これからの航路に向けて(芹沢高志×森司×佐藤李青)|これからの航路に向けて レポート③

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2026.03.24

執筆者 : 櫻井駿介

これからの航路に向けて(芹沢高志×森司×佐藤李青)|これからの航路に向けて レポート③の写真

 2026年2月24日、これからの時代のアートプロジェクトのかたちを考える企画「これからの航路に向けて」をアーツカウンシル東京の会場およびオンラインで開催しました。本企画では、2025年度に事業を終了する「Tokyo Art Research Lab(TARL)」と、その一環として2022年度からはじまったシリーズ「新たな航路を切り開く」、さらにその成果のひとつとしてウェブサイトtarl.jpに実装したアートプロジェクトの「年表」について振り返りました。

このレポート記事は、オンライン配信の文字起こしをベースに編集・再構成し、プログラムの流れに沿って以下の3本にまとめたものです。

    1. アートプロジェクトと併走する学びの場――シリーズを振り返る
    2. 思考の道具としての年表――その機能と可能性
    3. これからの航路に向けて[現在の記事]

* プロジェクトの詳細はこちら
* 配信アーカイブはTARL公式YouTubeチャンネルにて3月末に公開予定

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 続くセッションは「これからの航路に向けて」と題し、「新たな航路を切り開く」を企画したP3 art and environment 統括ディレクターの芹沢高志さん、Tokyo Art Research Labおよび東京アートポイント計画のディレクターを務める森司、聞き手としてプログラムオフィサーの佐藤李青が登壇し、2011年以降のアートプロジェクトの動きや、社会に向けるそれぞれの思いについて語りました。

左から、プログラムオフィサー・佐藤李青、P3 art and environment 統括ディレクター・芹沢高志、Tokyo Art Research Lab/東京アートポイント計画ディレクター・森司

「新たな航路を切り開く」のはじまり|揺れ動くなかで自分たちがとる態度

佐藤: オープニングで小山さんが取り上げたTARLの2010年のレポートがありますが、私はこのプログラムのひとつにリサーチアシスタントとして参加していました。そして、その翌年から今のアーツカウンシル東京のスタッフとして入った経緯があります。

 当初、TARLは人材育成事業としてはじまりました。人材育成事業というと参加した人が技術を学ぶものだと思うのですが、TARLでは、その場を仕掛けている側の人たちが、試したり考えたりする現場として使っていた面もあります。つまり、企画を仕掛けた側も得をする、舞台袖から見る人が芸を一番学べる、というような話ですよね。

 TARLの特徴は、仕掛ける側がなぜそのタイミングで、どういう社会を認識して、アートで関わっていこうとするのかが反映されたプログラムだということです。芹沢さんは4年間「新たな航路を切り開く」という企画を仕掛け、森課長は東京アートポイント計画およびTARLのディレクターとして、事業設立のときからプログラムをつくってきました。わたしたちスタッフの仕事も、常にパートナーの方々と今の社会認識を確認しながら「どうやっていく?」とやりとりを続けることでもあります。

 まずはじめに、なぜ芹沢さんが「航路」を開こうとし、それに対して森課長がどのように応答したのかを振り返りたいと思います。

芹沢: 最初、森さんからは『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』があるから「その後の10年間ぐらいを概観して、できたら本をつくってほしい!」というような、非常に大変な命令があったんですよ(笑) たしかに考えてみると、2011年3月11日は僕らにとって本当に大きな経験じゃないですか。僕がそのときに見たのは、酒井耕さんや、濱口竜介さん、瀬尾夏美さんや小森はるかさんもですが、多くの若い表現者たちがその内側に入っていって、しかも最初から計画があって飛び込むのではなく、あの状況のなかで生きてくことで「自分たちの話法」、つまり話し方を学んでいく姿でした。

