共通: 年度: 2022
ジムジム会2022
手を取り合い、次を考える、アートプロジェクト事務局の互助会
アートプロジェクトは、企画や広報、経理などを担当する事務局の人々によって支えられています。しかし現場は人手が不足しており、時間がないなかでやり方を模索し、それぞれが悩みを抱えながら活動しているのが多くの現状です。
そこで、2019年度から同じような悩みを抱える「東京アートポイント計画」に参加する団体が集まり、「事務局による事務局のためのジムのような勉強会(通称:ジムジム会)」をひらき、広報やウェブサイト制作などの実務的な課題について共有してきました。
2022年度は、新しく東京アートポイント計画に3つのプロジェクトが参加。そこで東京アートポイント計画の「共催」の仕組みや、アートプロジェクト運営に必要なポイントをあらためて確認し、現場のスキルのボトムアップを目指します。また、手話通訳やUDトークを導入し、アクセシビリティの向上にも取り組みます。
詳細
スケジュール
5月25日(水)
第1回 1年生から6年生が大集合! ジムジム会キックオフ
6月22日(水)
第2回 スタート地点でもあり、帰ってくる場所でもある。事業の「理念」を整理しよう
発表:柏木輝恵(NPO法人シミンズシーズ)
7月27日(水)
第3回 評価の準備運動、評価の下ごしらえ
発表:ファンタジア!ファンタジア!−生き方がかたちになったまち−
9月21日(水)
第4回 「め」と「て」でひろがるコミュニケーション
発表:めとてラボ
12月17日(土)
第5回 歳末学び合い〜解決のヒントはおとなりさんがもっている〜
関連サイト
日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈後篇〉
いま、まちのなかでアートを営むときに大切な視点、姿勢とは何か。そんな問いを、アートプロジェクトの担い手と一緒に考えてきた東京アートポイント計画の「プロジェクトインタビュー」シリーズ。今回は、2021年度より東京都多摩地域(*)を舞台にアートプロジェクト「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」を実施する、NPO法人アートフル・アクション事務局長の宮下美穂さんを訪ねました。
*多摩地域:東京都の人口の3分の1にあたる400万人超を擁し、面積もその半分を占める、都道府県レベルの規模を持つ30市町村。
「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」は、小金井で2011年から10年間活動したプロジェクト「小金井アートフル・アクション!」を踏まえ、そこで得た経験や技術を、より広域のエリアで活かしていこうと始まった取り組みです。その大きな特徴は、多摩ですでに活動している誰かと一緒にプロジェクトを行うこと。
例えば、学校の図工の先生たちとネットワークづくりをしたり、社会的養護を必要とするこどもたちの施設の職員さんとワークショップを行ったり、さまざまな社会的・環境的な背景を持つ多摩という場所についてみんなでフィールドワークをしたり。こうした活動を通して、宮下さんは、「自分たちの足元の揺らぎを感じ、佇み、見えてくるものを捉えたい」と語ります。
今回、ともに話を聞いた東京アートポイント計画ディレクターの森司は、こうした宮下さんの活動内容、そしてプロジェクトの運営手法には、一見わかりやすくはないものの、現在の文化事業や社会とアートの関係を考えるうえでの大きなヒントがあるのではないか、と言います。キーワードは「微弱なもの」。そのヒントを、二人の対話から探っていきます。
(取材・執筆:杉原環樹/編集:川村庸子/撮影:加藤甫)
>日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈前篇〉
足元の揺らぎと、不定形なナメクジ
――前篇ではプロジェクトに通底する宮下さんの考え方や、現代におけるその重要性を中心にお聞きしましたが、後篇は活動の中身についてもお聞きできればと思います。まず気になるのは、事業名の「地勢図」です。ここには宮下さんが造園家をされていることも関係するでしょうが、辞書を引くと「地勢」には、「土地のありさま」のほかに「人の地位・立場」「よって立つ所」の意味もある。なぜ、この言葉を付けたのですか?
宮下:おっしゃるように、人の足元にかかわることだと言えるかもしれません。そこには、揺らぎや変化がつねにある。固定されたものなんかなくて、揺らぎのなかに自分たちが生きているということ。そして揺らぎ自体も変化していく。それをそのまま引き受けようという思いを込めていますね。
それから、サブタイトルに「cleaving」という言葉を使いました。これは、荒川修作とマドリン・ギンズから教わりました。「cleave」という動詞には、「切り裂く」と「くっつく」という意味があります。切り離すことは接合することではありませんが、切り離すべき何かがなければ、こうした行為は存在しませんよね。切り離すことは、何が結ばれていたのかを炙り出します。
これは、ものの見方を変えることとは異なります。荒川さんは「切り結ぶ」と言っていましたが、外から「私」を見て相対化し、視点を変えることで、これからの私たちの暮らしについて、新しいまなざしを得ることができないか、という仮説でもあります。立脚点をずらしていくことで、その回転運動が血流を良くし、あるいは呼吸をしやすくするのではないかと考えています。
――僕は地元が小金井の隣の国分寺なのですが、今回、宮下さんたちが「ゆずりはをたずねてみる」(以下「たずねてみる」)でかかわるアフターケア施設「ゆずりは」が地元にあることに驚きました。恥ずかしながら、こうした施設があることをこれまで意識しなかったからです。宮下さんたちはこの活動で小平市の児童養護施設「二葉むさしが丘学園」(以下「二葉」)にも行かれていますが、こうした施設は多摩に多いのでしょうか?
