「国分寺の〇〇探し」まちを歩いて、おとを聞いてみよう!おどってみよう! DOCUMENT

東京都・国分寺市芸術文化連携事業として、2025年秋に開催した「からだ」と「みみ」をつかった国分寺のまち歩きワークショップの様子を写真や映像、案内人のコメントなどから振り返っています。国分寺のまちを知っている人も知らない人も、ワークショップの記録を通じて、まちの新たな魅力を発見するためのドキュメントです。

雨水が好きな息子さんがなぜ好きなのか分かったというエピソードに感動して涙が出そうになりました。(参加者の声)

目次

1:はじめに
2:からだで発見!まちを歩いて、おどってみよう!
3:≪からだ≫マップ
4:≪からだ≫一日目
5:≪からだ≫二日目
6:みみで発見!まちを歩いて、おとを聞いてみよう!
7:≪みみ≫一日目
8:≪みみ≫一日目 まち歩きおとマップ
9:≪みみ≫二日目
10:≪みみ≫二日目公園おとマップ
11:国分寺の〇〇探しができるまで
12:おわりに

区切りをつけると、次に進める。【ジムジム会 2025 #2 レポート】

東京アートポイント計画に参加する複数のアートプロジェクトの事務局が集い、活動を展開する際の手法や視点を学び合い、悩みや課題を共有し合う勉強会「ジムジム会(事務局による事務局のためのジムのような勉強会)」。

2026年2月16日、アーツカウンシル東京にて、2025年度の第2回ジムジム会を開催しました。事業再編に伴い、今年度いっぱいで終了する「東京アートポイント計画」。ジムジム会も今回が最終回です。共催団体6団体が一堂に介し、それぞれの事業の活動報告を行いました。

また、東京アートポイント計画(以下、アートポイント)の選定委員である4名、太下義之さん(文化政策研究者)、小山田徹さん(アーティスト/京都市立芸術大学 学長)、西村佳哲さん(プランニング・ディレクター/リビングワールド代表)、荻原康子さん(「隅田川 森羅万象 隅に夢」統括ディレクター)も同席し、それぞれのプロジェクトの現在地を見届けました。本記事では当日の模様をレポートします。

ジムジム会は2019年にはじまり、広報、事業評価、チームビルディング、アクセシビリティなど、アートプロジェクト運営にまつわる事務局のさまざまな悩みを議題として取り上げてきました。今回のテーマは「アートプロジェクトのひと区切り」。隣で一緒に走り続けてきた仲間たちが、それぞれがどのような活動を行い、どのような気づきを得てきたのか。これまでの取り組みを一つの区切りとして共有しました。

会場には、現在活動している共催団体の事務局メンバーをはじめ、アートポイントを卒業した先輩団体や、新たにかかわるプロジェクトメンバーなど総勢約40名が参加しました

角度を変えて、入り口をつくるACKT(アクト/アートセンタークニタチ)

まずは、国立近郊を拠点とするメンバーが中心となり、2021年度より活動を開始した「ACKT(アクト/アートセンタークニタチ)」(共催団体:一般社団法人ACKT)。多様な人々との出会いを通じて、まちとともに成長するプラットフォームづくりに向けた、今年度の活動について3つの柱となるプログラムの現在地を発表しました。

(写真左から)一般社団法人ACKT代表 丸山晶崇さん、事務局長 安藤涼さん

ひとつは、ACKTの活動拠点「さえき洋品●(てん)」がある谷保駅前の緑地帯を舞台に、コミュニティガーデンの手法を用いる参加型のガーデニングプログラム「GREEN GREETINGS」。緑地をみんなで手入れするだけでなく、プロのガーデナーを招いたトークイベントや群生していた植物を使った日用品づくりなど、その時季ごとの話題や植生を楽しめるワークショップを開催しました。アートではなくガーデニングを切り口にしたことで、普段とはまた違った属性の参加者ともかかわるきっかけができました。

また、公募型の長期プログラムとして展開している「ただの店」は、モノの売買などの“金銭”のやりとりではなく、“価値”を交換することをルールに店主を募り、自主的な活動から、人とのつながりやコミュニティの起点をつくる企画です。これまでに参加した店主たちは、ただの店で経験を積んで、国立市最大級のお祭り「天下市」への出店を実現するなど、プログラム参加者の「はじめの一歩」を応援する成果に結びついてきていると話しました。

ACKTは、国立を中心としたまちなかで行われるアートイベント「Kunitachi Art Center」の企画・運営も担当しています。今年は、開催前に国立第三小学校の図工教員と連携して、アーティストの田中彰さんを招いたワークショップを実施しました。会期中には、ワークショップで小学生たちが制作した作品をギャラリーで展示したほか、恒例のツアー企画や、KAC開始以来はじめてとなる国立駅南口駅前広場での展示も実施。かかわりしろを広げました。

共催終了後の来年度の見通しとしては、引き続き「Kunitachi Art Center」の運営や、小学校と協働したワークショッププログラムの継続、そして拠点「さえき洋品⚫︎」を国立在住の作家や近隣の大学生にシェアしながら運営していくと意気込みを語りました。

つくってきたのは場ではなく、関係多摩の未来の地勢図Cleaving Art Meeting

ACKTと同年度の2021年度よりスタートした「多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting」(共催団体:特定非営利活動法人アートフル・アクション)。多摩というまちを多角的な視点から確かめてみようと、5年間活動を続けてきました。

今年度は「ケアをパンクで考える/ケアをパンクに考える」というプログラムで、参加メンバーとの対話から訪れたい先・尋ねたい人・やってみたいことを決め、都内外のさまざまな場所に足を運びました。社会包摂や震災など、多彩なテーマで、ワークショップやトーク、レクチャー、フィールドワークなどを重ねました。

特定非営利活動法人アートフル・アクション 事務局長 宮下美穂さん

また、過去に共催事業として実施していた「小金井アートフル・アクション!(2011年~2020年度)」の頃から約15年間、小学校を活動の舞台の一つとしてきたアートフル・アクション。2025年度は昭島市立光華小学校に画家の弓指寛治さんをコーディネートし、その活動に伴走してきました。

(参考)東京アートポイント計画note|「アーティストが学校にやってきた」光華小学校×弓指寛治の取り組みレポート

弓指さんは光華小学校の4年2組のクラスの一員として週に3日学校に滞在。指導するのではなく、小学生と対等な存在として日々を過ごしながら、こどもたちと幅13mの絵画を制作しました。その滞在過程は、ドキュメント冊子『つくることを考えてみよう 表現のひろがりと可能性をめぐる』にまとまっています。弓指さんが滞在するなかで、こどもたちから寄せられた「楽しかった」という声がある一方、想定外のことも多く、教育関係者からは「価値観が揺さぶられることの多い時間だった」という意見も寄せられ、学校内外でのインパクトの強さがうかがえるプログラムとなりました。

今後は、基地のまちとして知られる昭島を一つのフィールドとして、こどもたちとのまち歩きのほか、その保護者にヒアリングを実施して、昭島の人々の暮らしに関するリサーチを本格化させていきたいと言う宮下さん。また、教育現場とのつながりから、教員の有志が集まった東京都図画工作研究会などが、拠点「KOGANEI ART SPOT シャトー2F」で研究会を開催することになりました。一方で同スペースでは不登校のこどもたち向けのワークショップも行っており、学校を飛び出し垣根を越えた交流がはじまろうとしています。

宮下さんは今年度の活動を振り返って「わたしたちは場をつくったのではなくて、関係をつくったのだなと思います」と話し、プロジェクトにかかわった人々のなかからも、さまざまな次の展開が見えはじめているという予感とともに報告を締めくくりました。

積み重ねたものを確かめて、また伝えて|KINOミーティング

“海外に(も)ルーツをもつ人たち”と協働する映像制作プロジェクト「KINOミーティング」(共催団体:一般社団法人パンタナル)。2022年度にスタートし、多様なルーツをもつ人たちとの映像制作を通して、あらたなコミュニケーションの手法や協働のあり方を発見するプログラムに取り組んできました。

(写真右)一般社団法人パンタナル 代表 阿部航太さん

2022年度から海外に(も)ルーツをもつ人々とともに映像制作ワークショップを積み重ね、2024年度にはオムニバス映画『オフライン・アワーズ』を制作、試写会を実施しました。

最終年度となる2025年度に特に力を入れたのは、これまでの活動で得た関係性や制作してきた作品を活用し、発信していくこと。活動をまとめたドキュメントブック『KINOミーティングアーカイブ 3』ではプロダクションノートや制作メンバーによる寄稿、作品レビューなどを掲載し、制作のプロセスやプロジェクト全体を振り返りつつ、これからKINOミーティングに出会うひとにもプロジェクトの全容を手渡せるよう、ドキュメントにまとめました。

また、『オフライン・アワーズ』のドキュメンタリー映像の追加撮影・編集を実施し、ワークショップでの経験が参加者にとってどのようなものになったのかを記録しました。そのほか、「クリエイションの現場にみる多文化共生の実践」をテーマに「アートと多文化共生の研究会」のレクチャープログラムを実施。3年間で積み重ねてきた知見や感覚をテーマに関心のある人々と共有し、それぞれの活動を発展させていくための、課題や意見交換の場をひらきました。そのほかにも、制作した映画作品の上映パートナーを募集し、大学などの教育機関で合計4回の上映会を実施するなど、活動に広がりが生まれています。

現在は、KINOミーティングが培ったワークショッププログラムのノウハウをさまざまな人が活用できるよう『シネマポートレイト やりかたハンドブック』を手がけているほか、2月末には「語り」と「交差」をテーマとした映画祭「語る、交差する、そして映画が生まれる。」の準備を進めていると話しました。

自分自身とルーツの異なる他者とかかわるときに感じた“ハードル”。そこを出発点に、KINOミーティングのきっかけとなるプロジェクトが始動した2020年から、実に6年もの間つながっていたKINOミーティングのメンバー。今後は映像作品とアーカイブを活用して発信していくほか、ワークショップ参加者が主導となるシェアプロジェクトも走り出しています。「また別々のかたちでここへ戻ってきたとしても、この成果をうまく活用できるよう活動を続けていきたい」と阿部さんは結びました。

この空気感を同心円状に広げていく|野村誠 千住だじゃれ音楽祭「キタ!千住の1010人」

続いては、「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」(共催団体:東京藝術大学音楽学部・大学院国際芸術創造研究科、 特定非営利活動法人音まち計画、足立区)です。「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」は、足立区・東京藝術大学・特定非営利活動法人音まち計画が主催となり、千住地域を中心に「音」をテーマとした市民とアーティストが協働するプログラムを複数まちなかで展開しています。

(写真左から)(写真左から)特定非営利活動法人音まち計画 事務局 岡野恵未子さん、ディレクター 吉田武司さん、事務局長 長尾聡子さん。みな、アートポイントのプログラムオフィサー経験者です

2025年度は、プログラムの一つ「野村誠 千住だじゃれ音楽祭」の一環として開催する「キタ!千住の1010人」を、共催事業として実施しました。「キタ!千住の1010人」は、ディレクターである作曲家の野村誠さんを筆頭に、国内外のゲストアーティストと、公募演奏者が一堂に介する大規模な屋外コンサートです。野村さんは今回のテーマに「誰も排除しないこと」を掲げ、「千住」になぞらえて、多様な「1010人」が演奏者となり、それぞれの楽器や身体で演奏に参加しました。

プログラムでは、本番までに公募演奏者と計7回のリハーサルを行ったほか、近隣の小中学校や区民団体とのワークショップの機会を設け、地域に根付いたイベントになれるよう働きかけました。

また「良くも悪くも内輪感がある」というプロジェクトの雰囲気を逆手にとって、内輪感を徐々に広げていけるよう「コアを作り、そこから同心円状に関係性を広げていこう」と、さまざまな方法で関係性づくりに挑みました。事業に共感した団体との連携や、コアメンバーが生まれるような事前リハーサルの進め方を試みました。結果的に顔の見える関係性が生まれ、プログラムの参加者も増加。本番やリハーサルで主体的にほかの参加者に働きかける熱心な参加者も現れました。

さらに今回はアートポイントの共催事業のひとつ「めとてラボ」とも協働。これまで、なかなか参加する機会のなかった参加者たちが演奏を楽しめるように、リハーサルから試行錯誤を続けました。

共催が終了する2025年度以降も「野村誠 千住だじゃれ音楽祭」は継続していきます。とくに、全7回のリハーサルが楽しかったという声が多く寄せられたため、リハーサルを「みんなで集まれる場」と位置づけて、いつしか来るかもしれない本番に向けて練習を継続していくと宣言しました。

記録が生んだつながりが、新しい記録を呼んでくる|カロクリサイクル

2022年度よりスタートし、各地に蓄積されてきた過去の災禍の記録(=カロク)を読み込み、現在に応用可能な知見を探すプロジェクト「カロクリサイクル」(共催団体:一般社団法人NOOK)。江東区大島の拠点「Studio 04」を中心に、実際に現地へ足を運び、記録から得た感触を、展覧会やワークショップなどの形式に落とし込んできました。

(写真左から)一般社団法人NOOK 代表理事 瀬尾夏美さん、事務局 関優花さん

今年度は展覧会「歴史の蟹:戦後80年を歩く」を開催しました。これまでに訪れた国内外さまざまな地域での「戦争」にまつわる語りや風景、残された記録をまとめ「戦争」と「戦後」を多角的に見つめ直す展覧会です。展覧会に参加したのは、カロクリサイクルのメンバーのほか、毎年夏に開催する、「記録から表現をつくる」ワークショップ参加者・経験者3名。リサーチの手法や興味の分野が重なるメンバーで、約1年のあいだ各地域での戦争の歴史などについて学びながら展示をつくりました。
また、これまで実施してきた「記録から表現をつくる」のワークショップには総勢50名が参加し、それぞれの視点で「記録から表現をつくれるようになった人がこの世界に50人生まれた」という意味でも、一つの成果を感じられるものになりました。

