アートプロジェクトを社会とつなぐための体験プログラムやメディアなどの企画を立案し、その実践に取り組む講座。アートプロジェクトの担い手や、支え手には、そのありようを多角的に捉えながら、社会との接点を提示していくことが求められます。現場と連携し、実践を交えながら、プロジェクトや作品について語るガイドツアーやトークプログラム、活動を伝えるためのメディアづくりや場づくりなどに取り組む力を身につけます。
共通: 年度: 2017
言葉を紡ぐ
川村格夫
「裏庭」をつくる ―インターネット空間から見た、アートプロジェクトとアーカイブ
アーツカウンシル東京「Tokyo Art Research Lab(TARL)」の研究・開発では、アートプロジェクトの分野における課題の検証や新たな手法づくりを、さまざまな専門家の方々と展開しています。メディアデザインを専門とする須之内元洋さんとは、2013年度よりデジタルアーカイブのプロジェクトに取り組んできました。アートプロジェクトにおけるデジタルアーカイブの設計や開発に関わるなかで気づかれたこと、また須之内さんが考えるこれからのインターネット社会やデジタル環境のあり方について伺いました。
聞き手:佐藤李青+中田一会(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー)

札幌市立大学デザイン学部講師。ソニー株式会社、サイボウズ・ラボ株式会社勤務を経て現職。メディア環境学、情報科学、音の環境学の分野で研究を行うほか、デジタルアーカイブをはじめとした各種デジタルメディアの設計・開発、メディア・アートの実践を行う。TARLプロフィールページはこちら
アートプロジェクトとデジタルアーカイブ
――須之内さんにとってのデジタルアーカイブとは何でしょうか?
須之内:人間は太古の時代から、日々の営みや考えを、言葉や絵、ものや身体で表現し、それを別の人が受け取ってまた新しいものをつくる、ということを繰り返してきました。そこに加わったインターネット空間、デジタル空間は、我々の生活圏に登場してからまだ、せいぜい20年とちょっとです。表現されたモノやコトを、新たに加わったデジタルメディアによってどのように資産として引き継いでいくのかがデジタルアーカイブの分野ですが、未知数なところがあります。僕自身、初めから専門家になろうと思っていたわけではなく、2000年代後半から「資料や記録がたくさんあるけれど、うまく活用できないか」といった話をいただくようになり、その都度考えながら手探りで仕組みをつくってきました。デジタルアーカイブと一口にいっても、国や地方自治体、企業が運用するものから個人の日記まで、アーカイブと呼べるものはさまざま。インターネットが日常になった現在、「アーカイブとは何か」を探りながらも、やれることはまだまだたくさんあると感じています。
――アートプロジェクトのデジタルアーカイブに取り組まれたのは、TARLがきっかけですよね。その前は陶磁器デザイナーの森正洋さんのアーカイブや建築雑誌『10+1(テンプラスワン)』のデジタルアーカイブをつくられていますが、そういったお仕事と、アートプロジェクトのアーカイブとはどのようなところに違いがありましたか?