宮下:多いと思います。そこには、土地が安くて広いという背景もありますね。ほかにも、国立精神・神経医療研究センターやハンセン病の施設があるのは、サナトリウム(結核等の療養所)の跡だったりする。都心から離れた場所に忌諱されるものを置こうという力はずっと働いてきた。
自分たちの暮らす地域についてリサーチする「たましらべ」では、多摩の過去の軍事施設の分布や、ハンセン病療養所や児童自立支援施設などの設置経緯、多摩センターの開発、水道や鉄道のインフラの歴史も調べました。『都市のイメージ』で知られる都市計画家のケヴィン・リンチではないけど、都市の「エッジ」にそういうものが集まってくる。だから「地勢図」は、「地政図」でもあります。ある種のパワーを人はどう扱ってきたか。そこから、同じく周縁化された福島から眺めてみると、我々東京はどのように見えるのか、という問題意識も生まれます。
――前篇に出てきた「ゆずりはのジャム」を認識することではないですが、たしかにそうした視点を得ると、自分のよく知ったエリアの見え方が揺さぶられる感覚があります。
宮下:そういう足元の揺らぎを感じていたいのです。それで言うと、このプロジェクトのあり方をうまく表しているのは、札幌市立大学の須之内元洋さんというデジタルアーカイブ設計者につくってもらった、プロジェクトのウェブサイトにあるビジュアルかもしれません。ページを開くとトップ画面にナメクジみたいなやつが4匹いるんですが、実はこれ、アーツカウンシル東京の紫色の三角形のロゴと真反対になっています(笑)。
――そうなんですか(笑)。
宮下:アーツカウンシル東京のロゴはとても強くて、ロゴとしては機能的で正解なんだけど、私たちはできるだけ強くないものでズラしたい、と。須之内さんは面白がってそういう意図を汲んでくれたと思います。
森:こういうことをこっそり仕込んでいるから、面白いですよね。ラッピングが絶妙すぎてめくじらを立てられないけど、感づく人は何か気づく。微弱なマネジメントですね。
宮下:カーソルで触ると不定形かつ微細に動く仕様で、捉えどころがありません。無数の線で構成されたロゴも、別のデザイナーには「ロゴとして機能していない!」と言われましたが、とても気に入っています。

「勝手な盛り上がり」と、密かなズラし
――さきほど「事業の拡大が早い」というお話がありましたが、その背景にはこれまで小金井を拠点に活動してきた10年間もあるんでしょうか?
宮下:それはあると思います。私たちの活動では「わからなさ」を撒き散らかしてきたから、みんな耐性ができていたのかもしれませんね。小金井のときに学校連携プログラムを一緒にやっていた先生たちも協力してくれました。
拡大が早いのは、今日の「微弱さ」云々みたいな話を、例えば「ざいしらべ」を一緒にやっている学校の先生たちが共有しているからというより、やっぱり単純な楽しさもあると思います。今日、先生たちと竹林から材料をつくるワークショップの会議をしたのですが、勝手に盛り上がっているんですよ。夏には竹ひごをつくるワークショップをしました。ホームセンターなどで数十円で売っているものだけれど、これがとても奥が深い。大人が集まってただ竹ひごをいじらないでしょう? それにみんなハマっている。
――「ざいしらべ」では、図工の先生たちと素材の実験や研究、素材を集めてみんなが使えるようにした拠点づくりなどをしているんですよね。宮下さんが強く問題意識を共有するようなディレクションをしているわけではなく、むしろ自然に現場が温まっている。
宮下:道を定めないでよその船にしれっと乗らせてもらい、ときどき「うーん、何か違うんじゃないですか?」と言ってみたり、明るく「こんなことできます!」と言って、結局やらなかったり。そんな風に相手の文法に乗らせてもらいつつ、ときどきそれをズラすようなことをしていたら、今度は、先生たちが自分で竹を切りに行くということになったんです。
最近は大抵、教材は業者から買うじゃないですか。竹ひごづくりは案外危ないし、綺麗に仕上げるのは難しい。でも、シンプルな繰り返しに、たぶん竹の面白さを感じたんじゃないかな。竹林だけこちらで探したら、近くの小学校に集まって、自分たちで竹を切って加工する、と。事業でリアカーを買ったんです。素材は業者が車で運んでくるのが当たり前な人たちに、リアカーどうぞ、と。そうやって徐々に働きかけていって、「自分でできる感」を拡張してほしいんですね。
いま、自分の授業に自信がないと話す先生に、直径40cm、長さ4mの丸太を渡して大きなノコギリでただ切る、というワークショプを小学6年生と一緒にやってみないかと提案しています。これは、「無茶で無駄なことを教育の現場でやってもいいかもしれないね。それはそれぞれの限界を拡張するかもしれないね」というメッセージでもあります。もちろん、私たちも決して何かを教えるのではなく、必死に伴走しています。