P3 art and environment 統括ディレクター・芹沢高志

芹沢: 3.11は我々にとって等しく大きな経験でしたが、そのなかでも自分の生き方、あえて「態度」と言いますが、アートやアートプロジェクトにおいて、何をつくるかという以前の「社会に向き合う自分の態度」を模索しながら、自分たちのかたちをつくっていました。最近よく言われる能動でも受動でもない、中動態的な姿勢がそのなかに見えたんです。それで、やはり3.11を踏まえてアートプロジェクトもどんどん変容していくだろうと思いました。さらに、追い打ちをかけるように2020年ぐらいからCovid-19、つまりコロナパンデミックが世界を巻き込み、大変な状況が生まれた。イタリアの作家のパオロ・ジョルダーノは『コロナの時代の僕ら』という本で、問題解決型のこととして対処すべき数々の問題が現実にはあるという前提で、それでも自分たちのいままでの態度や姿勢を見直さないと太刀打ちできないのでは、と言っています。僕も、本当にその通りだと思い、映像シリーズ「3つの航路」では、さまざまな航海のなかでも、これまでにすでに出来上がった航路を取り上げたんです。

 本当に何もないところから、北川フラムさんや、南條史生さん、小池一子さんたちは自分の航路を切り開いていて。それも途中で沈没するかもしれないから安全かどうかは分かりませんが、それでも立派な、ひとつの大きな航路ができた。もちろんそれに乗ってくのもいいのですが、現在の状況があって、安全だと思われてる航路を辿って船を出すだけでいいのだろうか、という意識があったんです。

 それで、少しキザっぽいけれど、状況が揺れ動くなかで自分たちがとる「態度」を議論しながら見つけたいと思い、「新たな航路を切り開く」というタイトルにしてプロジェクトをつくり出したんです。

佐藤: Covid-19の影響が2019年末ぐらいからはじまり、日本では2020年に入ってからという感じでしたね。そして2020年の3月が東日本大震災から10年が経つタイミングです。

芹沢: 今日(収録日 2026年2月24日)から約2週間で3.11から15年ですよ。

佐藤: この2つの災禍は大きなポイントになるということと、もともと『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』が取り扱う範囲も、2010年までといいつつも、2011年の震災の話が最後に入っています。今回は、そこがスタート地点になったということですね。

 芹沢さんからは3.11に関連して、濱口竜介さんや酒井耕さんの「新しい話し方」という言い方をされていました。話し方とは新たな表現手法とも言い換えられると思いますが、震災をきっかけに相手に何か話を聞きながらものをつくっていく表現方法が生まれ、時間が経つことで、さまざまな作品が出てきたということでしょうか?

プログラムオフィサー・佐藤李青

芹沢: 僕はそう思います。アートプロジェクトの新しいテーマについての議論ももちろん重要だけれど、自分の生き様とリンクさせて作品やものをつくりはじめた若い人が多いことを思い出したんです。あらためて振り返ってみると、年表もその流れでつくろうということになっていきましたね。

佐藤: 森課長はいかがでしょうか?

森: 年表というと普通、もう少しフラットにつくるものです。ですが、芹沢さんの言うように「芹沢さんの目線で2011年以降の流れをまとめましょう」と年表をつくるのは、ベースから普通の年表づくりではないですよね。さらにインデックスとして出ているのは、震災のことなど、普通のアートプロジェクトの変遷ではないかたちで見られる。実際にこの年表で検索してみると、ずっと震災のことが続いているんです。震災や災害がずっと続いている間にプロジェクトをやっているように見える時代に、実は生きている。災禍という言葉で我々も事業を実施していますが、本当に災禍のなかにいるのだなとあらためて思いました。

 先ほども取り上げていましたが、「3つの航路」として先人たち3人のインタビューを実施いただいていますが 、今日、僕は4人目として芹沢さんにインタビューしたい気分でもあるんです。

Tokyo Art Research Lab/東京アートポイント計画ディレクター・森司

森: まず、僕が「新たな航路を切り開く」をどう聞いたのかというと、 もう「新たな」という言葉から大好きな言葉なんです。新しいのが好きなんですよ。それで「航路」というイメージは、波が立っていくようにどこかへ進行形で進んでいく感じがします。さらに「切り開く」、これはチャレンジして未知のところに行くということ。

 今、どうしていいか分からなくて決めあぐねている感覚のときに、「いや、新しい航路を切り開くんだよ」というメッセージの投げ方をしている。このディレクションは卓越した技だなと思ったんです。要するに、このタイトルがすべてをはじめたような気がしていて。

