これからの航路に向けて(芹沢高志×森司×佐藤李青)|これからの航路に向けて レポート③
執筆者 : 櫻井駿介
2026.03.24
2026年2月24日、これからの時代のアートプロジェクトのかたちを考える企画「これからの航路に向けて」をアーツカウンシル東京の会場およびオンラインで開催しました。本企画では、2025年度に事業を終了する「Tokyo Art Research Lab(TARL)」と、その一環として2022年度からはじまったシリーズ「新たな航路を切り開く」、さらにその成果のひとつとしてウェブサイトtarl.jpに実装したアートプロジェクトの「年表」について振り返りました。
このレポート記事は、オンライン配信の文字起こしをベースに編集・再構成し、プログラムの流れに沿って以下の3本にまとめたものです。
* プロジェクトの詳細はこちら
* 配信アーカイブはTARL公式YouTubeチャンネルにて3月末に公開予定

オープニングに続くセッションは「思考の道具としての年表――その機能と可能性」と題し、プログラムオフィサーの小山冴子のほか、tarl.jpのディレクションや年表機能の実装にも携わったウェブディレクターの萩原俊矢さんと、ウェブサイト担当者として企画に伴走してきたプログラムオフィサーの櫻井駿介が加わり、年表の特徴やこれからの役割について語りました。

櫻井: オープニングのパートで小山さんからコロナ禍の話が出ていましたが、わたしたちはまだコロナの影響のなかにいるともいえます。ですが、それぞれ経験したこともある一方で、そのコロナ禍でさえも思い出す存在になりつつあるようです。そうした時間という強力なものがわたしたちの前にあるなかで、立ち止まって、これまでを振り返る道具としても、この年表の意義があるのかもしれません。
今が予測不可能で不確かな時代であるからこそ、道標になるようなものとして年表づくりが意図されました。TARL自体が、時代との応答を考えてきたという流れもあり、同時にこれまでTARLを10年以上続けてきて、知見がたまってきたからこその年表づくりだったのだと思います。
これまで萩原さん自身も、アーカイブや年表づくりの経験はさまざまにあるかと思うのですが、このtarl.jpにある年表の特性や特徴について思うことはありますか?
萩原: そうですね。年表を見る機会を考えると、本の後ろの方に年表があったり、展覧会の会場に作家の生涯を追いかけるような年表があったり、だいたい印刷されていて、ある程度固定された情報を見ることが多いのではないでしょうか。今回、この年表を開発するときにも、最初はTARLのウェブサイトとは切り分けて、年表専用のウェブサイトをつくる案もありました。それは旧来的な、固定された年表をつくるということに近いですよね。

萩原: ですが、芹沢さんやみなさんとディスカッションを重ねるなかで、そもそもTARLのウェブサイトに数多くのひとびとや資料の情報、ここまで小山さんが紹介してくださったTARLのプロジェクトの情報がすでにあるので、それらを繋げ、さらに好きなものをいくらでも入れられる箱を考えてみたらどうだろう、という話になりました。
それは個人的にもすごくやってみたいと思いましたし、さらに、それがウェブサイトならではの年表として「情報を立体的に見る」という大きな特徴になったのだと思います。
櫻井: ありがとうございます。わたしたちも本当に悩みながらつくった記憶がありますね。当初はベータ版として年表を公開しましたが、さらにテストとして実際にユーザーの方に使っていただく機会も設けました。立教大学の小泉元宏教授に協力いただき、興味を持ってくださる学生に声をかけて「実際に年表を使ってみましょう」という会でした。こうした検証はやはりドキドキします……。使ってみて不備はないかな、とか。
萩原: 実際にバグに関する指摘もあり、そういうドキドキ感はすごくありますよね……。

