官民に開かれた全国規模のミーティング・スポット:継続化への期待ー2日目を終えて(5/5)

行政と民間のパートナーシップに着目し、自治体の政策と現場をどう紐づけていくのか、それらの方法が、これからの「公共」を立ち上げるためにどのような意義を果たすのかなどについて、秋田と沖縄の事例をもとに議論した連続講座「パートナーシップで公共を立ち上げる」。2日目のセッションとディスカッションを終えて見えてきたポイントや視点を、文化政策研究者の小林瑠音が振り返ります。

官民に開かれた全国規模のミーティング・スポット:継続化への期待

行政という「ジェネラリスト」機関の中に、文化芸術関係の専門家やアーツカウンシルという「スペシャリスト」をどうインストールしていくのか、その実践を全国に先駆けて牽引してきた沖縄県と那覇市の事例をお聞きしました。

ここでは、国庫を原資とした設立14年目の老舗アーツカウンシルであっても、懐事情は安泰ではなく、プログラム・オフィサー全員が任期付非常勤という雇用の不安定さや、自走化・産業化のみに集約されない評価軸の設置といった課題が明らかとなりました。他方で、事業報告会や、なはーとダイアローグ、地方紙への寄稿など、徹底して文化芸術にまつわる「言葉の流通」に力点を置く姿勢が特筆できます。(この点は、秋田市の事例でも、日々の実践にまつわる言葉の拾集と発信が重視されており、共通性が見出せます。)首長部局や政治家も巻き込んだ対面・紙面での言葉の蓄積を介して、プレーヤーを増やし、既存の関心層以外に接近していく、いわゆる「ロビイング」の重要性が見えてきたのではないでしょうか。

また、後半には、芸術分野の「生態系」についても話題が広がりましたが、確かに「パートナーシップ」という概念を巨視的に捉えるならば、芸術分野全体のキャリア形成を行政と民間で共に思案し、人材を循環させていくことも重要です。既に、官と民で人材が行き来する、いわゆる「回転ドア式」のキャリア展開は、霞ヶ関でも実践され始めていますが、文化政策部局において民間の専門家を登用するケースは、文化財や著作権関係、研究職等を除いては、いまだ限定的です。自治体においても中途採用や経験者採用の導入が促進されていますし、公務員試験も年齢制限(上限)が緩和されたりSPIが併用されたりと、かなり間口が広がっていますが、那覇市のような文化政策関連の専門職採用(行政職員の昇進ポストではなく民間からの新規登用)は、京都府、京都市、神戸市、京丹後市等、前例がまだまだ少ないのが現状です。

その意味で、今回の連続講座は、官民の課題を持ち寄り、新たな連携の糸口を共有する貴重な機会であったと思います。これまでにも、トヨタ・アートマネジメント講座(1996〜2004年)、アサヒ・アート・フェスティバル・ネットワーク会議(2005〜16年)など、アートマネジメント関係者の全国的なネットワーク活動に加えて、アートNPOフォーラム(2003年〜現在)、自治体文化財団マネジメント講座(2016〜18年)、アーツカウンシル・ネットワーク(2018年〜現在)、公立ホールの連絡会議等、定期的に開催される同業者間の対話の場は多数存在してきました。他方で、今回のように、自治体、中央省庁、民間企業、アーツカウンシルや芸術団体の関係者に加えて、アーティストや研究者など、官民横断的に広く開かれた全国規模のミーティング・スポットは、文化政策領域において意外と少なかったのではないか?

これまで数々のネットワーク形成の場に携わってこられた芹沢さんも最後の締めくくりのなかで、このような「終わりのない対話」を続けていくことの重要性を強調されていました。今回の連続講座を含む「新たな航路を切り開く」シリーズが、全国各地のディレクター、プロデューサー、そして芸術文化関係者たちの「旅立ちのための港」としてだけでなく、航路の途中で立ち寄れる「帰省のための港」として、継続されていくことに期待したいと思います。 

撮影:齋藤彰英

地域のよりよい「文化の生態系」をつくるには?ー2日目後半(4/5)

「2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらを取り巻く社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズ」として2022年に始動したプログラム「新たな航路を切り開く」。その一環として、2025年7月31日と8月1日の2日間にわたって連続講座「パートナーシップで公共を立ち上げる」が開催されました。ここでは、行政と民間のパートナーシップに着目し、自治体の政策と現場をどう紐づけていくのか、それらの方法が、これからの「公共」を立ち上げるためにどのような意義を果たすのかなどについて、秋田と沖縄の事例をもとに議論しました。自治体文化政策担当者を中心に、各地のアーツカウンシルや民間企業、芸術団体の関係者等約30名が参加した講座の模様をレポートします。

(取材・執筆:小林瑠音/編集:小山冴子/撮影:齋藤彰英)


振り返り・ディスカッション「パートナーシップで公共を立ち上げるには」

後半は、今回の連続講座のスピーカー5名全員が登壇し、会場からの質問をふまえながら、振り返りとディスカッションを行いました。

次世代への託し方:個人を犠牲にしない

最初に大きな論点の一つとなったのが、どのようにして自分たちの実践や役割を次世代に託していくかということ。まず三富さんが、例えば政治家との会合などで保守的なカルチャーや価値観の違いに直面した際に、「自分自身は、そこはもう役割だと割り切って冷静に対応できる部分はあるんですが、しかし、そのように個人を犠牲にしてそれを成り立たせていいのだろうか。自分はそれを苦でなくできるけれども、別の人にその役割を託せるのだろうか」と問いかけます。

それに対して林さんは、個人を犠牲にしない方がいいと断言。「自分もある程度は個人を犠牲にしてると思うんです。ただ、これまでは属人的にいろいろな人たちが制度を少しずつうまく改革してくれたけど、多分これからはもう少し、組織とか継続性、安定性を考えて、自分がどういう風にそこを辞めて、次の人にどう託すか、そういうことを考えていかなきゃいけない。だから三富さんが言うように、他人に託せるのか、それは本当に安定性があるのかを念頭に、ひとつひとつアクションを考えていくことが本当に大事」だと語りました。 この点について、まさに今年度で任期満了を予定している上地さんは、「1年後や5年後とかではなくて、さらに30年後、40年後みたいなビジョンをいかに共有しながら進めることができるかを考えている」と強調しました。

さらに、1日目のお話の中で、「引き継ぐのは仕事ではなく考え方」という金言を呈した齋藤さんは、その具体的な方法について、「やっぱり熱量だけじゃなくて自分が今までどういう経過を経て誰と交渉してここまで来たかを記したアーカイブを残そうと思っていて、それは個人史に近いんだけど、手順と信頼関係の築き方が参考になればいいなと考えています」と加えました。

チームづくり:組織内部でのコミュニケーション

次の論点は、会場からの質問も多かった、組織内部でのコミュニケーションの在り方に注目が集まりました。

三富さんは、アートセンターでは、現在は管理職を置いたチーム編成にしつつ、月一回はマネジメント担当者と議題を決めずに2時間ほど話す機会を設けたり、それぞれのスタッフと一対一でじっくり話すタイミングを設定したりしているといいます。さらには、部署編成も1年単位という短いスパンで変更しながらベストを探っている時期だと説明。河北新報やアーツセンターのウェブサイトにコラムを持ちながら、そこでアーツセンターや文化創造館の意義や取り組みを継続的に発信することも、スタッフと方向性を共有するうえで重要な役割を果たしていると付け加えました。

