地域で育まれた生活や歴史を見つめ直す
東京スカイツリーが立つまちとして注目を集め、現在も下町情緒が残る、隅田川の東に広がる「墨東(ぼくとう)エリア」。その路地や生活、地域史などの多様な地域文化資源を活用しながら、拠点、団体、住民が協働する仕組みづくりや、まちの魅力を引き出す参加型プログラムの実施、マップやドキュメント制作に取り組む。地域資源を活かした地域のアートやまちづくりを担う人々をつなぐネットワークづくりや、地域の抱える多様な課題の共有を目指す。




東京スカイツリーが立つまちとして注目を集め、現在も下町情緒が残る、隅田川の東に広がる「墨東(ぼくとう)エリア」。その路地や生活、地域史などの多様な地域文化資源を活用しながら、拠点、団体、住民が協働する仕組みづくりや、まちの魅力を引き出す参加型プログラムの実施、マップやドキュメント制作に取り組む。地域資源を活かした地域のアートやまちづくりを担う人々をつなぐネットワークづくりや、地域の抱える多様な課題の共有を目指す。
若き表現者や専門家、市民や学生などさまざまな立場でアートにかかわる人々が日常的に集い交流するプラットフォームを、台東区・谷中エリアにつくるプロジェクト。谷中のまちの魅力に触発され身体にわき起こるエネルギーを「ぐるぐる」、そのエネルギーに反応して動く人々を「ヤ→ミ→」と名づける。参加型パフォーマンス企画「谷中妄想ツァー!!」や、 まちの大人とこどもの出会いをプロデュースする「こども 創作教室 ぐるぐるミックス」、歴史的建造物である「旧平櫛田中邸」の活用など、さまざまなアプローチを通じた拠点づくりに取り組む。
美術家・川俣正を中心に、世界的な都市である東京を、ワークショップ、共同制作、トークなどの活動を通して再考するプロジェクト。地域住民や行政ともかかわりながら、《汐入タワー》(2011年、都立汐入公園、荒川区)、《佃テラス》(2012年、区立石川島公園、中央区)、《豊洲ドーム》(2013年、都立春海橋公園、江東区)の3つの物見台を隅田川の沿岸に設置。物見台からの眺めや、さまざまな関連プログラムを通じて、景観が急速に変貌する東京を見つめる。
アートプロジェクトを運営する人たちへの取材を通して、その言葉に、これからのアートと社会を考えるためのヒントを探るインタビュー・シリーズ。今回お話を伺ったのは、小金井市で「小金井アートフル・アクション!」を展開するNPO法人アートフル・アクション事務局長の宮下美穂さんです。
小金井アートフル・アクション!(小金井市芸術文化振興計画推進事業)は、2009年に活動を開始。市民がみずから運営を担い、小学校を舞台とするワークショップをはじめ、多くのプログラムを行ってきました。一見、まちなかのささやかな営みのように見える取り組みには、世界の複雑さに向き合おうとするアプローチや、メンバーの関わりのゆるやかさと深さ、会期を超えて広がる関心など、ほかのアートプロジェクトにはない手触りが宿っています。
参加する人たちと関わるなかで、分かりやすい答えの前で立ち止まり、何度でも本質を問うことを大切にしてきたという宮下さん。その具体的な手つきとは、いったいどのようなものなのでしょうか? 活動の伴走者であり、宮下さんの運営手法に関心を持っているという東京アートポイント計画ディレクター・森司とともに話を訊きました。
——「小金井アートフル・アクション!」は、2007年に制定された小金井市芸術文化振興条例と、それに続く2009年の小金井市芸術文化振興計画を具体化する事業として、2009年に活動を開始しました。宮下さんは、この条例や計画づくりの段階から一連の取り組みに関わっていたそうですね。
宮下:そうですね。もともと造園、ランドスケープデザインを仕事にしているのですが、それと並行して関わっていました。事業の運営に本格的に入ったのは2012年です。2009年からの初期の3年間は条例策定に関わった市民、行政、東京大学の小林真理先生や学生が中心に動いていたのですが、2012年にNPOが生まれ、市民の人たちが自分で運営することになりました。当初は移行期の難しさもあり、なかなかうまく回らなくて。一旦ブレーキをかけようか、という時期がありました。
——そこで、宮下さんが本格的に中心となって動き始めたと。