――ワークショップや活動を一緒にやっていくなかで、いつのまにか、自分の見るもの、できることが広がっている、と。
宮下:素材は軽トラで運んでもらえるものだと思っているから、「自分でリアカーで運んで」と言われてみなさん最初は驚きますけどね。
森:それはひとつのコミュニティ形成でもあるんですよね。いままで「軽トラで運んでもらうコミュニティ」だったものが、知らぬ間に「竹を切ってリアカーで運ぶコミュニティ」になっている。コミュニティって、共通の体験がないと形成されないから、そうしたものができることで参加者のなかの「大切なもの」が微妙に変わっていくはずなんです。それを強制しないで促せるとしたら、これはアートの得意技だと思います。

宮下:一方、「たずねてみる」の方は、いまはまだアクセルをあえて全開にせず、ほどよい状態にしている部分があります。このプログラムでは、さきほど名前の挙がった「二葉むさしが丘学園」に、演劇ワークショップを専門とする花崎攝(せつ)さんに入ってもらっているのですが、彼女が100%の力を出すとすごく面白いと思うんです。ただ、まだアクセルとブレーキを交互に踏んで何かが湧き上がってくるのを待っています。というのも、そこにいる人たちの「船」に乗せてもらおうというとき、そんなに急ぐともったいないと思っているから。焦らなくてもできることがあるし、むしろその「あわい」のような時間のなかで、ゆっくりと、見えてくるものを大切に感じたい。
森:アートプロジェクトをマネジメントするとき、多くの人は既定のやりやすいレールや正義に乗ってしまう。でも、児童養護施設にいるこどもたちというのは、複雑な事情や背景や現状を抱えています。その子たちの持っている複雑さが、プロジェクトの進め方を「これでいいのだろうか」と問い直すきっかけになるかもしれませんね。
だから「たずねてみる」は、やりながらこちらが鍛えられていく活動だと思うんですよ。初めから目指す完成形があるんじゃなくて、更新していくものだろう、と。むしろ現場が発している微弱なものを、こちらが受信機として引き取れていれば、事業という航海における海図の読み違いもなく、行き着くところに行くんじゃないか。そう感じています。
宮下:それは唯一確信しています。その海図の深さと豊かさが生きる糧にもなると思いますね。

役割を超えて、こどもの複雑性に出会う
――「たずねてみる」では、施設のこどもたちではなく、むしろそのケアをする職員さんを対象に演劇的なワークショップを行なっているそうですが、なぜでしょうか?
宮下:施設のこどもたちの複雑性という話があったけど、職員さんは社会正義に燃えた真面目な方が多いと思います。私は、かれらがこどもたちが持っている複雑さに感応することがとても大事だと思っています。
職員さんはこどもたちに社会で生きていくうえでの「正しさ」を示します。もちろん、それはとても大切な仕事なのですが、一方で、人間の本質はどちらかというとこどもたちの複雑性の方にあって、職員さんたちに、この複雑さのなかに没入してほしい。職員さんはすごく真面目で、「何かをしてあげたい」「助けたい」とつねに思っている。でも、その真面目さゆえに折れてしまう部分もあるのかなと。むしろ、この子たちが抱える辛さとか傷つきやすさに、職員さんが自分自身のなかにある同じようなやわらかさを持って出会うと変わっていくのではないでしょうか。
――「二葉」にはどのくらいのこどもがいるのですか?
宮下:定員は78人です。0歳から高校生までいますからね。いろんなプロセスを経て入所していると思います。来年から施設を出ないといけない子は一人暮らしの練習もしています。本当にいろんなことを教えてくれますね。私たちがいま主に関わっているのは、小学生から高校生までが何人かのグループになり、そこに職員さん4~5人が交代で入って一軒家に住む、グループホームです。こうしたグループホームが「二葉」の周りに点在していて、そこから学校に通うこどももいます。
そうしたなかで、ワークショップは職員さんが対象だけど、ときどきこどもが来てくれたんです。そうすると職員さんは自分の時間から、こどもが主役の時間にスイッチが変わる。それまではその辺でリラックスしてストレッチをしていた人が、こどもの前では「ザ・職員」になってしまう。そういう関係ではないところで、何かできたらいいなと。
――社会的な役割で接してしまう部分がどうしてもあるのですね。
宮下:そう、役割に生きてしまうんです。例えば、こどもをお風呂に入れることを「入浴介助」と言うんですよ。「お風呂に入れる」でいいじゃんね、と思うんだけど。
――そういう関係に疑問を持っている職員さんもいるんですか?
