応答するアートプロジェクト|ケーススタディ・ファイル

アートプロジェクトを詳細に見ることで、社会状況との連関を捉える

この10年で、わたしたちを取り巻く社会状況はめまぐるしく変化しました。これまでの考え方では捉えきれないような状況が次々と発生し、新たに炙り出される課題に応答するように、さまざまなアートプロジェクトが生まれました。しかしこのような状況は、どこかで一区切りつくようなものではなく、わたしたちはこれからもまた新しい状況に出会い、そのたびに自分たちの足元を見直し、生き方を更新する必要に迫られるでしょう。激しく変化し続けるこれからの時代に求められるアートプロジェクトとは、一体どのようなものなのでしょうか。

「新たな航路を切り開く」シリーズでは、2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらをとりまく社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えていきます。ナビゲーターは、人と環境の相互作用に焦点をあてながら、社会状況に応答して発生するアートプロジェクトをつぶさに見続けてきた芹沢高志さん(P3 art and environment 統括ディレクター)です。

ここでは、2011年以降に生まれた多様なアートプロジェクトを取り上げ、どのようにプロジェクトが発生し、続いてきたのか、これからどこへ向かおうとしているのかを実践者が語ります。ひとつひとつのアートプロジェクトを詳細に見ていくことで、社会状況とアートプロジェクトとの連関を捉えます。

2023年度 ラインアップ

スケジュール

【9月6日(水)公開】
File 09 釜ヶ崎のおじさんに教わった
ゲスト:上田假奈代(詩人/詩業家)

「学び合いたい人がいれば、そこが大学」として、2012 年より大阪市西成区釜ヶ崎でスタートした「釜ヶ崎芸術大学」。11年目を迎え、地域のさまざまな施設を会場に、天文学、哲学、美学など、年間約100の講座を開催しているこの大学のはじまりと、活動の広がりと出会い、これからの構想について。

【9月20日(水)公開】
File 10 大風呂敷を広げる
ゲスト:山岸清之進(プロジェクトFUKUSHIMA! 代表/ディレクター)

2011年の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故を契機に、福島出身/在住の音楽家と詩人を代表とし、集まった福島県内外の有志によって立ち上げられた「プロジェクトFUKUSHIMA!」。各地から集まった布を縫い合わせた色とりどりの大風呂敷とともに広がるプロジェクトの変遷と現在について。

【10月4日(水)公開】
File 11 旅人として回路をつくる
ゲスト:小森はるか+瀬尾夏美(アートユニット)

2011年3月、ともに東北沿岸へボランティアに行ったことをきっかけに活動を開始したアートユニット小森はるか+瀬尾夏美。各地での対話の場づくりを行いながら、風景と人びとのことばの記録を軸に作品制作を続けるふたりの、活動を通した気づきや、広がりについて。

【10月18日(水)公開】
File 12 その場に”置かせてもらう”ために
ゲスト:平野真弓(Load na Dito Projects共同設立者/キュレーター)

フィリピン・マニラを拠点にインディペンデント・リサーチャー、キュレーターとして活動し、文脈に根付いたキュレーションの方法を探っている平野真弓さん。10年の活動から得たその土地の歴史や風土、社会と寄り添いながらリサーチを行う際の態度と向き合い方について。

【11月15日(水)公開】
File 13 声を刻む
ゲスト:A3BC(木版画アート・コレクティヴ)

反戦、反核をテーマに木版画を集団制作し、アート・アクティヴィズムを実践するアート・コレクティヴ 「A3BC」。個人が有機的につながる「コレクティブ」という形で、参加する誰もが自分の中の問いをもちより、対話し、表現することにチャレンジできる場をつくりだす、その草の根的な実践について。

Tokyo Art Research Lab YouTubeチャンネルにて公開しています。
※プログラムは変更となる場合がございます。

2022年度 ラインアップ

File 01 「イミグレーション・ミュージアム・東京」設立にむけて
ゲスト:岩井成昭(美術家/イミグレーション・ミュージアム・東京 主宰)

在留外国人の生活と文化背景を「適応・保持・融合」という三つの視座から捉えるプロジェクトを継続している岩井さんの、10年にわたる軌跡と今後の展望について。

File 02 クッションとしてのアート
ゲスト:滝沢達史(美術家)

放課後等デイサービス「ホハル」、アーツ前橋「表現の森」をはじめ、各地でさまざまな事情を抱えるこどもや若者との表現活動を行なってきた滝沢さん。活動を通じ「見る側の視点が優しくなれば」と語る滝沢さんにとっての「アート」や「アートプロジェクト」について。

File 03 “切実な創造力”のためのアートプロジェクト
ゲスト:青木彬(インディペンデント・キュレーター/一般社団法人藝と)

「ファンタジア!ファンタジア!ー生き方がかたちになったまちー」などプロジェクトのディレクションやキュレーションを行う青木さんによる、アートの歴史を読み解くだけでは見えてこない「切実な創造力」について。

File 04 これまでにない他者とのつながりかたの発明
ゲスト:アサダワタル(文化活動家)

コミュニティやケアの領域で「これまでにない他者とのつながりかた」を実践するアサダさん。「役割を脱ぐ」ような動き方や、些細な日常に目を向け、寄り添う活動の原点はどこにあるのか、プロジェクトでのまなざしやふるまいなどについて。

File 05 動かされるという経験 〈揺れ〉を他なるものに
ゲスト:清水チナツ(インディペンデント・キュレーター/PUMPQUAKES)

「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の立ち上げや市民・作家との協働、独立後のメキシコ・オアハカでのリサーチ経験などを踏まえながら、仙台の地から見えるこの10年の景色について。

File 06 「みんなの劇場」の未来=広場×味噌屋?! 〜THEATER for ALLの実践から〜
ゲスト:中村茜(株式会社precog代表取締役)

バリアフリー・多言語翻訳対応のオンライン動画配信プラットフォーム「THEATRE for ALL」プロデューサーの中村さん。多様な観客層に向けて、アクセシビリティを高めた作品の届け方と、新たな作品の生み出し方、「みんなの劇場」の少し先の未来について。

File 07 『わたしは思い出す』について
ゲスト:松本篤(NPO法人remoメンバー/AHA!世話人)

『はな子のいる風景』『わたしは思い出す』など、「市井の人びとの記録」に着目し、独自のアーカイブ像を模索してきた松本さん。その発想の源や、影響を受けたこと・人物、プロジェクトのインプットやアウトプット方法などについて。

File 08 表現と活動ーこのめちゃくちゃな世界で何を祈るのか
ゲスト:キュンチョメ(アートユニット)

東日本大震災を契機に、ホンマエリさんとナブチさんによって結成されたアートユニット・キュンチョメ。自身のこれまでの活動と、制作とは異なる活動である『表現の現場調査団』について。

岩井成昭|「イミグレーション・ミュージアム・東京」設立にむけて
滝沢達史|クッションとしてのアート
青木彬|“切実な創造力”のためのアートプロジェクト
アサダワタル|これまでにない他者とのつながりかたの発明
清水チナツ|動かされるという経験 〈揺れ〉を他なるものに
中村茜|「みんなの劇場」の未来=広場×味噌屋?! 〜THEATER for ALLの実践から〜
松本篤|『わたしは思い出す』について
キュンチョメ|表現と活動ーこのめちゃくちゃな世界で何を祈るのか
上田假奈代|釜ヶ崎のおじさんに教わった
山岸清之進|大風呂敷を広げる
小森はるか+瀬尾夏美|旅人として回路をつくる
平野真弓|その場に”置かせてもらう”ために
A3BC|声を刻む