森:NPO法人アートフル・アクション(以下、アートフル・アクション)は、いまではすごく有機的で幸せな状況にあるけれど、当時はそんなことはなくて、一種のカオス状態だったんですよ。宮下さんにやりたいことが豊かにあり過ぎて、それが一挙に出てきている状態だった。たとえば、いまは代表的なプログラムがいくつかあるけど、そのころは枝分かれなんかしていなくて、整理もされずにこんがらがっていましたよね。
宮下:私にはそもそも、プログラム別に物事を考えるという発想があまりありません。そのことを問題だとも思っていなくて、むしろ、私が「こうじゃない?」と思うことの答えを、どう自分自身で掴むのかをやりながら考えていた。もちろん、自己満足のためにやっていたわけじゃないけどね(笑)。
森:初期は、「すること」も「つくるもの」もはっきりしていたんだけど、宮下さんが中心になってからは、すべてニュートラルになった状態に見えたんです。つまり、「する」や「つくる」を自明のこととして扱うのではなくて、もう一度、問いかけているような状態。そうすると、メンバーの考え方の違いが浮き彫りになるでしょう。だからカオスが生まれるんだけど、それこそ本当の産みの苦しみですよね。多くのプロジェクトがはじめにそこを整理してしまうなかで、この混沌をどういうわけか耐えたというのは、アートフル・アクションの財産だと思うんです。
——プロジェクトの最初に混沌の時期が必要というのは、森さんがいつも言っていることですね。
森:でも、ここはそれが長くて深かったよ(笑)。
宮下:ははは。私、退屈するのが嫌いなんです。それこそ運営をやり始めたころって、やらないといけないことが多かった。だけど、単にこなすだけではつまらないじゃないですか。だから、それぞれのなかに私にとって面白いことをこめていきました。一種の仮説というか。
——仮説、ですか?
宮下:たとえば、2013年に「タマのカーニヴァル」というワークショップのプログラムで考えていたのは、「人が何かを知るとはどういうことなんだろう」とか、「経験と体験はどう違うんだろう」とか、「人は人に何かを教え得るか」などといったことでした。実際、そこでは考えさせられることがとても多くて、参加したこどもの振る舞いから、「人が何かを知る」ことの一端が見えたように感じたり。それは、あらかじめ設定できるものではないですが、この問いを別の角度からさらに深めるために次のワークショップでは何をしようか、ということをいままで繰り返してきました。
——いまおっしゃった「仮説」は、いわば宮下さんの小さな関心だと思うのですが、プロジェクト全体としての大きな目的はあるのでしょうか?
宮下:“the 達成目標、獲得目標”みたいな目的は設定しません。強い目標を持つことによって、それを追い求めるあまりに目的以外が見えなくなると面白くない。だから、小さな仮説を積み重ねていった。
森:不思議ですよね。目的がなければ、普通こんな面倒臭い活動はしないでしょう(笑)。要は、世間的なゴールはないけど、探し求めたいものはあるということだと思う。多くのプロジェクトとは目的の捉え方が違うから、みんな、ここの活動を知ろうとすると煙に巻かれちゃうんですね。
——たしかに、ほとんどのプロジェクトには外向きに理解しやすい理念がありますが、こちらの活動はそれがとても見えにくい印象があります。いくつかのワークショップの記録を読ませてもらっても、豊かな細部があるのは分かるものの、その営みが全体として何かはとても名付けづらい。
宮下:活動に関わってくださる方からも「何を言っているのか分からない」ってよく言われます(笑)。
森:宮下さんはもともとランドスケープデザイン、生態系の人だから、ひたすらバラバラな人が集まれる場所をつくっているようにも見えるんですね。実際、ここの活動を見ていると、人の関わりの余白の取り方が非常に独特なんです。決して「ユルい」わけではなく、どこかが途切れてもネットワークはつながり続けている感じ。しかも宮下さんは、人々がプログラムに対して肯定感を持てるような関わり方を大事にされてきたと思うのですが、その秘密を今日は知りたいんですよ。
宮下:どうしよう(笑)。つながるか分からないけど、たとえば私たちがずっと続けてきた活動に小学校を舞台にした学校連携事業があります。でも、私自身、偉そうな人が学校に来て「何かを教えてやるぜ」と言われたらすごく嫌なんですね。決まり切ったことを上からトレースさせられても、ぜんぜん楽しくない。だから、とにかく圧倒的に何だか分からないことをしたいとずっと思っていて。
——「何だか分からないこと」?
