東京を“再読”する :(Re)reading Tokyo

「東京を再読する」では、memu earth labの森下有さんと、東京の水辺のリサーチから作品を制作してきたアーティストの齋藤彰英さんとともに、東京で「再読*」を試みる可能性や、わたしたちが生活のなかで探求に取り組むきっかけについて話し合ってきました。

この3日間では、仲町の家を対象に実験的に行った「再読」の試みやプロセスを、ものの対比や映像、トークによって紹介する場をひらきます。 東京という場所で「再読」を実践する可能性は何か。来ていただいたみなさんとともに、考えたいと思います。

* 目の前のものを見つめ、当たり前だと思っていることを問い直しながら、自身との関係性をあらためて読み返す行為を「再読」と呼んでいます。これは、北海道十勝地域の芽武(メム)を舞台にしたプロジェクト“memu earth lab”で実践されている活動です。memu earth labでは、自然物、動物、建物、道具など、さまざまなものを対象にして「再読」を試みています。

詳細・関連イベント

会場

仲町の家 (東京都足立区千住仲町29-1)

日時

2025年2月22日[土]~24日[月・休] 各日10:00~17:00

参加費

無料・事前申込不要(関連イベントのみ当日先着順)

関連トークイベント

①2月23日[日]15:00~16:30 テーマ「それぞれの実践を事例に、再読が育む視点を考える」

 登壇:森下有、齋藤彰英、小山冴子、櫻井駿介

②2月24日[月・休]15:00~16:30 テーマ「東京で再読に取り組むためには?」 

 登壇:森下有、齋藤彰英、小山冴子、櫻井駿介

注意事項

  • 各トークは当日受付、先着15名程度
  • 会場が混みあった際には、参加人数を制限する場合があります
  • プログラムの内容は変更になる場合があります

主催

東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
* 本企画は「アートアクセスあだち 音まち千住の縁 拠点形成事業 パイロットプログラム」の一環で実施しています。

まちに点在するプレイヤーをつなぎ、地域の文化的な潜在力を浮かび上がらせる——「Kunitachi Art Center」×ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)【ジムジム会2024 #2 レポート】

東京アートポイント計画に参加する複数のアートプロジェクトの事務局が集い、活動を展開する際の手法や視点を学び合ったり、悩みや課題を共有し合う勉強会「ジムジム会(事務局による事務局のためのジムのような勉強会)」。2024年度は全体のテーマを「パートナーシップ」として行っています。10月18日に国立市の「Kunitachi Art Center 2024」を見学した、第2回の様子をレポートします。

まちに広がる活動を、ひとつの枠組みでつないで見せる

アートプロジェクトの事務局は、行政や地域の施設、まちで生活する人たちとどのような関係を築くことができるのか。そんな「パートナーシップ」のあり方を探るべく、すでに地域で協力関係を広げている現場を訪ねている今年のジムジム会。その第2回では、国立市で「ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)」を展開する一般社団法人ACKTが開催していた、回遊型のイベント「Kunitachi Art Center 2024」をみんなで回りました。

店舗の入った建物と歩道の間にあるスペースに、15人ほどの参加メンバーが輪になって並んでいる

地域のギャラリーやカフェ、ショップなど、普段は展示をしていないお店も含む複数のスペースをひとつの枠組みでつなぎ、参加者をまちの新しい顔に出会わせる「Kunitachi Art Center」の取り組み。そのはじまりは、ACKTのディレクターで、国立市で複数の機能を兼ねたスペース「museum shop T」も運営するデザイナーの丸山晶崇さんが、同じ地域で活動する「Gallery Yukihira」や「STUDIO322」のメンバーと話していた際、少し離れた互いの拠点を歩いて回ったらおもしろいのではと、何気なく思いついたことに端を発します。

「最初は身内同士の話で、大きくしようとは思っていなかった」(丸山さん)という取り組みは、コロナ禍による最初の緊急事態宣言が迫る2020年3月に第1回を迎え、15箇所のスペースに、多摩を拠点とするアーティストらが作品を展開。その後、第3回までを有志で行いました。並行して、2021年にはACKTと東京アートポイント計画の共催事業として「ACKT」がスタート。「Kunitachi Art Center」も、第4回より共催事業の一環として開催することになりました。現在、ACKTでは、参加作家とスペースのフォローや、広報、ボランティアの募集など、事務局機能を担当しています。

第5回となる今回の2024年の秋開催には、18のスペースが参加。従来と同じく国立を中心としながらも、国分寺市や立川市から後援や協力を受けるなど、その規模は確実に広がりを見せています。

日常を拡張させ、市民同士のネットワークをつくる

ジムジム会の当日は、あいにくの小雨模様。国立駅北口の坂の上にある日用品店「OCUYUKI」の前で集合したメンバーは、はじめに丸山さんからイベントの背景を聞いたのち、すぐ近くの「Gallery Yukihira」へ歩いて移動。丸山さんとともにイベントを立ち上げた2組のうちのひとつであるこのスペースでは、アーティスト・げこるさんの「ゆきくに」展が開催されていました。

会場へ足を踏み入れると、部屋の中央にはテントが置かれ、壁一面には、線の引かれた大きなベニヤ板と、その上に貼られた無数のドローイングが。じつは、このベニヤに描かれている線は国立の地図であり、一枚一枚の絵は建物、不動産を表しているといいます。

蛍光灯の光る室内に、床と壁ギリギリまで単管で組んだテントのようなものが立っている。テントには工事用の幕が張られ、部屋の白い壁面には小さなイラストがびっしりと貼ってある
白い壁にびっしり貼られたたくさんのイラストを見ている人

もとは雑木林だった一帯を、大正から昭和期の開発で住宅地とした国立のまち。げこるさんはその歴史のリサーチに基づき、ときにテントのなかでドローイングを制作。絵が売れるたびに地図の空いた箇所に新しい一枚を置くことで、土地の循環を表現していたのです。さっそく出会った不思議な光景に、ジムジム会のメンバーも興味深く目を向けます。

「ギャラリーって、普段はなかなか入りづらいですよね。でも、Kunitachi Art Centerのような機会をつくると、新しい人にも来てもらえる」。そう話すのは、ギャラリー代表の福嶋幸平さん。よく行くカフェが参加しているから、ほかの店にも入ってみる。「そんな日常を拡張させる体験は、国立のような住宅地でこそ重要だと思うんです」と語ります。

横断歩道を写真右に向かって渡る6人の人。先頭の人が写真左の方を指差し、後ろを歩く人が指さされた先のほうを笑って見ている

続いて一行は、駅の南口側へ。「Gallery Yukihira」が比較的新しいスペースだったのに対して、次に訪れた「コート・ギャラリー国立」は、1994年から親子3代にわたり続く老舗のギャラリーです。普段は主に貸しスペースですが、訪問時は企画展として、鮮やかな色彩が印象的な作品を制作する青山夢さんの「変身獣の住処」展が開催されていました。

ビルの入り口。ガラス張りの入り口と、室内の壁も一部がガラスになっており、中にいる人や展示された作品の様子が少し見える。手前には展覧会のポスターが貼られた看板がある
木目の床と、白い劇面とコンクリートの壁面が混ざった室内。壁には1.5メートルくらいの大きな作品や、小さな30センチくらいの作品が点々と飾られている。部屋の中央には参加メンバーが集まり、解説を聞いている

同ギャラリーが「Kunitachi Art Center」に参加したのは、第4回から。「市民と関わるきっかけになる」というのがその理由だと言いますが、コンクリート打ちっぱなしの広く静謐な空間は、「Gallery Yukihira」とはまた異なる空気感で参加者を迎えてくれました。

一方、国立の象徴とも言える大学通りを横断した先の、路地のビルの3階にあるのが、丸山さんが運営する「museum shop T」です。1階に豊富なメニューや大盛りが売りのイタリア料理店、2階にやはりボリューム満点の丼物が人気の和食料理屋が入るこのビルは、近隣の一橋大学の学生などから愛されている、若者が多く集まる建物です。

「地域の文化と本のあるお店」をコンセプトにしたショップや、デザイン事務所機能を兼ねた「museum shop T」では、人気漫画家で、書籍や雑誌のイラストなども手掛ける堀道広さんの「ライス大盛り無料」展が開催されていました。会場には展示名通りの大盛りのご飯のオブジェなどユニークな展示物が並んでおり、参加者からは笑いが溢れました。

床と壁の白い室内・奥にはソファがあり、ソファの横には「ライス大盛り無料」と書かれた顔は目パネルのようなものがある。壁には点々と小さな作品が並び、部屋の中央には円形のテーブルと、その上に高さ1メートルを超える巨大な「赤いお椀に盛られた大盛ご飯」のオブジェがある
壁面に飾られた複数の絵画と、その下には木目の什器が並び、黒い器や雑誌が並べられている。それをかがんでみる人や、立って見ている人がいる

会場の堀さんにお話を聞くと、「国立に住んで5年目。クリエイターも多いまちですが、普段は個人で活動しているので、あまり出会う機会がなくて。今回の催しに参加して、初めて仲間として認めてもらえた感じがします」との声が。Kunitachi Art Centerは、地域のなかでのつながりを求めるつくり手にとっても、貴重な機会になっているようです。

まちのグラデーションのなかで、人の営みと文化に出会う

「museum shop T」を後にした一行は、大学通りをぞろぞろと南下。途中、一橋大学の入り口に立ち止まり、丸山さんに代わって案内役となったACKT事務局の加藤健介さんから国立の歴史についての簡単なレクチャーを受けたあと、さらに谷保駅方面へ向かいます。