年表を作る 2011年以降のアートプロジェクトを振り返る

実践者の視点から10年の軌跡を辿り、新たな時代を思考するための手がかりを探す

この10年で、わたしたちを取り巻く社会状況はめまぐるしく変化しました。これまでの考え方では捉えきれないような状況が次々と発生し、新たに炙り出される課題に応答するように、さまざまなアートプロジェクトが生まれました。しかしこのような状況は、どこかで一区切りつくようなものではなく、わたしたちはこれからもまた新しい状況に出会い、そのたびに自分たちの足元を見直し、生き方を更新する必要に迫られるでしょう。激しく変化し続けるこれからの時代に求められるアートプロジェクトとは、一体どのようなものなのでしょうか。

「新たな航路を切り開く」シリーズでは、2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらをとりまく社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えていきます。ナビゲーターは、人と環境の相互作用に焦点をあてながら、社会状況に応答して発生するアートプロジェクトをつぶさに見続けてきた芹沢高志さん(P3 art and environment 統括ディレクター)です。

ここでは、2011年以降に生まれたアートプロジェクトを俯瞰し、年表を制作します。同シリーズでのプロジェクト「アートプロジェクトと社会を紐解く5つの視点」や、「ケーススタディ・ファイル」、演習ゲストとの対話の中で得た実践者たちの視点も組み込みながら、社会にひらかれ、成長を遂げるものとして更新していきます。年表をつくるなかで、プロジェクト間のつながりや、社会との関係、コミュニティとのかかわりなど、新たな分類が見えてくるはずです。

詳細

進め方

  • 「新たな航路を切り開く」の各プログラムの進行に合わせて、リサーチメンバーで内容を検討しながら年表を制作
  • 2011年以降のアートプロジェクトについての事例を調査
  • 社会的な出来事とアートプロジェクトの連関を検討
  • 10年を俯瞰する年表として事例を精査し、整理
  • 年表から見えてくるトピックを洗い出し、「新しい文脈」の発見
  • ウェブサイトでの年表の実装方法を検討

KINOミーティングアーカイブ1 04.2022—03.2023

海外に(も)ルーツをもつ人々とともに、都内各所で映像制作のワークショップを行うプロジェクト『KINOミーティング』。本書は、2022年度の活動を英訳付きでまとめたアーカイブブックです。

本書の前半は、KINOミーティングが活動を通して目指していることや、ワークショップを設計するなかで生まれた3つの映像制作の手法などを中心に紹介。後半は、ワークショップ参加者5名のインタビューに加え、運営スタッフによる1年間の活動を振り返る座談会と今後の活動プランを収めました。

日本に来たばかりの方が「まちを歩いているといい匂いがするけど、あれは何だろう」と言っていたのですが、私も来日したとき、同じことを感じたんです。「それはコインランドリーの匂いだと思う」と答えました。

(p.54)
目次
  1. はじめに
  2. KINOミーティングとは
  3. ワークショップ
  4. KINOミーティングの手法
  5. 参加者の声
  6. 運営スタッフ座談会

「文化/アート」プロジェクトだからこそできるアーカイブ、その背景に潜む倫理—松本篤「移動する中心|GAYA」インタビュー〈前篇〉

アートプロジェクトの担い手に話をきく、インタビューシリーズ。今回は、2019年から世田谷区で活動を行う「移動する中心|GAYA」の松本篤さんをゲストに迎えました。

手紙や写真、ホームムービーなど、誰の家にもある私的な記録。松本さんが世話人を務めるAHA!は、こうしたパーソナルな記録物のアーカイブを通して、そこに潜む価値を探り続けてきました。その関心の延長線上にあるGAYAは、世田谷区の一般家庭から集まった約16時間におよぶ8ミリフィルムの活用と、その映像を起点とした人々の語りの場をひらくプロジェクトです。

例えば、活動のひとつ「サンデー・インタビュアーズ 」では、昭和30〜50年代に一般家庭に普及した8ミリフィルムを、昭和45〜57年ごろ生まれのロスト・ジェネレーション世代が鑑賞。そこからみんなで対話を行ったり、疑問に思ったことを調べたり、当時を生きた世代の人に話をきいたりすることを通して、「いま」という時代について考えたり、来るべき社会に向き合うスキルを開発しています。

現在、ケアなど幅広い分野からも注目されているGAYAの活動。しかし、松本さんはそうした状況だからこそ、大切にすべきものがあるのではないか、と問いかけます。GAYAが掴み取ろうとしているものの正体とは何なのか。東京アートポイント計画ディレクターの森司との対話を通して、その「輪郭」に迫ります。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:池田宏*1、2、7、8枚目)

「文化/アート」プロジェクトだからこそできるアーカイブ、その背景に潜む倫理—松本篤「移動する中心|GAYA」インタビュー〈後篇〉

一般家庭から集めた8ミリフィルム、「残す」から「使う」への変換

————2019年にはじまった「移動する中心|GAYA」(以下、GAYA)は、家庭に眠る昭和期の8ミリフィルムの活用の場をひらくプロジェクトです。そのフィルム群は、松本さんたちが運営する私的な記録に関するプロジェクト、AHA![Archive for Human Activities/人類の営みのためのアーカイブ](以下、AHA!)と、世田谷区の施設「生活工房」が2015年から共同で収集したもので、その成果はウェブサイト「世田谷クロニクル1936-83」で公開されています。松本さんは2000年代から「記録」や「記憶」をめぐる活動をされていますね。

松本:AHA!の開始は2005年、その運営母体であるNPO法人記録と表現とメディアのための組織「remo」(以下、remo)の設立が2002年です。当時から、8ミリフィルム、記念写真や戦時中の手紙や慰問文、育児日記などの個人的な記録物のもつ価値に注目してきました。生活工房とのプロジェクト「穴アーカイブ」は、8ミリフィルムの収集・公開・保存・活用を行うものでしたが、GAYAでは映像を利活用して対話にいかすなど、特に「使うこと」の可能性を模索してきました。

森: 映像や写真を収集したり、それを見ながら誰かと何かを話すというアイデア自体は、それほど珍しいものではないですよね。でも松本さんは、そうしたことを2000年代からやり続けていて、大学院で研究までしています。この時間の掛け方は、何かこだわりがないとできません。

実際、松本さんからは類似の取り組みとは違うぞというこだわりを感じます。でもそれが外からはわかりづらいから、僕にとってもGAYAは捉え難いプロジェクトなんです。今日はその似て非なるものの「似て非なる感」がきけたらなと思っています。

(写真右から)「移動する中心|GAYA」を運営する松本篤さん、アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画ディレクター・森司。

松本:森さんとは以前からかかわりがあって、例えば日比野克彦さんの「種は船 in 舞鶴」プロジェクトでもご一緒しましたね(2010〜12年、主催:torindo)。これは日比野さんが京都府舞鶴市で3年かけて朝顔の種に似た船をつくるプロジェクトでした。remoはその出航の直前、つまり3年間の造船期間がほぼ終わったタイミングで、recip(NPO法人地域文化に関する情報とプロジェクト)を介してその記録を残したいというお話をいただいたんです。