櫻井: 当日は僕も萩原さんも、残念ながら伺うことはできなかったのですが、後日にレポートや映像を見させていただきました。みなさんが使っている様子を見て、萩原さんはいかがでしたか?
萩原: 先ほどの話にも繋がるのですが、年表というと特定の作家についての年表であるとか、特定のアートプロジェクトについての年表のように、しっかりと編集されて、完成された年表として見る機会が多いですよね。ですが、TARLで制作した年表は、ずっとワークインプログレスのような、つくりかけで完成しているような状態です。ウェブサイト上に情報が維持され続け、それを見る側がどのようにグルーピングするかが委ねられています。たとえば、自分の住んでる地域や、気になるキーワードで探してみると、この年表とどのような接点が生まれるんだろう、みたいな。つまり、曖昧な、ぼやっとした情報をスパッと自分の興味でカットしたときに「どういう断面が見えてくるのか」を楽しむところがあるのかなと思っているんです。
その意味では、この未完成のような、完成のような年表を学生のみなさんに見ていただいたときにすごく印象に残ったアイデアがありました。ある学生さんが、「個人の活動がたくさん載っているから、その人がそのとき何歳だったのかを知れると嬉しい」と言っていて、さらには、そのときの自分の年齢も一緒に並べてみたい、と。そうすると、自分が何歳のときにこの人は何歳で、どういう活動をしていたという見方ができるんじゃないかというアイデアでした。それはすごく面白いなと思ったんです。客観的であるはずの年表が、一気に個人の出来事と紐づいていく感じがしました。
ほかにも「自分がお気に入り登録した年表と、他の人がお気に入り登録した年表を見比べたときに、どういう違いがあるのかを比べてみたい」という意見もありました。あるいは、「自分が気になると思ってお気に入り登録したトピックをあとから見返してみると、いま自分がこういう研究をしているのは、こういうことに関心があったからなんだ」と、自分自身の人生を振り返る、いわばメタ認知のツールとして使ってくださってる学生さんもいたんです。一人ひとりの使い方が少しずつ違って、感じることも違うという、それ自体が面白い気づきでしたね。
櫻井: たしかに、この年表に自分を投影してくださった、というのをあらためて思いました。年表のなかには現在、約1000件の情報が掲載されています。ですが、この何十年の出来事は、1000件でまとめられるはずはないですよね。それでも、あえてこういう年表としてかたちにしたのは、「新たな航路を切り開く」というプロジェクトになぞらえるならば、「海図」をいったん示してみる、ここにあるんだよということを認識してもらう、いわばヒントのようなものだとも思います。
それをカテゴリーで絞り込んだりとか、お気に入り登録して自分なりの年表をつくりながら、航路をつくっていく。そう考えると、この年表だけではなかなか成立はしなくて、そこに自分をどう置くのかを含めて成立するものになったんだなと感じました。
小山: ほかにもウェブサイトならではの展開が考えられる面白いアイデアもありましたね。たとえば、この年表には出来事の情報として「場所」の情報を入れていますが、これをGoogleマップと紐づければ、その地域で何があったのかを地図から見られるというもの。
きっと、紙のように固定された年表だとそれ以上変えようがない部分を、オンラインあるいはAIが進化する時代だからこそできるアイデアがたくさんあることに気付きました。そういう機能面においても、ユーザーが新たな使い方や展開を考えていけるのかもしれません。

萩原: そうですね。そもそも「年表」そのものがとても面白いフォーマットですよね。情報の捉え方は本当にたくさんあって、たとえばいま手に持っているマイクにも、黒という「色」の情報があったり、「長さ」もあれば、話者用に1番、2番と「ナンバリング」が振られていたり。人間も、住んでいる場所や名前など、さまざまな情報を持っていて、もはや何でもありとさえ思うんです。ですが、粒感の異なるさまざまな情報があるなかで、年表だと全部、背の順のように「年代順」で強制的に並べられる。これはある意味、暴力的に「年」で串刺しにしてしまうツールだということです。
一方で、自分にとっては10代の頃に聴いたあの音楽が、すごく影響を及ぼしている、それを昨日のことのように覚えてる……というように、実は人間の主観はとても揺らいでいます。とても印象に残っている些細な出来事に対しても、年表ではそれをグローバルな時間軸へと強制的にはめ込んでしまうので、「あれ? 私この音楽を聴いてるとき、世の中ではこんなことが起きていたっけ?」というようなズレが生じます。
さきほど挙げた「自分の年齢と比較する」という閲覧体験に戻ると、そこで自分自身の体感とズレが生じることもあると思っていて、それも面白いですよね。年表を通じて、自分なりの認識のズレと、社会との往復ができるのかもしれません。