宮下:2012年に小金井の本町小学校で、アーティストの岩井優さんと「ドキュメンツ/カメラと箒と雑巾と」というワークショップを行いました。これは、こどもに掃除のパフォーマンスをつくってもらうというものです。具体的には、いきなり「掃除のダンスをつくって」と言うわけです。さらにビデオでその様子を撮影してもらい、自分で自分を見るという経験も入れ込んでいった。そして最後に公道で自前のダンスを踊るのですが、そこに私たちがバブルマシンで泡を吹きかけるんです(笑)。
——たしかに、何がなんだか分からない(笑)。
宮下:でも、これは、みんな、とくに大人のなかにある「ここまではダメだよね」というルールが、勢いで乗り越えられていく経験でした。警察署や消防署への手続きもいろいろあったけど、みんなで一緒にめちゃくちゃなことをやる。それはもはや、作家かこどもか私たちか、誰のための行動なのか判別できないものなんです。でも後日、参加したある男の子が「人ってここまでやっていいんだと感じた」と言ってくれた。それぞれの場面での肯定感というか、見晴らしの良さをどこかで体験する。お仕着せの回路ではない、その人の心や身体の回路の中で。
——ルールや普段の身振りを超えてみたとき、拓けてくるものがあると。
宮下:最初から分かっていることをやっても、見晴らしの良さは得られない。プログラムに対する肯定感を生み出すのは、やはり、どれだけ自発的に関わるかによるのかなと思います。もう、暴力だ、と言われるくらい、ある部分を他の人に委ねる。もちろん、その人の個性や関心も考えますが、本人が予想しないような無茶振りをあえてやってみます。その人が迷いながら懸命に道を見出そうとしたら、それは失敗も成功も、その人の経験となって育っていく。それは、中途半端じゃダメで、かなりの負荷だと思います。でも、私としてはそうやって懸命な気持ちと一緒に仕事をしたい。私も応えたい、とは思います。
森:「わけが分からない」と「理解できない」ことは別のもので、人は前者はスルーすることがあるんですよね。そのスルーしたものに、良いかたちのラッキーがいっぱい含まれているのがアートだと思う。宮下さんはまえに生態系の条件として、「多様さというより複雑さ。そして、作為的でないバランス/均衡がある」ことを挙げていたけれど、それもつながる話でしょう。いまはみんな「多様性」で話をするんだけど、宮下さんは複雑さを喜んでいる人なんじゃないかな。
——多様さと複雑さを言い分けたのは?
宮下:その二つは違うものじゃない? 多様さは違うものがあればいいけれど、複雑さはそこにこんがらがった関係や解けないものがあること。私にとって、多様さというのは比較的シンプルで当たり前のことなんです。むしろ、複雑さのなかにこそ真実はあると思う。その意味で、複雑であることを複雑なままにしておくことは大事かな。道に迷っているように見えても、頑張って複雑であることを持ち堪えた方がリアリティがある。だから、メンバーにもそういうやり方を要求しています。
——学校連携事業では、この春の「わたしの『人権の森』」も大きなプログラムかと思います。これは東村山市の南台小学校のこどもたちと、同市にあるハンセン病患者の療養所「多磨全生園(以下、全生園)」を訪れて、その経験を深めるというもの。市を越えた事業ですが、どのように始まったのでしょうか?
宮下:以前小金井でご一緒した先生が、東村山に移ったあとも声をかけてくれたのが始まりです。私には「学校が美術館だったら学びはどう変わるのか」という仮説があるのですが、それを彼女に伝えたら、全学年の授業を表にしてくれて。そこに全生園の見学がありました。通常、見学後は感想文を書いて終わっていたようですが、貴重な経験なので深めていくことはできないかと考えました。
——具体的にはどんな風に変えていったのでしょうか?
