファンレター」特別号。

青木:6月に立て続けに全4号を出した「みじかい間」という特別号で、紙でミニチュアの展覧会を作れる付録をつけました。コロナで直接会えなくなるなか、 プログラムを止めるのではなく、いままでやってきたことを使えるんじゃないかと思い、ファンファンレターのフォーマットを使って実践的なプログラム「プラクティス『みじかい間、少しとおくまでの対話』」をやりました。展覧会の作品素材は墨田区でギャラリーをやってるアーティストたちに協力してもらい、描いてもらいました。

森:コロナの時代への打ち返しとして、すごく良かったです。アートワールドの人はここに価値を認めないかもしれないけど、この微弱な価値を認めないと行き詰まると思います。

青木:もうひとつファンファンレターで重要なのは、それがメンバーや東京アートポイント計画のプログラムオフィサー(PO)とのコミュニケーションツールでもあることでした。初期の頃によく、自分たちの考えを身近な人たちにどう伝えるかを話したのですが、そこでは、仰々しい企画書を出せばいいわけではない。何を考えているのかを共有していく一番手前のところから設計できたのが、ファンファンレターの機能として大きかったと思います。

組織やアートの当たり前をいかにほどく?

——さきほど「ムラを楽しめるようになった」というお話がありましたが、青木さんは組織の運営方法も工夫されているそうですね。ミーティングの際も、冒頭にメンバー同士でラジオ風に近況を報告し合うなど、中心性を作らない仕掛けを導入しているとか。

青木:決定権をいかにフラジャイルにするかに興味があるんです。アートに限らずさまざまな組織において、中心的な誰かが物事を引っ張るのは簡単で、その求心力の生み方もわかるのですが、個々人の想像力を引き出す会議の仕方を作りたいと思いました。そのとき、ただ集まるのか、付箋やホワイトボードを使うのか、メールか、LINEを使うのかなど、集まり方や用いる道具によってあり方が変わるじゃないですか。それこそ、「当たり前」の部分から問いたかったんです。そこに手を入れないと、新しいものも出てこないなと。

——集まり方から変える。

青木:そうですね。定例会も、これまでは集まって会議をして、ご飯を食べて、というかたちでしたが、最近はオンラインで、最初に5人の出席者を二組に分け、ここ一週間ほどの関心をラジオ風に話す時間を20分ほど設けています。映像は切って、音声のみ。だんだんBGMを付けたり、ラジオメール風にお便りを出すようになったり。会議としては、その部分はとくに意味があるわけじゃないんだけど、それが活動に影響していく。その小さい選択から決定権が揺らぎ、その先に見たことがないものが作れる気がしています。

岡野:私もPOとして定例会に参加していますが、ラジオの仕掛けはプロジェクトのあり方に影響を与えていると思います。本当にそれぞれの個人的な関心を話しているのに、不思議とキーワードが重なっていたり、つながっていたり。一人の人が主導してまとまっていくんじゃなくて、みんなで「ファンファンの脳味噌」を作っている感じがあります。

森:面白いマネジメントですよね。このプロジェクトには、「プロジェクトをしよう」という構えがないんですよ。所作のすべてをプロジェクトにしているから。逆に言うと、だからこそ、よりわかりにくくなっているんです。

さっきの話で言うと、ファンファンの活動の価値を誰もが当たり前に感じられればいいんですけど、なかなかそうはならない。一般に表現とは、「刺激的なもの」「向こうから楽しませてくれるもの」と考えられていますよね。ファンファンの活動はそれとは異なり、乗るか乗らないかはその人次第。非常に能動性が求められるから、届け先をどう創出するかという問題が出てくるんです。「勝手に楽しむ人」をどう増やしていけるのか。

東京アートポイント計画ディレクター 森司

——コロナ禍で、大きなイベントに頼っていた場所が危機に追い込まれている。一方、小さな活動を大事するファンファンのような場所は元気というのも、示唆的です。

森:本当の自由を求めているからだと思います。価値化された「自由」のなかで動いている限り、現在の状況では立ち行かなくなる。その象徴が、美術館で、大きな動員を見込んで行われるいわゆる「ブロックバスター」展ですよね。でも、本当に必要なのは、ファンファンのような勝手に認証を楽しむあり方。それを変わらず楽しんでいるから、ファンファンは「元気」に見えるのだと思う。ファンファンレターのようなサイズの営みを価値化していかないと、これからの時代、立ち行かなくなると思うんです。

——逆にその価値を認めないと、あらゆる文化的イベントが閉じられてしまったいま、この時代には文化的な出来事は「何もなかった」ことになってしまいますね。

森:そう。その「何もなかった」という感覚は、危ない。

青木:それはすごく感じます。最近、ほかのアートプロジェクトの関係者から、「コロナになって出会いがなくなった」と聞くのですが、それはアートを非日常性のなかで捉えているからだと思う。ファンファンにはその感覚はなくて。日常には普通に人との出会いはあるし、そこにもクリエイティビティはある。展覧会やイベントがないと言えばそれまでですが、むしろ、その外にあるものをいかに「アート」と呼び直すかだと思います。

ファンファンのプログラム「新しい対話のためのプラクティス『ゆびのかたりて』(アーティスト:佐藤史治+原口寛子)の様子。(2020年8月23日〜25日開催)

新しい問い、新しい語り

青木:いま、「アート×福祉」のように、異なるジャンルとの間に架け橋を掛ける取り組みが多くありますが、そもそも、「福祉」にも「地域」にも、「アート」はあった。僕らが興味を持っているセツルメント運動や、あるいは、手作業を通して障害を持つ人の能力の回復をめざす「作業療法」という領域も、じつは源流には19世紀のアーツ・アンド・クラフツ運動があります。そうした関係性に、あらためて気づいていくことも重要になるのかな、と。でも、それをブロックバスター展的な規模でやると、おそらく「アウトサイダー・アート」的な文脈に回収されてしまう。それと、僕らがファンファンレターなんかでやっている当事者間のやりとりは、まるで軸の違うものなんです。

——青木さんは、その部分を言語化したい?