 TARLでは「新たな航路を切り開く」までの数年間、アーツカウンシル東京のプログラムオフィサーがパートナーと一緒にプロジェクトをつくる「東京プロジェクトスタディ」を実施していました。そこから今度は、誰かディレクションしてくれる方にお願いしようとしたのは、今は、それがないと「こと」がはじめられない時代に生きていると思ったからです。年表をつくるお願いをしたのも、何か「拠って立つところ」ではないですが、参照するものが「従来の美術の歴史」だけだときついなと思っていました。

 芹沢さんがこれまでプロジェクトに選んでいる人たちは、従来の美術と違うところとブリッジしたり、違うものに立脚したりして「こと」を進めている人たちでした。そこにはさまざまなヒントがあるのではと思い、年表をつくりませんかとお願いしたんです。さらに、プロジェクトと一緒に進めていくその思考する時間も内在化させることが重要だと思い、時間をかけてつくりましょうと話しました。

正解に出会えない年表|「どう踏み出すか」を考える思考の道具

佐藤: この前のセッションが「思考の道具としての年表」というタイトルでした。おそらくプロジェクトの最初に、芹沢さんなりに年表の理解の仕方があり、まさに思考の道具としての年表をつくるべきだ、という話もあった気がします。

芹沢: そんなにかっこいい話ではないですが、中学生のときに「いい国つくろう鎌倉幕府」 のように、とにかく年号を暗記して……という思い出があって、もう年表なんて大嫌いだったんですよ。だから大学は理系を選んだくらいにね。本当に「こんなものを覚えたって何の役にも立たねえだろう」という意識だったんです。

 でもこの歳になると、これまでの世界や社会の出来事に対して、自分はそのときに何をやってたんだろう、何を考えていたんだろう、と思うようになってきました。僕は若いときにバックミンスター・フラーという人の考え方を追いかけたことがあり、かれは世界史の年表と自分の個人史の年表を一緒に並べ、さまざまなことを考えていました。そういうことをやっていたから「やっぱりフラーさんは先まで見ましたね」と未来予測したように言われることもありますが、かれは予測とは全然関係なく、自分がこの状況のなかで「どう踏み出すか」を考える思考の道具として年表をつくっていたんです。そのことを知っていたので、そんな年表づくりにしたいと思ったんですよ。

 かれは自分のことをguinea pig Bと呼んでいました。guinea pigというのはモルモットのことで、BとはBuckminster Fuller(バックミンスター・フラー)の頭文字のB。つまり、自分のことをモルモットBと名付けて、さまざまな発明や何かをやっていても、とにかく食いながら、何かはできるんだという実験動物のように見ていました。かれは楽天的でもあり、宇宙とシンクロして生きていれば死なない、飢え死にはしない、宇宙は自分のことを見捨てないという信念のもと、自分を実験台にして「どう生きるか」ということのために年表をつくっていたんです。

 今回、萩原さんや、みなさんには年表をつくるためにとても注力していただき、ここまで来ました。ですが、何と言うんでしょうか、この年表はかなり偏ったものですよね。

森: 本当に偏っていてね(笑) 昨日、今日の企画のために真面目に全部見たんですよ。そうすると、自分が欲しい項目はほとんど入っていないんです。主催している側の人だから、そこは指示して入れてもよさそうですが、それくらい意識的に年表づくりとは距離をとり、恣意的にこの情報を入れてくださいと言ったことはありません。

 あと、芹沢さんにお願いしたときに、AIがここまで進んでしまうとは思っていなかったんです。この年表をつくると、少しは便利になって、気の利いたことやっていて褒められると勘違いしていた。そうしたら、つくっている間にAIが先に通り越してしまったんです。

 今はAIの方がさまざまなデータを引っ張ってきます。ですが、対してこの年表を面白いと思うのは、僕が欲しい情報がないということは、僕が勝手にそれを大事だと思っているだけなんですよね。自分が大事なものはみんな違うので、みんなにとって完成しない、不完全で正解は得られない年表に出会うんです。きっと、その正解に出会えないという事実が、この年表の最大の魅力だと思いました。

 いままでは、正解に向けて頑張るようなものもあったけれど、「新たな航路を切り開く」では正解はとりあえず脇に置いて、わからなくても切り開いていく。その新しい羅針盤になる海図としても年表をつくろうと思っていました。ですが、その年表が、実に海図として精緻ではない。そこに魅力をすごく感じました。

