日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈前篇〉

いま、まちのなかでアートを営むときに大切な視点、姿勢とは何か。そんな問いを、アートプロジェクトの担い手と一緒に考えてきた東京アートポイント計画の「プロジェクトインタビュー」シリーズ。今回は、2021年度より東京都多摩地域(*)を舞台にアートプロジェクト「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」を実施する、NPO法人アートフル・アクション事務局長の宮下美穂さんを訪ねました。

*多摩地域:東京都の人口の3分の1にあたる400万人超を擁し、面積もその半分を占める、都道府県レベルの規模を持つ30市町村。

多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」は、小金井で2011年から10年間活動したプロジェクト「小金井アートフル・アクション!」を踏まえ、そこで得た経験や技術を、より広域のエリアで活かしていこうと始まった取り組みです。その大きな特徴は、多摩ですでに活動している誰かと一緒にプロジェクトを行うこと。

例えば、学校の図工の先生たちとネットワークづくりをしたり、社会的養護を必要とするこどもたちの施設の職員さんとワークショップを行ったり、さまざまな社会的・環境的な背景を持つ多摩という場所についてみんなでフィールドワークをしたり。こうした活動を通して、宮下さんは、「自分たちの足元の揺らぎを感じ、佇み、見えてくるものを捉えたい」と語ります。

今回、ともに話を聞いた東京アートポイント計画ディレクターの森司は、こうした宮下さんの活動内容、そしてプロジェクトの運営手法には、一見わかりやすくはないものの、現在の文化事業や社会とアートの関係を考えるうえでの大きなヒントがあるのではないか、と言います。キーワードは「微弱なもの」。そのヒントを、二人の対話から探っていきます。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:川村庸子/撮影:加藤甫)

日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈後篇〉

「戦争的」ではない、日常のなかの「微弱さ」

森:今日、僕は宮下さんに「弱さ」についてお聞きしたいと思ってここに来ました。

――「弱さ」ですか。

森:はい、「弱いということ」について話したいんです。

今年度に始まった「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」(以下「地勢図」)では、宮下さんたちが小金井で蓄積してきたものを多摩に広げ、主に三つの活動をしています。一つ目は、小学校の図工の先生たちと素材や技術の共有をする「ざいしらべ」。二つ目は、児童養護施設の職員さんとかかわる「ゆずりはをたずねてみる」(以下「たずねてみる」)。三つ目は、作家や市民が多摩についてリサーチする「多摩の未来の地勢図をともに描く」(以下「ともに描く」) です。

その個別の話もしたいのですが、僕は、これらは宮下さんのいまという時代への応答という気がしているんです。そして、それらを根っこの部分でつないでいるのが「弱さ」を大切にする感覚ではないかと思うんです。

宮下:弱さ、というより「微弱さ」でしょうか? おっしゃる通りですが、大切にしているというより、そこにすがらざるを得ない。

――「微弱さ」が現代への応答であるとはどういうことでしょうか?

森:この数年感じているのは、文化事業は戦争の比喩で語られやすいということです。大規模イベントが代表的ですが、文化の営みの価値を計るうえでいまでも大抵の場合重視されるのは、「パワフルで、効果までの速度が速く、インパクトがある」ことなんですね。ある人はこれを「ミサイル」に例えていました。そして、我々がかかわるアートプロジェクトも、この戦争的な価値で計られがちなんです。

一方、僕は文化を戦争用語を使わずに語れないかとずっと考えてきました。でも、そうした価値のあり方は、「地味」「わからない」と言われてしまう。それは、文化を捉える認識のコードが古いステレオタイプのように見えるのです。そうしたなか、宮下さんの仕掛ける活動は旧来の型では拾えない価値を扱っている。そこに時代への応答性を感じるんです。

宮下:私がアートの持つ微弱さが大切だと思うのは、それが近代的な強い主体と客体の二項対立や、正解不正解ではない視座を提示することができるのではないか、と感じているからです。平たく言えば、「私」と「世界」の関係をズラすことができる。この10年ほどで、こんなにアートが役立つと感じるのは初めてかもしれないですね。明確な「私」や「世界」を定置したり、無条件に盲信したりすることで、実はものすごく苦しくなる。「世界」なんてありえるのかな? とさえ思います。