レンガ調の大きな建物のある敷地の中で、傘を差し、輪になって解説を聞いている参加メンバー

「国立は、全国のなかでも4番目に小さい市です。ただ、その小さいまちに、グラデーションのようにさまざまな表情があるのが魅力です」と加藤さん。たしかに歩いていると、計画された学園都市の整然としたまち並みのなかにも、駅前の賑やかさから、一橋大学の敷地を超えた後の静かな住宅地へと、徐々に風景の質感が変化しているのが見て取れます。

緑地帯に沿うように伸びる歩道を、写真手前方向に向かって、傘をさして2列くらいの幅になって歩く参加メンバー

そんな景色の移り変わりを感じながら、次に向かったのは、閑静な住宅街の一角の、広い敷地に立つモダンな建物です。こちらは「ZEIT-FOTO kunitachi」。1978年、写真を美術作品として取り扱う日本初のコマーシャルギャラリーとして、東京・京橋に開廊した「ZEIT-FOTO SALON」のオーナー、故・石原悦郎さんの自宅を使ったスペースです。

緑の縁の窓が印象的な、二階建ての白いお宅が奥に見える。参加メンバーがそこに向かってぞろぞろ歩いている。
白い壁面、木目の天井とフローリングのあるリビングのような空間。壁には写真作品が飾られていた李、腰の高さの本棚や、黒いリビングテーブルとチェアが置いてある

ここで開催されていたのは、2025年に東京都写真美術館での個展開催も決定している写真家・鷹野隆大さんの「写真」展。残された写真用品や年代物の家具、観葉植物などが静かに置かれた生活空間のなかに、男性ヌードを含む鷹野さんの写真がさりげなく、ときに大胆に飾られた光景は、独特の緊張感を帯び、参加者たちの目を惹きつけていました。

「ZEIT-FOTO kunitachi」の住宅街からまた南に向かい、大学通りがさくら通りと直角に交わるあたりからは、より庶民的なまち並みが広がります。「このさくら通り沿いに紹介したいものがあるんです」。加藤さんがそう言って案内したのは、4本の大きな新芽を大理石で温かく掘った、彫刻家・山本恵海さんの《たけくらべ》(2018)という野外彫刻です。

道路と歩道の間の緑地帯に置かれた白い彫刻を触る参加メンバー。

この作品は、2015年から国立で開催された全国公募の野外彫刻展「くにたちアートビエンナーレ」の一環で、2018年に設置されたもの。大学通りやさくら通りには、この展示の際に制作された彫刻が多く残っています。「一方、野外彫刻は市民にはなかなかアクセスしづらく、そうした意識から市民参加型の取り組みとしてはじまったのが、僕たちの活動であるACKTです。今回の『Kunitachi Art Center』には山本さんにも参加していただいています」と加藤さん。イベントの背景への理解を深めつつ、さらに谷保方面へ歩きます。

路地の先に広がる、市民の実験の場所

人気デザイナー・小泉誠さんのスタジオ「Koizumi Studio」や、展示スペース「soko」、心地良さそうな空気が通りにも伝わる「Maru Cafe Kitchen」などの会場の前を通り、次に向かったのは、国立富士見台団地の一角にある「富士見台トンネル」です。

建築家の能作淳平さんが、自身の事務所も兼ねてつくったこのスペースは、さまざま人が日替わりで自分のお店を出すことができる「シェアする商店」であり、近年人気の高まっている谷保駅周辺の盛り上がりを象徴するお店です。出店する店舗も、カフェやご飯屋さんのようなものから、おはぎやおこわに特化した専門店、花屋まで多種多様。訪問したときは、手打ちそばのお店が出店中でした。

のれんのかかった店舗に入る参加メンバー。ガラス面の大きな扉からは中が見える

また、同じ国立富士見台団地には、一橋大学や津田塾大学の学生が、NPOとともに代々経営しているカフェや地域物産店などが並ぶ商店街もあり、日常的な風景のなかにも人々の長年の営みの蓄積が色濃く感じられました。

団地の1階にある細長い室内の店舗スペースを歩くメンバー。天井にはカラフルな球体のオブジェが点々とつられている

南武線の線路を越え、谷保駅の南口へ。その駅前にある「谷保駅南口緑地」では、市民に活用されているとは言い難いこのスペースを、参加者やガーンデンプランナーとともに月に数回手入れし、市民同士の出会いの機会とする、ACKTの「GREEN GREETINGS」という活動も行われています。

緑の生い茂った緑地を、手前の道路から見ている参加メンバー。中央の人が手ぶりをしながら解説をしている

さて、この緑地の斜向かいにある「さえき洋品●(てん)」が、今回のツアーの最終地点です。その名の通り、元洋品店の空き店舗を2023年から自分たちの手で改装し、2024年の春に本格的な運用をはじめたこの場所は、ACKTの活動拠点であり、さまざまな実験の場でもあります。

さえき洋品店と書かれた店舗の前の道路に集まる参加メンバー。明かりのついた店舗に手を向けて解説している人がいる

その試みのひとつ「ただの店」は、公募で集まった出店メンバーがそれぞれお金を介さない企画を提案、活動を行うことで、参加者同士のつながりを生み出すという活動です。現在は、レコードプレイヤーを持ってきてみんなで一緒に音楽を聴く、みんなで花に触れる楽しさを知る、みんなで自由に造形を楽しむなど、さまざまな企画が定期的に行われているようです。「この取り組みには多くの反応があり、いまは7組の方々に自分の『店』として使っていただいています。拠点を持つことによって、いろんなことが動きはじめるのを実感していますね」と加藤さん。

訪問時は、さきほどの彫刻家・山本恵海さんと、鮮やかな花の絵を描くアーティスト・三鑰彩音さんの二人展が開催されていました。道と連続するような広い入口を抜け、二人のコラボレーション作品などを眺めつつ2階に上がると、窓からは外の路地がとても親密に感じられます。こうしたまち並みとの一体感を持つ建物を拠点に選んだことにも、暮らしのなかにある小さな営みの手触りを大切にし、人がそれと出会う回路をつくってきたACKTの姿勢が感じ取れました。

白い壁面をスポットライトが照らす8畳くらいのスペースに、参加メンバーが入っている。壁には絵画が並べて飾ってあったり、中央の白い什器の上には冬季のようなものも置いてある
二階の高さから、道路に並んでいる参加メンバーを見下ろすように撮っている。何人かがこちらに手を振っている

まちの持つ文化的な土壌の豊かさを見直す

ツアーが終わり、参加者たちは緑地の前で振り返りを行いました。

「普段から地域の方々に文化に親しんでもらいたいと思ってまちに携わっている」と語る加藤さんは、「Kunitachi Art Center」をやって良かったこととして、「国立に30年ほど住んでいるご夫婦に『こんな場所があるんだ』と言ってもらえたこと」とコメント。こうした、まちのなかにインパクトのある場所が点在していることを実感したという感想は、いろんな参加者から聞かれたと言います。

一方、ACKTの事務局長の安藤涼さんは、イベントと市民の距離を近づける一つの工夫として、今回導入したスタンプラリーに触れます。押したスタンプの数に応じてトートバックやステッカーなどがもらえる仕組みで、つい会場をめぐりたくなってしまうところがポイント。「今回スタンプラリーを導入して、まちの新しい面に出会えた、自分も何かしてみたいという声を多くいただきました。ACKTの普段の活動はまだ少しまちの人と距離があることもあり、イベントの参加者を増やすうえでは、このようなわかりやすい入口が重要だと思います」。

線路をまたぐ高架橋の前にあるスペースに輪になって集まっている参加メンバー。

同時に、前回のカロクリサイクルと都立第五福竜丸展示館の1対1のパートナーシップとは異なり、国立ではパートナーがまち中に幅広くいることによる難しさもあります。そうした点を踏まえ、参加者から今後の展望を尋ねられると、加藤さんは「誰でも参加可能にして総花的になってしまうのも違うと思うんです。気軽に参加してもらうことと、自分たちが何を見せたいかということの接点が大事」と指摘。スタンプラリーについても導入するかどうかで議論があったことを明かし、「今後も悩みながらやっていく」と語りました。

最後にコメントを求められた国立市の職員からは、「市役所的に言うと、市民が(美術館のような場所ではなく)身近な場所でアートやアーティストと触れ合える環境があることが重要なこと。まちの規模が小さいからこそ、できることもあると感じた」という感想も。

実際、今回のツアーに参加しながら感じたのは、徒歩で回れるほどの範囲のなかに、バラエティに富んだスペースやショップ、そして活動する人たちを内包している、国立というまちの文化的な土壌の豊かさでした。日々の暮らしのなかでは、市民も見過ごしてしまいがちなそうした蓄積を、まちを回遊するイベントという、さりげない枠組みを使って多くの人に見えるようにすること。そのようなゆるやかなつながりのつくり方、広げ方に、ACKTの「パートナーシップ」の考え方があるように感じました。

ガラスに貼られた「KUNITACHI ART CENTER」のチラシ

「パートナーシップ」をテーマに実施している、今年度のジムジム会。第3回では、小金井を拠点に多摩地域で活動する「多摩の未来の地勢図」と、昭島市立光華小学校との取り組みについて取り上げます。

撮影:小野悠介(20枚目除く)

STUDIO322|Artpoint Radio 東京を歩く #4

「Artpoint Radio 東京を歩く」では、都内にあるさまざまな拠点を訪ね、その運営にかかわっている方にインタビューを行い、その様子をラジオとレポート記事の2つの形式でお届けします。
拠点によって、その業態や運営の手法、目指す風景はさまざま。そうした数多くのまちなかにある風景には、運営者たちの社会への眼差しが映し出されているのではないでしょうか。
本シリーズでは、拠点の運営にかかわるひとびとの言葉から、東京の現在の姿をともに考えていきます。