櫻井: ズレでいうと、この年表を見ていると自分の思うあの出来事が載ってない、というのもむしろ分かったりして、それは、写し鏡のように自分を見ている感じもします。自分の関心とか、アイデンティティーが浮かび上がる体験なのかもしれませんね。
櫻井: ここまで、萩原さんからも「ツール」という言葉が何度か出てきましたが、まさに、このセッションのタイトルは「思考の道具としての年表」となっています。このtarl.jpというウェブサイト、あるいは年表機能に対して「道具」という言い方に違和感はあるでしょうか? これまでウェブサイト制作に携わってきた萩原さんの経験や身体において、すっと入り込む言い方なのか、道具という言葉との距離感についてでも構いません。
萩原: この年表が果たして「道具」なのか、というとすごく難しいです。道具としても使える、けれども道具でもないような感じもしていて。
最近のインターネットには、すごく味付けの濃いコンテンツがたくさんあると思っています。たとえば、次から次に役に立つような、役に立たないような、強制的に関心を引き出すような情報です。ショート動画をずっと見てしまって、それが辛い人も、辛くない人もいらっしゃると思います。あるいは、AIも含めて、すぐさま人の役に立つものが、世の中に数多くありますよね。
一方で、TARLの年表は味付けが薄いというか、出汁が濃いというか「自分たちで迎えに行かなきゃいけない」感覚があります。「この情報は自分にとってどういう意味があるんだろう」であったり、「このときにこの人がこれをやっていたと気付いたけれど、この自分の気付きってどういうことなんだろう」であったり。興味関心の上で、自分からしっかり年表とインタラクションする気持ちで向かっていかないといけない。言い方は難しいですが、ショート動画を見続けて自分が漏れ出していく感じとは異なる情報との戦い、あるいは触れ方なんだと思います。
その意味では「ささやかなツール」ですよね。昨今のウェブサイトやアプリケーションの道具化に対して、とてもパンチ力の弱い、うまく使わないと使えない道具だと思っています。そして、情報から強制的に能動性や注意を引き出される現代において、自分でしっかり能動性を持たないと使えない、準備しないと使えないという感覚は、個人的にもとても大事に思っているんです。結局、自分でやらないと何も得られない、情報側から自分を引き出してはくれないという距離感が、この年表の魅力だと感じています。

櫻井: 何かそこに大事なものがある気配がします。年表に向き合っていると、まさに準備をしないと使えない感覚があったりとか、SNSを使う感覚で使えないものということをあらためて感じます。
いまはブラウザに検索キーワードを入れると、AIが答えを一番上に出してくれますが、そうはいかない。この年表はハイテクノロジーではない年表ではありますよね。ですが、だからこそ自分のことをもういっかい知るであるとか、少し遠回りする機会が生まれる気がします。最後に自分の思考がないと完成できない道具、その意味でも未完成な道具なのかなと話を聞きながら思いました。
一方で、昨今のAIが普及した時代においてローテクノロジーの年表であるとすると、今後もこの年表がインターネット上にあり続けることによって、むしろAIのような技術とどのように共存していけるのでしょうか。年表だけではなく、このウェブサイトのあり方が変わるのかも含めて気になりますが、萩原さんはどのように感じているでしょうか?
萩原: 僕があらためて言うことではないですが、やはりAIがすごい勢いで普及し、かつ高度なことができるようになっています。ウェブやアプリケーション開発の現場でも、人間は見ているだけとは言わないですが、ディレクションあるいは考えを伝える側に徹して、つくるのはほとんどAIという状況になりつつあります。
そこで、AIに「このtarl.jpの年表ってAI的に使いやすいですか?」と聞いてみると「若干、使いにくい」みたいな返答だったんです。その理由も聞いてみると、やはり最近のウェブサイトやSNSは、だいたい同じぐらいの文字数でつぶやいていたり、情報が届きやすいように汎用化されたアイデアや知識、たとえばオススメの展覧会5選みたいにフォーマット化されて発信されていますよね。そういった情報は参照しやすく、「今週のおすすめの展覧会は何?」と聞けばすぐに答えることができます。
その一方で、年表やtarl.jpというウェブサイトは全体的に高文脈にある気がしますよね。たとえば「多摩地域でアートプロジェクトをやるとはどういうことなんだろうか」であったり、「わたしたちにとってこの実践ってどういう意味があるんだろうか」のような、個人の航路ともいえるような、個人の実践に根ざした情報を扱っている。だからこそ 、そもそもそういう質問の仕方を人間がAIに対してしないので 、汎用化された回答として参照されにくいのだと思います。