拠点形成の取り組みでは、大島四丁目団地の一角にあるStudio 04を通じて、拠点を管理運営するUR都市機構とも継続してコミュニケーションをとってきました。当初は立場が異なることで生まれていた文化事業へのまなざしの違いも、4年という歳月のなかで、この事業の価値や意義を共有できるようになってきたと瀬尾さんは語ります。その発展形として、「カロクリサイクル」の事務局である一般社団法人NOOKはURとさらに連携を進め、情報誌『住んでる』を制作。2026年1月に創刊号が発行されました。NOOKらしい地域の営みや語りをベースにした視点から、東京に住むさまざまな人々の暮らしに焦点をあてたメディアを編んで届けていきます。

さらに、地震被害を受けた能登半島を東京から応援するコミュニティ活動「のと部」も部員が150名に達したほか、月に一度、さまざまなトークゲストを招き、公式YouTubeチャンネルで配信する「テレビノーク」なども続けています。

カロクリサイクルやNOOKの活動が「プログラムでつながった人々の特技や知見が活用される場として機能してきている」ことに着目して、今後は、技術を共有する勉強会や読書会のようなかたちで“場”を開いていこうと画策中です。拠点のある団地に住む人々を対象としたプログラムにも挑戦していきたいと述べました。

協働から活動がふくらんでいく|めとてラボ

2022年度にスタートし、「視覚言語で生きる“私”」という考え方を大切にしている「めとてラボ」(共催団体:一般社団法人ooo)。ろう者・聴者関係なく、視覚言語(日本手話)で生きる人々の文化や、その文化と出会うことによって起こる変化をすくいあげるようなプロジェクトを手がけています。

(写真左から)一般社団法人ooo 根本和德さん、保科隼希さん、南雲麻衣さん

発表ではまず、「アーカイブプロジェクト」をとりあげました。手話やろう者の生活文化をどうアーカイブしたらいいのか、その手法と活用について模索するプロジェクトで、その一環で「ホームビデオ鑑賞会」を実施しています。今年度は、アートポイントの卒業団体との協働にも積極的に取り組みました。アーティスト・コレクティヴ・フチュウ(ACF)のメンバーが立ち上げ、自宅に眠る8mmフィルムの上映会を行っている「むさし府中アルキヴィオ」や、ホームムービーを用いて暮らしを紐解くプロジェクトをしていた「移動する中心|GAYA」のメンバーとつながり、協力を得ながらプログラムを発展させていきました。

また、「デフスペースリサーチ」では、ろう者の独自の行動様式やろう文化を生かした空間デザイン(=デフスペースデザイン)について考えるワークショップを開催しました。視覚言語は情報が「見える」位置にあることが、とても重要です。ワークショップでは建築関係の雑誌をコラージュしながら、ろう者が生きやすい暮らしのレイアウトについて考えました。

「つなぐラボ」では、「キタ!千住の1010人」との協働に取り組みました。これまで培ってきた手話通訳や情報保障の観点だけでなく、エンターテインメントとしても「とにかく誰もが目で見て自然と楽しめる環境や場所を作ろう」と、だじゃれ音楽の翻訳に挑戦しました。手話通訳は通常1名が情報を伝達しますが、当日はメンバー3名で身ぶり手ぶりを加えて、手話がわからなくても視覚的に楽しめる、新しいつなぎかたを模索しました。

「イマジナリー」プロジェクトでは、頭の中の想像を手話や身体表現で伝え合う体験型展示「イマジナリー!」を開催しました。「想像」を表現した4つの映像作品を受けて参加者が自分の身体を使って表現するプログラムや、参加者同士で表情や身ぶり手ぶりでコミュニケーションをとり合うゲームなどを企画・実施しました。展示期間中はろう者のガイドも常駐し、手話がわからない人もジェスチャーで、この場に参加できるよう工夫しました。

2025年度を振り返って「さまざまな団体とつながって活動していくと、そこからさらに次へとつながる好循環が生まれる」と、共催団体同士の横のつながりから、活動の広がりを実感しためとてラボ。来年度は広報・PRに力を入れて種を蒔きながら、企画の初期段階からの協働にチャレンジしたいと語りました。「つなぐラボ」で得た手応えをさらに発展させていくべく、「音まち」チームとも次に向けた相談をはじめているそうです。

卒業団体のこれまでと、新しい仲間のこれからも

会場にはアートポイントの卒業団体で、2024年度より東京都・区市町村連携事業に取り組んでいる「アーティスト・コレクティヴ・フチュウ(ACF)」の事務局メンバーも駆けつけました。

NPO法人アーティスト・コレクティヴ・フチュウ 事務局長 新井有佐さん

前回のジムジム会にホスト役として登場したACF。府中市・アーツカウンシル東京とともに「共生社会」をテーマに取り組んできた2年間の連携事業も、今年が最終年度です。「最初から共生社会のモデルになるような場をつくろうとしていたわけじゃなかったんです」と新井さんが述べるように、ACF自身も共生社会とはなにか、プログラムのなかで出会った人々から学び、影響を受けながら、自治体と一緒にそのあるべき姿について模索していきました。

そこで得た感覚や知見を、ACFが発明してきたワークショッププログラムのなかに組み込むことで、結果としてろう者を含めた、さまざまな人たちとの豊かな時間が生まれたのではないかと、この協働の2年間を振り返りました。

(写真左から)建築設計事務所スタジオメガネ 代表 横溝敦さん、宮澤祐子さん

また、今年度からTokyo Art Research Lab(TARL)の枠組みでプロジェクトを開始させた建築設計事務所「スタジオメガネ」の横溝さん・宮澤さんも登壇しました。2018年に多摩ニュータウンの中心に位置する落合団地商店街に拠点「STOA」をオープンさせたスタジオメガネ。古本やキッチンスペース、駄菓子コーナーなど、地域の人々がゆるやかにかかわれるオルタナティブ空間を、アーティストやクリエイターと協働しながらまちなかで展開しています。

TARLでは、地図を見ると駅から向かって縦方向に開発されている多摩ニュータウンに「暮らしの横道」という横線を引きなおし、新しい側面からまちを見直すことで、このまちの暮らしや文化を捉え直すという試みを行い、マップを制作しました。今後、成果を引き継いで、地域での実践に移るべく、準備を進めています。

交差点からそれぞれの次の場所へ、アートプロジェクトのひと区切り

共催事業6団体と、卒業後も地域で精力的に活動を続けるNPO、そしてこれからプロジェクトをはじめるチームと、都内各地の仲間たちの現在地を確認しあったジムジム会。今回は、成果だけでなく、現場で走りながら考えた試行錯誤のプロセスや、そこで生まれ広がっていく関係性についても多く語られていたのが印象的でした。選考委員の方々からのコメントを、紹介します。

「隅田川 森羅万象 隅に夢」統括ディレクター 荻原康子さん

萩原さん:熱量や苦労した点、次にどこへ向かおうとしているのか直接うかがえてよかったです。プロジェクトの共通点として「関係性」や「コミュニケーション」という、かかわることにまつわる言葉が出てきていて、それぞれのやり方で共催期間中にかかわりしろのつくりかたを探って深めてきたんだなと思いました。そしてこれからも三者三様に、広がっていくんだろうなと期待しています。継続することの大切さを、各プロジェクトから感じました。

プランニング・ディレクター/リビングワールド代表 西村佳哲さん

西村さん:委員会ではいつもジムジム会の話題が出るので、いちファンとして今回実際に足を運べて嬉しかったです。必ずどんなものにも終わりがあります。そのとき、事業そのものが掲げていた目標に達しているかということ以上に、かかわった一人ひとりが育っているか、そして関係を結んだ線の数が増えているかということも大切なポイントです。そこから必ず次のものが生まれてきます。

アーティスト/京都市立芸術大学 学長 小山田徹さん

小山田さん:行政や公の性質を帯びた活動をするとき、必ずタイトルと目的がセットとなってプログラムはスタートし、行政はそれを一定の「成果」として受け取ることも多いです。しかし現場では、主目的ではないほうで、おもしろいことが起こっていたりする。副次的に起こることのなかにこそ大事なことが隠れている、これが本質だと思います。だからカロクリサイクルのように、社会の要請に自分たちのやりたいことをうまく擬態させて、いい活動を続けていってほしいですね。

文化政策研究者 太下義之さん

太下さん:スタジオメガネの小さな拠点をもって住区を結び直していくという着眼点が非常にいいですね。これこそがわたしたちが取り組んでいる東京アートポイント計画の原点なんじゃないかと思いますし、ひと区切りのタイミングで、もう一度こういう原点に回帰できるのは非常にいいことだと思います。

東京アートポイント計画は2009年よりはじまり、はや17年。これまでに63団体と50件のプロジェクトを連携・実施してきました。

閉会のあいさつをする東京アートポイント計画 ディレクター森司

そのなかでジムジム会は「交差点」のような場所でもありました。独自のテーマと手法で進むアートプロジェクトの事務局同士が、活動の足を一瞬だけ止めて、言葉を交わし、またそれぞれの行先へと戻っていく――。開催初期は事務局の悩みの種が話題にあがり、情報交換や励まし合う時間になっていました。そこからアートポイントのフェーズが進むにつれて、話題は徐々に、それぞれの活動報告が中心に。井戸端会議のような場から、肩を並べる事務局同士で現在地を確認する定期連絡の場へと変化していきました。

今年度のジムジム会も終わりを迎えますが、「ジムジム会」の経験は既に、都内各地で活動するアートプロジェクト事務局のメンバーそれぞれのなかに息づいているはずです。もし道に迷ったときは、ぜひジムジム会という「交差点」のことを思い出してみてください。解決のヒントは案外、“おとなりさん”がもっているかもしれません。

野村誠 千住だじゃれ音楽祭「キタ!千住の1010人」記録映像

2025年10月、千住スポーツ公園を舞台に、参加型コンサートを開催。国内外各地から、ユニークな音楽家や公募演奏者が集まり、一日限りのパフォーマンスを披露しました。 タイトルの「キタ!」には、会場である「北」千住や、2014年から11年ぶりに帰って「来た」コンサート、そしてインドネシア語で「私たち」を意味する「KITA」など、さまざまな意味が込められています。
本映像は、2025年に千住スポーツ公園で開催された「キタ!千住の1010人」の記録映像です


詳細
  • メメット・チャイルル・スラマット『Senja 2025』(2025)
  • メメット・チャイルル・スラマット『Senju 2025』(2025)
    6人の演奏家たちによるちょっと不思議なオープニング
  • メメット・チャイルル・スラマット『調和の中の新しい文明』(2025)
    石や風が奏でる原初的なリズムや音と、現代の音楽を組み合わせる挑戦
  • アナン・ナルコン『うさぎとかめ――次世代編』(2025)
    「うさぎとかめ」の子どもと孫世代の話が語られる、愉快な音楽劇
  • 野村誠『キタ!千住の1010人』(2025)
    10曲のだじゃれ音楽が次々に登場する、1010秒の音楽集
  • ウン・チョー・グゥワン『マリ・キタ――音と踊り、歩みで描く』(2025)
    会場いっぱいをパフォーマーが動き、音楽を生み出す
  • 野村誠『千住宿1625 ミナミナ ! 千住の1010人』(2025)​
    演奏会全体を振り返るクロージング曲

地域の“つながり”づくりをスタディする

地域での新たな“つながり”づくりの手法を探る

東京アートポイント計画はアートを介した人々のかかわりや地域での交流を生み出すアートプロジェクトに取り組んできました。その手法をさまざまな分野へ応用するため、地域で活動する他領域のひとたちと連携した議論の場づくりをはじめます。

今回は大田区社会福祉協議会(以下、社協)と連携し、地域住民を中心とした“つながり”づくりの手法としてのアートの可能性を模索します。社協では、地域の多様な団体の連携や、住民同士の顔が見える関係づくりなどに取り組んでいます。互いの問題意識や地域の実情、さまざまな事例や手法を共有するところから、新たなプロジェクトを立ち上げるための試行的な実践づくりを目指します。

詳細

内容

  • 社協が把握している地域の状況や課題意識の共有
  • アートプロジェクトの事例共有やディスカッション
  • 徳持エリアのリサーチ(まち歩き、地域での企画への参加)
  • 関係者ヒアリングやディスカッション
  • 地域の課題に対応した企画や担い手の検討
  • 試行的なプログラムの実施(企画制作:認定NPO法人STスポット横浜)

期間

通年

主催

東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京

制作

特定非営利活動法人STスポット横浜

協力

社会福祉法人大田区社会福祉協議会、池上徳持南たすけあいプラットフォーム

演劇ワークショップ「徳持会館で劇あそび!」(2026年3月15日開催)

約1年間のディスカッションを踏まえ、試行的なプログラムとして、建て替えのため閉館する町会会館「徳持会館」を会場とした演劇ワークショップを開催しました。
前半では、参加者同士でグループになり、大道さんのファシリテートに沿って身体を動かすワークを行いました。
後半では、会館にあるものから五行詩をつくりました。その後、グループごとに五行詩に合わせた動きをつくり、順番に披露しました。

これからの航路に向けて(芹沢高志×森司×佐藤李青)|これからの航路に向けて レポート③

 2026年2月24日、これからの時代のアートプロジェクトのかたちを考える企画「これからの航路に向けて」をアーツカウンシル東京の会場およびオンラインで開催しました。本企画では、2025年度に事業を終了する「Tokyo Art Research Lab(TARL)」と、その一環として2022年度からはじまったシリーズ「新たな航路を切り開く」、さらにその成果のひとつとしてウェブサイトtarl.jpに実装したアートプロジェクトの「年表」について振り返りました。

このレポート記事は、オンライン配信の文字起こしをベースに編集・再構成し、プログラムの流れに沿って以下の3本にまとめたものです。

    1. アートプロジェクトと併走する学びの場――シリーズを振り返る
    2. 思考の道具としての年表――その機能と可能性
    3. これからの航路に向けて[現在の記事]

* プロジェクトの詳細はこちら
* 配信アーカイブはTARL公式YouTubeチャンネルにて公開

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 続くセッションは「これからの航路に向けて」と題し、「新たな航路を切り開く」を企画したP3 art and environment 統括ディレクターの芹沢高志さん、Tokyo Art Research Labおよび東京アートポイント計画のディレクターを務める森司、聞き手としてプログラムオフィサーの佐藤李青が登壇し、2011年以降のアートプロジェクトの動きや、社会に向けるそれぞれの思いについて語りました。

