共通: 年度: 2016
「まちづくり」と「アート」、2つの言語の違いを意識しながら。名古屋の港まちをフィールドにした「MAT, Nagoya」と「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。 ―TARL集中講座(2)レポート(後編)
「アートプロジェクトが向かう、これからの在り方」と題された今回の講座では、アートがもたらす気付きや可能性の意義を問い続け、実験的な活動に取り組むゲストを迎え、現在彼らが向き合う課題や挑戦を共有しながら、アートプロジェクトのこれからの在り方を探っていきます。
今回のゲストは、名古屋の港まちをフィールドにしたアートプログラムMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]プログラムディレクターの吉田有里さんと、同じくプログラムディレクターでありアーティストの青田真也さん、そして名古屋市文化振興室職員として「アッセンブリッジ・ナゴヤ」を担当する吉田祐治さんです。後半は「まちづくり」と「アート」の関係性について伺います。
前編「様々な人が集まり、話し、議論する「テーブル」をつくる」はこちら
まちづくりの中のプログラムとして/継続的な視点
MAT, Nagoyaはプロジェクトではなく、プログラムだと、吉田さんは言います。プロジェクトというのは、始まりと終わりがあります。しかしMAT, Nagoyaはそうではなく、あくまでも、まちづくりの中のプログラムの1つなのです。まちづくりには終わりがありません。それに合わせてアートも続けていきたいのだと吉田さんは言います。今回、吉田さんや青田さんの話を聞いていて感じたのは、MAT, Nagoyaがいつも継続的な視点をもって動いているという事でした。そしてそれは、あいちトリエンナーレでの経験もやはり大きく関わってきているようです。

あいちトリエンナーレは、毎回芸術監督が変わります。それにともなって芸術祭の雰囲気も変わりますし、もちろんチーム編成も変わります。 芸術祭のたびに運営のためのチームが組まれ、走り、芸術祭が終わればまた解散するという仕組みになっています。吉田さんは2010年、2013年と2回連続して芸術祭に関わりましたが、コーディネーターとして外部から入った人で、吉田さんのように連続して2回の芸術祭に関わる人は、実はほとんどいません。大きなお祭りがあって、たくさん人が来て盛り上がり、大きな感動を呼んだとしても、そこには確実に終わりがあります。チームも残りません。
もちろん、芸術祭でつくりあげたもの、積み上げた経験、まちの賑わいや人との関係が全くゼロになるということではありませんし、トリエンナーレがあることで繋がる活動や、生まれてくる活動も本当にたくさんあります。しかし、3年に一度やってくるお祭りは、準備期間としてはものすごく大変な時間や労力をかけてはいても、鑑賞者やまちの人にとってはたったの3ヶ月。その間の2年9ヶ月の間は、まちや観客にとっては何もない期間になってしまいます。
「3年に一度の3ヶ月のお祭りも、みんなの経験にもなるし楽しいお祭りなんですけど、それが終わってしまったあとは普通のまちに戻ってしまうということに対して、やりたいことやできることがたくさんあるなと思っていました。フェスティバルって良い面も限界も、どっちもあるんですよね。求心力もあるし色んな人も集まるし特別な経験になります。でも、その間の期間に何も起こらないのは、もったいないなと思うんです」。
吉田さんは、常に何か活動が起っている場があるということが重要だと考え、2014年に港まちで働き始めた頃には、Mintomachi POTLUCK BUILDING(以下、ポットラックビル)のような施設をつくって地道に活動していこうと考えていたのだそうです。
そうやって2015年秋のポットラックビルのオープンに向けてプログラムが進んでいた2015年の春ごろ、名古屋市がひとつの文化事業を港まちづくり協議会に提案してきました。それがアッセンブリッジ・ナゴヤの始まりでした。

提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
アッセンブリッジ・ナゴヤもまた、継続的に続けていくことを見越して、計画がなされています。展覧会については、名古屋・東海圏名古屋を中心に東海地方のカルチャー・トピックを紹介するWEBマガジン「LIVERARY」にレポートが上がっていますが、ここを読んでいただくと分かるように、たくさんの特徴的な建物を使っています。ポットラックビルはもちろんのこと、閉院した接骨院や、20年もの間空き家となっていたお寿司屋さんの建物、税関職員研修に使用される寄宿舎であった旧・税関寮など。一つ一つの建物や空間は、作品の展示を丁寧に検討した上で、改装されたり、整えられたりしています。

提供:港まちづくり協議会
今回、名古屋市が主催として入ることで、まちの様々な施設をオフィシャルに使うことができたと、吉田有里さんは言います。
「私たちは、それまで以上にまちとより広い視点で繋がっていく方法を探していました。このフェスティバルをきっかけに、港まちの空き家や既存の施設との新たな関係性が生まれました。また、愛知には既にトリエンナーレもあるし、そこに関わった経験もあったので、最初は私たち自身がフェスティバル的な事をやることに対して懐疑的な気持ちもやっぱりあったのですが、アッセンブリッジという取り組みを活動の一つの軸にして、いわゆる花火のような単発的なものではなく、継続性のある、持続性のあるイベントにしていくことで、私たちの活動と地続きになっていくのではないか、打開できることもあるんじゃないかと思って、開催することにしました」。

写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
建物の改修は、かなり手間がかかります。古い建物だと水道管がもう使えなかったり電気が通っていなかったり。そういった問題の一つ一つを、関わるアーキテクトやインストールするチーム、キュレーターと相談しながら、もちろん近所の電気屋さんや工務店、水道局の人の手も借りて、使える状態にしていきました。また、旧税関寮については、借りるだけの予算がなかったため、名古屋市職員の吉田祐治さんが様々な方法を探した末、文化行政のほうで市税の固定資産税を減免するという方法に辿り着き、大家さんにも運営側にも負担なく、3年間限定で無償でお借りできることになったそうです。この旧税関寮は今後3年間の活用を考えて建物の用途変更まで行っています。建物の用途変更をするというのは、なかなか大変な作業なのです。今回、名古屋市が主催に入っているということで、市のアドバイスや市にしかできない方法も活用しながら、かなりの手間と時間をかけて動いているようです。そして、こういった動きは、今後も継続的に続けていくことを視野にいれているからこそ、できることなのだろうと思います。