続けて、沖縄のケースについて上地さんは、ディレクターを置かないフラットな体制を維持するために、会議の時間をできるだけ長くとっていると説明。「毎週火曜日と決めて午前中いっぱいスタッフ全員で話すようにしていたり、不定期でPO勉強会をやっていて、今関心を持っていることや自分の専門を話したり、新しく入ってきた人は自己紹介をするなどしています」。

他方、林さんは、特に次年度の事業を決める際には、「自由な対話とフェアな形式のバランス」を重視していると話します。また、劇場でのチームのトップとして重視するのは、「意識的に自分の不在をつくること」だと強調。「自分が大事にしているのは、あまり信頼されないようにすること。たとえば、具合が悪いときは無理せず休む。すると、あいつはまとめ役のポジションだけどすぐ休むし、あんまり信用できないからみんなでちゃんと話そうみたいな感じになってチームが育つ部分があるのではないか。常に強く意見を言ったり、常に全部をチェックしていると思われない方がいいと考えています」。

文化の生態系:雇用環境、報酬規定、キャリア形成

午後のディスカッションで最も白熱したのが、芸術分野の雇用・労働環境の問題。

これに対して上地さんは、「就任1年目は仕事を把握するのに精一杯で、やっと何か見えてきたな、みたいな時に辞めないといけないので、長期的な視野で関わることができる人材がいない状況がすごくもったいない」と語ります。最近では、上地さんも林さんも、地元の新聞に寄稿する形で、那覇市だけでなく、県にも専門人材を登用する体制の整備を訴えています。

さらに、林さんからは、芸術分野の報酬規定についても課題が共有されました。「たとえば照明スタッフは報酬基準が(日本照明家)協会等の中で定められている。でもそれって美術とか演劇に当てはめることが難しい。特にアーティストにはそういうものがないので、実は裏方よりもアーティストの方が報酬をもらっていない状況がよくあります。アーティストの報酬ガイドラインみたいなものは、(沖縄県)文化振興会という行政でもなく民間でもなく半行政みたいなところがやるべきだなと思いつつも、まだ着手できてないのが現状です」。

そのうえで、林さんは、「文化の生態系」を地域の中で議論し、芸術分野に携わる人たちが報酬や待遇をアップデートしながら定年まで働くことができるようなキャリアパスを考えていくことが必要だと指摘します。「もしかしたら行政職の中にもそういう専門的なポジションができて、そこもキャリアパスに入ってくるかもしれない。その場合はどれくらいの待遇を設定するのか、行政の側からもちゃんと考えて欲しい」と投げかけました。

そこで、司会の佐藤李青(さとうりせい)は、「流動性が必ずしも悪いものではなくて、雇用の流動性が不安定性と結びつくこと自体が問題」と補足。

司会を務めたアーツカウンシル東京プログラムオフィサーの佐藤李青。

林さんも、「多分そこに文化芸術の雇用のジレンマがあって、文化芸術の場合重要なポジションに同じ人が10年以上いるとあまり良くないんですよね。行政って基本的にはサービスの内容が一定でやるべきことが決まっているから、誰が異動しても同じサービスを提供できるということが前提としてあると思うんですけど、文化芸術はそうはいかなくて、この人だからこういうことができる、この人はこういう人と繋がっている、という事がどうしても起きて、形骸化してきたりマンネリ化してくるので、文化芸術には流動性も必要だと思います」と述べました。

沖縄文化の産業化とは

さらに、参加者からの質問が集中したのが、沖縄アーツカウンシル立ち上げの際の指針となった「沖縄文化の産業化」。芸術分野において自立があり得るのかといった問いが相次ぎました。

上地さんは、現在沖縄アーツカウンシルでは、助成事業の採択上限を3回に設定しており、採択数が上がるにつれて補助率を徐々に下げていくことで、自立を促す方法をとっていると説明した後に、「ただ、お金になることを支援することが公共がやるべきことなのかと言われると疑問で、おじいおばあの活動、歌や祭りや記録の継承に向き合っている人たちなど、支援が届きづらい人たちといかに一緒に活動するか、ということなのではないかと思います。必ずしも稼ぐということを重視していないようなケースに対して、自走化や産業化というところに紐づくだけの指標で評価することは見直していきたい。文化の産業化をアーツカウンシルが背負わなくてもいいのではと個人的には思っている」と語りました。

続けて林さんも、文化の中にも営利産業と非営利産業とがあるとしたうえで、営利産業ではなく非営理産業として続けていくことも文化のあり方なので、利益を上げて大きくしていくというよりも、今の規模を維持しながら、継続性を目的としていくということが重要になってくるのではないか、と提示しました。

パートナーシップを築く相手との関係性

最後に、今回のテーマである「パートナーシップ」を築く相手との関係性について、それぞれのスタンスが共有されました。

三富さんは、「アーツセンターとしては、今まで守ってきたものをそのまま同じように守ろうとしている人たちとはパートナーシップを組むのは非常に難しいなというのを感じていて、これから想定される社会に対して、活動を継承していくために更新することを厭わないと思える人たちであればパートナーシップは組めると思ってやっています」と答えました。

斎藤さんは、「公的資金で何を支援するか」という上地さんの問いかけを拾いながら、 「市民協働の視点から言うと、やはりパブリックとコモンに分かれるんですね。そこで、コモンっていう部分をいかに持っているかが重要。ちょっとだけ自分の活動を街に開くとか、隣にいる人のためにちょっと視点を広げてみるようなところがあると一緒に後押しできると思います」と話しました。

林さんは、「今日ここにいらっしゃる人たちは基本的に『制度』の側、つまりは『権力者』だということ。パートナーシップを組む時にこれを忘れちゃいけない。確かに、芸術分野で働く我々自身が対遇が良くなかったり、屈辱的な思いをしてきたり、もう大変なんだよっていう気持ちになるんですけれど、でも社会的に見れば明らかに権力側なんですよね。なぜなら誰にお金を渡すか、誰をパートナーにするかを選ぶことができるから。そんな特権的な立場にいる人間としての責任は、文化芸術という形で、いろんな声が社会にちゃんと聞こえてくるような仕組みを整えることなのではないかと考えています」と提示しました。

上地さんも、「確かにお金を支出するかどうかはどうしても制度側の判断になるので、そういう意味ではこれはパートナーシップなのかなと疑問に思ったりもしますが、助成する/しない、審査する/されるという形だけではない関係性をいかに結ぶかということをやり続ける先に、文化芸術を育んでいく基盤ができていくのかなと思いました」と結びました。

4名の意見交換を終始見守っていた芹沢さんは、これまで数々のアートプロジェクトを統括してきた自身の経験から、「今日ここに集まってくださっている方々は、相対的に見れば権力側に立っているというのは確かに正しいかもしれないし、個人的には居心地悪いなと思う時もよくある。でも権力側に立っていること自体がものすごく罪悪だというところまで自分を追い詰める必要はないのではないか。権力側と非権力側の関係性は変えられるし、もう変わり始めているとも思う」と補足しました。そのうえで、「今回のようなミーティングって今までなかったでしょう? 終わりのない対話を続けていくより他にないんじゃないかな」と締めくくりました。

