水性|Artpoint Radio 東京を歩く #7

2025.03.19

執筆者 : 屋宜初音

水性|Artpoint Radio 東京を歩く #7の写真

「Artpoint Radio 東京を歩く」では、都内にあるさまざまな拠点を訪ね、その運営にかかわっている方にインタビューを行い、その様子をラジオとレポート記事の2つの形式でお届けします。
拠点によって、その業態や運営の手法、目指す風景はさまざま。そうした数多くのまちなかにある風景には、運営者たちの社会への眼差しが映し出されているのではないでしょうか。
本シリーズでは、拠点の運営にかかわるひとびとの言葉から、東京の現在の姿をともに考えていきます。

――

7回目は中野駅から徒歩8分ほど、薬師あいロード商店街にある「水性」を訪れました。駅前の大きくにぎやかなアーケードを抜けたこのエリアは、落ち着いた雰囲気があり、昔ながらの商店と新しいお店が入り混じるなかに、多くのひとびとが行き交います。

今回お話を伺ったのは、水性を運営している前澤秀登(まえざわ ひでと)さんです。もともとクリーニング屋だったというこの場所の歴史から、そこに残るさまざまな痕跡に込める想い、また商店街と地続きの空間で場をひらいているからこその出来事や、大切にしている在り方について聞きました。

水性の外観

この場所について

――まずはこの場所についてお伺いしたいと思います。ここは前澤さんのご実家ということですよね?

前澤:はい、そうです。2階と3階が住居になっていて、そこに住んでいます。2022年末までクリーニング屋として営業していた1階の店舗を、僕が引き継ぎました。「水性」として動きはじめたのは2023年の10月からなので、いまはちょうど1年と少し経ったくらいですね。

――クリーニング屋が家業だったということでしょうか?

前澤:そうです。僕の祖父の代から「清水屋」というクリーニング屋さんをやっていて、それを両親が継いで、2022年まで続けていました。

祖父母が戦後に上京してきて、ここで小さなバラック小屋のようなかたちで場所をひらいて、はじめはアイスクリームを売ったりしていたみたいですね。そこから甘味喫茶になって、そのあとクリーニング屋になりました。クリーニング屋になったのは、オリンピックが開催された1960年代ごろで、みんなおしゃれな洋服を着るようになった時期だったようです。

水性を運営する前澤秀登さん

僕が小さいころは、おじいちゃんとおばあちゃん、そしてお父さん、お母さんと、あとパートさんも加わってクリーニング屋を経営していました。この建物は1983年に建てられたので、水性がオープンした時点で築40年が経っていました。だから古い痕跡が結構残っているんです。たとえば床も、クリーニング屋だったころにあったカウンターの位置から床材が変わっていたり、パートさんが会計をしたり品物を見たりして受付をしていた部分だけ、床のカーペットが剥げちゃっていたり。店内で仕上げまでしていたので、いろいろな工程があって、それが床の痕跡となっています。また、クリーニング屋さんってお客さんから預かり物をしているのもあって、40年の間あまりリノベーションが出来なかったようです。水性を始めるにあたって、こういった痕跡はあえて残すようにしました。

床にはクリーニング屋の痕跡が残る

――なるほど、いろいろな痕跡が残っているんですね。クリーニング屋が閉店した2022年以降は、どういった経緯で「水性」をつくることになったのでしょうか?

前澤:僕は普段、主にパフォーミングアーツの業界でステージフォトの仕事をしています。演劇やコンテンポラリーダンスの写真を撮ることが多いんですけど、そんな仕事をしていますし、今はこういう個人店の時代じゃないのでクリーニング屋は継げないと思ったんです。ほんとは、○○屋さんと名乗るような、商店街っぽい仕事ができたらよかったんですけどね。両親はテナント貸しにすることも考えていました。収入面の心配も少ないですし、ここの商店街のお店も何代目かになってテナント貸しをしているところばかりです。でも、10年くらい前からいろいろ考えていて、何をやりたいのか明確にはわからないみたいな状態ではあったんですけど、やっぱりわがままを言わせてもらって、親に貸してもらうことにしました。写真の仕事を続けつつ、この場所はフリースペースとしていろんな人に使ってもらう場所にしたいなと思ったんです。

――水性がオープンするまでにはどんな過程があったのでしょうか?

