わたしらしく居られる“環境”|柔らかなモデルをつくる(4)
執筆者 : 櫻井駿介
2024.12.17
アーツカウンシル東京による「東京アートポイント計画」では、近年、手話やろう文化、視覚身体言語などを中心に「アクセシビリティ」や「情報保障」について考え、実践してきました。これまでの取り組みを振り返ったとき、その共通項として見えてきたのは、唯一無二のフォーマットを追求するのではなく、可変的に試行錯誤を続ける姿勢です。
本シリーズ「柔らかなモデルをつくる」では、「東京アートポイント計画」のスタッフが「アクセシビリティ」や「情報保障」について考え、実践してきた企画・制作プロセスを紹介し、noteでの連載を通じて“柔らかなモデル”について考えていきます。
今回は、全5回にわたる連載の最終回となります。取り上げる事業は、アートプロジェクトや文化事業の現場で生まれた視点をもとに、研究開発やディスカッションなどに取り組む「Tokyo Art Research Lab(TARL)」です。
TARLでは、他者とのコミュニケーションについて考える様々な企画を実践し、その成果をウェブサイトで公開してきました。
冊子『つたえる、うけとる、つたえあう ― interpret 新たなコミュニケーションの在り方をみつけるために ―』では、視覚身体言語と音声書記言語の特性によって変化するコミュニケーション表現や思考について、手話通訳の存在・役割に着目しながら紐解いています。

≫つたえる、うけとる、つたえあう ― interpret 新たなコミュニケーションの在り方をみつけるために ―
『しゃべりながら観る』は、全盲の美術鑑賞者・白鳥建二さんと、アートエデュケーターの佐藤麻衣子(マイティ)さんによる、会話を中心とした美術鑑賞の方法を「会話型美術鑑賞(しゃべりながら観る)」と名付け、紹介した冊子です。二人のこれまでの活動や、作品を介して、時間と場を共有しながらコミュニケーションをとる面白さを紹介しています。

『(からだ)と(わからなさ)を翻訳する ――だれもが文化でつながるサマーセッション2023「パフォーマンス×ラボ」の実験』は、アーティストのジョイス・ラムさんによるレクチャーパフォーマンス作品に対して、どのように情報保障をつけることができるのかを試行錯誤し、実践した道のりをまとめたドキュメントブックです。