左から、プログラムオフィサー・佐藤李青、P3 art and environment 統括ディレクター・芹沢高志、Tokyo Art Research Lab/東京アートポイント計画ディレクター・森司

「新たな航路を切り開く」のはじまり|揺れ動くなかで自分たちがとる態度

佐藤: オープニングで小山さんが取り上げたTARLの2010年のレポートがありますが、私はこのプログラムのひとつにリサーチアシスタントとして参加していました。そして、その翌年から今のアーツカウンシル東京のスタッフとして入った経緯があります。

 当初、TARLは人材育成事業としてはじまりました。人材育成事業というと参加した人が技術を学ぶものだと思うのですが、TARLでは、その場を仕掛けている側の人たちが、試したり考えたりする現場として使っていた面もあります。つまり、企画を仕掛けた側も得をする、舞台袖から見る人が芸を一番学べる、というような話ですよね。

 TARLの特徴は、仕掛ける側がなぜそのタイミングで、どういう社会を認識して、アートで関わっていこうとするのかが反映されたプログラムだということです。芹沢さんは4年間「新たな航路を切り開く」という企画を仕掛け、森課長は東京アートポイント計画およびTARLのディレクターとして、事業設立のときからプログラムをつくってきました。わたしたちスタッフの仕事も、常にパートナーの方々と今の社会認識を確認しながら「どうやっていく?」とやりとりを続けることでもあります。

 まずはじめに、なぜ芹沢さんが「航路」を開こうとし、それに対して森課長がどのように応答したのかを振り返りたいと思います。

芹沢: 最初、森さんからは『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』があるから「その後の10年間ぐらいを概観して、できたら本をつくってほしい!」というような、非常に大変な命令があったんですよ(笑) たしかに考えてみると、2011年3月11日は僕らにとって本当に大きな経験じゃないですか。僕がそのときに見たのは、酒井耕さんや、濱口竜介さん、瀬尾夏美さんや小森はるかさんもですが、多くの若い表現者たちがその内側に入っていって、しかも最初から計画があって飛び込むのではなく、あの状況のなかで生きてくことで「自分たちの話法」、つまり話し方を学んでいく姿でした。

P3 art and environment 統括ディレクター・芹沢高志

芹沢: 3.11は我々にとって等しく大きな経験でしたが、そのなかでも自分の生き方、あえて「態度」と言いますが、アートやアートプロジェクトにおいて、何をつくるかという以前の「社会に向き合う自分の態度」を模索しながら、自分たちのかたちをつくっていました。最近よく言われる能動でも受動でもない、中動態的な姿勢がそのなかに見えたんです。それで、やはり3.11を踏まえてアートプロジェクトもどんどん変容していくだろうと思いました。さらに、追い打ちをかけるように2020年ぐらいからCovid-19、つまりコロナパンデミックが世界を巻き込み、大変な状況が生まれた。イタリアの作家のパオロ・ジョルダーノは『コロナの時代の僕ら』という本で、問題解決型のこととして対処すべき数々の問題が現実にはあるという前提で、それでも自分たちのいままでの態度や姿勢を見直さないと太刀打ちできないのでは、と言っています。僕も、本当にその通りだと思い、映像シリーズ「3つの航路」では、さまざまな航海のなかでも、これまでにすでに出来上がった航路を取り上げたんです。

 本当に何もないところから、北川フラムさんや、南條史生さん、小池一子さんたちは自分の航路を切り開いていて。それも途中で沈没するかもしれないから安全かどうかは分かりませんが、それでも立派な、ひとつの大きな航路ができた。もちろんそれに乗ってくのもいいのですが、現在の状況があって、安全だと思われてる航路を辿って船を出すだけでいいのだろうか、という意識があったんです。

 それで、少しキザっぽいけれど、状況が揺れ動くなかで自分たちがとる「態度」を議論しながら見つけたいと思い、「新たな航路を切り開く」というタイトルにしてプロジェクトをつくり出したんです。

佐藤: Covid-19の影響が2019年末ぐらいからはじまり、日本では2020年に入ってからという感じでしたね。そして2020年の3月が東日本大震災から10年が経つタイミングです。

芹沢: 今日(収録日 2026年2月24日)から約2週間で3.11から15年ですよ。

佐藤: この2つの災禍は大きなポイントになるということと、もともと『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』が取り扱う範囲も、2010年までといいつつも、2011年の震災の話が最後に入っています。今回は、そこがスタート地点になったということですね。

 芹沢さんからは3.11に関連して、濱口竜介さんや酒井耕さんの「新しい話し方」という言い方をされていました。話し方とは新たな表現手法とも言い換えられると思いますが、震災をきっかけに相手に何か話を聞きながらものをつくっていく表現方法が生まれ、時間が経つことで、さまざまな作品が出てきたということでしょうか?

プログラムオフィサー・佐藤李青

芹沢: 僕はそう思います。アートプロジェクトの新しいテーマについての議論ももちろん重要だけれど、自分の生き様とリンクさせて作品やものをつくりはじめた若い人が多いことを思い出したんです。あらためて振り返ってみると、年表もその流れでつくろうということになっていきましたね。

佐藤: 森課長はいかがでしょうか?

森: 年表というと普通、もう少しフラットにつくるものです。ですが、芹沢さんの言うように「芹沢さんの目線で2011年以降の流れをまとめましょう」と年表をつくるのは、ベースから普通の年表づくりではないですよね。さらにインデックスとして出ているのは、震災のことなど、普通のアートプロジェクトの変遷ではないかたちで見られる。実際にこの年表で検索してみると、ずっと震災のことが続いているんです。震災や災害がずっと続いている間にプロジェクトをやっているように見える時代に、実は生きている。災禍という言葉で我々も事業を実施していますが、本当に災禍のなかにいるのだなとあらためて思いました。

 先ほども取り上げていましたが、「3つの航路」として先人たち3人のインタビューを実施いただいていますが 、今日、僕は4人目として芹沢さんにインタビューしたい気分でもあるんです。

Tokyo Art Research Lab/東京アートポイント計画ディレクター・森司

森: まず、僕が「新たな航路を切り開く」をどう聞いたのかというと、 もう「新たな」という言葉から大好きな言葉なんです。新しいのが好きなんですよ。それで「航路」というイメージは、波が立っていくようにどこかへ進行形で進んでいく感じがします。さらに「切り開く」、これはチャレンジして未知のところに行くということ。

 今、どうしていいか分からなくて決めあぐねている感覚のときに、「いや、新しい航路を切り開くんだよ」というメッセージの投げ方をしている。このディレクションは卓越した技だなと思ったんです。要するに、このタイトルがすべてをはじめたような気がしていて。

 TARLでは「新たな航路を切り開く」までの数年間、アーツカウンシル東京のプログラムオフィサーがパートナーと一緒にプロジェクトをつくる「東京プロジェクトスタディ」を実施していました。そこから今度は、誰かディレクションしてくれる方にお願いしようとしたのは、今は、それがないと「こと」がはじめられない時代に生きていると思ったからです。年表をつくるお願いをしたのも、何か「拠って立つところ」ではないですが、参照するものが「従来の美術の歴史」だけだときついなと思っていました。

 芹沢さんがこれまでプロジェクトに選んでいる人たちは、従来の美術と違うところとブリッジしたり、違うものに立脚したりして「こと」を進めている人たちでした。そこにはさまざまなヒントがあるのではと思い、年表をつくりませんかとお願いしたんです。さらに、プロジェクトと一緒に進めていくその思考する時間も内在化させることが重要だと思い、時間をかけてつくりましょうと話しました。

正解に出会えない年表|「どう踏み出すか」を考える思考の道具

佐藤: この前のセッションが「思考の道具としての年表」というタイトルでした。おそらくプロジェクトの最初に、芹沢さんなりに年表の理解の仕方があり、まさに思考の道具としての年表をつくるべきだ、という話もあった気がします。

芹沢: そんなにかっこいい話ではないですが、中学生のときに「いい国つくろう鎌倉幕府」 のように、とにかく年号を暗記して……という思い出があって、もう年表なんて大嫌いだったんですよ。だから大学は理系を選んだくらいにね。本当に「こんなものを覚えたって何の役にも立たねえだろう」という意識だったんです。

 でもこの歳になると、これまでの世界や社会の出来事に対して、自分はそのときに何をやってたんだろう、何を考えていたんだろう、と思うようになってきました。僕は若いときにバックミンスター・フラーという人の考え方を追いかけたことがあり、かれは世界史の年表と自分の個人史の年表を一緒に並べ、さまざまなことを考えていました。そういうことをやっていたから「やっぱりフラーさんは先まで見ましたね」と未来予測したように言われることもありますが、かれは予測とは全然関係なく、自分がこの状況のなかで「どう踏み出すか」を考える思考の道具として年表をつくっていたんです。そのことを知っていたので、そんな年表づくりにしたいと思ったんですよ。

 かれは自分のことをguinea pig Bと呼んでいました。guinea pigというのはモルモットのことで、BとはBuckminster Fuller(バックミンスター・フラー)の頭文字のB。つまり、自分のことをモルモットBと名付けて、さまざまな発明や何かをやっていても、とにかく食いながら、何かはできるんだという実験動物のように見ていました。かれは楽天的でもあり、宇宙とシンクロして生きていれば死なない、飢え死にはしない、宇宙は自分のことを見捨てないという信念のもと、自分を実験台にして「どう生きるか」ということのために年表をつくっていたんです。

 今回、萩原さんや、みなさんには年表をつくるためにとても注力していただき、ここまで来ました。ですが、何と言うんでしょうか、この年表はかなり偏ったものですよね。

森: 本当に偏っていてね(笑) 昨日、今日の企画のために真面目に全部見たんですよ。そうすると、自分が欲しい項目はほとんど入っていないんです。主催している側の人だから、そこは指示して入れてもよさそうですが、それくらい意識的に年表づくりとは距離をとり、恣意的にこの情報を入れてくださいと言ったことはありません。

 あと、芹沢さんにお願いしたときに、AIがここまで進んでしまうとは思っていなかったんです。この年表をつくると、少しは便利になって、気の利いたことやっていて褒められると勘違いしていた。そうしたら、つくっている間にAIが先に通り越してしまったんです。

 今はAIの方がさまざまなデータを引っ張ってきます。ですが、対してこの年表を面白いと思うのは、僕が欲しい情報がないということは、僕が勝手にそれを大事だと思っているだけなんですよね。自分が大事なものはみんな違うので、みんなにとって完成しない、不完全で正解は得られない年表に出会うんです。きっと、その正解に出会えないという事実が、この年表の最大の魅力だと思いました。

 いままでは、正解に向けて頑張るようなものもあったけれど、「新たな航路を切り開く」では正解はとりあえず脇に置いて、わからなくても切り開いていく。その新しい羅針盤になる海図としても年表をつくろうと思っていました。ですが、その年表が、実に海図として精緻ではない。そこに魅力をすごく感じました。

芹沢: 「ケーススタディ・ファイル」でキュンチョメにインタビューすると、彼女は3.11の日に勤めていた会社の対応に怒り、そこから飛び出して自分で何かやろうとしてアーティストになるという。そのように自分の生き様として、社会や世界の状況に応答し、自分も変わるというよりは「どうしよう」と一歩を踏み出した人たちがたくさんいるんです。

 はっきり言うと、パンデミック以降の世界はめちゃくちゃで。そのめちゃくちゃな、正解があるようなないような、そのなかで「正解だ」と大声で言う人たちばかりになってしまって。何も考えずにそれに従えば済むのも便利かもしれないですが、自分で考えはじめるということが、きれいごとではなく本当に重要な時代に来ています。

芹沢: めちゃくちゃに翻弄される時代のなかで、勉強の道具ではなく、大げさに言えば「自分がこれからどう生きるのか」を自分で考えるための資料やきっかけになる年表になればいいなと思っています。この年表のなかにはキュンチョメがやってきたことも入っていますが、それを学ぶという意味ではなくて、この状況のなかで、こんなにも無謀に飛び出した人たちが、そのあと何をやってきたのかを見ていくのは、ひとつの勇気になるんじゃないだろうかと。

 今日の企画のタイトルに「これからの航路」とありますが、「これが次の航路だ」というものは、この年表をいくら見ても、つくってきた動画を見ても、そこに答えなんてない。でも、考え出すきっかけにはなると思うんですよ。

森: 肉声で録っているインタビューも含め、ここに収められてるものは、すべてみなさんが経験で喋っている話でもあるので、言葉がリアルなんですよ。しかも、経験のなかで話す内容は、本人にとって大事なものか、本人にとってすごく痛い記憶か、すごく刺さったものということ。その温度感や体感は、共感するかしないかは別としても、何かを動かすヒントになる気がします。その衝動の生まれ方みたいなものが、年表のなかに読めたり、その年表からさらにウェブサイトのなかを見てもらうことで、まさに「これからの航路を切り開く」ためのストレッチや準備ができるのではないでしょうか。

 それがないままに航路に出るのは無謀とまでは言わないけれど、少し危険な感じがするぐらいに、社会がここ数年で荒れていますよね。「正解がひとつ」ではなく「みんなが正解」になり、何をすればいいのか分からない状態のときに、ヒントになるものがあるように思います。

アートプロジェクトをつくる「演習」|計画を嫌う環境計画家のプログラムデザイン

佐藤: 「新たな航路を切り開く」がはじまったのが2022年、まさにコロナ禍からスタートしたこともあり、ほとんどがオンラインプログラムです。この企画は当初から3.11やコロナ禍という災害をベースにし、不確実性や不確定性を前提にしている。ですが、そこに対応して進めてきたはずなのに、4年が経ち、より不確実性の話をしています。むしろ、さらに能動性が必要とされるということは、状況がどのように変わってきているのでしょうか。

森: 震災などの自然災害は、ある種、受け止められるんだけれども、人災といっていいようなものがあちらこちらで起きはじめています。民族的な紛争、戦争も続いている報道がされていますが、これは人が起こしている話です。自然が起こしている災害と、人が起こしている災害の2つが重なってしまったことの予測不可能さ、というのは以前とは違うものです。 一方が安定していれば、震災が終わったあとに災害のユートピアがあって、また普通の平和に戻るように思えるけれど、そうではないかもしれないという不安……。不安なのか、その前提が崩れていっている状態は、非常に難しさを増している気がします。

 ですが、それゆえにアートの力、文化の力が求められつつあり、その拠りどころが必要になる。そして、これからの個々の受け手に一番重要なものは、そこに向かう姿勢です。先ほどは態度という言葉でしたが、そのつくり方だと思っているんですよね。その意味で、今回の「新たな航路を切り開く」はうまくいけたんじゃないか、と勝手に思っているんですが、実際にディレクションしてきた芹沢さんの実感はどうでしょうか?