宮下:そう感じる人は自然に変わっていくんでしょうね。ときどき覗きにくる私と同年代の方は、お父さんでもお兄さんでもスタッフでもない、「その人」としてこどもと接しています。だけどあくまでも職員として、距離を変えない人もいると思います。それはそれで大切なスタンスであることは間違いありませんが。
こどもとの距離を相手の状況に合わせて柔軟に変えるのは、すごく難しいことだと思います。それは、こちらが成熟していないとできない。ここまでは大丈夫とか、ここから先はダメとか、そういう境目を自分で判断して状況と相手に合わせてコントロールできるのは人間として、職員として高度な技能です。いつも同じ顔をしている方がある意味では楽でしょう。でも、そこを超えないと本当の人と人との関係はつくれないと思います。
正直、壁はありますが、職員さんに「職員」の顔を外すことをしてほしい。いつかそれを攝さんにやってもらえたら。ただ、それはもう少し機が熟してからだと考えています。

重なる日常と時間が支えるもの、変えるもの
森:冒頭で宮下さんは、「初めてアートが役に立つと感じた」とお話しされましたよね。そのように言うようになったことが、重要だと思うんです。おそらく、小金井の事業をやっていた頃から同じことは感じていたはずですよね。でも、いまは「アートが役立つ」とあえて口にしないといけない感じがあるということなんじゃないか。そしてそれは、美術館のなかにあるアートや戦争的なアートではなく、微弱なアートが役に立つという意味だと思います。
宮下:役に立たないものが、一番役に立っていることがありますよね。もっとも役に立たないものが、それでも居ていいと言われる、その承認が大事だと思います。
あと、アートって、曖昧さの幅がほかのジャンルに比べて広いですよね。そのあやふやな広さがあるからこそ通り抜けられる道がある気がしています。例えば、あるものとあるものが対立しているとき、その間の細い道をアカデミックな四角い箱では通れないけど、このウェブサイトにあるようなナメクジみたいな存在は通り抜けられるんじゃないかな、と。
森:アートは、役に立たない存在です。逆に何かが役に立たなかったら、それをアートだと認定してあげれば良い。大抵、多くのアーティストは、アートと言いながら妙に役に立つものをつくってしまう。役に立たないものをつくるのは意外と難しくって、これだけ意図に溢れた人工的な世界に生きていると、そのあり方がなかなかイメージできない。だから本当に名付けようのないものには、翻って貴重な価値が生まれることもあるんですよね。
今日の会話で、宮下さんが大切にするそうした「微弱さ」のニュアンスがどのくらい言葉にできたかというと、またうまく煙に巻かれた気もするけれど(笑)、ひとつだけ、ある人にとって一見わからないことをやっている人たちが、その人自身もわかってないわけではない、ということは言っておきたいですね。実はそこには確信があって、無闇にやっているわけではない。早急に説明する言葉を用意することもできなくはないけど、そうすることで失われるものがあるから、それならそっとしておいてほしい気持ちもある。言葉から逃れる密やかな時間が長ければ長いほど、ゆっくりと大切なことが育つんじゃないでしょうか。
宮下:今日は家族の話をしましたが、家具をつくったり、建物のリノベーションをしている弟は早くに連れ合いを亡くして、男手ひとつでこども3人を育てています。朝、こどもたちのお弁当をつくって、掃除や洗濯をして、学校に送り出して、仕事に行く。そういう日々を送っています。
私はそれを見ていて、大きな喪失のなかで弟が破綻せずになんとかやってこられたのは、まさにそうした日常の生活があったからではないか、と思うんです。生活には、依存とは違う寄りかかりがある。それに弟がいかに支えられたか。お弁当をつくることから始まる日常を通して、弟の方がよほどこどもたちに育てられた感覚があると思う。末の娘は出生後1年以上、病床の義妹を家族が看護するために児童養護施設で育てていただきました。こどもたちはこどもたちで深いところで、人として何かを感得した感じがします。
時間というものは面白いですよね。施設の職員さんたちも何かのきっかけでこどもたちと新しく出会うかもしれない。何かの時間や経験がその人を変えていくかもしれない。そのときに一発で変わるのではなくて、日々のなかでささやかな何かが重なりながらが変わっていくんだと思う。そういうものだと思っています。
Profile
宮下美穂(みやした・みほ)
NPO法人アートフル・アクション事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様なかたちの参加によって成り立っている。多くの人の経験やノウハウが自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強み。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちを抱きつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。
多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting
文化や歴史などの「地勢」を探ることを通して、一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直すプロジェクト。2011~2020年度に東京アートポイント計画と共催した小金井アートフル・アクション!が、これまでの経験を活かして中間支援的な働きをしながら、小学校や児童養護施設など多様な団体と協働して事業を行っている。
https://cleavingartmeeting.com
*東京アートポイント計画として2021年度から実施
日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈前篇〉
いま、まちのなかでアートを営むときに大切な視点、姿勢とは何か。そんな問いを、アートプロジェクトの担い手と一緒に考えてきた東京アートポイント計画の「プロジェクトインタビュー」シリーズ。今回は、2021年度より東京都多摩地域(*)を舞台にアートプロジェクト「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」を実施する、NPO法人アートフル・アクション事務局長の宮下美穂さんを訪ねました。
