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「その前」を手がかりに(BSBの活動レポート・前編)

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2021.02.19

執筆者 : 岡野恵未子

「その前」を手がかりに(BSBの活動レポート・前編)の写真

「その前」は、どうだったのだろう。いま、思い出そうとしても、はっきりとは思い出すことができない。いつも、そうだ。
なにか、が起こる。そして、その後、その「なにか」の前はどんなふうに考え、どんなふうに暮らしていたのか、と思うけれど、よく覚えてはいない。いや、記憶はたくさんある。どんなことをしていたのか、どんなことを考えていたのか、どんな出来事があったのか。それら、ひとつひとつの、数えきれないほどの多くの事柄が、僕の前で起こり、一回一回対応してゆきながら、ぼくは生きている。

(高橋源一郎「『たのしい知識』特別編 コロナの時代を生きるには」『週刊朝日別冊 小説トリッパー』2020年夏季号、338頁、朝日新聞出版、2020年)

こんにちは、「伴奏型支援バンド(BSB)」です。BSBは、いわき市の復興団地住民の方々の思い出の曲「メモリーソング」のバック演奏を行うバンド。アートプロジェクト「ラジオ下神白 あのときあのまちの音楽からいまここへ」(以下、「ラジオ下神白」)※と連動し、2019年度のTokyo Art Research Lab「研究・開発」プログラムによって結成したチームです。

※福島県いわき市にある県営復興団地・下神白(しもかじろ)団地を中心に実施しているアートプロジェクト。2017年より、団地住民の皆さんにお話を伺い、その当時の馴染み深い音楽をラジオ風にお届けしています。

BSBは、2019年の夏にバンドを結成してから、2019年の秋・冬にかけて練習と現地への訪問を重ねていました。その様子は以前ブログでもご紹介してきました。そして約1年前、2019年12月には、団地で演奏をお披露目しました。その後、メンバーへのインタビューや2020年度に向けたふり返り……などと活動していたのですが、そう、それはちょうど新型コロナウイルス感染症流行の影響がじわりじわりと出てきた歩みと重なります。
社会の変化に伴い、ある時期から「(「今」とは違う)その前」が生まれ、そして気づけば「今」も時間が経つと「その前」になっていく。文化事業も先が見通せない状況が続いたこの1年。そのなかで、BSBの活動をいつ、どう記すべきか、機会を逃したまま、季節が一周してしまいました。

一年前、いわきで

2019年12月23日(月)に行われた演奏のお披露目は、(当時はそんなことばはありませんでしたが)まさに「密」。下神白団地から道路を挟んで向かい側にある永崎団地の集会所で行なわれたクリスマス会にて、団地住民の皆さんの前でメモリーソングを演奏しました。

この日演奏したメモリーソングは全6曲。曲のリクエストをいただいた方を壇上にお招きし、トークを交えながら、演奏に合わせて会場の皆さんとメモリーソングを歌っていきます。

演奏のあいだには、トークだけではなく、その曲の思い出を語った際の音声や、団地を退去された方に現地スタッフが会いに行ったときの映像も流しました。

また、予想していなかった出来事も次々に起こりました。地元のダンスグループが、会場の後ろで踊りはじめたり。ある女性は、「『青い山脈』を聴かせたくて」と、その曲が好きだったという昔のご友人の写真をもってきてくださり、写真と共に壇上へ。直前まで「俺は歌わないよ」と断言していた男性は、マイクを握って熱唱(曲間のセリフもばっちり)。バンドメンバーの池崎浩士さんは、下神白団地をイメージしたオリジナルソングを前夜に書き上げ、本番で披露しました。

そこでは、「わたし」の記憶が「わたしたち」の記憶になっていた

あの時あの場所で集結していた、住民さんの語り、映像、メモリーソングの演奏、コーラス……そんな、さまざまなかたちで登場し、重なり合った「個人の記憶」は、ただその人の記憶というだけではなく、いつしか「皆でこの場を体験した記憶」となっていたように思います。

「自分の記憶と他人の記憶の境界線が曖昧になり、新しい記憶が生まれる」。それは、「立場の異なる住民間、ふるさととの交通を試み」るこのプロジェクトとして、1つステップとなる実践だったのではないか。ある種、確信めいた手ごたえを手に、本番を終えたのでした。

本番後に行われたバンドメンバーとのふり返りでも、メンバーからは、「支援する側/受ける側の関係は一方通行ではないと思った」という発見や、「自分のおばあちゃんとの記憶を思い出した」り、「もともと知っていた曲も、知らなかった曲も、曲を聴くと今回の活動で経験した思い出が浮かんでくる」ようになったり、「下神白団地というひとつの場所に関わったことで、ある種のスタート地点に立った気がした」といった体験が語られました。

今年度のBSB

いざ、その手ごたえを更なる実践に!と考えていた矢先に訪れたコロナ禍。夏ごろには団地に行けるかねえ、秋ごろには、冬には…といううちに気づけば1年が経ちました。

しかし、BSBとしてはただ「行けるようになる」ときを待っていただけではありません。この間も、少しずつ新たな動きに取り組んできました。

例えば、住民さんに届けるためにメモリーソングを改めて収録しなおしたり。それから、ミュージックビデオの制作です。ある住民さんのメモリーソングである「青い山脈」(作詞:西條八十 作曲:服部良一/1949)を、BSBが演奏。その演奏を聞きながら、住民さんがひとりひとり歌った歌声を集め、重ね合わせて構成されています。その演奏・収録の様子に加え、住民さんの思い出の写真や、ドキュメントの記録映像が流れたりする、オリジナルのミュージックビデオです。

高橋源一郎氏は、コロナ禍において流れ去る時間や記憶を喪失しないためには、作家がそれをことばに刻みつけること、つまり「新しい『物語』」が必要だと示唆しました。クリスマス会で体験を共有できた、という手ごたえを元に、いわきの団地と東京で活動するBSBとの関わりを探ることは、手法は違えど、ひとつの「物語」をつくっていくこと、だったようにも思います。

一度も団地の訪問はできなかったけれども、できることをさぐったこの一年。そんなBSBの様子を、2020年度のTARLプログラムである「オンライン報奏会」でお伝えする企画を実施しました。その内容は、後編のレポートでお知らせいたします。


執筆:岡野恵未子(アーツカウンシル東京 プログラムオフィサー/Tokyo Art Research Lab「研究・開発」プログラム担当/BSBメンバー)

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