前澤: 2022年の12月にクリーニング屋としては店じまいをしました。1月末にクリーニング店専門の解体の方々が来て、いくつか残すものはあったのですが、大きな洗濯機やらアイロン台やら、天井を走るたくさんの配管や外の大きな看板など、ほとんどのものが撤去されました。そのあと僕がこの場所を貸してもらうことになって、2月には友人や知人とフリーマーケットをひらいたり、試験的に企画や貸し出しをしたりしました。なんとなく来てもらって、ぼんやり窓の外を眺めながら過ごしたりもしましたね。あとはダンサーに来てもらって、この場所で動いてもらったりもしました。公開のイベントではなく、クローズドな実験的なものだったのですが、キャリアのある方も多く来てくれて、贅沢でありがたかったです。

――ダンサーに動いてもらうとは、 具体的には何をしたんですか?

前澤:その時は、場所はほぼ空になっていたんですが、クリーニング屋さんの痕跡を残しながら新しくはじめようと考えている状況だったので、ダンサーには、ここに残されたモノを使って空間を自由に動いてもらいました。あと、近所を歩いて帰ってきたりして、この場所と外とのかかわりや、街との関係を考えたりも。僕は様々なダンスがずっと好きだったので、人の身体が動く姿から、わかることがすごく多いんです。だから、ダンサーの身体の流れや所作を通して空間を見てみたかったんです。この場所に残すべき痕跡についても大きなヒントとなりました。

たとえば劇場の大きさも、作品やダンサーによって広くも狭くも感じますし、印象も違いますよね。クリーニング屋さんのときは物があふれていて広さが把握できなかったし、クリーニング屋さんとして動いている場所だったので、分からなかったんです。今でも色々残してはいますが、大きなものが一気になくなると、最初はすごく広く感じたし、水性をはじめてからもイベントごとにさまざまなことを感じます。そのときも、いろんなタイプのダンサーさんに来てもらって、この場所で動くなかでどう感じたかフィードバックをもらったりしつつ、自分が感じたことを大事にしながら、何を残して何を変えるかなど、ここをどのような可能性をもった場所にするのかを考えました。4ヶ月くらいはそうやって場を慣らすようなことをしていました。場を知るというか。そのあとに、リノベーションの工事に入りました。

――ダンサーの動きを通して場を把握する、というのは、パフォーマンスを撮ってきたカメラマンならではの感覚のように思います。いろいろな実験をしながら場のつくりかたから探っていたのですね。

前澤:はい、本当にいろいろな方に協力してもらいました。友人のポートレイトを撮影したりとか、ミュージシャンに来てもらって音漏れのテストをしたり。最後の企画のときにボロボロだったシャッターが壊れて、真っ白いシャッターにしたのが最初の改修工事になりましたね。

――そういったことが、いまの運営にもつながっているんですね。ウェブサイトを見ていると、水性ではよく演劇の公演を行われている様子がありますよね。

前澤:はい。やっぱり僕が舞台写真の仕事をしているので、そのつながりが多かったんです。あと場所の特殊性を面白がってくれたり。それに、水性ぐらいの広さだと、30人ちょっとくらいは入るので、その規模で公演をしたい若い人達やオルタナティブな方々がたくさん使ってくださいました。人から人へ、こういう場所があるよって伝わっていったみたいです。ただ、もちろん舞台関係の人たちに使っていただくのも嬉しいなと思っていますが、僕自身は特にジャンルを決めているわけではありません。今後はもうちょっと、自分で企画を立てたりもしていけたらと思っています。

――なるほど。そもそも舞台写真をはじめた経緯をお伺いしてもいいですか?