*多摩地域:東京都の人口の3分の1にあたる400万人超を擁し、面積もその半分を占める、都道府県レベルの規模を持つ30市町村。
「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」は、小金井で2011年から10年間活動したプロジェクト「小金井アートフル・アクション!」を踏まえ、そこで得た経験や技術を、より広域のエリアで活かしていこうと始まった取り組みです。その大きな特徴は、多摩ですでに活動している誰かと一緒にプロジェクトを行うこと。
例えば、学校の図工の先生たちとネットワークづくりをしたり、社会的養護を必要とするこどもたちの施設の職員さんとワークショップを行ったり、さまざまな社会的・環境的な背景を持つ多摩という場所についてみんなでフィールドワークをしたり。こうした活動を通して、宮下さんは、「自分たちの足元の揺らぎを感じ、佇み、見えてくるものを捉えたい」と語ります。
今回、ともに話を聞いた東京アートポイント計画ディレクターの森司は、こうした宮下さんの活動内容、そしてプロジェクトの運営手法には、一見わかりやすくはないものの、現在の文化事業や社会とアートの関係を考えるうえでの大きなヒントがあるのではないか、と言います。キーワードは「微弱なもの」。そのヒントを、二人の対話から探っていきます。
(取材・執筆:杉原環樹/編集:川村庸子/撮影:加藤甫)
>日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈後篇〉
「戦争的」ではない、日常のなかの「微弱さ」
森:今日、僕は宮下さんに「弱さ」についてお聞きしたいと思ってここに来ました。
――「弱さ」ですか。
森:はい、「弱いということ」について話したいんです。
今年度に始まった「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」(以下「地勢図」)では、宮下さんたちが小金井で蓄積してきたものを多摩に広げ、主に三つの活動をしています。一つ目は、小学校の図工の先生たちと素材や技術の共有をする「ざいしらべ」。二つ目は、児童養護施設の職員さんとかかわる「ゆずりはをたずねてみる」(以下「たずねてみる」)。三つ目は、作家や市民が多摩についてリサーチする「多摩の未来の地勢図をともに描く」(以下「ともに描く」) です。
その個別の話もしたいのですが、僕は、これらは宮下さんのいまという時代への応答という気がしているんです。そして、それらを根っこの部分でつないでいるのが「弱さ」を大切にする感覚ではないかと思うんです。
宮下:弱さ、というより「微弱さ」でしょうか? おっしゃる通りですが、大切にしているというより、そこにすがらざるを得ない。
――「微弱さ」が現代への応答であるとはどういうことでしょうか?
森:この数年感じているのは、文化事業は戦争の比喩で語られやすいということです。大規模イベントが代表的ですが、文化の営みの価値を計るうえでいまでも大抵の場合重視されるのは、「パワフルで、効果までの速度が速く、インパクトがある」ことなんですね。ある人はこれを「ミサイル」に例えていました。そして、我々がかかわるアートプロジェクトも、この戦争的な価値で計られがちなんです。
一方、僕は文化を戦争用語を使わずに語れないかとずっと考えてきました。でも、そうした価値のあり方は、「地味」「わからない」と言われてしまう。それは、文化を捉える認識のコードが古いステレオタイプのように見えるのです。そうしたなか、宮下さんの仕掛ける活動は旧来の型では拾えない価値を扱っている。そこに時代への応答性を感じるんです。
宮下:私がアートの持つ微弱さが大切だと思うのは、それが近代的な強い主体と客体の二項対立や、正解不正解ではない視座を提示することができるのではないか、と感じているからです。平たく言えば、「私」と「世界」の関係をズラすことができる。この10年ほどで、こんなにアートが役立つと感じるのは初めてかもしれないですね。明確な「私」や「世界」を定置したり、無条件に盲信したりすることで、実はものすごく苦しくなる。「世界」なんてありえるのかな? とさえ思います。
例えば、リサーチプログラム「ともに描く」では、参加者と「フィールドワーク試論」というものを始めています。従来のアカデミックなフィールドワークは、観察者の都合で、観察者としてのまなざしでフィールドに入るものでしたよね。観察者、そして観察はある意味で権力。それをズラしたいんです。明確な目的意識やディレクションがあると、観察者と世界の関係は恣意的で合目的的かつ固定的になるけれど、そこにアートを挟むと構え方が揺らぎ、微弱さに出会わざるを得なくなる。既存の手法では見えなかった細やかなものが見えるようになる。
どのくらいの微弱さかというと、私たちが「たずねてみる」でかかわっている、児童養護施設を巣立ったこどもの支援を行う相談所の「ゆずりは」では、そこに通う子たちがジャムをつくって販売しています。例えば、それをフィールドワークの参加者にお裾分けすると、その人の世界のなかに「ゆずりはのジャム」というものが存在しているという認識がぼんやりと立ち現れる。そして、この「ジャム経験」は、その人の日常のなかで次の回路につながっていく。そのくらいの微弱さでいいんじゃないかと思うんです。
――個人のなかの微かな変化だけど、それが日々の視線を少し広げていくと。
宮下:このプログラムのフィールドワークでは参加者に対して、大仰なものではなく、ただ、あなたの引っかかりを持ってきてくださいと伝えています。例えば電車の窓から見えた崩れている崖の話をしてくれる人がいる。でもその背景を探ると、実は平安時代まで遡れたりして、毛細血管のようなネットワークを形成している。それは揺らいでいて弱いんだけれど、この真空のような日常のなかの「何か」ではある。そんな認識のあり方を自明化したらどうかなと。

生きる術とかかわりの隙間をつくる、「微弱な」マネジメント
森:編集者の松岡正剛さんが1995年に『フラジャイル 弱さからの出発』という本を出されています。95年は阪神淡路大震災等もあり、「弱さ」という思想が注目された時期でした。でも、現在も、世間では「弱さ」へのネガティブな印象がまだ上書きされきれていない。そうすると宮下さんのような人は、世間の価値の外側にあることを「好きだからやっている」ことになってしまう。そういうプロジェクトのマネジメントってしんどいでしょう?