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官民に開かれた全国規模のミーティング・スポット:継続化への期待ー2日目を終えて(5/5)

相互に依存し合い、新しい共通の領域をつくるー2日目前半(3/5)

「2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらを取り巻く社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズ」として2022年に始動したプログラム「新たな航路を切り開く」。その一環として、2025年7月31日と8月1日の2日間にわたって連続講座「パートナーシップで公共を立ち上げる」が開催されました。ここでは、行政と民間のパートナーシップに着目し、自治体の政策と現場をどう紐づけていくのか、それらの方法が、これからの「公共」を立ち上げるためにどのような意義を果たすのかなどについて、秋田と沖縄の事例をもとに議論しました。自治体文化政策担当者を中心に、各地のアーツカウンシルや民間企業、芸術団体の関係者等約30名が参加した講座の模様をレポートします。

(取材・執筆:小林瑠音/編集:小山冴子/撮影:齋藤彰英)


セッション3
「ジェネラリストと専門性:補完しあう関係性をつくる」

2日目のゲストは、沖縄アーツカウンシルチーフプログラムオフィサーの上地里佳(うえちりか)さんと、那覇市市民文化部文化振興課主幹・那覇市文化芸術劇場なはーと企画制作グループ統括の林立騎(はやしたつき)さんです。

沖縄アーツカウンシル設立の経緯:「沖縄文化の産業化」からのスタート

沖縄アーツカウンシルは、アーツカウンシル東京と同じ年の2012年に、全国に先駆けて設立されたアーツカウンシル制度の先進事例でもあります。まずは上地さんからその設立経緯について解説がありました。

沖縄アーツカウンシルチーフプログラムオフィサーの上地里佳さん。

ことの始まりは、2011年、沖縄県の文化行政組織の改編で、文化環境部と観光商工部を改編する形で「文化観光スポーツ部」が創設された時期に遡ります。その翌年2012年に国庫支出金「沖縄振興一括交付金(ソフト交付金)」が設置され、その執行に関する「沖縄振興特別措置法に基づく沖縄振興計画(21世紀ビジョン)」が作成されました。この枠組みのなかで、2012年8月に沖縄県文化振興会に設置されたのが「沖縄アーツカウンシル」です。

ここで上地さんは、沖縄アーツカウンシルが「沖縄文化の産業化」という観点からスタートしたという点を強調します。「当時の課題としては、マネジメントや市場開拓等に対する意識啓発、文化芸術団体の組織化の促進等がありました。そのゴール設定として、現在は自走化ということが重視されています」。

団体支援から個人支援へ

沖縄アーツカウンシルの事業は、国庫支出金の関係上、5年ごとに事業名と目的を更新しながら現在14年目(第3期)に入ったところです。最初の2012~16年度は、県内文化芸術関係団体の組織化や市場調査に力を入れつつ、団体のみを対象にした助成事業を展開していましたが、新型コロナウィルスの感染症対策支援を機に、3期目以降は団体に加えて個人事業主、さらには設立間もない若手団体も対象に加えています。一方で、予算推移はかなり右肩下がりになっているため、1件あたりの支援金額が縮小しているという状況です。

当日のスライドより。

組織体制:ディレクターを置かないフラットな関係性

上地さんを含めて6名のプログラムオフィサー(以下PO)に加えて、県との事務手続きなどを担当する文化専門員が1名という形で、統括役のディレクターを置かないフラットな体制をとっています。そのほかに公募事業の審査員と評価を担当するアドバイザリーボードという外部専門員を設置していて、そのなかのお一人が林さんです。ここで上地さんは雇用形態の課題として、「POは全員非常勤の嘱託職員で月16日勤務という雇用ですので、それぞれ舞台制作や執筆業などと兼業をしています。それぞれの現場とのつながりがある反面、雇用が不安定で契約の上限も5年と決まっているため、アーツカウンシルの方向性を継続的に考えることが難しいというデメリットがあります」と提示します。

人材育成を重視した柔軟な助成金設計:固定費や研修・調査費

沖縄アーツカウンシルの特徴として、最初にマネジメント人材育成を目的として始まったということもあり、組織の運営基盤の整備・強化、仕組みづくりへの支援を重視しています。上地さんは、「助成金を、事業に必要な事務局人件費や、基盤強化のための研修、アンケート調査などにも使用することができるようにしています。さらには、POによる伴走支援という形で、採択した事業ごとに2名ずつPOがついて半年から1年かけて、事業内容やその進め方について相談役を担っています」と補足し、沖縄ならではの柔軟な助成金設計を紹介しました。

支援事例と事業報告会

沖縄アーツカウンシルの助成事業の事例をいくつか紹介したあと、上地さんは、事業報告会の運営方法をめぐる試行錯誤を振り返ります。「これまでは事務的な形式だったため、自分の発表が終わるとみんな帰ってしまう、課題や知見を共有するところがあるはずなのに交流もできないという課題がありました。そこで、2024年度からはイベント仕立てにして、昨年度は、那覇市公設市場というかなり人通りの多いところを会場にしました。そこでは、活動内容に親和性のある事業者ごとにグループに分けて、発表とディスカッション、パフォーマンスをしてもらったり、食に関するプログラムを展開した事業者には実際にお料理を提供してもらったりしました」。

自走化ではない評価軸の開発

外部評価について上地さんは、「アドバイザリーボードからのコメントを事業報告書などに反映させてウェブサイトで公開するなど、見える化には努めているものの、外部評価と正式に言えるかというとそこは難しいかもしれない」と語ります。他方で、支援事業を通して、いくつかの新たな課題が浮き彫りになってきたといいます。「例えば、アートワーカーの収入の不安定さや、労働に見合わない報酬設定、ハラスメント相談窓口の不在、祭祀や風習と切り離せない食文化と現代の衛生基準の障壁などがあります。だた、これらの課題を社会全体で共有したり制度化するまでには至っていないのが現状です」と総括しました。

さらに今後の課題としては、「沖縄文化の産業化」という方針の見直しが急務で、特に、近年の採択事業の傾向として、稼ぐ事業よりも公益性の高い非営利事業が増えてきているため、自走化ではない評価軸の開発が必要だと強調しました。

パートナーシップを広げるために:文化芸術に関する「言葉の流通量」を増やしていく

最後に、沖縄アーツカウンシルとして重要視しているスタンスとして、「林さんが日本文化政策学会でおっしゃっていたことですが、『文化芸術に関する言葉の流通量を増やし、多様化し、多くの形式に載せていくこと』」だと上地さんは語ります。公募事業の審査会では、審査員に応募者全員の発表を見てディスカッションしてもらう、採択者には総評を書いてもらうし、新聞への寄稿もかなり意識的に行っているといいます。「もし今後、沖縄アーツカウンシルに何かあって、継続できなくなったとしても、沖縄の文化芸術を考える基盤が分厚くあれば、その後の振興も続いていくはずだと思っています」と締めくくりました。

続いて、翻訳者・演劇研究者の林さんが登壇し、2022年に那覇市に入職後、公立劇場なはーとの統括を兼務する立場から、さまざまな問題意識を共有しました。

那覇市市民文化部文化振興課主幹・那覇市文化芸術劇場なはーと企画制作グループ統括の林立騎さん。

文化芸術の公共的役割とは何か?