宮下:読書の時間に、司書の方に全生園関連の書籍を読み聞かせしてもらい、その本を教室の脇に置いてもらいました。私たちも、読み聞かせにも施設の見学にも参加しました。そのうえで90分の授業を3回やるのですが、前半はグループごとに全生園の経験について話し合いました。こどもたちは図工の時間だからつくりたくてウズウズしている。それを押しとどめ、対話の時間を持ちました。先生にも、「つくる」とか「造形」という言葉を使うことをやめてもらい、「表現する」「伝える」と言い換えてもらいました。そして残りの時間で、何かを「表現する」という授業でした。
——見学だけではなくて、その前後で、知ったり、考えたりする時間を厚くしていったと。そして大人は、単にこどもに教える存在ではなく、一緒に学んで考える存在なんですね。
宮下:全生園は難しい歴史を含む場だから、本を読んだ大人たちはみんな自分に何ができるのか分からないという状態になります。それでも調べ物をして分かったことを伝え合ったり、ディスカッションを繰り返して準備する。さらに、見学や授業のあとも毎回数時間の反省会をしたり、メールでやりとりをしていく。そういうことを、一ヶ月半から二ヶ月くらいかけて大人もやっていくんです。
森:究極のアクティブラーニングですよね。少し角度を変えて言うと、2020年度から大学の入試制度が変わりますよね。センター試験に変わり、「大学入学共通テスト」という仕組みが始まる。国語の記述式の問題のような、インプットした複雑なものをどう出すかという力がより求められるようになります。学校の先生がこの分かりづらいプログラムを引き受けた背景には、いまを生きるうえで複雑さを解きほぐす能力が必要だという直感が、先生たちにもあったからだと思う。
——ささやかなアートの営みに見えて、じつは時代の流れと重なる部分もあると。
宮下:実際に造形を行う場面でも、根本的な部分をしつこく問うんです。たとえば、全生園のなかで「独身男子・軽症者寮」として使われた山吹舎という建物をつくりたいグループがあったのですが、見たものをミニチュアで「再現」することの意味とは何だろうと。グループに入った大人には、なぜ山吹舎なのか、こどもに繰り返し尋ねてもらいました。結果的にグループは山吹舎をつくったんだけど、それはただ平行移動して再現されたものではないんですね。いろいろ考えるなかで、自ずとアウトプットが変わると思っています。
>〈後篇〉バラバラなものをバラバラなままに。結果を急がず、遍在するものの可能性を丁寧に感知することが必要。——宮下美穂「小金井アートフル・アクション!」インタビュー
NPO法人アートフル・アクション 事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様な形の参加によって成り立っている。多くの人のノウハウや経験が自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強みである。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちをいだきつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。
東京都小金井市内を中心に、企画展、イベント、講演、ライブなど、様々なアート活動を行っているNPO法人。目指しているのは、アートと出会った人が自分自身の新しい可能性を発見し、豊かな生き方を目指していくきっかけや場をつくること。現在、市民、自治体、学校、他のNPO、企業などと連携しながら、「地域におけるアート」の可能性を追求している。
https://artfullaction.net/about/
NPO法人アートフル・アクションの一部事業は、2009年4月に「誰もが芸術文化を楽しめるまち~芸術文化の振興で人とまちを豊かに」という理念を目指して始まった「小金井市芸術文化振興計画推進事業(小金井アートフル・アクション!)」として推進されている。
「小金井アートフル・アクション!」は、2011年度から、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)、小金井市、NPO法人アートフル・アクションの4者共催により「東京アートポイント計画」の一環として実施。
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アートプロジェクトを運営する人たちへの取材を通して、その言葉に、これからのアートと社会を考えるためのヒントを探るインタビュー・シリーズ。今回お話を伺ったのは、小金井市で「小金井アートフル・アクション!」を展開するNPO法人アートフル・アクション事務局長宮下美穂さんです。