須之内:それまでの仕事では、依頼された時点で既に情報や資料がありました。その素材を編集するというか、見せる仕組みづくりをするのが僕の仕事です。ただアートプロジェクトは、まずは情報や資料を集める、記録をしていくところからはじめなくてはなりません。むしろ記録のプロセスが大きなウエイトを占めているのが大きな特徴です。
プロジェクトによってそれぞれの理想や活動の中身も異なるので、何をどう記録するかも重要な視点でした。ただ情報をストックするだけなら、単にハードディスクやDropboxに貯めていけばいいですよね。でも、情報を蓄積するだけではなく、それを自分たちのプロジェクトにどう還元できるかを考えなくては、「記録する」「貯める」というモチベーションにつながらない。単に写真を撮ってアップロードしていくのか、日報みたいなものに記録するのか、それとも定期的に振り返りながら、個人の記憶を記録に落とし込むのか。さまざまな方法を模索しました。記録の仕方もそれぞれにこだわりがある。記録するものに何の情報を付けて保存するかも、丁寧に考えられていました。写真だけでは抜け落ちる情報がたくさんあるから、写真を見ながら語り、それを録音したりとか。そういう部分に注目するのもアートプロジェクトっぽいなと思いました。そもそもデジタルアーカイブって何だろうとか、なぜ記録しなきゃいけないのかなど、根本的な部分から一緒に考えられたのが貴重な経験でした。
僕は10代の頃からキーボードと一緒に暮らしているようなデジタルオタクなので、パソコンに向かうことが日常です。でもそうではない人にとっては、何かをデジタルデータで記録したり、それらをマネジメントしたりすることは、相当なエネルギーが必要なのだと実感しました。アーカイブのデザインや個々のモチベーションの問題もありますが、それらを改めて感じ、勉強させてもらいました。


――須之内さんにとってのデジタルで記録することや残すことは、日常的な営みのなかにあるものなんですね。ただ、それを「みなさんもやってみましょう」といっても、急に習慣化することはなかなか難しい。そういう場合、システムの設計側としてはどのような対策をとられたのですか?
須之内:その人が必要な機能だけに絞って、ゼロから設計することもできますが、それは実際に住むかどうか分からない注文住宅を一戸ずつ建てるような話で、とても現実的ではないんです。ですので、基本的な機能が詰まったシステムを、カスタマイズして使ってもらいました(※1)。その上で、例えばインタラクション(システムとの対話・やり取り)やインターフェイスなどを分かりやすくしたり、つまづきやすいところを小まめに直していくといったことなどをしました。
しかし、抜本的に考え方を変える必要性を感じて開発したのがスマートフォン用アプリでした(※2)。昨今は、それぞれが使い慣れた記録のためのアプリやソーシャルメディアが既にたくさんあります。であれば、ネットに分散して記録されている資料を、プロジェクトごとに自動集約し、手元のアプリで目次化できればいいんじゃないかというアイデアです。
※1 2013~2014年度はオープンソースソフトウェアをカスタマイズし、デジタルアーカイブシステムをアートプロジェクト団体に提供。

石のような、裏庭のようなインターネット
――アートプロジェクトを運営する方々には、常にアーカイブの重要性や必然性を伝えられていたと思いますが、いま改めてどのように感じられますか?
須之内:自分が聞いた話や体験したこと、ひらめいたことを蓄積し、それを表現したり伝えたりすることで世の中はよくなっていく。だから、アーカイブは絶対に必要な機能なんです。
それから「裏庭」的な部分を構築する役割もアーカイブにはあると思います。強い信頼関係のもとで、自分たちの意見をうまく束ねて素早く行動できるような、コミュニティの規模がありますよね。それを「裏庭」と呼んだとき、そこでやったことを、うまく外につないでいく役割もアーカイブにはあるでしょう。アートプロジェクトも一種の「裏庭」かもしれません。
――「裏庭」ってわくわくする響きですね。完全にオープンな場ではなくて、楽しみ方を共有する人が集ってくる場というイメージでしょうか。アーカイブには、ストックしたり固定化したりといったイメージがありますが、須之内さんのお話を伺うと「共有や表現」が重要な気がしました。
須之内:図書館も「アーカイブ」と言いますが、本を収蔵するだけではなく、貸し出しもする「活用」の概念も入っています。活用するところまでを含めてアーカイブになるのではないでしょうか。
先ほどのアプリは、プロジェクトのメンバーがさまざまなソーシャルメディア上に記録したデジタル資料を一覧で可視化できます。それはアーカイブづくりに使う装置というより、アーカイブをするための身体そのものをつくっていくような装置でもある気がしています。そのアプリは一つの例ですが、もう少し自覚的に裏庭をつくったり、ばらばらにあるものを統合したりする技術が必要になっていくでしょう。
以前、アーティストのエキソニモさんが、石からインターネットを考える「インターネットの石」という言葉を使っていて、すごくおもしろいなと思ったことがあります(※3)。
インターネットは、かつてはこちらがアクセスしていく、見に行くものでした。それががらりと変わったのが、FacebookやTwitterなどが登場した2006、2007年辺り。インターネットがリアルタイムなコミュニケーションメディアになり、情報が流れていくものになりました。でも、アーカイブの歴史を考えると、ロゼッタ・ストーンやラスコーの壁画など最古のメディアは石。大事なことを記録してポケットに入れ、肌身離さず持っておける石ころのようなインターネットがあってもいいんじゃないか、と思っています。
※3 連載「千房けん輔(exonemo/IDPW)の『インターネットの石』」white-screen.jp(2015年1月8日~10月8日、全10回)。サイト運営終了に伴い、現在はアクセス不可。Internet Archive:Wayback Machineにアーカイブがあるため、第1回は〈https://web.archive.org/web/20160909062149/http://white-screen.jp/?p=46302〉にて閲覧可。
――いまはそういった石のような存在はあるのでしょうか?