最初に、林さんは「文化芸術の公共的な役割」について論を展開します。フランスの哲学者ジャン=フランソワ・リオタールの「効率性の思考」に対する問題提起、カナダの研究者ランバート・ザイダーヴァートが提示する「社会的経済の領域」としての文化芸術という概念、東ドイツの劇作家ハイナー・ミュラーの、「芸術は社会に対するブレーキ」という言葉を引用しながら、林さんは「公共的な芸術というのは、現在支配的な価値観に効率よく適合することに一時停止をかけ、現代社会の中に欠けているものをあえて問い直すことで、個人が生きる意味を見つけ出すヒントとなったり、他者とのより良い共同生活に向けて、しかも楽しみと学びを両立させるような社会活動であるといえるのではないでしょうか」と提示しました。

パートナーシップとは:相互の負担軽減を実現させること

では、そのような公共的な芸術を育む環境をどうつくっていくのか。さらに具体的な実践へと話題は広がります。林さんは、これまでの経験の中で一番重要だと考えているのは、異なる立場同士の間で、お互いに新しい負担を生じさせるのではなく、相互の負担軽減を実現することだと話します。「私自身行政職員が一番負担に感じる議会答弁や、秋田の事例でもあった委員会対応というものを、専門性をいかして引き受けたことで、行政職員の負担を減らして信頼を築いてきました」。

そこで重要なのが、「行政側はアーティストや芸術団体とプロジェクトを実施する理由を綺麗に整理し、契約や支払い関係の書類もなるべく簡素にする。アーティストや芸術団体側も行政の考え方を理解して一緒に丁寧に市民を巻き込んで対話のできるプラットフォームを構築する。お互いが自分にできないことを相手がやってくれて助かったという状態になること」だと語りました。

行政内に芸術系専門人材の登用

さらに、「私自身のような専門性のある人間を行政のなかに入れていただくというのは1つの方法ではないでしょうか。大切なのは、いわゆる大御所アドバイザーを迎えるのではなくて、学生時代から公共の劇場やアートプロジェクト、アーツカウンシルなどで働いて、アートマネジメントの知識と実務経験を持ち、何よりも行政のことを理解しながらも、そこに文化を接続させようとする対話力と柔軟性を持つ、若く優秀な方を起用することだと思います」と提言しました。

熱心にメモをとる参加者。

芸術の「自主独立」ではなく「相互依存」の関係

ここで林さんは、文化芸術と社会を考えるうえでの本質的な考え方について、問いを投げかけます。「これまでアーティストやアーツカウンシルにとっては、何よりも自主性や独立性が重要であるという考え方が一般的でした。アームズレングスという言葉を聞いたことがある人もいらっしゃるかと思います。ただ個人的には、そのような綺麗事で誤魔化すのはそろそろやめた方がいいのではないかと思います。どんなに肯定的な評価が積み上がったとしても、市民の投票に基づく政治の判断でその積み上げが無に帰すこともありえないことではない」としたうえで、「重要なのは、自主独立の考えよりも、相互依存の関係です。他の分野と絡み合い多様な人を巻き込んで相互依存を高めておけば、切り捨てられる可能性は低くなるんじゃないでしょうか」と話します。

特に注目すべきは文化芸術と政治との関係。「伝統的に文化芸術は政治と距離をおくべきだと考えられています。確かに、アーティストや民間団体は政治と距離をとり、表現内容に介入されることを避けるべきだと考えていますが、文化行政や公立文化施設の専門家たちは、市長や地域の政治家たちと関わることを避けるべきではない。税金に支えられた制度が政治とは無関係、無縁で独立していられると考えるのは民主主義社会全体を考えても、あまりにも芸術を特権化しすぎだと思います」と強調しました。

なはーとダイアローグ

そこで、林さんは、重視している取り組みとして「なはーとダイアローグ」をとりあげます。なはーとでは、毎年1回必ず那覇市長に登壇依頼をかけ、若いアーティストと一緒に2時間のシンポジウムに参加してもらっています。そこでは毎回、客席に那覇市や沖縄県の議員が参加し、議論に耳を傾けているといいます。また、沖縄タイムスや琉球新報などへの寄稿を通して、沖縄県の文化政策に関する言論活動を展開しながら、政治家や市民県民と共に文化芸術のあり方を考えていく枠組みを構築しています。

実際これらのトークや新聞記事が那覇市議会や沖縄県議会での議論につながり、那覇市長による文化芸術支援政策に関する意欲的な答弁や、沖縄県での40歳未満の若手アーティストに対する1人60万円の奨学金制度、沖縄県文化芸術振興基金の設立が実現しました。

林さんは、「よい政治家は、専門家の意見から新しい政策を立て、自分の実績にすることに欲があり、前向き。文化芸術や行政だけの利益を考えるのではなく、互いの利害が相互依存するように関係構築するということが重要。このように大きな構造の中に入れ込まれることによって、文化芸術が道具のように使われてしまう危うさもあるので、気をつけなければならないが、構造の一部になることで文化芸術のあり方を動かすことが、もう少し広く社会全体を動かすことにつながる可能性が生まれてくるのではないかと思っています」と話しました。

民主主義の本質としての「妥協」

最後に、林さんは、オーストリアの法学者ハンス・ケルゼンの「民主主義の本質は妥協である」という言葉を引用しながら、「妥協という日本語には否定的な語感がつきまといますが、さまざまな相手と『共同の約束』を結ぶということ。妥協ですから、アートの側もなんでも好き勝手できるわけではなく、行政の側も計画通りに穏やかには進まないかもしれない。しかしそのようにして互いが少しずつ妥協し、異質な他者の領域にはみ出し、相互に依存し合い、新しい共通の領域をつくっていくことが大切」と結びました。

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地域のよりよい「文化の生態系」をつくるには?ー2日目後半(4/5)

地方都市から「前例」をつくっていくことー1日目を終えて(2/5)

行政と民間のパートナーシップに着目し、自治体の政策と現場をどう紐づけていくのか、それらの方法が、これからの「公共」を立ち上げるためにどのような意義を果たすのかなどについて、秋田と沖縄の事例をもとに議論した連続講座「パートナーシップで公共を立ち上げる」。1日目のセッションを終えて見えてきたポイントや視点を、文化政策研究者の小林瑠音が振り返ります。

地方都市から「前例」をつくっていくこと

秋田市の事例の強みは、官民学に広がる全方位的なパートナーシップと、それを可能にしてきた各セクションの機動力にあるように思います。とりわけ、首長公約に紐づいた上位計画、役所内での部局横断型の調整会議、民間企業との連携協定に加えて、美大教員やNPO職員の専門知。何より、齋藤さんと三富さんという「個」の力が大きい。

それでも、齋藤さん曰く「秋田は偶然かつ必然でうまくいっているけれども、人事異動で人が変わるとどうなるかが課題」。つまり、どんな成功事例であっても、首長の交代や担当職員の異動によって、方針が転換され、予算要求の熱量が下がると振り出しに戻ってしまう可能性がある。

