多摩地域を舞台に、地域の文化的、歴史的特性をふまえつつさまざまな人々が協働、連携するネットワークの基盤づくりを進めている『多摩の未来の地勢図 Cleaving Art Meeting』において、2024年12月から2025年12月アーティストの弓指寛治さんが、昭島市立光華小学校4年2組、進級して5年2組に、生徒として滞在した記録です。
振り返ると、当初から事業が潰れないように骨太にする意識を持っていました。それは、展覧会をつくるときにも持っていた感覚で、ひとつの企画展は10年はもたせたい、そういう設計を最初に考えていたものです。2019年に、3331 Arts Chiyoda内にあった拠点「ROOM302」で、アートポイントの10年を振り返る「東京アートポイント計画 ことばと本の展覧会」を開催したときにもその感覚を思い出していました。本当は、今後10年をつくる意識を持たないと3年でさえも続けられないはずです。
さらに、2001年には「アメリカ同時多発テロ事件」、9.11が二度目の絶望です。このときは、オノ・ヨーコが「Imagine all the people living life in peace」と新聞に広告を出して、2007年には「イマジン・ピース・タワー」を建設したことが大きな出来事です。
そして2011年に3.11が起きたとき、芹沢高志さんがTokyo Art Research Labの企画「これからの航路に向けて」でも話していましたが、アーティストたちはそれぞれに今につながるアクションを起こします。あるいはアーティストに限らず、思想家たちが文章を書き記すように、それぞれの立場で応答してきた。アーツカウンシル東京でも「Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業/ASTT)」をはじめ、アクションを起こしています。
森: かれの活動を見ていると、そうした印象を持ちますよね。僕の時代には「まちのキュレーター」とは言えなかった。もし言うのであれば、キュレーターをやめることしかできなかったくらいです。 キュレーターは大学で養成されるけれど、まちなかのスタッフは養成されない。それもあり、まちなかに出る教科書とするために「Tokyo Art Research Lab」(以下、TARL)をつくって、コンセプトを変えながら続けてきた。書籍『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』の原型となる『日本型アートプロジェクトの歴史と現在 1990年→2012年』も、この歩みをまとめて振り返られる資料がないと、本当にアートプロジェクトが何なのかがわからない状態だったからです。
アートポイントはいわば、まちなかにオリンピックプログラムの担い手をつくるという役割からはじまった事業です。こうした経緯もあり、今日に至るまで「オリンピック」という言葉が紐づいてきたんです。しかし、それほどに東京都の主力事業としてはじまったはずが、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13(サーティーン)」が企画公募を始めたときに、良くも悪くもオリンピックプログラムの担い手をつくるというアートポイントのポジションがなくなったという経緯があります。
森: 「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」のタイミングで、我々は第一戦の舞台からは降りていました。しかし、そのことによって違う延命の仕方を考えられるようにもなったんです。
2011年の「東日本大震災」、3.11を受けて「Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業/ASTT)」に取り組んだ影響もあったのでしょう。さまざまな方法で東北に向き合う、そのなかの一つとしてアートポイントのやり方や知見を活かした事業として、その見え方は大きかったのではないでしょうか。
振り返ると、POに対してキュレーター的な目線を少しいれていることもありました。「Art Support Tohoku-Tokyo」(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)では、佐藤李青さんを担当者として変えませんでした。僕の思いとしても、しっかり10年間、出来事を目撃してまとめる人が必要だと考えたからです。ほかのスタッフに対しても同様ですが、何か得意なことがあれば、そのスペシャリストになるという選択はあるはずです。
一方で、ジェネラリストへの期待や必要性が大きくなっています。そのバランスを考えるなかで、POがスタディマネージャーとして現場に伴走する「東京プロジェクトスタディ」を2018年に開始しました。要するに、以前はもっと大騒ぎして現場をつくっていたけれど、そうした経験がアートポイントのなかでも格段に減っていた。そこでもう一度自分たちも学ぶ場をつくろうと、PO自身の演習も兼ねて始めた企画だったんです。その後、社会状況の変化も踏まえて、小山冴子さんがPOとして担当する「新たな航路を切り開く」をP3 art and environmentの芹沢高志さんと立ち上げた経緯があります。
また、そうした活動が継続するための環境整備にも力を入れてきました。東京アートポイント計画の現場にある課題や視点に伴走し、時代に応答した担い手づくりを続けてきた事業「Tokyo Art Research Lab」では、さまざまなプログラムやウェブサイトを運営。また、東京アートポイント計画の参加団体が広報やネットワークづくりなどの実務的な課題について共有する「事務局による事務局のためのジムのような勉強会(通称:ジムジム会)」、アートプロジェクトに関心を寄せる人々が集うイベント「Artpoint Meeting」などを実施。2024年には、これまでの手法やネットワークを活かすかたちで「東京都・区市町村連携事業」の所管が移行・統合しました。
そして2026年3月31日をもって、東京アートポイント計画は事業を終了します。また、アートプロジェクトを実践する人々のためのリサーチプログラムとして2010年にはじまり、現場の課題や社会状況に応答しながら学びの場をひらいてきたTokyo Art Research Labも事業を終了します。
アーツ千代田3331に、レクチャーやアーカイブなどの拠点「ROOM302」を開室。アートプロジェクトを実践する人々のためのリサーチプログラム「Tokyo Art Research Lab(TARL)」が始動し、「つくる」「支える」「評価する」「伝える」「記録する」の5つのカテゴリーで、10講座を開催。
2011年度
東京アートポイント計画の手法を活用した東日本大震災の復興支援事業として「Art Support Tohoku-Tokyo(ASTT)」が始動。