芹沢: 「ケーススタディ・ファイル」でキュンチョメにインタビューすると、彼女は3.11の日に勤めていた会社の対応に怒り、そこから飛び出して自分で何かやろうとしてアーティストになるという。そのように自分の生き様として、社会や世界の状況に応答し、自分も変わるというよりは「どうしよう」と一歩を踏み出した人たちがたくさんいるんです。

 はっきり言うと、パンデミック以降の世界はめちゃくちゃで。そのめちゃくちゃな、正解があるようなないような、そのなかで「正解だ」と大声で言う人たちばかりになってしまって。何も考えずにそれに従えば済むのも便利かもしれないですが、自分で考えはじめるということが、きれいごとではなく本当に重要な時代に来ています。

芹沢: めちゃくちゃに翻弄される時代のなかで、勉強の道具ではなく、大げさに言えば「自分がこれからどう生きるのか」を自分で考えるための資料やきっかけになる年表になればいいなと思っています。この年表のなかにはキュンチョメがやってきたことも入っていますが、それを学ぶという意味ではなくて、この状況のなかで、こんなにも無謀に飛び出した人たちが、そのあと何をやってきたのかを見ていくのは、ひとつの勇気になるんじゃないだろうかと。

 今日の企画のタイトルに「これからの航路」とありますが、「これが次の航路だ」というものは、この年表をいくら見ても、つくってきた動画を見ても、そこに答えなんてない。でも、考え出すきっかけにはなると思うんですよ。

森: 肉声で録っているインタビューも含め、ここに収められてるものは、すべてみなさんが経験で喋っている話でもあるので、言葉がリアルなんですよ。しかも、経験のなかで話す内容は、本人にとって大事なものか、本人にとってすごく痛い記憶か、すごく刺さったものということ。その温度感や体感は、共感するかしないかは別としても、何かを動かすヒントになる気がします。その衝動の生まれ方みたいなものが、年表のなかに読めたり、その年表からさらにウェブサイトのなかを見てもらうことで、まさに「これからの航路を切り開く」ためのストレッチや準備ができるのではないでしょうか。

 それがないままに航路に出るのは無謀とまでは言わないけれど、少し危険な感じがするぐらいに、社会がここ数年で荒れていますよね。「正解がひとつ」ではなく「みんなが正解」になり、何をすればいいのか分からない状態のときに、ヒントになるものがあるように思います。

アートプロジェクトをつくる「演習」|計画を嫌う環境計画家のプログラムデザイン

佐藤: 「新たな航路を切り開く」がはじまったのが2022年、まさにコロナ禍からスタートしたこともあり、ほとんどがオンラインプログラムです。この企画は当初から3.11やコロナ禍という災害をベースにし、不確実性や不確定性を前提にしている。ですが、そこに対応して進めてきたはずなのに、4年が経ち、より不確実性の話をしています。むしろ、さらに能動性が必要とされるということは、状況がどのように変わってきているのでしょうか。

森: 震災などの自然災害は、ある種、受け止められるんだけれども、人災といっていいようなものがあちらこちらで起きはじめています。民族的な紛争、戦争も続いている報道がされていますが、これは人が起こしている話です。自然が起こしている災害と、人が起こしている災害の2つが重なってしまったことの予測不可能さ、というのは以前とは違うものです。 一方が安定していれば、震災が終わったあとに災害のユートピアがあって、また普通の平和に戻るように思えるけれど、そうではないかもしれないという不安……。不安なのか、その前提が崩れていっている状態は、非常に難しさを増している気がします。

 ですが、それゆえにアートの力、文化の力が求められつつあり、その拠りどころが必要になる。そして、これからの個々の受け手に一番重要なものは、そこに向かう姿勢です。先ほどは態度という言葉でしたが、そのつくり方だと思っているんですよね。その意味で、今回の「新たな航路を切り開く」はうまくいけたんじゃないか、と勝手に思っているんですが、実際にディレクションしてきた芹沢さんの実感はどうでしょうか?