参加する人たちと関わるなかで、分かりやすい答えの前で立ち止まり、何度でも本質を問うことを大切にしてきたという宮下さん。その具体的な手つきとは、いったいどのようなものなのでしょうか? 活動の伴走者であり、宮下さんの運営手法に関心を持っているという東京アートポイント計画ディレクター・森司とともに話を訊きました。
>〈前篇〉答えのまえで立ち止まり続ける。市民の生態系と問いかけが生むプロジェクト——宮下美穂「小金井アートフル・アクション!」インタビュー〈前篇〉
——宮下さんが以前、「表現というのは中空に浮いて考え続けることを支える技術」とおっしゃっていて、面白い言い回しだなと感じたんです。それはいまのお話にもつながっていますよね。
宮下:そうですね。こどもと接していると、見たものにとても国語的な読み解きをするんです。たとえば、桜井哲夫というハンセン病患者について書いた本(権徹著『てっちゃん: ハンセン病に感謝した詩人』)の帯に「ライになって、よかった」と書いてある。それでこどもに、「なぜ、てっちゃんはライになって良かったと言ったんだと思う?」と聞くと、「病気を代表して伝える役割を担ったから」と答える。それは国語的には「正解」だと思います。でも、「あなたならどう?」と、さらに問うと、「あ、おれ、いやだ」と、本音も出てくる。
その一方で、誰かがぽっと「どっちもありだ!」と。ここで、「答えはひとつではなくて、正しい/正しくないでは分けられない」とこどもたちが言い出した。そこでこのチームは、最終的に教室の真ん中に複数の椅子を背中合わせにおいて、天井からたくさんの写真や言葉、多摩全生園(以下、全生園)で見学した道具などをつくって吊り下げ、視点がつねに相対化される場をつくりました。
——面白いアウトプットですね。
宮下:普通、大人からしたら、ただの再現の方が可愛げがあるじゃないですか。でも、ドアを開けたらこどもたちが背中合わせに座っているわけですよ(笑)。
——ははは。
宮下:ここで大切なのは、「問いかけたあと、人が発話するまで待つ」ということでした。全生園のプログラムでサポートに入った大人のメンバーに求めたのは、造形能力ではなくて、待つことでした。みんな答えがすぐに欲しい。その欲求はますます高くなっていると思う。答えが出ないのは辛いし、誰も支えてくれない。それでも、待つことの大事さをみんなで分かり合いたいとは考えています。
森:アートだけではなくて、どの分野でもプロの人間というのは、その宙ぶらりんの状態を日々過ごしていると思うんです。医者でも法律家でも、白黒で分けられない世界を生きている。そして、それが苦痛かと言えば、案外気持ち良かったりする。アートはそれを分かりやすく見せる世界ですが、宙吊り状態はアートの特権ではない。その前提を忘れると「アートは答えがないからいい」という一般論になるけれど、その答えのなさは実は多くの人が共有するもの。それに気づくことは、とても大事なことですよね。
——とはいえ、メンバーには待つ時間の曖昧さや、プログラムの複雑さに耐えられない人も多いのでは?
宮下:私はけっこうちゃぶ台返しをするからね(笑)。市民スタッフのメンバーは、みんな真面目だから、プログラムの準備をしながらしっかりと積み上げていくんです。でも、その何ヶ月もかけた企画やアウトプットに、私は「なんか違う」と言う。べつに撹乱したいわけではなくて、問いたいのは「本質は何か?」ということです。もちろん、最終的に私が考えるものにならなくて良くて、問いを続けることでまた違う選択が生まれることが大切だと思います。
森:宮下さんは、「NO」を言う人が多い方が健全だとも言っていますよね。もちろん、反対意見を言えるメンバーは貴重だけど、そういう人ばかりになったらプログラムが回らないでしょう?
宮下:「NO」と言われ、それを引き受けた方が楽しいです。「NO」のなかには濃淡がある。たとえば全生園を訪れたとき、あるメンバーが「ここには私たちが失った自治があって、外よりもはるかに豊かな暮らしがある」と言ったんです。これは、普通はなかなか言えないことですし、直接的ではないけれど、当時私が考えていたことへの「NO」でした。結果として、この意見はプログラムの考え方を大いに拡張してくれました。絶対的な「正解」は無いから、それぞれの人の生活経験で「これがいい」と思うことをつきつめてやればいい。そうした相対化が、自分にとっての本質を考えさせるきっかけにもなります。ときにはとても鋭い「NO」になりますが、それはとても創造的でもあります。
——これまでのお話からも、「小金井アートフル・アクション!」の分かりづらさが伝わりますが、アートポイント計画がそうした取り組みと共催を続けている理由とは何なのでしょうか?