――

第4回は、南武線西国立駅から徒歩10分、立川市羽衣町にある「STUDIO322」を訪れました。

この付近は大通りを一歩入ると、細道に沿って小さな緑地や、昔ながらのアパートが立ち並んでいます。駅から向かう道中、公園ではこどもたちが遊ぶ賑やかな声がしたり、パターゴルフの練習をしている人がいたりと、さまざまな生活音が聞こえてきました。

回転する球形の遊具やすべり台のある公園
STUDIO322付近の風景

今回お話を伺ったのは、STUDIO322を運営する3人、赤羽佑樹(あかば ゆうき)さん、いしかわみちこさん、佐久間茜(さくま あかね)さんです。赤羽さんといしかわさんは写真家、佐久間さんはイラストレーターとしてそれぞれ活動をしています。3人の出会いやこの場所の使い方、そして東京アートポイント計画の一環としてACKT(アクト/アートセンタークニタチ)が実施し、STUDIO322も企画に携わるアートイベント「Kunitachi Art Center」についてもお話を伺いました。

コンクリートの床、白い壁や暗幕のカーテンのか買った部屋にカウンターがある。その周りに三人が立ったり座ったりしてこちらを見ている
STUDIO322を運営するいしかわさん(左)、佐久間さん(中央)、赤羽さん(右)

STUDIO322について

――まず「STUDIO322」という名前の由来を教えてください。

赤羽 :もともと場所をもつことを目的としていたので、その場所を端的に表せる名前にしたかったんです。なので、住所の羽衣町2丁目3-22を名前につけようと思って。2322だとちょっと長いので、最後の322だけとりました。

いしかわ:名前をつけたらロゴも欲しいねという話になって、「じゃあ佐久間、お願いします!」みたいな流れで佐久間がイラストレーターなので、ロゴもつくってくれたんですよね。

――3人はどのような関係で集まって、どのような経緯でこの場所をはじめることになったのでしょうか?

赤羽:僕らは武蔵野美術大学の仲間で、佐久間は学科の後輩、その後には大学に事務として勤めていたり、みちこさんは学科こそ違うけど助手の同僚でした。ムサビでは「助手展」といって、美術館を使って研究室のスタッフがそれぞれの作品を展示する機会があるんですけど、僕とみちこさんがその運営メンバーをやっているときに、佐久間がイベントの手伝いに来てくれたのが3人出会った最初かな。それから任期の関係で、たまたま同じタイミングで大学を出なきゃいけなくなったんです。

でも制作したり仕事で撮影をするにも、やっぱりアトリエとかスタジオが必要だし、場所が欲しいよねって話していて。それで一緒にどっか借りようか、というのがきっかけですね。

佐久間 :もともとは、赤羽さんといしかわさんの2人が写真のスタジオが欲しいって言っていて。そこに、たまたま近くにいたわたしが来た感じですね。

いしかわ:家賃の問題とかもあったし、せっかくなら佐久間に声かけてみたらいいじゃんってなったんですよね。

机の前で両手を広げて笑顔で話すいしかわさん

――なるほど。この場所はどのように決めたんですか?

赤羽 :立川、国分寺あたりのエリアで探していたんです。そしたら、たまたまここが見つかりました。立地的なことで言うと、やっぱり全員にとってムサビが一番身近なので、自宅も近いし、通いやすい場所だったという感じですね。

いしかわ:はじめに下見に来たときは、この建物の地下のスペースの募集をしていたんですよ。そこは結構、手を入れる必要がありそうで、借りるのはちょっと難しそうだったんです。お店をひらくのであれば返ってくるお金があるかもしれないけど、スタジオとして使っていくには、初期費用をそこまでかけられないと思っていたんです。

そしたら1階も空いてますよと言われて、見てみたら全然手を入れなくても使えそうな感じだったので、ここに決まりました。実際に電気工事と壁を塗ったくらいで済んだんです。

コンクリートの天井に、鉄製の棒材が格子状に組まれ、ライティングレールも通っている
STUDIO322の天井。写真スタジオや展示に使いやすいよう照明のレールを整備した

――近くにいた人と、馴染みのある場所ではじめたんですね。この場所の日々の使い方はどのような感じなのでしょうか。スタジオ撮影が必要なときや、イラストの場合は大きい絵を描くときに使うくらいで、基本的なお仕事は家でされているのですか?

佐久間 :わたしはそうですね。

赤羽 :僕は半々です。基本撮影はスタジオワークが多いので、ほとんどここでやっています。それ以外のデスクでやる作業、たとえば現像やレタッチなどは自宅でやっています。

いしかわ:わたしは、自宅でもやりますし、こどもがいるので離れて一人で集中して作業したいときには、ここでデスクワークをすることもありますね。

――毎日通う仕事場って感じでもないんですね。

佐久間 :そうですね、何かあるときに来ている感じだから、毎日通う職場みたいなものとはちょっと違うかも。

赤羽 :かといって、アトリエに全振りしてる感じでもないというか。いわゆるアトリエって、ペインターだったら描きかけの絵があって、それを毎日アトリエに行って描き足していくみたいなイメージがあると思うんですけど、そういうところでもないんですよね。

たとえば、つくりかけの絵とか、制作風景がそのまま広がっていたら、ちょっと見られたくないこともあるかと思うんですけれど、ここにはお客さんが来るし、こういう見た目の物件なのでひらくことには全然抵抗がなかったというか。でも、たしかに職場ってわけでもない。

全面ガラスの引き戸が入口になった、白い壁面のビルの一階部分の外観
STUDIO322の外観

――スタジオやアトリエとして使う場所には名前をつけない場合もあると思うのですが、あえて名前をつけたりロゴをつくったのはなぜですか?

いしかわ:Googleマップに載せたかったんですよ。場所の名前があって、ウェブサイトもあると、わかりやすいじゃないですか。

赤羽:クライアントさんと仕事をするにしても「ここです」って示しやすいから、やっぱり名前はあった方がよかったんですよね。ほとんどそれが目的だったんじゃないかな。

佐久間 :そうですね、でも借りた段階で「名前はどうする?」みたいな感じがあった気がする。名前をつける前提があったというか。

いしかわ:名前があるならウェブサイトもほしいね、やっぱりつくるかみたいな感じで盛り上がっていたよね(笑)

――入口がガラス扉で開放的で、通りがかりの人も気になる場所だと思います。普段ここを使っているときに、ふらっと人が入ってくるみたいなことはありますか?

いしかわ:わたしが使うときはシャッターを閉めていることがほとんどなので、誰かが入って来ることはないですね。

赤羽 :僕もそうなんです。

いしかわ:撮影スタジオとして使うと、シャッターを開けていることがほぼないんですよね。シャッターは真ん中と左右とで3枚あるんですけど、開けるとしても真ん中のシャッターを半分ぐらいみたいな使い方をしていて。外からみると、何かやってることすらわからないかもしれない。

初めてのお客さんが来る場合は、わかりやすいように歩道に看板を出すんですけど、そのお客さんが来たら看板をしまうみたいな感じです。だから看板が出ているときは、通りがかりの人にすごく見られます。

赤羽 :そうそう。お店できたのかな、みたいな感じで。

道路に立っている、膝の高さほどの白い看板にSTUDIO322のロゴマークが描かれている
STUDIO322の看板

――なるほど。一方で、「Kunitachi Art Center」というアートイベントで年に一度、場所を公開する機会もあるんですよね。はじめからこの場所をスタジオ利用だけでなく、イベントでひらいていく想定もあったんですか?

佐久間 :はじめは、ひらくつもりはなかったですね。

赤羽 :物件がこういう感じで、外から内側が見えやすい物件だったんで、ちょっとよぎってはいたのかもしれない。でも、具体的な想定があったわけではなかったですね。

――お話を聞いていると、この場所は制作と生活の延長にあるような印象を受けます。自分の部屋を半開きにしているような感じというか。

赤羽 :それが一番しっくり来るかもしれない。家っぽいですね。ここがないイメージもできないし、ないとめちゃくちゃ困るだろうし。

佐久間 :共用で使っている大きい部屋みたいな感じですよね。Kunitachi Art Centerに合わせて1年に1回オープンスタジオをするくらいが、リズム的にはちょうどいいのかもしれない。イベントの期間中、実際にここを開けてるのは2週間とか3週間だけですけど、そのためのやり取りは、1年間通してずっとしているから、場所としては閉めているんだけど、周りの人とずっとかかわってはいるんですよね。

Kunitachi Art Centerと322

――Kunitachi Art Centerの立ち上げにもかかわっていると伺っています。その経緯について詳しく聞かせてください。

赤羽 :ここにSTUDIO322を構える前の段階で、今年(2024年)もKunitachi Art Centerの企画運営を共同でやっているスペース「museum shop T」さんと、「Gallery Yukihira」さんとは別々に出会っていたんです。museum shop Tの丸山さんに自分の作品を買っていただいたのがきっかけで、ばったり会うと立ち話をしたりする関係でした。そのなかで、今度国立の方面に引っ越すんですよと言ったら、それなら一緒に何かやりましょうって話になって。最初はKunitachi Art Centerとしてではなく、museum shop TとGallery Yukihiraが共同で展示をやって、そこに僕が作家として参加するかたちでした。そうしたら、せっかくつながりができたから、もうちょっと広くできるといいよねという流れでKunitachi Art Centerをはじめることになりました。

――Kunitachi Art Centerの企画が立ち上がった段階で、322としては赤羽さんお一人というより、3人で一緒にという感じだったんでしょうか?