宮下:しんどい!
森:それをどのようにうまくやられているのか、をお聞きしたいです。
宮下:難しいですが、ひとつは「放逐」かな。あらゆることを放っておく。いろんなものが立ち上がるまで、とことん待つ。そして、自分が一番弱くあること。いろんな人にすがりまくっている。例えば、あえてプロジェクトのマネジメント経験がない人に仕切ってもらい、それを周りが助けるかたちにしたり。私がプロジェクトを運営する場合も、最初から「どう?」と周りに聞いてしまい、何かが出てくるのをただ待って、こちらで決めない。できるだけ提案を生かす、あるいはそのアイデアに助けてもらう。その方がとても面白くなります。系統立てて目的に至る、という方法は取りません。
森:そもそも宮下さんは、「微弱なもの」にどこで出会ったんですか?
宮下:トップダウンのヒエラルキーのなかで自分が縛られるのは嫌だという感覚は、幼いときからありました。うちの父は1932(昭和7)年生まれで、価値が変動した時代の人。私には兄と弟がいますが、父から言われたのは「サラリーマンになるな。生きるうえで必要なことは自分で習得しろ、国を信じるな」ということだけでした。きょうだいは結局会社員にはなりませんでした。というか、なれなかった。
あと、田舎で育ったことは大きいかもしれない。故郷は山梨の富士吉田です。その自然のなかで、お兄ちゃんは小学校3年頃になると夜9時にも帰ってこないことがあって、母が心配していると意気揚々とマムシを獲ってくるような感じでした(笑)。でも、父は怒らなかった。そのマムシは焼酎漬けになって戸棚の下にありました。そういうことが普通だったんですね。
森:じゃあ、社会的な強さを求める家庭ではなかった?
宮下:むしろ逆でしたね。既存の価値体系のなかで成功しろ、みたいなことは一度も言われなかった。私は学校が嫌いでした。高校時代は学校に「行けない」のではなくて、家を出たあと、自分からあえて行ってなかった。必要な出席数を「正」の字で数えて学校の机の上に貼っていましたよ(笑)。それを当時から、「私が決めたんだからいいでしょ?」と思っていた。父はそれも一度も叱りませんでした。
森:そう聞くと、宮下さんはいわゆる「アンチ」の構えの人でもないんですよね。
宮下:反発はとくにないです。アンチは権力と相補的だから。
森:だからこそ、余計にわかりにくいですよね。とくに、行政やビジネスのコードがきちんと身体に染み込んでいると、宮下さんの扱う価値はなかなか伝わりにくい。だけどそうした微弱な価値を丁寧に扱うマネジメントは、ひとつのスキルだと思っています。
――宮下さん個人の性質ではなくて、みんなが使いうるはずの技術だと。
宮下:二項対立のような「強い」世界の捉え方はわかりやすいのですが、それだとこぼれ落ちてしまうものがあるし、やりたいことに届かないと考えてきました。むしろそこに余白をつくって、誰もが手を出せる状況にしておくことで、「誰もが何かをできる状態」にするというか。
でも、こうした私のやり方をプロジェクトのメンバーが理解しているかというと、そうではありません。私よりもっときちんとしたメンバーは、「話がわかりにくい」というよりもわからなくて当たり前で、フラストレーションすらも感じてないようです(笑)。
森:なるほど。身近なスタッフもわからないのだから、世間からわかりづらいのは無理もない。でも実は、世間はそれを必要としているはずなんですよね。

つらく、しんどくても、自分の体で感じる
森:近年、さまざまな現場で行政側が求めるものと、文化事業者として大切にしたいことのギャップに戸惑うことが増えました。僕たちにとっては既存の価値であり、あえて扱わなくても良いように思えることが、行政的には「安心ポイント」だったりする。事業にまつわる数字が良いことや、通りの良いキーワードがあるだけで安心してしまう場面もよくあります。
例えば、この「地勢図」は2021年度から始まりましたが、実感として広がり方が早い気がしています。参加者や関係者が思ったより集まっている。その「数字の良さ」は仕掛けた側としては嬉しいことなんですが、僕はこの拡大感は「社会のマズさ」のリトマス試験紙だと思っています。学校や児童養護施設など、社会課題が背景にあるこどもにかかわる現場からのニーズが多いことには、ハッピーではない側面もありますよね。
宮下:人の集まり方には驚きましたよね。
――それだけ現場が切迫していることの現れでもありますね。

森:最近は「SDGs」を冠する活動が注目を集めていますが、宮下さんはどう見ていますか?