そこで僕らがやったのは、アーティストやキュレーターの視点ではなく、プロジェクト参加者の一人ひとりの視点でプロジェクトをドキュメントするというものでした。例えば、参加者がそれぞれのスマホやカメラで写し、バラバラに保管されていた「船をつくるプロセスの記録」をどんどんもってきてもらい、アーカイブしていく。そしてそれを時系列に並べ直して高速スライドショーをつくり、それを媒介にして定期的に集まって振り返る場を設けました。ひとつのスクリーンを囲んで「スタート!」と「ストップ!」を繰り返しながら、映し出された写真を発端に思い起こされた各々のエピソードを話すということをやってみたんです。

アートプロジェクトにはもちろん、作家や運営側の意思の入ったオフィシャルの写真があるわけですが、そうではない目線の記録も残すという狙いがありました。高速で進む大量の写真から、任意の一枚を選んでそれを起点に話すと、忘れかけていた思い出が共有されたり、出航する船への思いも膨らむ。そんな、アーカイブとアクションを重ねたような場をつくってきました。

————穴アーカイブやGAYAでは、なぜ8ミリフィルムに注目されたんですか?

松本:8ミリフィルムが一般家庭に初めて普及した映像メディアだからです。現在では誰もがスマートフォンで写真や映像を撮り、インスタグラムなどのSNSで共有しますが、その元祖ともいえるメディアを使って人々は何を記録していたのか。個人の記録や表現のこれからを考えるには、メディア考古学的な発想として記録のこれまでを振り返るのも手だと思ったことが、8ミリフィルムに着目したきっかけです。よく勘違いされるのですが、僕は「レトロ素敵!」とか「郷愁にうったえる」っていう気持ちで8ミリフィルムに着目しているわけではないんです(笑)。むしろその逆で、そういう気分には全然乗れない。生まれていない時代の映像に「あー、懐かしいなあ」とは思えないんです。そもそもの関心は、「誰かの残した記録をほかの誰かが読む」という、アーカイブ的な考え方や、それによって所有というものの考え方が揺さぶられるところでした 。

「生活文化の記録」が刻まれた8ミリフィルムを収集する「穴アーカイブ」。(写真提供:(公財)せたがや文化財団 生活工房)

森:そう、だからもともとの重心は「使う」より「残す」にある人なんですよね。

松本:正確に言えばその両方です。「使う」ためにまずは「残す」という作業があったという感覚です。

森:その「残す」への関心や熱量のベクトルを、「使う」に変えることをプロジェクトのはじまりとして、4年間の活動を通して、「使う」手法を確立させていったことがGAYAの最大の成果ではと個人的には思っています。

もがきながら人の話をきく「受け止めの土壌」を耕していく

松本:GAYAで行っている「サンデー・インタビュアーズ 」という月に一度のオンライン・ワークショップは、特に「使う」ことに重きを置いた活動です。これは「世田谷クロニクル1936-83」で公開中の昭和の8ミリフィルムを、その時代をリアルには知らないロスト・ジェネレーション世代が見て、対話を行い、映像のなかの気になる人物にインタビューをしたり、資料を調べたりするもの。メンバーは公募で集まった人たちで、プロのインタビュアーではない人たちがいわば日曜大工的に、映像を起点に、もがきながら人の話をきいていくわけです。

映像をみんなで話しながら見ることで、誰かの指摘を通して自分の見落としていた細部に気がついたりします。また、親の世代がまだ若かった時代の映像を見ることで、価値観の共有のできなさや意思疎通の難しさのありかを探ったり、自分たちがいま生きている時代について考えるきっかけが生まれたりするといった可能性も感じています。

「世田谷クロニクル1936-83」インデックスと、No.24「井の頭公園」昭和35年11月27日

森:記録を「使う」方向性には僕も共感していて、松本さんにきいてみたいと思っていたことがあります。というのも、最近では、サンデー・インタビュアーズの方法論に関心をもち、それを実際のケアの現場で使う事例が出てきています。お年寄りに昔のフィルムを見てもらうと、そこからいろんなことを話してくれるようです。

ただ、松本さんはそうしたケアの現場への応用に慎重な姿勢を見せているようにも見えます。僕などは、他領域の人が関心をもって使いたいといっているのだから、使ってもらえばいいんじゃないかと思うのですが、どのあたりを気にされているんですか。

松本:森さんはよく、アートポイント計画では「人材育成」がひとつのミッションだと言われますよね。僕たちがGAYAの一環として取り組んできたサンデー・インタビュアーズというプログラムは、そのミッションを踏まえています。これまでAHA!が進めてきたアーカイブの実践や動機関心を共有できる仲間づくりです。

例えばサンデー・インタビュアーズでは、プロのようなスキルフルなふるまいではなく、一人の人間が余暇活動として、映像を見て気になったことや気になった人の話をきいてみるということを大切にしてきました。「私のおじいちゃん、もう少しで亡くなってしまうかもしれないから、いま話をききに行こう」とか、そうした切実な思いで話をきくことを、プロではない人たちが行うことを大事にしてきたんです。

また、近年、「2025年問題」ともいわれるように、2025年に団塊世代が75歳以上の後期高齢者となる超高齢化社会が訪れ、ロスジェネ世代が本格的に介護の当事者になるといわれています。サンデー・インタビュアーズで取り組んでいる「異なる世代の異なる価値観」を知るという作業には、領域化されてきた「福祉」や「医療」における専門的なスキルを相対化したり、専門的なケアとは異なる「非専門的なケア」の可能性が開かれていく効果が結果的に生まれるかもしれないと考えているんです。

2019年12月に開催された「サンデー・インタビュアーズ」の月例ワークショップ第1回の様子。

森:サンデー・インタビュアーズのメンバーも、「素人」とはいえ、月1回の活動を通して映像を見たり話をきいたりする一種のスキルを獲得しますよね。それとケアの現場の「プロ」のスキルが違うのはわかるのですが、映像を活用するという点で、その「違い」のどの部分が重要なんでしょうか?

松本:ケアの回想法的な枠組みのなかでは、思い出せたら成功、思い出せなければ失敗とか、「効果を測定」したり、されるわけです。だけど私たちが生きるこれからの社会にとって重要な発想やスキルは、思い出せないということをいかに受け止められるのか、ではないか。医療や福祉のプロの間では問題として認識されていないような部分、こぼれてしまう要素から深く考える時間が「日曜日」 であり、「日曜の聞き手」の目指すものだと思っています。

森さんはサンデー・インタビュアーズのメンバーにもスキルがあると言われましたが、人の記憶はやはりそんな簡単に引き出せるものではなくて、上手くいかないことも多い。そんなとき、思い出させるための技術について話すのではなく、思い出せないことを受け止める技術について話すことができるのか 。「文化」と「福祉」の間にある未開拓の領域を「アーカイブ」という農具で耕そうとするとき、僕たちが大事にしたいのは、「想起」と「忘却」の両方のあり方を受け止めるための身の丈にあった技法です。

他領域と交わるとき、文化やアートがもつべき矜持

森:ふたたび「似て非なる」部分について質問をしたいのですが、「対話型鑑賞」という美術鑑賞の手法がありますよね。知識に頼らず、目の前の作品を見て対話を行う方法ですが、サンデー・インタビュアーズの方法はこれともとても近いように思います。この方法も、やはり正解や誤りがなく、解釈のズレも受容できる方法だと思うのですが、これとの違いについてはいかがですか?