いしかわ:わたしは、ちょうど出産があり、初開催になる2020年にはがっつりかかわれてはいないんです。

赤羽 :でも、僕だけが打ち合わせに行って参加してきますという感じじゃなくて、みんなで企画に参加しているという意識はありましたね。2020年のときからすでに、12か所のギャラリーやアトリエといったアートスペースが参加していて、国立市内やその近隣エリアの展示とまちを見て回るような仕組みをとっていました。そうすると、やっぱり準備することも多くて、1年中それぞれ何かしらで動いているような感じですよね。自分たちの場所以外の展示を企画したり、作家さんに声をかけたり、特設ウェブサイトをつくったり。

STUDIO322の白い壁面に掛けられた作品を見ている3人がいる
Kunitachi Art Center 2024の様子(撮影:いしかわみちこ)

――Kunitachi Art Centerの期間は、STUDIO322ではどのような展示を開催しているのですか?

いしかわ:いろいろ試しています。わたしたち3人の作品を混ぜて展示したこともあるし、それぞれにスペースを区切ってやったこともあるし、個展みたいな感じでやったこともあるし。オープンスタジオはこの形式だ、みたいな決まりは特になくて、その都度どうするか話し合いながら、年ごとに違う感じで展示しています。

赤羽 :話し合いで出たアイディアは積極的に採用していくスタンスですね。やりたいことをやることが一番です。

佐久間 :Kunitachi Art Centerでは322に初めて来る人もいれば、毎年この機会に来てくださる知り合いの方もいて、たくさんの人が来てくれるから「最近どうしてんの?」みたいな話をするきっかけになるのもいいなと思っています。単純に作品を見てもらえるのも嬉しいし、ちゃんと話すうちに「今度撮影してほしいんだよね」みたいな話も出てきて、それぞれの仕事につながるきっかけにもなっているのかな。ずっと閉じて使っているだけじゃなくて、ひらくことによっていろんな人が来て話すきっかけになればいいな、と思っています。

赤羽 :オープンスタジオとは言っているんですけど、アトリエのありのままとか、制作している風景を見せるというよりは、作品を展示して見せることが多いです。ただ作品展示といっても、いわゆるギャラリーとか美術館とかではないので、実験的に試している成果だったり、新作だったりを見せられる、そういう機会になっていますね。

白い服を着た人が、両腕をあげる身振りをしながら座って話している

――お話を聞いていると、STUDIO322の運営は仕事や生活の延長にあって、展示ではそれぞれのやりたいことを大切にしていて、とても緩やかな印象を受けます。一方でKunitachi Art Center全体の企画運営となると、また雰囲気は変わるのではないでしょうか ?

いしかわ:わたしたち、前職がすごい細かさを求められる仕事だったんですよ。助手もそうだし、事務方も。それがアートセンターに存分に活かされてる感じですね。

佐久間 :あとね、3人ともイベントが好きなんだと思いますよ。自分からめっちゃ発信するタイプじゃないけど、やるって決めたらそれはちゃんとやろうよ、みたいな。イベントをやるなら楽しくやった方がいいじゃんというテンションは共通していますよね。

いしかわ:確かに。楽しいと思ったことはすごい頑張れる気がするね。

佐久間 :イベント好きっていう言葉だけだとちょっと違うかもしれないけど、さっき赤羽さんが話してたように、みんな面白くないと思うことはやりたくないんだと思うんです。たぶんKunitachi Art Centerも、事務的なことで細かく気になっちゃうことはあるけど、より良くしたいとか、こうした方が楽しそう、面白そうみたいなものを共有しているんだと思う。そういう方向性が似ているのかもしれないですね。

赤羽 :この場所のロゴをつくったら楽しいじゃんっていうのも、そういう感覚が同じだからなのかもね。ロゴいらなくないですかっていう感じにはならないよね(笑)

ひらくこと、とじること

――Kunitachi Art Centerの企画や、322をつくったことで生まれたつながりはありますか?

いしかわ:Kunitachi Art Centerで知り合って、撮影のお仕事をさせていただいているギャラリーさんがあります。この企画がなかったら知り合わなかったし、こういう場所があるって知ってもらったから仕事を頼んでくれているんだと思います。

赤羽 :場所があるのは仕事にとってかなり大きいですよね。スタジオワークが得意ですよって言ってもその都度スタジオを借りていたらその料金がプラスでかかってきちゃうし、交通費もかかってくる。そんな手間もお金もかさむところを「うちのスタジオでやりましょう」で済ませられる。だからこそ仕事を頼んでくれる人がいるだろうなと思いますね。

両手を横に振る身振りをしながら話している、黒い服と黒い帽子を被ったひと

――基本的には3人で運営費を出し合って使っているんですよね。お金の工面のために場所貸しをしようみたいな話になったことはありますか?

いしかわ:ありますね。でも、大事な機材とかも置いてあるので、不特定多数に貸し出すのは難しいなって話しました。知り合いから借りたいって言われたら、あらためて貸し出すかどうか考えるとは思いますけど、いまのところそういう話も特にないですね。

赤羽 :なんか……あんまり面白くなさそうなんでしょうね。場所を貸してお金になったとしても、その時間に自分はここで何をしてるんだろうって考えると、面白くなさそうだなって、いま思いました。

佐久間:そうですね。話題になったことはあるけど、実際にはあんまり場所を貸し出すことに興味を持っていないのかもしれない。

――なるほど。この場所で稼いだり、まちにひらくというより、あくまでそれぞれのお仕事や、やりたいこと、面白さを感じられるのかが前提にあるんですね。

赤羽 :つい最近ですが「Kunitachi Art Center 2024」で地域がテーマのトークイベントがあったんです。小平市にある「WALLA」というスペースの運営チームが出ていたんですけど、僕たちに比べてWALLAはひらくことをすごく意識しているように思ったんですよね。地域にいる人たちの目線も含めて、その場所がどのように見られるのかも意識している。WALLAにも道に隣接した大きなガラス面の窓があって、そこから中を覗くと作品が展示してあるっていう風景を意識的につくっている気がしたけど、322は全然そういうのがないって思ったんですよ。

この場所は、普段はシャッターも閉めちゃうし、近くの人たちにこの場所に自分たちがいるということを積極的には見せていない。でもKunitachi Art Centerになると、この場所を公開して、見てくださいってなるじゃないですか。なんというか、かかわりたくないわけじゃないんですよ。地域の人たちや、Kunitachi Art Centerに参加してくれてる人たちとか、むしろかかわりたい気持ちがあるからオープンスタジオの機会があるんですけど。

佐久間 :3人だけだとやらないんでしょうね。ほかにもいろんな人がかかわっている、それならせっかくだからやろう、みたいな。

322と3人

――Kunitachi Art Centerのほかに、3人で企画をつくろうとか、仕事をしようとか、そういう話はこれまでにあったのでしょうか?

赤羽 :それこそSTUDIO322という名前をつけて環境を整えたときに、チームでもっと動けるんじゃないか、みたいな話は出たことがありました。でも、やろうとしたけど、なんだかあんまり上手くいかなかったんですよ。

佐久間 :いかなかったね。3人でやってみた仕事もあったけど、あまり積極的に自分たちから仕事をつくっていく感じではないかもしれないです。そういう仕事の依頼があれば一緒にやりたいと思うけど、積極的に3人でやろうっていう感じではない。せっかく広い場所があるから、イベントとかワークショップができるね、みたいな話は時々するけど、それもまだやってないですね。いまはそれぞれの仕事でいっぱいいっぱいなのかもしれない。

机を囲んで話してるひとが6人いる。周りには白い稼働壁が2つあり、一つには小さな絵が10枚飾ってある

――それぞれ仕事もあって、3人でこの場所を共同運営もしていて、バランスを取り続けるのは大変なんじゃないかな、と思ったのですが、意見がすれ違って上手くいかなくなるようなことはなかったんでしょうか?

赤羽:それはないですね。いまはそれぞれが使う頻度のバランスが良いんですよ。たとえば、月曜から金曜までずっとこの場所を使う予定が入ったときにも、ほかの2人は予定が入っていなかったりして、なんだか不思議とうまく収まっていますね。

佐久間 :もっときれいに使ってよ、とかもないし。

赤羽 :共同の場所を使うことに慣れているからかもしれません。学生時代から助手時代まで、ずっとそういう場所で制作しているから。

佐久間 :使い方のルールとかがあるわけでもないしね。

赤羽:だからもし、もう一人メンバーを増やそうと思ったら、その人にむけたマニュアルが必要になるのか。そう思うと大変だ。

佐久間:たしかに。この感覚を共有するのは大変かもしれないですね。

――なるほど、すごく自然にバランスを保っているんですね。それは、たとえば誰かが休んでいるときは、ほかの2人がフォローできる体制があるから、ということもあるんでしょうかね。

いしかわ:そうですね、それはありますね。

赤羽:322としては、誰かが窓口を担当している感じでもなく、3人に連絡してもらって、3人の誰かが返すみたいな感じなんですよ。スペースとしての窓口が3つあるような。

いしかわ:自然に分担されていく感じはありますね。やれる人がやったらいいというスタンスで、自分は会議に行けなかったけど、佐久間が議事録をとっていてくれてありがとうとか、細やかな感じがある。

赤羽:基本的には何を担当するとかって厳密には決めていなくて、得意なことを得意なひとがやるというイメージです。

いしかわ:喋るのは赤羽さんとか、デザインは佐久間さんとか、じゃあわたしは記録を取るわとか、そういう感じで。やれること、得意なことを振っていくスタンスですね。逆に今日はわたしが喋りたいですとか、そういうことがあっても許容してくれると思います。

両手を横にふる身振りをして、座りながら話しているひと

――この場所を3人で運営していることで、お互い刺激を受け合ったり、変化したと思うことはありますか?