森:なぜやり続けているかといえば、それは「小金井アートフル・アクション!」にアートがきっちり入っているからなんです。普通、アートと言うと思い浮かべるのは形としての作品だけど、本来、アートとは形もなくどこにでも偏在しているもの。それが奇跡的に形になったものが作品だと捉えた方が良い。そして、宮下さんには生態系の人として、この偏在するものをちょっと突いてあげれば、勝手に動き始めるという経験値がある。その思考自体がすでにアート的だから、分かりやすい形がなくてもアートプロジェクトだと言うことできるんです。
宮下:バラバラなものをバラバラなままにしておく、みたいな感覚に近いかもしれない。中央集権的に何かを集めて力技で結果にするのではなく、結果を急がずに遍在するものの可能性を丁寧に感知することが、いろいろな可能性を捨ててしまわないために必要な気がします。
森:自己認識しづらいアート的な感覚に、プロジェクトのプロセスを通していかに気づくのか。下手なアーティストだと現場を変にまとめちゃうけれど、ここで「小金井と私 秘かな表現」というプログラムを3年間やって、いまもオフィスをシェアしているアサダワタルくんなんかは、その「気づき」と「まとめなさ」のバランスがとても上手いなあと感じます。
——まえにアサダさんから、「小金井と私」に参加したある市民の方が、プログラムの会期後にこどもの通う保育園の園長先生を自宅に招いて、小さなイベントを開いたと聞いて驚きました。それこそプログラムが川の支流のように日常に溶け込んでいる、偏在するものになっているのだなと。
宮下:その方はマキさんといって、もともと「こどもがどんな場所で育つのか」にとても関心がある方なのですが、会期中に第二子の出産や、お義母さんの死を経験されたんです。それで、会期後に以前から気になっていた保育園の園長先生を招いて、こどもを育てる場所について考え始めています。でも、こうした変化はいろんな人に起きています。そして重要なのは、このプログラムがゼロをイチにしたわけではないことです。そうではなくて、もともとその人が持っていたものがどこかの契機で発現して、つながっているということだと思うんですね。
森:つまり、「小金井と私」の3年間は、いわば「手続きとしての会期」だということですよね。手続きがなければ、その思考は可視化されなかったかもしれない。だから手続きは必要だけど、そこがスタート地点ではないと。
宮下:ポテンシャルがゼロの人なんかいないじゃないですか。だから、むしろ私たちがそれに沿わせてもらっているというのが正しい。もともといろんな人生経験をした人がいて、その人たちがこの機会に出会って、またそれぞれの場所に戻っていく。あるいは別の場所に動いていく。私たちはそれに立ち会わせてもらっている。
——川の例で言えば、源流はこのプログラムにあるわけではなく、もっと前にあると。
宮下:そうですね。源流が違うからこそ面白いんだと思うんです。さまざまな源流を持った人たちが寄り集まって、合流したりすれ違ったりしながらまた分かれていくんだけど、それは源流が違うから分かれていけるわけで。その意味で、じつは会期の3年間というのは大したことじゃないんですよ。それぞれの人にそれぞれの人生があるからね。
——そうした市民の人たちの小さな営みは、いわゆる「アート」の世界からすると、とてもマージナルなものに見えると思います。でも、森さんが言うように、それこそアートの本来の姿かもしれない。「小金井アートフル・アクション!」の活動の根底には、そんなアートへの転換的な考え方が流れているように感じます。
森:もうひとつあるのは、拠点にしているこのシャトー小金井という場所の存在でしょう。この場所は孵化器のようですよね。メンバーがふらっと立ち寄れる場所であり、アサダさんをはじめとするいろんな人のスタジオでもある。活動の拠点であり、それを根本から支えてくれる場所でもある。場所と活動が、表裏一体だという感じがあります。
宮下:公共的な場所というと公民館などが浮かびますが、そうではなくて、みんなで持っている曖昧な場所のことだと思うんです。人が生きるうえで、白黒つけない場、所有、非所有を超えた場所というのは必要で、曖昧だけど保証された場所があるからこそ、人は何か形のない、前例のないことも試みることができる。ここを訪れる人の動機というのは本当にバラバラで、お母さん同士がこどもについて話しているかと思えば、違う場所ではアーティストたちが話していたりする。みんなそれぞれ違うことをしていて、それでいいと思うんです。
森:普通、日本だと場はすぐ整然とするけど、ここは不思議なくらい隙間が多い(笑)。「来る」というよりも、「居る」場所という感じですよね。「アジール」という言葉が合っているかな。