萩原: ここからは僕の意見ですが、だからと言ってその情報に意味がないわけではなくて、ここにあるさまざまな実践からくる情報群はとても貴重なものです。汎用化された情報が価値を持ちやすい時代だからこそ、高文脈な情報がAIから参照されにくいという理由で見過ごされてしまうのは、もったいないことだと思います。むしろ、一見すると汎用化されにくい情報だからこそ、自分から関わりにいったときに大きな影響を受ける可能性がある。興味関心を持ち、自分の人生と比べ、誰もまだ発見していないようなものを自分のなかに発見するということ。それは、自分だけの宝物になりうるものです。そうしたことが今こそ大事な時期なんだ、と思っています。
櫻井: その話を聞くと、tarl.jpの年表の見出しが本の背表紙のようです。きっと、その奥にはさまざまな方々のオーラルヒストリーや、それぞれの個人的な年表が複雑にあります。そうした情報を引っ張り出したり、見つけ出したりする道具としても年表があるということが、tarl.jpの特性ということだと思います。Tokyo Art Research Labは、この汎用性の低さをあえて続けてきたんだなと、あらためて感じますね。
櫻井: 本日の企画のタイトルに「これからの航路」という言葉があります。僕自身、文化事業に携わりながら10年、20年、30年先を考えるとはどういうことかを最近は考えていますが、そのときに、大きく2つの視点があるように感じています。
ひとつは「30年後はこうなっているんだろうな」と、なんとなく社会を見越すみたいなこと。もうひとつは10年後、20年後、30年後に「こうしたい」「こうなるために自分でこう動こう」 「自分でつくっていくんだ」という自分でつくるという話。つまり「30年後を考える」という言葉にもそうした両面があるなと思っています。
僕自身、前者の「なんとなく社会状況を予想する」という意味で30年後を考えてしまいがちなんですが、この年表であったり、TARLが続けてきたことはあくまで後者の「自分がどう30年後に関わっているのかを想像する」ことなのかなと思いました。
こうした時間軸への感覚のようなもので、ウェブ制作に携わってきた萩原さんが感じていること、あるいはこの年表に思うことや委ねることがあれば伺いたいです。

萩原: AIの話ばかりで恐縮ですが、本当にAI以前とAI以後で人の生活や価値観、仕事の仕方も変わっていくだろうなと思っているんです。これは未来予想になってしまいますが、 10年後、あるいは5年後、人間が今まで労働としてやってきたことの多くをAIが担う未来が来たときに「じゃあ、わたしたちは何に興味を持って、何に生きる喜びを感じていくんだろうか」と。
それは、とても不安になることでもあります。ですが、個人的には「いや、AIがこうやって出てきてるから、自分の生き方はこうしていきたい」というように「未来を予想する」のではなく「たぐり寄せて構想する」という姿勢でテクノロジーに触れ合うことが、今こそ重要だと感じています。
そうしたときに、たとえば、ある作家に自分は影響を受けてるので、その作家名で検索して「この人はこういうプロセスで自分の航路を切り開いていったんだな」と、過去の実践に気が付くツールとして年表を使ってみる。そうすると、「じゃあ、自分はこれからどう動いていこうか」であったり「こういう本を読んでみようか」であったりと、興味を掻き立てられる。そのように、さまざまな方々の出来事や社会情勢が、さまざまな粒度で並んでいる年表をきっかけに「構想する」ということに繋げていけるといいなと思っています。それは自分でも試してみたい使い方のひとつですね。
櫻井: わたしたちが体感している世の中の出来事って、年表で形になっているほどシンプルではなくて、社会のことであったり自分自身のことが複雑に絡み合っているはずなので、その体感を主役にして年表を使っていく、インターネットと付き合っていくということが、ひとつの態度なのかもしれません。
萩原: そうですね。tarl.jpのウェブサイトも年表も、パソコンでもスマホでも簡単に使えるように頑張ってつくりました。ぜひ、みなさんに触ってもらえたら嬉しいです。
* 撮影:森勇馬
* 2026年2月24日実施「これからの航路に向けて」の収録音声をもとに編集・構成
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