赤羽:変わったことがあるとしても、322をつくったからじゃなくて、何か人生のフェーズの問題が影響している気がしますね。いしかわさんは出産の経験が一番大きいだろうし、そこから子育てがはじまってこどもも大きくなってという流れが、ちょうど322とともに歩いている。

いしかわ:たしかにそうですね。歳をとるごとにかかわり方が多少なり変化していっていると思います。

――それぞれのライフステージを受け入れながら、柔軟にやっているんですね。

赤羽:最優先事項だよね。みんなどうなるかわかんないし。でもやっぱこの場所はずっと続けたい。

佐久間:みんなフリーランスでやってるから、同じ働き方をする人が近くにいるのは心強いかもしれない。新作をつくったんだとか、こういう仕事をやってんだみたいなのを近くで見て話せるみたいな。それは場所ありきじゃないかもしれないけど、一緒にやっている感じがいいんですよね。

――最後に、STUDIO322の今後の展望について教えてください。

赤羽:あらためてになりますが、いまはバランスがちょうどいいと思っていて。いろいろ話しましたけど、やれることがあればやりたいし、まちにひらくことが面白そうであれば、やっぱりひらいてみたい。でも、いまKunitachi Art Centerで年一度のペースでオープンスタジオをやっていて、それが生活のバランスとしてもいいんです。生活、制作、仕事のバランスを保つ上で、この場所はもう不可欠な状態になっているから、やっぱりここを手放さないようにしたいですね。作品が大きく取り上げられたいとかそういう野望よりも、つくっていたいっていう思いがあります。そして、ずっと制作したいのと一緒で、ずっとこの場所がないと困るみたいな感じです。だから維持していきたいなと思っています。一見、つまらない答えかもしれないけど。

いしかわ:わたしも維持ですね。何か思いついたときに、すぐ試せる場所があるのはありがたいんですよ。これをやってみたいけど、スタジオ借りて人を手配してっていうのはすごく大変なので、ポンッと思いついたときにぱっと実現できるというのはすごくいいことだと思うんです。そういうことを、これからもいっぱいやっていけたらなと思いつつ、それがお金に結びつくならラッキーだし、結びつかなくてもすぐ試せるっていうとこだけでもいいポイントだと思う。だから、新しいことをしたいぜっていう気持ちはありつつも、いまは生活とのバランスを優先したい。バランスを見ながら、現状維持ですね。

佐久間 :わたしも維持です。この場所をすごく発展させたい、みたいな感じでもないから。話したみたいに、自宅のほかにもう一つ部屋があって、一緒に相談できる人たちもいてっていう、いまの状況がちょうどいいなと思っています。一人で仕事をしているとどうしても閉じこもっちゃうところもあると思うけど、この場所があるとそうじゃなくなる。だから続けられたらいいなと思います。

赤羽 :たぶん、場所の運営そのものが、3人のやりたいことじゃないんだと思うんです。3人それぞれがやりたいことのために場所があって、それはないと困るからずっと維持したい。まずそれぞれの活動があって、それに合わせて柔軟にやっていきたいっていう感じですね。

コンクリートの床、白い壁や暗幕のカーテンのか買った部屋にカウンターがある。その周りに三人が立ったり座ったりして微笑んでいる

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場の運営よりもさきに、それぞれの制作や生活、仕事がある。そのなかで周囲のひとびととの関係や、やりたいことに合わせて柔軟に変化する姿勢が印象的でした。
拠点というと、さまざまなひとが集まったり、常にオープンであったりする。そんな場所をイメージすることが多いと思います。しかし室内空間はもともと閉じられた、プライベートな空間でもあるはず。STUDIO322のインタビューを通して、無理のない範囲でまちにひらく時間を混ぜつつも、それぞれのやりたいことを見失わないプライベートさを担保する大切さを感じました。

――

STUDIO322
住所:東京都立川市羽衣町2丁目3−22 ファンタジア壱番館 1階
アクセス:JR南武線西国立駅から徒歩10分
公式ウェブサイト:https://st-322.com/

話し手:赤羽佑樹、いしかわみちこ、佐久間茜
聞き手:櫻井駿介、小山冴子、屋宜初音
執筆:屋宜初音
編集:櫻井駿介、小山冴子
撮影:齋藤彰英 *「Kunitachi Art Center 2024の様子」の写真を除く

>YouTubeでは短編ラジオを公開しています

Hand Saw Press|Artpoint Radio 東京を歩く #3

「Artpoint Radio 東京を歩く」では、都内にあるさまざまな拠点を尋ねてその運営にかかわっている方にインタビューを行い、その様子をラジオとレポート記事の2つの形式でお届けします。
拠点によって、その業態や運営の手法、目指す風景はさまざま。そうした数多くのまちなかにある風景には、運営者たちの社会への眼差しが映し出されているのではないでしょうか。
本シリーズでは、拠点の運営にかかわるひとびとの言葉から、東京の現在の姿をともに考えていきます。

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第3回は大田区の田園調布本町にある「Hand Saw Press」を訪れました。

東急多摩川線沼部駅から徒歩10分ほど、大きな戸建て住宅が立ち並ぶ、閑静な住宅街のなかにあります。羽田空港に近いからか、空を行く飛行機の音が頻繁に聞こえます。駅から緩やかな上り坂を歩き、Hand Saw Pressに向かいました。

住宅地のなかの道路を歩く2人の後ろ姿がある
Hand Saw Pressに向かう道中の風景

Hand Saw Pressはリソグラフ印刷とDIYのスタジオとして、2018年武蔵小山にオープンしました。オープン以降、4度の引っ越しを経て、2023年に現在の大田区に移転しました。スタジオには壁一面に、チラシやポスターなど、カラフルなリソグラフの印刷物が広がっています。リソグラフとは、理想科学工業株式会社が販売しているデジタル孔版印刷機のことを指します。もともと、単色や2色刷りの印刷物を高速で大量に印刷する事務用印刷機として発売されたもので、ズレやカスレが生じる独特の風合いが特徴です。

今回はHand Saw Pressの運営メンバーである安藤僚子(あんどう りょうこ)さんにお話を伺いました。純粋にものづくりができる場所が欲しかったと話す安藤さん。Hand Saw Pressを一緒に立ち上げた小田晶房(おだ あきのぶ)さん、菅野信介(かんの しんすけ)さんとのつながりから、リソグラフのまわりに育まれるたくましいコミュニティ、大人がものづくりを楽しめる場所の貴重さなどをお聞きしました。

白い壁に貼られたたくさんの印刷物の前に立って微笑む人がいる。その横には印刷機が置いてある
Hand Saw Press運営メンバーの一人、安藤僚子さん

Hand Saw Press、リソグラフ印刷について

――いろんな種類の機械が並んでいますが、Hand Saw Pressにはどんな種類の機械があるんですか?

安藤:いまはリソグラフの印刷機が4台と、紙を切る断裁機が1台と、製本機が3台ですね。あと、ページ順に差し込んだ紙を並べてくれる丁合機があります。

リソグラフは全部中古で買いました。シングルドラムの小型リソグラフもあって、これは持ち運びができるから出張イベントではトラックに積んでいろんなところで印刷をしています。印刷をはじめると次は紙を切りたくなって断裁機を買ったり、そうすると今度は製本機も欲しくなったり。ここに引っ越すときにスペースが広くなったので、貯めたお金で機材を買い揃えました。Hand Saw Pressをはじめて6年目、徐々に機材が増えてきましたね。

壁沿いにさまざまな種類の機材が並んでいる。2メートル位の高さ棚が据え付けられていて、カラフルな筒状の道具がびっしり並んでいる

――すごい! もうここだけで本がつくれますね。

安藤:はい、小部数の手づくりの本はつくれますね。

――利用者には制限がなく、誰でも使えるのでしょうか? またどんな方が多く利用されているんでしょう。

安藤:誰でも使えます。利用者としては、自分の展示のためにポスターをつくりたいアーティストやデザイナーが来るし、ZINE(ジン)をつくる人も多いですね。アーティストに限らず、趣味で年賀状とか名刺とか、企業の人が仕事でポストカードやインビテーションカードをつくりに来ることもあります。

でも、やっぱり個人の作品をつくりにくる人が多いかな。わたしたちはいわゆる“印刷屋”ではないので、データだけをもらって、見積もりを出して納期までに印刷するみたいな業態にはしていないんです。この場所に来てもらって、一緒に立ち会ってつくるという受け入れ方をしています。

リソグラフが生む表現とコミュニティ

――リソグラフ印刷の仕組みについて聞きたいのですが、これは何度も複製が可能な印刷方法なんでしょうか?

