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REPORT

第3回│専門家として現場をサポートするには?(菊池宏子×山内真理)

公開日|2016.02.01

「『幸せな現場づくり』のための研究会」の研究会メンバーによる対談を全7回でお届けします。今回のテーマはアートを支える「専門性」です。

今回の対談メンバー

菊池宏子さん(コミュニティデザイナー/アーティスト/米国・日本クリエィティブ・エコロジー代表)
山内真理さん(公認会計士・税理士/Arts and Law代表理事)

自分の得意な部分で社会と関わる

山内│私は、「公認会計士/税理士」として働いています。公認会計士は監査などの専門業務を行う国家資格ですが、独立している会計士の多くは税理士登録をして税務業務に従事し、この二つの肩書きを持つことが一般的です。 会計専門職を志向したのは、産業領域を限定しない職能に惹かれたからです。人の営みがあるところには経済があり、過去及び現在の測定・評価と未来の設計、そしてそこに向かう実践的なディレクションやサポート、現実的なペースメイクが不可欠だと考え、会計士に可能性を感じました。
自分の活動場所を決定する際、「自分の専門性を生かして社会に役立てるか?」という点と「仕事を通じ精神的に充足できるか?」という点を考慮して、クリエイティブな活動を会計的にサポートする仕事に辿り着きました。社会的に会計教育が不足している感覚があり、文化の担い手が経営感覚や交渉力を持つための下支えをすることで、社会的信頼に足る基盤が形成されるとしたら社会にとってプラスであり、潜在的なニーズもあるのではないかと考えました。文化の基盤としてまず経済があり、そこと人の営みを紡ぐようなイメージがあったんです。また、仕事を通じて様々な表現や文化に触れることで、新たな学びや気付きを得て、異なる視点を交換できるとしたら精神的にも充足度が高いだろうなと考えました。
アーティストに限らず、人は「何かを表現したい、産み出したい」という根源的欲求を大なり小なり持っていると思うのですが、広く受容される表現や文化には何らかの社会的な意味や背景があり、経済的側面からそれらを考察することにおもしろさを感じています。
会計とは、一言で言うと、経済的活動を貨幣的な情報に変換して記録、測定、報告することです。その際、会計基準などのルールに沿ってその実態を反映することが求められます。活動体は会計を通じて自らの姿を客観視し、未来への現実的な計画を立てて、外部の関係する人たちに必要な情報を提供することができます。組織内の経理もそうですが、外部からの会計支援の醍醐味は、伴走する組織体の文化や価値観を理解した上でペースメーカーを提供することだと思います。

菊池│なるほど。アートの仕事をしていると、日課や規則のようなものがきちんと整っていない場合が多かったり、常識や前提となっていることを疑ったり壊したりすることを大事にしている業界なので、ペースメーカーとして客観的なテンポ調整があるというのは大切なことですね。
山内さんと初めてお会いした際に、アメリカにある『Volunteer Lawyers for the Arts(VLA)』というアーティストやアート関連団体に対して、法的なサポートをするプロボノ組織の話をして盛り上がりましたね。 アートの業界の弱みは世界共通で、お金や法律のことだと思います。そこに対して、専門家がボランタリーに集まり、コンソーシアム体制で会計から税理、法的な側面からアートをサポートする例は、日本ではまだ少ないので、山内さんのような存在は、非常に貴重だと思っています。

山内│2004年に、ファウンダーである作田知樹が文化活動を支援するNPOとして『Art and Law』を立ち上げましたが、この活動はVLAを参考にしています。従来は法律家などの専門家がサポートをするという行為は、「先生と依頼人」のような関係になってしまいがちでしたが、Arts and Lawでは協働するパートナーとして対等に関わることを意識して活動しています。
菊池さんと最初にお話して意気投合したのも、アーティストであれ、会計士業であれ、社会の構成員として得意な部分で社会と関わることが大事で、関係性はもっとフラットでいいのではないか、という感覚を共有したからだと思います。

菊池│社会にアートの必要性を強く感じてくれている専門家たちと、私たちアート業界の人間が結びつくことでアートのある新しい社会ができるのだと思います。しかし、日本の小・中規模のアートプロジェクトは、まだまだ会計や法律の概念が抜け落ちていますよね。「社会」というものが制作テーマに留まっていて、現場での実践に落ちていないと感じます。

山内│そうですね。社会には、市場原理が働いています。「市場」という言葉は、ネガティブに捉えられがちですが、本来は、他者と価値交換をしていくコミュニケーションの一つであり、自然な営みの場のはずです。文化やアートといっても活動体の社会的な立ち位置や目的、役割は様々ですが、持続するためには経済活動を通じて経営基盤を整備し、安定的な雇用環境を創出していくことも大切です。 
文化事業には公共政策としての側面もあるので、税制による再分配を通じて血液を送り込むことは重要ですが、一方で活動体自身は、自分たちが社会に対して提供できる価値を見極め、市場と付き合う術を持つこと、その成果を定期的に振り返ることのバランスも忘れてはいけないように思います。活動の自律性は、経済的にも自律的であってこそです。