芹沢: 映像資料をつくるのと並行し、約14名の参加者が実際に顔を突き合わせて「自分のアートプロジェクトをつくる」という演習形式のプログラムを続けてきました。そこでは、それぞれの方にすごく真摯に自分のモチベーションを見つけ出してほしい、ということを一番のお願いにしていたんですよ。アートプロジェクトなんてやりだしたら、いくらでも面倒な、すぐにめげちゃうようなことばかり出てくるものです。ですが、そのときに「なんで、そもそも自分はこれをはじめたんだっけ?」という原点、つまり自分の本当のモチベーションをしっかり自分でも確認して、さらに一緒に演習を受けている方たちの前で発表し、人に伝えて、それを自分のなかに受け取って、また変えていく。先ほどの言い方をすれば、自分の態度や姿勢をはっきりするために、そんなことばかりやっていたんです。

 参加者はみんな律儀によくやっていました。聞いている側としても、なんでこんなプロジェクトをやろうと思ったのか、興味があるじゃないですか。そうして続けていると、これならウケるよねと話を考えていた人も変わっていくんです。自分自身の核になることを中心に、それを社会に出すためにはどうしたらいいのかを考えはじめた。オンラインではなく、対面で2週間に一度ぐらい集まってきた実感もあり、ものすごく満足感というか、全然捨てたもんじゃないという手応えがあります。

 こんなにも不安というか、何がどうなるか分からない状況のなかでも、無謀といえば無謀ですし、たぬきの泥舟みたいなものかもしれないですが、とにかく荒波のなかに船を漕ぎ出そうと決意する人たちがたくさん出てきて、このプログラムをやってよかったと思っています。

森: 自分は、参加者の選定には加わらず、はじまってからも立場的に部屋のうしろで聞いていたり、たまにコメントしたり、あとは中間と最後の2回、話す場をもったりしていました。これまでを見ていると、簡単に言うと、企業戦士のように合理的かつ効率的に進めている人たちが、アートプロジェクトという言葉を聞いたときに戸惑うんですよ。正解であると思っている振る舞いでいると、芹沢さんが「ちょっと違うんじゃないかな」という柔らかい球を投げていました。世の中が求める振る舞いがあり、それに振り付けられてしまっている人たち、つまり自分の意志ではなく、そのようにしろとされてしまっている「振り付け」がある。それが芹沢さんとのやり取りのなかで 「それって本当にやりたいことじゃないよね」「それは、やらされているんじゃないか」 と、柔らかく振り付けを剥ぎ取るような時間に思えたんです。演習でのやり取りのあと、1週間から2週間の合間に言われたことを反芻して、次回にはなんとなく違うかたちが出てくるのですが、それがまた違うとなって、行ったり来たりする。その贅沢な時間がこの演習の生命線でした。

 また、演習は全8回で終わりということもあり、芹沢さんは一言も「ここまで行きなさい」と言わず、その人なりに行ければいいという接し方や間合いの取り方も魅力だったのではないでしょうか。だからこそ、参加者がみんなバラバラで、バラバラにでも続けているんですよね。それは僕はすごいと思っていて、普通は講座を受けたら一丁上がりで終わってしまう人がいるのに、この演習は終わった後もずるずると続いている。その続けさせてしまう何かを、芹沢さんが種のように渡していた。

 本当にプロジェクトをはじめてしまうと、それはそれで大変ですよね。実際に運営の話になると、これとこれは大変だよというマネジメント講座になります。ですが、その少し手前のところで、あえて芹沢さんは寸止めして、考える場所にしていたんです。

芹沢: ありがとうございます。まあ、いわゆる講座ではなかったですよね。ゲストは毎年3組ぐらいを呼びましたが、みなさん僕が尊敬している生き方の人たちでした。かれらのやってきたことを横で聞いてると、この人たちの生き様だな……と、そんなゲストばかりで、そういう人の話を聞きながら共振していくんです。

 年表とも関係しますが、それは「オーラルヒストリー」のようなものじゃないですか。今は、どんどんそういうものが削ぎ落とされてしまっている。「新たな航路を切り開く」でもいくつもの映像をアーカイブしていますが、かれらの息づかいや、ちょっとした間の取り方、そういうオーラルヒストリー、つまりかれらなりの生き様みたいなものが、最終的には自分に大きな影響を与えていく。

 それは結局、入り口しかつくっていないということでもあります。ですが、その入り口がとてもスカスカにできているので、そこからいくらでも奥に入っていけるんです。

佐藤: おそらくアウトプットや技術を共有するのではなく、その向き合い方やつくり方を学んだり、知ったりすることで、まるでモルモットBと自分とを重ねるように、自分の経験と、ほかの人の経験を比べながら「態度」を共有する場をつくってきたということですね。

森: 演習の参加者たちは、問わず語りで自分語りをはじめるんですよ。私はこうだというように、主語が私になってくるんですよね。1人が語ると、何回か会ってきて気心が知れてるからこそみんなも安心して話し出す。ピアメンタリング的なことも含んでいますが、「私を語っていい時間」と「私は何者かを語らなきゃいけない課題」というのが、この演習の肝なんだと思います。

 普通は、そんな根っこの部分は問われないと思うんです。これができるか、ゴールに向かってどうしたらいいかは問われますが、芹沢さんが「あなたは何者かを自分で決めてこい」ということを柔らかくおっしゃるのは、とても新鮮に感じるだろうと同時に、何かをつくるという根本はそこにある、それさえあれば大丈夫だよと実感できる。

森: ここで僕からも質問があります。芹沢さんは、なぜ「新たな航路を切り開く」でそうした問いを立てられたのでしょうか。というのも、芹沢さんはいつもそういう問いを立ててきたとも思うんです。だからこそ演習では「このやり方を試してみたら?」と投げているような気がします。

 芹沢さんはこれまで大小さまざまなプロジェクトに携わり、場所の経営もし、そうしたなかで「私は何者であるか」という自問自答のようなものが常にあったようにも思えます。この演習は、いわゆる講座としての場ではなく、参加者自身が自分が何者なのかを自問自答するための、その時間のデザインだったのかもしれません。

芹沢: すごく難しい……ですが、そう言われるとそうなのかなと思います。自分が何者かを自問していたわけではないですが、自分の人生を振り返ると「これをやるぞ」と計画を立てる人間ではなくて、ある意味で巻き込まれながらさまざまなことが起きていた、というのが事実ですね。人との会話や、世界の情勢のなかで、自分がピンとくる動きをしている人間と出会うと、ではそれをどのように一緒にやっていくのか、というモチベーションがとても強く、ここまで来ちゃった。それをみんなに強要するわけではないんですけどね。

芹沢: でも、僕はもともと環境計画の仕事をしていたのですが、しかし非常に強い意志で正解はこれだからとか、ビジョンや目標はこれだといって計画を立て、そこに向かっていくことに対して、次第に自分でも矛盾を感じはじめるわけです。たとえば中央の省庁と話をするなかでも、ここよりもこちらの方が立地はよかろうと言いながらも「偉そうによく言うな」みたいな気持ちもあって。こういうやり方ではない計画ができるのだろうか、という自問自答です。

 知人からも「計画を嫌う計画家なんているのか?」と言われたりもしましたが、僕はそのような思いでここまで来たからこそ、そういうやり方もあることを伝えたかったんですよね。

森: 今も何度か「ここまで来ちゃった」とおっしゃっていましたが、非常に自分の意思ではないように話されますよね。それはきっと演習の参加者にとっても、頑張らなくてはならないと思ってるところに、ある種、他人事、成り行き任せではないけど少し握りの軽い感じでいても大丈夫な気持ちにさせる。必死に、切実にこれからはじめようと思って力の入っている人たちにとって、すごくいい励みになる、背中を押す言葉のような気がしますよね。

 そうでないと、最初の一歩が怖くてはじめられないじゃないですか。しかも、いま芹沢さんが語ったことは、基本的にいつも同じように話すんです。芹沢さんと一緒にいると、今日の話は何回目だねという定番の話があるのですが、そうした思いがベースにあるからこそ、それが信条として伝播している感じがします。だからこそ、演習の参加者は、参加した年が違うメンバーであっても、芹沢さんに習ったと言うとたいてい繋がってしまうんだとも思うんです。

佐藤: そんなに計画はしていないと言いつつ、明確に態度表明をされている気がしますね。さきほどの萩原さんのプレゼンも、未完成であることや不確定であることに前向きで、未来を構想するための年表として話されていました。きっと、芹沢さんが全然イメージしていないアウトプットのかたちではあるけれど、芹沢さんが投げかけた態度は伝播していますよね。それぞれの人がバラバラなものをつくるからこそ、そういう伝播する場をつくることが大事なんだと思います。

 今の社会をどのように考え、どのように向き合えばいいのかという態度を、みんなでどのように共有していくのか。状況が厳しくなったり、人それぞれが大変になってきてたりするとき必要な場なんだとあらためて思いました。

これからの航路|港をつくる、船をつくる

佐藤: tarl.jpの年表で1996年を検索すると、「ドキュメント2000」というプロジェクトがありますが、そこでつくられた本が『社会とアートのえんむすび 1996-2000:つなぎ手たちの実践』です。実はこの本の「はじめに」は、隣にいる森課長が書いているんです。さらにもうひとつ 「トヨタ・アートマネジメント講座」も1996年にはじまりましたが、こちらにも森課長は関わっていた。アートプロジェクトや、そのための「人をつくる場」という取り組みの先駆けといえるものです。

 さらにこれを受けるかたちで、続編をつくろうと『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』があり、さらにその続編が、いよいよ紙ではなくてtarl.jpというウェブサイトを媒体にしたという流れがあります。

『社会とアートのえんむすび 1996-2000:つなぎ手たちの実践』を持つ佐藤李青

佐藤: これまでTARLでは、何かをはじめたり、つくっていく場としてさまざまな人材育成プログラムをひらいてきました。そして、シリーズ「新たな航路を切り開く」では「これからの時代に求められるアートプロジェクトとは何か」ということをテーマにしています。

 今日も未来を予測できないという話が何度かありましたが、あらためて、これまでアートプロジェクトの航路を切り開いてきたお二人は、これからの時代のアートプロジェクトについてどういう構想を持っているのでしょうか?

芹沢: 「これからの航路」が何かを予言することはできませんが、とにかく船を出すためには「港」が必要です。修理ができるような小さな港でいいから、その建設は、みんなでずっと続けていく方がいいんじゃないかと思っているんです。どういう航路になるかは船長の無謀さ次第ですが、まずは港がないとネットワークもつくれません。そういうビジョンを持っていますね。

 あとビジョンというと、要するに幻のことですよ。計画の目標とも少し違うんです。ですが、それに騙されて「このように行く」ということもある。時々、シンデレラのことを思うのですが、12時になったら消えてしまう夢でも、彼女のその後の人生を実際に変えてるわけですよね。実は、それがまさにアートプロジェクトというか、アートの持っている特質なんじゃないかなと。この歳になって、ここまでアートを弁護するようになるとは全く思っていなかったのですが。

森: やはり「新たな航路を切り開く」をはじめたときは、そのときがはじめなくてはならないタイミングだと思っていたんです。そこにはこだわっていた。そして、いまからはじめよう、はじめ方をみんなでやろうというのと同時に、いくつかの経験を持って、さまざまなことをやってきたということをまとめて見てみましょう、という時間でした。

 いまはその両方が必要なときですが、もし芹沢さんが「港」をつくろうと言うのであれば、僕は「船」をつくろうという感じなんです。航路に出ていくタイミングは、海が荒れ過ぎてるときには出なくていい。ですが、それでも船ぐらいはつくろうよ、あるいは船のデザインを考える、どういう船なら次に行けるのかを考えようと。このことすらプロジェクトあるいはアート行為だと思えばいいのではないでしょうか。

森: 海に出ないで止まっていると何もしてないようにも見えますが、実際のアクションとしての「船をつくる」でも、あるいは造船でなくても「船をつくるという思考」をするだけでもいい。タイミングのいい状況になれば、行きたい人は先に行くし、出るタイミングではなかったという人はそこで待つだろうし。

 アートプロジェクトの起点が変わったり、状況が変わったりするのは、これはもう仕方のないことだと思っているんです。一律にはできなくとも、そういう準備は必要なはずです。つまり、アートプロジェクトを準備するプロジェクトというと変ですが、そのような気持ちでいます。

芹沢: 船も藁船だと、たとえ難破しても乗ったまま結び直したりするらしいです。 船のつくり方も、立派なタンカーや軍艦ではなく、みんなで軽やかな船のつくり方を考えるというのはいいですね。

佐藤: 「新たな航路を切り開く」で振り返った10年には、 そうした小さな船や小さな港のつくり方があること、みんながさまざまなところでつくりはじめているのが見えてきたことも、大きな発見だったように思います。

* 撮影:森勇馬
* 2026年2月24日実施「これからの航路に向けて」の収録音声をもとに編集・構成

思考の道具としての年表――その機能と可能性(萩原俊矢×櫻井駿介×小山冴子)|これからの航路に向けて レポート②

 2026年2月24日、これからの時代のアートプロジェクトのかたちを考える企画「これからの航路に向けて」をアーツカウンシル東京の会場およびオンラインで開催しました。本企画では、2025年度に事業を終了する「Tokyo Art Research Lab(TARL)」と、その一環として2022年度からはじまったシリーズ「新たな航路を切り開く」、さらにその成果のひとつとしてウェブサイトtarl.jpに実装したアートプロジェクトの「年表」について振り返りました。

このレポート記事は、オンライン配信の文字起こしをベースに編集・再構成し、プログラムの流れに沿って以下の3本にまとめたものです。

    1. アートプロジェクトと併走する学びの場――シリーズを振り返る
    2. 思考の道具としての年表――その機能と可能性[現在の記事]
    3. これからの航路に向けて

* プロジェクトの詳細はこちら
* 配信アーカイブはTARL公式YouTubeチャンネルにて公開

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会場の一角には、これまでの成果物を並べた

 オープニングに続くセッションは「思考の道具としての年表――その機能と可能性」と題し、プログラムオフィサーの小山冴子のほか、tarl.jpのディレクションや年表機能の実装にも携わったウェブディレクターの萩原俊矢さんと、ウェブサイト担当者として企画に伴走してきたプログラムオフィサーの櫻井駿介が加わり、年表の特徴やこれからの役割について語りました。

左から、プログラムオフィサー・櫻井駿介、プログラムオフィサー・小山冴子、ウェブディレクター・萩原俊矢

アートプロジェクトの年表づくり|断面やズレに自分を投影する

櫻井: オープニングのパートで小山さんからコロナ禍の話が出ていましたが、わたしたちはまだコロナの影響のなかにいるともいえます。ですが、それぞれ経験したこともある一方で、そのコロナ禍でさえも思い出す存在になりつつあるようです。そうした時間という強力なものがわたしたちの前にあるなかで、立ち止まって、これまでを振り返る道具としても、この年表の意義があるのかもしれません。

 今が予測不可能で不確かな時代であるからこそ、道標になるようなものとして年表づくりが意図されました。TARL自体が、時代との応答を考えてきたという流れもあり、同時にこれまでTARLを10年以上続けてきて、知見がたまってきたからこその年表づくりだったのだと思います。

 これまで萩原さん自身も、アーカイブや年表づくりの経験はさまざまにあるかと思うのですが、このtarl.jpにある年表の特性や特徴について思うことはありますか?