芹沢: 映像資料をつくるのと並行し、約14名の参加者が実際に顔を突き合わせて「自分のアートプロジェクトをつくる」という演習形式のプログラムを続けてきました。そこでは、それぞれの方にすごく真摯に自分のモチベーションを見つけ出してほしい、ということを一番のお願いにしていたんですよ。アートプロジェクトなんてやりだしたら、いくらでも面倒な、すぐにめげちゃうようなことばかり出てくるものです。ですが、そのときに「なんで、そもそも自分はこれをはじめたんだっけ?」という原点、つまり自分の本当のモチベーションをしっかり自分でも確認して、さらに一緒に演習を受けている方たちの前で発表し、人に伝えて、それを自分のなかに受け取って、また変えていく。先ほどの言い方をすれば、自分の態度や姿勢をはっきりするために、そんなことばかりやっていたんです。

 参加者はみんな律儀によくやっていました。聞いている側としても、なんでこんなプロジェクトをやろうと思ったのか、興味があるじゃないですか。そうして続けていると、これならウケるよねと話を考えていた人も変わっていくんです。自分自身の核になることを中心に、それを社会に出すためにはどうしたらいいのかを考えはじめた。オンラインではなく、対面で2週間に一度ぐらい集まってきた実感もあり、ものすごく満足感というか、全然捨てたもんじゃないという手応えがあります。

 こんなにも不安というか、何がどうなるか分からない状況のなかでも、無謀といえば無謀ですし、たぬきの泥舟みたいなものかもしれないですが、とにかく荒波のなかに船を漕ぎ出そうと決意する人たちがたくさん出てきて、このプログラムをやってよかったと思っています。

森: 自分は、参加者の選定には加わらず、はじまってからも立場的に部屋のうしろで聞いていたり、たまにコメントしたり、あとは中間と最後の2回、話す場をもったりしていました。これまでを見ていると、簡単に言うと、企業戦士のように合理的かつ効率的に進めている人たちが、アートプロジェクトという言葉を聞いたときに戸惑うんですよ。正解であると思っている振る舞いでいると、芹沢さんが「ちょっと違うんじゃないかな」という柔らかい球を投げていました。世の中が求める振る舞いがあり、それに振り付けられてしまっている人たち、つまり自分の意志ではなく、そのようにしろとされてしまっている「振り付け」がある。それが芹沢さんとのやり取りのなかで 「それって本当にやりたいことじゃないよね」「それは、やらされているんじゃないか」 と、柔らかく振り付けを剥ぎ取るような時間に思えたんです。演習でのやり取りのあと、1週間から2週間の合間に言われたことを反芻して、次回にはなんとなく違うかたちが出てくるのですが、それがまた違うとなって、行ったり来たりする。その贅沢な時間がこの演習の生命線でした。

 また、演習は全8回で終わりということもあり、芹沢さんは一言も「ここまで行きなさい」と言わず、その人なりに行ければいいという接し方や間合いの取り方も魅力だったのではないでしょうか。だからこそ、参加者がみんなバラバラで、バラバラにでも続けているんですよね。それは僕はすごいと思っていて、普通は講座を受けたら一丁上がりで終わってしまう人がいるのに、この演習は終わった後もずるずると続いている。その続けさせてしまう何かを、芹沢さんが種のように渡していた。

 本当にプロジェクトをはじめてしまうと、それはそれで大変ですよね。実際に運営の話になると、これとこれは大変だよというマネジメント講座になります。ですが、その少し手前のところで、あえて芹沢さんは寸止めして、考える場所にしていたんです。

芹沢: ありがとうございます。まあ、いわゆる講座ではなかったですよね。ゲストは毎年3組ぐらいを呼びましたが、みなさん僕が尊敬している生き方の人たちでした。かれらのやってきたことを横で聞いてると、この人たちの生き様だな……と、そんなゲストばかりで、そういう人の話を聞きながら共振していくんです。

 年表とも関係しますが、それは「オーラルヒストリー」のようなものじゃないですか。今は、どんどんそういうものが削ぎ落とされてしまっている。「新たな航路を切り開く」でもいくつもの映像をアーカイブしていますが、かれらの息づかいや、ちょっとした間の取り方、そういうオーラルヒストリー、つまりかれらなりの生き様みたいなものが、最終的には自分に大きな影響を与えていく。

 それは結局、入り口しかつくっていないということでもあります。ですが、その入り口がとてもスカスカにできているので、そこからいくらでも奥に入っていけるんです。

佐藤: おそらくアウトプットや技術を共有するのではなく、その向き合い方やつくり方を学んだり、知ったりすることで、まるでモルモットBと自分とを重ねるように、自分の経験と、ほかの人の経験を比べながら「態度」を共有する場をつくってきたということですね。