提供:港まちづくり協議会
「アートプロジェクトでは、展覧会が終わってしまうと、会場を持ち主に返さなくてはならないので、室内改修したとしてもまた壊して、現状復帰して戻すというやり方をしていました。なので、壁を設えるといっても3ヶ月だけの仮設にせざるをえなかった。でもそれは、やっぱりもったいないなって思うところがあって。10年、20年保つかはわからないけど、中長期的な設えとして使えるような場所にしたいというのもあって、アッセンブリッジが終わったあとも継続して使えるように意識してつくり変えていきました」。

写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
アッセンブリッジ・ナゴヤの、この作り方、手のかけ方は、3年先だけではなく、もっと長期的なものを視野にいれてビジョンを立てているようにも見えます。2020年のその先については、どう考えているのでしょうか。
吉田有里さんは、「継続させていく仕組みづくりを目標にしながらやっていけたらいいなと思っています。2020年までアッセンブリッジはあるので、その5年間を使って名古屋市と一緒に何ができるかというのを、良い面も悪い面も見ながら、お互いに認識しながらやっていけたらいいなと思います」と語ります。
まだ現実的には見えてないけれど、あくまでこの先の可能性を広げながら、今後の継続の方法を探りつつ、やっていこうとしているのです。

写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
継続性をもつという視点は、フェスティバル型で、短期集中型であるトリエンナーレを経験した上で、そうではない形をと選択したものでもあるように思いますが、運営面についても、MAT, Nagoyaには特徴があります。
それは、あいちトリエンナーレやその他の大規模な国際展や芸術祭のように、一人のディレクターの元にスタッフが集い、一つの目的達成(テーマ)のために動くという「ディレクション型」の構造ではなく、関わる人がそれぞれフラットな関係性で居て、対等に意見を出し合い、皆で話し合いながら動き方や方向性を決めていく「ファシリテーション型」の方法をとっている事です。そしてそのファシリテーション型の方法は、まちづくりのチームのやり方でもあるといいます。また、その話し合いの場にも、MAT, Nagoyaのメンバー以外に、キュレーターや他のアーティストにも入ってもらったり、デザイナーやインストールのチームにも入ってもらったりしつつ、様々な立場・職能の人と対話を重ねながら進めています。
特に、アーティストやデザイナーとの対話を重視する理由について、吉田有里さんは、「クリエイターやアーティストの、物事を可視化する能力を信じているから」だと言います。

写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
「まちづくりというのはいろんな活動が生まれるしストーリーが生まれていくものではあるけれど、それがなかなか可視化されないものだったりもするので、そういう面では、それを見える形にしていくアーティストの力というのは、まちづくりと相性がいいと思ってます。トリエンナーレで働いていたときに実感したのですが、アーティストはリサーチをしてると、やっぱりいろんなことに気づくんですよね。まちの人が気づかない面白ポイントとかダメなところ、良いところ、どうしてこうなってるんだろう?という所とか。ずっと住んでる人や働いている人は気づかないようなこと。でも、例えばそれを5つ見つけても1つしか作品のアイデアには使わないので、あとの4つはもったいないなと私は思っていました。アーティストは作品をつくったら終わってしまうけど、そのアイデアの種を建築家とかデザイナーが引き継ぐことができたら、まちにいろんな還元ができるんじゃないかと考えていたんです。なのでMATのプログラムに参加していただくアーティストには、このまちで過ごした時間のなかで気づいた事についてインタビューし、それをアーカイヴしています。印象や感想をとりためています。それはおそらく、すぐには使えるものではないんですけど、5年後とか10年後とか、まちが何かの課題にぶつかった時に、ヒントになるかもしれない。アーティストの気づきは、社会に還元できるかもしれないと思っています。だからこそ、まちづくりの中でもアートの役割はあるんじゃないかなと思っています」。

写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
まちづくりとアート。2つの言語の違いを認識しながら
MAT, Nagoyaは、そのステイトメントの中で、まず最初に、「アートそのものは、まちを変えるためには存在していません」と書いています。「地域のためにアートをやってしまうと、そもそものアートの持っている本質を見失ってしまう気がしています。この一文は、当たり前の事を当たり前のこととして、宣言しているだけなんです。アートそのものはまちを変えるためにあるわけじゃないけれど、アートそのものを受け入れられるまちの許容量が増えていけば、多様性とか人との価値観の違いとか、そういうものを許容できるまちになっていくんだと思います。そうなった時に、まちはきっと、良いまちになるんじゃないかという希望をこめて、ステイトメントに書きました」と吉田有里さん。
「港まちづくり協議会」は、長年、住民主体のまちづくりを行ってきた団体です。その団体が、まちづくりの中でアートプログラムをやろうとするときに、“まちのためにやらないのなら、アートをやっても仕方がないんじゃないか”なんて事も言わず、このフレーズをきちんと受け入れてくれたということが大事だし、本当に感謝していると青田さんは語ります。
「まちづくりの中でアートでやるというのは必ずしも、いっしょくたにしなくて良いなと思ってます。こっちはアートですとか、こっちはまちづくりですとか、可変的であっていいと思います。港まちには、まちづくりの人たちが蓄積した関係性があるので、そういったものを活用しつつ、こちらはアートプログラムとしてアーティストと一緒に動いて、アーティストの思考や作品を尊重する。これまでに、まちづくりのチームとアートのチームとが一つのテーブルで一緒に考えてきたことで、その役割分担もできていると思うんです。まちのチームはまちの中のことをきちんとやっていく。逆に、外の人を招く視点や、港まち以外の視点から考えるというのはアートのチームの役割だと考えています。その共通認識を持って一緒に動ける可能性のあるチームとして出来上がってきているなと思っています」。