青木:言語化をしたい思いはあります。 ただ、いまのような語り方では、その言葉が届く範囲はすごく限られてしまう。歴史を参照しても、ファンファンレターが届くような人たちには通じないというか。言葉の作業もやりつつ、一方で言葉だけでなく、ファンファンを通して作ってきたようないろんな人が集まれる場所、それは空間的な意味に限らず、生態系的なネットワークをより作っていけたらいいんじゃないか、と。その規模感で実感を作らないと、「生きること」とアートという視点は社会に伝わらないと思っています。

——ありがとうございます。いろんなお話を聞けましたが、正直に言うと、今日はその「本当に新しい部分」にうまく触れられていない気もして。どう質問したらいいものか……。

森:それで言うと、おそらく、「従来のアートの着こなし」による問いの立て方では向き合えない活動だからだと思うんですよ。普通のアートワールドの人たちには響く問いだとしても、青木さんはもうそれとは違うアートの着こなしをしている。だから、そこでは違う問いの立て方が必要になる。彼の言う、ファンファンレターが届く人はいわゆるアートの言葉で話す人とは違うというのはそれを言い当てていて、違う場所を見据えているから。

——話しながら、それは感じますね。インタビュアーである僕自身ももう一つ大事なところを抑えられていないような感じがする。

森:実際、その先に問いを進めるのは難しいのですが、「Why?」「Because~」というかたちのやりとりではなく、「So what?」(だから何?)と返されるくらいが我々にとってはいい塩梅ではないかと思うんです。そうじゃないと、あっという間に既存の制度に回収されるから。

一方で青木さん自身も、以前は語れなかったことを、いまではこんな風に綺麗に語れるようになった。ただ、それは言い方を変えると、ひとまずの代弁ができるようになったということでもある。でも本当は、現在もうまく語れないものを持っているはずで、「代弁をやめようぜ」というのが、いま、青木さんに問いかけてみたいことですね(笑)。

青木:そこが自分でも、もどかしいところで……。語れないことがあることは自分でもよく分かっているけれど、語れるものがある程度まとまってきちゃった。でも、その先にどんどん自分が見つけたいもの、本当に言葉にしていきたいところが出てきていて。

突拍子なく聞こえるかもしれませんが、最近、僕は東京の外に引っ越して、自然に囲まれた環境で畑仕事をしたり、手芸をしたりし始めているんです。手芸というジャンルは、これまでのアートの制度のなかで、その中心から幾重にも隔てられ、ジェンダーや家庭というものと結び付けられてきた。これも予感ですが、そうしたものを自分で体験して、咀嚼するなかで、何かファンファンの活動に反映できるものがある気がしています。でも、いまこうして話していても、アートの言葉で話している違和感はあるのですが……。

森:その意味では、いまは「貯め」の時期で、「待ち」の時期なんですよ。

青木:そうですね。少なくとも言えるのは、 それに向かっていま、確実に思考を貯められているという実感があることです。ファンファンのみんなで話し合えているし、みんなもその新しさを掴もうとしている。この2年くらいで、そこに向き合うことに躊躇がなくなりました。このメンバーとなら、ちゃんと考えられるという気がしています。

2020年8月26日「喫茶野ざらし」にて収録

Profile

青木彬(あおき・あきら)

インディペンデントキュレーター/一般社団法人うれしい予感 代表理事/まちを学びの場に見立てる「ファンタジア!ファンタジア!─生き方がかたちになったまち─」ディレクター。
1989年生まれ。東京都出身。首都大学東京インダストリアルアートコース卒業。プロジェクトスクール@3331第一期修了。公共劇場勤務を経て現職。アートプロジェクトやオルタナティヴ・スペースをつくる実践を通し、日常生活でアートの思考や作品がいかに創造的な場を生み出せるかを模索している。
これまでの主なキュレーションに、「中島晴矢個展 麻布逍遥」(2017, SNOW Contemporary)、「根をもつことと翼をもつこと」(2017, 大田区京浜島、天王洲アイル)などがある。「ソーシャリー・エンゲイジド・アート展」(2017, アーツ千代田3331)キュラトリアルアシスタント、「黄金町バザール2017 –Double Façade 他者と出会うための複数の方法」(2017, 横浜市)アシスタントキュレーター。「KAC Curatorial Research Program vol.01『逡巡のための風景』」(2019, 京都芸術センター)ゲストキュレーター。社会的擁護下にある子供たちとアーティストを繋ぐ「dear Me」プロジェクト企画・制作。「喫茶野ざらし」共同ディレクター。

ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまち―

多くのアトリエやオルタナティヴ・スペースが集まる東京都墨田区北部(墨東エリア)において、点在する文化拠点との連携やアートの思考を通じて、「学びの場」を形成するプロジェクト。街そのものの特性とこの街に集う人々がみせる文化的な生態系、そして区内外のアーティストや研究者など専門家のアクションが交わる状況を創造する場としてのラーニングプログラムの実施とそれらの検証から、豊かに暮らすための創造力や地域の文化資源の価値についてやわらかな観点で考えます。
http://fantasiafantasia.jp/
*東京アートポイント計画事業として2018年度から実施

事業紹介ムービーはこちら(アーツカウンシル東京YouTubeチャンネル)