須之内:ほぼないと思います。データのバックアップはとっていても、消えてしまう不安は常にあります。クラウドに入れておいても、消そうと思えばいつでも消えてしまう儚さは変わりません。
ただ、例えばマイケル・ジャクソンが亡くなったとき、その直後YouTubeにマイケルの映像が急増しました。ファンたちが、それぞれが持っていた好きな映像を一斉にアップしたわけです。「石」のような形を求めるのだけではなく、違った視点で考えると、こうした残り方もあると思います。
それから、いかに残すかも大きなテーマですが、いかに消すかもすごく大事です。最近Facebookにも「秘密のスレッド」機能や、メッセージを自動的に消滅させるタイマー機能が実装されましたが、履歴を消したいというニーズもあります。
携帯電話やソーシャルメディアなどの個人情報は、自分の臓器として考えればいいという人もいます。臓器提供の意志登録のように、「消してください」という人もいれば「誰かの役に立ててください」という人もいるのだろうと思います。

チャンネルの多様性
――お話を伺っていて、デジタルメディアやインターネットについて考えるとき、須之内さんはまず人の「行動や行為」を見ている気がしました。
須之内:人はもちろん見ています。大学生の頃は建築学科にいたのですが、建物の設計も人が行き来するシステムとして考えていました。かたちは全然うまくつくれないんですが、仕組みを考えたりつくったりするのは夢中になれるんです。プログラムを書いているときは、立体物を構築している手触り感もあります。いまは、裏庭みたいなものをつくりたいですね。それはユーザーが切実な関心事を介して表現すること、もっと多様なかたちでユーザーが見たり聞いたりしたことでつながっていく世界です。
まずは自分の好きなものから実践しているところです。実は僕は植物のランオタクなんですが、ソーシャルメディアなどのデジタルメディアにテキストを入力する際にランの種名(3万種近く存在しラテン語で表現される)を容易に補完・検索・入力ができる仕組みをつくりました。今年の11月、エクアドルで3年に一度の「世界蘭会議」があるので、そこで発表してきます。
現在、すでに多様なソーシャルメディアが存在しますが、そこで表現ができる人、表現できる内容は、まだまだ限定的だと考えています。日常的に感じたことを表現したり、記録したりできる別の方法も探っていきたいです。

――須之内さんが見ているインターネットの世界のなかだと、現実空間に縛られない表現方法が実現できそうですね。世界の構造自体をつくってしまうような裏庭的な空間づくりを目指されているのですね。
須之内:小さな裏庭は、もう既にいっぱいあるわけですよね。例えば、アニメやアイドル、2次創作はもちろん、植物や山登り、料理などの分野でも、インターナショナルなFacebook非公開グループが無数にあります。僕が入っている、原種ランの非公開グループだけで、メンバーが1万8000人くらいいるんです。もはや裏庭という規模ではありませんが、そこに写真やコメントを書き込むとさまざまなリアクションが返ってきます。趣味嗜好のマーケティングのようなことにもなる。一人ひとりが持っている多彩な趣味性を、もっと多様に表現できるメディアができたらいいなと思っています。
同じ場所にいても、隣の人同士で見ているものや聞いているものって全然違うこともありますよね。世界には、似た価値観の人もたくさんいますし、自分の考えが伝わる場所もある。その逆の人とも出会える。そういうチャンネルをいくつも持てるといいと思います。
(2017年1月27日、3331 Arts Chiyodaにて)
参考資料:TARL研究・開発デジタルアーカイブ・プロジェクトの歩み
2013年度
