東京アートポイント計画 2017年度公開報告会(APM#05)
執筆者 : 東京アートポイント計画
2018.03.30
(写真左から)ゲストのアサダワタルさん(文化活動家・アーティスト)、竹田由美さん(公益財団法人せたがや文化財団生活工房主任/学芸員)
アートの現場で頻繁に耳にする「日常」という言葉。この身近で、だからこそ捉えがたい対象に取り組む実践者はどのように向きあっているのでしょうか。それぞれの現場でまちと文化に関わるゲストとの対話から、これからのアートプロジェクトの言葉を育てる東京アートポイント計画のトークイベント「Artpoint Meeting」。その第4回が、1月27日、東京・渋谷の複合施設「100 BANCH」で開催されました。
今回のテーマは、「日常に還す」。ゲストとして登場したのは、驚きと発見を与える日本や世界の暮らしを紹介しながら、生活に活かすことを目指す世田谷区の文化施設「生活工房」学芸員の竹田由美さんと、レコードやラジオや遠足といったツールを通して、身の回りの世界と人の関係を編み直してきた、文化活動家でアーティストのアサダワタルさん。
日常に寄り添いつつも、そのなかに埋没せず、新たな視点をもたらす。難しいバランスが求められる展覧会やプロジェクトの現場で、二人は何を考えてきたのか。会場との活発なやりとりも行われたイベントの様子を、ライターの杉原環樹がレポートします。
イベントは、モデレーターの東京アートポイント計画プログラムオフィサー、中田一会による趣旨説明からスタート。東京アートポイント計画が伴走している多くのアートプロジェクトでは、「日常の景色を少し変える」といった表現がよく使われます。
しかし、「そもそも、日常とは? 文化とは? 日常と文化の関係とは?」と中田。日頃はあらためて考えてみることもないそうした疑問を通して、「自分たちが行うアートプロジェクトは、日常にとってどんな意味があるのかを考えたい」と語ります。
一人目のゲストは、三軒茶屋駅に直結したビルのなかにある暮らしのデザインミュージアム「生活工房」の竹田由美さん。「生活者が漠然と抱く疑問を共有し、目に見える活動にしていく事業」を行うことを活動方針に設立され、2017年に20周年を迎えたこの施設では、衣・食・住と明確に分けられない「未分化なもの」である生活の問題を、住民と考える場をつくってきました。
その中で竹田さんが大切にしている視点のひとつが、「歴史の重なりの上に自分がいる感覚」。現在では、インターネットでヨコのつながりは簡単に生まれる一方、土の存在のなさが象徴するように、タテのつながりは失われているのでは、と問いかけます。
落葉広葉樹林帯の暮らしを紹介する「ブナ帯☆ワンダーランド」展や、1952年にドイツで始まった映像の百科事典プロジェクト「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」から、手を動かしながら人類の普遍的な営みに触れる連続ワークショップは、この問題意識から生まれたもの。身近な草木からヒモのつくり方を学んだ後者のある回では、「周囲のもので何でもつくれる感覚を実感した」などの感想が聞かれたと言います。
「意識的に参加する人が多いワークショップの方が、展覧会よりも『日常に還っていく』感覚は強いと思います。しかし、生活圏に密接していて鑑賞無料の生活工房では、何気なく観られる展覧会を通して、多くの人の生活に関わりたい。なかでも予想以上の広がりがあったのが、『ただのいぬ。』プロジェクトと『活版再生展』です」。
「ただのいぬ。」は、保健所などに保護された犬をめぐるプロジェクト。2005年に開催されたその第一回展には、12日間の会期にも関わらず5000人が来場しました。
「この展覧会では、会場に『光の部屋』と『暗闇の部屋』を設けました。『光の部屋』には新しい飼い主のもとに引き取られた犬の写真、『暗闇の部屋』には殺処分された犬の写真が展示され、部屋に入るかは鑑賞者に委ねられます。いわば傍観者として訪れていた鑑賞者は、その能動的な選択を通して、どうしても当事者に近づいていきます」。