萩原: そうですね。年表を見る機会を考えると、本の後ろの方に年表があったり、展覧会の会場に作家の生涯を追いかけるような年表があったり、だいたい印刷されていて、ある程度固定された情報を見ることが多いのではないでしょうか。今回、この年表を開発するときにも、最初はTARLのウェブサイトとは切り分けて、年表専用のウェブサイトをつくる案もありました。それは旧来的な、固定された年表をつくるということに近いですよね。

ウェブディレクター・萩原俊矢

萩原: ですが、芹沢さんやみなさんとディスカッションを重ねるなかで、そもそもTARLのウェブサイトに数多くのひとびとや資料の情報、ここまで小山さんが紹介してくださったTARLのプロジェクトの情報がすでにあるので、それらを繋げ、さらに好きなものをいくらでも入れられる箱を考えてみたらどうだろう、という話になりました。

 それは個人的にもすごくやってみたいと思いましたし、さらに、それがウェブサイトならではの年表として「情報を立体的に見る」という大きな特徴になったのだと思います。

櫻井: ありがとうございます。わたしたちも本当に悩みながらつくった記憶がありますね。当初はベータ版として年表を公開しましたが、さらにテストとして実際にユーザーの方に使っていただく機会も設けました。立教大学の小泉元宏教授に協力いただき、興味を持ってくださる学生に声をかけて「実際に年表を使ってみましょう」という会でした。こうした検証はやはりドキドキします……。使ってみて不備はないかな、とか。

萩原: 実際にバグに関する指摘もあり、そういうドキドキ感はすごくありますよね……。

プログラムオフィサー・櫻井駿介

櫻井: 当日は僕も萩原さんも、残念ながら伺うことはできなかったのですが、後日にレポートや映像を見させていただきました。みなさんが使っている様子を見て、萩原さんはいかがでしたか?

萩原: 先ほどの話にも繋がるのですが、年表というと特定の作家についての年表であるとか、特定のアートプロジェクトについての年表のように、しっかりと編集されて、完成された年表として見る機会が多いですよね。ですが、TARLで制作した年表は、ずっとワークインプログレスのような、つくりかけで完成しているような状態です。ウェブサイト上に情報が維持され続け、それを見る側がどのようにグルーピングするかが委ねられています。たとえば、自分の住んでる地域や、気になるキーワードで探してみると、この年表とどのような接点が生まれるんだろう、みたいな。つまり、曖昧な、ぼやっとした情報をスパッと自分の興味でカットしたときに「どういう断面が見えてくるのか」を楽しむところがあるのかなと思っているんです。

 その意味では、この未完成のような、完成のような年表を学生のみなさんに見ていただいたときにすごく印象に残ったアイデアがありました。ある学生さんが、「個人の活動がたくさん載っているから、その人がそのとき何歳だったのかを知れると嬉しい」と言っていて、さらには、そのときの自分の年齢も一緒に並べてみたい、と。そうすると、自分が何歳のときにこの人は何歳で、どういう活動をしていたという見方ができるんじゃないかというアイデアでした。それはすごく面白いなと思ったんです。客観的であるはずの年表が、一気に個人の出来事と紐づいていく感じがしました。

 ほかにも「自分がお気に入り登録した年表と、他の人がお気に入り登録した年表を見比べたときに、どういう違いがあるのかを比べてみたい」という意見もありました。あるいは、「自分が気になると思ってお気に入り登録したトピックをあとから見返してみると、いま自分がこういう研究をしているのは、こういうことに関心があったからなんだ」と、自分自身の人生を振り返る、いわばメタ認知のツールとして使ってくださってる学生さんもいたんです。一人ひとりの使い方が少しずつ違って、感じることも違うという、それ自体が面白い気づきでしたね。

櫻井: たしかに、この年表に自分を投影してくださった、というのをあらためて思いました。年表のなかには現在、約1000件の情報が掲載されています。ですが、この何十年の出来事は、1000件でまとめられるはずはないですよね。それでも、あえてこういう年表としてかたちにしたのは、「新たな航路を切り開く」というプロジェクトになぞらえるならば、「海図」をいったん示してみる、ここにあるんだよということを認識してもらう、いわばヒントのようなものだとも思います。

 それをカテゴリーで絞り込んだりとか、お気に入り登録して自分なりの年表をつくりながら、航路をつくっていく。そう考えると、この年表だけではなかなか成立はしなくて、そこに自分をどう置くのかを含めて成立するものになったんだなと感じました。

小山: ほかにもウェブサイトならではの展開が考えられる面白いアイデアもありましたね。たとえば、この年表には出来事の情報として「場所」の情報を入れていますが、これをGoogleマップと紐づければ、その地域で何があったのかを地図から見られるというもの。

 きっと、紙のように固定された年表だとそれ以上変えようがない部分を、オンラインあるいはAIが進化する時代だからこそできるアイデアがたくさんあることに気付きました。そういう機能面においても、ユーザーが新たな使い方や展開を考えていけるのかもしれません。

プログラムオフィサー・小山冴子

萩原: そうですね。そもそも「年表」そのものがとても面白いフォーマットですよね。情報の捉え方は本当にたくさんあって、たとえばいま手に持っているマイクにも、黒という「色」の情報があったり、「長さ」もあれば、話者用に1番、2番と「ナンバリング」が振られていたり。人間も、住んでいる場所や名前など、さまざまな情報を持っていて、もはや何でもありとさえ思うんです。ですが、粒感の異なるさまざまな情報があるなかで、年表だと全部、背の順のように「年代順」で強制的に並べられる。これはある意味、暴力的に「年」で串刺しにしてしまうツールだということです。

 一方で、自分にとっては10代の頃に聴いたあの音楽が、すごく影響を及ぼしている、それを昨日のことのように覚えてる……というように、実は人間の主観はとても揺らいでいます。とても印象に残っている些細な出来事に対しても、年表ではそれをグローバルな時間軸へと強制的にはめ込んでしまうので、「あれ? 私この音楽を聴いてるとき、世の中ではこんなことが起きていたっけ?」というようなズレが生じます。

 さきほど挙げた「自分の年齢と比較する」という閲覧体験に戻ると、そこで自分自身の体感とズレが生じることもあると思っていて、それも面白いですよね。年表を通じて、自分なりの認識のズレと、社会との往復ができるのかもしれません。

櫻井: ズレでいうと、この年表を見ていると自分の思うあの出来事が載ってない、というのもむしろ分かったりして、それは、写し鏡のように自分を見ている感じもします。自分の関心とか、アイデンティティーが浮かび上がる体験なのかもしれませんね。

準備して使うささやかなツール|汎用化されにくい貴重な情報源

櫻井: ここまで、萩原さんからも「ツール」という言葉が何度か出てきましたが、まさに、このセッションのタイトルは「思考の道具としての年表」となっています。このtarl.jpというウェブサイト、あるいは年表機能に対して「道具」という言い方に違和感はあるでしょうか? これまでウェブサイト制作に携わってきた萩原さんの経験や身体において、すっと入り込む言い方なのか、道具という言葉との距離感についてでも構いません。

萩原: この年表が果たして「道具」なのか、というとすごく難しいです。道具としても使える、けれども道具でもないような感じもしていて。

 最近のインターネットには、すごく味付けの濃いコンテンツがたくさんあると思っています。たとえば、次から次に役に立つような、役に立たないような、強制的に関心を引き出すような情報です。ショート動画をずっと見てしまって、それが辛い人も、辛くない人もいらっしゃると思います。あるいは、AIも含めて、すぐさま人の役に立つものが、世の中に数多くありますよね。

 一方で、TARLの年表は味付けが薄いというか、出汁が濃いというか「自分たちで迎えに行かなきゃいけない」感覚があります。「この情報は自分にとってどういう意味があるんだろう」であったり、「このときにこの人がこれをやっていたと気付いたけれど、この自分の気付きってどういうことなんだろう」であったり。興味関心の上で、自分からしっかり年表とインタラクションする気持ちで向かっていかないといけない。言い方は難しいですが、ショート動画を見続けて自分が漏れ出していく感じとは異なる情報との戦い、あるいは触れ方なんだと思います。

 その意味では「ささやかなツール」ですよね。昨今のウェブサイトやアプリケーションの道具化に対して、とてもパンチ力の弱い、うまく使わないと使えない道具だと思っています。そして、情報から強制的に能動性や注意を引き出される現代において、自分でしっかり能動性を持たないと使えない、準備しないと使えないという感覚は、個人的にもとても大事に思っているんです。結局、自分でやらないと何も得られない、情報側から自分を引き出してはくれないという距離感が、この年表の魅力だと感じています。

櫻井: 何かそこに大事なものがある気配がします。年表に向き合っていると、まさに準備をしないと使えない感覚があったりとか、SNSを使う感覚で使えないものということをあらためて感じます。

 いまはブラウザに検索キーワードを入れると、AIが答えを一番上に出してくれますが、そうはいかない。この年表はハイテクノロジーではない年表ではありますよね。ですが、だからこそ自分のことをもういっかい知るであるとか、少し遠回りする機会が生まれる気がします。最後に自分の思考がないと完成できない道具、その意味でも未完成な道具なのかなと話を聞きながら思いました。

 一方で、昨今のAIが普及した時代においてローテクノロジーの年表であるとすると、今後もこの年表がインターネット上にあり続けることによって、むしろAIのような技術とどのように共存していけるのでしょうか。年表だけではなく、このウェブサイトのあり方が変わるのかも含めて気になりますが、萩原さんはどのように感じているでしょうか?

萩原: 僕があらためて言うことではないですが、やはりAIがすごい勢いで普及し、かつ高度なことができるようになっています。ウェブやアプリケーション開発の現場でも、人間は見ているだけとは言わないですが、ディレクションあるいは考えを伝える側に徹して、つくるのはほとんどAIという状況になりつつあります。

 そこで、AIに「このtarl.jpの年表ってAI的に使いやすいですか?」と聞いてみると「若干、使いにくい」みたいな返答だったんです。その理由も聞いてみると、やはり最近のウェブサイトやSNSは、だいたい同じぐらいの文字数でつぶやいていたり、情報が届きやすいように汎用化されたアイデアや知識、たとえばオススメの展覧会5選みたいにフォーマット化されて発信されていますよね。そういった情報は参照しやすく、「今週のおすすめの展覧会は何?」と聞けばすぐに答えることができます。

 その一方で、年表やtarl.jpというウェブサイトは全体的に高文脈にある気がしますよね。たとえば「多摩地域でアートプロジェクトをやるとはどういうことなんだろうか」であったり、「わたしたちにとってこの実践ってどういう意味があるんだろうか」のような、個人の航路ともいえるような、個人の実践に根ざした情報を扱っている。だからこそ 、そもそもそういう質問の仕方を人間がAIに対してしないので 、汎用化された回答として参照されにくいのだと思います。

萩原: ここからは僕の意見ですが、だからと言ってその情報に意味がないわけではなくて、ここにあるさまざまな実践からくる情報群はとても貴重なものです。汎用化された情報が価値を持ちやすい時代だからこそ、高文脈な情報がAIから参照されにくいという理由で見過ごされてしまうのは、もったいないことだと思います。むしろ、一見すると汎用化されにくい情報だからこそ、自分から関わりにいったときに大きな影響を受ける可能性がある。興味関心を持ち、自分の人生と比べ、誰もまだ発見していないようなものを自分のなかに発見するということ。それは、自分だけの宝物になりうるものです。そうしたことが今こそ大事な時期なんだ、と思っています。

櫻井: その話を聞くと、tarl.jpの年表の見出しが本の背表紙のようです。きっと、その奥にはさまざまな方々のオーラルヒストリーや、それぞれの個人的な年表が複雑にあります。そうした情報を引っ張り出したり、見つけ出したりする道具としても年表があるということが、tarl.jpの特性ということだと思います。Tokyo Art Research Labは、この汎用性の低さをあえて続けてきたんだなと、あらためて感じますね。

これからの航路を考える|たぐり寄せて構想する姿勢

櫻井: 本日の企画のタイトルに「これからの航路」という言葉があります。僕自身、文化事業に携わりながら10年、20年、30年先を考えるとはどういうことかを最近は考えていますが、そのときに、大きく2つの視点があるように感じています。