前澤:写真と舞台は別々の経緯ですね。写真は20代前半のころに、父が持っていた一眼レフを使ってスナップなどを撮っていたのがはじまりです。舞台は、もともと見るのが好きだったんです。2000年代はじめごろに、演劇や、当時盛り上がっていたコンテンポラリーダンスを見はじめてハマりました。その後いくつかきっかけがあって、ダンスの写真を撮りたいなと思ったんです。それから少しずつダンスや演劇の写真を撮らせてもらう機会が増えていって、仕事にもなっていきました。

場をつくる

――さまざま実験や考える時間のあとに、リノベーションに入られたということですが、ご自身で手を加えられたのでしょうか? クリーニング屋の痕跡を残しつつも、キッチンや天井照明はきれいにリノベーションされていますよね。

前澤:はい、僕はリノベーションについてはまるで無知だったので、なんとなくの図面をイラストレーターとかでつくって、小駒豪(おごま ごう)さんという、舞台照明や美術などをやりつつ、飲食から音楽スタジオまで内装業も手掛けたりしている友人に相談して、主に二人で設計を進めました。お金がなかったので工務店も通さず、豪さんが図面をつくってくれたり、施工のときには現場監督もやってくれたりしました。地元のリフォーム会社が手配してくれた水道屋さんや大工さんにかかわってもらったり、近所で「うた」というお蕎麦とハーブティーのお店をやっている友人に紹介してもらった電気会社の社長さんが、既に退職している腕のいい職人のおじさんを紹介してくれたり、近くにある「デザインファーム建築設計スタジオ」という学校の、当時は生徒さんだったのですが施工も凄腕の飯田悟士(いいだ さとし)さんという方と出会ったりだとか、ダンサーの水越朋(みずこし とも)さんや小山(こやま)まさしさん、劇作家・演出家の小田尚稔(おだ なおとし)さん、ニャーという屋号でカフェをやっているユカさんなど、友人も手伝いに来てくれて、天井を塗ったりタイルを貼ったり、良い出会いの中で進めることができました。僕も細かく言うし、みんな慣れない作業を頑張ってくれました。

この建物を建てたときの設計図があるんですが、それをもとに電気の配線がどう来ているのかを確認しながら、どうするかを考えたり、クリーニング屋さんという特殊事情もあって、電気や排水など図面に書いていないことも多いので、水はどこから引いて来ているのかなとか、下水の穴は開いてるけどこれって使えるかなとか、まるで人体を探るような感じでしたね。使えそうだと思って水を流してみたら、ほかのところから水が溢れてきて、ここは使えないんだって発見したり。そんな感じで探っていきました。あとは照明を個別に調光できるように、電気職人さんにはかなり頑張ってもらいました。ベテランの職人さんって、一見愛想はないんですけど、やれると言ったことはやり抜くような、プロフェッショナルで素敵な人ばかりでした。

――自分たちで手探りしながらの改装、楽しそうですね。改装にはどのくらいの期間がかかったのでしょうか?

前澤:3か月ほどですかね。施工自体は1か月半くらいです。施工の前にはいろいろと下調べをしていましたし、施工中も夜は必要な物を調べてずっと買い物をしていました。全部自分で買ったので、それが大変でした。僕はすべてを人任せにできないタイプだからかもしれないんですけど、全部自分で調べたくて。例えばトイレを水道屋さんに見てもらったら、中のパーツを変えれば使えるって言われて、ウォシュレットについて延々と調べたり。でも調べていくと、良いものが欲しくなっちゃうんです。ほかにも予算をどんどん使っているから、金銭感覚がわけわかんなくなっちゃってました。いま考えると、高いものを買いすぎたものもありますね(笑) 夜中の調べ物と買い物が大変で朝起きられず、工事を任せてしまっている日も結構ありました……。

――手探りしながら、一つひとつ決めながら改装を進めていたんですね。ただ、いまの設えを見るとキッチンをつくることは決めていらっしゃったような印象も受けました。

前澤:そうですね、キッチンをつくろうという構想だけは唯一あったんです。ギャラリーや劇場としてだけ運営するなら必要ないかもしれないんですけど、ちゃんとお菓子が焼けるキッチンが欲しいなって思っていました。キッチンがあって食を提供できることで、コミュニティのようなイメージが生まれる気がしていて。飲食を絡めたイベントができたり、人が長く滞在できたり、アートだけではない、生活感のあるスペースになるといいなと思っていました。

リノベーションしてつくったキッチン

うちと、そと

――水性は、入り口も窓も大きなガラスで、一面がガラス面なので、商店街からも室内の様子がよく見えると思います。中の様子を見て、お客さんがふらっと入ってくることはありますか?