その後、大きな反響を得た展示は各地を巡回しました。さらに、迷い犬の原因のひとつでもある犬鑑札装着の不徹底を改善するため、世田谷区の鑑札をデザイナーの深澤直人さんとリニューアル。災害時のペットの同行避難を扱う展覧会を開催するなど、多角的な取り組みに発展しました。「その原動力は行政ではなく一般の人の声」だと竹田さんは言います。
一方、2007年の「活版再生展」では、世田谷の廃業予定の印刷所から活版印刷機を引き継ぎ、廃れつつあるこの技術の魅力を現役のデザイナーらと紹介しました。面白いのは会期終了後、その巨大な印刷機を20代のデザイナーが引き取り、活用・運営していく場を50代の印刷会社の経営者が提供したこと。これは収蔵品を持たない施設ゆえの動きだったと語ります。
「活版を知らない20代が全盛期を担った70代-80代に学び、活版を捨ててきた世代(50代)がまたその価値に気付く。そこで引き継がれたのは、技術だけでなく精神でもあります。最近、活版印刷の価値は若い人の間で見直されつつありますが、生活工房が印刷機を収蔵し、たまに開放するだけでは、こうした生きた表現や経済活動にはつながらなかったように思います」。
展覧会を出発点に、まちに視点や思いを広げること。そんな中で、「生活を根底から考える展示」として最後に紹介されたのが、世界各地の眠り方や寝床の展示を通して「生き方」について考える、2012年の「I’m so sleepy どうにも眠くなる展覧会」と、さらに問題意識を発展させた、2016年の「時間をめぐる、めぐる時間の展覧会」です。
私たちは普段、時間は一様に流れていると考えてしまいます。しかし、異なる時代や地域に目を向ければ、多様な時の姿があるもの。実際日本でも、明治のある時期まで一時間の長さは一律ではなく、1920年には近代の時間概念を啓蒙する展覧会が開かれ、驚異的な動員を記録しました。その現代版を目指し、自然との関係から現代生活の時間を問い直す1年間のワークショップなどを通して、「時間をめぐる」展が行われました。
「時間はカレンダーや時計の中にあるのか? そんな疑問から『時間をめぐる』展では、自然や身体に流れる時間に触れようと、動植物の時間の把握の仕方や、各地の時の過ごし方の紹介を行いました。たとえば、後者に関する『時の大河』は、世界における同じ時期の営みを、巨大な円環状の構造物で世田谷から南極までを一望できるもの。太陽や月はひとつしかないのに、世界にはこれだけいろんな時間があることを、視覚的に見せました」。
「時間について悩む人は多いですが、そこに多様性があると知ることは、それだけで孤独を見つめ直すきっかけになる」と竹田さん。自分の生活は、日頃はなかなか客観的に捉えられないもの。しかし生活工房の取り組みからは、デザインの情報整理の力や身体の感覚を通じて、そこに考えるための輪郭を与えるさまざまな工夫が感じられました。
続いてのゲストは、アーティストで文化活動家のアサダワタルさん。文化活動家とは不思議な肩書きですが、実際にその活動は名づけがたいほど多様です。音楽家としてドラムを演奏したり、アーティストとしてまちなかのプロジェクトを仕掛けたり、文筆家としてコミュニティについての本を書いたり……。かつては大阪で、表現活動と街の人々との出会いをつくる、いくつものスペースの設立や運営にも携わっていました。
「最初は音楽家として出発したのですが、次第に個人の表現だけでなく、それを生活と地続きの場で起こしたいと活動を拡張していきました」とアサダさん。さまざまな実践で培った横断的な感性やスキルを、生活の中のコミュニケーションに転用しています。
最初に紹介されたのは、北海道の知床にある全国初の義務教育学校(小・中学校の教育を一貫して行う学校)、知床ウトロ学校で2017年に行われた、校歌のカラオケ映像を制作するワークショップ。そこでは、幅広い年代の生徒が自ら撮影した歌詞にもとづく映像や手書きのテロップが組み合わされ、現場の楽しさが伝わる映像が生まれました。