菊池│自律性は、非常に重要ですね。「市場」というのは、貨幣の交換だけではなく、それを超えた価値を試される場でもあります。そのためにも山内さんのような専門家に質問ができる最低限の言語、そしてそのネットワークが必要だなと思いました。
先日、ある大学で講演をした際に出てきた質問が、「アーティストには、社会性が必要ですか?」というものだったんです。答えに困りました(苦笑)。アーティストである以前に、生活者であるという社会性を持つのは当たり前。もちろん生きていく方法は千差万別ですが、衣食住を確保するために必要なことをしなければ、やりたいこともできません。ちなみに私自身、社会適応能力は低いと言われ続けているのですが、そのことと社会性は異なるものだと思っています。私の場合は、自分なりに社会で生きていくためのサバイバルスキルを身につけるように日々右往左往しながらもがんばっているつもりです。
アート業界は、素晴らしい人材が大勢いるにも関わらず、ワーキングプアも多いのが事実です。自分の生活を犠牲にして働くというのは本末転倒だと思います。アートは生きることついてもっと前向きな要素であるべきだと思っているので、自分自身がアートで死ぬ気はない(笑)。労働環境の整備や、それを支える経営基盤の強化は、緊急の課題です。
VLAもそうですが、アメリカは、ご存知の通り労働組合(Labor union)が盛んで、企業単位だけではなく、アーティストや教育者も組合をつくって、政策などに対して物を申していく文化があります。ロビー活動もその延長にあります。このように労働環境を整備する動きは、今の日本のアート業界で必要ですが、同時に一職業人として、最低限の法律や会計の知識を持つことで、自分で自分を守る意識が必要だと思います。そして、こうした働き方をつくることそのものが、アートプラクティスだと思っています。

自分の専門性を定義して、誰に何をしたいか考える

山内│菊池さんが、アーティストとして受けた教育とは、どんなものだったのですか?

菊池│私は、1990年に渡米して、ボストン大学芸術学部彫刻科を出て、タフツ大学大学院で学びました。大学院に入ったばかり頃は、ミシェル・フーコーやジャック・デリダなどポストモダニズムの書物を散々読ませられました。こうしたコンセプチュアルアートの影響もあり、一度アートを物質的につくることの意味がよくわからなくなり、作品制作を辞めました。そして、その時お世話になっていた先生に「パフォーマンスアートをやってみなさい」と言われたことが転機でした。
「自分自身が作品である」という態度に始まり、「自分が着ているものも発言もすべて政治的である」という教育を受けました。いわゆるホワイトキューブでの制作発表に対する反発から、地域のNPOや教育機関の協力のもとアートプロジェクトを行って、地域と関わりを持つようになったのもこの頃です。そして、「アートと日常の境界線は何か?」など、答えがないことをとことん議論しました。こうした経験を通して、結局、個人で答えを見出していくことの虜になったんです。同時に、何をするにも「違いがあるという前提に立つこと」を学びました。

山内│そうした経験が、どのようにいまの仕事につながっているんですか?

菊池│学生の頃に数多くのインターンに参加した際に、アーティストの持つ役割の多様性を実感しました。その経験から、目に見えにくい地域にある問題やコミュニティを考えるにあたり、アートの力を借りて人間が潜在的に持つ力を可視化し、それをうまく循環させることでより豊かな社会が生まれると信じています。そのため、働きかける対象がコミュニティや教育など、社会的な事柄に向かうのは、自然なことなのです。
こうした考え方には、特に、ボストン美術館でプログラムマネージャーをしていた時の経験が大きく影響しています。美術館が掲げた5ヵ年計画の「異文化共存オーディエンス開発 (Multi-Cultural Audience Development)」に関わりました。これが計画された背景には、美術館のコアな鑑賞者の高齢化と単一化(白人女性が主)により、次世代の顧客を育てるというビジネス的な課題が理由としてあります。また、美術館のあるエリアは低所得者層の多い地域で、美術館に無関心な人が多く、いかに地域と関わりを持ち、地域から必要とされる場をつくるかという課題もありました。
そこで提案したのが、「ティーン・アーツカウンシル」という、高校生のリーダーシップ・人材育成を前提とした雇用制度です。毎年12名の高校生を対象とした雇用枠を儲け、彼らが個人として意見を発し、地域コミュニティの声を拾う代弁者となることが仕事。「美術館のお抱えティーンアドバイザー」のような役割として館内の企画づくりや連携を図り、今後の運営方針に活かして地域に還元する仕組みをつくるプログラムでした。同時に、彼らの存在によって、美術館そのものの役割や雇用、コレクションの種類など、より多様な価値観が共存できる職場環境をつくる契機になったと思います。
なかでも思い出深いのは、エリカという当時15歳の女の子との関わりです。とても熱心にプログラムに参加する元気な子だったのですが、ある日「いやー、宏子、今年の夏はとても大変だったんだ。実は、電気代が払えなくて、ずっと電気がない暮らしだったんだよね」と話してくれたんです。理由を聞くと、彼女の母親はシングルマザーで、ホテルの掃除をして生計を立てていたのですが、足の骨を骨折して働けず、しばらく収入がなかったと言うのです。
そんな状況のなか、エリカは大学進学を決断しました。彼女の母親は、早く働いてほしがっていたのですが、大学に行くことがいかに大切か一緒に説得をして、奨学金も取得しました。そして、卒業をする時に、私を食事に誘ってくれたんです。「いままで4年間、一度も自分にお金を払わしてくれなかったから、今日はお礼に何でも食べて!」と言って。こうして一人の女の子と過ごした時間は、何ごとにも代え難い経験でした。
このプログラムを通じて多くのティーンと仕事をして、組織内の小さな変化はいくつもありました。しかし、プログラムに参加したティーンの子たちが将来美術館やアートを生活の一部として捉えるかは、まだ分かりません。物事の変化に時間がかかることを実感したのはこの時です。私は、目の前にいる人と密接に関わっていきたいのだと実感した経験でもあります。  
アートや自分の専門性をどう定義して、それを通して、誰に何をしていきたいか考えることが、職業人としてのスタートラインに立つことだと思います。