前澤:企画によってはそういうこともあります。キッチンをつくったことも大きくて、それを活用した企画をやってくれる人がいるときなどは、ふらっと来てくれる人も多いです。一方で、演劇の公演をやっていたりすると、雰囲気的に少し入りにくさはあるかもしれませんが、前日に外から見ていた人が翌日は見に来てくれた、といったこともありましたね。

ここには大きなガラス窓があって、内側から外が見えているし、逆に外からも見られているという構造なので、その構造を活かして使ってくれる企画や公演も嬉しいです。ただ、中の空間も変わっているので、借景として外の風景を使うのは難しいだろうな、と思います。今後もリノベ―ションは続くのですが、カーテンをつけるかどうかは一番悩んでいますね。

――商店街のお祭りのときにもオープンしているのですよね。そこでは水性の企画をされているのでしょうか?

前澤:はい、夏には商店街恒例の、いろいろなお店が路上に出店をする日があって、リノベーションの途中でしたが去年から参加しています。今年は水性をオープンスペースとして開放して、休憩所みたいにしていました。この商店街には商店組合もあって、うちも代々その会員になっていたのですが、今年から僕も会員になったので、みなさんともう少し仲良くなれたらと思います。

――水性がオープンしたことや、ここで行われている活動について、商店会からはどんな反応がありますか?

前澤:たくさん話すわけではないので、いまのところ特に大きな反応はないのですが、音が大きかったり、外に人が溢れてしまってご迷惑をおかけしたことがあったので、そこは気を付けています。

この場所の難しいところでもあるのですが、入り口が商店街に面しているので外からのざわざわした音も常に入ってくるんです。あと、商店街の秋祭りではお神輿が目の前を通るんですけど、商店会に聞いても何日にお神輿が通るのか、ギリギリまで日程がわからないので、その期間は演劇に貸せないなと思って、展示企画に貸すことにしたんです。でも、会期中にダンスパフォーマンスをする日があって、それがお神輿の日と重なってしまったので、借りてくれた方に「もしかしたら、お神輿が通る日かもしれないんだけど……」って相談をしていました。やっとお神輿が通る時間がわかって、パフォーマンスの時間を確認してみると、パフォーマンスの時間に重なるかどうかギリギリだったんですよ。

公演時間も決めてチラシをつくって広報しているので、いまさら時間の変更はできないし、お神輿がどこを何時に出発して、水性の前を通り過ぎるまでに何分ぐらいかかるのかを計算して……。ギリギリ大丈夫かもしれないとか、やっぱりちょっと駄目かもしれないとか、何回も確認しました。それで結局、パフォーマンスの最中にお神輿が通っちゃったんです。でも、ダンサーさんや見ていたお客さんに話を聞くと「いいタイミングに通った」と肯定的に言ってくれて、ほっとしました。

近隣からの苦情がないようにしないといけないけど、同時に、借りる人のことも考えなきゃいけないんですよね。商店街でのイベントは定期的にひらかれているので。ほかにも、春の交通安全週間に小学生のパレードが通ることも昔はあったな、と思い出したりして。すごくシリアスな演劇をやっているときに、小学生の明るいパレードが通ったとしたら……と思うとひやひやしてしまいますね。そういうことが、こういう場所にある面白さだとも思いますが、同時に難しさでもあります。

残すこと、見送ること

――あらためて空間を見ると、手を入れすぎず、クリーニング屋の痕跡を残しながら商店街と地続きにあることが特徴なのだなと思いました。

前澤:最初はもっと全体をリノベーションしてきれいにするというアイデアもあったんです。けれど、そうじゃない、痕跡の残る場所の方が個人的にも好きだったので、あえてクリーニング屋の機材も残したりしているんです。企画によっては邪魔なことも多いんですけどね。