なかでも面白かったのは、生徒が先生に歌詞の意味を尋ねる場面。普段は教える立場の先生が難しい言葉の表現に戸惑う姿は、いつもの関係に新しい視点をもたらします。
「ワークショップで大事にしているのは、コミュニティに非日常の視点を持ち込むことです。校歌とは、地域の記憶が刻まれた一種のコミュニティ・ソング。大事に歌い継ぎながら、それを使って遊んだ経験も、こどもたちには記憶してほしいと考えました」。
何気なく触れている身の回りの音が、表現によって異なる意味を帯びること。これを都市で展開したのが、2016年秋に始まった「千住タウンレーベル」です。東京・足立区を舞台にしたプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」の一環であるこの取り組みは、一言で言えば、まちの情報が詰まった「タウン誌」の音バージョン。
制作されたレコード「音盤千住」には、音の記者である「タウンレコーダー」が自分の関心から残したいと集めた、まちの音が収められています。たとえば、もんじゃ焼きに似た地元の料理「ボッタ」を焼く音や、市場のダミ声、道行く人のインタビュー……。生まれては消えていく「ただの音」からは、驚くほどまちの風景が喚起されます。
「また、『聴きめぐり千住』というイベントでは、録音が行われた現場を訪れて、記録した音と実際の音を聴き比べました。レコードを通して、まちの風景、音、人をあらためて感じてもらう。音盤づくりだけでなく、それを使った試みが大事なんです」。
そんなアサダさんが、自身のテーマだと語るのが「表現と想起」です。2017年からは「福島藝術計画×Art Support Tohoku-Tokyo」事業の一環として、福島県いわき市にある震災避難者のための復興公営住宅 下神白(しもかじろ)団地で、「ラジオ下神白」という取り組みをはじめました。これは、住民に思い出深い音楽について聞き、その楽曲を契機に故郷の記憶を語り合い、それらをラジオ風にCDに収めて配布するというもの。
「記憶を交換することは、じつはなかなか難しい。そこに音楽を挟むことで、対話や交流のための別の入口をつくれないかと。復興住宅は特殊なコミュニティで、根付くことが一概には良いとは言えない場所です。一方、参加者にはすでに帰還した方もいて、コミュニティの姿は変わり続けている。この取り組みでは、その変化も記録したいと思っています」。
もうひとつ、東京・小金井市で展開しているのが、「小金井と私 秘かな表現」という取り組みです。2015年に始まったワークショップでは、参加住民の日常生活のなかに潜むささやかな関心や行為を「表現」として見つめ直すアクションを行いました。その体験を足がかりに、翌年には「この小金井のまちで、今はもうないけれど大切な“モノ”や“場所”についての記憶」について広く市民にインタビュー。その成果などを展示した市民生活展「想起のボタン」を開催。そして今年度は3年間の集大成として記憶をもとにまちを案内する「想起の遠足」を実施。
「たとえば、昔のパン屋の味を再現して食べたり、『遠足』と題してかつての通学路を歩いたり。一個一個はとても個人的な記憶ですが、それを触媒に別の住民の記憶が編集され、ほかのまちの人にも何かを想起させる。そして、その経験がそれぞれのまちに還っていく。そんな『思い出すこと』との出会いをつくれたら、と考えました」。
音や風景、人との会話を通して、大きな「歴史」には残らないかもしれない小さな「記憶」を丹念に残すこと。アサダさんの活動であらためて気づくのは、そのように記録されたかたちになることで、記憶はその持ち主にも他者にも別の可能性を開き得るということです。その表現が今後どんな広がりを生むのか、楽しみになる発表となりました。
(イベント撮影:高岡弘)