まちづくりとなると、関係性とか権利を守るという部分もでてくるので、まちはどうしても閉じていかざるをえない部分があります。一方で、アートプロジェクトはどちらかというと、外に開いていくとか、関わりや関係を広げていくことが得意です。
まちづくりとアートプロジェクトとでは、まちや人へのアプローチの仕方も、何よりそこで使われる言葉も大分違います。MAT, Nagoyaの活動では、まちづくりのチームとアートのチームとが、お互いの方向性や役割や、得意なこと、不得意なことを認識しながら、相互に作用していくように、プログラムを組んでいるのではないかと感じました。

「まちづくりとアートって、もちろん言語がすごく違うんですが、でもすぐに理解できないかもしれないと思われるものをきちんと見てもらえる機会を持ち続けることや、その機会に出会った人がどういう風に考えて反応するのかということを長期的に見守ることは、実はまちづくりやそれを支える人たちの可能性を広げることにもつながっているのかなと。まちづくりとアートとを一緒にやっていく可能性を最近感じています。それはアッセンブリッジ・ナゴヤを開催したり、ポットラックビルという拠点をひらいた事がきっかけになっています」と青田さんは語ります。
MAT, Nagoyaでは、「まちづくりのため」にアートをしているわけではありません。あくまでも、アートの本質を手放さずに、プログラムを運営しています。アーティストやアートがもたらす気づきや想像、可能性。アートの本質そのものを信じ、手放さずにいることで、プログラムは様々な広がり方をし、その結果としてまちづくりに繋がる回路が、できていっているように思います。
いま、まちづくりやまちおこし、芸術祭や地域アートのムーブメントの中で、アートがまるで道具か何かのように語られることがありますが、そうではなく、私たちは今いちど、アートの本質にたちもどり、考える必要があるのかもしれません。
*関連リンク
・Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]
・アッセンブリッジ・ナゴヤ
・Tokyo Art Research Lab
様々な人が集まり、話し、議論する「テーブル」をつくる。名古屋の港まちをフィールドにした「MAT, Nagoya」と「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。 ―TARL集中講座(2)レポート(前編)
これからアートプロジェクトに関わりたい方、現場で活躍しながら次のステップに進みたい方に向けた実践的な講座を提供し、アートプロジェクトを動かす力を「身体化」するスクールプログラム「思考と技術と対話の学校」。その集中講座第2回目が、2017年2月11日、アーツカウンシル東京ROOM302にて開催されました。
「アートプロジェクトが向かう、これからの在り方」と題された今回の講座では、アートがもたらす気付きや可能性の意義を問い続け、実験的な活動に取り組むゲストを迎え、現在彼らが向き合う課題や挑戦を共有しながら、アートプロジェクトのこれからの在り方を探っていきます。今回のゲストは、名古屋の港まちをフィールドにしたアートプログラムMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]プログラムディレクターの吉田有里さんと、同じくプログラムディレクターでありアーティストの青田真也さん、そして名古屋市文化振興室職員として「アッセンブリッジ・ナゴヤ」を担当する吉田祐治さんです。

音楽とアートのフェスティバル「アッセンブリッジ・ナゴヤ」
2016年夏、愛知県にて3年に一度の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2016」が開催されました。その会期の後半に合わせるようにして、港まちでは「アッセンブリッジ・ナゴヤ2016」が開催されました。2つのフェスティバルを併せて訪れた方も多かったのではないでしょうか。
アッセンブリッジ・ナゴヤ2016は、名古屋市街地から電車で15分ほどの「港まち」を舞台に、「音楽部門」と「アート部門」の2つを軸に展開されたフェスティバルです。音楽部門では、世界的に活躍する国内外のクラシック音楽家たちを招き、屋外特設ステージでのオーケストラによるコンサートや、水族館や公園、まちなかの小さなお店での演奏会など、様々な場所で上質な音楽に包まれる4日間のクラシックコンサートを開催しました。

提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
アート部門では、現代美術展『パノラマ庭園-動的生態系にしるす-』を開催し、港まちエリアのリサーチを元に、まちの特性・背景を読み込みながら新たに制作された作品を中心にした展示を行いました。観客は、まるでまちの隙間に入りこむように展示された作品を見てまわりながら、作品だけではなく、まちやその歴史にも深く出会っていくような体験をすることができました。のんびり歩いてまわるにはちょうどよい規模感で、それぞれの展示はMinatomachi POTLUCK BUILDING を基点に約1km圏内にて展開されていました。

写真:怡土鉄夫 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
このアート部門を手がけたのが、キュレーターの服部浩之さんと、Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]のプログラムディレクターである吉田さん、青田さん、野田智子さんの4人です。
今回は、「アッセンブリッジ・ナゴヤ2016」の取り組みを中心にしながら、MAT, Nagoyaの成り立ちと挑戦、プログラムの運営についてお話を伺いました。まちおこし、まちづくりの一環として行われるアートプロジェクトが乱立するなか、MAT, Nagoyaはまちとどのように関わり、取り組んでいるのでしょうか。

写真:岡村靖子 提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会
主体的なまちづくり/港まちの変遷
MAT, Nagoyaが拠点としている「港まち」というのは、名古屋港周辺地区の西築地学区を中心としたエリアのことです。1907年に名古屋港が開港する際、埋立地として整備されたこの地区は、物流の拠点として、モノづくり産業都市・名古屋の発展と活力を支えてきました。特に昭和40年までの名古屋港には、大型の貨物船が頻繁に来港し、運搬業者の小舟や貨物列車、トラック等が活発に行き交ったため、港まちには様々な国の船員や荷役労働者が集まり、大変賑わっていたのだといいます。しかしその後、船舶の大型化や港湾機能の高度化が進み、大型船にも対応するために離れたエリアにコンテナ岸壁が作られたことで、港まちの物流は著しく減少、まちの活力は失われていきました。港まちはその頃から、だんだんと「まちづくり」を意識することになります。