森: 演習の参加者たちは、問わず語りで自分語りをはじめるんですよ。私はこうだというように、主語が私になってくるんですよね。1人が語ると、何回か会ってきて気心が知れてるからこそみんなも安心して話し出す。ピアメンタリング的なことも含んでいますが、「私を語っていい時間」と「私は何者かを語らなきゃいけない課題」というのが、この演習の肝なんだと思います。

 普通は、そんな根っこの部分は問われないと思うんです。これができるか、ゴールに向かってどうしたらいいかは問われますが、芹沢さんが「あなたは何者かを自分で決めてこい」ということを柔らかくおっしゃるのは、とても新鮮に感じるだろうと同時に、何かをつくるという根本はそこにある、それさえあれば大丈夫だよと実感できる。

森: ここで僕からも質問があります。芹沢さんは、なぜ「新たな航路を切り開く」でそうした問いを立てられたのでしょうか。というのも、芹沢さんはいつもそういう問いを立ててきたとも思うんです。だからこそ演習では「このやり方を試してみたら?」と投げているような気がします。

 芹沢さんはこれまで大小さまざまなプロジェクトに携わり、場所の経営もし、そうしたなかで「私は何者であるか」という自問自答のようなものが常にあったようにも思えます。この演習は、いわゆる講座としての場ではなく、参加者自身が自分が何者なのかを自問自答するための、その時間のデザインだったのかもしれません。

芹沢: すごく難しい……ですが、そう言われるとそうなのかなと思います。自分が何者かを自問していたわけではないですが、自分の人生を振り返ると「これをやるぞ」と計画を立てる人間ではなくて、ある意味で巻き込まれながらさまざまなことが起きていた、というのが事実ですね。人との会話や、世界の情勢のなかで、自分がピンとくる動きをしている人間と出会うと、ではそれをどのように一緒にやっていくのか、というモチベーションがとても強く、ここまで来ちゃった。それをみんなに強要するわけではないんですけどね。

芹沢: でも、僕はもともと環境計画の仕事をしていたのですが、しかし非常に強い意志で正解はこれだからとか、ビジョンや目標はこれだといって計画を立て、そこに向かっていくことに対して、次第に自分でも矛盾を感じはじめるわけです。たとえば中央の省庁と話をするなかでも、ここよりもこちらの方が立地はよかろうと言いながらも「偉そうによく言うな」みたいな気持ちもあって。こういうやり方ではない計画ができるのだろうか、という自問自答です。

 知人からも「計画を嫌う計画家なんているのか?」と言われたりもしましたが、僕はそのような思いでここまで来たからこそ、そういうやり方もあることを伝えたかったんですよね。

森: 今も何度か「ここまで来ちゃった」とおっしゃっていましたが、非常に自分の意思ではないように話されますよね。それはきっと演習の参加者にとっても、頑張らなくてはならないと思ってるところに、ある種、他人事、成り行き任せではないけど少し握りの軽い感じでいても大丈夫な気持ちにさせる。必死に、切実にこれからはじめようと思って力の入っている人たちにとって、すごくいい励みになる、背中を押す言葉のような気がしますよね。

 そうでないと、最初の一歩が怖くてはじめられないじゃないですか。しかも、いま芹沢さんが語ったことは、基本的にいつも同じように話すんです。芹沢さんと一緒にいると、今日の話は何回目だねという定番の話があるのですが、そうした思いがベースにあるからこそ、それが信条として伝播している感じがします。だからこそ、演習の参加者は、参加した年が違うメンバーであっても、芹沢さんに習ったと言うとたいてい繋がってしまうんだとも思うんです。

佐藤: そんなに計画はしていないと言いつつ、明確に態度表明をされている気がしますね。さきほどの萩原さんのプレゼンも、未完成であることや不確定であることに前向きで、未来を構想するための年表として話されていました。きっと、芹沢さんが全然イメージしていないアウトプットのかたちではあるけれど、芹沢さんが投げかけた態度は伝播していますよね。それぞれの人がバラバラなものをつくるからこそ、そういう伝播する場をつくることが大事なんだと思います。

 今の社会をどのように考え、どのように向き合えばいいのかという態度を、みんなでどのように共有していくのか。状況が厳しくなったり、人それぞれが大変になってきてたりするとき必要な場なんだとあらためて思いました。