例えば、リサーチプログラム「ともに描く」では、参加者と「フィールドワーク試論」というものを始めています。従来のアカデミックなフィールドワークは、観察者の都合で、観察者としてのまなざしでフィールドに入るものでしたよね。観察者、そして観察はある意味で権力。それをズラしたいんです。明確な目的意識やディレクションがあると、観察者と世界の関係は恣意的で合目的的かつ固定的になるけれど、そこにアートを挟むと構え方が揺らぎ、微弱さに出会わざるを得なくなる。既存の手法では見えなかった細やかなものが見えるようになる。

どのくらいの微弱さかというと、私たちが「たずねてみる」でかかわっている、児童養護施設を巣立ったこどもの支援を行う相談所の「ゆずりは」では、そこに通う子たちがジャムをつくって販売しています。例えば、それをフィールドワークの参加者にお裾分けすると、その人の世界のなかに「ゆずりはのジャム」というものが存在しているという認識がぼんやりと立ち現れる。そして、この「ジャム経験」は、その人の日常のなかで次の回路につながっていく。そのくらいの微弱さでいいんじゃないかと思うんです。

――個人のなかの微かな変化だけど、それが日々の視線を少し広げていくと。

宮下:このプログラムのフィールドワークでは参加者に対して、大仰なものではなく、ただ、あなたの引っかかりを持ってきてくださいと伝えています。例えば電車の窓から見えた崩れている崖の話をしてくれる人がいる。でもその背景を探ると、実は平安時代まで遡れたりして、毛細血管のようなネットワークを形成している。それは揺らいでいて弱いんだけれど、この真空のような日常のなかの「何か」ではある。そんな認識のあり方を自明化したらどうかなと。

東京アートポイント計画のディレクター・森司とともに話を伺った。

生きる術とかかわりの隙間をつくる、「微弱な」マネジメント

森:編集者の松岡正剛さんが1995年に『フラジャイル 弱さからの出発』という本を出されています。95年は阪神淡路大震災等もあり、「弱さ」という思想が注目された時期でした。でも、現在も、世間では「弱さ」へのネガティブな印象がまだ上書きされきれていない。そうすると宮下さんのような人は、世間の価値の外側にあることを「好きだからやっている」ことになってしまう。そういうプロジェクトのマネジメントってしんどいでしょう?

宮下:しんどい!

森:それをどのようにうまくやられているのか、をお聞きしたいです。

宮下:難しいですが、ひとつは「放逐」かな。あらゆることを放っておく。いろんなものが立ち上がるまで、とことん待つ。そして、自分が一番弱くあること。いろんな人にすがりまくっている。例えば、あえてプロジェクトのマネジメント経験がない人に仕切ってもらい、それを周りが助けるかたちにしたり。私がプロジェクトを運営する場合も、最初から「どう?」と周りに聞いてしまい、何かが出てくるのをただ待って、こちらで決めない。できるだけ提案を生かす、あるいはそのアイデアに助けてもらう。その方がとても面白くなります。系統立てて目的に至る、という方法は取りません。

森:そもそも宮下さんは、「微弱なもの」にどこで出会ったんですか?

宮下:トップダウンのヒエラルキーのなかで自分が縛られるのは嫌だという感覚は、幼いときからありました。うちの父は1932(昭和7)年生まれで、価値が変動した時代の人。私には兄と弟がいますが、父から言われたのは「サラリーマンになるな。生きるうえで必要なことは自分で習得しろ、国を信じるな」ということだけでした。きょうだいは結局会社員にはなりませんでした。というか、なれなかった。

あと、田舎で育ったことは大きいかもしれない。故郷は山梨の富士吉田です。その自然のなかで、お兄ちゃんは小学校3年頃になると夜9時にも帰ってこないことがあって、母が心配していると意気揚々とマムシを獲ってくるような感じでした(笑)。でも、父は怒らなかった。そのマムシは焼酎漬けになって戸棚の下にありました。そういうことが普通だったんですね。

森:じゃあ、社会的な強さを求める家庭ではなかった?