1980年頃から、港まちはウォーターフロント開発や公共施設整備などがおこなわれ、それをきっかけに、地域住民を代表とするまちづくり組織ができ、ワークショップなどの取り組みをいち早く取り入れた、住民主体のまちづくりの活動が盛んになっていきました。1991年には、西築地学区を対象に「築地ポートタウン計画」が策定され、水族館が整備されたり、展望室ができたりと都市開発がなされ、現在はカップルや親子連れも訪れる、開かれたエリアとなっています。一方で、水族館に来る若者がお茶をするようなカフェなどはまだまだ少なく、長らく船員を相手に営業していた居酒屋や、古い喫茶店、古い建物も多く、港まちは今も、昭和の香りを多く残しているのだそうです。
10年前にボートピアという、競艇のチケットを購入するための施設がこのエリアにできました。この施設ができることで、地域の治安が悪くなるのではないかと心配した住民から反対の声が多数挙がり、様々な議論がなされました。その解決策としてできたのが、ボートピアの売り上げの1パーセントを地域に還元するという仕組みです。MAT, Nagoyaを運営する「港まちづくり協議会」は、それらの仕組みを、「港まち活性化補助金」として活用し、このエリアのまちづくりを行う団体として、2006年に発足しました。月に一度、協議会が行われ、行政職員6人と地域の方6人で構成された委員とともに、協議しながら様々な取り組みを決定し、運用を行なっているのだそうです。

提供:港まちづくり協議会
先述のように、港まちは昔から意識的にまちづくりを行ってきたエリアでした。また、その気運を引き継ぎ、港まちづくり協議会は様々な活動を行なってきました。港まちの魅力づくり・にぎわいづくりのための事業として夏のイベントを開催したり、冬のイルミネーション企画を行ったり、地域の情報を掲載した新聞もつくってきました。また、暮らしやすい地域にするために、子供達や企業とともに防災訓練のプロジェクトを実施したり、まちの誰もが使えるハーブガーデンをつくるガーデンプロジェクトを行ったり。そのプログラムはとても多彩で、かつ広がりのあるものです。このように、「暮らす、集う、創る」をテーマに、クリエイティブな視点を通した様々な事業を展開していた港まちづくり協議会が、本格的にアートの分野での取り組みに乗り出したのが、2014年。そうして2015年の秋に拠点を作り、本格的に動き出したのが、アートプログラムであるMinatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]でした。
テーブル/様々な人が集まり、話し、議論する場所
2013年、港まちづくり協議会は今後5年間分のまちづくりのビジョンを描く、「み(ん)なとまち VISION BOOK」をつくりました。その中には空き家物件の活用や、アートイベントの実施が謳われており、その実現のために専門性のある人が必要だと声をかけられたのが、当時名古屋でアートコーディネーターとして活動していた吉田有里さんでした。
吉田さんは横浜のアートセンターBankART1929で働いたあと、2010年と2013年の2回にわたって、あいちトリエンナーレでコーディネーターとして働いていました。特に長者町卸問屋街という、繊維業の卸問屋が集まったエリアでのプロジェクトを担当していたそうです。そして、吉田さんが港まちでプログラムを立ち上げる際に相談したのが、アーティストの青田真也さんと、アートマネジメントをしている野田智子さん、コーディネーターの児玉美香さんでした。皆、これまでにそれぞれの専門をもってアートに関わってきた人たちです。また、青田さんはアーティストとして、あいちトリエンナーレ2010本展と、2009年に開催されたプレイベントに出展していました。長者町エリアでの出展を機にスタジオを構えたり、あいちトリエンナーレ2013の期間中にはプロジェクトを行うユニットやスペースを立ち上げたりもしました。「あいちトリエンナーレが、きっかけになっている」と、青田さんと吉田さんは話します。「トリエンナーレでやってきた事や感じてきたことの、その先、みたいなことが続いてます。MAT, Nagoyaは地道に、長期的な展開ができたらと考えています」と青田さん。MAT, Nagoyaでは、それぞれの職能を持ち寄りながら、話しあいの中でプログラムの方向性を決めているのだといいます。

提供:Minatomachi Art Table, Nagoya
2015年秋に、まちづくりの新たな拠点として、「Minatomachi POTLUCK BUILDING」がオープンしました。10年空き家だった文房具屋さんの5階建てのビルを、リノベーションを行って整備した拠点です。1階はラウンジスペースとしてサロン的に、2階はプロジェクトスペースとして、まちとアートを掛け合わせるような場所として使い、3階のエキシビジョンスペースでは、MAT, Nagoyaの企画として、現代アートを中心とした企画展を行うことになりました。建物の階層ごとに役割が振られ、様々な人が往来し、まざりあうような場所として意図されていて、自由な活動ができるアートとまちづくりの活動拠点です。

提供:Minatomachi Art Table, Nagoya
「持ち寄りのパーティなんかをポットラックパーティと言ったりもするんですけど、ポットラックというのは“ありあわせの”“寄せ集めの”という意味もあって、まちの問題とか課題とかアイデアとか、良いものもそうでないものも持ち寄って皆で考える場所になればと思ってつくりました。その中に、アートがテーブルとしてある、というイメージです」と吉田さんは語ります。テーブルには「机」という意味だけではなく、議論の場、思考する場という意味があり、「港まちのアートプログラムが、まちの中のテーブルのような存在になれば」という思いで、この名前を付けたのだそうです。まちの人、アートの人、外の人。港まちのことを考える様々な立場の人が集まり、語り、議論するテーブルです。
後編「「まちづくり」と「アート」、2つの言語の違いを意識しながら」はこちら
*関連リンク
・Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]
・アッセンブリッジ・ナゴヤ
・Tokyo Art Research Lab
「言葉」を効果的に届けるには?
デザイナー、編集者と研究・開発チームを組む
近年、各地で増加するアートプロジェクトにおいては、その実施プロセスや成果等を可視化し、広く共有する目的で様々な形態の報告書やドキュメントブックなどが発行されています。ただし、それらの発行物は、書店販売などの一般流通に乗らないものも多いため、制作だけでなく「届ける」ところまでを設計することが必要です。また、発行物を通して、そこに通底する価値を広く社会に伝えることも重要です。
TARLでは、そんなアートプロジェクト資料を収集し、広く活用していく環境づくりのため、これまでにアーカイブセンターの開設や、検索データベース「SEARCH302の」の開発に取り組んできました。
そして、今回、新たな研究・開発プログラム「アートプロジェクトの「言葉」に関するメディア開発:メディア/レターの届け方」として、「届け方」に焦点を当てた試みに着手。
多種多様な形態で、それぞれ異なる目的をもつアートプロジェクト資料を、どんな風に届ければ、効果的に活用してもらえるのだろうか? 資料の流通に適したデザインとは何か?
そんな問いを抱えつつ研究・開発チームに参加した、アーツカウンシル東京・中田一会がレポートします。
テーマ|4事業22冊の発行物を効果的に届けたい
題材として取り上げたのは、「東京アートポイント計画」「Tokyo Art Research Lab」「Art Support Tohoku-Tokyo」「TURN」という、アーツカウンシル東京の事業推進室事業調整課で取り組む4事業において発行された冊子です。その数、22冊。
例年通りであれば、これらの冊子は年度末にダンボール箱に詰め、A4サイズの送付状を添えた上で、各研究機関や専門家、芸術文化施設等に向けて発送します。しかし、この方法では、年度切り替わりの多忙な時期に、開封されるのも活用されるのも遅れてしまうことが課題でした。