松本:例えばサンデー・インタビュアーズでも 、成果の質を問うていません。その代わりに「動機」を問うています。誰かに話をききに行くとき、そこにどんな切実さがあるのか。無理に引き出した言葉ではなく、「きく人自身にとって必要な言葉」を探して欲しいという気持ちがあります。僕らにはその動機をつくることはできないので、その動機は参加者それぞれがもち込んでもらうことを待っているんです。

また、とある終末医療関係者と話したことがあります。当事者には、他人に開示しているA面と閉じているB面があるという話でした。つまり、当事者は開示しているA面を見せて亡くなりたい。一方で、他人や家族にも見せないB面を医療関係者の方は見る。文化やアートが他領域、例えば医療や福祉と連携するにあたり、僕にはやはりその人の B 面 、つまり死の間際のよれよれの状態や心の揺れも入ってこなければ、その連携はいいものにならないのではという思いがあるんです。 この両面性をどう捉えたらいいのかを最近はよく考えます。

キレイなA面のみにかかわるだけでいいという考え方、あるいは、キレイなA面のみにしかかかわることはできないんじゃないかという考え方。はたまた、他領域との協働である限り、A面とB面の両面を扱うべきだ、あるいは、必然的にかかわらざるを得ないという考え方など、さまざまな立場があると思います。

————そうしたなかで、松本さんは、対象の普段見えていない側面、つまり「B面」を引き出すことにこそ文化やアートの役割があると考えられているのでしょうか?

松本:そうですね。今後、どんどん文化の予算のパイが減っていく予感があるなかで、さまざまな領域の方がAHA!と組んでよかったと思ってもらうためには、どこかに普段はたどり着けないものがないと、その先がないと思う。そのやり方をどうしようかと、この4年間ずーっと頭の片隅で考えています。

森:2022年に東京アートポイント計画ではじまった、海外にもルーツをもつ方たちと映像制作ワークショップを行うプロジェクト「KINOミーティング」では、つくったものを「作品」と呼ぶというこだわりがあるようなんです。それは、ワークショップの成果物をそう呼ぶことによって、活動への向き合い方やコミュニケーションの質が変わるからだ、というわけです。いまのお話はとてもそれに近くて、これは松本さんやGAYAの「表現活動」でもあるわけですね。

松本:そう思います。「8ミリフィルムを収集・活用する事業」は、置き場によって観光にも福祉にも表現活動にもなる。でも、そのそれぞれの分野が大切にしていることや、求めるスピード感は当然違っています。だからこそ、僕はそこで文化的な領分を「アーカイブ」という道具を使ってきちんと担保したいんです。

先ほど「なぜ8ミリフィルムなのか?」という質問に、記録を残すことの原点がわかるからと言ったんですが、もう少し正確に言うと、こうした活動をはじめた2005年のころ、公的な機関は、建前では「市井の記録は大事」といいながら、商業的な価値や歴史的な出来事が記録された映画を優先してアーカイブしていたんです。理屈としては優先順位をつける必要性は理解できるんですが、心情的にはそういう態度に対して腹が立った。ならば、小さな組織であろうとも、自分たちができるやり方で、市井の人々の記録と記憶のアーカイブをやってみようと思ったんです。だから AHA!は記録と記憶にまつわる「表現活動だ」と言われると、確かにそうかもしれません。

かといって、これが「作品」づくりかといえば疑問です。「アーティスト」という人格をあてがわれるのもそれほどこだわりはないのですが、どこかでそうラベリングされることが癪にさわったりもするんです。さらにいえば正統なアーカイブの実践と理論の外側ではじまった活動なので、「アーキビスト」とも違います。どこにも属せないという違和感がずっとあって、居場所がない感覚をずっともち続けています。

「文化/アート」プロジェクトだからこそできるアーカイブ、その背景に潜む倫理—松本篤「移動する中心|GAYA」インタビュー〈後篇〉

Profile

松本篤(まつもと・あつし)

NPO法人remoメンバー/AHA!世話人
1981年兵庫県生まれ、大阪在住。2003年より「文房具としての映像」という考え方のもとに活動するNPO法人記録と表現とメディアのための組織(remo)の取り組みに参加する。2005年より8ミリフィルムや家族写真といった“市井の人びとの記録”に着目したアーカイブ・プロジェクト、AHA!(アハ)を始動させる。「穴アーカイブ」(東京都世田谷区 2015〜)、「HOME MOVING!」(茨城県水戸市 2017〜)などの市民参加型アーカイブを企画・運営。編著に、平和の象徴として戦後すぐにタイから来日し、井の頭自然文化園で長らく飼育されていた日本最長寿記録をもつアジアゾウのはな子(1947-2016)の69年の生涯に光をあてた記録集『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(発行:武蔵野市立吉祥寺美術館)、展覧会に『わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち』(せんだい3.11メモリアル交流館、2021)ほか。そのほかの著書に『フィールド映像術』(古今書院、2015、共著)などがある。

remo
https://www.remo.or.jp/ja/

AHA!
https://aha.ne.jp

移動する中心|GAYA

2015年から世田谷区内で収集・デジタル化されてきた、昭和の世田谷を映したホームムービーを活用して、語りの場をつくるコミュニティ・アーカイブプロジェクト。初詣、海水浴、運動会、遊園地、雪遊びといった、8ミリフィルムに写された記録をきっかけに、自分たちの生きる「いま」を考える。また、プロジェクトをともに動かす担い手の育成も目指す。
https://aha.ne.jp/project/gaya/

「サンデー・インタビュアーズ」
https://aha.ne.jp/si/

「文化/アート」プロジェクトだからこそできるアーカイブ、その背景に潜む倫理—松本篤「移動する中心|GAYA」インタビュー〈後篇〉

アートプロジェクトの担い手に話をきく、インタビューシリーズ。今回は、2019年から世田谷区で活動を行う「移動する中心|GAYA」の松本篤さんをゲストに迎えました。

手紙や写真、ホームムービーなど、誰の家にもある私的な記録。松本さんが世話人を務めるAHA!は、こうしたパーソナルな記録物のアーカイブを通して、そこに潜む価値を探り続けてきました。その関心の延長線上にあるGAYAは、世田谷区の一般家庭から集まった約16時間におよぶ8ミリフィルムの活用と、その映像を起点とした人々の語りの場をひらくプロジェクトです。

例えば、活動のひとつ「サンデー・インタビュアーズ 」では、昭和30〜50年代に一般家庭に普及した8ミリフィルムを、昭和45〜57年ごろ生まれのロスト・ジェネレーション世代が鑑賞。そこからみんなで対話を行ったり、疑問に思ったことを調べたり、当時を生きた世代の人に話をきいたりすることを通して、「いま」という時代について考えたり、来るべき社会に向き合うスキルを開発しています。

現在、ケアなど幅広い分野からも注目されているGAYAの活動。しかし、松本さんはそうした状況だからこそ、大切にすべきものがあるのではないか、と問いかけます。GAYAが掴み取ろうとしているものの正体とは何なのか。東京アートポイント計画ディレクターの森司との対話を通して、その「輪郭」に迫ります。