これからの航路|港をつくる、船をつくる

佐藤: tarl.jpの年表で1996年を検索すると、「ドキュメント2000」というプロジェクトがありますが、そこでつくられた本が『社会とアートのえんむすび 1996-2000:つなぎ手たちの実践』です。実はこの本の「はじめに」は、隣にいる森課長が書いているんです。さらにもうひとつ 「トヨタ・アートマネジメント講座」も1996年にはじまりましたが、こちらにも森課長は関わっていた。アートプロジェクトや、そのための「人をつくる場」という取り組みの先駆けといえるものです。

 さらにこれを受けるかたちで、続編をつくろうと『アートプロジェクト:芸術と共創する社会』があり、さらにその続編が、いよいよ紙ではなくてtarl.jpというウェブサイトを媒体にしたという流れがあります。

『社会とアートのえんむすび 1996-2000:つなぎ手たちの実践』を持つ佐藤李青

佐藤: これまでTARLでは、何かをはじめたり、つくっていく場としてさまざまな人材育成プログラムをひらいてきました。そして、シリーズ「新たな航路を切り開く」では「これからの時代に求められるアートプロジェクトとは何か」ということをテーマにしています。

 今日も未来を予測できないという話が何度かありましたが、あらためて、これまでアートプロジェクトの航路を切り開いてきたお二人は、これからの時代のアートプロジェクトについてどういう構想を持っているのでしょうか?

芹沢: 「これからの航路」が何かを予言することはできませんが、とにかく船を出すためには「港」が必要です。修理ができるような小さな港でいいから、その建設は、みんなでずっと続けていく方がいいんじゃないかと思っているんです。どういう航路になるかは船長の無謀さ次第ですが、まずは港がないとネットワークもつくれません。そういうビジョンを持っていますね。

 あとビジョンというと、要するに幻のことですよ。計画の目標とも少し違うんです。ですが、それに騙されて「このように行く」ということもある。時々、シンデレラのことを思うのですが、12時になったら消えてしまう夢でも、彼女のその後の人生を実際に変えてるわけですよね。実は、それがまさにアートプロジェクトというか、アートの持っている特質なんじゃないかなと。この歳になって、ここまでアートを弁護するようになるとは全く思っていなかったのですが。

森: やはり「新たな航路を切り開く」をはじめたときは、そのときがはじめなくてはならないタイミングだと思っていたんです。そこにはこだわっていた。そして、いまからはじめよう、はじめ方をみんなでやろうというのと同時に、いくつかの経験を持って、さまざまなことをやってきたということをまとめて見てみましょう、という時間でした。

 いまはその両方が必要なときですが、もし芹沢さんが「港」をつくろうと言うのであれば、僕は「船」をつくろうという感じなんです。航路に出ていくタイミングは、海が荒れ過ぎてるときには出なくていい。ですが、それでも船ぐらいはつくろうよ、あるいは船のデザインを考える、どういう船なら次に行けるのかを考えようと。このことすらプロジェクトあるいはアート行為だと思えばいいのではないでしょうか。

森: 海に出ないで止まっていると何もしてないようにも見えますが、実際のアクションとしての「船をつくる」でも、あるいは造船でなくても「船をつくるという思考」をするだけでもいい。タイミングのいい状況になれば、行きたい人は先に行くし、出るタイミングではなかったという人はそこで待つだろうし。

 アートプロジェクトの起点が変わったり、状況が変わったりするのは、これはもう仕方のないことだと思っているんです。一律にはできなくとも、そういう準備は必要なはずです。つまり、アートプロジェクトを準備するプロジェクトというと変ですが、そのような気持ちでいます。

芹沢: 船も藁船だと、たとえ難破しても乗ったまま結び直したりするらしいです。 船のつくり方も、立派なタンカーや軍艦ではなく、みんなで軽やかな船のつくり方を考えるというのはいいですね。

佐藤: 「新たな航路を切り開く」で振り返った10年には、 そうした小さな船や小さな港のつくり方があること、みんながさまざまなところでつくりはじめているのが見えてきたことも、大きな発見だったように思います。

* 撮影:森勇馬
* 2026年2月24日実施「これからの航路に向けて」の収録音声をもとに編集・構成

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