案1|そのままフィルム梱包して届けてはどうか?
今回の研究・開発では、美術家・北澤潤さんの日常をメディアとして届けるプロジェクト「DAILY LIFE」などのデザインを手がけるデザイナー・川村格夫さん、アートプロジェクトをはじめ様々な活動体のことばの届け方に長けている編集者・川村庸子さんと佐藤恵美さん、そしてアーツカウンシル東京のプログラムオフィサー・佐藤李青と中田一会が研究開発チームを組みました。
「中身が見えることが解決策になるのでは?」
ディスカッションを重ねてたどり着いたのは、「束ねた冊子をそのまま包んで送る」という大胆なアイデア。梱包用の透明ラップでぐるぐる巻きにして、本束の形そのままで届けられないか検証をしてみることに。

ところがリサーチの結果、(1)丁合とラッピングをこの方法で印刷会社に発注すると予算がかなり割高になること、(2)配送業者の多くは透明で生の形状の荷物は配送不可の可能性が高いことが判明しました。
案2|本棚がそのまま届くような形状で届けるのはどうか?
そこで次のアイデアとして登場したのが、1面が空いたダンボール箱に冊子を納め、透明フィルムで梱包するような形状です。川村格夫さんからはこんなプロトタイプの写真が届きました。

「本棚がそのまま届く」イメージです。
この形状であれば、ダンボール箱に納めながらも中身が見え、資料としてすぐに活用してもらえそうです。郵便局の窓口にプロトタイプを持ち込んで確認をとったところ、配送可能とのことでした。
そこで、この方向で進めることとし、「Box」は川村格夫さんが専門の業者に相談しつつ制作コストを試算しながらデザインを制作。
また、冊子と事業の関係性を伝えるメディアとして、川村庸子さん、佐藤恵美さんとは送付状に代わる「Letter」の企画制作を進めました。こちらは各事業の状況や、その中でも特に伝えたいテーマを読み物としてまとめていきました。
最終案|Words Binder 2016 / Box + Letter
以上の案2をブラッシュアップして仕上げたのが、「Words Binder 2016 / Box + Letter」です。






プロセス|作業ラインも含めて設計
ちなみに今回は、Boxのスタンプ押印、組み立て、冊子の丁合、箱詰め、梱包に至るまで、すべて手作業で進めました。事業を担当するアーツカウンシル東京・プログラムオフィサー総出の発送作業!
「言葉を年度末のご挨拶としてギフト的に届ける」ことに取り組むにあたり、あえて手作業に挑みました。モチベーションと手間の関係性や、作業ラインについてもデザイナー・川村格夫さんから提案を受けて実験的に構成。



結果と振返り|好評の一方、郵送の思わぬ落とし穴が発覚
新しい言葉の届け方として、包み方と伝え方の両面で試行錯誤を重ねた今回の研究・開発。お届けした先からは、「本棚が届いたようでうれしい。そのまま棚に並べました」「どの冊子も充実した内容なので施設で活用したい。SNSで投稿してもいいでしょうか」「今年もたくさん届きました。早速開封しました」などのコメントを多数いただきました。
一方で、郵送に関して想定していないアクシデントも。それは、郵送の中継局によっては、発送元への確認無しでガムテープ補強されてしまうということ。

「ガムテ姿」の一報を受けたときの衝撃は忘れられません……。1面が開いているように見える見た目が、郵送担当者には不安に感じられたのかもしれません。
ただし、その点に関しては、厚みのある透明フィルムで全体をしっかり包み込み、強度的に問題ない(=空いている面を下にして激しく振っても破れない)ことを郵便局で確認してから発送しています。それにも関わらず、発送先約20件にヒアリングした結果、おおよそ2/3でテープ補強を確認。中身に問題ないとはいえ、意図通りの姿で届かなかったBoxがかなりの数あったようで、大変残念です。
郵便局の窓口に問い合わせると、発送ラベルの「摘要欄」に禁止事項(「テープ補強禁止」など)を記入することで防げたかもしれないとの回答でしたが、それでもテープ補強される可能性はあるようです。
まとめ|言葉の届け方を考える
今回の研究開発プログラムでは、冊子の届け方ひとつでも「つくる→組む→届ける」というプロセスがあり、どこからどこまでを誰と手がけ、委ねていくかの設計も重要であることがわかりました。そのバランスによってコストや手間は変動しますが、物質的な「言葉」としての冊子の届け方には、もう少し工夫の余地や選択肢がありそうです。
また、このほかに、広く伝えて届ける方法としては、公立図書館に冊子を寄贈すること、国立国会図書館のデジタルアーカイブ事業にウェブサイトを収集してもらうことなどのアプローチもあり、Tokyo Art Research Labや東京アートポイント計画では実際に行っています。
アートプロジェクトの現場の課題の解決や、知見の可視化を目指し、様々な課題に挑むTARLの研究・開発プロジェクト。今回の検証結果やこれまでの蓄積を活かし、より良い届け方を今後も考え、検証していきます。