安藤:版印刷なので、厳密には複製ではないんですけど、増刷はできます。毎回印刷する度に色ごとに版をつくらなきゃいけないんですが、版は安く使い捨てなので、何度も使えるものではありません。でもデータがあれば、また版は簡単につくれるので、増刷もすぐにできちゃいます。

リソグラフは一度にたくさんの色を印刷できないので、多色刷りをしたい場合には時間がかかるんです。綺麗に刷ろうと思うと、やっぱり100枚とか200枚くらいがちょうどいい。手づくりでちょうどいいぐらいの量を刷るのが得意な機械だと思います。

さまざまな印刷物が貼られた白壁の前に、高さ1メートルほどのグレーの印刷機が置いてある
リソグラフ印刷機

――一度に刷れる色数が決まっているということは、手軽だけど、絶対に間に手作業が入るんですね。

安藤:そうなんです。一度に2色しか刷れないから、多色刷りにしたい場合は、まず2色刷ったら一晩乾かして、次の日に次の2色を刷る必要があります。それに、何回も重ね刷りをするとそれだけ乾かす時間が必要になるし、一枚の紙にたくさんインクがのると印刷機への紙通りが悪くなるので、一枚ずつ、ゆっくり時間をかけて印刷しないと綺麗に仕上がらなくて、手刷りするくらいのスピードまで落とすようなときもあります。版がズレたりして結構ロスも出ますしね。

あと、仕上がったものが汚れるといけないから、刷ったあとに一枚一枚の間に合紙(あいし)を挟むんですけど、その合紙を抜く作業にもすごく時間がかかります。たとえば片面6色刷りの両面印刷を300枚刷るとすれば、2色刷って合紙を入れるという作業を300枚分しますよね。刷り終わって合紙を抜くのに1時間かかって、また違う2色を重ねて刷って、合紙を抜いて……という作業を6回繰り返すというように結構手間がかかるんですよ。だからこそ、なんだかんだここに通って作品を完成させる人は、すごく真面目な人が多い印象があります。チャチャっと済ませるようなことはできないんですよね。

――手がかかるし、すぐ完成できるわけではないから、つくることに時間をかけられる人に向いているのですね。

安藤:もともとリソグラフ自体が、こんなに多色刷りで使う機械として開発されていない、とてもアナログな機械だというのが大きいです。だけど、その多色刷りの手間や風合い自体も面白い機械なんだっていうことを海外のアーティストたちが発見して。そこから日本でも多くのアーティストが好んで使うようになりました。ヨーロッパを中心にいろんな国にリソグラフのスタジオができて、最近は日本でもリソスタジオが増えてきました。リソグラフ のメーカーからすれば、想定外の使い方をする人が現れてしまった……みたいな感じかもしれません。

壁面に飾られた様々な印刷物。額縁にいれられたクマのような動物のイラストや、カラフルな幾何学模様、グラデーションに刷られた蝶のようなシンボルなどたくさんの種類が所狭しと並んでいる
スタジオにはリソグラフの印刷物が壁一面に広がる

――なるほど。使い方にしても使う手間にしても、リソグラフをひとりで使いこなすのは難しそうな印象を受けます。

安藤:海外では日本のようにリソグラフ直営の会社が少なく、十分なサポートを受けられないから、使い方を周りの人に聞いたり、みんなで調べたりしながら使っているんです。そうした情報をシェアするサイトもあって、「このパーツを持ってないですか」とか、「ここが壊れちゃったときはどうしていますか」とか、それぞれ質問を書き込んだりお互いに知ってる情報を教え合ったりして、リソユーザーが結束しているコミュニティができているんです。そういうシェアカルチャーにわたしたちも憧れていて、そのサイトを見ながら自分たちもわからないことを調べたりしていました。だからこそ、リソを独占せず「シェアの精神」は強く意識しています。

あと、海外ではDIYの文脈で使ってる人が多いんです。無いものはつくる、足りない道具は貸し合うといった、DIY精神の空気感があります。そこにも憧れがあって、わたしたちもそういう思想をもつスタジオになりたいという気持ちがあるんです。だからこそ、自分たちだけじゃなくて、同じような気持ちからリソスタジオを新しくはじめる人がいても大歓迎だし、リソ友達が増えるのも嬉しいんです。

実際に自分たちも海外のスタジオからいろんなノウハウを教えてもらうんです。何十年もリソグラフスタジオをやっている先輩たちと仲良くなってからは、印刷のテクニックとか、トラブルのときにどうしたらいいのかとか、みんな惜しみなく教えてくれるんです。さらにリソグラフですごくかっこいい本をつくり続けていて、それをお互いの国に行ったときにスタジオを訪ねて見せあったり、アートブックフェアで出会ったときに交換しあったりする。そういう世界を見てきたからこそ、自分たちも世界のリソコミュニティにいるという意識で続けているところはあるかなと思います。

――手伝いあったり、技術を交換したり、そうやって広がってきた文化なんですね。日本のリソスタジオのなかでもHand Saw Pressは認知度が高いなと感じますが、外に向けたブランディングなど意識的にされているのでしょうか?

安藤:いや全然ないです、ノーブランディングですよ(笑) Hand Saw Pressの認知度というより、それだけリソグラフ自体の人気があるんだと思います。リソグラフに関わるなかで嬉しいなって思うのが、Hand Saw Press で出会ったアーティスト達に声をかけて、イベントや「ZINE祭り」のような集いを開催したりもするのですが、そこで出会った人どうしがつながって新たな関係が生まれていくことですね。たとえばHand Saw Pressのロゴをつくってくれたデザイン事務所の元スタッフの女性が独立して小さいギャラリーをオープンしたんです。そのギャラリーでは、彼女が「ZINE祭り」を通して出会った若いアーティスト達が次々と展示をしています。ほかにも、お互いのZINEに文章とかアートワークを提供しあったりなど、勝手にみんながつながって、広がっている感じがすごい嬉しいです。

印刷物がたくさん貼られた壁の手前側には1メートルくらいの高さの棚があり、その上に観葉植物がいくつか置いてある。その手前に座って横を向いて話す人がいる

――この場所がつながりの起点になっているんですね。

安藤:そうなっているなら超嬉しいし、やってきた意味があったかな。とても光栄ですね。

Hand Saw Pressのスタジオでリソグラフを使うのも基本的にはメールでの予約が必要だし、お店みたいにふらっと立ち寄れる場所でもないし、すごくアクセスしにくい場所なんじゃないか、敷居が高く閉鎖的に感じられているんじゃないかと心配しているんですけど、そうじゃないんだったらほっとしますね。

Hand Saw Pressの立ち上げとこれまで

――安藤さんはいつごろからリソグラフを使うようになったんでしょうか?

安藤:わたしはインテリアデザインが本業なんですが、2012年から武蔵小山に友達とオフィスをシェアしはじめ、いまでもそこを拠点に働いています。一緒にHand Saw Pressを運営している菅野くんは、私の事務所ができる前から、武蔵小山の商店街の裏手で「AM-A-LAB(アマラブ)」というジャマイカ料理のレストランを友達とやっています。その店には、しょっちゅうご飯を食べに通っていたし、仲間のたまり場のような場所だったんですよね。もう一人のメンバーの小田さんは、当時渋谷で「なぎ食堂」というヴィーガンレストランをやっていたんですが、2016年に武蔵小山にも2店目を開いたんです。それで3人とも近所の知り合いという感じで仲良くなりました。

小田さんの武蔵小山の食堂は店内に6席ぐらいしかないような、すごく狭い店で、でも、その片隅にリソグラフが置いてあったんです。小田さんは飲食店を切り盛りしながら、「map」という音楽レーベルにも携わっていて、アメリカのインディーズミュージックカルチャーに詳しく、向こうのミュージシャンがリソグラフを使ってファンZINEみたいなものをつくっているという情報をいち早く入手していたんですね。それで、自分もミュージシャンと一緒にZINEをつくったり、レコードのジャケットを刷るためにリソグラフを買ったんだって自慢したりしてたんです。でもそんなに使いやすい機械じゃないから、普段は上にお皿とか鍋とかが置いてあって(笑) 食堂が閉店した後だったら使いに来ていいよって言ってくれたので、自分でZINEをつくるときに使わせてもらったのが、リソグラフを使ったはじめての機会でした。

――たまたまリソグラフに巡り合ったんですね。そこからHand Saw Pressは、武蔵小山にオープンしたと伺っています。オープンまではどんな経緯だったのでしょうか?

安藤:リソグラフって使ってみると、すごく面白い機械なんですよ。小田さんも、食堂に置いたままでは使いづらいし、「いつかリソグラフスタジオをつくりたいんだよね〜」て言ってて、「たしかに、そんな場所が自分の町にあったら最高ですね」なんて3人で話していたら、たまたま近所に半年限定で安く借りられる物件が見つかったんです。それで、みんなで思い切って借りて半年だけ遊んでみよう!と、ノリではじめちゃった感じです。

菅野くんはお店のかたわら、建築設計の仕事もやっていたし、わたしはインテリアデザインの仕事で家具や什器をつくることも多く、2人とも木工作業が好きだったので、事務所のほかにも思いっきりものづくりができる場所が欲しいなと考えていました。半年限定で借りた物件には部屋が2つあったので、ひとつをリソグラフの部屋、もうひとつを木工作業の部屋にして、「のこぎり」という意味の「ハンドソウ」に「印刷機」という意味の「プレス」を付けて「ハンドソウプレス」という名前で半年間遊ぼうと。それが2018年の冬だったかな。

当初は、わたしと菅野くんは木工作業のためにスタジオをシェアをしているだけだったんです。リソグラフはたまに使わせてもらって、菅野くんは自分のお店のチラシをつくったりしていました。そのくらいが楽しいな、くらいの距離感でしたね、リソグラフとは。

――そのころから誰でも使えるスタジオとしてひらいていたのですか?