(取材・執筆:杉原環樹/編集:永峰美佳/撮影:池田宏*1、2、3、5、8枚目)

「文化/アート」プロジェクトだからこそできるアーカイブ、その背景に潜む倫理—松本篤「移動する中心|GAYA」インタビュー〈前篇〉

「アート」にできること、「アート」を超える生への問い

————前篇では、GAYAの「サンデー・インタビュアーズ 」の活動において、松本さんが8ミリフィルムを前に語る人から、その人にとって必要な言葉、切実な動機が出てくるのを期待していることなどをおききしました。僕も普段からインタビューをする仕事をしているので、人から建前ではない、思いもかけない話をきけたときの喜びはわかります。

松本:そういうおもしろさは人と共有可能だと思います。GAYAの活動はそのおもしろさを共有する仲間づくりです。ただ、「プロのスキルのあり方とは異なるスキルがある」とも思っています。

(写真右から)「移動する中心|GAYA」・松本篤さん、アーツカウンシル東京 東京アートポイント計画ディレクター・森司。

森:そこがとてもわかりづらいところです 。松本さんは、GAYAの活動や方法論を他者とも共有したいと思っている。けれど同時に、そこにある「動機」が重要なんだと語る。松本さんたちが使う方法論は、やはり他領域の人も使ってみたいと感じると思います。だけどそこには安易に扱えないハードルがあるらしいことも、今日のお話から見えました。

であれば、先ほど、GAYAで行っているような活動は表現活動でもあると話してくれましたが、さらに先まで進んで、「これは自分のアート活動だ」と言い切ってしまった方が、多くの人にとっては理解しやすいと思うんですよ。 ただ、松本さんはそう言い切ることをためらわれていますよね。根がアーティストなら、「アートをやっていいのか」という問いは生まれない。そういう人はアートをやることへの戸惑いがないからこそ、その問いはどこから来るのかということが気になってきます。松本さんはアートのもつ何かにこだわり、引っ張られている気もします。

一方で、いま話されていたような、人の意外な話をきくおもしろさというのは、シンプルにある種のインタビュー術でもあるわけですよね。

松本:そうです。プロのインタビュアーが用いるスキルは確固として存在していて、とても大事です。ただ、GAYAは専門学校ではないので、その実効性のあるスキルを学んだり、講師を招いて講義してもらうようなことはしません。むしろ僕らはそのスキルを用いる動機を問うという、メタなスキルがあることを問題提起しているつもりです。そして、そうした姿勢に意義を見出し、引き取ってくれるのがアートだけだったんです。 福祉や観光や教育には、その「メタさ」は要らないって言われてきたんです。

でも、アートという領域にお邪魔したら、それはそれで違和感を感じました。例えば、「それは作品ですか?」とか「あなたはアーティストですか?」といったことを問われ出し、登場するボキャブラリーの幅が狭いと思いました。本心としては「それはアート側の都合に当てはめているだけなのでは」と。すごく大きなことを言えば、自分たちはアートという領域からはみ出てしまうサイズ感のもの、一回りも二回りも大きくて広いことをやっている感覚もあるんです。

森:「一回りも二回りも大きいこと」って?

松本:生活とか、「生きる」みたいなことです。

森: 先ほども言ったように、「映像を見て誰かと話す」という方法論は、それほど珍しくない。だけど、松本さんはアスリートのように、普通では考えられない長い時間と思考をそこに注ぎ込んでいる。そこに「人生」のような大きいテーマがもうひとつあると言われれば、違和感はないです。

松本:こうした活動をはじめた2005年に自分が一人称で抱いていた問いが大きかったと思います。それは、その10年前に起きた、1995年の阪神・淡路大震災のことです。僕は震災当時、兵庫県下に住んでいて、少し経ってから1日ボランティアをしました。その経験が僕にとってとても印象深かった。避難所の小学校で一人の妊婦を見たんですが、僕にとっての震災経験はそれなんです。

10年経った2005年に私的な記録と記憶に関係するプロジェクト、AHA!の立ち上げを構想しているとき、ふとその妊婦の姿を思い出しました。つまり、95年に僕が見たお腹の子は、2005年には10歳になったわけですけど、その子はお母さんから震災の記憶をきいて、その経験していない経験をどう血肉化しているのだろう、経験の不在の輪郭をいかに経験できるのだろうと思ったんです。その興味から、私的な映像文化が普及した原点である8ミリフィルムに着目した企画がはじまったわけです。

この問いがアートなのかはわかりませんが、ある種の普遍的なテーマを扱っているような感覚はありますし、もっと自分の関心に引きつけると、まさに自分の切実さからこのプロジェクトは続いていると思います。ただし、法人格のある組織のひとつのプロジェクトとしての側面もあるし、ほかのメンバーの問題関心とも共存させながら進めてきたので、属人的に一人称でプロジェクトを語ることにも違和感があって、三人称で語るというのが適切だと考えています。

2021年12月から22年1月にかけて行われた、巡回展「巡回展 わたしは思い出す 10年間の育児日記を再読して」フライヤーより。

プロジェクトの「人称」をめぐって。仲間が見せる「ミラクル」

————「プロジェクトは三人称で語るもの」とはどういうことですか?

松本:端的にいえば、みんなの欲望も巻き込みながら、自分だけではできないことをしたいということです。僕だけがやりたいことなら、自分だけでやればいい。ただ 、それだとどんどんつまらなくなっていくから、そういうことにはあんまり興味はないんです。

————プロジェクトを立ち上げた個人と、プロジェクトという大勢の人がかかわる協働の場の関係をどのように考えるのか、という問いでもありますね。

森:松本さんは、「見たいもの」がある種はっきりとあって、それに見合う体験をおそらく何回かしたことがあり、その回数を増やしたいと感じているのだろうと思います。僕もアート業界で生きてきたから、何回かそうした、見えないものが見えるような高みを感じる体験をしたことがある。それは非常にアーティスト的な探求だと個人的には感じるし、先ほどの、95年の被災地での体験がその原点にあるという語りは興味深かったです。

他方で、確かに一人称と三人称では、スタンスは全然違う。三人称だと、自分で采配すべきものと、してはいけないものの線引きも出てくる。でも、プロジェクトってデザインが自由だから、べつに主語が一人のプロジェクトもあれば、みんなのプロジェクトもある、というものかなと思うのですが。

松本:プロジェクトの背後に「わたし」はあっていいと思うし、僕も何か判断するとき、ふとその「自分」が顔を出して、行きつ戻りつすることはあります。ただ、特にGAYAの活動で、映像を見て、誰かに話してもらうとき、自分の意図の外側で動き出している何かを感じるんです。そのとき、「わたし」というものの確固たるあり方が解けていく感じがあって、そのあり方に正直になると、三人称がしっくりくるんです。

サンデー・インタビュアーズの参加者に対しては、とにかく動機をドリブンしてもらいたく、成果は問いません。その代わり、参加者がジタバタしたり、ああでもないこうでもないとフラフラ歩いているその模様を橋本倫史さんというプロのライターがきちんと文字にしてくれています(noteにて連載)。昨年度から活動に伴走して、定期的にレポートを書いてくださっているんですが、その文章があるから、そこに起きていることが何なのかってわかるんだと思うんです。

こうした活動を通じて、 僕たちが以前から考えていたこと以上のリアクションが参加者の皆さんからもらえました。サンデー・インタビュアーズのメンバーの間でも、じわじわと一度だけではわからない、回を重ねることでわかるおもしろさがあることが伝わっていったと思います。それはこの4年間の財産だと感じます。

2021年3月に行われた、活動の記録を執筆するライターの橋本倫史さんとの対談(記事はこちら)。

————メンバーと協働したからこそ生まれたエピソードはありますか?