100組の作家ではなく1組の作家へ。芸術祭の形を大胆に転換した「BEPPU PROJECT」の設計思想―TARL集中講座(1)レポート(前編)
これからアートプロジェクトに関わりたい方、現場で活躍しながら次のステップに進みたい方に向けた実践的な講座を提供し、アートプロジェクトを動かす力を「身体化」するスクールプログラム「Tokyo Art Research Lab 思考と技術と対話の学校」。その集中講座第1回目が、2017年1月29日、アーツカウンシル東京ROOM302にて開催されました。
「アートプロジェクトが向かう、これからの在り方」と題された今回の講座では、アートがもたらす気付きや可能性の意義を問い続け、実験的な活動に取り組むゲストを迎え、現在彼らが向き合う課題や挑戦を共有しながら、アートプロジェクトのこれからの在り方を探っていきます。 第1回のゲストはNPO法人BEPPU PROJECT代表理事の山出淳也さんと、現代芸術活動グループ「目」から荒神明香さんと南川憲二さんです。

NPO法人BEPPU PROJECTが事務局を担う別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」実行委員会は、2009年より3年毎に開催してきた別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」(以下、「混浴温泉世界」)を、2015年、3回目の開催をもって終了し、2016年からは、毎年1組のアーティストと向き合い、別府で新作をつくり出す個展形式の芸術祭「in BEPPU」を開始しました。各地で国際芸術祭が増え、参加作家や会場、予算において規模が拡大し続ける中、 多くの観客を魅了してきたフェスティバル型の「混浴温泉世界」を終了し、個展形式へ切り替えるということは、大きな決断でありチャレンジであったと思います。ではなぜ、彼らはこのような転換を決め、実現することができたのでしょうか。
今回は、BEPPU PROJECTのこれまでの活動と、2016年から始まった個展形式の芸術祭「in BEPPU」に至る経緯について、そしてこれからの展開について、「in BEPPU」第1回の参加アーティストである「目」のお二人との対話も交えながら、お話していただきました。ここでは、仕掛け人である山出さんのトークを中心に、レポートします。
クリエイティブのハブになる
「僕たちは、文化を中心に地域を活性化し、社会をより豊かにしていくためのエンジンでいたいと思っているんです」。そう語る山出さんが、世界有数の温泉地として知られる大分県別府市を拠点にNPO法人BEPPU PROJECTを立ち上げたのは2005年。
もともとまちづくりが盛んな別府市で、周りの団体や企業とも協働しながら様々なプロジェクトを展開してきたBEPPU PROJECTは、現在では別府市だけでなく大分県各地で、様々な分野でプロジェクトを行っています。その活動の流れを聞いていると、まるであらかじめ全て設計されていたのでは?という位、様々なプロジェクトが自然とつながり、広がっているように思えました。

彼らの活動は、2005年に有志で集まり、別府市で国際芸術フェスティバルを開催することをマニフェストに掲げ、活動を開始したところから始まります。2006年には法人化。そして2007年に別府市中心市街地の活性化を考える国際シンポジウムを開催し、そこでなされた議論を元に、空き店舗を活用して市民の活動や発信の拠点となるスペースを中心市街地の複数の場所につくりました。2009年からは、これらのスペースを主要会場に、別府現代芸術フェステイバル「混浴温泉世界」を3年毎に開催。2010年からは市民文化祭「ベップ・アート・マンス」を毎年開催するようになります。
国際芸術祭と並行したこの市民文化祭には、回を重ねるごとに参加する市民が増加し、これまで文化に関わりのなかった方が表現活動を始めたり、発表形態や表現ジャンルも年々多彩になったりと、別府市の賑わいや文化振興に大きく寄与しています。と同時に、町の情報を丁寧に紹介したフリーマガジンを発行し、従来別府観光の顧客ではなかった若年女性をターゲットに据えた情報発信の事業も行ってきました。

「混浴温泉世界」をきっかけに別府に移り住むアーティストも多く、滞在施設の整備や仕組みづくりなど、アーティストやクリエーターの移住を促進する事業を行うとともに、海外作家のレジデンスプロジェクトも実施。
2012年から2014年にかけて、山出さんがディレクターを務め、展開された「国東半島芸術祭」では、会期終了後も見ることのできるサイトスペシフィックな作品を複数設置し、国東半島ならではの自然や文化に触れながら作品をめぐるツアーを提案。同時期に行われた県産品のブランディング事業では、厳選された県産品からなる地域ブランド「Oita Made」を創出し、アートイベントの参加者が、生産者の顔の見える商品をお土産として購入できる仕組みもつくりました。

その後も大分県内で開催される文化イベントをつなぐ仕組みづくりや、小学校や福祉施設へのアウトリーチプロジェクト、地域のお祭りを盛り上げるための楽隊の企画・運営など、本当に様々なプロジェクトを手がけられてきています。小さなワークショップや講座も含めると、その数は1000を優に超えるそうです。
「クリエイティブのハブになるような組織として、企業や団体、行政など、様々な所と協力して活動してきた」と語る山出さん。こうして見ると、まさに一つ一つのプロジェクトが、他地域も巻き込みながら、有機的につながり、広がっているように感じられます。例えば2015年の「混浴温泉世界」開催時には、大分市内でトイレをテーマにしたアートフェスティバル「おおいたトイレンナーレ2015」も同時期に開催されましたし、国東半島では「国東半島芸術祭」で制作された作品を鑑賞することもできました。また、大分市の水族館「うみたまご」の新施設「あそびーち」には、アートな遊具が設置され、竹田市や日田市でも文化事業が開催されました。これらを廻る仕掛けとして、JR九州では電車をアート化し、主要駅に設置されたスタンプを台紙に捺すことでオリジナルの絵本を完成させるプロジェクト「JR九州おおいたトレインナーレ」を実施。お土産には、厳選された大分県産品を「Oita Made」で・・・と旅をデザインしていきました。そしてこれらの情報が集約されたフリーマガジン「ARTrip」も発行されました。このように、県内各地の組織と連携し、これまで積み重ねてきた様々なプロジェクトが相互に関連しあい、大分県全域に広がるものとなっていました。