宮下:みんな名前を付けることがすごく好きですよね。さっきの、行政の人が既存の価値で安心するという話を聞いて思うのは、人は微弱さに耐えられないのだな、ということ。みんなすごく不安で、大きなフレームから外れることを避けてるのかなと思います。
そういうなかで、人は問題の「解決」を謳う大きな言葉や枠組みに頼りたくなる。本来、人間の目や手や体というものは、もっと多くのもの、細やかなもの、微細な変化を察知できるでしょう? でも大きなものに乗ることで、私には察知することを放棄しているようにしか思えない。
だから、それに乗らないで、自分の手が感じること、目が見るもの、それを小さくてもやり続けることしかない。もちろん、そこには何の保証もないんですが、そうして自分の体で感知した何かは生活の「よすが」にもなりえます。そのよすがをつなぐ線を、たまにはドボンと裏切られたりしながらも見つけていくこと。それは大きなものに委ねるよりもしんどくて痛いことかもしれないけれど、自分の体で感じることは、生きる実感につながっていくように思います。

森:「SDGs」はどれだけ細やかそうでも、やはり強いロジックから出てきたものに思えますね。今日話してきたような価値観さえも、「SDGs的だね」と受け止められてしまうこともあると感じています。
宮下:誰かに習ったことをトレースしたら安心、ではなくて、自分で悪戦苦闘すると見方も変わるのにね。でも、これはとても根深い問題だと思います。
森:こういうことは広義の教育の問題ですよね。「地勢図」ではこどもにかかわる方たちと協働していますが、「こども」の領域をいじろうとしているのはなぜですか?
宮下:もっとも原初的な衝動みたいなものを、こどもの残酷さも含めて肯定したいと思うからでしょうか。いまの世の中、こどもたちは上にも下にもハミ出すことが許されず平均化されてしまう。大人は二項対立的なわかりやすい世界観を押し付けるけど、微弱さの尺度を持つとグレーの領域が広がっていきますよね。例えばジェンダーも、二項対立では二つの性しか見えないけど、微弱な集合体だとむしろ差がわからなくなっていくと思うんです。
そうした細やかな目線からは、ときに驚く視点が生まれます。前回のインタビューでも話しましたが、以前、東村山の多磨全生園にある国立ハンセン病資料館を訪れたとき、あるメンバーが「ここには私たちが失った自治がある」と言って、私はそんな風に思えたことにポジティブな意味で驚いたんです。
それをただ「かわいそう」ってまなざしだけで捉えていると、何も変わらない。一方、無闇に視点の目盛を180度回転させても、それは暴力になってしまう。その間でより細かく目盛を調整して、そこにできる隙間から向こうを見ることが重要だと思うんです。
>日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈後篇〉へ
Profile
宮下美穂(みやした・みほ)
NPO法人アートフル・アクション事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様なかたちの参加によって成り立っている。多くの人の経験やノウハウが自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強み。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちを抱きつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。
多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting
文化や歴史などの「地勢」を探ることを通して、一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直すプロジェクト。2011~2020年度に東京アートポイント計画と共催した小金井アートフル・アクション!が、これまでの経験を活かして中間支援的な働きをしながら、小学校や児童養護施設など多様な団体と協働して事業を行っている。
https://cleavingartmeeting.com
*東京アートポイント計画として2021年度から実施
映像作品 アサダワタル コロナ禍における緊急アンケートコンサート「声の質問19 / 19 Vocal Questions」
新型コロナウイルス感染症の影響下、人と人とが直接言葉を交わすことが難しい状況だからこそ「必要急務」なのだと、足立区を舞台にしたアートプロジェクト『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』では、2020年の夏からアーティスト・アサダワタルとともに「緊急アンケート『コロナ禍における想像力調査 声の質問19』」と題して多くの方々に「19個の質問」を投げかけました。
この映像作品は、それらの質問と回答をもとに、バンド演奏を交え「コンサート」として発展・結晶化させた「コロナ禍における緊急アンケートコンサート 『声の質問19 / 19 Vocal Questions』」をもとに制作されました。
ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)
まちを舞台に編まれる芸術と文化
国立市文化芸術推進基本計画が掲げる「文化と芸術が香るまちくにたち」の実現に向け、行政と市民、市内外の人々が交流し、新たなまちの価値を生み出していくプロジェクト。アートやデザインの視点を取り入れた拠点づくりやプログラムを通じて、国立市や多摩地域にある潜在的な社会課題にアプローチする。





実績
多様な人々との出会いを通じて、まちとともに成長するプラットフォームをつくるために、国立近郊を拠点とするメンバーが中心となり活動を開始。2021年度は、名古屋や大阪など先行事例をリサーチし、文化芸術活動の担い手や活動の生まれ方、その仕組みについてレポートを公開した。その後も、アートプロジェクトについて考える場として映画『ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』の上映会と意見交換会を行い、地域に向けた広報の工夫や、さまざまな立場を巻き込むプロジェクトの可能性について語り合うなど、リサーチを続けている。