≫(からだ)と(わからなさ)を翻訳する ――だれもが文化でつながるサマーセッション2023「パフォーマンス×ラボ」の実験
これらのアウトプットには、思考そのもののプロセスを残すという意義もありますが、同時に、これらの議論や視点が「どこかで新しい活動を生む」ことを想像してつくられた、ささやかな企てでもあるのです。
ふと目に留まったり、ワクワクしてしまうような不思議な表紙やタイトル。文化事業にかかわる人だけではなく、日々にモヤモヤを感じている人や、活動のヒントが欲しい人が想像を膨らませるきっかけにしていただけたら嬉しいです。
自分たちの取り組みを伝えたい、成果を活用してもらいたい。様々な思いをのせて情報を届けようとするとき、どのようにウェブサイトの制作に取り組むといいのでしょうか。
TARL ウェブサイトでは、ペルソナづくり、カスタマージャーニーを経て、約1年にわたるリニューアルプロジェクトを実施。そこで指針の一つになったのが「ウェブアクセシビリティ」という言葉です。
ウェブサイトには様々な人が行き交い、同時に多くのバリア(障壁)も存在しています。身体的・精神的な特性によって「画面の色がまぶしく感じる」「スクリーンリーダーで順番通り読み取れない」「画面を拡大すると見逃してしまう小さなボタンがある」など、安心できる状態は個人によって異なります。
ここで、TARLウェブサイトが目指したのは、ユーザーが辿り着きたい情報まで直感的に、かつ負担の少ない方法で移動できること。つまり、ウェブサイト制作におけるアクセシビリティとは、ユーザーが安心していられる「環境整備」に繋がる視点であると考えています。
TARLウェブサイトの制作チームは、そうしたリニューアルのプロセスや、ユーザーレビューでの気づきを座談会で振り返りました。
≫これからのウェブサイトの姿を想像する|「Tokyo Art Research Lab」ウェブサイト制作振り返り座談会(前編)
僕が難しいと思っているのはウェブサイト上での「表現」と「ツール」のバランスです。斬新な画面の動きや新しいデザインの提案は、アクセシビリティの観点からは使いにくいことが多い。ただ、チャレンジする人がいなければ、新しいものは生まれない。なのでどちらを悪ともせず、両方をそれぞれ適材適所でやっていくべきだと思います。
萩原俊矢(ウェブディレクター)
あらゆるユーザーが使いやすいウェブサイトのためにウェブアクセシビリティがある。その基本理念に触れて、使いやすいウェブサイトとはなにか、初心に帰る場面が多かったですね。無意識のうちに「ここは大体これくらいでいいだろう」と思い込んでいたところにも指摘が入って、ほんとうにとてもよい勉強になりました。
井山桂一(デザイナー)
ユーザーレビューの最中には「ほっとする」や「気持ちいい」「不安になる」という言葉をよく耳にしました。感覚的に「あ、ここを押すんだな」「必要な情報は右側にまとまっているのか」とわかれば、楽で、迷わず、安心していられる。また来たいと思う。誰でも使えることを目指すときに、理論やシステムから考えるだけではなく、いちユーザーとしてもっと感覚的に向き合う必要があるなと。
川村庸子(編集者)
座談会では、ウェブサイトの未来についてもそれぞれの視点で想像しています。ぜひご覧ください。
本連載の冒頭では、紹介した取り組みの共通項として「可変的に試行錯誤を続ける姿勢」をあげてきました。ここであらためて、可変的であることと、その先のモデルについて考えてみます。
社会に目を向けると、日本や世界の技術、時勢の影響を受けて「できること」が日々変化している実感があります。同時に、生活の周りには、知っている方法では拾い上げることのできない、あるいは自分にしか感知できない「小さなこと」が溢れている。そうした変化と、ささやかさに対して、どのように振る舞えばいいのか。
これまで見てきたように、文化事業は(あるいは文化事業も)、明確な価値化や位置づけを待ちながら、様々な領域や思考の合間を揺さぶる領域なのだと思います。一つの解を急いで求めるのではなく、間に立って探し続ける。
その特性を踏まえて、わたしはアクセシビリティの思考の軸に向けて「可変的」であることの意味と、「モデル」を意識することの可能性を委ねてみました。
「可変的」を言い換えるならば、自分の経験から立ち上がる正しさを疑えるということです。実践のたびに誰かから反応があるかもしれない、やってみてから気付くことがあるかもしれない、この企画以外のやり方がこれから必要かもしれない、と目配せをし続ける。
社会実装を目指しながらも、そうした柔らかさを抱えることによって、その時代に「できること」や身近な「小さなこと」にも耳を傾ける態度が生まれるのではないでしょうか。
そして、実践をその都度0からはじめるのではなく、これまでの(自分だけではなく、ときには誰かの)視点を土台にすることで、次の試みの方向を定めやすくなります。役割分担を参考にしたり、時間と予算に余裕をもって規模を大きくしてみたり、途中から別の方法を選んでみたり、既存の仕方を疑って自分なりに挑戦してみたり。
ともすれば、必ずしもチェックリストやマニュアル、明確な成果物だけが指標になるとは限りません。企画者の感覚だけを更新するのではなく、あらゆる方法やメディアによって、企画にまつわる活動を社会に残す。そうすると、いずれその企画は属人的な範疇を越えて、誰かが学びを繋ぐ「モデル」になりえるかもしれない。
情報保障やアクセシビリティという言葉を前にすると、どうしても一歩を踏み出しにくかったり、迷ったりすることも多いかと思います。そこで自分なりにモデルを探して定めてみると、比較できることや、応用できることが増え、思考や実験を重ねられるはずです。
本シリーズで紹介してきた企画も、そうした柔らかさをもって、モデルを更新し続けてきた連関の中にありました。
手話講座の運営で知った異なる文化。ろう者が加わったプロジェクトに伴走してからの実感。みんな、という言葉に向き合う。これまでの企画に情報保障の視点を重ねる。レイアウトにもこだわって映像やウェブサイトをつくってみる。そうした試行錯誤を、連載としてnoteにまとめ残してみる。
一つひとつの実践を、自分の思考や企画に照らし合わせて援用する「柔らかなモデル」だと捉えてつかうと、具体的な手数や工夫の仕方が想像できる。そうして、さらに自らの実践も、誰かがつかう「柔らかなモデル」になることを意識すると、つくり方や残し方、見せ方も含めて設計をデザインできるようになるのではないでしょうか。
ぜひ、ご自身の活動を振り返るとともに、その周辺にある活動も見渡してみてください。そうして、各地で数々の実践を生み出し続けていただけたら、文化事業担当者の一人としてとても心強く、嬉しく思います。