長く続いたアートプロジェクトの成果を検証する「アートプロジェクトのインパクトリサーチ」の一環として「明後日新聞社文化事業部」の11年分の記録写真(約3万5000点)と「明後日新聞」のデータ(約160号分)を対象としたアーカイブシステムとビューアを開発。オープンソースのデジタル管理システム「ResourceSpace」とコンテンツ管理システム「WordPress」を活用。
参考:『デジタルアーカイヴのススメ』(須之内元洋著、東京文化発信プロジェクト室、2014)
2014年度
前年度に開発したシステムを「東京アートポイント計画」の現場で試験導入。15団体が導入し、11団体が運用。「記録と記録活用の速度がプロジェクトの活動速度を追い越す」ほど、積極的に活用するプロジェクトも現れる。
参考:『デジタルアーカイブの営みをつくる―アートプロジェクトの現場から』(須之内元洋・熊谷薫著、東京文化発信プロジェクト室、2015)
2015年度
システムから「アプリ」の開発へ方針を転換。インターネット上に偏在するデータを一元化する「フック」という発想を導入したプロトタイプアプリを制作。
*本インタビューは「Words Binder 2016 / Box+Letter」(2017年3月23日、アーツカウンシル東京発行)のレターに収録されたインタビューを転載したものです。
佐藤恵美
杉崎栄介
田中真実
鈴木一郎太
藤浩志
Ways to End Public Art by Relight Project 1: Reflection –省察–/2: Recollection –回想–
六本木けやき坂のパブリックアート《Counter Void(カウンター・ヴォイド)》を再点灯させると同時に、未来の生き方や人間のあり方を考えるプラットフォーム形成を目指したプロジェクトの記録集です。
東日本大震災をきっかけに、作者であるアーティスト・宮島達男の手によって消灯されたこの作品を、3.11の記憶をとどめ、社会に問いかけ続けるための装置と位置づけ、さまざまなプログラムを展開しました。
B3判の「1:Reflection 省察」では主にこれまでのプロジェクトが行ったことや変化を写真とともに紹介。A5判の「2:Recollection 回想」では、アウトカムの収録に注力し、プロジェクトにかかわったメンバーからの寄稿のほか、書き換えを続けてきたワークショップシートの変遷、そして地域の小学生の手紙や手づくりチラシなど、「プロジェクトを通じて生まれたもの」が収録されています。
もくじ
1:Reflection 省察
Introduction なぜ「Ways to End Public Art」か 菊池宏子
Overview Relight Project のこれまで
Column 「作品の父」が見た Relight Project 宮島達男
Programs 「再点灯」を巡る活動の記録
1. Relight Committee
2. Relight Days
3. Relight Session
Column 消えるものと、灯しつづけるもの 長嶋りかこ
Looking Back Relight Project を終えて
ことの始まりは一通のメールからだった 菊池宏子
時代との呼応、柔軟な変化 林 曉甫
それは変化し、関係を結び、永遠に続く 森 司
2:Recollection 回想
Relight Committee 社会彫刻家として生きる
Relight Committee 2015
Relight Committee 2016
Relight Committee 2017
「3.11が■■ている。」それぞれの中に息づく東日本大震災
配布資料の変遷
記入された「3.11が■■ている。」ワークシート