安藤:そうです。3人とも本業も年齢も違うし、考え方も全然バラバラなんだけど、自分たちだけが使うアトリエというよりも、なるべくオープンにして、公民館みたいな誰でも来られる場所にしたいという意見だけは一致していました。もちろんはじめは、友達が来るくらいのレベルでしたけど、自分たちが使わないときは自由に使っていいよっていう感じでひらいていましたね。

玄関が30センチほど上がった店頭の入口。本棚や看板が屋外に置いてあり、室内にも本棚が置いてあるのが見える。外壁にはHandSawPressのロゴマークが書いてある
オープン当初のHand Saw Press(武蔵小山/外観)

安藤:最初にお披露目イベントを企画したんですけど、小田さんがミュージシャン仲間を呼んで、私たちも友達をあつめて、すごく狭い場所にごちゃごちゃ詰め込んで、スタジオ内に入りきれず、演奏をみんな道端から見るような盛り沢山なイベントになりました。それからアーティストの人が使いに来てくれたり、本好きの友達が集めた古本を売ったり、読書会をやったり。ビールとかコーヒーを置いて、何もつくらなくても、ダラダラできるような空間にして。自分たちの休みに合わせて、「今週は何曜日と何曜日に空いてます」とSNSで告知する程度で、ゆるくオープンしていました。

木工の作業場もひらいていたので、家だと電動の丸ノコを使えないからって、近所のおじいちゃんが家具をつくりに来たり、犬の散歩のついでにちょっと寄っていく人もいました。朗らかな感じで良かったですね。その頃あたりから、日本でもリトルプレスや、リソグラフ印刷が人気になってきたのか、スタジオにリソグラフを使いたい人がよく来るようになってきたんです。借りはじめてからの半年はあっという間に経ってしまいましたが、リソグラフの印刷代で場所の固定費が払えるようになりそうだったので、それならもうちょっと続けようかと話し別の場所に移りました。その後は、ズルズルとやめられなくなっちゃって、いまに至るみたいな感じです(笑)

木製のカウンターや棚、デスク、印刷機などが置いてある室内。棚には紙の束やカラフルな筒状の道具が並んでいる
オープン当初のHand Saw Press(武蔵小山/内観)

――そのあとにも何度か引っ越しを繰り返して、いまの物件にたどり着いたんですね。この場所でスタジオをひらく決め手は何かあったのでしょうか?

安藤:場所を続けているうちに、だんだん機械も増えていって、ちょっとずつ大きい場所に引っ越してきたんです。リソグラフだけじゃなくて、木工作業も続けたいから、なおさら広いスペースを探していました。あと、海外のリソコミュニティから遊びに来る人も多くなってきたので、できればちょっとしたレジデンス機能があるといいなと思っていたんです。

自分達の本業の拠点から近く、立地のいいところに引っ越すのは経済的に厳しかったんです。それで品川区の武蔵小山近辺は諦めて、南の郊外へ下って、大田区の現在の場所に引っ越すことにしました。結果的には広いキッチンもあるし、小さなレジデンススペースもあるし、地下には木工作業のスペースもつくれました。もっと立地のよい都心や駅近の物件を紹介していただいたりもしたんですけど、結局家賃が高く、現在のようなリソグラフ印刷を中心としたものづくりだけでは固定費を払えないとなると、頑張って、無理して続けることになってしまうと思って。東京の郊外ですが、背伸びをしないで、純粋にものづくりができる広いスペースを借りられたと思っています。

二階建ての建物の外観。一階の入り口部分だけ赤いレンガ調の壁面で、ほかは白い壁面。入口は上半分がガラスの引き戸が4枚あり、黒板の小さな看板が立てかけてある
現在のHand Saw Press(外観)

――引っ越しのたびに、続けるか、辞めるのかという議論はあったんですか?

安藤:いまの物件で4件目なんですけど、引っ越しの際は毎回いつまでやるのか議論にはなりますね。特に一番最初に半年間限定で借りたときは、半年なんてあっという間じゃないですか。小田さんと菅野くんと「どうする?続ける?」みたいな話を喫茶店でしていたんだけど、結論が出る前に閉店の時間になっちゃって、近所の公園に移動してベンチに座りながら話し続けました(笑)

そのときに、このままスタジオを続けて何をしたいかって聞いてみたら、3人ともやりたいことが全然違ったんですよ。こんなに考え方が違ったんだってあらためて気付いて、そこでむしろ吹っ切れましたね。Hand Saw Pressはバラバラな意見をもった人どうしが集まるスタジオなんだって。みんなで同じ方向を向いて運営するようなかっこいいスタジオであることを、そのとき諦めたんです。そもそも、3人で同じ金額を出し合ってはじめた場所だから、誰がリーダーということもないし、みんなクセも強いし。だからこそ、自分がやりたいことをやって、相手のやりたいことも許容する、そんな大らかな関係でやるしかないなって思ったんです。吹っ切れたからこそ、2回目以降の引っ越しでは、家賃の問題を話し合ったくらいでした。方向性を決めることそのものを諦めたことが、いま振り返ると続けるためには良かったのかなと思います。

本業でない、純粋にものづくりをする場所

――舞台芸術のフェスティバル「フェスティバル/トーキョー」(以下、F/T)や、東京の芸術文化を発信する総合芸術祭「東京芸術祭」では、Hand Saw Pressがアーティストとしてプログラムをつくったと伺いました。それはどんな内容なのでしょうか?

安藤:2019年のF/T19では、「ひらけ!ガリ版印刷発信基地」という印刷所を期間限定で大塚駅南口商店街のまちなかにオープンしたんです。当時はまだ「ZINE」と言っても「何それ?」って感じだったから、自由にZINEをつくって交換できるスタンドをひらき、そこにHand Saw Pressに縁があるZINEをつくっているアーティストをゲストに呼んで、そのアーティストと一緒にZINEをつくってみるワークショップをやってみました。でも意外とアーティストとつくるよりも、自分で勝手に自由につくりたい人の方が多くて。それを見て、別にアーティストでなくても、何かを自分でつくりたい人ってこんなに多いんだ!と感動しましたね。誰にでも表現する力がある、みんな紙と鉛筆と印刷機があれば、すごく楽しくつくれるんだなっていうのが発見でした。

ガリ版印刷発信基地はその後、2020年のF/T20(「とびだせ!ガリ版井忍殺発信基地」)と、2021年の東京芸術祭(「つながる!ガリ版印刷発信基地」)と、ちょっとずつかたちを変えて3回やりました。

これは、そのF/T19がきっかけで知り合ったこどもがつくった絵本「かたつむりの冒険」です。もともと絵本をつくるのが大好きで、リソグラフで30枚ぐらい刷って学校のクラスのみんなに配ったら、続きがもっと読みたいって言われたみたいで。それで作家として目覚めちゃって、それから3年連続で芸術祭に通って来てくれたんですよ。こどもの1年ってすごい成長するから、翌年に来たときはすごくクオリティが上がっていました。かたつむりのキャラクターも増えたり、年々使う漢字が増えたりとか。

手のひらサイズの手作りの本を、机の上で両手でひらいている。かたつむりのイラストと、手書きの文字が紙面いっぱいに書かれている
ワークショップに参加した小学生がつくった絵本

安藤:この場所に来るお客さんもそうだし、本当に名もなきアーティストのいろんな表現に出会うといつも感動するし、勇気が出ます。この活動を続けていると、いろんな人と知り合うから、この人とこんなことをやったら面白いんじゃないかなとかアイデアが浮かんで、あれこれ企画が生まれてくる感じです。

――この場所の運営や、出張してのワークショップのほかに、取り組まれている活動はありますか?

安藤:最近、やっと自分たちで企画して出版ができるようになってきたんです。それまでは、来たお客さんの対応や、声をかけていただいたイベントへの参加だけで本当に精一杯だったんですけど、唯一、受け身じゃない取り組みが出版かな。

以前は、海外のブックフェアに行ったときは、お客さんが刷った作品や冊子を買い取らせてもらって、それを売っていたんです。でも、自分たちが企画して作品をつくらないと自己紹介できるものがないな、やっぱり自分たちで出版しないと駄目だなって痛感して、去年くらいからアーティストにこちらから声をかけて作品をつくって、出版するようになってきました。

――出版しないと駄目だと思ったのはなぜなのか、詳しく教えてもらえますか?

安藤:海外のブックフェアに行くと、そこに出店しているリソスタジオにはそれぞれのスタイルやカラーがあるなと感じるんです。それは、どういうアーティストをセレクトして、どういう本を出しているか、みたいなことなんですけど。いままでのわたしたちの活動は、場所をつくることだったんです。「場所づくり」だけで勝負していたけど、ブックフェアに出店となると、やっぱり「本」をつくって見せていかなきゃいけない。日本やアジアの面白いアーティストとコラボレーションした、自分たちだからつくれる作品を出版して海外に持って行って紹介することも、「場所づくり」だけでなく自分たちにできることだなって思ったんです。

それに、ほかのスタジオが出版しているかっこいい本を見ているうちに、だんだん自分たちもつくりたくなってきた、というのもありますね。6年目に入り、やっと環境も整って本をつくれるようになってきたし、かっこいいリソスタジオの人に会って、自分たちでつくったかっこいい本を渡したい。「この人がいま日本で超面白いアーティストです!」って、自信をもって見せたいですよね。でも、そんなに沢山はつくれないから、ゆっくりはじめています。

棚の上に様々なかたち、色、厚さの冊子が表紙を表に向けて並んでいる
Hand Saw Pressの一角に並ぶZINE

――スタジオのカラーを出していくために出版が重要なんですね。ほかにもHand Saw Pressの運営で、意識していることはありますか?