松本:毎回、違うメンバーが「主人公」になる感じがあるんですよね。誰かが意外なことを見つけ、それによってフィルム提供者からきいた話が変わることもある。例えば、ある家族の映像を見たとき、提供者に「お母さん」ときいていた人物のことを、新しいメンバーが「髪型が違うからお母さんじゃないよね」と指摘して、みんなが驚いたりとか。

その時代を生きていないと基本的にわからないのであれば、僕たちのやっていることにはおそらく意味はない。でも、そうやって、時が経てば経つほどわかることもある。フィルム提供者でさえ気づいていなかったことに、60年ぐらい経ってから当時を知らない人が媒介することで気づくこともある。それは希望だなと思う。仲間が増えることは、視点や視野を複数にすることです。別々のものを見てもいい、語ってもいいという関係をゆっくりとつくることです。

家族とスタッフのみのプライベート上映会の様子。(写真提供:(公財)せたがや文化財団 生活工房)

「道具」を使う目的をいかに共有していくのか

————4年間の活動を経て、次に考えている展開はありますか?

松本:例えば、「場所」をもつことなのかなと、いまは思っています。この4年間は、ワークショッププログラムをどこにでももっていける道具として洗練させることに力を入れてきました。リアルな場での活動も考えたけれど、ちょうどコロナ禍も重なり、オンラインでのプログラムに取り組んできた。その意味では、GAYAでほんとうにやりたかったことはまだはじまっていないともいえるのかなと思います。

というのも、プログラム名にある「移動する中心」は、英語表記では「Moving Archive Center in Setagaya」。「アーカイブセンター」のような公的で固定的な性格のものが、移動式映画館のように区内を巡回していく。そして、みんなで映像を見ることで、いろんな声が集まるとおもしろいのではないか。それがGAYAの最初の構想でした。収集した映像に映っている場所での上映を通じて、それをその土地に返したい思いもある。地域コミュニティという土台の上に、「見る」という即興的な実践コミュニティやアソシエーションを立ち上げては、時間が来るとバラバラになってそれぞれの暮らしに戻る。個人の記録と記憶をメディアにして、離合集散を繰り返す。その世話人づくりの最初の一手が「移動する中心|GAYA」というプロジェクトでできたのではないかと思います。

森:それはまさに最初の企画書に書いてあったことですね。

松本:そうですね。それをやることにいまも魅力を感じます。堅牢で動かない既存のアーカイブの仕組みを壊しながら、いや、使いながら、どう変えていけるのか。僕たちは、「アーカイブ」という道具が有効だということを、「回想法」的ではないあり方で福祉や医療の領域にも伝えたい。「アーカイブ」を使ってさまざまな領域に横串(よこぐし)をさしたい。

森:哲学はどうですか? 話をきいていて、松本さんがやっていることは哲学実践、最近の言葉でいえば「哲学対話」の新しいスタイルといってもいいのかも、と感じたんです。そこにアート的な手法に見えるものが入っているからわかりにくいけど、両者が交差した事業なんだな、と。

松本:そうですね。僕たちのやっていることは、大文字の「哲学」とは異なりますが、確かに哲学的かもしれません。たぶんこれまではあまりそんなふうに言ったことはなかったですし、これからも言わないですが、哲学や倫理の実践なのではないかと感じています。

森:行政的に見れば、GAYAは他分野の人も使いたくなるいいツールをつくって、それでもう十分に成果といえるものはある。でも、松本さんは「まだはじまっていない」と言う。そういう意味では、ほんとうに本人が目指している成果はもっと先にあるわけですよね。だから、最初の企画書にあるように、ウィズコロナのなかで世田谷を実際に回って、プロジェクトを身体化したときにどんな風景が見えたのか、またお話をきいてみたいなと感じましたね。

松本: 道具を使う人の「動機」を問うなかで、その道具をつくった側の「動機」や「倫理」が問い返されている感じがします。僕はこれまで「アーカイブは誰でも使える道具だ」と言ってきたし、そこには受動的でありながら能動的なふるまいが生まれる契機があると思ってきました。でも、自由に使ってもらうためには、やっぱりそういう目的の意識の共有が、道具の使用の前にあるべきなのかもしれないということを、GAYAの活動を通して確認できました。

もしかすると、人から見るとややこしく感じるかもしれないこうした倫理観は、文化やアートがさまざまに社会的な要請を受け、広がりを見せている時代だからこそ、今後より重要になってくるのではないかと考えています。

昨今のアートプロジェクトでは、誰もがわかるような社会的意義に寄り添う意識が強すぎて、個がプロジェクトに奉仕しているような構造になっているものが多いという印象ももっています。他者の記録や記憶を扱うプロジェクトに取り組む限り、他者にどう配慮すべきかと同時に、自分のことも守る、ケアすることが必要になります。それはもっと言えば、自分とプロジェクトとの距離の取り方という議論にもつながると思います。安易に他者のものを奪わず、わたしはあなたではない、というところからはじめないと、大きいものに同化してわたしを殺してしまいかねない。いい意味で、ちゃんと他人に無関心でいられる状態をつくること。アートプロジェクトが他領域との連携を進める上では、「私」という単位からはじめ、「私」に立ち戻ってこれるという技法や倫理がますます必要になってくると思います。

Profile

松本篤(まつもと・あつし)

NPO法人remoメンバー/AHA!世話人
1981年兵庫県生まれ、大阪在住。2003年より「文房具としての映像」という考え方のもとに活動するNPO法人記録と表現とメディアのための組織(remo)の取り組みに参加する。2005年より8ミリフィルムや家族写真といった“市井の人びとの記録”に着目したアーカイブ・プロジェクト、AHA!(アハ)を始動させる。「穴アーカイブ」(東京都世田谷区 2015〜)、「HOME MOVING!」(茨城県水戸市 2017〜)などの市民参加型アーカイブを企画・運営。編著に、平和の象徴として戦後すぐにタイから来日し、井の頭自然文化園で長らく飼育されていた日本最長寿記録をもつアジアゾウのはな子(1947-2016)の69年の生涯に光をあてた記録集『はな子のいる風景 イメージを(ひっ)くりかえす』(発行:武蔵野市立吉祥寺美術館)、展覧会に『わたしは思い出す 10年間の子育てからさぐる震災のかたち』(せんだい3.11メモリアル交流館、2021)ほか。そのほかの著書に『フィールド映像術』(古今書院、2015、共著)などがある。

remo
https://www.remo.or.jp/ja/

AHA!
https://aha.ne.jp

移動する中心|GAYA

2015年から世田谷区内で収集・デジタル化されてきた、昭和の世田谷を映したホームムービーを活用して、語りの場をつくるコミュニティ・アーカイブプロジェクト。初詣、海水浴、運動会、遊園地、雪遊びといった、8ミリフィルムに写された記録をきっかけに、自分たちの生きる「いま」を考える。また、プロジェクトをともに動かす担い手の育成も目指す。
https://aha.ne.jp/project/gaya/