複数年にわたって積み重ねられてきた、このような広がりは、どのような観点からつくりあげられてきたのでしょうか。
山出さんは、「10年以上継続的に活動する中で、一つのビジョンを持ち、どういう風に地域が変わっていくのかを考えながら変化を起こしていく」のだと語ります。一つの大きなビジョンを持ち、そのビジョンに向かって長いスパンで物事を見ていくこと。また、変わっていく地域の状況を見据えて、「見直しのタイミング」を設計に入れることが必要なのだそうです。
「10年継続すると、それ以降も継続が望まれていきます。そこで一旦見直しの時間をとらないと、ずるずる継続だけが求められてしまうので、僕は一つのプロジェクトの区切りを10年と考えています」。

観客数ではない、別の評価の在り方
2009年から開催されてきた別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」も、開催当初より3回(約10年間)の開催を謳い、その中で様々な変化をつくってきたそうです。第1回、第2回の「混浴温泉世界」は、マップをたよりに町中に点在する作品を歩いて見てまわるという形式でしたが、2015年の最終回は、ガイドとともに町を歩く「路地裏散策」を参考に、ツアー型のものに変更しました。この形式は、山出さんの強い希望で実現しました。別府の路地裏散策は、それまで海外に住んでいた山出さんが帰国し、BEPPU PROJECTを始める動機となったものでもありました。
「別府のまちづくりをしている人たちが、路地裏散策をしているということをインターネットの記事で読んだ事が、僕が日本に帰ってくる動機の一つとなりました。そこには“お客様が一人でもいれば必ずガイドツアーを行いますので、気軽に来てください”と書かれていたんです。別府は温泉の湧出量が全国1位、世界でも2位の世界有数の温泉観光地であり、昔から団体旅行客が大変多いところです。僕は、別府が個人客向けのサービスをしているということが信じられなくて、パリから別府市役所に電話で問い合わせたんです。そしたら担当者がものすごく情熱的に語ってくださって、その熱が国をこえて伝わったんでしょうね。ぜひ、このいろんな活動をしている人に会ってみたいなと思い、日本に帰ってきたんです。」
もっとじっくりと別府の町や作品に出合ってほしいという思いから「芸術祭の形が少人数に対するサービスにたどり着いた」と山出さんは語ります。
ツアーは完全予約制。15名限定のこのツアーには案内人がつき、別府の歴史や建物にまつわるストーリーなどを紹介しながら、観客とともに夕暮れの町をゆっくりと歩いていきます。細い路地に入り、閉ざされた扉の鍵を開け、怪しい建物を通り抜けていく行程の中で、いくつもの作品と出会います。中にはポルノ映画館の跡地や、今は使われていない温泉の屋上にある公民館、50年間閉ざされていた地下通路など、普段は見る事のできない場所に立ち入る事で、観客はこれまで見えていた「温泉地別府」とは異なる場所や時間へと引き込まれていきます。
しかし、少人数型のツアーにするということは、参加できる観客の数を制限することでもあります。実際に2009年には9万人、2012年には11万人を超える参加者のあったこのフェスティバルは、ツアー型にした2015年には5万3千人と、約半分に激減しています。このことは、問題にならなかったのでしょうか。

山出さんは「観客数ではない、別の評価の在り方を示したことは、とても大きかった」と語ります。
地域ごとの規定を元に計算される「観光消費額」は、ある期間に地域で消費された金額を計るものです。この計算式によると、11万7千人が別府を訪れた2012年の「混浴温泉世界」では、2ヶ月間の会期中、4億2千万円が使われたという計算になりました。2015年はどうだったのかというと、参加者は5万3千人に減りましたが、観光消費額は4億7千万と、2012年よりも上がっています。ツアーの開催を夕方からにしたことで、別府市内での食事やお土産品の購入に加え、宿泊費も活性したことから、金額が上がったのだそうです。
通常、芸術祭や文化的なイベントは、観客数で評価されます。前回よりも観客数が増えなければ失敗とみなされ、予算を縮小されることもあるでしょう。しかし、BEPPU PROJECTでは観客数ではない別の評価の在り方を示すことで、行政や実行委員会、地域の方々にも「こういう考え方があるんだ」と気付いてもらえたのだといいます。
プロジェクトや芸術祭を行った結果、どういう事が起こったのかをデータ化し、根拠として提示することで、関係機関や関係者を納得させていく。このような検証によって、個展形式の芸術祭「in BEPPU」も受入れられていったのでしょう。
後編レポート「芸術祭で紹介するアートの「質」を見直す。現代芸術活動グループ「目」×BEPPU PROJECTの舞台裏」につづく
*関連リンク
・BEPPU PROJECT
・目 In Beppu
・思考と技術と対話の学校 集中講座|第1回 アートプロジェクトが向かう、これからの在り方
芸術祭で紹介するアートの「質」を見直す。現代芸術活動グループ「目」×BEPPU PROJECTの舞台裏。―TARL集中講座(1)レポート(後編)
NPO法人BEPPU PROJECTが事務局を担う別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」実行委員会は、2009年より3年毎に開催してきた国際芸術フェスティバル「混浴温泉世界」を、2015年、3回目の開催をもって終了し、2016年からは、毎年1組のアーティストと向き合い、別府で新作をつくり出す個展形式の芸術祭「in BEPPU」を開始しました。
BEPPU PROJECTのこれまでの活動を振り返った後は、2016年から始まった個展形式の展覧会「in BEPPU」の話題へ。後編は、NPO法人BEPPU PROJECT代表理事の山出淳也さんと、現代芸術活動グループ「目」から荒神明香さんと南川憲二さんによる「目 In Beppu」にまつわるトークをレポートします。
前編「100組の作家ではなく1組の作家へ。芸術祭の形を大胆に転換した「BEPPU PROJECT」の設計思想」はこちら
「目 In Beppu」へ
「アーティストとしっかり向き合い、より良いプロジェクトを実現するために、ずっと個展をしたかったんです」と語る山出さんは、「限られた予算を大勢のアーティストに分配するよりも、1組のアーティストに集中して、もっと自由度の高い制作をしてほしかった」と言います。
「3年に一度とはいえ、大勢の作家と同時に向き合おうとすると、一人一人の濃度がどうしても薄くなっていってしまう。僕らはプロジェクトが実現するまでの期間、そのアーティストのことだけに集中できる環境を作りたいなってずっと思っていたんです」。