宮下:むしろ逆でしたね。既存の価値体系のなかで成功しろ、みたいなことは一度も言われなかった。私は学校が嫌いでした。高校時代は学校に「行けない」のではなくて、家を出たあと、自分からあえて行ってなかった。必要な出席数を「正」の字で数えて学校の机の上に貼っていましたよ(笑)。それを当時から、「私が決めたんだからいいでしょ?」と思っていた。父はそれも一度も叱りませんでした。

森:そう聞くと、宮下さんはいわゆる「アンチ」の構えの人でもないんですよね。

宮下:反発はとくにないです。アンチは権力と相補的だから。

森:だからこそ、余計にわかりにくいですよね。とくに、行政やビジネスのコードがきちんと身体に染み込んでいると、宮下さんの扱う価値はなかなか伝わりにくい。だけどそうした微弱な価値を丁寧に扱うマネジメントは、ひとつのスキルだと思っています。

――宮下さん個人の性質ではなくて、みんなが使いうるはずの技術だと。

宮下:二項対立のような「強い」世界の捉え方はわかりやすいのですが、それだとこぼれ落ちてしまうものがあるし、やりたいことに届かないと考えてきました。むしろそこに余白をつくって、誰もが手を出せる状況にしておくことで、「誰もが何かをできる状態」にするというか。

でも、こうした私のやり方をプロジェクトのメンバーが理解しているかというと、そうではありません。私よりもっときちんとしたメンバーは、「話がわかりにくい」というよりもわからなくて当たり前で、フラストレーションすらも感じてないようです(笑)。

森:なるほど。身近なスタッフもわからないのだから、世間からわかりづらいのは無理もない。でも実は、世間はそれを必要としているはずなんですよね。

小学校の図工の先生と一緒に、大木の根などの手に入れにくい自然素材や、染色など伝統的な技術を学んでいる「ざいしらべ」の活動風景。

つらく、しんどくても、自分の体で感じる

森:近年、さまざまな現場で行政側が求めるものと、文化事業者として大切にしたいことのギャップに戸惑うことが増えました。僕たちにとっては既存の価値であり、あえて扱わなくても良いように思えることが、行政的には「安心ポイント」だったりする。事業にまつわる数字が良いことや、通りの良いキーワードがあるだけで安心してしまう場面もよくあります。

例えば、この「地勢図」は2021年度から始まりましたが、実感として広がり方が早い気がしています。参加者や関係者が思ったより集まっている。その「数字の良さ」は仕掛けた側としては嬉しいことなんですが、僕はこの拡大感は「社会のマズさ」のリトマス試験紙だと思っています。学校や児童養護施設など、社会課題が背景にあるこどもにかかわる現場からのニーズが多いことには、ハッピーではない側面もありますよね。

宮下:人の集まり方には驚きましたよね。

――それだけ現場が切迫していることの現れでもありますね。

児童養護施設の職員を対象とした「ゆずりはをたずねてみる」では、隣り合う人と肩の力を抜いて出会えるように、ダンスや楽器演奏、心と体をほぐすエクササイズなどを行っている。

森:最近は「SDGs」を冠する活動が注目を集めていますが、宮下さんはどう見ていますか?

宮下:みんな名前を付けることがすごく好きですよね。さっきの、行政の人が既存の価値で安心するという話を聞いて思うのは、人は微弱さに耐えられないのだな、ということ。みんなすごく不安で、大きなフレームから外れることを避けてるのかなと思います。

そういうなかで、人は問題の「解決」を謳う大きな言葉や枠組みに頼りたくなる。本来、人間の目や手や体というものは、もっと多くのもの、細やかなもの、微細な変化を察知できるでしょう? でも大きなものに乗ることで、私には察知することを放棄しているようにしか思えない。

だから、それに乗らないで、自分の手が感じること、目が見るもの、それを小さくてもやり続けることしかない。もちろん、そこには何の保証もないんですが、そうして自分の体で感知した何かは生活の「よすが」にもなりえます。そのよすがをつなぐ線を、たまにはドボンと裏切られたりしながらも見つけていくこと。それは大きなものに委ねるよりもしんどくて痛いことかもしれないけれど、自分の体で感じることは、生きる実感につながっていくように思います。

「多摩の未来の地勢図をともに描く」では、フィールドワークやレクチャーを通して、自分たちの暮らす地域への理解を深めている(全14回)。写真家の豊田有希をゲストに迎えた回の様子。

森:「SDGs」はどれだけ細やかそうでも、やはり強いロジックから出てきたものに思えますね。今日話してきたような価値観さえも、「SDGs的だね」と受け止められてしまうこともあると感じています。

宮下:誰かに習ったことをトレースしたら安心、ではなくて、自分で悪戦苦闘すると見方も変わるのにね。でも、これはとても根深い問題だと思います。

森:こういうことは広義の教育の問題ですよね。「地勢図」ではこどもにかかわる方たちと協働していますが、「こども」の領域をいじろうとしているのはなぜですか?