そこで、この行政組織における「人事異動のジレンマ」を払拭すべく、芸術分野独自のノウハウやネットワークの活用と継承を目指して、全国各地の自治体で、「文化政策関連の専門職員の採用」や「アーツカウンシル制度の導入」など新たな試みが展開してきました。(その先進事例が次の沖縄の実践です)

翻って、秋田市では、それら新しい制度の導入ではなく、既存の行政システムの中で内発的に工夫が施されてきた点に特徴が見出せます。専門家を招聘した市議会勉強会や人事発令に基づいたプロジェクトチームなど、既にある仕組みを活用しつつ、前例のない前例をつくっていくこと。それによって、「人」が代わっても「経験」を残し、「考え方」を継承する、すなわち「個」から「制度」を生み出すための実験が重ねられています。

加えて、「無目的な文化施設」、「芸術祭ではなく文化創造」、という一見すると時代(トレンド)に逆行するような、事業評価に難儀しそうな計画案が実装されてきた背景には、無条件に忖度しない「よそ者」を政策立案過程に引き込むと同時に、目の前にある仕組みや営みを重視してきたパートナーシップの極意があるように思います。あらためて、地方都市から「前例」をつくっていくことの意義とその強度を実感しました。

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相互に依存し合い、新しい共通の領域をつくるー2日目前半(3/5)

撮影:齋藤彰英

ビジョンの共有から、関係や行動を変えるー1日目(1/5)

「2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらを取り巻く社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズ」として2022年に始動したプログラム「新たな航路を切り開く」。その一環として、2025年7月31日と8月1日の2日間にわたって連続講座「パートナーシップで公共を立ち上げる」が開催されました。ここでは、行政と民間のパートナーシップに着目し、自治体の政策と現場をどう紐づけていくのか、それらの方法が、これからの「公共」を立ち上げるためにどのような意義を果たすのかなどについて、秋田と沖縄の事例をもとに議論しました。自治体文化政策担当者を中心に、各地のアーツカウンシルや民間企業、芸術団体の関係者等約30名が参加した講座の模様をレポートします。

(取材・執筆:小林瑠音/編集:小山冴子/撮影:齋藤彰英)


今回の講座のナビゲーターと登壇者。左から林立騎さん、上地里佳さん、ナビゲーターの芹沢高志さん、三富章恵さん、齋藤一洋さん。

セッション1
「アートプロジェクトの広がりとパートナーシップの課題」

まずは、本プログラムのナビゲーターであるP3 art and environment統括ディレクターの芹沢高志(せりざわたかし)さんが、本講座のイントロダクションとして、そもそもなぜアートの文脈で「パートナーシップ」という言葉に注目が集まるようになったのかを、自身の経験や美術界の事例をふまえて語りました。

ホワイトキューブを出るアート

最初に芹沢さんは、「アートと聞くと、『ホワイトキューブ』、つまり1929年にニューヨーク近代美術館(MOMA)が導入した真っ白な展示空間で展示される絵や彫刻といった、教科書的なアートを思い浮かべる方が多いかもしれません」と前置きした後、アートプロジェクトとは、これまで主流だったホワイトキューブに疑問を抱くアーティストの動きからはじまったものだと解説します。例えば、作品としての「物質」よりも「行為」に着目する「ハプニング」(1950年代)、砂漠など大地の上で作品を展開する「ランドアート」(1960年代)、人間同士の関係性が変化していくことに新しい表現を見出す「関係性のアート」(1990年代以降)や、社会的課題に積極的にかかわる「ソーシャリー・エンゲージド・アート」(1990年代以降)など、美術界において「アート」の概念がどんどん拡張してきました。その流れのなかで、もはやアートプロジェクトとしか呼べないような新しい実践が生まれてきたと提示します。

さらに芹沢さんは、この変化のなかで最も注目すべきは、「アーティスト像の変化」であると強調します。つまり、アトリエやスタジオに一人で篭って、一心不乱に作品をつくり上げる孤高の人物像から、チームワークをつくってさまざまなパートナーと連携する新しいアーティスト像への変化です。最近では、映画のエンドロールで、たくさんの名前が並ぶように、一つのアート作品に携わる関係者の人数も増え、多様なかかわり方がみられるようになってきました。「パートナーがいなければ、そもそも作品が成立しないという状況がアート界においても、どんどん増えている」のだと、芹沢さんは語ります。

「アートプロジェクト」に潜む真逆のベクトル:問題解決型と問題発見型

 加えて芹沢さんは、そもそも「アートプロジェクト」という言葉には矛盾が潜んでいて、よくよく考えると「アート」と「プロジェクト」はベクトルが真逆だと指摘します。つまり、「プロジェクト」とは「組織的な事業のための計画」を意味する言葉ですが、計画が巨大であればあるほど、その実現のために必要な小さなタスクの積み重ねによって、現在をもがんじがらめにしてしまいます。プロジェクトは、もともとはラテン語で「pro+ject(前に投げる)」という意味をもつことからも、与えられた問題の解決に向けて一点に収束させていく力をもっています。「問題解決」の方向性を強くもっているわけです。

他方「アート」は「問題発見」型。芹沢さんは「今のように社会が複雑になり、そもそも問題がどこにあるのかわからない、問題があるのかどうかもわからない、自分たちがこんなにうまくいかない原因はどこにあるんだろうというときに、アーティストが小さな問題を起こすことから何かがはじまる、ここにアートの強みがある」と指摘しました。

エッシャーの騙し絵のように:思考性をずらしながら回転をつくっていくこと

他方で、芹沢さんは、アートとプロジェクトは逆方向を向いているからこそ、真正面からぶつけると両方の良さを潰してしまう場合があると忠告します。「例えば、現代アートの現場でよくある話として、17時の展覧会オープニングに合わせて作品の設営をする中で、アーティストは16時に計画変更を提案してくる。プロジェクト側は、なんとか開場に間に合わせるため収束に向けようとするんだけれども、アーティストはもっといい表現を目指して新たなアイデアを出してくる。そこでぶつかってしまうと、お互いに潰れてしまう」。芹沢さんは、マウリッツ・コルネリス・エッシャーの騙し絵《描く手》(drawing hands) を例に出し、それぞれの手がそれぞれの手を描いているように、アートとプロジェクトとが、少しずつ思考をずらしながらどのような回転をつくっていくのか、その試行錯誤がアートプロジェクトの醍醐味なのではないかと提示しました。

ナビゲーターの芹沢高志さん。

みんなが平等にわからないもの

芹沢さんは、これまで、アートプロジェクトをはじめる際の概要説明や資金集めの際に、いろんな人から「いやぁ、アートはわかりませんから」とシャッターを降ろされる経験が何度もあったといいます。「でも今考えてみると、それこそが強みなんじゃないかな。そもそもアートというのは誰にとっても平等にわからないもの。いろんな考えの人がいる社会の中で、みんなが平等にわからないものに関しては、そこにいる人たちをつなぎ合わせる力があるのではないか」。