 ひとつは「30年後はこうなっているんだろうな」と、なんとなく社会を見越すみたいなこと。もうひとつは10年後、20年後、30年後に「こうしたい」「こうなるために自分でこう動こう」 「自分でつくっていくんだ」という自分でつくるという話。つまり「30年後を考える」という言葉にもそうした両面があるなと思っています。

 僕自身、前者の「なんとなく社会状況を予想する」という意味で30年後を考えてしまいがちなんですが、この年表であったり、TARLが続けてきたことはあくまで後者の「自分がどう30年後に関わっているのかを想像する」ことなのかなと思いました。

 こうした時間軸への感覚のようなもので、ウェブ制作に携わってきた萩原さんが感じていること、あるいはこの年表に思うことや委ねることがあれば伺いたいです。

萩原: AIの話ばかりで恐縮ですが、本当にAI以前とAI以後で人の生活や価値観、仕事の仕方も変わっていくだろうなと思っているんです。これは未来予想になってしまいますが、 10年後、あるいは5年後、人間が今まで労働としてやってきたことの多くをAIが担う未来が来たときに「じゃあ、わたしたちは何に興味を持って、何に生きる喜びを感じていくんだろうか」と。

 それは、とても不安になることでもあります。ですが、個人的には「いや、AIがこうやって出てきてるから、自分の生き方はこうしていきたい」というように「未来を予想する」のではなく「たぐり寄せて構想する」という姿勢でテクノロジーに触れ合うことが、今こそ重要だと感じています。

 そうしたときに、たとえば、ある作家に自分は影響を受けてるので、その作家名で検索して「この人はこういうプロセスで自分の航路を切り開いていったんだな」と、過去の実践に気が付くツールとして年表を使ってみる。そうすると、「じゃあ、自分はこれからどう動いていこうか」であったり「こういう本を読んでみようか」であったりと、興味を掻き立てられる。そのように、さまざまな方々の出来事や社会情勢が、さまざまな粒度で並んでいる年表をきっかけに「構想する」ということに繋げていけるといいなと思っています。それは自分でも試してみたい使い方のひとつですね。

櫻井: わたしたちが体感している世の中の出来事って、年表で形になっているほどシンプルではなくて、社会のことであったり自分自身のことが複雑に絡み合っているはずなので、その体感を主役にして年表を使っていく、インターネットと付き合っていくということが、ひとつの態度なのかもしれません。

萩原: そうですね。tarl.jpのウェブサイトも年表も、パソコンでもスマホでも簡単に使えるように頑張ってつくりました。ぜひ、みなさんに触ってもらえたら嬉しいです。

* 撮影:森勇馬
* 2026年2月24日実施「これからの航路に向けて」の収録音声をもとに編集・構成

>レポート③「これからの航路に向けて」はこちら

アートプロジェクトと併走する学びの場――シリーズを振り返る(小山冴子)|これからの航路に向けて レポート①

 2026年2月24日、これからの時代のアートプロジェクトのかたちを考える企画「これからの航路に向けて」をアーツカウンシル東京の会場およびオンラインで開催しました。本企画では、2025年度に事業を終了する「Tokyo Art Research Lab(TARL)」と、その一環として2022年度からはじまったシリーズ「新たな航路を切り開く」、さらにその成果のひとつとしてウェブサイトtarl.jpに実装したアートプロジェクトの「年表」について振り返りました。

このレポート記事は、オンライン配信の文字起こしをベースに編集・再構成し、プログラムの流れに沿って以下の3本にまとめたものです。

    1. アートプロジェクトと併走する学びの場――シリーズを振り返る[現在の記事]
    2. 思考の道具としての年表――その機能と可能性
    3. これからの航路に向けて

* プロジェクトの詳細はこちら
* 配信アーカイブはTARL公式YouTubeチャンネルにて公開

 オープニングは「アートプロジェクトと併走する学びの場――シリーズを振り返る」と題し、「新たな航路を切り開く」の企画・実施に伴走してきたプログラムオフィサーの小山冴子が、TARLのこれまでの変遷を辿り、「新たな航路を切り開く」の実践について語りました。

プログラムオフィサー・小山冴子

Tokyo Art Research Lab のはじまり|アートプロジェクトに必要な知の獲得と言語化、そして共有

小山: Tokyo Art Research Lab(TARL)は アートプロジェクトを実践する人々にひらかれ、ともにつくりあげる学びのプログラムです。2010年の開始時点から、現場の課題に応じたプログラムやコンテンツの開発、ゲストや講師とともにワークをおこなうゼミや講座、プラットフォームとしてのウェブサイト運営などを通じて、社会におけるアートプロジェクトの可能性を広げることを目指しさまざまなプログラムを実施してきました。

 2010年に発行した一番最初のTARLのシラバスには以下の通り書いてあります。

国内各地で現存する事例を掘り下げて検証する。未検証の現場を分析する。このことによって 生活圏のなかでアートプロジェクトを実施していくために必要な「知」と「スキル」の確立を目指していく

Tokyo Art Research Lab シラバス「『アートプロジェクト』を研究するプロジェクト始動!)

 各講座でまとめられた成果物は、PDFデータとしてもtarl.jpで公開されています。これはアートプロジェクトに関わるさまざまな地域の方にもひらかれたものです。また、TARLが2010年に発行したレポートでは、本事業のディレクター・森司が次のように書いています。

アートプロジェクトを展開する上で必要な知をアートプロジェクトに関わるみんなで更新可能にする、オープンソース化という環境の整備はTARLの目指す最終ゴールの1つだ

Tokyo Art Research Lab ―REPORT 2010―「TARL トラの巻」)

 TARLウェブサイトは 2022年に大幅なリニューアルをおこない、さらに2025年には地域との連携や実践課題に向き合う方法を考える、文化事業の担い手のためのプラットフォーム「tarl.jp」としてアップデートしています。まさにTARLでは、立ち上げの頃からアートプロジェクトに必要な知の獲得と言語化、そして共有を目指して、講座の開講や資料の制作、ツールの開発、ウェブサイトの構築などを進めてきたのです。

東京アートポイント計画との連携|研究成果やスキルを現場に提供する循環

小山:  TARLの大きな特徴は、東京アートポイントと連動したプログラムであることです。アーツカウンシル東京では2009年から、地域社会を担うNPOを中核に 東京都とアーツカウンシル東京が共催でアートプロジェクトを実施し、社会に新たな価値観や創造的な活動を生み出すための創造拠点「アートポイント」をつくる事業「東京アートポイント計画」を実施しています。

 東京アートポイント計画では、当たり前を問い直す、課題を見つける、異なる分野をつなぐ――そうしたアートの特性を活かし、実験的なプロジェクトをとおして、個人が豊かに生きていくための関係や仕組みづくり、コミュニティ育成に取り組んできました。これまでに都内各地で62団体と49の事業を実施しています。

発表スライドより(東京アートポイント計画の活動)

>共催事業一覧はこちら

小山: このように、都内各地でさまざまなアートプロジェクトが動き、実践を続けていると、その時々に必要な技術や掘り下げるべき事柄・課題が出てきます。それらを研究し、必要なツールを開発したり、課題となっている事柄自体を探求するような取り組みの場としてTARLという事業がありました。

発表スライドより(東京アートポイント計画とTokyo Art Research Labの関係)

小山: つまりTARLはアートマネジメントを学ぶだけではなく、アートプロジェクトの現場と併走する学びの場である、ということが大きな特徴です。アートプロジェクトを実施していると、活動のなかで、これまで見えてこなかった課題が見つかることがあります。それは、実施するプロジェクトの性質はもちろんのこと、地域や社会と関わる活動だからこそ見えてくるものです。

 必然的にTARLが実施する講座の内容や手法も課題に応じて変化してきました。都内各地で実験的なアートプロジェクトを実施するとき、東京アートポイント計画と連携することで時々の現場の課題に応じたプログラムを構築し、研究成果やスキルを現場に提供するという循環が生まれます。この連環によってTARLは社会の変化に応答し続けてきたのです。

Tokyo Art Research Lab の変遷|アートプロジェクトを継続する環境づくり

小山: TARLの変遷を大まかにまとめてみると、だいたい4年ごとに大きな変化があることがわかります。2010年にリサーチ型の人材育成プログラムとしてはじまったTARLでは、「つくる」「支える」「評価する」「伝える」「記録する」の5つのカテゴリーで、さまざまな形式で10の講座を開催しています。アートプロジェクトをはじめるための基礎的な講座や、プロジェクト運営のノウハウを学ぶ講座、批評家養成講座や評価についてのゼミ 、アートプロジェクトのアーカイブやドキュメンテーションを考える研究会、あるいは法律について学ぶプログラム。そして1990年代からの日本におけるアートプロジェクトを検証するリサーチプログラムなど、さまざまなものがありました。

 その後、アートプロジェクトを継続するために必要な環境整備や、担い手を育てる方法を考えるなかで、アートプロジェクトを動かすマネジメントの基礎を学ぶスクールプログラム「思考と技術と対話の学校」を2014年に開始します。

 さらに、2017年にはそのコンセプトを「“動かす人”から“紡ぐ人”の育成へ」と更新し、アートプロジェクトを他者に伝えるための言葉や体験づくりの技術を養うプログラムを開催しました。

 2018年にはアートプロジェクトをつくる技術に力点を置き「東京で何かをつくるとしたら?」という投げかけのもと、ナビゲーターと公募で集まったメンバーがチームとなりスタディを重ねる「東京プロジェクトスタディ」というシリーズがはじまります。ここでは、東京アートポイント計画に伴走する専門スタッフ、プログラムオフィサーが、スタディマネージャーとなり、議論と実践を深めていきました。

発表スライドより(TARLの変遷)

小山: このスタディから生まれたプロジェクトのうちいくつかは、その後の東京アートポイント計画の実施に繋がるなど、TARLには新しいアートプロジェクトをつくるための取り組みという側面もありました。現場の実践、そして積み上げのなかで、これからのアートプロジェクトを継続するための技術は何か、いま必要なものは何か、現場の声を聞きながら検討し進んできたというプロセスがTokyo Art Research Labのこれまでの歩みとなります。

Tokyo Art Research Lab の変遷|「新たな航路を切り開く」まで

小山: こうしたTARLの変遷を経て、2022年からスタートしたプログラムが「新たな航路を切り開く」です。2011年以降に生まれたアートプロジェクトとそれらを取り巻く社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズとしてはじまりました。ナビゲーターは P3 art and environment(P3)統括ディレクターの芹沢高志さんに務めていただいています。

 2022年は、新型コロナウイルス感染症の拡大、いわゆるコロナ禍というものが、さまざまな波がありつつも落ち着きを見せはじめた頃でした。その後、2023年の5月には「5類感染症」に移行し、コロナ禍の法的な制限は実質的に終了しますが、2022年はまだまだ混乱し、さまざまな困難や状況の変化が数多くあった時期だったと記憶しています。

 そうした流れのなか、TARLでもこれまで続けてきた「思考と技術と対話の学校」を一区切りとし、次の展開をどうしていくのか、何が必要なのかを今一度議論するタイミングでした。

小山: 「新たな航路を切り開く」を実施する前提として、TARLでは2010年に、東京藝術大学の熊倉純子教授をコーディネーターに迎え、日本におけるアートプロジェクトを検証しそれらの活動を考察・分析するプログラムを実施していました。その内容を素材に再編集し、水曜社から出版された書籍が『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』です。ここには日本型アートプロジェクトの年表が参考資料として付属していました。この本が出たことによって、アートプロジェクトの変遷を流れで捉えることのできる資料ができたともいえます。

 それから10年が経ち、社会状況が変わるなかでも、TARLではこれからのアートプロジェクトをどうしていくのか、これからのプロジェクトをつくる人々を育てる必要性を変わらずに持ち続けています。そうすると、まずはその担い手となる人々がこれからのプロジェクトを考えるための資料が必要となるはずです。さらに、熊倉教授のアートプロジェクトの本から約10年が経過していたこともあり、あらためて今を考えるために参照する「年表」が必要なのではないか、という議論となりました。また、年表をつくるのであれば、紙ではなくてオンライン上で展開する年表とすることで、これからの時代は活用の幅が広がるのではないかと考えたのです。

小山: そこで、P3の芹沢高志さんにナビゲーターとして入っていただき、これからの時代を考えるためのプログラムを構築することとなります。特に年表をつくるにあたり、アートプロジェクトは関わる人々も規模もさまざまであり、全体を網羅することが難しいというなかで、芹沢さんの目線をひとつの軸にした年表制作をお願いすることとなりました。

 芹沢さんは、このシリーズに寄せたテキストで以下のように書いています。

激動する時代のなかで、ものの見方から行動様式に至るまで、さまざまな局面で本質的な更新を余儀なくされている。それはアートプロジェクトについても同様で、私たちは今、アートプロジェクトのあり方や進め方に関して、新たな時代に対応する変更を求められている。

 芹沢さんは 2002年に北海道で開催された、とかち国際現代アート展「デメーテル」のディレクターや、横浜トリエンナーレ2005のキュレーターなど、さまざまな国際芸術祭を手掛けてきました。また、そのかたわら、小さな活動体が集まる事業「アサヒ・アート・フェスティバル」の事務局長の経験や、個人としてもさまざまな地域の小さなアートスペースにも目配せしながらそれら全体の環境を考えているということもあり、その目線をもって「新たな航路を切り開く」がはじまることとなりました。

「新たな航路を切り開く」の展開|2011年以降の社会とアートプロジェクトを俯瞰する

小山: これからの時代を考えるにあたり、「新たな航路を切り開く」では、大きく分けて3つのプログラムを実施しました。

 ひとつが、実践者の語りを中心とした映像資料の制作です。まず「ケーススタディ・ファイル」というシリーズでは、2011年以降に生まれた多様なアートプロジェクトを取り上げ、どのようにプロジェクトが発生し、続いてきたのか、これからどこへ向かおうとしているのか、13組の実践者が語っています。震災以降、どういうモチベーションで、どういうきっかけがあって、何を考えながら、どのように展開させてきたのかということを聞き、それを映像資料としてアーカイブしました。また同時に、社会全体を俯瞰する視点から、独自の専門性を持つ5名の方が語る映像シリーズ「アートプロジェクトと社会を紐解く5つの視点」も制作しています。さらに、2011年までにおいても独自の航路を切り開いてきた3名のゲストが語る映像シリーズ「3つの航路」も公開しています。