市内での遊休地を活用するプロジェクト「遊◯地(ゆうえんち)」では、まちのなかで当たり前になった風景、使われていない場所などをまちの余白(◯)と見立て、その場所のもともとの機能とは異なるアプローチから場をひらくことにより、新しい光景や交流を生み出すことを目指している。2022年3月には、パイロット企画としてアーティストのmi-ri meter(ミリメーター)とともに『URBANING_U ONLINE』をJR中央線の高架下空間で開催。普段は閉じている工事用フェンスを取り払い、臨時スタジオとして巨大なテントを設置した。
2022年度にはそれらの経験を活かして、普段なら見逃してしまいそうなまちの隙間にランドマークとなるテントを設置する「・と -TENTO-」を実施。国立駅から続く大通りの緑地帯「大学通り」を会場とし、巨大な地図などを用いながら市内のおもしろい取り組みや、気になっている遊休地、国立の歴史についてヒアリングしたりと、道行く人々とやりとりを交わした。2023年度からはアトリエやギャラリー、店舗を巡ってまちを横断するプログラム「Kunitachi Art Center」を主催。公開制作やまち歩きツアーなども実施し、日常のなかで芸術文化に触れる機会をひらいた。2024年度には国分寺市からの後援や、立川市と多摩信用金庫からの協力を受け、広報エリアを拡大したほか、さまざまなスペースをめぐるスタンプラリーを実施するなど、活動がまちに浸透している。
2024年度には、DIT(Do it together:「みんなで一緒につくる」という意味)を進めてきた拠点「さえき洋品●(てん)」を本格的にオープン。お金を介さず地域とつながる企画を一般公募する「ただの店」を実施し、出店メンバー7組が企画を持ち寄り、レコードなどを持ち寄って音楽を再生して語り合う会や、洋裁の相談会など、新たなかかわりが生まれはじめている。さらに拠点のそばにある谷保駅南口緑地の使い方を市民とともに考える「GREEN GREETINGS」を開始し、月に1度ほど、ガーデナーと植栽の手入れをしながら緑地の活用について話し合い、参加者同士が交流を続けている。そのほか、公式メールニュース、フリーペーパー「〇ZINE(エンジン)」の刊行など、定期的な情報発信を行っている。
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多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting
一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直す
多摩地域の文化的、歴史的特性を踏まえ、その「地勢」を探ることを通して、一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直すプロジェクト。2011年〜2020年度に東京アートポイント計画と共催したNPO法人アートフル・アクションがその経験とネットワークを生かし、小学校などの教育機関や福祉施設で働く人たち、地域で暮らす人たちとの実践の場づくりを行う。それによって個々人の抱える切実な社会課題に向き合うために人々が協働するネットワークの基盤づくりを進めている。





実績
多摩の未来の地勢図では、「ざいしらべ 図工―技術と素材について考える」「ゆずりはをたずねてみる―社会的養護に関わる人たちとともに」「多摩の未来の地勢図をともに描く」の3つのプログラムを主に行っている。
「ざいしらべ」では、多摩地域の小学校の図工専科教員を対象に、大きな木の根や竹、紅花など個人では手に入れにくい自然素材や大型素材を提供し、伝統的な技術や技法、ICTに関するワークショップなどを通じて、授業での表現や造形の拡張を促すきっかけをつくっている。2021年度には、本プログラムで培ってきた素材や道具を保管するための収蔵庫を東村山市立南台小学校に設置。さらに、多摩地区図画工作研究会とも連携し、技術が持つ広がりや役割、歴史的な背景についても知見を深めている。2023年度には14校と連携し、竹や広葉樹といった素材、布の染めや筆づくりの技法に触れる授業を実施したほか、アーティスト・五十嵐靖晃が奥多摩町立氷川小学校に滞在し、こどもや住民と交流しながら作品制作を行った。2024年度は、小学校を地域にひらく試みとして奥多摩町立氷川小学校の総合学習の授業において、造形作家・下中菜穂とともに獅子舞などの文化や自然を調べ、こどもたちが地域の歴史や慣習についての理解を深め、発表するプログラムに取り組んだ。また、昭島市立光華小学校では、アーティスト・弓指寛治が約1か月半滞在し、地域のリサーチやこどもたちとのかかわりから作品づくりを実施。そして、こうした取り組みをもとに関係者などへのインタビューを行い、冊子にまとめ多摩地域の教育機関への配布も行った。
「ゆずりはをたずねてみる」では、困難を抱えたこどもたちと向き合い、日々の業務に多忙な支援者のケアに取り組んでいる。社会福祉法人二葉むさしが丘学園のグループホームのスタッフを中心に、音楽やダンス、こころと体をほぐすためのエクササイズを通して、肩から力を抜き、隣り合う人々とゆるやかに出会い、日々を重ねる場づくりを実施。2021年度からは出張ワークショップを重ね、施設間の交流プログラム構築の可能性を探り、2023年度には「演劇を通して“ケア”を考える連続ワークショップ」へとプログラムを拡張。2024年度はその継続企画として、アートのもつ創造性や身体性からケアする・されることへの根源的な問いを探求する連続ワークショップや対話の場をひらいた。
「多摩の未来の地勢図をともに描く」は、多摩地域の文化的、歴史的特性などをふまえ、いま自分が住んでいる足元を見つめ直し、現代の暮らしや社会課題に向き合うための方法を模索する連続ワークショップ。2021年度は「辺境としての東京を外から見る」をテーマに、フィールドワークと水俣、ハンセン病に関するレクチャーを開催した。2022年度は「あわいを歩く」をテーマに、参加者が実際にフィールドを歩き、考えることで議論を深めていくワークショップを行った。2023年度には「多摩の未来の地勢図をともに描く2023 ーre.* 生きることの表現」として、「シャトー2F(にーえふ)」を作業場としてひらき、ゲストを招いたワークショップや、映画の上映会など自主企画を実施した。ほかにも、暮らしのなかでの小さな問いをもちよる「たましらべ」では、スタッフや各プログラムの参加者が定期的に集まったり、大学の研究機関に訪問するなど、考えを深める場をひらいている。
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