「関係性の質」と「通訳者」の重要性

最後に、芹沢さんは、ダニエル・キムが提唱した、組織の状況を4つの質(結果の質、関係の質、思考の質、行動の質)とそのサイクルで定義する「成功循環モデル」を紹介しながら、アートプロジェクトにかかわる人たちの間では、「関係の質」が重要だと語ります。つまり、プロジェクトを進める際に「結果の質」から話をはじめてしまうと、「なぜうまくいかなかったのか」「あの人の進め方が悪いからではないか」など、考え方が内向きになってしまい、行動もそれに従ってしまう。しかし、「関係の質」から議論をはじめると、互いの協力関係から考えるため思考がもっと前向きになり、自分事として引き受けることになる。考え方をひとつズラしただけで、進め方が大きく変わってくると説明します。

そのうえで、「アートプロジェクトが一般化してきた現代において、もはやひとつのセクターだけですべてが完結することは不可能ですが、その時に、ただ業者に発注しようという考え方ではなく、一緒に動くパートナーと信頼関係を築くことが何よりも大切だ」と説きます。他方で、アーティスト、行政、制作チーム、それぞれ全く異なる文化があるため、両方の言語を理解して「通訳」していく、つまりは「コーディネート」していく存在が必要だと強調しました。

当日のスライドより。

セッション2
「市民の創造的な場を、二人三脚でつくる」

後半は、秋田市企画財政部長の齋藤一洋(さいとうかずひろ)さんと、NPO法人アーツセンターあきた事務局長の三富章恵(みとみゆきえ)さんが登壇。ここでは、2018年に秋田公立美術大学が設置した「アーツセンターあきた」、さらには2021年に旧秋田県立美術館を秋田市が改修する形でオープンした「秋田市文化創造館」に代表されるように、芸術分野における産学官連携と県市連携による部局横断的なパートナーシップが実装されてきた秋田の事例が紹介されました。

市長公約としての「芸術文化によるまちづくりの推進」

まずは、秋田生まれ、秋田育ちにして秋田市役所一筋30年超の齋藤さんから、これまでの市政の流れ、特に現在「芸術文化ゾーン」として、JR秋田駅にほど近い千秋公園を中心に、劇場や美術館、図書館等の文化施設が集積する中心市街地の活性化計画について解説がありました。

秋田市企画財政部長の斎藤一洋さん。

「芸術文化ゾーン」成立の起点は、2007年に「中心市街地再開発事業」の一環として、秋田県立美術館(現在、秋田市文化創造館が入る建物)の老朽化に伴う移転計画が発表されたことに遡ります。移転先の候補地は、徒歩5分ほど隔てた旧秋田赤十字病院・婦人会館跡地。2008年には、秋田市「中心市街地活性化基本計画」が認可され、翌年に市長に就任する穂積志(ほづみもとむ)氏が市長選の公約に、「芸術文化によるまちづくりの推進」の一環として、秋田公立美術工芸短期大学の4年制大学化を表明しました。齋藤さんは、この市長公約、特に短大の4年制大学化宣言が、その後の秋田公立美術大学開学につながり、秋田市の芸術文化によるまちづくりが進展していく上での重要なポイントとなったのではないかと回想します。

秋田公立美術大学の開学

2009年の市長選を経て、新たに穂積志市長(在任期間:2009~25年)が就任し、秋田公立美術工芸短期大学の4年制大学化が進められました。そして穂積市長は新たな総合計画(2011年)において、「まちの顔づくり」や、公約としていた「芸術文化によるまちおこし」を重点戦略に位置づけます。そして、2012年、翌年の首長選に向け、当時の佐竹敬久(さたけのりひさ)知事(在任期間:2009〜25年)と穂積市長が「県市連携文化施設整備」を共同公約として掲げ、ともに老朽化が進んでいた秋田県民会館と秋田市文化会館を一緒に建て替えようという動きが出てきます。

さらに潮目が変わったのが、2013年「秋田公立美術大学」(以下美大)の開学でした。齋藤さんは、これがまさに今回の連続講座のテーマである「パートナーシップ」を考える上でのエポックメイキングだったと強調します。若い学生だけでなく、高い専門性を備えた教員の存在も大きく、審議会等の委員に美大教員が加わったことでかなり雰囲気が変わったと振り返ります。

「芸術文化ゾーン」:郊外型ではなく中心市街地型

2013年の知事・市長選では、佐竹知事と穂積市長が再選されたことから、共同公約である県市連携文化施設の検討が始まり、2014年には、県市連携文化施設「基本計画」の中に、秋田市の中心市街地における文化施設整備を想定し、「芸術文化ゾーン」という文言が初めて記載されることになりました。齋藤さんは、「当初、地元新聞社や市民からは、駐車場の確保を優先して郊外に文化施設を求める声が相次ぎました。また、『中心市街地に文化施設を整備するなら、旧県立美術館は解体して駐車場に』という意見もありました。しかし、建物単体ではなく、芸術文化ゾーンという『面』として文化施設を集積させることで街を充実させるという政策方針の共有を進めていきました」と語ります。

2015年には、こうした流れのもと、中心市街地の県民会館所在地(現あきた芸術劇場ミルハス所在地)を県市連携文化施設の建設地として決定します。あわせて、向かいにある旧県立美術館(現秋田市文化創造館)を市が県から譲り受け、文化施設として活用し芸術文化ゾーンを形成する方針も表明しました。同時に、JR東日本とのまちづくり連携協定を締結し、大学に続く第三のパートナーとして民間企業が加わることになりました。県市と官学に加えて官民の連携、これが更なる秋田の強みになっていきます。

一時的な「芸術祭」から日常的な「文化創造」への方向転換

2016年には、穂積市長(当時)が秋田での芸術祭開催を構想し、美大教員の藤浩志(ふじひろし)さんや石倉敏明(いしくらとしあき)さんをゲストに迎えたシンポジウム「あきた豊醸化計画」を開催します。その後、翌年の市長選の公約のなかに、あきた芸術祭の開催が明記されることになりました。

ところがここで、市民から「いまさら秋田で芸術祭やるの?」「もう芸術祭って(トレンドとして)終わってるんじゃない?」という声があがり始めます。藤さんからも、「市民の人たちが本当にやりたいという雰囲気になった時にやったらいいのではないか」というアドバイスがあり、結果的に、一時的な「イベント」ではなく、日常的な「文化創造プロジェクト」へと方向転換が図られることになりました。このような流れのなかで、旧県立美術館を活用する新しい文化施設「秋田市文化創造館」を、同プロジェクトの拠点として位置付けていく方向性が徐々に見えてきたのです。

秋田市文化創造館の設立に向けて:前代未聞の「市議会勉強会」の開催

実際に、市が秋田市文化創造館(以下文化創造館)のコンセプトをつくる際に、重要な羅針盤となったのが、美大教員で建築を専門とする小杉栄次郎(こすぎえいじろう)さんの、「あらかじめ目的が決められた施設が並ぶ市街地に、市民が自由に使える『無目的な場所』をつくる」という提案でした。ところが、当初は市が運営する施設であれば、NHK大河ドラマの誘致も見据え、外から人を呼び込めるような、歴史を学ぶ観光施設をつくった方が良いというのが市議会の主流な意見だったとのこと。そこで重要な転換点となったのが、市議会の発案で開催された「市議会勉強会」でした。齋藤さんは、「専門家として小杉さんと三富さんを招聘し、客観的な視点から今の秋田にどんな文化施設が必要かという意見をもらってから予算審議に入るという、前代未聞の形式でした」と、当時の奮闘とその成果を振り返りました。