 二つ目のプログラムが、ゼミナール形式の演習「自分のアートプロジェクトをつくる」です。これは毎年約14名の参加者を募集し、約4ヶ月の間に、その人自身が何を課題意識とし、自分のなかにどんな問いを持っているのかを深める企画となっています。

 三つ目が、2011年以降のアートプロジェクトと社会を俯瞰する年表の制作です。2022年からデータの収集・整理をおこない、現在、ウェブサイトtarl.jpに実装しています。

tarl.jp 年表ページ

小山: この年表には、いくつかの基準でデータを掲載しています。ひとつは、ここまで紹介した「新たな航路を切り開く」の各プログラムに出演いただいた実践者たちに関わる出来事のデータが軸として入っています。かれらは、この15年ほどを俯瞰するために声をかけてきた人々でもあり、その周辺の出来事に加えて芹沢さんが監修した「社会的な出来事」が加わることで、さまざまな個人がどのように動いてきたのかが見えるのではないか、という狙いがあります。

 ベータ版としてウェブサイトに年表を実装したのは2025年の1月でした。そこから機能やデータを追加してきましたが、実際に触っていると 2011年以降の出来事のみならず、もう少し広い目線で見てもいいのではないかという議論になりました。そこで2010年以前のアートプロジェクトやそれにまつわる動向として、先ほどご紹介した『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』の年表などを参照し、新たに項目を加えています。

 そうすると、約30年にわたる年表となるのですが、たとえばファーレ立川が30周年を迎えていたり、30年という単位で考えるとさまざまな節目や展開が見えてきます。さらに、まちなかのアートプロジェクトや美術館ではラーニングが重視され、まちの中に出ていくこと、人々の学びの場として開いていく流れもあります。そうした文化施設と街場のアートプロジェクトの関わり合いが見えてくるきっかけとして、わたしたちが所属する公益財団法人東京都歴史文化財団所管の都立文化施設の変遷や、アーツカウンシル東京によるアートプロジェクトの展開の一部も加えています。年表の掲載項目についての詳細は、tarl.jpの「年表の使い方」ページをご覧ください。

小山: わたし自身はTARLのはじまりから関わっていたわけではありません。ですが、これまでの資料や流れを辿ってみると、当初からアートプロジェクトを継続するためにはどういった知見が必要なのか、環境を整えるにはどのような取り組みをすればいいのかを考え続けてきた事業であるということを、あらためて振り返ることができました。

 ここからは、ウェブサイトtarl.jpに実装した「アートプロジェクト年表」について、ゲストの萩原俊矢さん、聞き手の櫻井駿介さんとお話をしていきたいと思います。

* 撮影:森勇馬
* 2026年2月24日実施「これからの航路に向けて」の収録音声をもとに編集・構成

>レポート②「思考の道具としての年表――その機能と可能性」はこちら

2025レポート③ 最終発表:自分なりの「言葉」がつかめたら、実現への第一歩を踏み出してみる

2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらを取り巻く社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズ「新たな航路を切り開く」。P3 art and environment 統括ディレクターの芹沢高志さんをナビゲーターに迎え、この10年間の動きを俯瞰する年表制作や、ゼミ形式の演習を実施してきました。

このシリーズのなかのプログラムの一つ、演習「自分のアートプロジェクトをつくる」は、アートプロジェクトを立ち上げたい方やディレクションに関心のある方を対象としています。2025年度は10月初旬から翌年2月中旬まで約4ヶ月にわたって実施しました。週末の会場は回を追うごとに静かな熱気を帯び、休憩時間には受講生同士が熱心に感想を交わす様子が印象的でした。

この演習の様子を、3つの記事でレポートします。

レポート① ディスカッション:自分のなかから生まれる問いをつかまえる
レポート② ゲストによるレクチャー:客観性と衝動、偶然性を持ち続ける
・レポート③ 最終発表:自分なりの「言葉」がつかめたら、実現への第一歩を踏み出してみる

ゲスト回や受講生同士のディスカッション、中間発表を経て、それぞれが考える「アートプロジェクト」の言語化に挑戦してきた受講生たち。当初の構想から何度も練り直して、悩み、もがきながら、自分が本当にやりたいことを探り、なぜそのプロジェクトをやりたいのか、その根幹に迫っていきました。

受講生たちがかたちにしようと構想した企画は、自宅の駐車場を会場に、まちに柔らかくコモンの場を開いていこうとするものや、アートプロジェクトの「広報」について考えるべく論文の序章にも似た壮大な構想を考えたもの、自らの足で全国各地のシェルターをめぐりながら、現場を知ることに軸を据えたもの、東京を離れ移住先で今後の実践を積み重ねようとするものなど、そのあり方はさまざま。

最終発表では、受講生それぞれの発表に対して、ナビゲーターの芹沢さんとアーツカウンシル東京の森から、コメントやアドバイスが寄せられました。演習の最終日には運営スタッフも加わり、全員で本講座についての感想や気づいたことを共有し合う座談会形式のフィードバックを行いました。

受講生一人ひとりに講評する芹沢さんと森。芹沢さんからは、たびたび「(そのプロジェクトを)とにかく一回やってみればいい」というアドバイスが飛び出した。
受講生による構想発表を行った後、質疑応答の時間を設けた。発表直前まで内容を考え続けたという受講生も少なくなかった。
自らのルーツや感覚特性を起点に、信頼できる仲間とともにはじめたコミュニティについてさらに構想を深めるための企画発表を行った受講生もいた。

受講生たちからは、「この演習のように、自分が頭のなかで考えているまだかたちにはなっていないことを話し合う場があるのは、とてもありがたかった」「何をすればいいのか最初はよくわからなかったが、最終発表までやってみて、自分のなかでやりたいことが腑に落ちた。魔法のような時間だった」「アートプロジェクトが完成する手前にある、立ち上がるまでのプロセスをみんなで共有できたことが貴重だった」といったフィードバックがありました。構想したプロジェクトの大小や内容に関係なく、とても満ち足りた表情で話す一人ひとりの様子が印象的でした。

最後に、あらためて受講生のみなさんに向けて、ナビゲーターの芹沢さんより、演習を振り返ってのメッセージをご紹介します。

2025年度「演習|自分のアートプロジェクトをつくる」を終えて

2026年1月31日、2月1日の両日にわたって行われた「最終発表」を終え、「新たな航路を切り開く」の2025年度「演習|自分のアートプロジェクトをつくる」の全工程が無事に終了しました。今回は例年にも増して参加者同士の相互ディスカッションが熱気に満ち、ことの大小は問わず、確かにここから何艘もの小舟が荒海に漕ぎ出していくのだろうという予感を確かにして、ナビゲーターを務めた喜びを深く噛み締めました。

理由はさまざまあると思いますが、世界的に見ても、知性というものへの言葉にならない反発が大きく広がりつつあるように思います。知性は権威的な態度と結びつきやすいから理解はできるのですが、悲しいことです。しかしこのような風潮のなか、「自分で考える」というなんでもない、当たり前のことが、とても勇気のいることになりつつある気もします。時代の空気に飲み込まれることなく、自分自身で大切と考えることを見つけ出し、実行に移していく。それこそがこの「自分のアートプロジェクトをつくる」という演習の、根幹にある考えであると思っています。今回全員がみな等しく、自らのモチベーションと真摯に向き合っていく姿がとても印象深く、心の底からやって良かったという実感をもつに至ったのです。

2024年度のレポートでも触れたことですが、ハラルド・ゼーマンが組織した歴史的な展覧会、「態度が形になるとき」が開かれたのは1969年のことでした。その頃から、アートをアートピース(作品)としてだけに捉えず、全体をプロセスとして見ていく見方が生まれはじめていました。アートを、周囲との応答のなかでダイナミックに創造、形成され続けていく全体的なプロセスとして捉える視点です。まさにいま、我々がアートプロジェクトという用語で語る一群の表現に当てはまることです。

結局この演習は、そうした「態度」の演習であったのだといまは思っています。「態度」である以上、それはわれわれが生きる「態度」に他なりません。狭い意味でのアートに向き合う態度ではなく、それも含めた、われわれの生きていく「態度」、時代や社会と向き合い生きていく、そのトータルな「態度」ということになる。その「態度」が形になるとき、それはアートに限りなく近づいていきます。他者が身体で触れ、見聞きし、味わい、自分の人生、自分の「態度」と比べていく。伝心し、共鳴し、共感し、あるいは反発していく。こうして一人の表現者と社会や時代が応答していくことになるのでしょう。この、いろいろな意味で問題山積みの時代や社会にあって、このような応答関係こそが時代を、社会を揺り動かしていくものだと信じています。

応答に正解というものはありません。いや、正解なるものに全員が落ち着けば、そこで応答は終わります。そして応答がなくなれば世界は死んでいく。終わりなき応答こそが、この世界を生き生きとさせ続けていく命の源泉ではないのかと思うのです。大袈裟に思われるかもしれないが、この演習とは、生き生きと生きるための演習ではなかったのかと思うのです。

ゲストとしてお呼びした武田知也、小沢剛、野田智子のみなさんは、それぞれ生きることとアートプロジェクトを分けては考えない、まさにそういう態度の実例そのものだったと思います。だから同席したみんなも深く共鳴したのだと思います。

参加してくださった受講生のみなさん、運営チームのみなさん、ゲストに来てくださったみなさん、本当にありがとうございました。非常に手応えのある4回目の演習となりました。

芹沢高志

2025年度の演習「自分のアートプロジェクトをつくる」は、終了しましたが、受講生たちのアートプロジェクトは、ここからがスタートです。自らの「生きる態度」を社会との応答のなかに投じ、かたちにし続けていくプロセスそのものが、世界を、そして自分自身を生き生きとさせ続けていくに違いありません。

撮影:齋藤彰英

2025レポート② ゲストによるレクチャー:客観性と衝動、偶然性をもち続ける

2011年以降に生まれたアートプロジェクトと、それらを取り巻く社会状況を振り返りながら、これからの時代に応答するアートプロジェクトのかたちを考えるシリーズ「新たな航路を切り開く」。P3 art and environment 統括ディレクターの芹沢高志さんをナビゲーターに迎え、この10年間の動きを俯瞰する年表制作や、ゼミ形式の演習を実施してきました。

このシリーズのなかのプログラムの一つ、演習「自分のアートプロジェクトをつくる」は、アートプロジェクトを立ち上げたい方やディレクションに関心のある方を対象としています。2025年度は10月初旬から翌年2月中旬まで約4ヶ月にわたって実施しました。週末の会場は回を追うごとに静かな熱気を帯び、休憩時間には受講生同士が熱心に感想を交わす様子が印象的でした。

この演習の様子を、3つの記事でレポートします。

レポート① ディスカッション:自分のなかから生まれる問いをつかまえる
・レポート② ゲストによるレクチャー:客観性と衝動、偶然性を持ち続ける
レポート③ 最終発表:自分なりの「言葉」がつかめたら、実現への第一歩を踏み出してみる

2025年度のゲストは、武田知也さん(舞台芸術プロデューサー/一般社団法人ベンチ 代表理事)、小沢剛さん(美術家/東京藝術大学教授)、野田智子さん(アートマネージャー/Twelve Inc. 取締役)の3名。
それぞれのゲストによるレクチャーと、受講生とのディスカッションの様子をご紹介します。

武田知也さん(舞台芸術プロデューサー/一般社団法人ベンチ 代表理事)

アートマネージャーの可能性を拡張させる「一般社団法人ベンチ」の活動

11月8日(土)のゲストは、武田知也さん(舞台芸術プロデューサー/一般社団法人ベンチ 代表理事)。武田さんは、20代の頃から舞台芸術に関するマネジメント業務に幅広く携わっています。お話を伺うなかで印象的だったのは、一個人としてよりよい作品をつくりたいという想いの強さはもちろん、鑑賞者、制作者、演者を含め、舞台芸術界にかかわる人々全体にとってよりよいものにするためにどうするか、という考えが軸にあること。

レクチャー冒頭で紹介されたアートマネージャーで組織されたコレクティブ「一般社団法人ベンチ(以下、ベンチ)」の活動も、その考えを体現する一つです。演劇やダンスにかかわるアートマネージャーは、組織に所属せず個人/フリーランスで活動する人が多いと言います。そのためベンチは、「個人では受注が難しい仕事を実現する受け皿として機能すること」と、「個人が制作現場で得たノウハウや課題などをコレクティブ内で共有し、アートマネージャーの可能性を拡張させていくこと」という理念を掲げています。その背景には、過去に体調を崩す仲間の姿があったのだそう。例えば、体力を必要とする場面も多い演劇の仕事では、年齢が上がるにつれ気力だけではカバーし切れなくなることや、責任は増す一方で、収入はなかなか増えない厳しい一面があります。そうした背景を理由に、このコレクティブとしての活動が展開されています。

またベンチは、日本有数のビジネス街である大手町・丸の内・有楽町エリアを舞台に創造的なシーンをつくりだすことを目指す「有楽町アートアーバニズムYAU」の活動拠点の運営にも参画。多様な人々が交差する稽古場を立ち上げるなど、新しい演劇環境の創出を試みています。倉田翠さんが演出・構成を手がけたパフォーマンス『今ここから、あなたのことが見える/見えない』では、ビジネスパーソンが多く集まる場所という特徴をいかし、一般公募によって集まった同エリアの働き手たちが倉田さんと徹底的にコミュニケーションをとったうえで舞台上で自らのことなどを語るという企画プロデュースに携わりました。また、デイサービス施設でのレジデンス事業を中心とした「クロスプレイ東松山」のように、地域福祉や都市といった枠組みにアーティストを介在させるプロジェクトなども展開しています。