「サンデー・インタビュアーズ」
https://aha.ne.jp/si/

めとてラボ 2022 ―活動レポート―

「わたしを起点に、新たな関わりの回路と表現を生み出す」ことをコンセプトに、視覚言語(日本の手話)で話すろう者・難聴者・CODA(ろう者の親をもつ聴者)が主体となり活動するプロジェクト『めとてラボ』。

2022年度は日本各地のリサーチや、コミュニケーションのあり方、手話のアーカイブに関する研究・開発などに取り組みました。そのプロセスを円形の冊子にまとめ、リングで綴じた活動レポートです。

目の前の誰かの頭のなかをのぞいて見ることができないように、つたえあうことには、常に「わからなさ」が横たわっている。

(つなぐラボ)
目次

めとてラボとは
福島リサーチ
デフスペースリサーチ
愛知リサーチ
アーカイブ・プロジェクト
つなぐラボ

関連リンク

『めとてラボ』の活動レポートは、めとてラボ公式noteに掲載しています。ぜひご覧ください。
https://note.com/metotelab/

しゃべりながら観る

全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんと、アートエデュケーターの佐藤麻衣子(マイティ)さんによる、会話を中心とした美術鑑賞の方法を「会話型美術鑑賞(しゃべりながら観る)」と名付け、紹介した冊子です。二人のこれまでの活動や、作品を介して、時間と場を共有しながらコミュニケーションをとることの面白さを紹介しています。巻末には、実際に会話型美術鑑賞を行うときのコツや、紙上鑑賞会のための図版も掲載しています。

▶本書のテキストデータは以下よりダウンロードできます。

誰かと一緒に美術館に行くと、その人と近くなる感覚はある。個人的な話が出るだけでなく、時間と場を共有することが大きいのではないだろうか。作品を鑑賞するという得体のしれない共通のテ―マがあると、自然と仲良くなってしまうのかもしれない。

(p.20)
目次

全盲の美術鑑賞って、どういうこと?

はじめて美術館に行ったのは、彼女とのデートでした。
現代美術との出会いが、わたしを変えてくれた。
盲人らしくないことがしたかった。
白鳥さんに作品を説明しても、ほとんど無反応でした。
作品を観た人の印象や思い出を知りたい。
会話しながら観ると、驚きと発見の連続です。
饒舌ではないからこそ、自由に考える隙間がある。
美術館では自分らしくいられる。
「わからない」からこそ楽しい。
しゃべりながら観るのが当たり前!?

なんでしゃべるんだろう? 白鳥建二×佐藤麻衣子

白鳥流 会話型美術鑑賞のすすめ
白鳥流 会話型美術鑑賞をやってみよう!

美術館は温かい場でありたい 逢坂 恵理子(国立新美術館長)
あとがきに代えて 森司(Tokyo Art Research Lab ディレクター)

“インフラ”としてのネットワーク|「ジムジム会」の4年間を振り返る

東京アートポイント計画」では、2019年度から「事務局による事務局のためのジムのような勉強会(通称:ジムジム会)」という取り組みを続けています。東京アートポイント計画に参加する団体が集まり、それぞれの悩みや得意技を持ち寄って、プロジェクト運営のために学び合うネットワークをつくっています。

コロナ禍でも試行錯誤を続け、これまでに20回以上開催してきたジムジム会。改めて振り返ると、同じ「ジムジム会」といえど、年度によってその役割やかたちを変えながら進んできたことが分かります。ジムジム会は何のためにネットワークづくりをしているのか? この先どこに向かっていくのか? 4年目の担当者として、これまでのジムジム会を振り返りながら考えてみたいと思います。

1年目:毎月、みんなで朝活。テーマは「届け方・つなぎ方の筋トレ」

トレーニングジムでは、エクササイズをがんばると、「いい感じですね!よいフォームです」とトレーナーが褒めてくれ、ちょっとさぼると「もう1回やりなおし」と厳しく反応してくれたりして、モチベーションが刺激されますよね。プロジェクト運営でも、反応したり、相談したりできるような仲間がいることで、持続的な活動の支えになるのではと考えました。
月1回、お互いに刺激し合い、みんなで運営のための筋肉をムキムキさせていきたいと思っています。

2019年度担当・坂本有理によるブログ記事から

初年度は秋からスタートし、月1回、ROOM302(アーツ千代田3331内)に集まって実施。日々忙しいアートプロジェクト事務局が、1日を有効に使えると良いのではと、“朝活”スタイルで午前中に開催しました。

企画・運営には、広報コミュニケーション事務所「きてん企画室」の中田一会さんをパートナーに迎え、プロジェクトをはじめたり、広げたり、続けたりするために大切な「アートプロジェクトの広報」にテーマを絞って行いました。ウェブサイトや広報紙、ドキュメントなどを切り口に、ゲストトークや各プロジェクトの事例紹介などを通して学び合いました。

広報紙を特集した回で紹介された「ファンタジア!ファンタジア!ー生き方がかたちになったまちー」の広報紙、「ファンファンレター」をきっかけに「HAPPY TURN/神津島」の「くるとのおしらせ」が生まれるなど、東京アートポイント計画内で“かわら版”のプチブームが起きるというエピソードも。

2019年度のレポートはこちらから

2年目:突然のコロナ禍。オンラインでの実験にも挑戦

2019年度スタートし、2020年度はさらにバージョンアップして開催しよう……と企画していた矢先、今回のコロナ禍がやってきました。勉強会どころか、各プロジェクトでももちろん「移動する/集う」ことができません。
人と集まり、交流することで地域社会を豊かにすることを目指してきたアートプロジェクトにとって、大変困難な状況です。しかし、そういったタイミングだからこそ、新たな「文化事業のありかた」を探ることもできるはず。この危機は、事務局の運営力を鍛えるときであり、「文化事業を止めない力」を養うときではないでしょうか
そこで2020年度のジムジム会は、オンラインから始動することにしました。「移動せず/集わず」にできるアートプログラムの可能性や方法を話し合い、共有し合いたいと考えています。

ジムジム会2020始動にあたってのnote記事より

2020年度のジムジム会は、緊急事態宣言下のなか、「どうやって開催するか」「そもそも何のためにジムジム会が必要なのか」を考えるところからはじまりました。東京アートポイント計画のスタッフも、プロジェクト事務局のメンバーも初めて経験するコロナ禍。どう動くのが正解なのか、誰にも分かりません。当初は対面レクチャー形式での実施を考えていましたが、方針を変更し、完全オンライン形式へとシフト。全体テーマには「社会状況に応じたアートプロジェクト運営の工夫をお互いに考える」を設定しました。月に一度オンラインで集まり、この状況下で困っていることや挑戦していることを共有したり、ディスカッションなどで互いに話したりする時間を多くとりました。

運営は、急遽オンラインシフトになったことで、配信技術を学びつつ、オンラインだからこそできる実験の要素も取り入れて実施しました。オンラインドキュメントを使ったリアルタイム議事録かるたタイプの議事録(後日各団体にお届けしました)、「人間が登場する画面は飽きてきたのでは」という意見から生まれた人形劇方式での進行など、様々な方法を試しました。