安藤:小田さんも、わたしも菅野くんも、アーティストのように自分の表現のためにスタジオをやっているということではないんです。3人の共通点は何だろうなって考えると、やっぱり「場をつくる」のがみんな得意なんですよね。面白い人を自分のレーベルやレストランに呼んで、その人と何かやるとか、自分もインテリアや空間のデザインが専門で、みんなが楽しめる環境をつくるのが好きですし。だから、みんなが場に集まって何かをやるということが好きなメンバーでHand Saw Pressをつくったんだなという気がします。

――お三方とも、ここが本業ではないっていうことも重要なのかもしれませんね。それぞれに別の仕事があって、この場所との関わり方のバランスをそれぞれが考えているような印象を受けます。

安藤:そうだと思います。仕事に関係なく、思いっきりものをつくったり、新しい出会いがあったり、そういうところが楽しいからこそですよね。たとえば、仕事を突き詰めて有名なデザイナーになりたいのなら、もうちょっとこの場所を独占しちゃうと思うんです。自分のための場所だったり、自分のための道具だったり。ほかの誰かがかっこいいものをつくることよりも、自分がかっこいいものをつくることを優先するというか。

でもわたしたちは、結構いい年齢になってからこのスタジオをはじめたし、散々「自分のためのこと」をやってきていたから、「自分」はひとまず置いておいて〜というスタンスでいられたのが良かったのかなって思います。もっと若いときにはじめていたら、変なライバル意識が出ちゃったりしたかもしれません。ほかのリソスタジオができても「ふーん」みたいな、「真似すんなよ」みたいな気持ちも生まれたかも(笑) でも、いまは全くそういうこともなくて。むしろ、何か一緒にやろうよみたいな気持ちが強い。海外のリソスタジオも本当に、みんなとリソフレンドという精神なんですよね。

机に片腕をのせ、もう一方の腕の肘を立てて口元に当てながら話している安藤さん

――いろいろな人や出来事に出会う、その行き当たりばったりを楽しんでる感じがありますね。

安藤:そうそう、それができるぐらいの規模感でやっています。多分、このスタジオの運営を本業でやるとすれば、もっと都心の気張ったところに引っ越していたと思います。もっとおしゃれにして、商業的にバリバリやる方向に行くよね、きっと。もっと売ることばかりを考えちゃうかな。

――背伸びしないで継続できる方法を模索しているのですね。その意味では、デザイナーとしての自分と、ここにいるときの自分と、共通している部分や違うと思う部分はありますか?

安藤:わたしの場合は、ずっとデザイナー業を続けてきて、結構、自分のデザインに飽きちゃっているというのがあるんですよ。もう自分の設計の思考とか、自分の引き出しに何が入ってるのかが見えちゃっていて。だからこそ、人と何かをつくると自分では思いもよらない方向に進んだり、新しい視点が入ってくるのが嬉しいんですよね。

自分のデザイン事務所にいると、わたしとアシスタント、クライアントとデザイナーのように、どうしても関係が決まっちゃって。仕事じゃなくて、フラットに、年齢とか立場とか関係なく何かものをつくるのが面白いと思っています。

――なるほど、純粋にものづくりを楽しむ場所であることを大切にされているんですね。

安藤:いろんな場所でワークショップをすると、来ていただいた方々の創作力に感動するという話をしたと思うんですけど、「ただ純粋につくる場所」が大人には少ないような気がしているんです。こどもだったら学校とか、こども向けのワークショップとかたくさんあるけど、大人のためのそういう場所はあんまりない。

ものづくりが好きで、時間とお金のある人は、教室に行ったりする場合もあると思うんですけど、仕事が忙しいサラリーマンとか、こどもを育てながら仕事をしている人とか、もう何かをつくるということすら忘れてるっていうか。

自分もデザイナーとして、仕事でものをつくるプロジェクトはあるけど、自分の好きなものとか、個人的な創作活動をする機会はあまりない。だけど、たまにやると、すごく刺激になるじゃないですか。仕事とか商業的なサービスじゃなくて、純粋にものづくりができる場があるっていうこと自体がすごく重要な気がしています。道具と場所だけがあって、何をつくるのかは自分が考える。そういう場所が欲しいと思ったんですよね。自分で考えて、かたちにするということは、本当は誰でも持っている能力や欲求なんです。だから、それができる場が近所にあったらいいですよね。

――確かに、公民館のような場所というか、大人も気軽にものづくりができる場所って少ないように思います。

安藤:そんな場所がもっとあるといいと思います。ZINEなんて、やろうと思えば自分で簡単につくれるじゃないですか。それを人と交換するだけで、すごく幸せな気持ちだったり、つながれた気持ちになりますよね。

同世代の女性から、独り言のつぶやきみたいなZINEをもらって感動したことがあるんです。それはコンビニの白黒コピーで刷ってホチキスでとめただけのZINEなんだけど、それを読んだときに「わたしと同じことを考えている人がいるんだ!」って、とても共感して心に残ったんです。SNSで見るつぶやきよりも心に響いて、いまでも大切に本棚にしまっています。そういう純粋なものをつくれるセーフスペースというか、サードプレイスなのかわからないけど、大人のための自由なものづくりの場がもっと増えればいいなと思います。

木目の壁、白い天井に蛍光灯が光っているの室内。中央には腰の高さの棚があり、機材や用紙が置かれている。壁面にはさまざまな印刷物がびっしりと貼られ、奥にはガラスの引き戸がついた入口がある
現在のHand Saw Press室内の様子

安藤:忙しいサラリーマンや子育て中の主婦が自分のZINEを20部とかつくっていて、その隣ではバリバリのアーティストがすごく凝った作品をつくってるみたいな、いろんな人が混在しているスタジオが理想です。そんな場になると最高なんですけど、今後の目標ですね。

Hand Saw Pressの今後

――あらためてHand Saw Pressの場所のこと、あるいは活動の今後の展望について教えてください。

安藤:夢は、いろんなメンバーが増えて、もっと多角的な目線が入ることですね。3人で活動をはじめて、それから小田さんが活動の場を京都に移して、いまは菅野くんとわたしの2人がリーダーっぽくこの場所を運営しているけれど、その立場はわたしたちだけである必要もないと思うんです。だから、同じ立場になれる人がもっと増えるとめっちゃ嬉しいです。

でもそうしたコアのメンバーってなかなか増えないじゃないですか。たとえば、木工の部屋ももっとひらいていきましょうと言って、そこをガンガン進めてってくれるような同じ立場の人が来たりとか、ZINEのライブラリーやアーカイブをもっと広げる人が来たりとか。スタッフを雇うというかたちで活動を広げることは、おそらくできるんですけど、でもそうすると会社になってしまう。そうではなくて、パートナーシップのような感じを目指したい。それは対等な関係の人を増やすということだと思うんです。でも活動がはじまってからだと、わたしたちと対等な関係の人は増やしづらいのかもしれないなとも感じています。すでに出来上がっている関係のなかに入るって、遠慮もあるだろうし、難しいとは思うんですよね。

だから、その夢は諦めずに持ちつつも、スタジオとしていまできていないことも進めていきたいです。たとえば、やっと出版ができるようになったけど、売る機能がまだまだ弱いとか、ウェブショップがあるけどほとんど動かせていないとか、そういった環境をもうちょっと整えていきたいです。いまはスタジオに来た人と一緒に印刷することが、この場所を運営するための収益になっているけど、自分たちがつくったものを、買いたい人のところにきちんと届けることにも力をいれていきたい。それができると、ものをつくりに来るだけじゃなくて、刷り上がったものを買って楽しんだり、買わなくても読んで楽しんでくれる人がいたり、これまでとは違う関わり方が増えると思うんです。

あとは、せっかくこんな素敵な場所に引っ越してきたから、定期的に参加型のワークショップもやりたいなと思っています。いまは「こういうものをつくる」っていう明確な目的を持った、意識的な人しか来られないから、「なんかつくってみたい」という人にきっかけをつくるワークショップをひらいて、スタジオに来るハードルを下げて、かかわりをもっと広げていきたいですね。

HandSawPressの入口。引き戸に黒板の看板が立てかけられていて、引き戸も少しひらいている。

――

本業を別々にもつ3人が集まってはじまった「Hand Saw Press」。職業、国籍、年齢に関係なく、純粋にものづくりを楽しめる場所を大切にしたいという思いは、4度の移転を経てもなお一貫しています。

最初の引っ越しのときに「スタジオの方向性を決めることを諦めた」という言葉が表すように、即興的に、なりゆきを楽しもうとしている姿勢が印象的でした。また方向性を定めないからこそ、各々のやりたいことを持ち寄って、他者のやりたいことも許容するゆるやかな場が生まれています。今後もこの場所やリソグラフ、ZINEづくりをきっかけに集まったさまざまな人々との出会いによって、新たな表現が生み出されていく予感がしました。

――

Hand Saw Press
住所:東京都大田区田園調布本町17-3
アクセス:東急多摩川線沼部駅から徒歩8分、東急池上線御嶽山駅・雪谷大塚駅から徒歩10分、東急東横線・目黒線多摩川駅から徒歩15分
公式ウェブサイト:https://handsawpresstokyo.com

話し手:安藤僚子
聞き手:小山冴子、櫻井駿介、屋宜初音
執筆:屋宜初音
編集:小山冴子、櫻井駿介

>YouTubeでは短編ラジオ(YouTube字幕あり)を公開しています

年表の使い方

年表について

この年表は、「新たな航路を切り開く」のプログラム「年表を作る 2011年以降のアートプロジェクトを振り返る」の一環として、2022年度より制作を進めているものです。
現在は、2023年までのデータを掲載し、2025年1月15日より、ベータ版として公開しています。今後もデータを更新し、成長を続けるコンテンツとして運用していく予定です。

TARLウェブサイトに蓄積されたデータと、個人の活動やそれを取り巻く社会の状況、そしてそれぞれのユーザーの視点をもとに、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるきっかけになることを目指しています。

年表の項目

データは以下の内容を中心に収集・紐づけを行っています。(2025年1月現在)

年表の機能

出来事の表示順

  • 年表のページにはすべての出来事がスクロール式で表示されます。
  • 四角い枠に囲まれた「出来事」と「社会的な出来事」が時系列に並んでいます。
  • プルダウンメニューでは、出来事を「新しい順」「古い順」に並び替えることができます。

全体像の表示

  • ページ下部の「年表を自動で読み込む」のボタンで、次の「出来事」を読み込むことができます。
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