やむに止まれぬ自発性を尊重する

近年の武田さんの活動の根底には、武田さんがベンチとしてかかわったある公演へのレビューに覚えた「違和感」があるのだと言います。その公演は、バレエ経験のある人を公募し、オーディションによって選ばれた人々が出演するというものでした。そのレビューのなかで、「市民参加型という名目」のもと、「搾取になりかねない」という趣旨の指摘がありました(註:一部、レビュー内で事実と異なる指摘があり、後日、訂正文が追加された)。武田さんは、そのなかで指摘されている「演出家やプロの出演者」と公演に参加する「市民」という分け方に着目。その指摘が、演劇が「舞台に立つ人」=サービス提供者と、「観劇者」=消費者という二項対立の前提に立った視点に感じられ、それは、芸術がうまれる起点となるはずの一人ひとりの「止むに止まれぬ自発性」が、資本主義的倫理観によって矮小化されていないか? という問いを考えるきっかけになったのだそうです。

武田さんは、かつてかかわった維新派の松本雄吉さんによる「境界をしつらえるのが劇場」という言葉を引用して、アンダーグラウンドでも制度化のみを目指すでもない、その「はざま」でシーンをつくる重要性を説きました。

アートマネジメントの本質とは、ものごとに白黒をつけるのではなく、その「未分化な領域」を見つけ、拡張していくことにあります。受講生との質疑応答では、効率や資本主義の論理に回収されない「プロセス」を観客や関わる人たちと共有し、ともに時間を過ごすことの価値が強調されました。武田さんは、制度からはみ出すような「インフォーマルな状態」や失敗を許容する演劇の特質に価値を見出し、複雑な「あいだ」を可視化する「行為者」でありたいと締めくくりました。

小沢剛さん(美術家/東京藝術大学教授)

11月15日(土)は、小沢剛さん(美術家/東京藝術大学教授)をゲストにお迎えしました。ナビゲーターの芹沢さんとは旧知の間柄ということもあり、リラックスした雰囲気でスタート。まずは、小沢さんがこれまで手がけてきた作品を例に、創作に対する態度やバックグラウンド、思考方法についてお話しいただきました。最初に紹介された作品は、小沢さんの代表作の一つである「なすび画廊」。貸し画廊のシステムに疑問を呈し、東京・銀座の路上で世界最小の移動式画廊をつくり発表しました。牛乳箱の内側を白く塗りホワイトキューブに見立て、当時若手だった村上隆氏らアーティストの発表の場となり、いつしかこの小さな移動式画廊を用いて発表する人は50人、60人に膨れ上がりました。その後ヴェネチア・ビエンナーレの会場に無断でもち込んだことをきっかけに、ドイツをはじめとする海外での展示が実現。さまざまな人や土地を巻き込み発展していく様は、現在の「アートプロジェクト」にも通じるものがあります。このように、まだそれほど「アートプロジェクト」という言葉が普及していなかった1980年代から90年代にかけて、小沢さんは独自のアイデアで自身の発表の場をつくり出し、徐々に活動の場を広げていきました。

他者との協働という「プロセス」をおもしろがり、作品化する

小沢さんが作品制作で大事にしていることのなかに、「プロセスを大事にしたい」「人とつくりたい」「旅をしながらつくりたい」という思いがあります。

例えば、《ベジタブルウェポン》もその思いが反映された作品のひとつ。この作品は、小沢さんが文化庁の研修でアメリカに渡航予定だった2001年に起こったアメリカ同時多発テロ事件を受け制作されました。世界各国を巡り、出会った女性に「あなたの好きな郷土料理、家庭料理は何?」と尋ね、その料理に使う野菜や肉などの食材を用いて銃のかたちを創作し、モデルとしてその銃を構えてもらってポートレート写真を撮影。その後、実際にそれらの食材を使ってその料理を一緒につくり、食卓を囲むというもの。小沢さんはこの一連の流れを丁寧に記録し、作品として発表してきました。この作品からは、暴力への「NO」をユーモアを交えながら表明するアーティストの姿勢を感じ取ることができます。

「国や地域によって、手に入りにくい素材もあるが、環境そのものの違いや、現地で誰に手伝ってもらうか、 リサーチすることそのものが楽しい」と小沢さん。地元住民が勧めるものもできるだけ柔軟に対応するようにしていること、訪れた土地ごとの出会いをおもしろがり、制作に存分に生かしている様子が伝わってきました。

ヤギを起点に広がる「透明なアートセンター」の実験

小沢さんが現在取り組んでいるプロジェクトのひとつに、「ヤギの目」プロジェクトがあります。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科の小沢剛研究室と「取手アートプロジェクト」が共同で立ち上げた企画で、ヤギの飼育を通して、ヤギを起点につながり発展していく「目には見えない透明な」アートセンターの設立を目指すというユニークな取り組みです。学生たちから広大で寂しい印象をもたれがちだという取手キャンパスの一角でヤギを飼いはじめたことで、学生同士や他県のヤギ飼育家とのつながりができたり、ヤギが食べる植物の名前や活用方法を考えたり、さらにはヤギのフンから絵の具をつくったり、グッズを販売したりとさまざまな展開が生まれています。

偶然を招き入れながら、関係性を編み上げる

受講生からは、小沢さんの作品制作にあたってのリサーチや協働についても質問が寄せられました。「若い頃はリサーチが大嫌いだったけれど、制作のために必然性を感じ、とことんするようになってきました。ネット、新聞、図書館、必要なら海外の専門家へのインタビューも。リサーチが落ち着いたら、あとは制作。想像力を広げ制作していくのが大事」と小沢さん。
「実在の人物や戦争加害・被害などの題材も扱っている《帰ってきた〜》シリーズをはじめ、一方的な視点から個々人がもつ物語性に介入してしまう可能性もある作品をつくるときは何に気をつけているのか?」という質問には、ネガティブな誤解を受けないように配慮をしていることや、作品の舞台となる現地の研究者に相談し、異なる視点を取り入れていること、偉人と言われる人々のもつ人間臭さやダメな部分にも視野を広げストーリーを創造しているのだと答えました。

また「自分一人で制作したいと思うことはあるか?」という質問には、自分一人で制作する時間も大事にしていること、そのうえで、自分のキャパシティがそれほど大きくはないと思っているからこそ、誰かと一緒につくることで技術や技能が拡張できるのではないか、そうした期待をもって協働していることが伺えました。そうした協働創作の際には、小沢さん自身がチーム内のファシリテーターのような役割を担うこともあるそうです。

「すべてを自分でコントロールしようとは思っていない態度が、小沢さんの作品制作にはあるんですよね」とナビゲーターの芹沢さん。偶然の出会いや協働相手がいるからこその変化も含めて、そのプロセスをおもしろがる小沢さん自身の姿勢からは、予見できないものごとに対して柔軟に応答するアーティストの存在や、アートやアートプロジェクトのあり方そのものをあらためて考え、捉え直す時間となりました。

野田智子さん(アートマネージャー/Twelve Inc. 取締役)

年明け最初の1月17日(土)の演習は、アートマネージャーであり、アーティスト・コレクティブ「Nadegata Instant Party(以下、Nadegata)」の一員としても活動する野田智子さんをゲストに迎えました。野田さんが企画を考えるときにいつも心に浮かぶのは、まだ大学生だった頃に遭遇したある出来事だと言います。ある日のこと、展覧会を見てレポートを書くという大学の課題のために「ミニマル マキシマル -ミニマル・アートとその展開-」(2001年、京都国立近代美術館)の展示会場を訪れた野田さんは、ガラス玉が床一面に敷かれたモナ・ハトゥームによる作品《マーブル・カーペット》のうえを、高齢の女性が意図せず歩いてしまうアクシデントに居合わせました。そのときの、ガラス玉がパーッと床面を転がる様子や女性の驚いた声、監視員の慌てた様子などを、いまでも鮮明に思い出すのだそう。その後、アートマネージャーとしてさまざまな企画にかかわるようになってからも、あの日の情景を思い出すことがあるそうで、「アートは誰かにとっては特別でも、誰かにとっては価値のないもの」という視点として心に留め置かれている、と野田さんは話します。例えば、美術館で、作品とは思わずに通りすぎてしまった経験や、ふと作品を守るための結界を越えてしまい監視員さんから声を掛けられた経験がある人も少なくないかもしれません。アートプロジェクトの場合はなおさら、空き家やパブリックスペースなど、アートファンや通りすがりの人、観光客など不特定多数が行き交う場所が展示やプロジェクトの会場となることも多く、この「誰かにとっては特別でも、誰かにとっては価値のないもの」という視点は、アートプロジェクトを企画するうえでも欠かせない大事な視点の一つです。

アートマネジメントが指す言葉の意味とは

実は写真学科を専攻するアーティスト志望の学生だった野田さんがアートマネジメントを志したきっかけには、在籍していた大学でティーチング・アシスタントをしていた澤田知子さん(写真家)の活躍があったのだと言います。写真界の芥川賞と称される木村伊兵衛賞を受賞した澤田さんが、瞬く間に活躍の場を広げていく姿を目の当たりにした野田さん。キャリアやアーティストの社会的な立場について考えたときに、アーティストとしての活動よりも自分自身は「環境を整える役割」に興味があるのだと気づいたそうです。その後、アートマネジメントを学べる大学院へと進学。大学院時代に出会った美術家の中﨑透さん、山城大督さんとともにNadegataを結成。現在に至るまで、二人のアーティストが出すアイデアに対して「とにかく何でもいいから応答し続ける」役割に撤し、コーディネートや予算管理、広報などを担ってきました。

さらにその後、Nadegataの活動を続けながら、ギャラリーに勤務。作品制作からマネジメントへとキャリアの舵を切って行きました。さまざまな経験を重ねた現在、あらためてアートマネジメントとは何か、と問われると、「芸術経営」を指すだけでなく、より広く「アートを受け取り考える力、おもしろがる力」も含めたものとして捉えていると野田さんは言います。

ラーニングとの出会い

野田さんにとってアートマネジメントに対する視野を広げ、現在の会社を設立する転機にもなったのが、「あいちトリエンナーレ2019(以下、あいち)」で、ラーニングセクションのマネジメントを任されたこと。当時、アーティストの思考をいかにリアライズ(現実化)するかへの興味が強く、芸術祭などの来場者やボランティアとのコミュケーションにはさほど関心がなかったと言う野田さん。ところが、当時のラーニングのテーマが「来場者の思考をいかにアクティブにできるか」だったことをきっかけに、自身の思考に変化が訪れたのだそう。それまでに野田さんがNadegataとして手がけてきたプロジェクトは、公募で集まった参加者がかかわりながらともにつくっていくものばかり。全員の顔ぶれがそろうまで、どのようなバックグラウンドをもつ人が参加するのかや、その人の得手不得手もわかりません。どのように完成形までもっていけばよいのかも、はじまってみないと見えてこない。だからこそ、まずは不特定多数の人にいかに乗り気になってもらえるかの仕組みづくりに奔走していました。参加者が主体的・自発的に考え動くために、どのようなかかわりしろをつくれるのか、プロジェクトが軌道に乗りはじめるために何が必要なのかを考えることが重要でした。野田さんはラーニングセクションにかかわることになってあらためて、これまでNadegataで考え実践してきたことと、ラーニングがテーマとすることが重なっていることに気づいたのだと言います。作品制作が「究極のクリエイティブ」なのだとしたら、その作品に対して応えるという姿勢も最高にクリエイティブで、いつも考えてきたことともつながっているのではと思うようになったそうです。

同年には、同芸術祭内で開催されていた「表現の不自由展・その後」での出品作品に対し、当時の名古屋市長が展示中止・撤去を要請したことをきっかけに、同展への問い合わせが殺到。展示中止への抗議や、文化庁による補助金の減額など大きな議論が巻き起こりました。参加アーティストたちが連帯しステートメントを発表するといった動きが起こるなか、野田さんはラーニングプログラムの担当者として、展示再開時の抽選の仕組みづくりやディスカッション付き鑑賞会のプログラムづくりに奔走。そのうちに、自分たちマネジメントを担当する人同士も、アーティストのように、横に手をつなぐ仕組みや仲間がほしいという気持ちが沸いてきたと言います。そこから野田さんはパートナーで映像制作も手がける山城さんとともにアーツプロダクション「株式会社Twelve(以下、Twelve)」を設立。京都を拠点に、スタッフや全国各地に広がる「ALLIANCE MEMBER」(経理担当者やアートマネージャー、プログラマー、編集者ら)と組みながら、文化芸術のアートプロデュースやメディアプロデュースを展開しています。

あいちをはじめとするさまざまな現場に身を置いてきた野田さんが、アートの現場で働く覚悟として決めているのは、「何か社会的・歴史的な出来事が起こったときに何かしらのかたちでそれに応答し、動く」ということ。大学院を出てギャラリーでスタッフとして働いていた頃、アーティストコレクティブのChim↑Pomが広島の原爆ドーム上空に飛行機雲で「ピカッ」と書いた作品《ヒロシマの空をピカッとさせる》が社会的騒動に発展した。地元新聞をはじめとする社会的な批判、それに対し、その騒動をまとめた検証本を出版、その後もヒロシマと核問題をテーマに多くの作品を制作するなど、常に表現で応答し続けるChim↑Pomの対応を目の当たりにした野田さんは、彼らの表現行為や言動を通じ、「表現にかかわることは、個人のスタンスと覚悟が問われること」だと痛感したと言います。

パンデミックを前にした野田さんは、「いま行動をおこしておかないと、未来の自分からコロナ禍で何をやっていたかを問われたときに、きちんと答えられない。いまやるべきことをやらなければ」との想いから、COVID-19の流行とそれを受けた愛知県による救済基金「文化芸術活動緊急支援金事業」へ応募し、文化芸術の表現者やその制作を支えるさまざまな職能をもつ人々とともに、9つのプロジェクトを新たに制作し、オンラインアートプロジェクト 「AICHI⇆ONLINE」として発表しました。

この演習では、アートプロジェクトをやりたいと思ったときに生まれる切実さをつかまえ言葉にすることができれば、たとえ実行の過程で何か困難なことが起きたとしても、原点に立ち返ることのできるブレない軸になるという考え方を共有してきました。受講生たちにとって、野田さんのレクチャーは、まさにこの「軸」があることの大切さや、それがあるからこその発展性、継続性を具体的な事例・角度から学ぶ機会になったのではないでしょうか。

撮影:齋藤彰英(2025年11月8日)、佐藤えりか(2025年11月15日、2026年1月17日)

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