たとえばフロアの端に業務用洗濯機の蓋があるんですけど、解体業者が来たときに「蓋だけください」とわざわざお願いしたりしたんです。本当は、こうして残したものを使って改造したりとか、何かつくったりしたいんですけど、なかなか時間と人が見つからなくて……。

――お話を聞いていると、前澤さんはこの場所に蓄積された歴史や時間も含めて、引き継いでいるんだなと思いました。リノベーションのときにひとつひとつ部品を調べて選んでいかれたことも、小さなことでもきちんと目配せをして、変わっていく様子を取りこぼさないようにしているからなのではないでしょうか。

前澤:そうかもしれません。僕は写真をやっているので、クリーニング屋としての最終営業日の様子を映像や写真で撮っておいたんです。その流れで店内の什器の解体の様子や、空間が変わっていく様子も記録していました。個人的にはそのあたりのストーリーが重要な気がしています。変わっていくにしてもあくまで段階を踏むというか、人が出入りする痕跡が残っていく感じや、空気感を大切にしたい。だからリノベーションの段階になっても、「全部塗り替えて新しくしよう!」とはならなかったんですよね。一度まっさらにしてしまったら、そういう痕跡や空気感は二度とつくれるものではないですから。だから、床のガムテープからちょっとした突起から何から残し具合を考えつつ、リノベーションを進めるのは難しかったですね。この場所に名前をつけるのもギリギリまで迷いましたし。

――水性という名前はクリーニング屋の清水屋から引き継いでいるのですか?

前澤:はい、清水屋から一文字取りたいなとは思っていたんです。清水屋のままでもいいなとも思ったのですが、でも○○屋っていうには売っているものもないですし、もう少し抽象的な言葉の方がいいなと思いました。ここのリノベーションをする前に、国分寺にある「ユングラ」という、上村恵(かみむら めぐみ)さんのスタジオのリノベーションに参加する機会があったんです。そのときにホームセンターで工具やペンキを見ていたら、水性や油性ってたくさん書いてあるのを見つけて。それで漠然と、水性っていい言葉だなって思っていたんですよね。

でも、そこからギリギリまで決めあぐねていました。リノベーションは進めていたのですが、オープンの数日前に飲食の営業許可を取るためのチェックで保健所の方々が現場を見に来たときに、「今日、許可証を出すのでいま屋号を決める必要があります」って言われたんですね。営業許可を取るためには屋号を決めて申請を出さないといけないんです。それで、「あ、じゃあ、水性で」みたいな感じでその場で決めました。

でも、水性っていい言葉だと思います。この場所の変化していく感じもなんだか水性っぽいですよね。

――水性の看板も、「水性」という手書きの文字の写真を貼っていますが、ロゴマークなどはつくられていないのですか?

前澤:ロゴは、まだ決められていないんです。看板もウェブサイトも、内装もですが、これから変わっていく予定です。いまは看板として写真を貼っていますが、これは母の文字なんです。母の字で何度か看板は入れ替わっています。今後看板も母の文字のロゴを元につくろうとしていて、それはデザイナーさんにも依頼してお話ししています。ただ、忙しさもあり進んでいないのですが……。でも、場も変わっていくしゆっくり段階的につくっていければと思っています。

はじめにかっちりつくってしまうと、そこから動かしようがなくなるので。やりたいことがはっきりあれば、それでもいいんですけど、ここはそういうわけじゃないから。ひらいてみて、動かしながら、たとえば椅子を増やそうとか窓を塞ごうとか、こういうことやったほうがいいかも、みたいな感じで、段々と変化していく。それを大切にしたいとも思っています。

 水性の看板

――いまはレンタルスペースとしての利用が多いと伺いましたが、場所のストーリーだったり特性を知らない人に貸すことは大変だったりしませんか?