宮下:もっとも原初的な衝動みたいなものを、こどもの残酷さも含めて肯定したいと思うからでしょうか。いまの世の中、こどもたちは上にも下にもハミ出すことが許されず平均化されてしまう。大人は二項対立的なわかりやすい世界観を押し付けるけど、微弱さの尺度を持つとグレーの領域が広がっていきますよね。例えばジェンダーも、二項対立では二つの性しか見えないけど、微弱な集合体だとむしろ差がわからなくなっていくと思うんです。

そうした細やかな目線からは、ときに驚く視点が生まれます。前回のインタビューでも話しましたが、以前、東村山の多磨全生園にある国立ハンセン病資料館を訪れたとき、あるメンバーが「ここには私たちが失った自治がある」と言って、私はそんな風に思えたことにポジティブな意味で驚いたんです。

それをただ「かわいそう」ってまなざしだけで捉えていると、何も変わらない。一方、無闇に視点の目盛を180度回転させても、それは暴力になってしまう。その間でより細かく目盛を調整して、そこにできる隙間から向こうを見ることが重要だと思うんです。

日々のなかの「微弱なもの」を、自分の体で感じるために――宮下美穂「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」インタビュー〈後篇〉

Profile

宮下美穂(みやした・みほ)

NPO法人アートフル・アクション事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様なかたちの参加によって成り立っている。多くの人の経験やノウハウが自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強み。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちを抱きつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。

多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting

文化や歴史などの「地勢」を探ることを通して、一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直すプロジェクト。2011~2020年度に東京アートポイント計画と共催した小金井アートフル・アクション!が、これまでの経験を活かして中間支援的な働きをしながら、小学校や児童養護施設など多様な団体と協働して事業を行っている。
https://cleavingartmeeting.com
*東京アートポイント計画として2021年度から実施

映像作品 アサダワタル コロナ禍における緊急アンケートコンサート「声の質問19 / 19 Vocal Questions」

新型コロナウイルス感染症の影響下、人と人とが直接言葉を交わすことが難しい状況だからこそ「必要急務」なのだと、足立区を舞台にしたアートプロジェクト『アートアクセスあだち 音まち千住の縁』では、2020年の夏からアーティスト・アサダワタルとともに「緊急アンケート『コロナ禍における想像力調査 声の質問19』」と題して多くの方々に「19個の質問」を投げかけました。

この映像作品は、それらの質問と回答をもとに、バンド演奏を交え「コンサート」として発展・結晶化させた「コロナ禍における緊急アンケートコンサート 『声の質問19 / 19 Vocal Questions』」をもとに制作されました。

ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)

まちを舞台に編まれる芸術と文化

国立市文化芸術推進基本計画が掲げる「文化と芸術が香るまちくにたち」の実現に向け、行政と市民、市内外の人々が交流し、新たなまちの価値を生み出していくプロジェクト。アートやデザインの視点を取り入れた拠点づくりやプログラムを通じて、国立市や多摩地域にある潜在的な社会課題にアプローチする。

実績

多様な人々との出会いを通じて、まちとともに成長するプラットフォームをつくるために、国立近郊を拠点とするメンバーが中心となり活動を開始。2021年度は、名古屋や大阪など日本各地の先行事例をリサーチし、文化芸術活動の担い手や活動の生まれ方、その仕組みについてレポートを公開した。

また、市内での遊休地を活用するプロジェクト「遊◯地(ゆうえんち)」をスタートした。まちのなかで当たり前になった風景、使われていない場所などをまちの余白(◯)と見立て、その場所のもともとの機能とは異なるアプローチから場をひらくことにより、新しい光景や交流を生み出すことを目指す。2022年3月には、パイロット企画としてアーティストのmi-ri meter(ミリメーター)とともに『URBANING_U ONLINE』をJR中央線の高架下空間で開催。普段は閉じている工事用フェンスを取り払い、臨時スタジオとして巨大なテントを設置した。高架下からの参加者、オンラインでの遠隔参加者らがそれぞれの拠点やまちなかで「普段通らない場所を通りなさい」「あなたの定点を探しなさい」といった指示にしたがって行動し、日常生活とは異なる都市の見方を体験した。