こうしたまちづくりの動きと並行して、美大では、藤さんの「大学の枠にとらわれず、地域貢献できる組織をつくれないか」という意見をもとに、学内の社会貢献センターをベースにして、2018年、「NPOアーツセンターあきた」(以下アーツセンター)が設立されます。ここで齋藤さんは、「当時市役所から大学に出向し、同僚からも一目置かれていたエース職員の尽力もあり、NPOを立ち上げる際のアイデアや事務手続き等に行政職員のノウハウがうまく活用された」と説明。その後、アーツセンターは文化創造館の運営管理を委託される存在となっていきます。齋藤さんは、「自分達が文化創造館の方針決定に時間を要している間に、もうひとつの課題であった同施設の運営管理者が立ち上げられるという、まさに偶然が必然になった」と強調しました。その後、2021年の文化創造館のオープン、そして2022年あきた芸術劇場ミルハスの開館等によって芸術文化ゾーンが完成を迎えることになり、現在に至っています。

現在の芸術文化ゾーン。さまざまな文化施設が集積している。

次に、アーツセンター立ち上げ当初から事務局長を務めてこられた三富さんから、文化創造館設立に至る経緯について、施設の企画・運営側の視点をふまえたお話がありました。

文化創造館の計画づくり:関心層以外へのアプローチとプロセスの開示

当初、アーツセンターが指定管理者として、文化創造館の運営管理計画を受託する際の条件のひとつに、市民参加型のワークショップやパブリックコメントを通して、市民の意見を吸い上げながら計画案をまとめていくということがありました。三富さんは、「その際の事前調査のなかから、旧県立美術館を新しい施設にするということについては、ごく少数の人たちしか関心を持っていないということがわかりました。ですので、市民参加型のワークショップをする際に、それ以外の層をどう巻き込んでいくのかを考えていきました」と回想します。

若い学生や起業家にも積極的に声をかけ、地域の担い手をワークショップのメンターとして迎え入れる新たな仕組みづくりを模索する中で、特に意識改革を促したのが市の担当者だったといいます。「市役所の方々は、ワークショップでは後ろに座って腕組みして見ているということが多かったのですが、スーツ禁止で一市民として参加してもらうようにお願いしました」。

NPO法人アーツセンターあきた事務局長の三富章恵さん。

日常と地続きにある「文化」

2021年の3月にオープンを迎えた際には、コロナの真っ只中。それに加えて、「秋田市文化創造館」という硬い名前が、この施設と市民との間に距離をつくってしまっているのでは、という課題に直面します。三富さんは、「一般的にイメージされる文化芸術というよりも、日常と地続きなことこそが文化であるというメッセージを発信しようと試みました。例えば、野菜づくり、干し柿をみんなでつくって食べる、廃材を拾って工作してみたり、Zineを編集してみたり。つくることだけではなくて、話してみる、つながってみることで、固定されたジャンルだけでなく幅広い年齢や関心層にアプローチしています」と語ります。

加えて、文化創造館の特徴として外せないのが、貸し館「1時間1平米5円」という驚異的な価格設定。この設えについて三富さんは、「実際は、柱で区切られた一区画40平米弱を1時間150円で貸し出すプランが定型となっていますが、機能や用途も限定せず、壁も防音設備もない。自主事業と貸し館事業とフリースペースとが1日に複数重なるため、音や匂いが干渉し合う。これぞトラブルの種ではあるのですが、ただ対立するのではなく、何かの出会いや相乗効果を生むきっかけになればと、利用者さん同士をつなぐことも我々の役割だと考えています」と強調しました。

外部評価:リスクと可能性を専門家が評価する

他方で、このように目的を限定しない文化創造の場を、公共事業としてどう評価するのか。三富さんもその難しさについて、「スタッフは日々利用者のつながりに心を動かされているのですが、市役所、議会、経済界の方々とはそのハートウォーミングなストーリーを共有できない。さらに指定管理者制度の評価手法は、来場者数、施設利用収入等の定量評価に偏りがち」と指摘します。

そこで、文化創造館では、美大の教員も含めた外部評価委員に、日々の取り組みを言語化してもらい、アニュアルレポートとして公開することを開館当初から重視してきました。この点について三富さんは、「評価は自分たちだけでやるのではなく、地域に対して問いを投げかけ、対話を促すことや、プロセス・結果・成果を質的・量的に可視化することを重視しています」と説明。「余計なことと捉えられがちなことを真剣にやる、なぜかというと目指しているのは認知された課題を解決することではなく新しい価値を生み出していくことだから。大学はコンサルや代理店ではなくて、研究や教育活動を実践しているところだということを重要視しています」と話しました。

パートナーとしての心構え:「よそ者の視点」と「忖度はほどほどに」

現在、アーツセンターの職員は総勢32名。三富さんを含めて秋田出身ではないスタッフが半数近くということですが、そこで重要なのが、市役所のロジックや秋田の都合に引っ張られすぎない「よそ者の視点」を提示すること。それに加えて、「忖度はほどほどに」という心構えだと語ります。

最後に三富さんは、「秋田がサクセスストーリーのように誤解されないか?」と投げかけます。「パートナーとして歩んでいるけれども、お互いに意見がぶつかり合うこともあるし、ちくしょう!と思うようなこともある。それでも、目指している目標への目線は、合致はしていないけれども、少しは重なっている。一緒に動くことで各々の目標達成に近付いていくはずだと思うからこそ、折り合いをつけてやっている。その心構えが重要なのではないかと思います」と締めくくりました。

二人三脚のこれから:「ハード」「ソフト」+「ネットワーク」

三富さんのお話を受けて、齋藤さんは、「芹沢さんがおっしゃっていた『成功の循環モデル』でいうと、『思考の質』が重要なのではないかと思います。思考、つまりビジョンをおぼろげながらでも共有していると、関係や行動が変わってくる。アーツセンターとは、同じ山に違うルートで向かっているけれども、頂上に届けばいいんです」と提示。同時に、「秋田は偶然かつ必然でうまくいっているけれども、人事異動で人が変わるとどうなるかが課題」と付け加えました。

そのうえで齋藤さんは、市役所が掲げるまちづくりの3つの要素として、「ハード」(環境整備)、「ソフト」(活動の充実)に加えて「ネットワーク」(人材育成・交流)の重要性を強調します。その背景には、美大の藤さんに、芸術文化ゾーンでの取組としてハードとソフトの強化を提案した際、「ハードとソフトなんて、行政の人がまだそんな考えでやってるの?それは寂しいですね」と、いつになく厳しい言葉が返ってきた経験があったといいます。「要は、ソフトを担うのは誰なんですかということだったんですね。自分は、場所と活動のことばっかり言っていて、人を見落としていた。人をつなぐとか、人が活躍するという概念を出していなかった」と振り返ります。そこで、ハードとソフトの間に、あえて「ネットワーク」をつくって、アーツセンターと共有していくことになりました。文化創造館ができたことで、秋田市とアーツセンターだけでなく、多様なプレーヤーの存在が浮き彫りになってきたことが重要だと指摘しました。