宮下:私、この場所にずっといるわけではないんです。むしろ、門番みたいに誰が来たかなんていちいち知りたくなくて、来たい人が来て、好きにしてくれていた方がいいなと思っています。
森:こういう良い場やプログラムが成り立つのは、べつに奇跡ではなくて、宮下さんの手繰り寄せる力があるからだと思う。だけど、分かりやすい何かに飛びつかずに偏在するものを手繰り寄せるのは大変なことですよね。最後に聞きたいんだけど、そうした宮下さんの個人的な性質はどこから来ているのですか? 「造園家だから」と言ったら、ほかの造園家は困っちゃうでしょう。
——たしかに、すべての造園家がこうではないですからね(笑)。
宮下:「これ」という理由は分からないけれど、「もっとも本質的なことは何か」ということは癖のようにいつも考えているし、人様の人生に介入はしないけど、一緒に何かをやる人に対しても同じことを何度も聞いています。そうしないと、どんどん目先の解答で済ませてしまうようになる。だから、途中でやめないで問い続ける。本質と思うものも、もちろん変わっていくけれど、問い続ける中で、既存の回路では見つからない何かが出現することもある。見えない回路がつながる。それは問わないと、やってみないと見えてこない気がします。それから、自問だけでは答えは出ない。やってみること、問うことを繰り返すのかな。「さすがにしつこいよ」と言われることもあるんだけど(笑)。
森:その過剰さは言い換えるとオーバークオリティ、質への探求ですよね。過剰さがアートの現場には必要だし、諦めないことで手繰り寄せているものは多いと思います。
宮下:答えが出なくても、考えたり知ろうとしたりすることで、明日をどう生きるが変わる。このあいだもテレビで福島の放射能汚染の問題を見たのですが、科学的なことはむずかしいけれど、それがどういうことかを考える。できれば行ってみる、風や空気を感じてみる。大問題だけではなく、些細なことでも身をもって考えなければただ時間が過ぎていくだけなんですけどね。でも、どうせならできるだけ誠意を持って生きた方が楽しいと私は思っているんです。
NPO法人アートフル・アクション 事務局長
2011年から小金井アートフル・アクション!の事業運営に携わる。事業の多くは、スタッフとして市民、インターン、行政担当者、近隣大学の学生や教員などの多様な形の参加によって成り立っている。多くの人のノウハウや経験が自在に活かし合われ、事業が運営されていることが強みである。日々、気づくとさまざまなエンジンがいろいろな場所で回っているという状況に感動と感謝の気持ちをいだきつつ、毎日を過ごしている。編み物に例えると、ある種の粗い編み目同士が重なり合うことで目が詰んだしなやかで強い布になるように、多様な表現活動が折り重なり、洗練されて行く可能性を日々感じている。
東京都小金井市内を中心に、企画展、イベント、講演、ライブなど、様々なアート活動を行っているNPO法人。目指しているのは、アートと出会った人が自分自身の新しい可能性を発見し、豊かな生き方を目指していくきっかけや場をつくること。現在、市民、自治体、学校、他のNPO、企業などと連携しながら、「地域におけるアート」の可能性を追求している。
https://artfullaction.net/about/
NPO法人アートフル・アクションの一部事業は、2009年4月に「誰もが芸術文化を楽しめるまち~芸術文化の振興で人とまちを豊かに」という理念を目指して始まった「小金井市芸術文化振興計画推進事業(小金井アートフル・アクション!)」として推進されている。
「小金井アートフル・アクション!」は、2011年度から、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)、小金井市、NPO法人アートフル・アクションの4者共催により「東京アートポイント計画」の一環として実施。
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Tokyo Art Research Lab 2013年度のパンフレットです。アートプロジェクトを担う全ての人のための「使える」ラボとして、講座、教本・ツール・ドキュメント、研究・開発の3つの枠組みで紹介しています。また、2010年度のシラバスに収録した港千尋の論考も再録しています。
活動を続けていくために、意識と技術を更新する 森 司
Tokyo Art Research Lab
1 知る、学ぶ、身につける |講座|
2 読む、使う |教本・ツール・ドキュメント|
3 掘り下げる、検証する、つくる |研究・開発|
創りだす手の思想と実践へ向けて 港 千尋
『三宅島大学』のリサーチプロジェクトでつくられた、まちポスターを70枚以上の収録。島に暮らす、宿のおかみさんや、漁師のお父さんなどを取材し、その姿と声を記録しました。