2022年度にはそれらの経験を活かして、普段なら見逃してしまいそうなまちの隙間にランドマークとなるテントを設置する「・と -TENTO-」を実施。国立駅から続く大通りの緑地帯「大学通り」を会場とし、巨大な地図などを用いながら市内のおもしろい取り組みや、気になっている遊休地、国立の歴史についてヒアリングしたりと、道行く人々とやりとりを交わした。そのほか、まち歩きやメールニュース、フリーペーパー『〇ZINE(エンジン)』の刊行など定期的な情報発信もスタート。2023年度にはアトリエやギャラリー、店舗を巡ってまちを横断するプログラム「Kunitachi Art Center 2023」を16日間にわたって開催。公開制作やまち歩きツアーなども実施し、日常のなかで芸術文化に触れる機会をひらいた。また、アートプロジェクトについて考える場として映画『ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』の上映会を行い、その後の意見交換会では、地域に向けた広報の工夫や、さまざまな立場を巻き込むプロジェクトの可能性について語り合った。

拠点「さえき洋品●(てん)」のオープンに向けては、DIT(Do it together:「みんなで一緒につくる」という意味)を進め、拠点のお披露目とご挨拶を兼ねて、餅つき大会を開催。ここから何かが動きはじめる予感を地域の人々と一緒に楽しんだ。

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多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting

一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直す

多摩地域の文化的、歴史的特性を踏まえ、その「地勢」を探ることを通して、一人ひとりが自分の暮らす足元を見つめ直すプロジェクト。2011年〜2020年度に東京アートポイント計画と共催したNPO法人アートフル・アクションがその経験とネットワークを生かし、小学校などの教育機関や福祉施設で働く人たち、地域で暮らす人たちとの実践の場づくりを行う。それによって個々人の抱える切実な社会課題に向き合うために人々が協働するネットワークの基盤づくりを進めている。

実績

多摩の未来の地勢図では、「ざいしらべ 図工―技術と素材について考える」「ゆずりはをたずねてみる―社会的養護に関わる人たちとともに」「多摩の未来の地勢図をともに描く」の3つのプログラムを主に行っている。

「ざいしらべ」では、多摩地域の小学校の図工専科教員を対象に、大きな木の根や竹、紅花など個人では手に入れにくい自然素材や大型素材を提供し、伝統的な技術や技法、ICTに関するワークショップなどを通じて、授業での表現や造形の拡張を促すきっかけをつくっている。2021年度には、本プログラムで培ってきた素材や道具を保管するための収蔵庫を東村山市立南台小学校に設置。さらに、多摩地区図画工作研究会とも連携し、技術が持つ広がりや役割、歴史的な背景についても知見を深めている。2023年度には過去最多の14校と連携し、竹や広葉樹といった素材、布の染めや筆づくりの技法に触れる授業を実施。また、アーティスト・五十嵐靖晃が奥多摩町立氷川小学校に滞在し、こどもや住民と交流しながら作品制作を行った。

「ゆずりはをたずねてみる」では、困難を抱えたこどもたちと向き合い、日々の業務に多忙な支援者のケアに取り組んでいる。社会福祉法人二葉むさしが丘学園のグループホームのスタッフを中心に、音楽やダンス、こころと体をほぐすためのエクササイズを通して、肩から力を抜き、隣り合う人々とゆるやかに出会い、日々を重ねる場づくりを実施。2021年度からは出張ワークショップを重ね、施設間の交流プログラム構築の可能性を探り、2023年度には「演劇を通して“ケア”を考える連続ワークショップ」へとプログラムを拡張。支援者、子育て中の親、演劇の手法に関心をもつ参加者などが継続的にコミュニケーションを重ねている。

「多摩の未来の地勢図をともに描く」は、多摩地域の文化的、歴史的特性などをふまえ、参加者一人ひとりが、今自分が住んでいる足元を見つめ直し、現代の暮らしや社会課題に向き合うための方法を模索する連続ワークショップ。2021年度は「辺境としての東京を外から見る」をテーマに、フィールドワークと水俣、ハンセン病に関するレクチャーを開催した。2022年度は「あわいを歩く」をテーマに、参加者が実際にフィールドを歩き、考えることで議論を深めていくワークショップを行った。2023年度には「多摩の未来の地勢図をともに描く2023 ーre.* 生きることの表現」として、「シャトー2F(にーえふ)」を作業場としてひらき、ゲストを招いたワークショップを行うほか、これまでの活動で学んだ技術を応用し、映画の上映会など自主企画を実施した。ほかにも、暮らしのなかでの小さな問いをもちよる「たましらべ」では、スタッフや各プログラムの参加者が入り混じり、定期的に集まったり、大学の研究機関に訪問するなど、意見を交わしながら考えを深める場をひらいている。

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