どのような社会をつくりたいかイメージする

山内│目に見えないものに価値を置くというのは、アートの魅力だと思います。会計にはいわば「測定できないものは管理できない」という性質があるので、その対称性におもしろみを感じます。
アートの価値は究極的には主観的なものだと思いますが、例えばある値段で売買が成立した時、ある値段で作品を購入したという事実は、貨幣的な尺度で測定可能な歴史的事実として会計に反映されます。このように帳簿や財務諸表には意思決定の結果が立ち現われ、言わば組織の歴史や記憶のようなものが刻まれます。そしてそこには経営者の手腕だけでなく、ビジョンやそれを取り巻く社会環境も反映されるのです。例えば、あるサービスの担い手が量産体制を構築して社会の隅々まで届けることを重視するのか、それとも経営哲学を薄めず品質を落とさずに持続できるやり方を選択するのかで、5年後、10年後の姿はまったく異なるものとなります。事業規模は小さくとも、自分たちが満足できる品質のものを丁寧につくって必要な人に確実に届けようとする事業であれば、受け手の母集団は小さいかもしれませんが、つくり手と受け手双方の満足度は高いかもしれません。一方、社会の隅々に届けるということを重視した事業では社会全体としての満足の総量は大きいかもしれません。こうした違いは会計に現れます。「目に見える世界にも、目に見えないものが投影される」というのは、会計の一つの醍醐味かもしれません。
大事なことは活動主体のビジョンであり、何を表現したいかであり、ミッションです。そこに寄り添う会計士で在りたいと思いますね。

菊池│会計士や税理士は、そろばんを弾くイメージが強いですが、山内さんのようにビジョンや内容に踏み込んで、よりよいものにしようという方は珍しいと思います。「つくり手と受け手双方の満足を重視する」という態度に共感しました。
私は、2000年半ばに「エンゲージメント(engagement)」という概念に出会いました。これまでは、教育普及において、美術館などの公共機関が地域の学校や福祉施設に出張してサービスを提供するアウトリーチ(outreach)が主流だったのですが、エンゲージメントはそれに対するカウンターとして登場した概念です。
アウトリーチは主体があって、「自発的に申し出をしない人たちに対して支援する」という一方向的な考え方なのですが、エンゲージメントは「両者の充実を図る双方向的な仕組み」を目指すコミュニティづくりの発想です。つまり、上下の権力関係ではなく、横に並ぶパートナーシップを構築する在り方で、山内さんの目指す、会計士と経営者の関係性に通じるところがあります。
主体となるのは、人種や所得など資本主義制度のなかで限られたごく一部の人たちです。アメリカの場合その差が顕著で、何の議論をするにも「誰の」声なのか、主語が問われます。そこで私は、自分で声を上げられる人ではなく、こどもやマイノリティなど、「声なき声に耳を傾ける世界」のほうがいいなと思ったんです。エンゲージメントは、それを実現する有益な手法だと思います。

山内│なるほど。そして、そこでコーディネーターの役割が必要になってくるわけですね。

菊池│コーディネーターの働きというのは、自分の意見がないと誤解されがちですが、異なる価値観を組み合わせるというのは、非常にクリエイティブな作業だと思います。相手が言いたいことを想像して、違いを掛け合わせることにトライする。ものごとの専門性が高まり複雑化した現代において、コーディネーターは、どの業界においても必要な働きだと思います。

山内│そうですね。専門家として関わるというテーマで言うと、大事なことは、「どんな社会をつくりたいかイメージしながら貢献できる部分で関わる」ということかなと思います。どんな職業であれ、まずは一市民としての責任があります。私は、まずはコンプライアンスなど社会の一員としての役割を果たしながら、文化やクリエーションの可能性を拡張するサポートしたいと思っています。

菊池│私は、アーティストの働き方を、いろいろなかたちで示していきたいと思っています。自分たちがやっていることが、社会においてどんな意味があるか、どんな社会をつくることにつながっているのか、考えながら動いていきたいですね。

対談日│2015年8月20日