「in BEPPU」 第1回の作家として選んだのは、現代芸術活動チーム「目」でした。目は、アーティストの荒神明香さん、ディレクターの南川憲二さん、制作統括の増井宏文さんの3名からなるチームで、果てしなく膨大な謎と不確かさの中にあるこの世界の可能性を信じ、鑑賞者自身がその不確かさを実感として引き寄せるような体験を、作品として展開しています。
「目の作品には環境や空間を一変させていく、自分が見ている風景が確かなものかどうかをあやふやにしていくメッセージがあると思いました。『in BEPPU』 では、自分たちが日常に見ている風景をアーティストの力や想像力によって変化させていきたいと考え、目を招聘しました」と山出さん。

「奥行きの近く」と名付けられた作品の会場となったのは、なんと別府市役所。ここでも鑑賞はツアー形式で行われました。集合場所は別府市役所の1階。そこに、まさに市役所然としたシンプルな受付があり、椅子の並んだ待合場所があります。時間になると予約した人が呼ばれ、鑑賞時の注意が書かれた「誓約書」にサインをしてから、案内人と一緒に出発します。各回20名程度の鑑賞者は、どこにどのような作品があるのかは一切説明されないまま、館内を歩き、市長応接室にたどり着くと、しばらく滞在します。そこで姉妹都市からの贈り物などが並ぶ室内を見渡すうちに、観客は窓の外が霧に覆われ、そこに大きな球体が浮かんでいることに、だんだんと気づいていくのです。

「奥行きを感じながらも身体が吸い込まれそうになるくらいの球体がいい」という荒神さんのイメージをもとにつくられた、まるで遠くにある太陽のように大きな球体。球体は霧の向こうにあるらしく、あくまでもぼんやりと柔らかい光を放っていて、輪郭がぼやけています。そして霧の空間をずっと見ていると、小さな球体も見えてきます。
この部屋で10分か15分ほど過ごした後、また案内人の合図で観客は部屋を出て、来たときと同じルートで集合場所へと戻っていきます。来るときに通った窓の外にも、霧の中に小さな球体が外にぼんやりと浮かぶ風景があったことに気づく人も多かったそうです。同じ道のはずなのに、行きと帰りではまるで違った空間に見えてきて、市役所の備品や案内板、職員の振る舞いすらも、現実の事なのか作品の一部なのか、曖昧になってきます。これまで自分が見ていた風景は、現実のものだったのか?観客は、たよりない不確かな現実の中に置き去りにされてしまいます。

「アーティストの作品を解説したり、分かりやすく答えに導くのではなく、見る人の想像力を誘発するような伝え方を開発したいと思っているんです。だから、オチをつけるような作品であってほしくないと考えていました。あらかじめ答えが用意されたものではなく、ずっとモヤモヤ感をひきずっていくようなプロジェクトでいいんじゃないかと考えていました。また、多くの方が体験できるプロジェクトであってほしかった。
アートって、答えがあるから面白いわけでもないし、答えがなかったら豊かというわけでもなくて、一人一人がある瞬間にふと作品のことを思い出したり、そこから全然違うことを夢みたり、心の中の何かを活性化させたり、そういうことができるものだと思うんです。そういうプロジェクトが市役所の中で、実現できることを、とっても楽しみにしていました」と山出さんは言います。
今回、会場が市役所であることで、多くの制約や困難があったそうです。霧で覆われたような窓の外の空間を実現するためには、市役所の3階までを、横幅30メートルほどもある足場で囲い、巨大な空間をつくらなければなりませんでした。その中に霧を充満させるために、建築基準法やその他様々な条例を調べ、各部署と相談・検討を重ねたそうです。ツアー形式にしたのも、そもそもは様々な制約をクリアするためでしたが、その形式と今回の作品の意図が、ぴったりはまったのだと南川さんは言います。「BEPPU PROJECTのスタッフが、作品を第一に考えて、どんな制約があってもコンセプトが成立するよう、ギリギリまで一緒に考えてくれました」。

目のお二人の話の中から、今回のプロジェクトが、BEPPU PROJECTとアーティスト、双方の意見を交換しながら、作品を第一にじっくりと作り上げられてきたのが見えてきたような気がしました。「in BEPPU」は、1組の作家に時間をかけて向き合うことができる個展形式であったからこそ、コンセプト上の譲れない部分をお互いに確認しあいながら進めていくことができたのでしょう。
「僕はどんどん拡大することよりも、深くなっていく在り方に興味があるんです。個展形式に切り替えたことで、作家と向き合う時間をしっかり取ることができ、コンセプトを深く掘り下げて考えることができるようになりました。今後はもっとたくさんの人たちが関わって、作品の実現について一緒に考えていけるようなプロジェクトをやっていきたいと思っています」と山出さんは語ります。

アートプロジェクトが向かう、これからの在り方
フェスティバル型の「混浴温泉世界」は、個展形式の芸術祭「in BEPPU」へと大胆な切り替えを行いました。乱立する芸術祭の在り方とその差別化が課題となる中で、山出さんのトークから見えてきたのは、フェスティバル型やツアー型といった芸術祭の「様式」を変容させることではなく、芸術祭で紹介するアートが社会の中で持つ意義や、その「質」を改めて見直すことの大切さでした。
拡大し薄くなっていくのではなく、凝縮させ深くしていくこと。地域やアーティストと真摯に向き合い、そのことによって関わった人自身も成長できるような現場をつくること。2020年を超えてその先のビジョンをどう考えるのか。そのあたりから再びしっかりと見据えるべき時にきているような気がします。
*関連リンク
・BEPPU PROJECT
・目 In Beppu
・思考と技術と対話の学校 集中講座|第1回 アートプロジェクトが向かう、これからの在り方