また、東京アートポイント計画のスタッフが主催する「ジムジム会」は9月で終わりましたが、こういった交流の場を求める声が上がり、参加団体が自主的に行う続・ジムジム会や、よりゆるやかなオンライン交流会である「ゆるジムジム」も生まれていきます。さらに、東京アートポイント計画と連動して実施するTokyo Art Research Labでは、ジムジム会の手法を活かし、全国各地のアートプロジェクトの現場から参加者が集うつどつど会を行うという展開にもつながりました。

>2020年度のレポートはこちらから

3年目:各プロジェクトの「得意技」や「悩み」に注目。参加団体がホスト役を担う

ジムジム会のなかでも「オンラインで以前にも増して素早くミーティングが進むようになり、直近の事柄ばかりがフォーカスされ解決されていく。それではアートプロジェクト運営に必要な長期の目線を事務局員が持ちにくいのではないか」という声もありました。
この時代だからこそ先を見据え、プロジェクトのことを考えるためにはどうしたらいいのか…?(中略)
今回の「今年鍛えたい筋肉」でそれぞれの団体の課題感や関心のあるテーマを持ち寄ることができました。次回からは、そのなかからテーマを絞り深めていきます。

2021年度担当・村上愛佳によるnote記事から

2021年度は、「これからの思考・アクションのための出会いの場」をテーマに開催。前年度、参加団体によって自主的に行われた「続・ジムジム会」の流れを経て、参加団体が企画・運営を担うホスト役となり行いました。企画・運営にあたっては、東京アートポイント計画のスタッフとともに、各団体がもつ知見や経験を他の団体へ共有することを意識しました。

例えば、海外ルーツの方との協働を行う「東京で(国)境をこえる」がホスト役となった回では「ことばを壁にしない。『やさしい日本語』を使おう」をテーマとし、実際にプロジェクトの広報で行った「『やさしい日本語』を使ってプロジェクトを伝える」ワークに、全団体がチャレンジ。「やさしい日本語」とは、日本語学習中の外国の方々などとのコミュニケーションに活用されている、簡単でわかりやすい日本語です。いつも使っている事業紹介文を因数分解し、書き直していくことで、自分たちのプロジェクトで捨てられない要素を見直すきっかけになりました。

その他、昭和のホームムービーを活用した取り組みを行う「移動する中心|GAYA」のチームが「プロジェクトの記録」をテーマにしたり、様々な事業評価手法に取り組んできた「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」が「評価」をテーマにしたりと、各プロジェクトの知見や経験を他の団体と共有するなかで、プロジェクトの個性を見直すことができました。

▼2021年度のレポートはこちらから

4年目:そろそろまちへ繰り出そう。新しいメンバーと学び直し、出会い直し

(撮影:加藤甫)

そして2022年度。実は、ジムジム会の運営は毎年担当スタッフの体制が変わっており、私は今年度からの担当です。対面で実施した初年度から丸々2年間、参加団体のメンバー同士が対面で集まる機会をつくることができませんでした。この間、多様なメンバーからなる新規団体が増えたり、継続事業の事務局メンバーも変わったりしています。そして、社会的には少しずつ「“集まれそう”な予感」がある。そんななかで、担当になってまず考えたのは、今年度は「学び直し」や「出会い直し」の年なんじゃないかな、ということでした。

東京アートポイント計画は、アーツカウンシル東京や東京都、そして非営利団体という3者が行う「共催事業」です。公共事業ゆえ特有ルールが色々とあるため、ジムジム会1回目では「共催事業のきほんのき」を全員で学び直す時間をつくりました。新メンバーだけでなく、元々関わっていたメンバーからも「改めて事業の流れが分かった」という声が聞かれるなど、担当スタッフと団体メンバーとの共通言語を獲得できたようです。その後は「広報(非営利法人のブランディング)」や「評価」、「アクセシビリティ」などのテーマで学ぶ回を実施。「評価」と「アクセシビリティ」の回は、日々の事業や「ゆるジムジム」のなかで参加団体から出てきた悩みやアイディアを膨らませ、一緒に企画を行いました。

また、運営自体も新たな学びの多い1年でした。今年から参加している「めとてラボ」は、事務局メンバーのなかに手話ユーザーが多いチーム。ジムジム会としてはじめて手話通訳を導入、これまでトライアルでやっていたUDトークも本格的に運用しました。通訳の依頼時間や事前打ち合わせ、画面表示の方法など、失敗と改善を繰り返しながら、東京アートポイント計画のスタッフ自体のOJTとなりつつ、参加団体のメンバーにとっても、「さまざまな人がいる場所」となったことは、これからアートプロジェクトを運営していくにあたって良かったのではないかな、と思います。

秋以降は、参加団体同士や、過去の参加団体に話を聞きにいくヒアリング企画を実施。各ヒアリングで実りのある話を聞けたのはもちろん、事前に、事務局メンバーと東京アートポイント計画のスタッフとが「どんなことをききたいか」を決める対話を通して各事業の課題やアイディアが言語化されたこともいい機会でした。

それから、なんといっても今年嬉しかったのは、3年ぶりに対面で集まれたことです。12月に行った最終回では、ROOM302(アーツ千代田3331内)に参加団体が集い、上述のヒアリング企画について報告を行いました。オンラインの面白さや便利さはもちろんあります(実際、今回は高知県や神津島から遠隔で参加したメンバーも!)。ただ、対面で集まることで情報量がぐんと上がること、そして終わった後に立ち話で交流したりする余白があったりすることなど、集えてこなかったからこそ実感できるものがありました。

>2022年度のレポートはこちらから

ネットワークのためのネットワークではなく、使えるネットワークに

振り返ってみると、情報共有、個々人や団体としてのスキルアップ、さまざまな状況下でのプロジェクト運営のOJT…と、さまざまな目的が共在しながらジムジム会が進んできたことが分かります。その時々で、社会状況やメンバーの状況をふまえ、かたちを変えながらやってきました。

その中でも変わらないのは、ジムジム会が「インフラ=ネットワーク」であることなのでは、と気づきました。「知り合いを増やすため」といった、ネットワークづくりそのものが目的なのではなく、ジムジム会をもとに新しいチャレンジにつながったり、ジムジム会を通して事業の言語化や再発見を行えたりと、あくまで基盤であることを大事にしています。

ある人から、とある別荘地の水道についての話を聞いたことがあります。そこでは、元々水道が整備されておらず、住民たちが自分たちで開発の計画をし、水をひき、管理運営も自治的に行っていたのだそうです。その「みんなで頑張った、つくった」感を、そこのコミュニティでは共有しているんだよ、だから普段からお互い様という関係性なんだよ、と。もちろん、いい話だけではなく、大変な面も、トップダウンで整えられるべきだという面もあるでしょう。ただ、ジムジム会のネットワークについて考えた時、なんだかその水道の話を思い出したのです。

立場や肩書きに関係なく、そのコミュニティに関わる人みんなが、かたちを変えていい、使っていいネットワーク。ジムジム会があるからできることがある、ジムジム会も様々な状況に応答できる。そんな、それぞれのプロジェクトが活動を広げるためのインフラとなるネットワークとして、これからもジムジム会を進化させていければ、と思います。