前澤:お話ししたようなこれまでのストーリーもありますが、場所をひらいていきたいし、私的なストーリーをあえて共有したいとも思わないので、あくまで自由な解釈で好きに使ってもらえたらと思っています。ただ、古くてボロボロに見えてもあえて残している部分があるのですが、そのせいか、どうしても雑に扱われてしまうことがあったりはしますね。ただ、人に貸すというのはそういうことだなとも思います。人が出入りするなかで場所も変わっていく。それもまた新しいストーリーになると思っています。

水性の今後

――ここまでを振り返って、ほかの土地ではなく、この場所で水性をひらくことが前澤さんにとって大切なのだなと思いました。

前澤:僕はここにずっと住んでいるんですよね。 ここで生まれ育って、親が働く姿を見てきました。なので、小さいころから「この場所は自分が引き継ぐのかも知れない」という気持ちが、無意識的にあったと思います。全然違うことをやっていても。だから、とりあえずはしばらく続けていきたいと思っています。

クリーニング屋で使用していた什器の一部がいまも残る
足もとには購入日が。大切に使われてきたことがわかる

――だいたい何年ぐらい先まで続けようという目標はありますか?

前澤:いまは、なるべく長くやっていきたいなとだけは思っています。でも、自分がずっと続けていくわけではないかもしれない。いい出会いがあれば、任せてしまうこともあるかもしれないです。

あと、水性という名前で続けるかもわからないですね。拠点のアイデンティティって、どこにあるのかわからないというか。名前を付けるとその瞬間に自分のこどもみたいになっちゃうけど、ここはまだ猶予期間というか、モラトリアムな感じがあります。誰かが運営していて、僕が使うときだけ水性になるとか……先のことはわからないです。

――ロゴも仮ですし、段々とつくっているスタンスをあえて選んでいますしね。しかし、まだはじまって1年しか経っていないのに、人に任せてもいいと言ってしまえるのは不思議です。

前澤:まちも変わっていくので、それが大きいかもしれないです。いま中野は大規模な再開発中で、これから超高層ビルが建って、大きな工事が進んで、この先の数年でまちが大きく変わりそうで。その影響は、この商店街やうちも受けると思うんです。ここ数年でも商店街はどんどん変わっているし、その移り変わりも見ているから、どうなるかわからないなという思いが僕にはあります。

――この場所も、まちと一緒に変化し続けるということですよね。場所を開けている限り、いい意味で完成しないというか。

前澤:完成しない感じがいいですよね、完成すると終わっちゃう気がするから。僕は仕事でも舞台という、なくなってしまうものの記録写真を撮っているし、性格的にも古いものを捨てられないタイプというか、思いを込めがちで。なくなることがすごい悲しいんです。入ったことのないお店でも、閉店のお知らせの張り紙を見つけると、じっと見てすごく落ち込むこともあります。

ここを日々運営しているなかでも、借りてくれている方が変わるときは悲しいですね。秋頃に演劇の団体が借りてくれていたのですが、そのあいだの練習や公演のなかで歌声が2階まで聞こえてきていたんですよ。でも、公演の期間が終わるといなくなってしまう。僕はここに残って見送ることが多いから寂しいんです。借りる人を迎えるということは、見送る日があるってことじゃないですか。今日も、このインタビューのあと、みなさんを見送ると思うんですけど、誰かが来てから帰ってほしいな(笑) なんだかリセットされるのが好きじゃないタイプなのかもしれないですね。
なるべく連続性というか、空間もまちの歴史も、僕の人間関係も、写真の仕事も全部切らずに、混ぜていく感じにしたい。そういうことを大事にしたいと思ってます。

――

代々受け継いできた場所だからこそ見える、蓄積されている時間とその痕跡。まちや建物自体が内包している、過去・現在・未来という時間軸のなかで、水性の在り方を考える語り口が印象的でした。オープンから1年という段階で、ほかの人に運営を任せてもいいと言ってしまえるのは、その場所の歴史やその時間の厚みを知っているからこそなのかもしれません。まちの変化や人との出会いに影響されて、じんわりと変化し続ける水性の今後の姿に注目です。

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水性
住所:東京都中野区新井1丁目14−14
アクセス:JR中央線・総武線・東京メトロ東西線中野駅北口から徒歩8分
公式ウェブサイト:https://suisei-nakano.com/

話し手:前澤秀登
聞き手:小山冴子、櫻井駿介、屋宜初音
執筆:屋宜初音
編集:小山冴子、櫻井駿介
写真:齋藤彰英

取材日:2024年12月12日(木)

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