当日のスライドより。

三富さんも、「秋田の方たちの県民性として、とてもシャイで表立ってアクションをとるということがあまりなかったのですが、文化創造館が開館してから、ありとあらゆる相談が寄せられている。その状況を見て、こんなにみんなアイデアに溢れていていたんだ!と地元の人たち自身が驚いています」と加えました。

市役所内の部局横断:人事発令に基づいたチーム編成

現在、秋田市の文化政策における部局横断的な体制として、外部有識者による「文化創造プロジェクト推進会議」と庁内関係部局による「芸術文化ゾーンまちづくり推進プロジェクトチーム」があり、特にプロジェクトチームの方には、関係部局の課長23名がメンバーに入っていて、アーツセンターあきたの関係者も同席しています。ここで、秋田市特有の仕組みとして特筆すべきなのが、このプロジェクトチームは、一般的な連絡会議ではなく、「人事発令に基づく兼務」として関係課所室長が招集される会議体であるということ。これによって、秋田市のなかで、文化とまちづくり、そして公園や道路の使用許可や部局間調整を一元化する仕組みが制度化されています。

さらにそこには、行政の前例踏襲主義を逆手にとった発想の転換があるといいます。齋藤さんは、「市役所って、いい意味でも悪い意味でも前例主義なので、こういったプロジェクトで特殊なケースをつくってしまえば、人事異動で人が変わっても前例が残る。今のうちに公園とか遊歩道とかを変な使い方をしようということで、あえて特殊な前例をつくっています」と語りました。

これを受けて三富さんは、「最初にこのプロジェクトチームのミーティングに出させてもらった時に、非常に形式的な情報交換にとどまっていて、(会議自体に)意味があるんですかというようなことを発言した記憶があります」と回想。その時に、市役所の中でこれだけの部局を横断して話ができることだけでもまず奇跡だと諭されたといいます。「確かに、当初チームのなかで一番硬い考え方だった方が、今やめちゃくちゃ柔軟な人の筆頭になってきたのを見ていて、こういう経験の積み重ねで人は変わるんだなという実感はあります」と話しました。

人事異動のジレンマ:引き継ぐのは「仕事」より「考え方」

最後に、これまでの流れを振り返ってみて、齋藤さんは、芸術文化によるまちづくりの推進や芸術文化ゾーンの方向性を、基本計画のなかに明確に位置づけたこと、それによって政策としての継続性が生まれたことをあらためて評価しました。「行政職員も一人の市民であり、自分の暮らしている町が住みやすくてカッコよくあってほしい」。その際に公務員として重要なマインドセットは、異動した時に引き継ぐのは「仕事」より「考え方」であると強調しました。

それを受けて三富さんは、行政の時間軸の中では、どうしても首長の任期で4〜5年のスパンで物事が考えられがちだが、目の前の課題解決だけではなく未来の生業とか日常をかたちづくっていくことの重要性を指摘しました。

参加者の方々からは、前述の市議会勉強会の詳細に加えて、特に「市民との関係性」、そして「事業評価手法」について質問が寄せられました。

市民との関係性:何かを工夫したい人を後押しする

三富さんは、「仕事上のつながりを超えて個人的なつながりがあると、強烈な依存関係になってくる場合があるということを開館当初に経験して以来、広く浅く付き合うということを念頭に、意識的に線を引いて付き合うように心がけています」と回答。 対して齋藤さんは、市役所の立場から整理しておくべき点として、地域コミュニティとしての市民との向き合い方と、まちづくりなど、特定の目的に応じたコミュニティとの付き合い方は別物だと提示。「やはり町内会のようなところは、私が市役所職員だとわかると、市役所だったら何言っても要望してもいいんでしょうという雰囲気が出るときがあるので、そこはやっぱり距離を置いて冷静に聞くようにしている」と語りました。また、特定目的型のコミュニティにおいては、良い動きをしてくれる方が多いので市役所としても後押ししたいと思う反面、制度のなかで平等に扱えるよう、あまり近づきすぎないように考えているそうで、「声の大きい市民の要望に応えることが公務員として評価されることではない。もっと街に視点をひろげて、何かを工夫したいと思っている人を後押ししていくことも、市役所の仕事だと思っている。そういう視点で市民と向き合っている」と語りました。

評価手法:「言葉」を拾い集めること

三富さんは、外部評価委員の大澤寅雄(おおさわとらお)さんを中心に、定性的な評価手法を設計してもらっていると説明。具体的には、施設の利用者、来場者、事業者に対するアンケートを用いた定量評価に加えて、毎年3〜4組の利用者にインタビューを行い、文化創造館が市民にとってどういう意義や価値があるのか、「言葉」を拾い集めてアニュアル・レポートとしてまとめている。課題としては、「文化創造館側から、評価のための材料を提供するというところまではできているが、市役所のなかあるいは議会に対してその材料をどう使って説得するかというところまではまだアプローチはできておらず、所管である文化振興課もその材料を受け取ったまま持て余しているという状況にあるのではないか」と加えました。

齋藤さんは、議会答弁や行政経営会議の際には、外部評価委員から提供してもらった「言葉」をもとに、市民の満足度や関心の高まりなど、あえて定性的な指標を使う機会を増やしていると説明。また、近年「エビデンス・ベースド・ポリシー・メイキング」(EBPM―データや合理的な根拠に基づいて政策を企画・立案・実行し、その効果を測定・検証する手法のこと)という言葉が多用されるなかで、齋藤さんは「総合計画をつくる際に職員には、確かに根拠を持ってつくることは大事だけれども、数字にとらわれると現実的なものしかできないときがあるので、ちょっとだけスパイスを効かせて希望を感じさせる政策を考えてみてと言うようにしています。政策を組んでから評価するだけではなく、何を目指して政策を組むのかが大事だなと思っています。これから町が楽しくなるな、良い方向にいくなという希望を感じさせることに対して、それを今後どのように評価するかということも含めて考えながら、政策を組むのも大事かなと思っています」と語りました。


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地方都市から「前例」をつくっていくことー1日目を終えて(2/5)

KINOミーティングアーカイブ3 04.2024—03.2025

海外に(も)ルーツをもつ人々とともに、都内各所で映像制作のワークショップを行うプロジェクト『KINOミーティング』。本書は、2024年度の活動を英訳付きでまとめたアーカイブブックです。

2024年、KINOミーティングは多様な背景をもつメンバーとともに、約1年をかけてオムニバス映画『オフライン・アワーズ』と映画制作の背景を収めたメイキング映像『オフライン・アワーズ Behind the Scene』を制作しました。本書では、プロジェクトスタッフが映像制作の過程を克明に記述した「プロダクションノート」や制作メンバーによる言葉、作品レビュー等をとおして、プロジェクト全体を振り返り、記録しています。

「よい作品(を)つくることと、よい現場をつくることは、もう同じ重み。どっちかに傾いちゃダメ。よい作品をつくることを優先して誰かが傷ついたりとか、ものすごい負担がかかるっていうのはもうやめよう。もう一方で、ただよい現場をつくろうと思って、ただただ楽しく和気あいあいやってるだけだと、よい作品は多分できない」

(p.122)
目次
  • はじめに
  1. KINOミーティングとは
  2. KINOミーティングの手法
  3. プログラム
  4. プロダクションノート/作品解説
  5. メンバーのことば
  6. レビュー
  • おわりに